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小旅行。今日という日をさりげなく祝う。

昨日。とある仕事の関係で虎ノ門ヒルズまで行くことになった。都営地下鉄大江戸線青山一丁目駅で東京メトロ銀座線に乗り換えようと半蔵門線ホームまで上がったところで、ウロウロキョロキョロした外国人(アジアの方とお見受けする)の姿が遠くに見えた。

距離もあったので誰かが対応するかなと思いそのまま素通りしたが、気になって後ろを振り返ってみるとまだウロウロキョロキョロ。目が合った。彼が僕のところに近づいてくる。虎ノ門駅に行きたいのだが今がどこに居るのかがよく分からないとのことだった。

ところで僕は英語が喋れない。大抵「◯◯◯って英語ではなんだったっけ」と考えてしまい時間もかかってしまう。でも良いじゃないか。旅の恥は掻き捨て。日本語だってまともに話せてないんだから。英語だけ出来ないなんて考えるほうがおこがましい限りだ。

ちょうど同じ駅まで行くので「一緒に行こう」ということになり、ミニトリップが始まった。話を聞いてみるとマレーシア人らしい。奇遇にも虎ノ門ヒルズに向かうらしい。そこで友達と待ち合わせらしい。何回か日本に来たが東京の鉄道は難しい、などなど。

「君はマレーシアには来たことがあるのか?」と聞かれ「行ったことある、1997年のジョホールバルに行った」と返す。「今年の日本は特に暑いよ」と言うと「マレーシアも暑いんだよ」と返ってくる。そんな話をしていたらあっという間に虎ノ門ヒルズに到着。

「僕の名前はジェイだ、本当に助かったよ、ありがとう」「僕はマサヒロ、いやこちらこそ楽しかったよ」とシェイクハンドして別れる。なんてことはないこのミニトリップ。2020年に向けて多くのこんな小旅行が多くなると感じる。楽し過ぎて仕方がないのだ。

「一期一会」。何気ない日常に出会いがあるだけで一日を清々しい気持ちで過ごすことができる。帰りに近くの愛宕神社に寄る。出世の階段を久々に昇る。桜田烈士の碑を見る。二度と来ない今日という日をさりげなく祝う。生きるとはなんて楽しいのだろう。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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