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6月, 2018の投稿を表示しています

ポーランド代表戦。是非に及ばず。

懇親会が終了し急いで家路につく。ギリギリキックオフに間に合う。ウトウトしながら試合をテレビ観戦する。失点シーンだけは鮮明に覚えている。コロンビアがセネガル相手に先制したことで日本代表の戦い方が変わった。これが昨日の状況である。 「日本代表の戦い方が変わった」この最後のシーン。様々なメディアで賛否両論が繰り広げられている。周りのアミーゴに聞いてみても人それぞれの捉え方がある。そんな数分間のできごとは日本サッカー界でも長い時間議論されることになるのだろう。 この戦い方については個人的な感情も正直揺れ動いている。消極的なプレイを見たいわけではないというサッカーの美学を追求したい自分と、16強に勝ち上がるために手段を選ばないのは正解だと思ってしまう自分。なんとも歯がゆい気持ちであった。 「追いつかれるかもしれない」「同点にできるかもしれない」このような仮説は誰にでも立てられる。しかしながらできるかできないかの二択ではない。大事なのは可能性の選択だ。今の状況を踏まえどう動くかというデシジョンそのものだと僕は思う。 あの場面でコロンビアの勝利とセネガルの同点ゴールの選択。日本が得点を取るかノーファールでクロージングできるかの選択。ふたつのデシジョン。現実を追い求めたベンチワークは結果として試合内容をリライトするくらいの決断だったとは感じる。 事実セネガルは同点ゴールを奪えず、かたや日本代表はフェアプレイとはとても言いがたい戦い方で最小失点に抑え、皮肉だがフェアプレイポイントにより勝利を得た。ポーランド代表のボールを取りに行く気力がなくなっていたことも要因だったろう。 記憶に残るほうが良いかそれとも記録か。やはり共に大事だとは思う。が、25年前にこれが出来ていたら僕らはアメリカ大陸に行けていた。我らセレッソ大阪も何度も経験してきた。そういう意味では多くの失敗を重ねた末のこの勝利だったのだろうか。 この戦い方に是非を問うつもりは毛頭ない。美学に反したかもしれないが他国にとやかく言われる謂れもない。ベルギー戦に勝利することこそが今は大事なのだと感じる。全ては来たるべき次の試合のため。そう考えることに集中していたいなとは思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

セネガル代表戦。「乾くんは良い子」。

長友佑都選手のタッチが伸びて足元に入った瞬間、「打て」と叫んでいた。小さな振り足しかし鋭く曲がるいつものシュートがゴールに吸い込まれる。その刹那。横で相方が絶叫している。試合が始まってから30数分後。時間にして0時40分くらい。 「乾くんは良い子」。これが口癖でもある。2008年に横浜F・マリノスから我チームに移籍してきて以来、相方はこの言葉を散々繰り返し、僕は聞かされた。とはいえ初めて二十代前半の彼と話をした時、本当に素晴らしい人格者であると僕も感じた。 2011年に海外に移籍したあとも乾貴士選手のことは逐一チェックしてきた。セレッソ大阪生え抜きでは無いがこのクラブを本当に愛してくれているし、そしてそんな人柄を愛してしまう。何より彼からはオーラが出ているのだ。「サッカー好き」の。 「良い子」というフレーズはもう不釣り合いなのかもしれない。が、イメージというものは実に正直でもある。どれだけ時が経とうとも、プレースタイルや風貌、そして無類のサッカー好きも、相方からそう呼ばれていた時と何ら変わっていないのだ。 その乾選手がここ一番でゴールを決めた。それも本田圭佑選手へのアシストのおまけ付き(黄色い紙も)で。この事実だけが月曜朝の沈んだ気持ちを一新させる。「良い子」のサッカー、乾選手のワールドカップ。夢の続きを見る時間はまだまだある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

日本の歴史と日本人の感性。

日本人の持つ独特の感性が「ハンパないって」と常々感じている。最近特に感じる機会が増えている。勤勉さ生真面目さなどを超越したところの何か。精神性というものでもなくかといって神秘性が伴うものでもない。説明が難しいがそんな感覚だ。 話が続いてしまって恐縮である。先日訪問した鹿児島の旅。目的はこの三点「アミーゴに会いに行くこと」「セレッソ大阪U-23の試合を見ること」そして「鹿児島の歴史に触れ合うこと」。今回は三つ目である「歴史に触れ合う」について書きたい。 幕末、特に黒船来航前後の1850年代から西南戦争が終結した1870年台後半までの約20数年。この間の混沌とした日本が好きでたまらず、有名無名問わず日本全国のあらゆる史跡をGoogleマイマップに登録し、そして近隣訪問時に寄るようにしている。 幕末、明治初期というと非常に難しいと思われがちだ。攘夷、開国、公武合体、佐幕、尊皇、大政奉還、倒幕などが複雑に関わり合う。何が正しくて何が悪いかだけではなくまさにカオス(混沌)な状況であったことを歴史が色濃く物語っている。 僕は歴史学者でも研究者でもなく只の歴史好きなだけの男なので歴史の矛盾に首を突っ込むつもりは毛頭ないのだが、不可解な事件が多いのがこの時代の特徴だとは思う。そこに日本人の独特の感性というものが大きく関わっている気がしている。 今日の深夜にセネガル戦が行なわれる。緒戦において日本代表が見せてくれた独特の感性。それを再現することができるかどうか。身長差年齢差など厳しい場面が多くなるとは思うが、物理的な要素を覆す何かが起こる可能性は十二分にあるのだ。 そして鹿児島といえば「ハンパない男」大迫勇也選手。あのゴールには正直感動した。旅の途中で後援会会長にお会いしたことも思い入れが大きい理由でもある。真夜中、感性を歓声に換えた僕のハンパない絶叫。彼がそれを巻き起こすに違いない。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

変わらなければ変わらない。

連日の熱戦に身体が持たなくなる戌年男が考えるワールドカップロシア大会。ひと言で表すとするならば「変」。前回のブラジルでも感じたが、今回は更に既存の勢力図が変わっていこうとしている。そんな感覚を楽しんでいる自分がいるのも事実。 想像ではあるのだが、多分、力の差を補うメソッドが徐々にそしてある意味急激に確立してきたのだろう。フォーメーション、戦術、そして選手の持つポテンシャルの活かし方など、強敵と戦う際の展開含め、いろいろな選択肢が相当増えているか。 その時、監督の力が必要になると僕は思っている。速い遅い広い狭いというものだけでなく、監督の考えや采配ひとつで変わる可能性はことのほか大きい。一年で僅かな時間しか与えられない代表監督の手腕というものに、なぜだか共感してしまう。 勿論その国のサッカーに対する文化や情熱といったものに大きく影響されると思う。お国柄や選手の基質、ファンやサポーターの目などもその国のサッカーを大きく変えてしまうバロメーターではある。代表監督はそんなプレッシャーとも戦っている。 そんな中での四年に一度のワールドカップ。弱者が強者に勝つ、だけではない何かが宿っている大会。今や既に「ジャイアントキリング」などという言葉すらも形骸化してきたようなイベントになっていることを、見ていてものすごく感じているのだ。 先日の この投稿(レゴシリアスプレイとその効果。) のとおり、二十代前半の若者たちに集まってもらってレゴシリアスプレイのファシリテーターを務めさせてもらった。その際のワークのひとつ「自分が社長になったら」で少々面白い発見をした。 若さというものは時に無謀で時に頼りなく時に儚いものだと、綺麗な言葉で飾るとこんな感じかもしれないが、実に考えていることが自分自身のその頃と比べても相当変わってきている気がした。理想と現実、持っている価値観などは興味深かった。 人の特性、と言ってしまえばそれまでだが、世界人口70億人中のわずか11人でもその違いが如実に表れカタチとなる。そんなことを考えながらファシリテーションしていた。そしてこの尊敬すべき若者たちと共に強敵と戦うことをイメージしながら。 戦略は正しいか。彼らをどのように育て、力を見定め、適正な配置をどう組むか。相手とのバランスはどうか。それに併せて戦術はどう考えるべきか。プロセスと結

知覧。

鹿児島二日間の滞在では在住のセレッソ大阪サポーターの方々に大変お世話になった。スタジアムでは「身体は大丈夫ですか?」と声をかけていただいたり、まだまだ存在してもいいよと認めてもらっているような気がして生きていることを感じた。 最近特に存在感が無いと言われるので非常に有難いことだと思うと同時に、ここに存在する価値をどう見出していくかが本当に大切なのだと改めて考える次第。それが生きる希望になることを頭では理解しているがどうも身体がついていっていない。 そんな鹿児島の二日目。知覧に連れて行ってもらった。以前にも書いた通り自称歴史好きであるにも関わらず、あの戦争のことについてはほとんど学ぶ機会を得てこなかった。いや得ようとしなかったと言ったほうが正しい言葉なのかもしれない。 この数年書籍などを目にすることも多くなり、多少なりとも知識を頭に入れることはできたと思っていた。日本の置かれた環境や戦地の困難な状況、人々が持っていた感情といった情報を取って付けたかのように得て、僕は知った気になっていた。 富屋食堂を訪れた。そこで鳥濱トメさんと特攻隊員の方々の交流を知った。まだまだ無知であった自分を恥じた。展示されている品や手紙、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんと若き特攻隊員の会話が綴られた文章を読むだけで目頭が熱くなった。 あの作戦が正しかったのかそうでは無かったのかを問う資格は僕には無い。しかしながら若い命を懸けてでも守るべきものとはなんだったのだろうか、「生きる」とはどういうことなのか「死ぬ」とはどういうことなのかを僕は改めて学んだ気がした。 「人生は”死ぬ”ために”生きる”んだ。そしてそれは長さじゃない」と尊敬する方から言われたことを思い出した。十代、二十代で儚く命を落とした特攻隊員の方々と支え続けた鳥濱トメさんがいたことを決して忘れてはならないと強く感じた知覧だった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コロンビア代表戦。意地のプレゼンテーション。

心地の良い目覚めだった。やはり勝つというステータスは身体に活力を漲らせるものだと改めて思い知った、そんな朝だった。とはいえ大阪のことが非常に気になる。地震に加えて大雨にも警戒が必要。本当に気をつけて生活をしてほしいと思う。 それにしても昨日のコロンビア戦。個人的には勝利の確率を低く見積もっていた。その確率を上げるための要素がこの試合に詰まっていたと言っても過言ではない。そしてその要素は決して奇跡などではなくあくまでも戦略だったと信じていたい。 とにかく打った手がことごとく効いていたと思う。乾貴士選手香川真司選手のセット。柴崎岳選手の先発。スタートダッシュが生んだ退場。ひとり少なくなってからの攻守。点を取りに行く場面の本田圭佑選手投入と変化をつけたコーナーキック。 よく「最後は個の力」と言う選手が多いが、いたるところでその個の力を見た気がした。ひとりひとりが局面で本当に身体を張っていたと思うし、とても印象に残った最後の最後、乾選手があの位置まで戻って守備をした場面にはかなり身震いした。 もしかしたらこれは個でもあるが意地でもあるのか、と試合を見ながら考えていた。期待の裏返しにいる世間に対する無言のプレゼンテーションだったのかもしれない。選手たちのそんな気持ちを32インチのモニタ越しに感じられて僕は幸せだった。 相手の数は関係ない。我々はこの試合に勝利した。その歴史だけは確実に残る。そしてその気持ちを持続させて次のセネガル戦に向かいたい。あぁ現地に行きたい。そんな気持ちを抑えつつ自分のやれることを精一杯見せていく。勇気もらったから。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

大阪地震について。

今朝の大阪地震速報に正直パニックになった。自分自身の親兄弟は無事ではあったが、残念なことに亡くなった方もいらっしゃると聞く。防ぎようがなかったのかと心の中で呟いてしまう。本当に悲しい。災害への対策その大事さを改めて思い知る。 個人的にはもうそろそろ母親にスマートフォンを持たせて、アプリなどでもすぐに連絡がつくようにしたいと思っている。今回も以前と同様に電話がかからず、しばらくしてつながるという状況でもあった。早めに対策をしていかねばと感じている。 翌日、二日後そして一週間後に再び来る恐れもあると思います。東京にいる身で軽々しく言えることでは無いですが、少しでも早くいつもの暮らしに戻れるようにと祈っています。そして、多くの方の心の痛みが和らいでいくことを切に願っています。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

J3 鹿児島ユナイテッドFC戦。

鹿児島二日目の朝。よく眠れた。多くの出来事があったなと昨日のことを思い出しながら書いている。人は人を呼び人を繋ぎそして人と紡ぐ。やはり世の中はアミーゴがいるから成り立っていると言える。そんなことを考えていると本当に心が和む。 それにしても珍しい試合だった。鹿児島に行っていることを知る多くのアミーゴから「大丈夫なのか?」と着いた瞬間に連絡が来た。何のことか全く状況を掴めておらず「無事に着いた」と生返事をしていたのだが、これが大きな間違いでもあった。 桜島が爆発的噴火していたのだった。そんななかで鹿児島に来たのだ。そりゃ「大丈夫か?」である。鹿児島中央駅から白波スタジアムまで歩く中、巻き上げる土埃を見て、ことの重大さに気づいてきた。降り注ぐ火山灰が道路を埋め尽くしている。 「中止になると思っていた」とご一緒した鹿児島ユナイテッドFCサポーターの方も仰っていたが、とてもじゃないが試合が出来る環境では無いと感じた。それでも結果的にこのゲームは開催され、約4,000人の観客で埋まり、素晴らしい試合となった。 スタンドで見ているだけでも息苦しいのに、両チームの選手たちは本当に頑張ったと思うが、とてもじゃないがこれが続くと心が折れそうになるだろう。そしてこういう場面に出会ってしまうのも”持っている男”である証明なのは紛れもない事実。 帰りのタクシーの中で「今年で10回くらいですかね」と運転手さんは雄弁に語っていた。日本が世界有数の火山国なのだと改めて感じた。だから心の強い方々が多く輩出されてきたのだなと考察する。歴史の重み人の重みを感じる旅はもう少し続く。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

14年後のイベリア半島ダービー。

今現在、飛行機の中でこのブログを書いている。これから鹿児島に向かうところではあるが久々の遠足でもあるので本当に楽しみだ。幸いにも天気は持ちそうでもあるしまずはありがたい。サッカーと歴史の二日間を思い切り楽しんできたいと思う。 そんなことをタイプしながらも、今朝録画で見たワールドカップのポルトガル代表対スペイン代表の試合。その興奮が未だ収まらない自分もいる。ハイレベルで情熱的でそして結果としても申し分の無さ。朝から僕と犬の唸り声だけがこだました。 いつも驚かれるのだが新婚旅行がEURO2004ポルトガルだった。新婚旅行でサッカーを見にいく、それもヨーロッパ選手権とか理解できない方も多いしれない。そんな人とは違った人生だ。まあその前に「結婚するとは」と驚嘆を生んだわけだが。 試合前には北澤豪さんに会って写真撮ったりエウゼビオさんを見たりと楽しんだ中でも、リスボンで見たクリスティアーノ・ロナウド選手に感動したことに身震いする。弱冠19歳の若者だった彼がガムシャラに走っていたことを今も思い出す。 そのEURO2004で見たイベリア半島ダービーから14年。彼も今や33歳になった。この14年間は彼にとっても僕にとっても素晴らしいものであったと思う。若干(なのか)のレベル差はあるが、あの頃を思いながらこの先の人生を進んでいくだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ロシアワールドカップ開幕に向けて。

ワールドカップムードが沈滞しているのは手術入院の影響かそれとも日本代表チームに対する思いのせいなのかは正直分からないが、これまでの大会と比べてもなかなかテンションが上ってこない自分がいた。始まってしまえば、と脳が言っていた。 今日6月14日は世の中的には「モリシの日」。2002年ワールドカップ日韓大会、聖地長居スタジアムで行なわれたチュニジア戦で森島寛晃さんがゴールを決めた日を記念して創設された日。今でもあのときの興奮を忘れないままでいる人は多いと思う。 あの日の長居スタジアムは多くの人が集まっていて朝からごった返しているという本当にお祭りムード一色ではあったが、程よい緊張感と勝って決勝トーナメントに行くという強い覚悟が全てのファン、サポーターから漲っていたことを思い出す。 2−0で勝利したあと、大阪に来ていたクロアチア代表のサポーターと一緒にフットサルやパーティをした。トゥルコビッチさんやクロアチアサポーターとの関係はあの2002年から始まった。16年前という事実に驚くばかりだ。実に時というものは速い。 過去出場した5回の大会、出場したセレッソ大阪所属選手はそう多くはなかったが、そこにいると感じられるだけで幸せな気分になった。どのカテゴリーでもいつも思うことだが、日の丸を背負った彼らの姿を見るたびに多くの勇気をもらってきた。 ラストマッチとなったパラグアイ戦。そこにはキャプテンマークを付けた山口蛍選手がいた。いつもの見慣れた光景であるはずなのに、あの青のユニフォームの左腕に巻かれた黄色いものを見ただけで、震えてしまう自分がいることに気付かされる。 確かにたまたまかもしれないし、あの選手たちがひとりでも出ていればこんなシーンは訪れることはなかったと思うが、その一回を目の当たりにすること自体が嬉しいわけで、それが明日への活力になっていると言っても決して過言ではないのだ。 そんなもろもろなことを思い出しながら遂にワールドカップが開幕する。多くのアミーゴも既に現地に入っていたりこれから向かう準備をしている。みんなと同様に程よい緊張感を早く手に入れ、これからの一ヶ月を楽しみたいと思う。Vamos Nippon! NEVER STOP,NEVER GIVE UP

レゴシリアスプレイとその効果。

典型的なB型の影響か、はたまた持って生まれた資質の問題か。それとも育ってきた環境によるものかは知らないが、人にものごとを伝えるという基本的な行為が結構苦手なほうなのである。思っていることをうまく伝えられない、そんな人生だ。 逆に、感情が身体をまとうオーラとなってしまったり、そのまま吐き出したりしてしまい、周りに迷惑をかけてしまったことも多々あったと思う(現在進行形なら”あると思う”が正しい)。とても偉そうなことを言える立場でもないのだろう。 この、人にものを伝えるという行為の意味において自分の欠点を補おうと長年勉強をしてきてはみたものの、なかなかうまく行かないのも事実。そこにはふたつの問題があるのだ、ということだけは自分の身をもって感じられたところでもある。 ひとつは「直感的にアウトプットしてしまうために論理的に説明することができない」そしてもうひとつは「頭の中では整理できていてもカタチとしてアウトプットすることができない」というふたつの「できない」に僕は支配されているわけだ。 全ての方の身体の中にこれらが存在するかどうかは別として、少なくともこれらのジレンマに陥るケースは非常に多いと思う。ではどのようにすれば解決するのだろうか。その答えに近づくかもしれないアイテムが子供の頃の遊び道具にあった。 「 レゴ®シリアスプレイ® 」というメソッドをご存知だろうか。その名のとおりあの「LEGO」を使った手法なのではあるが、初めて「レゴシリアスプレイ」の体験会に参加した際に起こった自身の脳内活性に衝撃が走ったのをかすかに覚えている。 グループワークによる組織形成や個人ワークを含めた新たな発見。直感的にカタチにして説明する力と整理されたイメージを即座にカタチにする力。この両方の力を短期的に意識することが可能となる。もはや子供の遊び道具だけに留まらない。 いや、子供の遊び道具と言っては失礼だ。今も昔も子供たちは、レゴプレイによってインスピレーション活性化とプロトタイピング能力が飛躍的に向上しており、この先の日本、世界を創り上げていっているのではないか、と僕は感じているのだ。 現在、5回述べ50名程度の方々への疑似レゴシリアスプレイを実施しており、近々にも今年から仕事を始めた10名ほどの方に向けてイベントを開催する。もちろんまだファシリテーターとして

適度な勇気と悲壮感と。

自分の身体のことばかりで恐縮ではあるのだが、ようやく傷の痛みも癒え始め歩くスピードもずいぶん早くなった。まだ走るなどの行為は幅10センチほどの傷口が「パッカーン」となりそうで怖くて悲観的に染まってしまう。本当にだらしがない。 勇気を持って本格的な活動を再開したいと思っている。今、残念ながらセレッソ大阪トップチームの試合は中断期間だが、リハビリを兼ねてまずは6月中旬の鹿児島に行くことにした。薩摩の地で多くのアミーゴに会えることを心待ちにしている。 やはり、ロシアに赴くのは少々厳しい。テレビでの観戦で留まりそうではある。そのうえワイワイ見るのが苦手なほうなのでパブリック・ビューイングなどに行く予定はほぼ無いのだが、仲間と楽しくサッカーを見るのはとても良いことだと思う。 さて、その、肝心の日本代表である。今しがた妻が録画してくれたスイス代表との強化試合を見た。FIFAランク6位とスイス代表は非常に強いのではあるが、日本代表は相変わらずお馴染みの「自分たちのサッカー」探しのような展開でもあった。 別に悲壮感のおすそ分けが欲しいわけでもないのだが、”このままではいけないかもしれない”という危機感が必要なのかも。「良いところもあった」という言葉がインタビューなどで沢山出たが、「90分やって無いわけないやろー」と呟いてしまう。 開幕まであとわずか数日。緒戦を考えるとあと10日あまりしか残っていない。楽観視なんて出来るはずもないが、かと言って絶望的な感情だけで頭を埋めても仕方がない。自分も日本代表も適度な勇気と悲壮感を持って向かっていくしかないかな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

キャラクター文化、ときどきロビ太。

少し前の話になるが、リハビリ兼ねて近所で行なわれていた「ご当地キャラクターフェスティバル」というイベントに行ってきた。クロヱの散歩コースにはたくさんのオーディエンスとたくさんのキャラクターがいて、さながらカオスだった。 ご当地キャラクターはそこかしこで大人気で、多くの方と写真を撮ったりペタペタ触られたりしていた。その中でも案の定「ふなっしー」は別格だった。それにしても知らぬ間に兄弟(?)がいたなんて。キャラクター業界も少々大変な気がする。 サッカーショップ蹴球堂のメインキャラクターと言えばみなさんご存知の「ロビ太」。サポーターのシンボルとして幕をスタジアムに飾ってくださったり、多くの方に愛されているのだなと感じると同時に、関係者の方々にも本当に感謝している。 初めてサポーターキャラクターを検討しようと思った際、直感で降りてきたものが何を隠そうWWEスーパースターの「ロック様」だった。ロック様の卓越したマイクパフォーマンスの瞬間をどうにかキャラクターに盛り込めないだろうかと考えた。 舌の出し方、眉の釣り上げ方。ロック様の要素を含んでかつ、サポーターらしくマフラーを巻いたりサポーターシャツを身にまとった姿を試行錯誤したり。そんなロビ太を創りあげるためにアミーゴのデザイナーと幾度となく協議したあの日々。 大横川親水公園に設置されたステージに上がった多くのキャラクターを見ていて、ロビ太を思いつき、そしてロビ太を形にしていこうと考え、このロビ太という存在感をさらに上げてやることが肝要と感じていたあの頃を思い出してしまった。 日本全国、いや世界も含めたご当地キャラクターや商品キャラクター同様、各クラブそして各クラブのサポーターには誇るべきキャラクターが存在している。そしてそのキャラクターたちには創りての並々ならぬ努力や苦労が詰まっているのだ。 キャラクター文化は本当に素晴らしい。彼らはこれからも様々なイベントや各地に出向き活躍していくのだろう。そんな素晴らしい文化は我々のスタジアムにも溢れているのだ。僕らにはロビーやマダム・ロビーナ、そしてチビーがいるのだから。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ロシアワールドカップ日本代表発表。

この歳にもなると、ましてや入院明け間なしで深夜に仕事するとかは、翌日の身体にこたえてくる。若い頃はそれほど問題ないと思っていたことも歳を取るにつれ難しくなってくる。それが老いというものでもあり、そして最近顕著に感じている。 ようやく今朝、ワールドカップ日本代表発表直前のガーナ戦を見た。我らの山口蛍選手。運動量などはまずまずだったが、パスミス、中途半端なポジショニングなど、見るからに3バックとウイングバックとの関係性に問題があるように思えた。 それでもなんとか23人のメンバーに選ばれたことは非常に嬉しい話ではあるし、素直に応援していきたい。対戦相手やボランチの組み合わせで考えると山口蛍選手ともうひとり、になりそうではあるが、やはりフル出場が彼には似合うはずだ。 そして乾貴士選手、香川真司選手が選ばれたのも素晴らしい。メンバーの平均年齢の話が多分に出ているが、若さには若さのベテランにはベテランのそれぞれの味というものがあると思う。まあそれほど老いを感じさせる年齢でも無いわけだが。 そしてそのベテランの経験や勝負感が活かされる瞬間が必ず来ると思う。話は変わるが、先日、僕の周りにいるベテランの方の話を聴いていてそれを強く感じた。周囲から「あいつは終わった」と言われていたその方の逆襲が始まる予感がする。 そういう意味でも、年齢はネガティブな要素だけでなくポジティブに捉えることも時には必要であると感じた。自分自身もここまでの経験を活かし次のステップを考え、行動し、そして結果を出すこと。この数日で多くの何かを学んだ気がしたのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP