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"若さゆえ"。

セレッソファンとしてはこの週末NJに沸いたわけだが、前日6分間の出場とはいえ先発とはとても予想できなかった。まだまだ無駄も多いと感じるこの選手のことは改めて書きたいとは思うが、”若さゆえ”のプレーを見て「怪我しないで欲しいな」と願ってしまう僕がいる。

書類を受け取るため久方ぶり(とは言っても三週間ほどだが)に墨田区役所に行った。第二第四日曜日に開館してくれているのは非常にありがたい。朝一だったこともありほとんど区民もおらずスムーズな手続き。並ぶことを心の底から嫌がる僕としてはこれ幸いだ。

その帰りに、少し歩いてみようと思いたち、浅草寺から「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な入谷まで。このあたりには歴史的建造物も多く、また大好きな幕末明治初期の偉人も居を構えた地域でもある。場所的になかなか訪問することも少なかったので良い機会だった。

薩長史観の影響というか子供の頃はどうしても「悪い徳川幕府」と「良い新政府軍」というイメージを持っていたのだが、今ではかなり捉え方が違ってきているのも事実で、日本という国には本当に多くの若者が命を散らし多くの若者がその後に事を成し遂げられた。

JR鶯谷駅の近くに西蔵院という場所がある。ここに佐久間貞一追悼碑がある。徳川幕府の旗本であり彰義隊士でありながら動乱の幕末明治を生き抜き、政治家や様々な企業経営に携わったりと政財界で影響力を発揮した人物。労働組合の結成にも大きく関わっている。

その追悼碑を書いたのが晩年を墨田区で過ごした榎本武揚。この碑を見たくて入谷まで歩いたと言っても過言では無い。あの幕末を二人が生き延びたからこその今かもしれないと思うと、長生きはするもんではないが、”若さゆえ”が全てではないことにも気付かされる。

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