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時間と、距離の壁。そして、風。

猫も杓子もオンライン。リアルなときには起こらなかったようなミーティングの嵐でもある。それはそれでありがたい。ちょっとずつオンラインに慣れてきての半年だったように思える。これから先も同様の流れになるのか否か。実に楽しみだ。 ツールは様々ある。自分に合ったものを使うことができる。そういったものが普通だと思える世の中になったということだろうか。距離の壁はあっという間になくなったが、逆に、携帯電話のときと同様だが、時間を奪われている感も否めない。 そうだ。先日幼なじみのシンガーソングライター「臥龍」のライブもオンラインで見た。リアルで味わう感触とまた違う肌触り。すべてがすべて片方に寄るなんてことはないからこそ、双方にメリットを見つけていくことこそが最善なのだろう。 Jリーグのリモートマッチ。そもそも毎節がリモートマッチだった僕としては、まったく違和感がない。二十代のころのリアル観戦づくしから歳を重ねるごとに足が離れた。だから、人よりもスタジアムで見ることへ貪欲なほうだとも感じている。 試合だけでは無い。あちらこちらから聞こえてくる声。弾むボールの音。吹いてくる風がそんな彼らを連れてくる。耳を傾けているだけでワクワク感が止まらなくなる。スタジアムとはそういう場所。だから何度でも、いつまでも、いたくなる。 リモートの良いところとリアルの良いところを上手く活かせるのが「人間」でもある。ライブハウスで見る臥龍もChromebook越しに見る臥龍も、価値はまったくと言っていいほど変わらない。時間と距離の壁は、一体どこまで進んでいくのか。 風がそのうち、試合やイベントそのものだけでなく、多くの音をリモートでも連れてきてくれるだろう。そのときにまた僕らは新しい楽しみかたを見つけるはずだ。時間と距離。もうそろそろ、どこでもドアかタケコプターかを選択する時代だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

モヤっとする日をちょっとだけ。

まあ、細かいところを気にしないこの性格がありがたい。だからといってB型とかそんなものでくくられるのもどうかと思っているのも事実。生まれ持ったいい加減さが良いのかもしれない。そんなことをつい考えてしまう今週。とても面白いというか興味深い、内容の濃い一週間であった。 そういや2020年に入ってこの一ヶ月間、ブログを書き続けることに成功した。モヤっとした日もそうでない日もひたすら書き続けた(単なる自己満足でしか無いが)。今年はそう決めてスタートしたわけだし、この日々の積み重ねによって忘れさせてくれるものも殊の外多いな、とも感じる。 そんな毎日に欠かせないのが”音”。新しい家に引っ越して(おい、いつの話や)から行なっていなかったお風呂で音楽を聴くことを始めた。ランダムに回しているものの、いつもかかってしまうのが「大阪の街の誇りーみんなの人気者ー」。REAL OSAKA ULTRAS二十周年の際に録ったものだ。 聴いているとなんだか気持ちがフワっとしてくる。1993年の冬から春にかけて行なっていた応援ミーティングで色んな曲を採用していったこと、今もなお思い出させてくれるチャントだ。30年近くも歌い続けられることだけでも奇跡だと感じて、その感情が溢れ出てくるのだとも思っている。 ブログや音楽が、モヤっとする日をちょっとだけ良い日に変えてくれる。それが僕の活力源になる。そのモヤっとを、駄目なものはどこまで行っても駄目と割り切るかそれとも根気強く続けていくことを選択するのか。毎日が葛藤の連続だ。よし、今日は、ボールを蹴りに行くことに決めた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

40年。

分かる人には分かる。 先日時間を作って「#009 WALKMAN IN THE PARK」を見るために銀座まで足を運んだ。今年でちょうどソニーウォークマンが40周年を迎えた。このブログでも以前 盛田昭夫氏の動画 を紹介したが、僕にとってのSONYは憧れの存在以外の何物でもなかった。それくらいイカしていたのだ。 会場へ辿り着いた。嬉しいのは最終日前日という日取りもあったのかもしれないが、かなり多くの方々がこのイベントに訪れていたことだ。中学生だろうか友達同士からご年配の夫婦まで老若男女が40年の記念を祝うかのように、ウォークマンを手に取りヘッドホンを頭につけている。 著名人の面々が思い思いに自身の思い出を綴っている。僕が初めてウォークマンを持ったのは一体いつだっただろう。親にねだって買ってもらったのだろうか、それともせっせと貯金をして手に入れたのだろうか。まったく記憶にはないのだが、手のひらの感触だけは今も残っている。 楽器を演奏していたわけではないし、音質なんかにもそれほど興味が無い。そもそも音楽自体を聴くこともそれほど多くなかった。しかしながら、人生の節目節目でどこかの誰かの「歌声」というカプセルに入った「勇気」のサプリを注入してもらったと感じていることだけは確かだ。 40年の時が流れ今の時代はスマートフォンでお気に入りの音楽を楽しむ。手軽に気軽に耳が音楽を受け入れていく。同じくらい半世紀近くを生きている僕の最近のお気に入りは何故か「For The Top of Dreams」。作詞作曲は勿論、ウォークマンと同じときを過ごしているであろうあの方。 分かる人には、分かるのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

名もなきシンガーは唄い続ける。

人付き合いというジャンルがとことん悪い割には、大事にしないとバチが当たるくらいの良い人が仲間でいてくれたりして本当にありがたいと思っている。47年の人生はまんざら間違いでも無かったのかなと独りごちてみたりしている。 そうは言いながらもやはり人と話す時には緊張が隠せないし、汗も相当かいてしまう恥ずかしがり屋さんでもあるので、生きていくには少々荷が重い。この歳になってもまだ生き方の勉強をしているのだがそれもまた人生なのだろう。 手術入院直前でもある中、いや手術を控えているからこそ、中学生の頃からのアミーゴである”臥龍”ことシンガーソングライター多田覚のライブを楽しみに、原宿と渋谷のちょうど中間地点くらいにある原宿クロコダイルへ行ってきた。 いつもながら彼のライブから貰うもののひとつである”続けることの大事さ”を噛みしめる。子供の頃からずっとギターを弾いていたイメージそのままの姿に、大人になった今でも、そのスタイルがひとつも変わっていない感が素晴らしい。 たとえ歌う場所が仕事になったとしても、常に”好き”の延長線上にいるように思える、と、そんなことを思いながらライブを見ている。そして相変わらずのパワフルさを見せてもらい、身体のことなど何処かへ行ってしまった気がした。 個人に置き換えてみたら、正直どうなのだろうか。子供の頃から好きだったもの、続けてきたもの、大事にしてきたものは一体何だったんだろうかと、大人になった今でも悩み続けている自分がそこにいる。そんな事を思い出させてくれる。 夢や理想、期待と現実といった様々な葛藤の中で人は生きている。先日も数人の若い方々とそんな話をしていて中々ご本人たちの思うようにいかないことが多いと聞いた。そして、そこでこの世界で生きていくことの難しさを改めて感じる。 しかしながら心配は要らない。支えてくれる方々はどこにでもいるものだ。学校だけでなく世の中には”人生”の先生が溢れている。例えば、何も言わないがそっと隣で寄り添ってくれる先生や、その思いを歌声で代弁し勇気をくれる先生。 臥龍はまさに先生なのではないか、そう思えてくる。彼の歌から愛をもらい、寂しさを知り、生き方を学び、何処かへ行き着く術を得る。これからも名もなきシンガーは唄い続けるだろう。そして僕らはそこから何かを学び取れるはずだ。 NEV...