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「台風15号チャリティー」について。

今日大晦日。高校サッカー選手権を見るため横浜のニッパツ三ツ沢球技場へと行ってきた。勿論、来シーズンからセレッソ大阪に加入することとなった神戸弘陵学園の田平起也選手を見るためだ。非常に風が強く吹きボールが伸びる押し戻される試合だった。”風”は様々な場面に現れてくる。 ”風”というと、サッカーショップ蹴球堂でのチャリティーについて記しておきたい。9月よりBASE店にて実施をさせていただいた「台風15号により被害を受けた方々へのチャリティー」。本日現在までにお預かりしている支援金が、商品購入と手渡しにて頂戴した合計で31,500円となった。 支援金の一部は以前 書かせていただいた とおり、ブルーシート等の備品を「ジェフサポーター有志の会」を経由し千葉県山武市に向けて支援させていただいた。第二回も千葉県にと検討していたが、現在、セレッソ大阪OBとのチャリティーイベントにて利用させていただこうと考えている。 このチャリティーイベントについては調整中でもあり何とか実現させたいと考えている。しかし万が一開催が難しい場合には公的な支援団体へ全残額の寄付を予定している。本件については今後も継続して調整を進めていき、改めてこの駄ブログやWebサイトにて随時報告していくつもりだ。 また、蹴球堂BASE店に設置しているチャリティー商品については今をもって終了とさせていただきたいと思う。こんな表現方法に協力いただいた皆様には本当に感謝という言葉しか無い。僕らはほんの小さな”風”しか起こせなかったが、少しでも復興のお役に立てたのであれば幸いである。 何はともあれ、2019年中はサッカーショップ蹴球堂をご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。新商品の開発もままならず未だ実店舗すらも実現できておりませんが、スタッフ共々この先も努力し邁進してまいります。引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

2019年の大晦日に思う。

大晦日である。2019年は本当に激動の一年であった。今振り返ればよく年末を迎えられたものだと思えるほどの状況だったが、多くの方に支えられて無事にこの場所にいる。一言で表すならば「物事には全て理由がある」。僕の座右の銘でもあるこの言葉がしっくりくると感じている。 またこの一年間、サッカーショップ蹴球堂の新たな店舗場所について様々調査をしてきたが、遂に実現することもなく終わってしまった。”セレッソサポーターのセレッソサポーターによるセレッソサポーターのための”リアル店舗。僕らは未だ苦悩と葛藤の中で生きている気がしている。 そんな中、今年は例年以上に数多くの素晴らしい方々と出会いそしてたくさんの刺激も頂戴した。超絶鈍感なこの僕がその刺激の「真の意味」をしっかりと受け止められているかは不明だが、それでも、少しでも前に進む力として全身を駆け巡っているのではないかと思っているのだ。 早いものでもう五十路となる2020年。明日から始まる来年に向けてどのように目標を立てていくのか。元来いい加減な人間としては、それほど明確に何かを考えているわけでもない。家族が幸せで、セレッソ大阪が良い成績で、アミーゴに幸福が訪れてくれればそれで良いかとも思う。 ふたつほど訂正がある。僕のタスクアプリには「死ぬまでに必ず行きたいところ」というリストが存在する。詳細は割愛するが、2020年はここに現存する二十箇所のいくつかへ訪れることができればそれで良い。あと、できれば、生活できるだけのほんの僅かの買い物券と金属のコイン。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP We will always be here,ever. Remember, the Force will be with you, always.

「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その3>。

今回は講演会「サポーター・アイデンティティ~We will always be here,ever~」の講演終了後の質疑応答である。よくもまあこんな企画を考えたものだと、関係者の皆さんにはぜひ敬意を表したいと思う。ここもかなり高田純次氏並みの適当さが滲み出ているのを感じていただければ。 この年は何を隠そう2014年。スーパースターの獲得とアジアチャンピオンズリーグ。そしてご存知の通りシーズン終了後に三度目の降格を迎えるという一年。そのスタートがこんな講演で始まったことを心に留めておいてほしい。僕は無神論者だが、世の中を動かす何かは絶対に存在する。 (全て当時書き起こしていただいたママ) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ レポート【質疑応答】 Q.フォルラン獲得についてどう思いますか? →最初はどうせ嘘だと思いました。 1990年代にもバティストゥータやロマーリオが来るという噂がありました。 レネ監督の時代にシーフォがくるかもしれないとなったときに、来なかったので今回もそれだと思ったら本当でした。 ワールドカップ得点王でヨーロッパでも実績を出している。しかもかっこいいですね。 みなさんサインもらってください。 それぐらいです。 (司会) フォルランさんも喜ぶと思います。 (会場爆笑) Q.セレッソサポーターで一番嬉しかったこと、辛かったことは? →こういう場をセッティングしてもらったことが嬉しいです。 自分は寡黙な方だが、本(セレッソ・アイデンティティ)を読んで、歴史はちゃんと伝えていかないとと思いました。 辛いことはあまりないです。周りの人が助けてくれますから。 Q.セレッソ立ち上げから今にあたるまでのサポーターの変化、 地域密着における姿勢の変化で感じることは ? →Jリーグができてサポーターの文化が出来ました。 昔はまだまだ応援する=サポーターでした。 東北の震災など、今のサポーターの行動力は感銘を受けます。 当時もやっていたが、今はうまくいくように計画してすぐに動けます。 長居という街がサッカータウンとなることを考えていたが、なかなかうまくいってないですね。 確かに商店街などは盛り上がっていますが、文化はまだ根付いていません。 サポーターが中心とな...

「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その2>。

前回に引き続いて、講演会「サポーター・アイデンティティ~We will always be here,ever~」の書き起こしをここに記していく。全てのJリーグのファン、サポーターがこんなことを考えているわけではないだろうが、大半が生活の一部(全部の方もいるかも)として深く根付いている。 さて後半は、セレッソ大阪との関係や、今の自分を形成する上で非常に重要な出来事が多く存在した時期の話でもある。ドキュメントは一応作成はしたのだが、ほぼ原稿なしに話していたのでかなり適当感が溢れているのはご容赦いただきたい。気持ちが伝わってくれたらと切に願う。 (全て当時書き起こしていただいたママ) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ●(合間に) だいぶ端折ってしまっているので、 あとで聞いてくれても、 メッセージを送ってくれても大丈夫です。 ―サポーター人生を考えよう ~応援を通じて、サッカーを通じて、つながりの社会、この社会を広げていきたい~ Jリーグができて22年目、 たかだか20年ぐらいで人生を語るのは難しいが、 みなさんの参考になればと思います。 サポーター人生とはなにか? 今年で44歳になります。 サポーター、ファンとのつながりが、 自分の人生の中での影響力が大きいです。 ここにいるメンバーでも10代~高齢まで幅広くて、老若男女様々ですね。 お年を召した方に怒られることもあります。 会社では立場があるので中々怒られませんが、 スタジアムではよく怒られます。 この会を企画してくれた人も含め、 若い子たちが成長していく様子に、 純粋なサッカーの見方を学ぶこともあります。 C6(※サポーターユニット)もずっと応援してくれています。 セレッソサポーターだけではなく、人生についても階段を登ってきました。 今でも子供扱いされることが多いです。 鬼武さんの奥さんに40歳超えた今でも「お菓子食べ」と言われます。 20歳ごろのイメージのままで、子供のように見られています。 小学校低学年のころにこういう社会経験をできるのは影響が大きいと思います。 サッカー以外の因果関係のない大人と、 応援を通じてつながって、そこで怒られたり褒められたりします。 それによって社会の仕組みを学ぶ。 村や町が衰退する中...

「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その1>。

2019年の年末に向けて、5年前の2014年に講演させていただいた「サポーター・アイデンティティ  ~We will always be here,ever~」の内容を、備忘録として何回かに分けて記していきたいと思う。少し古い話だが、少しでも新しいファンやサポーターの方に届けば良いなと感じている。 また、サポーターという生き物とは縁遠い方にとって、一体何を考えてどう行動しているのかという「生息体系」なんてものも、この機会に少しでも知っていただければなと思っている。少々面倒くさい内容になっているのも否定できないが、大きな心でお読みいただければ幸いである。 (全て当時書き起こしていただいたママ) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ●はじめに ―講演に入る前に、伊庭雅浩氏とは?ー ~「サポーターとは何かをみんなで考えていきたいです」~ (司会より) 今日の講師の紹介です。 東京からお越しの伊庭雅浩さんです。 東京のスカイツリーの近くに住んでいます。 43歳、エースという方、赤松さんと同い年です。 ・サポーター第一世代 ・セレッソ大阪最初のサポーター ・蹴球堂のオーナー ・テリ子という愛犬がいる。 それではよろしくお願いします。 (伊庭氏、以下略) こんにちは。 伊庭です。 知ってる顔も初めての方もいますね。 初めての方は? ・・・・・2人ぐらいですかね。 セレッソのサポーターのトップだとは全然思ってないです。 はじめに作ったとも思ってないです。 今日はサポーターとは何かをみんなで考えていきたいです。 タイトルは「サポーター・アイデンティティ」 僕がつけた訳ではありません。 特に歴史の話をします。 ほとんど原稿も資料もないのでアドリブでいきます。 ヤジをいれてください。 ITが好きなのでMacとiPhone使います。 ―自己紹介 ~「サポーター生を設計しよう」 「職業サポーターにならない」 「あまり背負わず楽しもう」~ 伊庭雅浩です。 珍しい名前ですが出は愛媛です。 子供の頃は画数が多すぎて書けなかったです。 dobro代表と蹴球堂のオーナーをやっています。 SNSもぜひフォローお願いします。 大阪生まれ、大阪育ちです。 6年前から東京のスカイツリー...

黒パグ行方不明事件(令和元年12月26日(パ)第9696号)。

今回は内容が少しショッキングであることをご容赦いただきたい。今朝発生した我が愛犬クロヱ(黒パグ♀3歳と3ヶ月)による大胆な犯罪行為。これに関わる家族を巻き込んだ騒動について書き記したい。恐れながらこの詳細はノンフィクションであり、登場人(犬)物は全て実在する。 今朝のことだ。6時。いつもより少し遅く起きた僕は用を足すためにトイレへと向かった。足がおぼつかない。何とか玄関横の個室まで辿り着き目的を果たしたのち、僕は水を流し手を洗い、扉を開けて出る。なんてことはない毎朝ルーティーンのごとく行なわれていくだけの簡単な行為。 リビングに戻る。何か物静かだ。カサカサと動き回る音もしないのでこれは布団で寝ているのだろうなと高をくくる。大概の場合は僕の起床に併せて一緒に目覚めるはずなのにおかしいなと思いつつも、まあ良いかと思いながら、これも毎朝の恒例行事でもある散歩の準備を行なっていた。 カサカサという音すらも発生しない。一体何をしているのだろうか。いや、これは違う。あれ一体全体何がどうなったのか、クロヱさんが忽然と姿を消してしまった。寝ている間に神隠しにでも遭ったのだろうか。妻と僕は捜索活動を開始した。必死に「クロヱさん」の名前を連呼してみる。 しかし全く痕跡もなく、いつもならば散歩に行きたくてウズウズしながら飛びかかってくるはずなのに一向に姿を見せないのだ。やはり警察に相談すべきかと正直迷ったが、そんなとき僕は、ある物音を敏感に察知した。再度声をかけてみたところ思わぬところから鼻息が聴こえてきた。 その鼻息はかすかに玄関のほうから聴こえる。付近でもう一度「クロヱさん」と呼ぶ。大音量の鼻息が密閉された空間でくぐもっている。僕はこの異音が流れてくるドアのノブを回し手前に引いてみる。中からブーブー言いながら黒い物体が飛び出してきて、僕は腰を抜かしそうになった。 盲点を突く。「金田一少年の事件簿」で例えるならば、およそ実現不可能なレベルでのドアすり抜けトリック(たしかからくり屋敷かなんかのやつだったと思うがほぼ憶えていないのが実状)。ワンコでありながら、それをリアルに実行したこの黒パグにはお見事としか言いようが無い。 しかしながら、最後の最後で”自力脱出”できないという、オートロックで鍵が掛かってしまい逃げるに逃げられなくなった鈍臭い泥棒のような汚点と呼ぶ...

資本主義と労働を改めて学ぶ。

佐藤優氏の「資本主義の極意 明治維新から世界恐慌へ〜」を読んでいる(というか聴いている)。幕末の金銀通貨問題(この件は本当に面白い)から明治初期の財政。戦争とその後に来る世界恐慌。そして終戦から今日に至る日本の資本主義について書かれている(というか話している)。 この書籍は、どこまで行っても資本主義からは逃れられずどのように付き合っていくかという終わり方をする。労働者に支払われる賃金、賃金から賄われている生活水準と労働再生というサイクル。さらなる労働力の投入が資本家(企業など)にとっての一番の考えるべき課題だと言う。 僕は政治家でもなく経済評論家でもないのでよく理解できていないところも多い。正直なところトマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」も読んだことが無いし、自ら進んで手に取るなんてことも無さそうだ。この本を読もうかと思った最大のポイントはやはり「明治維新」という言葉だった。 明治維新とは一体何だったんだろう。近頃は仕事そっちのけで考えに耽ってしまうことがことさら多い(これは拙い)。議論は「政権交代」かはたまた「軍事革命」だったのかで揺れたりしているところもある。必要論もあり不要論もありと、たくさんの論争が繰り広げられているのだ。 少なくとも明治以降の日本は世界の中で大きく発展を遂げた。ただその全てが明治維新後に”出来事”として起こっただけで、幕藩体制(とある書籍では江戸時代に幕藩体制などというものは存在せず明治の世になってから付けられたとも言う)下においても、重要な決定は成されている。 どうしても若者だけが頑張ったかのように見えてしまう感が明治維新にはあるが、中年の方々(これは失礼つかまつる)の活躍も相当目立っている。なんとなく僕らの目が戊辰戦争などの攻撃的な面に注がれてしまうのは致し方ないとしても、官僚や財界にも多くの人財が存在していた。 その中には残念ながら時代に身を共にし尊い命を散らした方々もいるが、そんなひたむきな労働によって今日の日本は支えられているのかも知れない。僕は新政府にも旧幕府にも双方肩入れするつもりはないのだが、本当に優秀な労働者の方々がこの日本という国にいらっしゃったのだ。 前述の書籍中に「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉があった。フーテンの寅さんの名言だ(いや諺だ)。趣味や遊びやたまの贅沢がたとえ労働力再生の道...

「いつ終わるか」ではなく「どう終わるか」。

いや、クリスマスイブである。この前12月に入ったなとか思ったりしていたがいやはや時間が経つのは人が考えるよりも進みが速い。40代最後の年もあと一週間しかないのが正直信じられない気持ちで一杯ではある。が、これも人生の一幕だと思えば少しは華やかに見えるのかも知れない。 それにしてもこの一年は公私共に激動であった。始まりあるものは必ず終わりを迎えるのが常である。少なくともこの2019年も毎年に漏れず、多くの出会いと別れが存在した。「さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束」。誰かの歌がこの薄っぺらな胸に突き刺さりそうだ。 誰もが時間的制約の中で生きている。死を恐れて生きるほど愚かなものはない、とは口が裂けても吐ける言葉では無いが、人間いつかは命尽きるときがやってくる。だからこそ問題点は「いつ死ぬか」ではなく「どう死ぬか」もっと言うと「死ぬまでどう生きるか」に事の本質があるのだろう。 子供の頃に一度だけ死にかけたことがある。詳細は別の場に譲ろうとは思うが、もしそこが最期だったとしたら、その人生を僕は満足に生きていたのだろうかと大人になった今でも時々思い出してしまうのだ。勿論そのときには意識が無いので周りに迷惑ばかりをかけたのだろうけれど。 「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開されて5日。小学生低学年だった1977年、両親に連れられて映画館に行った第一作目(今ではエピソード4新たなる希望、なんていう大層なサブタイトルが付いているが)の記憶は、今や僕の頭の中の消しゴムが全てイレースしている。 しかしながら映画の素晴らしさやSFの醍醐味という僕の人格の一部を受け持っているこれらの要素は、いつまでも脳みその中でグルグルとうごめき続けている。続編が出るたびにその要素が多く貯まっていき、ときには外に吐き出しながらこの40余年を生きながらえて来たような気もする。 そんな、僕らの時代を席巻してきた”スペースオペラ”が遂に完結する。人生と同様紆余曲折しながらここまで歩んできたスター・ウォーズシリーズの集大成となる本作。僕はさもルーティーンのごとく、いつもと変わらぬ映画館左寄りの通路側を選んで、この三時間に迫る大作を鑑賞した。 始まりあるものは必ず終わりを迎える。そして次の世代を切り開いていく。評価などどうでもいい。この終焉を迎えるときを...

#リヴァプール 優勝における「パンとお茶漬け海苔」の化学反応。

トフィーズファンとして南野拓実ファンとして、どう受け止めればよいか分からなくなる瞬間が、ここ最近ある。敢えて例えるならば、パンをお茶漬け海苔で食べる感覚とでも言うのだろうか。パンが無ければケーキを食べれば良いじゃない?うん。これだと食欲が湧くとは到底思えない。 そのマージーサイドの対面にいるレッズが、FIFAクラブワールドカップチャンピオンとなった。モハメド・サラー、サディオ・マネそしてロベルト・フィルミーノという強力スリートップを見て、「勝てるのか?」「出れるのか?」という両の疑問符が頭の中を駆け巡った試合でもあった。 何よりユルゲン・クロップ監督でもあるのだ。稀代のモチベーターでもある。選手の気持ちを高め鼓舞するあの熱いベンチワークもさることながら、細部に及ぶ配慮が実に素晴らしいのだと、何処かの誰かの解説か文章を読んだ記憶(もうそれは記憶と呼べないくらい曖昧な表現)がある。 サッカーにおいてモチベーションとは本当に大事な栄養素だ。「パン(またはケーキ)にお茶漬け海苔」にどの程度のエネルギーが含まれているのかは検討もつかないが、とは言え化学反応(消化不良も一種の化学反応と言えば化学反応だ)という新たな側面を出す可能性も無くはない。 我らがトフィーズは、イタリア人監督カルロ・アンチェロッティと5年という契約を結んだ。ヨーロッパ各国のビッグクラブを率いた経験、数々のタイトル、そしてイングランド・プレミアリーグにおける成績(えっと)。このマスターの元で、エヴァートンはここから復活の狼煙を上げる。 リヴァプール勝ち点49の首位。エヴァートン勝ち点19の15位。ボトムハーフというよりまさに降格圏内にどっぷり足を突っ込んでいる状況でこんなことを言うのも何だが、必ずや巻き返しをお約束する。ここ数試合は良い試合が出来ている。まずは監督を信じて上位を目指し戦うべし、だ。 蛇足にはなるが、子供の頃には「パンにお茶漬け海苔」ならぬ「食パンに味付け海苔」を実践し、よく食べていたという記憶がある。トースターで焼いた熱々の食パンにマーガリンを塗り、その上に味付け海苔を数枚乗せて食べる。刻みにしてまぶしてもよし。これが意外と悪くないのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

カオスか、カオス以外か。

最後まで読み切るには稚拙で不要なるこの駄ブログ読者の方や、我が身の性格をご存知の皆様は既にご理解済みではあるだろうが、僕は”混沌”という状況を極端に望んだりするときがある。三国志、曹操孟徳という人物の「治世の能臣、乱世の奸雄」にも近いが、スケールが違い過ぎる。 今日が乱世かどうかはさておき、そんな”混沌”という言葉がぴったりな場面が他にもある。それが「大量の子供が集まる場所」だ。たったひとりでも持て余すのに束になって来られた日にゃどうなるのだろうかと戦々恐々ではあったが、心を決めてとあるイベントに両の足を踏み入れた。 FIRST LEGO League Jr.東日本大会。42組の少年少女がLEGO®を使って作品を作り、動かしそしてプレゼンテーションを行なうという過酷な戦いに、我らのパダワン4名が参戦した。単純計算として42組×4名=168名もの子供たちがその場に存在したことになり、天文学的数字に気が遠くなる。 ”未来の街を作る”というテーマのもと、チームのテーブルが思い思いの作品で彩られる。僕は各テーブルを廻ってその作品を見て感じて話を聴く。やはりLEGOを駆使する子供たちの能力は素晴らしいものがある。言動もそうだが作品の出来栄えは更に拍車をかける。素晴らしいイベントだ。 「廻ってみてどうでした?」アミーゴに問われた。僕は素直に「どのテーブルも同じような作品に見えるし同じようなテーマが多かったように思える」と答える。我がチーム「Max Rebo Band Tokyo」と比べて動きもあり、現代社会を意識して作られた作品だが、正直言って面白くない。 そう。面白くないのだ。それはまるで、勝つためのサッカーに徹するどこかのクラブのようでもあるのだ。勝てば良いのか、勝ち上がることが全てなのか。テクニックだけが正義なのか。そんなもの面白いはずがないと僕は感じたのだった。それらに比べて我がチームの作品は実に素敵だ。 何と言っても我がチームには「レゴ®シリアスプレイ®認定ファシリテーター」が四名もいるのだ。発想力と想像力、そして何よりメタファーを意識する。自分の内なる声に素直に耳を傾け、ひたすら手を動かし作品を作るというマインドが既にこのパダワンたちには備わっているのだろう。 表彰式を見るまでもなく東京工業大学大岡山キャンパスをあとにした。インタビュ...

#大観覧車。映画を大正区で。

こんなことを書くと多少変に受け止められてしまうのかもしれないが、大阪市24区のひとつ「大正区」という場所はどこかミステリアスである。沖縄県人が多く、本州とは陸続きになっておらず、渡し船とたくさんの橋だけが生命線のこの瓢箪のような形の大正区を愛して止まないのだ。 今では面影すら無いのだが、僕が子供だった頃にはこの大正区にも映画館が存在していたのだ。当時はどんな作品が上映されていたかも全く記憶に残ってはいない(戦隊ものとかなのだろうか)。しかしながら弟と二人、何度か両親に連れて行ってもらったのだけは何とか憶えている。 大正区で映画というとマイケル・ダグラスさん、高倉健さん、松田優作さん出演の「ブラック・レイン」をどうしても思い出してしまう。(バスでしか移動が難しい)とても縦に長いこの”島”の奥の奥にあった中山製鋼所で撮影された。この映画の公開が1989年。時が経つのは本当に早い。 先日、その大正区が舞台のひとつでもある日韓合作映画「大観覧車」(「あなたの宇宙は大丈夫ですか」というタイトルもあるらしい)を一週間限定で公開されていたケイズシネマで見た。いくつもの大阪中の街の風景が目に入ってきて、懐かしさと新鮮さが入り混じった鑑賞だった。 実は上映前にケイズに着いたときベク・ジェホ監督がいらっしゃったのだが、まあ今じゃなくても良いかと思って声をかけずにいた。アミーゴからも映画の感想を監督に伝えてほしいと言われていたので見たあとに・・・と考えていたら、取材があるとのことで帰ってしまったのだった。 まあ、いいか。111分という結構長い映画を見終わったあと僕は、ひとつの想いに至った。「大正区に映画館があるのだろうか」そう思ってしまったのだった。子供の頃のように大正区で映画を見たい。今度大正区に戻る機会があるのだが、それまでに少し調べてみようかと考えている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

TAKUMI MINAMINOが南野拓実だったころ。

とある筋から軽い噂を聴いたときにはたいして本気にしていなかったが、メディアや周辺がざわめき始めた頃くらいから、これは現実になるのかもしれないと思い始めた。南野拓実選手のイングランドプレミアリーグ名門、リヴァプールへの移籍に関する僕のファーストコンタクトだった。 初めて南野拓実選手のプレーを目の前で見たのは2010年。西が丘サッカー場(今は味の素フィールド西が丘と呼ぶの)での全日本ユース選手権の決勝トーナメント一回戦。関西王者として参戦だったがサンフレッチェ広島ユースに7−1と完膚無きまでに叩き潰されてしまった試合でもあった。 「無茶苦茶面白い選手がいるからちゃんと見とけ」隣に座ってきたあの御方から言われた僕は、まだ老眼にはなっていなかった目をかっ開いて試合に集中する。背番号は12。トップでは選手が付けることはないサポーターナンバーでもある。今思えばトップ昇格した選手のオンパレードだ。 関西プリンスリーグではゴールを量産しており確かにアグレッシブさやガツガツした荒々しさは、この試合でも感じた。だがこのときは高校一年生の15歳で、勿論身体も発展途上であり、まだまだ未熟な印象も垣間見えた。結局この試合でゴールを決めることもなく大会をあとにしている。 その中でも、今日では代名詞となっているターンなど素晴らしいプレーを披露している姿を見て、必ずセレッソ大阪の未来を背負う選手になるだろうという少々淡すぎる期待を持ったことを今でも憶えている。そんな彼は2015年にヨーロッパへ渡り、南野拓実からTAKUMI MINAMINOとなった。 そして今やレッズの一員なのだ。嬉しい気持ちの反面、ちょっとだけ、いや更に遠い存在になってしまった気持ちのほうが大きいのかも知れない。早ければデビュー戦は年明けのFAカップ3回戦、我らがトフィーズとの「マージーサイド・ダービー」になる可能性があるそうだ。心が揺れる。 とは言え、僕らはいつでも南野拓実のファンだ。世界のTAKUMI MINAMINOも日本代表のエースもすべて引っくるめて、僕らは”あのころ”から彼の熱烈なサポーターなのだ。アカデミーは本当に原石の集まりだ。「無茶苦茶面白い選手がいるからちゃんと見とけ」。今度は僕が言う番だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

東京オリンピックへの試金石、日韓戦。そして。

ようやく東アジアE-1選手権をライブで見ることができた。初選出の若い選手たちにとってはアンダーカテゴリーを超えた日韓戦という独特の雰囲気を肌で感じ取ったものと思う。いつの時代も越えないといけない壁が存在するが、残念だが今回もなかなか頂上に足をかけられなかった。 思い出すと、2013年に蚕室での優勝を思い出す。ブラジルワールドカップへの足がかりとなったこの大会最後の試合、日韓戦。1997年最終予選の国立競技場には及ばないものの、あの戦う気迫というか何とも言えないピリピリとした空気感。結果はともかく気持ちの面での勝利だった。 シーズン終了後の難航したであろう選手選考やこの時期の日韓戦の重みなど、推し量ると大変さが見えてくる気もする。U-22や初選出も多くフレッシュな反面、ここから育っていく育てていく必要があることも分かった日韓戦だったようにも思える。どこまで行ってもその部分が重要。 12月28日にはU-22日本代表の試合が長崎で行なわれる。既にチケットは完売しているとのことで年の瀬に改めて盛り上がれるのは嬉しい。E-1選手権は2013年のときのようにはいかなかったが、東京オリンピックへの試金石となってほしいものだ。勿論、瀬古歩夢選手の活躍に期待する。 来年行なわれる、当の東京2020オリンピック。東京都民なのに東京在住特権が利用できないシステムには大いに不満ではある。そんな入手困難レアモノ扱いになっている、観戦チケットの抽選結果発表が昨日行なわれた。結果は・・・また次の機会にでも書いていきたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※2013年の蚕室の写真が出てきた。懐かし写真展やな(笑)

1990年代のテーゼ、(あるいはアンチテーゼ)。

セレッソ大阪というクラブは実にシンプルで、ときに複雑にものを考えるきらいがあると感じている。会社がどうこう言おうが僕らはすでに四半世紀をこのクラブとともに過ごしており、当然知っていること知らないことが未だ存在はするものの、腐れ縁のような関係でここまで来た。 会社と揉めたりもしたし、愛するがゆえ選手とムキになってやり合ったりしたこともあるが、すべてクラブを支えていこうとする気持ちの表れだったような感もある。そんな歴史を通じて、勝ったり負けたり、共に喜んだり、涙にくれたことも多々あった日々。皆が真剣だったと感じる。 この インタビュー記事 を読んだ。勿論、自分ごとと捉えるのはおこがましいし、クラブ同士のパワーバランスを考えても何とも言えないのではあるが、共感できる部分がとても多い。今の時代ではもしかすると古臭い考え方と揶揄されるかもしれないが、僕はとてもそこが好きだった。 時間は流れ、変遷し、脱皮して、生まれ変わっていく。何事も。人もクラブも同様。だからこそその場その場の選択を誤ってはいけない。誤ったなら素直に非を認める。同じ過ちを繰り返そうとしているならば、それらを正す必要が僕らサポーターにはある。それは至極当たり前なのだ。 常々、サポーターは応援することだけを求められているわけでは無いと伝えてきている。ときには真正面から真剣に向き合う必要がある。全体像をどのように自分ごととして受け止めるかがとても重要だ。とは言え人それぞれ考え方も思いも重要度も違う。多様性とは実に難しい言葉だ。 1990年代のJリーグ映像を見ることがある。クラブもスタジアムも選手もサポーターもどこか残念なところもあり、どこか無性に格好良い。そんな遠い昔話を語っている時点で僕はもうこの時代に生きる資格が無いのかも知れない。けど、だからこそ今ここに立っている必要があるとも思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※探していたら、とてつもなくシュールな写真が出てきた(笑)

ちょっとだけ苦手を克服する。

セレッソ大阪の選手がいないので億劫になっていた(我儘)が、ようやくE-1サッカー選手権2019の緒戦である中国との試合を見た。初招集も多い中で挑んでいるこの大会。フル代表とU-22の惨敗を払拭する必要があるという気持ちと同時に、長所と短所が入り混じっていたように感じる。 当然のことながら人には得意不得意が存在する。苦手を克服するためとはいえ、いくら努力を重ねても厳しいものは厳しいと言わざるを得ない状況もときにはあるのだ。特に国家代表ともなると、わずか数日での合宿でクリアできるような甘いものではないことも充分に理解できるだろう。 さて昨日。”レゴ先生”として、これから大会に臨む子供たちのレゴ工作のお手伝い(とは言っても外れないパーツを外したりしていただけ)をしてきた。いつも書いているとおりだが、この俊敏な動きを繰り返すチルドレンを見て極端に脇に汗をかいたりする。要するに子供が苦手なのだ。 親御さんを見る。この状況をひとつも苦にしていない様子(これは勝手な解釈かもしれないが)である。流石だ。そして、そこでひとつ分かったことがある。もっとも大事なのはコミュニケーションだということだ。奥手の僕に足りないのはそこだ。常にリアクションでしか反応できない。 悟った。僕は子供が苦手なんじゃない。コミュニケーションが苦手なんだ。ひとりの子供に聞かれた。「好きな食べ物は何?」「ハンバーグ」「サッカーはする?」「する」。案外コミュニケーションとはシンプルな質問から始まる。それを改めて分かっただけでも良しとしていいと思う。 そして僕はちょっとだけ苦手を克服した。 そしてロンドンレゴ®を手に入れた。 話は戻る。香港戦をまだ見ていないものの、今週日韓戦が行なわれる。もともとこの試合に行くのを断念はしたが、我らの日本代表は久々の栄冠を手にしてくれるものと信じている。苦手を克服するトレーニングとコミュニケーション。水曜日はなんとかライブでテレビ観戦したいものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

師走に迷う。

セレッソ大阪ファン、サポーターの誰もが驚いた”帝王”南野拓実選手のリヴァプール移籍に関する報道。トフィーズファンとしては嬉しい反面ちょっとだけ寂しい師走を歩いている。そんな12月も残り半分となる。このニュースが成就するように願いを込めた年末年始となることを祈る。 このような激しい流れで、嬉しいことと残念なことが順番にやってきた2019年も、そろそろ終焉へと向かっている今日。またひとつ悲しい話を聞かされることとなる。”負のサイクル”なんていう言葉を簡単に使いたくはないのだが、どうも理不尽で納得がいかないものごとが多すぎるのだ。 何が一番悔しいのかと言うと何の手も差し伸べられなかったこと。まるで手入れをしないまま枯れていく花のように。この状況に何もできなかった自分自身を悔やんでしまう毎日でもある。どのようにこの気持ちを整理していくのかを、この週末にもう一度考えていきたいと思っている。 こんなときは犬と散歩に行く。犬に行き先を任せて、緑道や公園を歩き、気持ちを落ち着かせていく。深呼吸する。朝の新たな空気をリロードする。僕の身体中に沁み渡り汚れきった思考を綺麗さっぱり(とは言えないものの)と洗い流す。そんな毎日を繰り返してきたこの一年だった。 若者には希望がある。しかしその希望を亡きものにしようとする者も存在する。そんなドロドロした世の中で僕は一体何ができるのかを考えてみる。小さな小さなことなのかも知れないが、少しずつでも前に向かってみるという気持ちが溢れてくる。ひたすら考え抜いていくことが大事。 僕は迷っている。この先どうすればよいか迷っている。時間軸で考えれば大した問題ではないのか、それとも。ゲームオーバーの前に気づける仕組み。ゲームオーバーにさせない勇気とおせっかい。勝海舟先生と坂本龍馬先生のような関係。もう一度、自分自身を奮い立たせていきたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

個性はあったほうがいい。

林穂之香選手がなでしこジャパン初選出され早速デビューをしたようだ。セレッソ大阪のプレイヤーが日の丸を背負って戦う姿を見るのはいつの時代も嬉しいものである。様々なカテゴリーから、毎日のようにニュースで流れてくる個性溢れる選手たちを見ていられる人生は、本当に最高だ。 このような話をJリーグのファン、サポーター以外の方に話すと少し驚かれたりする。なんとなく自分たちの中では”当たり前”のように感じてしまっていることも大いにしてある。なにせ四半世紀以上も同じような生活を繰り返している。まさに人生のDNAに組み込まれていると言っていい。 とは言え、年が経つに連れその体質の構造変化も起こっていく。勿論新陳代謝という良い意味での、だ。何かを失う(と書くと語弊があるが)と同時に何かを手にするというライフサイクルで僕らの身体は形成されていると思うと、なんだかあったかさに包み込まれている気持ちになる。 先日の大分での試合終了後、例の”スカイウォーカー( ブログ参照 )”と記念写真を取るためにゴール裏を訪れた。無事に撮影が終わったのだが、実に知っている顔を見る数が減っていることに気づく。それだけゴール裏に新しいファンやサポーターが増えているのだ。これは嬉しいことだ。 いや、待てよ。違う違う、そうじゃ、そうじゃない。知っている顔が減っているんじゃない。「はじめまして」が増えているのだ。そんなことを思いながらゴール裏のサポーター席を歩いてみた。なんだか新しい風を僕は感じた。それで良いなとひとりで納得してひとり頷いたのだった。 ファンなんてサポーターなんて言ってしまえば利害関係もない、知らない人の集まりだ。その中で共に目的意識(当然セレッソの勝利)を合わせて前に進む。だがひとつだけ忘れてはならないと僕が思うのが”個性”なのだ。それは決して和を乱すものなどではなく、自分自身の存在証明。 比べるのは良くないが、サポーター席にいた頃の”個性”とはまた違った形になりつつあるのだろうか。ユニフォーム姿はひときわ多い。日本が裕福になったかどうかはさておき確実にゴール裏がそんなカラーになっている。その上で、ひとりひとりの”個性”が出せるようだと素晴らしい。 その昔。今ほどファンやサポーターもおらず、サポーター席に集まる人間も僅かだったあの頃。少しでも自分たちの仲間を増やそうと躍起に...

評価の基準とは。

前回の続きで恐縮なのだが、大分に存在する坂本龍馬ゆかりの地を巡ってきた。内容については改めてと思っているが、この坂本龍馬という人物の評価が近年様々な検証によって明らかにされている。評価する際の基準となる”データ”が多くなってきているのも影響のひとつなのだろう。 人の評価とは水物でもある。見た目、感じ方は人それぞれなので何とも言えないが、そういった場合、大体のケースは定性評価がかなり影響する。採点競技のように確かに評価基準がはっきりしているなら話は分かるが、投票などの仕組みを用いた場合は思ったようにはならないものだ。 自分自身も人を評価する立場でもあるので分かるのだが、最後の最後に湧き出てくる感情という形がありそうで無いものに左右されることが、ままあり得る。それはポジティブばかりではなくそれこそネガティブに振れたら最後、行き着くところまで行く可能性を否定はできないだろう。 そんな感情の起伏が激しくコントロールが難しいとされるB型(の皆様申し訳ありません)の僕なのだが、一時の想いに流されてしまうのが嫌で定量評価(データ)に頼るところが非常に大きい。何故ならば、データは限りなく嘘はつかないし、焦っても感情に左右されることはほぼない。 何も、”データ至上主義”を追求したいということでは決して無く、データを元にした評価は、人の見た目、感じ方による評価と根本は変わらないのだ。開催前日に発表されたoptaが選出したベストイレブンとJリーグアウォーズのベストイレブン。どう評価されたのか共に知りたいものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

歴史を学び歴史を知り歴史を使う。

未だ大分にいる。その間にU-23は有終の美を飾り、U-18はプレミア残留を決め、そして林穂之香選手がなでしこジャパンに選出されるという実に素晴らしい週末を送れたのは本当に嬉しい。Jリーグベストイレブンは残念だったが、来年への目標がまたひとつ増えたと思えばいいだろう。 二日目となった昨日、大分在住の小中の幼馴染と、大分の歴史を探るドライブとやらに出かけた。日本全国どこを廻っても僕の好物があちらこちらに存在している。今回も幕末明治や坂本龍馬ゆかりの地を堪能し、セレッソ大阪関連に引き続き、最高な気分の上増しができたものと思う。 特に竹田市にある広瀬神社に行ってみたいと前々から思っていたのだが、今回ようやくその願いが叶った。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んで以来、非常に気になっていた広瀬武夫中佐。”軍神”と崇め奉られる基準は他に任せるとして、やはり旅順港閉塞作戦のインパクトだろう。 日露戦争というと二百三高地、日本海海戦に目が行きがちだ。だが、この旅順港閉塞作戦やそれ以外にも外交交渉などという日本が持つすべての力を結集してことに臨んでいたと思うと、この戦さを肯定も否定もするつもりはないがそれ以上に日本という国の底力を垣間見た気がする。 確かに縦割りの組織構造や確執がなかったわけではないのだろうが、有事の際の日本人がどれほど強かったのかを改めて感じる良い機会となった。閉塞作戦で使用された石(船を沈めるための重し)が置かれていてなぜだか目頭が熱くなった。急な階段を登って行くだけの価値はあった。 改めて「坂の上の雲」を読みたくなった。近代日本はこの日露戦争から再び厳しい時代へと向かうことになる。戦争が良いか悪いかと言われるとしたくない方向なのは当たり前だ。だからこそ歴史を学び歴史を知り歴史を使うことで、今の日本を更に良くしていきたいと僕は思ったりする。 「本とか書いたら?」とアミーゴに言われた。僕自身まだまだその領域まで達していないし、諸先輩方から学んでいる状況だ。それでもこれまで多くの史跡を巡り、感じてきたこの情報や熱を伝えていくことを、どこかで誰かに行なっていきたい。まさに生きていく糧になりそうな案だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第34節 大分トリニータ戦。願うだけでは。

実に1997年以来22年ぶりの大分である。前回の来大(で良いのか?)は大分でサンフレッチェ広島戦を行なった(何故そうなったのかはまったく知らない)あと、翌日、フランスワールドカップアジア最終予選の日韓戦を戦うために国立競技場に向かったという記憶が脳裏に残っている。 当時はまだホバークラフトが海上を走っておりかなり交通の便の良さ(と言っていいかどうかだが)を感じていたが、大分空港からスタジアムまでの道のりは結構なものだった。レンタカーでもそうなのだからバスだと試合そのものよりもかなり疲労しそうだな、とか思ったりしていた。 とにかくこの試合の論点は「①セレッソ大阪が勝利すること②北海道コンサドーレ札幌が川崎フロンターレに勝利するまたは引き分けること」。だった。ACLへのチャレンジの気持ちも無くはない(これは更に他力本願)が、それ以上に4位というポジションに着くことを熱望していたのだ。 そんな思いもあり、セレッソ大阪の試合も大事だったが時間の大半Jリーグアプリを見ながら過ごしていた。この時期でなければ、得点だけでなく選手交代の情報までも他の試合結果を意識することはまず無い。4位5位との間には決定的な差が存在していることを分かってもらえるだろう。 結果的には神に「自分でなんとかせーよ」と言われているような展開であった。やはり願うだけでは駄目なのだ。それを改めて感じる機会となってしまった。とは言え、今シーズンの観戦成績は三戦三勝となり、疫病神の役目をようやく終えようとしている(他に移転しただけとも言う)。 そんなことを書いていたら思い出した。前述の最終予選はこの日韓戦を境に厳しい戦いへと落ち込んでいくわけだが、まさに神のご加護のような他力本願がありプレーオフまで進出し、そして日本初のワールドカップ出場となったわけだ。こじつけもここまで来ると自分でも呆れてしまう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

変化への期待と不安。

年に一度の恒例行事である健康診断に行ってきた。勿論年齢を重ねるにつれ悪い箇所のオンパレードとなるが、昨年は特にひどい状況に陥りなんとか今体質改善できたところでもある。継続して体調管理に努めたいと思っているが、持ち前の決断力の無さによりどうなることやら、な状況。 それにしても変化が凄いのか、僕が気づいていなかっただけか分からないが、施設を代えたところ今まで結構時間かかっていた健康診断がわずか30分ほどで完了した。ITの力を利用したデジタルトランスフォーメーションなのだろうが、経営者の方の決断力によるものが大きいのであろう。 人には改善できることろとどうしても改善できないところの二面性が存在する。特に、バイアスという病気を患ってしまうとにっちもさっちもいかなくなるケースが多い。当然自分で解決できる問題とできない問題多々あると思うが、大半が思い込みか知識の不足によるものであると思う。 昨日、経済産業省の偉い方のお話を聞く機会があった。日本企業には「決められない」「進まない」「失敗を振り返らない」という”三無い運動”がついて回る。その中でデフレ感覚、コストを重視するあまりデジタルトランスフォーメーションがなかなか浸透していかないというジレンマ。 僕も、変わっていくために様々な取り組みを行なっており、ようやく少しずつ理解してもらえるようになってきている。特に若い方々との会話を中心にしっかりと決めて、すぐにでも始めて、早く失敗して、そして振り返る。このサイクルを何回も何回も繰り返していく必要が僕らにはある。 変わっていかなければ生き残れない。だからチャレンジが必要な時代。当然それはセレッソ大阪も同様。そんな今日、大熊さんが統括部長を契約満了で退任した。クラブが変わっていくという点では理解できなくもないのだが、後任人事については果たしてどうなるのだろうか。不安なのだ。 さて肝心の健康診断結果。それは三週間後のお楽しみではあるが、速報ベースの数値だけ見ているとかなり健康体に向かっているのではないかとも思っている。不安の箇所があるのは仕方ないにしても、まずは希望を持って待ちたいと思う。報告は・・・ここでするつもりはないのだが(笑)。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※伊庭レゴ画伯作「空気椅子をする鳥人間」

スカイウォーカーがまたひとり。

毎年のことだがどれだけ忘れれば良いのかと思うくらい忘年会の予定が入っている。多くの方々と2019年について語り合うのは本当に楽しいし学びの場でもある。今年の年末はセレッソ大阪関連の試合もほぼ無いに等しいので、できうる限り参加したいと考えているがどうなるだろうか。 年の瀬は良い映画が目白押しとなる。素人映画好きを自称する身としては楽しみが止まらないわけだが、シリーズが完結する作品もあったりと悲喜交交な毎日を過ごすことになりそうな予感の今年の師走。そこに、別れという言葉は不釣り合いなのかもしれないがひとつの決断があった。 先日にも書いたのだが、この時期の選手の去就についてはサポーターとして一喜一憂の毎日でもある。我らのクラブも同じで、加入する選手がいれば去っていく選手も当然存在する。プロなので当たり前といえば当たり前なのだが、それでも、同じチームの仲間と離れるのは本当に辛い。 誰もが一年に一度歳を取る。僕は選手じゃ無いのでなんとも言えないのだが、戦術に合う合わない、若手の台頭などもあるにはある。しかし、自分自身のプレーが満足にできなくなっていくことも大きな要因であるのではと感じる。これは決して選手の立場だけでは無いのかもしれない。 サポーターも勿論同様だ。セレッソサポーター第一世代と言われる年齢は相当に高い。スタジアムに来れなくなる人、セレッソ大阪から距離を取る人、若い頃から変わらずに続けている人、それぞれだ。そしてそれはまさに四半世紀を超える歴史を持つクラブだからこその勲章と言える。 そのような方々も選手と並ぶ”レジェンド”であると僕は声を大にして言いたいのだ。ご本人からしたらそんなことなど微塵とも思っていないだろうが、あの大きな旗に勇気づけられたのは、選手だけでなく声を作り出していた役目の僕にとっても心からのリスペクトしかないのが本音だ。 そんなレジェンドがまたひとり。だがこの御方もセレッソ大阪との絆が途絶えることは死ぬまで無いのだろう。そんな、僕にとってのスカイウォーカーのようなアミーゴに囲まれている人生が途轍もなく素晴らしい。歴史に一筋の皺を刻んだ方々への、感謝の思いをこの師走に乗せたい。 彼の”ラストマッチ”を大分で見れるのはこの上なく幸せだ。しかもゴール裏で。 NEVER STOP,NEVER GIVE U...

戴き物。

年間250試合は見ていたサッカー中継(録画)も最近は「ハイライト」という便利な機能のお陰で、フルタイムで見るのはセレッソ大阪の全試合とビッグマッチのみになってしまっている現状。歳を取れば取るほど時間的制約の中で生きることになる(もう少し取れば楽になるのかな?)。 とりわけ強烈な記憶力を持ち合わせているわけでもないのだが、よく言われる言葉「よく憶えているなあ」。仕事のことは全然蓄積されていないのにことサッカーについては引き出しがなぜか異常に多いなと自分でも感じるし、没頭できるからこそつながりが広がっていくのかもしれない。 考えれば、前後半90分のゲームを250試合見ると単純計算で年間22,500分、375時間。日数で見れば16/365で年間4%をテレビでのサッカー観戦に充てていたことになる。これにJリーグを合わせて(現地で見た試合もあとで映像も見る)も、かなりの時間がそこにつぎ込まれている。 そんな生活が、毎日の自分を支えていたあの頃。良いことも悪いこともいっぱいあったあの頃。懐かしいとは思うが戻りたいとは思わない。今が一番良い。今ここにいることが大事だ。今ここにいる自分はあの頃の自分がいたからこそ存在する。だから、充分に、誇って良いのだと思う。 熱すぎず冷めすぎず、ぬるま湯のような人生でもいい。良いことは必ずある。自分が信じた進むべき道をがむしゃらに歩く。今は無駄だと思っていることも、ある日ある時、突然に素敵な戴き物が手に入るかもしれない。そう考えて生きていたら、少しは気持ちも楽になるのではないか。 僕にとってのサッカーはそんな幸運をくれた戴き物だ。だからこそ、これからもたくさんの試合を見て多くの方々と出会って大いに語り合って、そして静かに死んでいく。だから、死ぬまでは死ななくていい。昨日も僕は人生の何%かの素晴らしき戴き物を手にした。本当にありがたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第33節 清水エスパルス戦。語り続ける。

サッカーを語り合いながらのランチ会に行ってきた。70年代の話から今の状況まで、ビデオなどを見ながら時が進むのも忘れて話し尽くすというこの時間が実に楽しい。時代の流れで選手は変わり続けるのかもしれないが、今まで見たもの感じたものを僕は死ぬまで語り続けるのだろう。 Jリーグクラブについてのブログを20年以上も書いていると、この時期の寂しさや侘しさを表現したくないなと思ってしまう年も少なくない。特に、セレッソ大阪でキャリアを終えようとしている選手が存在するケースではそれが顕著に表れる。愛が溢れていればいるほど本当に辛くなる。 2019年シーズンのホーム最終戦。水沼宏太選手、柿谷曜一朗選手のゴールによる逆転勝利を手に入れた。それ以上に、選手交代がどのように行なわれるのかに注目が集まるメンバー構成でもあった。状況が状況だっただけに出場は難しかったが、サブに入っているだけで目頭が熱くなった。 物事にはすべて始まりがあり終わりがある。故にサッカー選手には、デビューしてからプレーができる期間が限られている。それは分かってはいる。しかしながら長年に渡って同じクラブで生きてきた愛すべき選手だ。頭では分かってはいるもののこの終わりを認めたくないのも事実だ。 昔からそうだが、このセレッソ大阪というクラブを愛してくれる選手には最大限の愛で返してきたファン、サポーター。昨日のスタジアムもまさにその様相だった。縁もゆかりもない選手とファンをつなぐクラブという存在。僕らがJリーグに熱狂する理由は、正しくそこにあるのだと思う。 終わりはやってくる。それは常。認めざるを得ない。だがクラブは未来永劫に存在し続ける。僕らは死ぬまでここに存在しているのだ。だからこそこれから訪れるであろう多くの出会いと別れを伝える必要があるのだ。 確かに藤本康太は、今ここにいた。僕らはそう語り続けていくのだ。 I'll always be here,ever. NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ユズリハの新葉。

来週に健康診断を迎える。「なんでこんな時期に予約を」とアミーゴから言われる始末。だってしょうがないじゃない、と歌いだしたい気分ではあるが、これは数ある忘年会に置いておきたいと思っている。兎に角、今年こそは素晴らしい数値を目指したいが、タイミングにもよるのだ。 来シーズンから我がセレッソ大阪へ加入する桐光学園の西川潤選手を見るために高校サッカー選手権神奈川県予選のファイナルの行なわれるニッパツ三ツ沢球技場に行ってきた。天候にも恵まれ暖かな日差しのなかでの試合、マツモトキヨシで買ったカイロはまったく役に立たなかった。 試合内容は他の記事に譲るとして、どうしても書いときたいのは西川潤選手の調子が良くないと感じたことだ。運動量が少なく、攻撃に入っても動きに精彩を欠き、セットプレーで蹴ることはなかった。明らかにどこかに不調があるかのような状況でもあったのが非常に気になっている。 確かに2019年はふたつのワールドカップにJリーグ出場、夏のインターハイを含めてフル回転だったこともあり、この高校生は体力的な限界を迎えていたのかもしれない。如何な準決勝からの出場だと言っても、積み上げられていた数々の疲労はとうにリミッターを超えていたのだろうか。 確かにこの残念な結果を受け止めるのは非常に難しい。とは言え少し下品な考えかもしれないが、全国で戦うことができなかったのは疲労を蓄積したままでは2020年に影響を及ぼしかねない、という誰かの優しさだったのではないかと受け止めてみると少し気分がほぐれたように感じる。 やはり大人も子供も青年も、誰しもが健康管理は大事だ。まずはしっかりと休養を取って心身を労り来るべき戦いに備えてもらいたい、と迷惑をかけた疫病神はそう思っている。それ以上にこの試合に来ることができて本当に良かった。ユズリハの新葉はしっかりとここに存在していた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

一期一会。

先日、中野区に引っ越し来て初めて、JR中野駅前界隈に行く機会ができた。中野サンプラザに中野ブロードウェイ。名前には聞いていたが、あぁこんなところだったのか、との第一印象だったのは予想通り。東京に出てきて12年も住めば、ある程度の土地感覚ってものが身についてくる。 大変失礼とは感じつつだが、思いのほか人が多い自転車が多いと感じるのは僕だけだろうか。更には、うちの周りに比べるとお店が多いなとも思ったりしたが、その反面、なんだか都会らしさとプラスして垢抜けなさが何となく目についた。それもこれもなんだか僕らしいと独りごちる。 僕らしいというと、最近ますます、人の縁というものに感謝する毎日でもある。自分で企画しているイベントなどに集まってくださる方々。そして、こんな僕をお誘いいただける方々と、感謝してもしきれないほどだ。人の助けによって生き長らえているのが本当に僕らしいと思うのだ。 勿論出会う方すべてが特別なのだが、ことサッカーに関わるものだったならばこれ以上の幸せは無いのではと思っている。紆余曲折しながら四半世紀以上セレッソ大阪と関わってきたという事実が、それほど大した人間でもない僕にご縁を産んでくださっているような気がしてならない。 正直、どれくらい生きてどうなっていくのかも分からない時代。出会うひとりひとりの方々との時間を大切にしたいと思うと同時に、もっと自分自身を周りの方々に還元していくことを自覚しなければならない。改めてそう感じさせられる今週だったように思える。空がそう語っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

意欲が試される週末。

生涯学びの場。常に何かを学習していなければ今のこの世を生きていけないと日々感じている。周りの方々の意欲と努力を垣間見て、いくつになっても知識を吸収しようとする気持ちを忘れてはならないなと思ってしまう。改めて自分の気持ちも昂ぶらせて、高揚感を保つのが重要だ。 しかしながら社会人にもなって歳を取ると学ぶ意欲が薄れてきてしまっている。なかなか一歩を踏み出せないでいる僕から見たらメチャクチャ輝いている方々に向けてレゴ®シリアスプレイ®のファシリテーター(今回はサポート)を行なわせていただいたのだがこれが実に興味深かった。 まず、だ。LEGOを触ったことがなくてもサクッと作ってしまう。説明もまったくしていないがメタファー(比喩、たとえ)を充分に効かせている。簡単な予行演習だけで本編が実にスムーズに進行できるという、まさに完璧で理想的なワークショップというものを久々に見た気がする。 勿論、学ぶ意欲だけで上手くいくはずはないのだが、モチベーションの高まりと目的を持って何かを目指す方々の目を見ているだけで、こちらとしても高揚が抑えられなくなってしまう。次のワークショップを行ないたくなってしまう。アドレナリンの沸騰する感覚がかなり半端ない。 セレッソ大阪もリーグ戦残り二試合。僕は大分トリニータ戦にすべてを賭けることにしてまずはこの週末、西川潤選手の神奈川ファイナルを見に行こうかと思っている。高揚感と来季への期待(残念な部分は置いといて)、そして、師走を迎える自分自身の意欲が試される週末でもある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※なんかLINEスタンプの創作意欲湧いてきた。 ※なんかこの週末にでも考えてみようかな。 ※これは僕が書いたのでは、ない(笑) REAL OSAKA ULTRAS 応援スタンプ - LINE スタンプ | LINE STORE  セレ女スタンプ - LINE スタンプ | LINE STORE 

最善の策を取るには。

セレッソ大阪フロントに関するニュースが流れた。僕がとやかく言う話では無いが、様々なことが起こっているのを、二ヶ月前に帰阪の際に多少は聞いていた。まずは静観しておきたいとは思ってはいるのだが、果たしてどうなるのだろうか。残り二試合あるのに少し心が揺れてしまう。 多くの問題は時間とともに風化してしまう。僕も仕事柄多くの問題や失敗をつぶさに見てきてようやく分かってきたが、この手の話は権力などの諸々の力によって方向転換や論点をすり替えられてしまう。だからあまり考えすぎず、自分自身の目の前の課題に取り組むべきだと学んだ。 そういや、今、NHKの「ミス・ジコチョー~天才・天ノ教授の調査ファイル~」というドラマにハマっている。とても素敵な松雪泰子さん演じる大学教授が、問題や失敗に対しある側面から観察し解決に導いていく、まさに企業や組織が抱える課題にぶっ切り込んでいくドラマでもある。 どんな対策を行なったとしても100%はあり得ない。なぜならそこには人間が介在するからだ。人間には感情があり柵があり、流される。それより何より人間は、都合の悪いことほど忘れてしまう生き物でもある。そのような状況下で問題が起こらないと過信するほうが、どうかしている。 事故や問題、失敗はどんな組織にも存在する。僕もメンバーには常々”ハインリッヒの法則(1つの重大事故の背景には、29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという、あれ)”を用いて説明をするのだが、それでも事故は、起こるべくして起こる。避けられないのだ。 だからこそいつも最善の策を取るために考え続けて、そして手を打ち続ける。今回のニュースがどこまで信憑性高いかは僕は知らないが、最も重要なのはロティーナサッカーの継続と実践できる選手たち。ここからどうなるのか、どんな手を打つのか。まずはじっくりと見ておきたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※MacBook ProからChromebookに変えてみた。今のところ問題は、ない。

バイアスを乗り越える。

若者とクソ真面目に話をするのが本当に楽しいと思える年齢になった気がする。先日もとある出会いで二時間ほど色々と語り合ったのだが、彼らには実にしっかりとしたビジョンが存在していた。そのおかげだが、会話があっちこっちに広がる広がる(広がりすぎてとんでも無かったが)。 それにしてもバイアスというものは実に儚い。「そういうものだ」「そんなものは昔から決まっている」「変えられるはずがない」という言葉に飽き飽きしている今日このごろでもあったので、今回のダイアログはとても新鮮であり、また、この若者の未来に僕自身もワクワクしてしまう。 ここにはふたつの観点がある。ひとつは”助け合い”という側面。もうひとつは経済的な側面だ。昨今この国の課題となりつつあるこのふたつの観点を常に意識して、自分らしさや自分ができることに努めながら生きようと思い始めている(なかなか思うようにいかないのが人生でもある)。 本当にたいした内容を説明したなどと思ってはいない(それはそれで不味い笑)。ただ、30年以上この仕事をしてきたという知見や経験が、ほんの少しだけでも人のお役に立っているのならば本望であるとも感じている。こういうとき「人は人を助けたい」という本能が必ず働くのだろう。 そして、この日本という国の未来。僕も遅かれ早かれ更に歳を取り、今この世界で戦いを始めようとしている若者に支えられて生きることになる。彼らのような若い方々が企業や自身の組織などを成長させ、日本の経済そのものに大きなインパクトを与えてくれたならば僕の老後は安泰だ。 少々個人的感情も色濃く出てしまった(笑)。しかしながら、誰もが死ぬまで豊かに暮らせる日本の未来がやってくるのであれば、たとえ早死家系(!)の僕としてもこの上ない幸せになるやもしれない。そのために活かせる能力であれば、惜しみなく利用したいと考える今日このごろ。 さて身内に向けて行なっている「超拡散ブレスト」も盛り上がってきた。とにかく何でもどこにでも拡散していくこのミーティング、拡散し過ぎるくらいが僕には丁度良い。若者は決して考えていないわけではない。僕の馬鹿げた言葉をしっかりと受け止めて、次へ進んでくれるはずだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※改めて経済学など聴き始めてみる・・・

第32節 ヴィッセル神戸戦。才能。

個人の才能というものはどこまでいっても縮まらないと僕は思っている。よく「10%の才能と90%の努力」「90%の才能と10%の努力」なんて言葉を聞く機会があるが、プロフェッショナルな方々は「90%の才能に90%の努力」を実践しているからこそ超一流なのだろうと感じている。 昨日のヴィッセル神戸戦ではその個人の才能という違いを見せつけられた感があった。うちの右サイドを徹底的に突いて最後は決められるという、なんだか詰め将棋をされているかのような空気。才能という真綿で首を絞められているのではないかとモニタ越しに見ていてそう思った。 それにしてもあの滑るピッチは一体何なのだろうか。いや、滑るというよりは芝ごとえぐり取られているような状況だった。試合前にかなりの水を撒いたようだがそれだけが原因でもなさそうな気がする。ゴールを決められたシーンでも足を滑らせたように見えたのは僕だけだろうか。 この敗戦によって、アジアチャンピオンズリーグへの道がかなり遠のいたのは紛れもない事実だ。それ以上に関西のクラブに負けるのはいつでも気持ちが萎える。残り二試合に影響を及ぼしかねないこの才能の差。何がこの状況を変えられるだろうか、と選手たちも思っているはずだ。 そんな後味悪い試合が今の東京の雨模様以上に僕の気持ちを萎えさせている。だが悪いニュースのあとには良いニュースもあるはず。世の中はそんなバランスで成り立っている。あたかも神が存在しているかのような絶妙なバランス。僕は試合後、そんなことを考えながら散歩に出かけた。 天才とそうでない者をバランスよく配置するのと同じくらい、良いことと悪いことも均等に顔を出してくるだろう週末。セレッソ大阪各カテゴリーで勝ったり負けたりする週末。今日も一試合が待っている。才能だけが全てでは無いというところを今日多く見せてもらいたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

人に優しくなるにはどうすれば良いだろうか。

一昨日の朝、10名によるレゴ®シリアスプレイ®ワークショップを実施した。プロジェクトメンバーということもあるが、ファシリテーターとしても学びとなる非常にスムーズな進行と、的確な作品が作られていくという、実に美しいワークショップだったように僕には思えたのだった。 無論人間という不安定な生物が行なうこと全ての事柄においては、人の感情がついて回るのが世の常と言える。その感情という抗いがたい生き物が、口から発する言葉と無機質に近いテキストに乗った瞬間、まったく違った状態(擬態も含めて)に変わってしまうことも少なくない。 言葉とテキストですべてが解決するのであればレゴ®シリアスプレイ®は必要ないと僕は思っている。忙しい中、長い時間をかけて熟成するのは参加する方ひとりひとりの内なる声やモヤモヤした何か、そして自分自身の原理原則。今回のワークショップの中でも表現されていたと思う。 自分自身は一体何者で、何のために存在し、そして何を成すためにここにいるのか。参加者すべてが、自分を描いた映画の主人公として、果たしてどんな名言を発していくのか。そんな様を見ていて、少しずつ素敵なクライマックスにつながる余韻を楽しんでいるかのような空気だった。 人に優しくなるにはどうすれば良いか。「仲間の言葉をこんなところまで聞く機会が無かったかも」という感想に全てが凝縮されているような気すらする。レゴ®シリアスプレイ®はレゴブロックを使った遊びのように思えるかもしれないが、遊びの中でしか得られないものもあるのだ。 勿論のことだが、鼻で笑われ馬鹿にされることがしばしばあるのも事実。それでも僕はそんな人たちにも優しくありたい。レゴ®シリアスプレイ®とはなにかを懇切丁寧に伝え、何故必要なのかを共に問い、結果的にひとりひとりに幸福が訪れるようなワークショップを行なっていきたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

カオスから得るもの。

インドア派で知られる僕の数少ない趣味である読書と映画。B型の本能というか何というか本が中々進まず、買うには買うが手を付けられないという所謂”積読(つんどく)本”が家の中を散乱している。そんな生活が何年も続いているのは、僕の性格を知る方にとっては当たり前のこと。 歳を重ねて雑誌を買うのはほぼ無くなった。若い頃はサッカー雑誌がそこら辺に散らばっているまさにカオスな状況を醸し出していたが、カオスな状況をなかば美徳のように捉えてしまう一面も隠し持っており、それ相応のモチベーションが非常に高かったことを思い出してしまう。 当時はインターネットメディアがそれほど発達しておらず、サッカー情報も思うように手に入らなかったが、今では簡単に目の中に入るようになった。とはいえその弊害も多く、見たくない情報や言葉の行き違いも多く(まあこちらは今も昔も変わらないが)なったような気がする。 昨日のベネズエラ戦は仕事の関係で後半から見ることとなった。結果自体は皆さんの御存知の通りなのだが、問題点が一体どこにあるのか、監督なのか選手なのか。また、あの場面で応援すべきなのか否かなどの多くの言葉が、様々なネットニュース内でまさにカオスになっていた。 僕はそれほどこの状況を嫌いでもないし、単純な批判以外ならどちらの意見も正しいと思ったりもする。僕はそれ以上に、なんでこの試合にセレッソ大阪の選手が選ばれていないのだろうか、選ばれていたらどうなっただろうか、というちょっと的外れな妄想に掻き立てられている。 この試合から見ても海外組への比重を含めて今後の選手構成に大きく影響が出るのだろうと感じると同時に、更に多くの選手チャンスが訪れる気がする。うちの選手たちはどうだろう。その資格はあるだろうか。昨日のカオスは僕自身にも大きなモチベーションとなっているようだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※先日の長野で六文銭を見て素直に感動した。 ※モチベーションが結構上がったのを思い出している。

熱さ。

先週の木曜日金曜日の二日間、TechCrunch Tokyo 2019というスタートアップイベントに行ってきた。毎年多くのベンチャー企業や投資家の皆さんのお話を聴くためにこの有料のイベントに参加しているのだが、非常に勉強・参考になると同時に気持ちの昂ぶりをもらっている気がする。 勿論、僕のベースはITではあるが、ヘルスケア、フィンテック、バイオテクノロジーという畑違いの分野についてのプレゼンテーションからも非常に学べる。それ以上にガートナーが語る「世界中の全ての企業がIT企業になっていく」という言葉の意味を、強く噛みしめる瞬間でもある。 そんな中で、今回のスタートアップバトルを見させていただいたが、キーワードとして多く出てきたのがAI、人工知能、ディープラーニング。じゃあ僕らはもっと人間臭いところで攻めてやろうか、なんてことを話しながら、イベント後の報告会で熱いしゃぶしゃぶを食したのだった。 当然ながら、理想論の塊になってしまっているようなものも無くはないが、それだけ熱い想いがある、ということかもしれない。このイベントから感じる途轍もない熱量。この熱さが業界を揺るがし、大企業を驚かせ、そして世界を変える大きな可能性を秘めていると僕は思っている。 今、自分の身近な方だけに向けて「超拡散ブレスト」というミーティングの機会を提供している。ただ単に僕が培ってきた経験を元に抱えている課題などについて思いっ切り拡散しながら話してみようという企画だが、いくつかの申込みを頂いており、本当にありがたいと感じるのだ。 熱さだけでも駄目かもしれない。しかしながらこの熱さから生まれるものが必ずあるはずだ。そしてそんな熱いベンチャー企業を応援することも続けていきたいと考えている。レゴ®シリアスプレイ®ワークショップも申し込みを頂いた。もう少しだけ熱く生きていくことができそうだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

未来を見据えないわけにはいかない。

日本全国を訪れる際に必ずと言っていいほど幕末明治の史跡を見て廻る。今、百田尚樹氏の「日本国紀」を読んで(聴いて)いるのだが、この時代の混沌さに対しての日本人の持つ素晴らしい気持ちの強さを感じる。150年経った今の僕らはどうだろうかといつも自問自答してしまう。 なでしこリーグ一部昇格を懸けたAC長野パルセイロ・レディースとの大事な試合。ホーム初戦を0-0として迎えたアウェイ長野Uスタジアムでのプレーオフ第二戦は、1-1のドローであったがアウェイゴール差でセレッソ大阪堺レディースが勝ち、ようやく来季はトップカテゴリーで戦える。 こんなことを書くと誤解を生みそうだが百濃実結香選手に惚れてしまった(もちろんプレーにだが)。後半開始(ちなみに事故渋滞で前半の途中からしか見ていない)から出場した百濃選手が相手の左サイドに圧力をかけにかけ続けた結果のゴールを見て素直にLOVEとなったのだった。 90分+アディショナルタイム(リスペクトを極端に欠く最後の一分間は非常に無駄でもあり苛立たしくもあった)を走り切った両クラブの選手たちも素晴らしいが、この試合を戦うために集まった多くのゴール裏サポーターも、勝利という称賛に値する存在なのだろうと思ってしまった。 どのスタジアムでもどんな状況であってもこんなに沢山のファンやサポーターが集まるクラブに、25年かけて成長した。昨日の試合の後、コールリーダーの某氏ともそんな話をしながら染み染みしてしまったが、それだけ長い期間、このクラブを見続けてきたという歴史なのだと感じる。 もうこれから先のセレッソ大阪サポーターは”アウェイ席に二人しかいない”なんていう状況も二度と起こり得ないのだろう。先日の大旗引退を宣言したアミーゴの言葉からも分かる通り、今を生きながら未来を見据えていく歴史とは、いつの時代も常にアップデートされていくものだ。 試合終了後の気分が乗っている中、なかなか来れる環境でも無かった松代を訪れた。幕末の日本に影響を与えたひとりでもある佐久間象山先生ゆかりの地をいくつか廻らせていただいた。時代の先を見過ぎるのも危険だが、未来を見据えないわけにはいかない。僕らの時間は実に短い。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

一路、長野へ。

今、長野へ向かう長距離バスの中でこれを書いている。それほど車系の乗り物に強くない(乗用車に乗るとすぐに祈りに入ってしまうタイプ)ので少々酔いそうになってしまうのを抑えつつ、とにかく手を動かす。若干の渋滞もあるにはあったが、今は順調に進んでいる気がしている。 それにしても今週は月曜日から昨日まで本当に多くの方々とお会いしてセレッソ、サッカー、映画、事業、レゴ®シリアスプレイ®、旅、もちろんITと様々な刺激をもらえた。知っていることの深堀りと知らなかったアミーゴの内面など含めて、改めて僕は恵まれていることに感謝する。 同時に、まだまだ僕は未熟だなと思ってしまう場面も多々有り、時間的制約や感謝、配慮といったものの足りなさを非常に痛感する。スキルと経験ばかりが上がっていき、人間性の向上が発展途上なのかもしれない。毎日の生活がまさに学ぶ場となっているのがとても有り難いなと思う。 人と人のつながりは本当に深い。特にセレッソ大阪に関わる方々との関係性はどこまででも続いていくような気がしている。だからスタジアムに向かう。いつものように時間が流れる。いつもの顔を見て安心する。柵や影響度合いなどは無意味だ。僕らはそんなものを超越しているのだ。 今日、長野ではセレッソ大阪堺レディースのなでしこリーグ一部昇格をかけた重要な試合が待っている。ここ数年の重要な試合ではほぼ負けていない勝利の男神(この単語、Google日本語でも出ないので存在しないのか)が参戦する。影響力の無さは半端ないが、兎にも角にも勝利を。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

歴史の1ページ。

毎年のように正月一般参賀で皇居を訪れていた身をご存知の多くの方から「パレードはいかがでしたか?」と常套句のように聞かれる。実のところ今年になってからすべての行事に参加できていない(と書くと如何にも関係者っぽく聞こえるが、全くもってそんなことはあり得ない)。 特に先週末についてはいつもの体調になかなか戻ってこれず、どうしたものかという気持ちで過ごしていた。そんな心持ちを切り替えるため、パレード中継が始まるまでに図書館へ行くことに決めた。中野区に引っ越してきてから実に半年以上経ってようやく登録を行なったのだった。 少しこの行事に話を戻すと、体調が良くないときに参加すると一番大変なのがトイレだということを感じる。一般参賀の時でもそうだがかなりの人数でしかも結構な時間を並ぶこととなる。少々些末な話ではあるが最近は回数が多くなり(これは歳のせいか)心もとない状況になる。 身体のせいばかりにしがちではあるが、元来人混みが苦手な人間でもある。できればひとり静かに体育座りをしているそんな場面が好きな性格。僕が図書館を愛する理由はそういうところからも表現されているのだろうと感じる。そう独りごちながらテレビを見るために家路に着く。 東中野図書館の近くに氷川神社があるので立ち寄った。ここには昭和十五年に建てられたと記されている「紀元二千六百年記念」の碑がある。以前住んでいた浅草近辺の神社にも勿論のこと趣があったが、ここ中野区のそれらにも、地場で培ってきた伝統や日本の文化が存在している。 考え方や思いは人それぞれではあるのだろうが僕は日本の歴史の深さを改めて感じた。人間ひとりひとりの歴史はせいぜい100年。でもその繋がりや繰り返し、積み重ねによって僕らが今ここに存在していると思えば、なんだか背中を押してもらっているような気にさえなってくるのだ。 天皇陛下御即位からパレードまでの一連の行事。また訪れるであろう正月一般参賀という歴史を僕は再び感じることができれば幸いだ。そんな思いでTVモニタに映るパレードの様子を見ながら、またもう一枚と歴史の頁を開き始める。あと何ページを僕はめくることができるだろうか。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

複雑性と手。

昨日、今月の諸々の予定を調整していた。なんとか上手く収めようとして逆に混乱してしまうという悪循環に陥る。難しいことをどうにか簡単に進めればいいかなのだが、それができないのも人間の持って生まれた複雑性によるものかもしれない。人はどうにも難しい生き物である。 そんな、どうでもいい内容を考えながら水曜日に行なうイベントのドキュメントを作成しつつセレッソ大阪U-23のゲームを見る。口では上手く言い表せないが、中島元彦選手がトップチームに昇格しなかった理由やベンチにも入れなかった理由が、少しだけ見えたように思えたのだ。 先日見たフィンセント・ファン・ゴッホの絵画展と映画を見たから特に感じるが、人にはそれぞれタイミングというものが存在しており、そのタイミングを逃すと次にまったく同じような状況が来るなんてことはほぼ無い。僕もそれらを多く逃してきたので感覚的に分かってしまう。 どうしてこんな感情を持って人間という生き物は生まれてくるのだろう。それは人間は生身であって機械では無いからだ。 0と1だけに支配される世界と近づいたり距離を置いたりできるところに人間の複雑性が現れるからだ。そんなことを中島選手とファン・ゴッホから感じ取れた。 こんな文章を書いたらまた「こいつは変わった奴だ」認定されるだろう。そう。今月から手書きノートに戻した。書くことの素晴らしさを思い出した。人間の不安定さは手から出るものが一番だ。レゴ®シリアスプレイ®に惹かれるのも無理はない。僕の手は0も1も勿論絵だって書ける。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第31節 湘南ベルマーレ戦。#スーパージンヒョン。

以前から書いているが、どうもヨーロッパから戻ってからというもの、気持ちが前に向かないというか何というか体調が優れない。特に右足の指がとても痛い。持ち前の変な感情と気力だけで保っているところもあるが、やはり病院などに行ったほうが良いのだろうかと考えてしまう。 そんな状況でお世話になっている組織で様々な催しなどを企画している。今週はデンマーク(いやロンドンとも言う)報告会を、そして「超拡散ブレスト」を先週末から開始している。長年同じ組織で培ってきた経験とそれによって得られた自分の能力を生かしていこうと考えている。 本当に申し訳ないのだがキム・ジンヒョン選手のJリーグ通算出場数が361試合となり、森島寛晃社長のクラブ歴代記録に並んだとのニュースを試合後のTwitterで知った。11年という長きに渡って外国人選手(もうそんな意識無い)が同じクラブでプレイするのも素敵なことなのだろう。 ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督の就任によって、更に進化の一途を辿るジンヒョン選手。ここから年齢や怪我、様々な課題も増えてくるだろうし、常に変わり続けるサッカーに対応していくことも簡単では無くなってくる。しかしながら何時までも同じクラブで戦い続けたいものだ。 少なくとも三度は存在した”スーパー・ジンヒョン”。今シーズンを象徴するかのようなウノゼロ。31試合戦って失点23は素敵な数字だ。決してゴールキーパーだけの結果ではないが、彼の存在が大きく影響しているのは間違いないはず。新たなレジェンドの誕生を素直に喜びたいと思う。 残り三試合。アウェイ・ホームを関西で行ない最終節は大分。結果がどうなるかは別の次元であり、まずは自分たちのサッカー(この表現もどうだろうか)を貫いて勝ち点9を掴み取る。体調の問題もあるので僕はNJを見ることになるのだろうが、クラブの歴史と未来を共に堪能していく。 余談だがスーパージンヒョンチャント。本当に凄いなと感じる。20年くらい前に”ファンセ”ファン・ソンホンさんに向けて作ったチャイムのリメイク。間違いなくセレッソ大阪しか、いやセレッソ大阪だから見せられる他クラブとの違い。誰にも真似できない。それでいい。自信持っていい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

魂。

サッカー好きはプロレス好きの格闘技好きと相場が決まっていたが最近はどうなのだろうかと思ってしまうことがある。僕の場合はプロレスに寄っているところが多々あるが、タイムラインなど見ていても格闘技を愛する方々も多い。その格闘技のひとつにボクシングが存在している。 父親の影響もあり子供の頃からボクシングはよく見ていた。絶対王者、勇猛果敢なチャレンジャー、なぜ強いのか理解ができない世界王者など数多くの試合に触れてきた。12ラウンド(15ラウンドが懐かしい)というストーリーに沢山の感情が詰まっている。まるで、ドラマのようだ。 WBSS(World Boxing Super Series)のファイナルはかなり凄まじい戦いだった。どちらが勝ってもおかしくないと称される試合は、序盤こそ盛り上がるが尻切れトンボになることも少なくない。そんなものを払拭(誰の?)するかのようにラストまで息が切れない、途轍もない試合だった。 風貌以外を父から譲り受けていないのでスキルだとかなんとかは到底僕には分からないのだが、魂と魂の戦いがどういうものなのかは何となく見定められるような気はする。たとえテレビの中であっても、そんな至極の36分間を味わえたのは本当にありがたいし嬉しいことだと思った。 久々にプロレスや格闘技を見たくなってきた。ここ数年プロレスですら現地観戦できていない身ではあるが、もうそろそろ行こうかという気にさせてくれた今回のWBSSに感謝したい。殴られるのも蹴られるのも嫌(勿論殴るのも蹴るのも)だが、魂の戦いを感じるのはこの上なく好きだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

幸せ者。

成績の良し悪しに関わらず、毎日のようにセレッソ大阪のニュースが流れているだけで体調が良いのだ。勝った負けたは時の運だが、クラブの地力が上がるのは昨日今日で育まれたものではない。人生と同じ。いや、人生とセレッソ大阪は常にシンクロしていると言っても過言ではない。 セレッソ大阪のヤングジェネレーションの活躍が目覚ましい。非常に嬉しいのではあるのだが、目立てば目立つほど多くの熱視線を受けるのが世の常。ビッグクラブが意識してくれるのが心地よいというだけでなく、日本サッカーのレベルが向上していると考えると実に心踊ってしまう。 U-17ワールドカップは明日トーナメント一回戦を迎える。西川潤選手の活躍が楽しみではあるが、そうしても怪我しないようにと願ってしまうのは親心。どこまで勝ち上がっていけるかを考えただけでも興奮が止まらない。朝目覚めたときの歓喜とその先の過酷な戦いがイメージできる。 加えて、”桜なでしこ”セレッソ大阪堺レディースが、一部への昇格をかけたなでしこリーグ入替戦に臨む。何年か前にも埼玉県川越市まで試合を見に行った思い出があるが、今回のアウェイは長野県だ。行けるかどうかまだまだ微妙ではあるが、必ずや一部へと返り咲けると信じている。 年末には高校サッカー選手権が待っている。桐光学園と神戸弘陵学園が出場することを待ち焦がれている。毎回セレッソ大阪に内定している選手を見に行くようにしているが、今年(正月を越えて来年も)もしっかりと目に焼き付けておきたい。あ、そうか。予選があるから見に行くか。 それにしてもJリーグクラブのファンは幸せ者だ。僕らは一年中どんなときでもセレッソ大阪と関わっていくことができる。日程を見ながらニヤニヤしているだけでも楽しい(少しヤバい)。カテゴリー問わずクラブと一緒に歩いていく感覚が、この上なく充実しているのは間違いないな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

手渡しでもらう温かい光は、次の光を灯していく。

基本的に朝の五時半にはうちのワンコと遊歩道を歩く。その一歩目で秋冬の到来を知る。布団から出るのはそれほど苦では無いのだが、このワンコの体温が思いのほか気持ち良い。まだ耳や手が痛くなるほどの寒さとは言えないものの、ジャージでは肌身に凍みる日も多くなっている。 三連休の最終日。先日来お世話になっているアミーゴからのお誘いで久々の勉強会に行ってみた。書籍タイアップでもあったが、今まで自分自身が学んだり語ったり(ファイナンシャル・プランナーだから!)してきたことの正当性を、改めて認識できたので有意義な学びの場だった。 人生を都合良い方向でしか考えていない生粋のお調子者なだけに、時々しっかりとした方のお話を聴いておかないと、おかしな方向へと転がっていってしまう。軌道修正とまでは言わないが、そんな、節目節目の学びを必要としている自分がいる。それが今回の勉強会のように思えた。 今、レゴ®シリアスプレイ®を多くの方に知ってもらおうと様々なところで説明をしたりしている。今回も勉強会終了後に紹介してくださったので、ダックを使って少しだけお話しさせていただいた。たった6個のパーツだけでも人の個性が表れるこのメソッドを知ってもらえたら幸いだ。 また、現在行なっているチャリティー活動についても、この勉強会からのご協力を賜ることとなった。本当に感謝しても感謝しきれないほどの思いだ。台風被害だけでなく首里城などの悲しい話も多いが、経済循環の歯車のひとつになることが少しでもできたなら、僕は本望でもある。 これから寒さが本格的になる可能性もある。しかし、仲間から手渡しでもらう温かい光は、必ず次の光を灯していく。やっぱりお調子者の僕には愛すべきアミーゴの存在が一番だ。自分自身の長生きを求めているわけではないが、生きている限りは誰かに火を渡したいとは思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP サッカーショップ蹴球堂BASE店・チャリティー商品はこちら

評価と時間。

新宿中央公園で行われているマレーシアフェアにちょこっと足を運んでみた。普段あまり絡まないグローバルに触れることで、ボディケア同様にリフレッシュしたような気になる。大したことではないものでも気分転換の一助になるのだと思えば、時間は上手く使うべきだと感じる。 その後セレッソ大阪U-23の試合をDAZNで見る。先制されたもののしっかりと逆転しての勝利に、前日の鬱憤を晴らしたとか思っていた。しかしそんな気持ちを持っていたのは選手のほうが数段上で、中島元彦選手のインタビューを聞いていてもヒシヒシと伝わってくるようだった。 プロの世界は結果が全て。野球やラグビーやサッカーだけに限らず、会社や職人、サラリーマンのひとりひとりにも言えることだと僕は常々思っている。プロサッカー選手と企業社員は一体何が違うというのか。その職の価値が金額に表れるだけで本質には何も違っていないのではないか。 そんなプロサッカー選手が毎日練習を繰り返したとしても、試合に出られるかどうかは分からない。ましてや試合に出場したからといって毎試合ゴールが決められるわけでもない。そんななかでも練習の成果や、少しずつ結果を見せることで上司である監督にアピールし続けている。 上司や監督が自分を見てくれないのは全て上司の問題なのか。こんなに努力しているのに評価してくれない上司の責任なのか。上司には人を評価するに値する能力が足りていないのか。それとも。中島元彦選手の言葉は、そんな世間の承認欲求へのアンチテーゼに僕には聴こえたのだ。 上役の評価以前に、自分自身の努力は自分自身の本当の結論になっているのだろうか。自分に嘘をつかず、評価してもらえるように前に進もうとしているのだろうか。僕はこの若者からそんな思いを貰ったような気持ちになった。U-23があるべき本来の姿が、そこにあるように思える。 「どうせ上司が評価してくれないのだから努力する意味が無い」こんな言葉もある。しかし、上司はそれほど馬鹿じゃない。上司は大半を見てくれている。その評価がどちらに転ぼうとそれは自分の責任範疇ではない。最大の責任は、自分に正直なこと。そして、信じた道を歩くことだ。 人間が与えられた時間は限られている。だからというわけではないが、このブログも毎回そんなことを考えながら書いている。dobroのイバのblogもスタートしてか...

第30節 松本山雅FC戦。日頃の行ない。

ヨーロッパ出張の疲れからか身体にガタがきていたので、久々だがタイ古式マッサージに行ってみた。二時間ほどじっくりと身体を癒やして(苛め抜いて?)もらい少しは楽になったが、これはいっときのものなのかもしれない。やはり日頃の行ないがいちばん大事なのだろうと思う。 山雅戦は非常にもどかしいゲームになってしまった。日頃の行ないがこの試合に影響しているとはあまり思えないが、シーズンも終盤に近づくと怪我人の入れ替わりが多くなり、その影響を大きく受けた気がする。普段どおりのサッカーが、できている部分とできない部分が多かった。 それにしても前線からの守備は強烈だった。前半はそうでもなかったが後半の20〜30分はかなりの圧力だった。僕らの場合、前半はアウェイに向かって、後半はホームに向かっての攻撃になるのだが、先日のルヴァンもそうだが、背中を支えるサポーターの力を借りたいときもあるはず。 ファーストハーフの失点が少ない要因のひとつがゴール裏のサポーターだと僕は思っている。言い換えると、セカンドハーフにおいてのディフェンスに与えるパワーをどのように出していくのか。キンチョウはその距離を感じさせないが、ヤンマースタジアムは少し広過ぎるのかもだ。 先日まで行なわれていたラグビーワールドカップでも証明されていたが、スタジアムにいるファン、サポーターが色濃く影響するサッカーそしてJリーグ。残り4試合のうち一試合しか現地で見れない予定だが、最終節に影響力を出せるよう今日から日頃の行ないを意識しておきたいと思う。 ※タイ古式マッサージのお姉さん ※誕生日が同じだった ※こんなこともあるのだな NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「品」。

昨日、ミーティングのため、六本木にある泉ガーデンタワーに行った。田舎生まれのお上りさんが立ち寄ってはいけない場所。まず、どのようにして目的地に行けばいいのか分からないし、帰りもどのように出ればいいのか見当もつかない。そもそも今何階にいるのかすら判断ができない。 まるで人生のようだ。走ったり立ち止まったり、抜け道を歩いたり遠回りしたりして僕らは生きていく。ときに迷うこともあり、そんな場面ではいつも、歴史から何かを学んできたように思える。昨日から読み始めた(聴き始めた?)百田尚樹氏の日本国紀からも感じるものが多い。 話は変わる。果たして「品」とは一体なんだろうと最近思うことがある。見た目にも中身にも通じるこの「品」という言葉を意識する機会が増えているような気がしている。品行方正、品性下劣と書くと少々キツい表現になってしまいそうだが、上品下品は普段使いされているだろう。 僕はその「品」を歴史に求めたい。日本全国の幕末明治の出来事や人物の史跡を回ることを人生の糧としている身としては、その史跡の「品」に心惹かれるケースと逆のケースに二分化されている。人は見た目が九割、なんて言葉が一昔前にあったが、史跡もまさに同じだと僕は思う。 なんとか出られた泉ガーデンタワーから歩いて10分。勝海舟先生・坂本龍馬先生の像、住居跡などを少し歩いてみた。赤坂氷川神社のほど近く、勝先生の愛したこの地に来ることはなかなか無い(本所亀沢はよく行った)。今回もまた、「品」というキーワードを思い出させてくれた。 僕はこれからも「品」を探す旅を続けるだろう。これからも日本全国、ちょっと立ち寄るその場所で、多くの史跡を見て回りたいと考えている。そこで多くの「品」と出会う人生も、それほど悪くない。遠回り上等。ゆっくりゆっくり歩いていく。最後に。沖縄の事故は本当に悲しい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「やらされ感」と戦え。

選手として戦う先を模索している本田圭佑選手のアグレッシブな行動活動を見ていて、この方は本当にブレないなといつも感心している。このメンタル。一体どこから来るのだろうか。身近なアミーゴの中にも同様の方がいたりして、いつもタイムラインから勇気をもらっている日々だ。 僕が在籍している業界ではキーワードとして「やらされ感」なんてものが意外と頻繁に出てくる。感情、しがらみ、上下関係、固定観念、既成事実、立場の違いなど様々な要因によってその質が上下左右にブレたりする。先日も話をしていてそんなことを感じてしまった。悲しいけれど。 果たして、この「やらされ感」という感情は一体何でどんなところから湧き上がってくるのだろうか。自分のやりたいこととそのギャップから来てしまうのだろうか。そのギャップというものが違った感情を抱かせるのだろうか。それとも考えすら無いために発生してしまうのだろうか。 プライベートではできる(僕がそう思っているだけかも)のに仕事になった途端に「やらされ感」が勝ってしまうのは何故だろう。能力はあるのに残念な人を僕も結構見てきたのだが、こうなってくるとどんどん仕事が楽しくなくなってしまうのではないかと僕は懸念する日々でもある。 ではなんで自分ごとにできないのか、という疑問がすぐに浮かんでしまう。大きな原因のひとつに「好き」とか「愛する」とかいう心が足りないのだろうと強く感じる。こう書くとまたおかしな人と判定されるが、実にそう思ってしまうのだ。そもそもの原理原則がブレているのだろう。 仕事は事務なのかもしれないが、仕事をする自分や仕事によって生まれてくる成果物は常に「心」を持っている。そう考えれば、面白くない仕事(だと思っている)だからこそ自分の力で心で面白い仕事に変えていけるはずだ。多分、それくらいの簡単でシンプルなことなのではないか。 枠の中であっても枠にはまらない生き方や働き方は必ずできるはずだ。だいたい枠なんていう考え方自体が、今の時代においては古いのだとも感じる。つまり、人にはそれだけのパワーが既に存在しており、そして、バイアスが取り除かれたときのパワーの凄さを信じていいってことだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

おじさんの、枯れた心を、ホーチミン(お粗末さまです)。

日本代表がオランダ代表に勝利してスタートしたようだ。我らがNJ西川潤選手も選出されているU-17ワールドカップ。この期待の10番が1ゴール2アシストだとニュースで知り、まあそれくらいはやるだろうなと思うと同時に、いつどこから白羽の矢が立つのかと不安にもなる今日この頃。 動画でのハイライトを見た。彼の良さの全てが凝縮されているわけでは決して無いが、結果を出すところが実に凄いと感じる。U-20ワールドカップ、そしてJリーグ公式戦でのデビューが少なからず高みに向かわせている。そんなことを考えながら落ち着き払ったペナルティキックを見る。 若い選手たちの活躍がおじさんの枯れかけている心を揺さぶるのだ。セレッソ大阪U-23の大阪ダービー勝利もそう。安藤瑞季、中島元彦両選手のゴールも素晴らしいが、フル出場した西尾隆矢選手、林田魁斗選手、松本凪生選手という高校生たちも途轍もない素質を持っているのだろう。 この三人が揃って選出されているU-18日本代表。来年のU-19アジア選手権に向けた予選がベトナム・ホーチミンで始まる。居ても立っても居られず、インターネットで行きかたなどを調べてみる。意外と簡単に行けそう・・・いやいや、大人には大人の事情っていうものが存在している。 アンダー世代の日本代表にはこれからも数多くの選手が選出されるだろう。田畑晴菜選手も参加している女子U-19アジア選手権も今日勝ってスタートした模様だ。ホーチミンに行きたい病が発症しているが、さてどうなるだろう。中島選手のゴラッソのように、壁を越えられるだろうか。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

イングランドと僕のご縁は続く。

つながりではないが昨日のラグビーワールドカップ準決勝はイングランドがニュージーランド・オールブラックスの三連覇を阻んだ。全くのド素人なので凄いのだろうなということくらいしか分からないが、日本代表も率いたエディ・ジョーンズ氏は素晴らしいヘッドコーチなのだろう。 ロンドンに滞在していた(しつこい)僕としては、イングランドの決勝進出に何かの縁を感じる。縁と言えばイギリスと日本も非常に深いだろう。実のところ僕自身がよく調べたりしていることも、この国には多く存在する。そんな、不思議な縁が今年のキーワードなのかもしれない。 僕の「幕末明治好き」をご存じの方は結構多いのだが、「西洋史好き」を知る人は意外と少ない。いつも、初期キリスト教の歴史や十字軍の遠征についての書物や小説などを読んだりしているのだが、神聖な場所、建築物や象徴を、紙やモニタでしか確認することができていなかった。 今回とても運悪く(良く?)ロンドンにしばらくの間滞在することができたので、シティ・オブ・ロンドン、テムズ川とセント・ポール大聖堂の近くに存在するテンプル教会を見てきた。ここは、十字軍遠征のなかでもとりわけ気になっていたテンプル騎士団のイングランド本部でもある。 有名なのはダン・ブラウン著のロバート・ラングドンシリーズであり、トム・ハンクス主演の映画「ダ・ヴィンチ・コード」での一幕だろう。荘厳な佇まいと中に入った瞬間の何とも言えない空気感。そして何と言っても横たわるテンプル騎士の像。この像がどうしても見たかったのだ。 「幕末明治好き」としては、長州ファイブやハリー・パークス、アーネスト・サトウという流れも捨てがたいのだが、ロンドンでどうしても初めに見たかったこのテンプル教会に行けただけでも縁の強さを感じる。イングランド代表と僕のこの先はどうなるのだろう。妄想が過ぎるか。 ※南アフリカとの決勝戦になりましたね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

潮時。

昨日、LEGO®SERIOUS PLAY®の体験ワークショップを行なった。おそらく初めてと思える、手から始まるフローの感覚。どんどんと作品ができあがっていく状況。3時間ちょっとのシリアスプレイでかなり脳を消耗したと思うが、そんな中でも数多くの名言が生まれたのではないだろうか。 その反動からか身体が悲鳴をあげている。首、肩、腰、足と痛い部分が全身を回ってしまっている現状。そういう状況の中で北海道コンサドーレ札幌と川崎フロンターレのルヴァンカップファイナルを見ていたが、この試合、とんでもない内容でかなり興奮が止まらないゲームでもあった。 二年前に我がチームも初タイトルを獲得したのだが、札幌にとっては同じようなシチュエーション。川崎は逆にゴールとカップ戦でのタイトルを取るための、まさに壮絶な戦いだった。元セレッソ大阪の家長昭博選手、山村和也選手、そしてク・ソンユン選手を見るのが最大の目的だ。 兎に角最後の最後まで、言葉では言い表せない状況の連続だった。とは言え、ROLAND様も仰っていたとおり数々の課題もある試合でもあった。レフェリーのミスも含めてサッカーなのかなと考えると、僕個人としても試合の醍醐味を左右しかねないVARの存在が気にかかってしまう。 既にお分かりかもしれないのだが、昨日からセレッソ大阪堺レディースの試合を見に行こうと思っていたにも関わらず、全くもって忘れてしまっていたのだ。何という失態なのだろうか。首、肩、腰、足だけでなく脳のほうも疲労しているのかもしれない。もうそろそろ潮時なのだろうか。 ※でも、見てないから、勝ったのかも(笑) NEVER STOP,NEVER GIVE UP