2019年4月30日。東京の空は雨。平成元年、単なる高校生だったあの頃から少しばかりいい大人になったなと感じる。今思うと非常に感慨深い。とは言え、この国にも自分自身にも様々な出来事があったこの30年。頭の中を駆け巡るのは必ずしも良いことばかりではない。 僕だけではないだろうが、平成という時代の印象としてはどうしても未曾有の災害の数々がまず思い浮かぶ。地震、風水害、噴火など数多くの甚大な被害を受けた我が国。しっかりとこの記憶を持って生きていかなければならない、とお言葉を聴いていて考えさせられた。 僕にとっての平成はセレッソ大阪と生きた時代だった。多くの仲間との出会いや別れも存在した。結婚した。東京へ行くことになった。父が亡くなった。言葉で言い表せるはずもない数々の思い出が溢れ出るほどに、複雑な平成という時代の象徴だという感じがしている。 いや、象徴というのは非常に恐れ多い。「祈ること」「寄り添うこと」、長きに渡り象徴としてご苦労されたであろう両陛下のことを考える。多くの被災地をご訪問され、僕ら国民に勇気をくださる姿がテレビに映るたびに、どうにも熱いものがこみ上げてくるのだ。 これからあと数分で令和の時代が僕たちの前にやってくる。さてどんな時代になるのだろうか。平成と比べてもより幸せな時代が広がることを期待するだけでなく、そうなるために自らも参加していくことが大事だと思う。やれることは決して多くないが意識していく。 どこまでいっても僕のスタンスは変わらないだろう。ITを勤しみ歴史を学びサッカーをこよなく愛するという自然体を貫いていくだろう。そのなかで周りの方に寄り添い幸せにしていけるよう努力していく所存。平成最後の日、穏やかに過ごした。自分らしくこれからも。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
dobroサッカーショップ蹴球堂オーナーの憂鬱。この狭い世の中を適当に歩きながら、セレッソファン、サポーターに勇気を届けたいと思います。どうぞよろしくお願いします。