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サーバントリーダーシップと立ち位置。

 コールリーダーは孤独だ。こういう書き方をすると語弊を産むのかもしれないがこれは間違いのない事実だ。選択の連続。決断の連続。どこのクラブもどのサポーターチームも同様だ。 ただし、コールリーダーには多くの仲間がいるのも、紛れもない事実だ。相談できる相手、相談される相手、様々。そして、真っ先にアンチの対象になるのも、コールリーダーな訳だ。 会社組織には「管理職」という、日本語で書くと途轍もなく固い肩書を持つ人がいる。コールリーダーは果たして「管理職」なのか?いや、そうではない。少なくとも日本の管理職では。 サーバントリーダーシップという言葉がある。リーダーはフォロワーに支えられ、フォロワーはリーダーに支えられ成長する。お互いの良いところを保管しあってチームは強くなる。 実はコールリーダーなんて、サーバントリーダーシップの典型なのではないか、と常々考えている。フォロワーあってこそ成り立つ立ち位置であり、影響力を与えることのできる人物。 そのことを考えないコールリーダーはただの場の支配者であり、何の影響力も与えてはくれない。セレッソ大阪のコールリーダーとしての立ち位置を、正しく伝えてこれた気がしている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

2022年。自分を振り返る。

ついに大晦日を迎えている。それにしても2022年はブログをなかなか書けなかった一年でもあった。それでも多くの方々との対話のなかで、たくさんのなにかを残していけたような気もしている。それでお腹がいっぱいになってしまったのかもしれない。 今年も昨年同様に、自分自身をレゴブロック、レゴ®シリアスプレイ®で振り返っていこうと思い、3,4分程度で作成してみたのだが、どうにも収まりが悪い。まあ皆さんにとってどうでもいいことかもしれないがしばらくのお付き合いをお願いしたい。 ========== 今年はひたすら「 コールリーダーウダウダ ではじまり コールリーダーウダウダ で終わる一年」だったように思える。たくさんの オーディエンス (某節では700名以上の方に聴いていただいたりした)が参加くださって、本当に嬉しい気持ちでいっぱいだ。 それもこれも、 セレッソ大阪 のおかげ。桜の花を咲かせるような コアなオーディエンス もいてくれたりと、とても充実したウダウダになったような気がする。クラブもそれ相応の結果を残しつつシーズンを終えたので、来季が楽しみになってくる。 少しずつだが赤く光る 情熱の量 が増えていって、聴いてくださる方々とようやく肩を並べていけるようになってきた。もっと 発信力 を幅広くしていきながら、より多くのセレッソ大阪サポーターに届くよう、一層の努力をしていきたいと思っている。 ゴールラインにかかるボールに象徴される、 ワールドカップの熱狂 も僕を後押ししたように感じている。スペイン、ドイツに勝つなんて正直考えてもみなかったが、僕自身、次のワールドカップへ行こうという情熱が、今大会でふつふつと湧いてきた。 逆に、 作家活動 と ファシ活動 はグレーな状態になっており、思ったようにおこなえなかった。なかなか筆が進まず、自分に対して角度もよくない。ファシリテーターとしてもワークショップが1回しかできなかったのは自分に対して残念な気持ちである。 それでも、 梯子 を登り、 あと押しの風 を起こして、この両翼を自分の横までは伸ばしていけるように努力する土壌もできてきた。時間はかかったものの、少しずつ自分自身を再発見して情熱を積み上げ、次のステージへと邁進していきたいと思っている。 ========== 皆さんの2022年はどうだっただろうか。過去を振り返るのは、自分自身を成...

未来のウルトラ。

久々のブログである。なかなかどうして、何を書こうかと悩んでいる自分がいた。もうひとつは #コールリーダーウダウダ の存在が大きい。ここで毎週セレッソ大阪のことを話しているからかもしれない。なんだかんだでかれこれ八十回を超えてきた。 実に多くの方にも聴いてもらえていることに満足してしまっている自分もいたりして、少し戸惑いがあるのも事実だ。これを皮切りに、他のサポーターが続々とTwitter Spaceを始めてくれていることこそが、嬉しい気持ちに更に拍車をかけていく。 逆に、このような年齢になってなお、このような表舞台に立ってよいのかとも思ってしまう。若いサポーターの方々がもっと前面に出てくる世界を期待しているのだが、話を聞くたびにまだまだ古参サポーターがいて成り立つ世界だなとも感じる。 最近のスタジアムを見ていても、応援、チャント、という観点ではチームはまとまっていると見えるものの、チームのサポートはそれだけでは無い。そこにはフラッグもあり、チームや選手に対する、ゲーフラや大小様々な横断幕も存在するのだ。 例えばゴール裏の横断幕ひとつにしても、個々人がただ貼るだけではなく、全体のコーディネートも考慮して配置を考えるなどを行ってきたが、今はどのように貼っているのだろうか。場所の取り合いや奪い合いは起こっていないだろうか、など。 そんな話し合いにも、積極的に若い方々が参画できているのだろうか、とかが頭の中を駆け巡っている。先日もTwitterに書いたが、小学生たちが、ウルトラを目指したいと思う世界に、ゴール裏がなっているのか、なんてことをつい思ってしまう。 来週の今頃には、歓喜のなかに僕はいるのだと思う。その輪には未来のウルトラたちはいるだろうか。あの頃のように次の世代へとつなげられているか。柏レイソル戦の試合後、当時の小学生たちに会った。とても立派なウルトラになっている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ルヴァンカップ。明と暗。

徳島戦の朝。非常に良い天気の中で朝の公園を歩く。多くのワンコと出会う。犬同士のコミュニケーションは複雑。くっついたり離れたり、におったり、におられたり。人間も同様。いつもの習慣、いつも出会う人。ともに歩く道だからこその。 とてもファイナルという空気感ではなかった。スタジアムに着いた瞬間、というよりも、前日前々日、いや、厳密に言うともっと前からその独特の雰囲気は存在していなかったように感じた。良くも悪くもその空気感が、試合の明と暗を決めた。 先日ツイッターで「ファイナルルーザー」と書いた。要は、ファイナルでシルバーメダルをかけられた経験の無いサポーターがいるのだという現実を改めて知り、その空気感というものは、こういう風に醸し出されていたのだろうかとも思った。 いつも言っているように、歴史の一部分だけを切り取って考えるのは良くない。だからと言ってすべての歴史を自分のものにするかどうかは本人次第だ。ファイナルルーザーの経験が無いからといって、それは決して、負い目でもなんでもない。 そしてそれは、ここから始まる歴史において過去の点を線で結ぶ役目があるのかもしれない。だからこそゴール裏ウルトラの話を聞いていきたいと思っている。ウダウダの延長線など、出来るだけ多くのチャネルを作っていこうと考えている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 追伸 サッカーショップ蹴球堂も併設しているコニュニティスペース「 F.C.OITO 」でのイベントにてファシリテーターを務めます。久々の大阪なので緊張しますが、ぜひお会いできれば、また、イベントにも参加いただけたりすると嬉し泣きします。 お申し込みフォーム