今回は2000年のセレッソ大阪。この年といえば、いつも口にしているお決まりの「527」というキーワードが中心になるだろう。この日のことだけは鮮明に覚えている。いや、それは断片化されている。一週間前の勝利から完全に浮かれていた僕らは、周りを見渡すことすらできていなかった。
ひとつはサポーターとしてのありかただ。どういう意味かというと、多分その時は、勝利を信じたのではなく疑わなかったのだと思う。このことが敗因のすべてだと言って間違いがない。昔よく言われた「人がやることを信頼はしてもいいが決して信用はするな」という言葉がリフレインする。
もっと悪いことにこの浮かれ気分という毒が、セカンドステージ、更には翌シーズンの降格へつながったのではないかと僕は今でも思っている。自分自身がそうさせてしまった感もあるし、本当に申し訳ないなという気持ちでいっぱいになった思い出がある。そんな2000年のシーズンだった。
この年の思い出とすれば、もちろん2000年5月20日の雨の三ツ沢。あの試合を見てあの試合を感じてあの緊張感の中のゲームを制したシーンを味わって、感動しないセレッソファンがいるわけがない。セレッソという毒が更に身体のなかを駆け巡る感覚。ものすごい鳥肌が脳に焼き付いている。
さて話は変わる。遠い昔から構想を練ってきた「CEREBAKA」。ようやくというかやっとというか色々なことで動き出している。取り急ぎは多くの「セレッソ馬鹿」な方々と熱く語り合い、いろんなキーワードをいただきたいと思っている。既にEPISODE 1の対談を終えてまとめに入っている。
多くのセレッソ大阪を愛してやまない方々と一緒の時間を過ごせてありがたいうえにこんな企画にのっていただけるなんて本当にありがたい。どれだけメディアとして成立するのかなんてまったく予想もできないが、まあ、いつものパターンで、とりあえずは走り出してから考えるって感じだ。
そんな感じでゆるゆるとスタートするので、それほど見てもらわなくてもいいと思っていたりする自分がいる。セレッソ大阪サポーター以外が見て、何が面白いねん、というメディアになること間違いない。暇ではないが時間はある。外出自粛のこんな時期だからこそできることをやっていく。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
ひとつはサポーターとしてのありかただ。どういう意味かというと、多分その時は、勝利を信じたのではなく疑わなかったのだと思う。このことが敗因のすべてだと言って間違いがない。昔よく言われた「人がやることを信頼はしてもいいが決して信用はするな」という言葉がリフレインする。
もっと悪いことにこの浮かれ気分という毒が、セカンドステージ、更には翌シーズンの降格へつながったのではないかと僕は今でも思っている。自分自身がそうさせてしまった感もあるし、本当に申し訳ないなという気持ちでいっぱいになった思い出がある。そんな2000年のシーズンだった。
この年の思い出とすれば、もちろん2000年5月20日の雨の三ツ沢。あの試合を見てあの試合を感じてあの緊張感の中のゲームを制したシーンを味わって、感動しないセレッソファンがいるわけがない。セレッソという毒が更に身体のなかを駆け巡る感覚。ものすごい鳥肌が脳に焼き付いている。
さて話は変わる。遠い昔から構想を練ってきた「CEREBAKA」。ようやくというかやっとというか色々なことで動き出している。取り急ぎは多くの「セレッソ馬鹿」な方々と熱く語り合い、いろんなキーワードをいただきたいと思っている。既にEPISODE 1の対談を終えてまとめに入っている。
多くのセレッソ大阪を愛してやまない方々と一緒の時間を過ごせてありがたいうえにこんな企画にのっていただけるなんて本当にありがたい。どれだけメディアとして成立するのかなんてまったく予想もできないが、まあ、いつものパターンで、とりあえずは走り出してから考えるって感じだ。
そんな感じでゆるゆるとスタートするので、それほど見てもらわなくてもいいと思っていたりする自分がいる。セレッソ大阪サポーター以外が見て、何が面白いねん、というメディアになること間違いない。暇ではないが時間はある。外出自粛のこんな時期だからこそできることをやっていく。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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