激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
懇親会が終了し急いで家路につく。ギリギリキックオフに間に合う。ウトウトしながら試合をテレビ観戦する。失点シーンだけは鮮明に覚えている。コロンビアがセネガル相手に先制したことで日本代表の戦い方が変わった。これが昨日の状況である。 「日本代表の戦い方が変わった」この最後のシーン。様々なメディアで賛否両論が繰り広げられている。周りのアミーゴに聞いてみても人それぞれの捉え方がある。そんな数分間のできごとは日本サッカー界でも長い時間議論されることになるのだろう。 この戦い方については個人的な感情も正直揺れ動いている。消極的なプレイを見たいわけではないというサッカーの美学を追求したい自分と、16強に勝ち上がるために手段を選ばないのは正解だと思ってしまう自分。なんとも歯がゆい気持ちであった。 「追いつかれるかもしれない」「同点にできるかもしれない」このような仮説は誰にでも立てられる。しかしながらできるかできないかの二択ではない。大事なのは可能性の選択だ。今の状況を踏まえどう動くかというデシジョンそのものだと僕は思う。 あの場面でコロンビアの勝利とセネガルの同点ゴールの選択。日本が得点を取るかノーファールでクロージングできるかの選択。ふたつのデシジョン。現実を追い求めたベンチワークは結果として試合内容をリライトするくらいの決断だったとは感じる。 事実セネガルは同点ゴールを奪えず、かたや日本代表はフェアプレイとはとても言いがたい戦い方で最小失点に抑え、皮肉だがフェアプレイポイントにより勝利を得た。ポーランド代表のボールを取りに行く気力がなくなっていたことも要因だったろう。 記憶に残るほうが良いかそれとも記録か。やはり共に大事だとは思う。が、25年前にこれが出来ていたら僕らはアメリカ大陸に行けていた。我らセレッソ大阪も何度も経験してきた。そういう意味では多くの失敗を重ねた末のこの勝利だったのだろうか。 この戦い方に是非を問うつもりは毛頭ない。美学に反したかもしれないが他国にとやかく言われる謂れもない。ベルギー戦に勝利することこそが今は大事なのだと感じる。全ては来たるべき次の試合のため。そう考えることに集中していたいなとは思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP