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戴き物。

年間250試合は見ていたサッカー中継(録画)も最近は「ハイライト」という便利な機能のお陰で、フルタイムで見るのはセレッソ大阪の全試合とビッグマッチのみになってしまっている現状。歳を取れば取るほど時間的制約の中で生きることになる(もう少し取れば楽になるのかな?)。

とりわけ強烈な記憶力を持ち合わせているわけでもないのだが、よく言われる言葉「よく憶えているなあ」。仕事のことは全然蓄積されていないのにことサッカーについては引き出しがなぜか異常に多いなと自分でも感じるし、没頭できるからこそつながりが広がっていくのかもしれない。

考えれば、前後半90分のゲームを250試合見ると単純計算で年間22,500分、375時間。日数で見れば16/365で年間4%をテレビでのサッカー観戦に充てていたことになる。これにJリーグを合わせて(現地で見た試合もあとで映像も見る)も、かなりの時間がそこにつぎ込まれている。

そんな生活が、毎日の自分を支えていたあの頃。良いことも悪いこともいっぱいあったあの頃。懐かしいとは思うが戻りたいとは思わない。今が一番良い。今ここにいることが大事だ。今ここにいる自分はあの頃の自分がいたからこそ存在する。だから、充分に、誇って良いのだと思う。

熱すぎず冷めすぎず、ぬるま湯のような人生でもいい。良いことは必ずある。自分が信じた進むべき道をがむしゃらに歩く。今は無駄だと思っていることも、ある日ある時、突然に素敵な戴き物が手に入るかもしれない。そう考えて生きていたら、少しは気持ちも楽になるのではないか。

僕にとってのサッカーはそんな幸運をくれた戴き物だ。だからこそ、これからもたくさんの試合を見て多くの方々と出会って大いに語り合って、そして静かに死んでいく。だから、死ぬまでは死ななくていい。昨日も僕は人生の何%かの素晴らしき戴き物を手にした。本当にありがたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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