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固定観念を取っ払えるか。

ヴィッセル神戸戦はまだ見ていない。というか週末まで見れない。というか土曜も仕事入っていて見れない。日曜日にはもう試合が待っている。という悪循環をなんとか断ち切りたいが、頭が固いせいか抜け出すアイデアを絞り出せなくてなかなか苦労している。

どっかのホラーの映画監督が「・・・出すんじゃない、出るんだよ!」と言っていたが、やはり自然にアイデアが出てくるようになりたいものである。しかしながらこの固定した概念という化物を退治するだけの道具を持ち合わせていない。斧も置かれていない。

ここ一ヶ月で二度行なったレゴシリアスプレイのファシリテーター。一度目は来年社会人になるであろう方々向け。初対面の方が多いだけにアイスブレークの要素が非常に高すぎたのかもしれない。とは言えそこも含めて楽しんでいただけたかなとも感じている。

その次は、二十代前半から天命を知る五十代の方まで幅広い年齢層かつ男女混合でのレゴシリアスプレイとなった。生きてきた環境も働き方もまるで違う方々同士が、レゴを触ることで少しずつ相互理解を得て共同作業を行ない、アウトプットを出していく過程。

頭の中にある固定観念。まずはそれを取っ払ってレゴだけに向き合い、童心に帰った気持ちで創るレゴ作品の価値に重きを置く。皆がひとりひとり出したそのアイデアを認め、自分のアイデアと融合させていくというプロセス。ひたすらに手を動かすからこそ。

自分自身も凝り固まった頭をレゴで柔らかくしながら毎日の生活や仕事を更に円滑に充実したものにしていきたいと感じる。だからこそ子供の想像力を見習わなければと思う。でなければこのような産物は出てこない。「くまのプーさん」。言い得て妙、である。

子供、恐るべし(だから苦手、とも言う)。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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