スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2020の投稿を表示しています

明日から卯月なので元気を出してみる。

元旦(実際には昨年の12月28日から)ひたすら書き続けて今日で三ヶ月が経った。一回だけ日を越えてしまったがそれ以外は毎日何かを表題に、モニタの前でキーボードを打って打って打ちまくってきた。ここで一旦区切りかなとも思いながら、多分明日になったらまた書くのだろう。 3月31日といえば結構な企業などで年度の締めなのだろう。しかしながら今年は打ち上げを行なう会社も少ない(実質無いのかも)と思う。昨日、東京都知事も夜間の外出や飲む場所へ行くことも自粛を求めている。メディアでは賛否両論が巻き起こっているが当然のことだとは思った。 僕らはサッカーショップ蹴球堂長居店を2018年1月に閉じた。だがもしそれまでの間にこの新型コロナウイルスのような状況が訪れていたとしたら、僕らはどんな判断や決断をしていたのだろうかと最近考えてしまうことがある。小規模な飲食や小売の方々は今どんな思いなのだろうか。 明日から4月。当分は厳しい時を過ごすはず。昨日とあるニュースを見ていて、皮肉にも「家族の孤立化が進んでおかげで死亡率が低い」と言っていた。そうなのかもしれないが少し寂しい気分になる。家族のLINEグループにメッセージを送る。みんなまだ、”元気”なのがありがたい。 悲しい話ばかりだと気が滅入るので少し元気の出るマンガを読んでみた。「花の慶次」。何回読んだか分からないが何度読んでも良いものは良い。隆慶一郎先生の原作「一夢庵風流記」も改めて読みたくなってきた。マンガを含めて本はやっぱり良い。さあ卯月。気持ちを高めていくぞ。 近々で発表をしていく予定。こんな時期にと思われるのかもしれない。しかし僕らにとっての大事な日に大事な物語を話していきたいのも事実。もしかするとあちらこちらから五月雨式にリリースしてしまう可能性が高いのでご容赦願いたい。少しでも街に勇気を与えたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※マンガBANG!で読んでいる・・・

命とお金。どっちも大事。

新型コロナウイルスの恐怖に怯える日々が続いている。有名人が亡くなると特にその怖さが増す気がする。何とも言えない気持ちの連続で、自分自身もなかなか整理ができない。どのように対策すればよいかすら判断に迷うのがもはや日常茶飯事になっている。とにかく家にいるべきか。 皮肉にもこの数日、ある程度まとまった時間を作ることができている。そんななかで、後回しにしていた様々な学びに徹している。ひとつは溜まっていた記事に目を通す。もうひとつはドキュメントを作成する。そして「見ろ見ろ」と何度も言われていたYoutubeチャンネルを見始めた。 そのひとつがいつもお世話になっている「 家族で学べるお金の学校 」というYoutubeチャンネルだ。本当に「お金」というものを学ばずに生きてきたと痛感する。そんな無知な人間に懇切丁寧教えてくれて助かっている。ここで教わったおかげで人生が少し豊かになったような感もある。 また、お金の勉強の機会をくださるだけに飽き足らず、僕が行なっているレゴ®シリアスプレイ®なども積極的に取り入れて体験会を開いてくださったりしている。本当に感謝の思いしか出てこない。レゴはまあ置いといて、とにかくこのYoutubeチャンネルにある数々の動画を見て欲しい。 最新動画もアップされたので早速閲覧する。元サッカー日本代表の高原直泰さんと代表の中村さんの対談だった。沖縄でスポーツクラブを創設された高原さん。また、いつもお世話になっている中村さんの言葉の重みを感じながらさらなる学びを得る。時間が経つのを本当に忘れてしまう。 僕のような行動力に欠けている人間は、このような活動的な方々から元気をもらうのが一番だ。今経済も大変な状況なのでより多くのお金の学びをしていかなければならないし、お金を学ぶことによって命の大事さを改めて知る。どちらも天秤にかけることのできない大事なものなのだ。 お金は汚いものだと親から言われたことはなかったと記憶しているが、僕もかなりのお金を両親に使わせたほうだと思う。果たして大人になっても恩返しができているかどうか。まったくのところ分からない(多分NOだ)と言えてしまう。これからでも少しずつ恩を返していけるだろうか。 思えば志村けんさん。学年で言えば8年前に亡くなった父と同い年なのか。同じように酒も煙草も豪快だっ

Google Keepで書くサッカー小説。

つい先程、2019年度のすべての手続きを終えた。毎年のことではあるが税理士先生には本当に助けてもらってばかりで感謝の言葉しか出てこない。今年度はサッカーショップ蹴球堂もようやくリアル店舗をオープンさせるつもりでもあるので、さらに厚いヘルプをいただく所存でもある。 とは言いつつも、世の中が大変な状況の中でそんな話ばかりもしていられない。東京はロックダウン間近ではないか?とメッセージが届きビクビクする日々を過ごしている。ニュースを見ていても都内の繁華街は閑散としており、やはり外出自粛されている方が多いのだと気付かされた。 そんななか、自宅にいることをポジティブに捉え前々からここでも書き続けている小説なんてものにチャレンジしている。段取り八分だなんだといつも言っている僕だが、ことこの話になるとプロットなんてものをそれほど描くこともせず、とにかく書きながら進めることに徹している。 まさにアジャイル。もちろんあっちこっちに話が飛ぶので今読んだら「なんじゃこりゃ」な感もなくはない。しかしながらプロを目指しているわけでもなく、ただ自分自身が楽しみながらが心地良い。すべてをさらけ出すのは恥ずかしいので、触りだけ話すとすれば「サッカー関連」だ。 「サッカー関連」の内容的には、様々なかたちでJリーグや世界中のサッカークラブ、選手、サポーターなんてものを書いていきたいと思っている。しかしながら僕が描きたいのは子供も楽しめるファンタジー。現実のようで現実でない感覚。適当に書いているくせにどの口が言っている。 スマートフォンで書いている(これが正しいかは正直分からないがポータビリティに優れているので何時でも書ける)が、ようやく10,000文字に到達した。通常の文庫本だとだいたい120,000文字と聞いたので、あと12倍。頑張れるかどうかが不安になってくるのが手に取るように分かる。 大半はGoogleのサービスであるGoogle Keepを利用している。ひたすらテキストを書いて書いて書きまくる。あとはそのまま放置したり引用したり。最近では蹴球堂でもチームワーキングにてKeepを利用する。とにかく汎用性と携帯性、迅速なテキストの置き場としてはかなり重宝する。 それにしても頭の中で妄想を掻き立て思うがままに書いていくこのスタイルが僕は好きだ。時間を忘れて指を動かし続けて

ひと工夫で、想像の世界へようこそ。

この週末は大人しく家に籠もっていることにした。やることはたんまりあってそれほど困らない。だが若干運動不足にはなりそうな予感がする。しかも東京は雨。朝はなんとか愛犬の散歩に行くことができた。身体が退化してしまいそうなので、なんとか色々動かしながら生きていこうと思う。 それにしても首都が封鎖されてしまう危険がある日々を過ごしている。自分自身もいつ感染者になるのかも分からず本当に毎日ビクビクしてしまう。僕は平日はほとんど電車に乗らないのであまり気にはならないが、東京の大半の方にとって通勤ラッシュなどが辛いだろうなと心中お察しする。 取り急ぎ、Webサイトなどのメンテナス(メンテナンスの場合とメンテナスの場合が入り混じっている)が溜まっている。今日もサッカーショップ蹴球堂のサイトを直したり、自身のオフィシャルサイトをいじったりと、細々した作業に明け暮れる。合間合間で気持ちをリフレッシュしていく。 このブログでも再三書いている通り僕は本が好きなので、このような状況下ではボーッと読むようにしている。「いつもどんな本を読んでいるんですか?」とよく言われるので少し紹介したいと思う。ビジネス書もいいができればたまには「少し考えながら読める小説」をお薦めしたいと思う。 例えば、僕の場合、歴史と旅行が好きだ。なので歴史の謎を追いながら世界各地を回っていく小説を読みながらGoogle Earthで検索していく。言葉だけでなかなかイメージできない建造物や史跡をビジュアルで保管するようにしている。これで、このふたつ情報をリンクしていくことができる。 最近ではジェームズ・ロリンズ「 シグマフォースシリーズ 」を連続して読んでいる。アメリカが舞台ではあるが、世界中の遺跡、史跡を廻って謎を解き明かしていく。ダン・ブラウン「 ダ・ヴィンチ・コード 」などに似た感じだが、内容はそれらを上回るほど濃いので、無理には勧められない。 そうやって文字だけでなく立体的にイメージでき、頭の中で様々な想像を行ないながら本を読み進めることが可能になる。また、頻繁には行けないような旅行をしている気分にもなれる。海外の小説だったらなおさらだ。歴史の謎の世界旅行よろしく、僕は何処へだって訪れることができるのだ。 心が沈んでしまいそうなこんなときだからこそ、世の中の誰かを批

今こそ「ネバーギブアップ」。

昔からさまざまなTシャツを作ってきて思うのは、制作したときよりももっとあとで必要になる瞬間がかなり多いということ。しかしながら、時間とともに陳腐化していくものがいくつも存在している。デザインなんて栄枯盛衰。だからデザイナーさんって本当に凄いなといつも思ってしまう。 僕のなかでの最高傑作は「フランスで君と会いたい。」Tシャツだ。今も持っている方が多いかもしれない。ご存知”アキ”こと西澤明訓さんがフランスワールドカップ出場に向けて戦う日本代表に初選出されたことを祈念して作ったものだ。確か、1997年5月21日の国立競技場での日韓戦だった。 それ以外にも他クラブのサポーターの方から依頼されたものや、もちろん527のデザインも含めてよく作っていたなと思い出される。もうそのひとつひとつはデータも残っていないと思う(調べていないので何とも言えないが)。記録より記憶を大事にするタイプらしい行動(単にB型なだけ)。 昨日の ブログ で「サッカーショップ蹴球堂BASE店の在庫をすっからかんにしたい!」と書いたら、そのあとで何枚かのご注文を頂戴した。本当にありがたい話だ。その販売しているいくつかのデザインに、このブログの文末にいつも添えている「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」というものがある。 当然ながら横断幕などにも利用している僕らにとっては常套句のような存在だ。昨日アミーゴといろいろやり取りしている中で「ネバーギブアップ」の大事さを語り合っていたのだった。こんな時期だからこそ、このような事態だからこそ、この「ネバーギブアップ」の言葉が、胸に染みた。 僕はシンプルな言葉でシンプルに伝えるのが好きだ(単に喋り下手なだけ)。あの当時の「フランスで君と会いたい。」なんてフレーズを考えてしまうのは多分僕だけだ。まさに簡単だけど重みがある言葉づくり。だから今は「ネバーギブアップ」を胸に掲げて、常に前向きに戦いたいと思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

すっからかん、再び。

何を馬鹿なこと言ってるんだと怒られるかもしれない。今年はあの527からちょうど20年を迎える。現在検討中の新たな取り組み。まずは当時お世話になった方々に向けて報告をし始めた。まさに頭の中が「すっからかん」になったあの日。今では東京のスーパーでそのような状況になっている。 今朝、近所のスーパーに行ってみた。その時点で150人ほどの行列になっていた。マスクは全国的に入手が困難だが、東京では同じくらいトイレットペーパーが手に入らない。しかも昨日の小池都知事の発表が、消費者行動を更に助長したと思われる。紙類どころか食料品もすっからかんだった。 店舗側も買い占めができないような工夫がされているが、ひとり一品となると家族総出の様相もちらほら見られる。それらを横目に僕は普通に買い物をして帰ってきた。だいたい一個ずつ、ヨーグルトは毎日食べるので少し多めに(ヨーグルトはいかんと言われたがどうしても食べてしまう)。 この週末、東京都の繁華街は「すっからかん」になるのだろうか。本当は明日とある会食を予定していたが泣く泣くキャンセルした。お店には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。落ち着いたら絶対に行くとメッセージを入れたら「笑顔を忘れずコロナ退治」と返信が返ってきて、救われた。 「すっからかん」の日々はしばらく続く。首都ロックダウンが起こった日にゃどうなるのかと考えるだけで恐ろしい。食料はともかく(スーパー閉まったりしないよね)安定した生活を送りたい。ティッシュペーパー、トイレットペーパーは大事。こうなったら、大阪から送ってもらおうかな。 さて、多くのサイトでバナーなども切り替えていっているのでお気付きかもしれない。もう少しまとまってきたら公にしていきたい。サッカーショップ蹴球堂リスタート。まずは 蹴球堂BASE店 を「すっからかん」にできるようTシャツをお薦めしていく。ぜひお手伝いいただければ幸いである。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

走り続ける理由。存在する理由。

東京オリンピックは正式に一年程度の延長に合意して承認されたようだ。選手ファーストという言葉が出ていたようにこれからは、選手枠や年齢制限の問題、何より環境の準備なども含めて走り続けなければいけないのだろう。開催には多くの壁が存在すると思うが、応援したいと思う。 話は変わるがインターネットは本当に便利な道具だ。時間の壁、距離の壁、言語の壁などを越えていくことができる。僕自身かなり利用しているほうだとは思ってはいるものの、まだまだ可能性を活かしきれていないのも事実。さらなる向上を目指して精進していかなくてはならない。 特に、メッセンジャーというツールに頼ることがことさら多い。人見知りの口下手でトークが苦手な僕としては物凄く重宝している。今日もたくさんの方に向けて送信した。僕らはつながっていると認識する。会話の文化、電話文化、メール文化、メッセージ文化そしてチャット文化。 コミュニケーションには様々あり、そのひとつひとつはしっかりと「理由」が存在する。僕の座右の銘でもある「物事には全て理由がある」。意味のないものなどこの世には存在していないと自分なりに解釈している。なぜなら「意味がない」という言葉にもちゃんと意味は存在する。 言葉には言葉の存在理由があるように、サッカーショップ蹴球堂にも存在する理由、存在しなきゃいけない理由がたくさんある。長居に無いといけない理由もそのひとつ。そんな多くの理由が僕らを突き動かしている。まさにNEVER STOP,NEVER GIVE UPだ。そこに存在しているのだ。 周りから「セレッソ大阪が人生の一部だな」とよく言われる。少し訂正させていただく。「セレッソ大阪が身体の一部」が正確には当たっている。いや、もしかすると、僕らが「セレッソ大阪の一部」なのかもしれないと考えると、走り続けてしまう理由が見えてくるような感もある。 大小存在する理由を数えればきりがない。それでいいじゃないか。それで充分幸せだ。それでOKなのだ。そんなことを考えていたらまた何か沸々と湧き上がるものがある。まだまだやるべきことは残っている。吉本新喜劇的に言うと僕らは「止まると死ぬんじゃ」なのかもしれないな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

12年の「時」の重み。

やはりというか当然というか、今夏の東京オリンピックは一年程度延期の方向となりそうだ。これはなにも日本だけの問題ではない。直近の世論からみても仕方のない部分も多くあるのだと思う。今後の流れを考えてもディティールなどはともかく大枠だけでも早く決めてもらいたいものだ。 そんななかでも前に進み続けなければならない。サッカーショップ蹴球堂の準備をコツコツと実施していく。特に空中戦というかインターネットの世界はまさに主戦場だ。様々な趣向を凝らして手を打っていく。とは言ってももちろん承認などが遅れるのは必至だ。地道にじっくり対応する。 蹴球堂の過去の写真などを眺めてみる。店内を様子を見ているだけでも、11坪程度の店舗にかなり詰め込んでいたのが見て取れる。12年という「時」の重みなのだろうなとしみじみ感じている。一日一日をしっかりと生きていくことを積み重ねた結果に対してのこの状況だと思うと感慨深い。 長居店は度重なる水害で非常に厳しい環境下だった。それでも長く続けるのは大事なことであり大変なことなのだと改めて実感している。東京オリンピックも長い時間をかけて準備されてきたと思うと胸が痛いのも事実だ。僕ら日本人はこれから一年という「時」の重要さを噛みしめていく。 まだまだ全国で余談を許さない状態でもあるなかで、こんな内容を書くのはどうかとも思っている。しかし気持ちを高めるでもなく、また、落ち込むこともなく。常に自然体で戦っていくのが多分僕ららしい。時間は少しずつ、そして、それは確実に進んでいく。信じて未来に向かうだけだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

蹴球堂にも昭和のシンプルさを。

今週くらいからサッカーショップ蹴球堂Re:Startについて作業を急ピッチに行なっている。細かなところはまだだとしても、大枠については近々に案内できるかもしれない(あくまでも仮)。フェイスブックページやツイッターなどのSNSを中心に適宜(適当に)確認いただければ幸いに思う。 「100日後に死ぬワニ」なる四コマ漫画が流行っていると聞いて読み始めたのが死ぬまで一週間を切った頃だった。どうも世の中のトレンドについていくことに疎い。残念なのかありがたい話なのかはとんと判断がつかないが、時代の波に乗れず、未だ昭和の幻影を追い続けている身でもある。 何故だか昭和という年号に愛着を感じる自分がいる。昭和生まれであり、子供の頃遊び回った山の名前は「昭和山」だった。それ以外に僕と昭和を結びつける要素は無いに等しいのだが、会話の端々に昭和の臭いを感じさせようとしてしまう。年齢からくるノスタルジーとも言えるのだろう。 さてこのワニの漫画。何が良いのかと言われるとなかなか答えられないくらいのシンプルさがある。そのシンプルさの内側に潜む「侘しさ」や「虚しさ」というものに人は惹かれてしまうのだろうな。そんなことを思いつつ第一話からずっと読み続け、ようやく先日100日後を迎えたのだった。 確かに炎上の話題などを見ていると様々な憶測が浮かんできたりする。だが、漫画としては非常に読みやすく分かりやすい。子供の頃に漫画家を目指していた僕としてはそう感じた。僕がよく書いていた「やさいマン」に近いくらいのこのシンプルさ(一緒にすな)。なんだか心地よかった。 ちょうど読んでいる書籍もビジネス本ながら四コマ漫画が主体で、非常に分かりやすく構成されている。すべてをシンプルに四コマで表現させる(ワニの最後は長かったが)。まさに起承転結の大事さがここに凝縮される。漫画の世界で僕が学んだこのシンプルさを今こそ活かすときだろう。 話を戻して蹴球堂のこと。長居駅前の店舗と比べると素晴らしい「昭和のシンプルさ」をしっかりと表現できると思っている。昭和に生を受けた人間の”悪あがき”ともいえるノスタルジックな空間。これからどのように魅せていくか、アミーゴと共に創り上げていく。答えは100日後くらいだ。 ・・・まあ、死にはしないが。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※写

普段通りの生活。

ヨーロッパにおけるコロナウイルスの猛威。ドイツ、メルケル首相が行なったテレビスピーチ。その翻訳を読んだ。内容から本当に厳しい状況が続いていることを感じる。日本もクラスターやオーバーシュートが起こってもおかしくない。ひとりひとりのマインドが大事なのだなと感じた。 ふと気になってクロアチアのアミーゴにメッセージを送ってみる。大変な状況ではあるが家族を含めてまだ大丈夫だとの返信をもらう。僕はホッとすると同時にまだまだ余談を許さないなと思っていたら、次は地震だ。神はいつも僕らに試練を課す。ただ僕らはいつも乗り越えてきている。 スーパーマーケットに行く。トイレットペーパーは無い。ティッシュペーパーが若干残っている。僕はひとつだけ手に取りレジに向かう。必要な量を必要な時に買う。僕はそれでいい。手洗いうがいも普段から実施している。だから多めに行なう必要性もない。今まで通りの生活を続ける。 あと一週間経つと毎年同様に四月がスタートする。新たな一年。新たな環境を迎える方ももちろんいるだろう。普段通りの生活は難しいかも知れない。だけど普段通りに生活しようと考えることはできるはず。やはりマインドは大切だ。サッカーが普段通りにやってくる週末が待ち遠しい。 僕は愛犬クロヱから「普段通り」を学んでいる。どんな出来事があってもご飯を食べ散歩に行きトイレをする。変わらぬ生活に努めている。動物と生活するとそのような恩恵も得られる。ニュースで見たのだが、巷ではレンタル動物もサービスとして存在しているらしい。分かる気がする。 それにしてもザグレブは本当に大丈夫だろうか。新型コロナウイルスで混乱しているうえにこの地震では、普段通りの生活が一変していると思う。教会が倒壊したとのニュースもちらほらと流れてくる。またいつか訪れたいと思っていたので美しいあの街の状況が非常に気になってしまう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

桜の季節は待ってはくれない。

日当たりに左右されるが、神田川沿いの桜もかなり咲いてきた。年々満開の季節が早くなっている気がする。中野区に越してきてほぼ一年。本所、浅草の桜とは違う中野の桜を見て、またひと味違った感覚を得る。とは言え散りゆくさまはどの桜も皆同じだ。そんな儚さに毎年心を打たれる。 そういや、この三日間はこの桜を見てきたクロヱの散歩と多少の買い物以外で外出していないことに気付く。今日も経費の整理やらを行ないながら、我が家の居心地なんてものを楽しんでみる。来週はこじんまりな懇親会なども入っているので、多少は外の空気を味わうことができるだろう。 そして蹴球堂関連も引き続きさまざまな作業に勤しむ。 ULTRASスタンプ も セレ女スタンプ もまだまだ購入してくださる方々が多い。本当に嬉しい限りだ。新たなアイデアを考えていきたいと思ってはいるものの春の陽気に誘われてボーッとしてしまうこともしばしば。気持ちを入れ直さねば。 それにしても外は外でことさら暑い。太陽が赫赫明明としていて気持ち良いのは確かだが、寒いのにも暑いのにも順応性の低い僕としては耐えられないこともしばしば。そういや選手たちもこの時期には公式戦を積み重ねて寒暖の変化に合わせていくものだが今年はそうもいかないようだ。 ニュースを見ていたら今年のJリーグは降格するクラブが無しとなったらしい。それはそれで決め事でもあるので異論はなく、それ以上に感じるのはシーズン終盤を迎えた頃の下位クラブのモチベーションがどうかということ。良いことや悪いことには対処できるが中途半端は非常に良くない。 自分自身にも言える。中途半端になっている事柄が僕にもある。デザイン、書き物などなど、これを機にリスタートしていこうかと思っているがどうなることやらだ。そう。今年こそは菊が咲く頃までに書きあげたい物語もある。そう、桜の季節は待ってはくれない。なんか競馬のようやな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ゲームのように人生を。

Jリーグの無い三連休はまるでドラクエのレベル上げ作業のようだ。時間を無駄にしてしまう感覚が延々と続いている気がする(別に揶揄しているわけではない。ブックカバーにするほど僕は大ファンだ)。まあ、そんなフリーな時間が存在するよしもなく仕事に明け暮れているのだけれど。 このような状況でもあるので世界はともかく日本国内ですらあまり行けていないのが少々寂しい。とにかく生活が城と我が家の行ったり来たりになりつつあり、たまには洞窟や塔そして宿屋を訪れたくなってくる。確かに人が言うように、平気を保つのが難しくなってきているのも事実だ。 そんなことを考えていても埒があかないので、仕事の合間にウイイレでも行なってみる。当然クラブはセレッソ大阪一択。それほど上手いわけでもないがかなりやり込んでいるので、うちの選手も結構な人数が加入している。なんとか頑張って全員のレベルを上げる努力をしているところ。 思えば昔からフォーメーションサッカーとかJリーグプライムステージとか、サッカーゲームにはハマっていた。ゲーム機と呼ばれる代物はとうの昔に我が家から無くなっている。だがスマートフォンやタブレットに取って代わっても楽しいものはやはり楽しいのだ。いくら歳を取ろうとも。 かの太宰治先生は言った。「趣味というものは、むずかしいものでしてね。千の嫌悪から一つの趣味が生れるんです。趣味の無いやつには、だから嫌悪も無いんです。」。そうか、嫌悪は・・・それほどないのだけれど(笑)セレッソ大阪はもう趣味の域をとうの昔に越えてしまっている。 どんなときでもどんな場所でも何があってもセレッソ大阪との縁は深い。今アミーゴたちとパーティを組んで様々な手を打っている。それぞれの能力を活かして事に当たるのも考えてみればドラクエ感覚だ。僕らはゲームに育てられ、ゲームのように人生をなぞらえているのかも知れない。 それでも良いんじゃないかと僕は思う。ゲームは僕らのバイブルのようなものだ。教わることもたくさんある。だからもっとゲームを楽しんでいい(できれば課金せずに楽しみたい)。ただ僕らには必ず帰る場所がある。翌日の朝が来る頃には多分ヒットポイントも回復しているのだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

蹴球堂、リスタート、始める。

「蹴球堂はこれからどうなるんですか?」とよく言われる。逆に僕らが聞きたいくらいに色々と悩みながら検討を繰り返している。今はネットショップでのビジネスを中心にしているが、本来僕らが目指していたのは、ふとしたときに集うことができるセレッソファンの場を提供すること。 サッカーショップ蹴球堂長居店はまさにそんな場所だった。試合前には今日のゲームがどうなるのかを話したくて立ち寄り、試合後は映像を見ながら結果について振り返りつつ悲喜こもごも語り合う。いや、試合の日だけじゃない。セレッソ大阪をいつでも感じられるそんな場所が必要だ。 当時はセレッソ大阪のネットショップが充実していなかった。長居周辺にはオフィシャルグッズが買える場所もないうえに、試合当日はスタジアムのグッズ売り場が混雑するという状況が続いていた。そういう経緯もあり猫の額ほどの店舗にたくさんの方が来てくださったことを思い出す。 ロスロボス駒川店が閉店する際「グッズ販売を受け継いでもらえないか」とクラブからお願いをされて始めたオフィシャルグッズの販売。これからは長居公園内にオフィシャルショップができる予定でもある。セレッソ大阪との約束。だからもともとこれは僕らのテリトリーではないのだ。 僕らの持ち合わせるアイテムは「人」だ。人の心なのだ。これだけは昔から一切何も変わっていない。僭越ながら僕らから触発された多くの「セレッソファンのため」の店が長居周辺にも生まれ始めている。彼らの活躍を見ていると、リスタートを意識せざるを得ないことに気付かされる。 新しいステージがこれから始まる。サッカーショップ蹴球堂が誕生したのが「長居の悲劇」の6年後である2006年5月27日。今年はあの日からちょうど20年の節目の年。新たな蹴球堂のありかたを模索して、そして僕は少しだけ気付いた。アミーゴがいる。集う場所がある。イバも、動く。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

歴史の面白さに触れる。

改めてここで書くと「しつこいなあ」と思われるだろう。学問の中でもとにかく歴史が僕は好きだ。特に日本の幕末明治という動乱の時代に心惹かれる。子供の頃にそれほど好きだったかと言われると中の上くらいだった感もある。しかし大人になるにつれ教養が高まり(?)今に至っている。 だが周りの方と話していてもこの歴史に興味の無い方が非常に多いことにも気付く。当然歴史とは左から右へ流れる事象を見聞きするのがオーソドックスな学びだ。もっと平たく言うと起こったことをただひたすら暗記するだけの単純なお仕事。まあひとことで言うと”面白くない”のだそうだ。 「過去なんてどうでもいい」「今だけなんとかなればそれでいい」「縄文知ってどうなんのよ」と終末論的に考えている方ばかりでは決してないだろうが、確かに淡々と流れる歴史の勉強は僕も退屈だ。だから僕も子供時代にはその程度の好きさ加減しか持ち合わせていなかったような気もする。 その理由として「歴史を”点”で考えてしまうところにある」と僕は思っている。例えば幕末の動乱を「1854年、黒船」「1867年、大政奉還」「1868年、戊辰戦争」なんて単位で見てしまうとまったく面白くない。なぜ面白くないか。そこには「Why?(なんで?)が決定的に欠けているからなのだ。 「Why?」は引き金とも言う。何故黒船は来たのか。何故将軍徳川慶喜は大政奉還したのか。何故戊辰戦争は起こってしまったのか。様々な論点はあるものの共通して言えるのは「起こるべくして起こった」ということだ。その前後の背景を見ていくのが、たまらなく面白いと感じてしまうのだ。 セレッソ大阪の歴史も”点”として捉えてしまうと言うほど面白くない(いや一部の方には楽しいコンテンツかも)。起こった事実に対し前後に発生した”点”と”点”をつないで線にしてみると見え方が180度変わってしまうこともある。歴史はまるでメビウスの環のように「てれこ」になって繰り返す。 例えば僕らがよく口にする「2000年5月27日」。涙に濡れた一日を点として捉えると「優勝に近づいたが最後はVゴールで負ける(Vゴールを知らない世代もいるのかな)」とひとことで終わってしまう。だがこの日を迎えるまでの一週間を振り返ると、それこそ実に負ける要素がたっぷりなのだ。 その記録が僕のEvernoteに存在しており、時折、戒

抗いがたく予測困難な時代のサポーターの生き方。

出歩くことも減ったので本を読む時間が圧倒的に増えている。ビジネス書から小説、絵本や漫画も含めて次々に読了していく。その中でもより多く読んでいるのがマインドセットに関する書籍だ。特にレゴ®シリアスプレイ®と密接している「VUCAの時代を乗り越える」ものを意識している。 VUCAとは、Volatility(変動)Uncertainty(不確実)Complexity(複雑)Ambiguity(曖昧)からなる造語。まさに予測困難な時代認識からくる言葉だ。今まで当たり前に行なえていたことがある日突然当たり前で無くなる。そのような事態に直面した世の中をどのように生きていくのか。 セレッソ大阪もまさに予測するのが難しいクラブと言われる。サッカーだからある程度カオスも仕方ないのだがそれでもどう考えてもあり得ないような場面に遭遇したのが数多くある。振り回されたと他人行儀に言うつもりは毛頭ないがサポーターもあっちこっちに行く羽目になっていった。 1995年。僕らにとっての初めてのJリーグは長居第二陸上競技場から始まった。前年のJFLではメインスタジアムでの応援がメインだったが、このシーズンからバックスタンドとゴール裏へと移っていった。この過程でも様々な出来事が起こった。今では良い思い出でもある( ブログ参照 )。 その結果(今では不祥事以外では想像できないと思うが)「ゴール裏では太鼓を叩くことができない」という、うちでしか無さそうな”異例のルール”ができあがった。良い意味でみんな真剣でみんな不安定でみんな自我を持って生きていたのだなと感じてしまう。そんな一年を過ごしていた。 逆にそのような状況のおかげで、より人間関係が深まったという副作用(と言うのか?)があったのも事実。逆境(というほどのことでもないが)の中から学ぶものはとても多い。僕はちょうど今の半分の24〜25歳。とにかく若気の至りで、多くの方へ迷惑をたくさんかけた頃でもあった。 とは言え、それでもまだ予測が容易な時代でもあり余裕もあった。だが今は若い方々にとって非常に難しい時代だ。常に変動し不確実かつ複雑で曖昧な状況は、何事にも代えられないストレスとなる。抗いがたく予測困難なこの時代を乗り越えるマインドセットが必要だと僕は思っている。 想定していたことが想定どおりに動かないだけならまだ施しようがあるか

失敗を継続して得られるもの。

スポーツには勝ち負けが存在する。サッカーの場合。その試合に勝てば3点、引き分ければ1点、負けたらもちろん入らない。シーズン通してこの勝ち点が少なければ残念ながら降格の憂き目に会う。当然だがより上のリーグで戦い続けることが、サポーターにとってのモチベーションになる。 セレッソ大阪はそんな憂き目に三度出会った。2001年、2006年そして2014年だ。降格した試合のほぼすべてが大敗とも呼べる。なかなかうちみたいな毎回こんな気分にさせてくれるクラブも珍しい。とは言えこの3つのシーズンでサポーターが戦えていたかというと、そこも多少疑問符が付く。 少なくとも2001年は課題の多い一年だった。前年ファーストステージの優勝争いがあたかも自分たちの実力のように受け止めてしまい、すっかりとセカンドステージのことを忘れたままシーズンに入ってしまっていた。その結果、8連敗を喫し、降格の日まで5勝しかできなかったのだった。 2000年のセカンドステージから2001年にかけては、ゴール裏と屋根下の関係などを含め、この先どのように進んでいくべきなのかというセレッソ大阪サポーターにとって様々考える時間だったような気がする。試行錯誤を繰り返しながら、僕らサポーターはこの不安定な時期を戦っていた。 人数も非常に少なかった。そのなかで僕らのスタジアムをどのように盛り上げていくのか。たとえかませ犬だったとしても常に走り続けるしか無かったわけだ。試合はなかなか勝てなかったし僕らも失敗を重ねてはいたが、少しずつ分かってきたこともあった。やはり大事なのは継続だ。 人はどうしても成功したいとか成長すると考えるときには、どうしても一足飛びに考えてしまいがちだ。しかしながら紆余曲折しながら歩んできた道のおかげでふたつのタイトルを取れたと考えることもできる。そういう意味からして長い目で見たら、全部が「正解」なのだろうとも思う。 ゴール裏を埋めるまでサポーターが増えている今。さほど新たな動きを必要とされているわけでもない。良くも悪くも今のままのパフォーマンスで満たされているようにも見て取れる。だが「20年も経っているのだからあの頃と比べてはいけない」と言ってしまって本当に良いのだろうか。 何事も1を100にするよりゼロイチが難しい。何も無いところから創りあげる。今の彼らには是非とも経験してほ

正しい解釈と判断、選手との距離感。

これは本当に効いているようだ。この雨上がりの晴れの中を歩いても、鼻の痒さがほとんど来ていない。一番ありがたいのは集中力が保てること。デシジョンというほどのものでも無いが、涙目で鼻水をすすって状況ではあり得なかった、すべての面において正しい判断を下せそうな予感だ。 鼻水同様、感情が先走ってしまうときに間違った判断や解釈、いざこざも起こりやすい。特に愛するクラブが勝てない時期を迎えたりするととかくそうなりがちだ。だが怒りの矛先がただ勝ち負けだけに向けていてはサポーターはいけないのだとも思う。とても難しい問題でもあるのだれど。 何十年もセレッソ大阪を応援してきてはいるが未だに「選手は戦っているか、戦うべきところで戦えているか」の境目は正直難しい。明らかに目に見えるレベルなら良い。だが一試合通して一人の選手がボールを持つ時間など3分に満たない。ほんの一瞬のシーンで判断することなどできない。 同じようなことを以前放送された「ロストフの14秒」というドキュメントでも数名の選手が語っていた。問題の、長谷部誠選手が香川真司選手にぶつけてしまったあのシーン。延長戦含めて素晴らしい戦いを見せた試合で、少なくともあの瞬間だけは気が抜けてしまっていたと僕には見えた。 サッカーは「どちらが多くゴールを決める」以前に「どちらが多くミスをするか」を競うスポーツだ。そのミスを少しでも減らすため、問題を見つければその場で選手に伝え、試合後に選手に伝える必要がある。リーダーのコールを待っていて、それが行えるはずもない、と個人的には思う。 試合をちゃんと見ておく。しっかり見て判断していく必要性がある。その上でこそ選手たちと向き合わないといけない。おそらく、このベルギー戦をロストフアリーナで観戦していたサポーターの一部は、気が抜けた瞬間、チャントの途中だろうがなんだろうが声を張り上げていたのだろう。 クラブが試合を開催し選手たちがフィールドで戦う。サポーターは応援する・・・だけでなく選手とともに戦う。選手のミスはサポーターが拾い、サポーターのミスを選手がカバーしてくれる。そんなサッカー文化を生み出したいと考えていた。時代は進んだとしても流れは確実に来ている。 その大事さを強く感じたのが、1997年に鳥取市営バードスタジアムで行なわれた京都パープルサンガとの公式戦だった。申し訳な

元旦の国立。浮足立つ。

ようやくヨーロッパチャンピオンズリーグのラウンド16ファーストレグ&セカンドレグの一部を見た(といってもハイライト)。もちろんのことながら無観客試合もいくつか存在はした。だが、順当も波乱も織り交ぜながら、すべての試合が熱い戦いであり素晴らしいプレーの連続でもあった。 サポーターの暴動や災害での中断や延期はあったものの、疫病によってこのような事態になるのは僕も体験したことがない。特にセレッソ大阪の話に限ってみれば、これだけ長く公式戦が無いシーズンは無かったと記憶している。2011年の震災の際も、リーグは中断したがACLは戦っていた。 それは9年前の話なのにかなり昔のように感じる。対して神戸の震災はというと実に25年だ。この1995年、セレッソ大阪はJリーグで初めて戦うことになっていた。その三週間前にはJFLでありながら旧国立競技場で天皇杯ファイナルを戦っていた。悲喜こもごも非常に感慨深い年だったと思う。 いたるところで話をしているのだが、ベルマーレ平塚とのファイナルは2000年5月27日の”あの試合”同様に、僕の心の中に大きなインパクトを残している。今風の言い方をするとまさに「テンパっていた」ということだろう。それだけサポーターという存在に甘え、そして浮足立ってようだ。 そう。僕らはサポーターの”はず”だった。なのに、そのサポーターがやらなくちゃならない「選手の足が止まるとき、その一足を出させないといけないとき」に。選手を勇気付けるという行為を僕らは忘れてしまった。要するに、元旦の決勝に国立にいることで、既に満足してしまっていた。 この大会。ヴェルディ川崎に勝ち、浦和レッズに勝ち、横浜マリノスに勝ったとはいえ(勝ちに不思議の勝ちあり)、クラブも選手もサポーターも実力が伴っていないうえに、こんな状況では当然勝負にならない(負けに不思議の負けなし)。50歳を前にしても頭をぐるぐると回っている。 現在では実力もありJリーグのなかでも優勝を狙えるクラブになった。いま、応援の力がどう効果を生むのか僕には判断できない。しかし1995年のセレッソ大阪にはとても大事で必要なファクターだった。大事で必要であるにも関わらずそこを怠ってしまった罪をこれからも背負っていくのだ。 今日は何とかなったが「セレッソ大阪サポーターの歴史につ

セレッソ大阪サポーターの歴史の話でもしようかなと。

Jリーグが3月に開催予定していたすべての試合を延期すると発表した。苦渋の決断でもあるし理解もできる。この状況で数万人規模のイベントは難しい。どのような日程になるのか。全試合を消化することが可能なのか。沈静化すらしていないなかでまだまだ余談を許さない時間が続いていく。 もちろん大人数の飲み会などというものも中止になっていく。今日も元々予定が入っていたのだが数日前に連絡が来た。まあ当然のことだろう。少しでも集団感染の危険性を回避できるよう、日本にいる全員が意識を高く持ってことに当たらないといけない、と改めて感じている次第でもある。 意識を高く、で少し思い出したことがある。とある事情で歴史を整理する仕事をしているのだがこれが結構骨が折れる。実施当時はそんなふうに何かを残していくことの意識がとてつもなく低く、あとに残された者に託された頃にはかなり大変な状況にもなる。企業などでは実によくある話だ。 多分サポーターもそうだ。Jリーグの各クラブでも「脈々と受け継がれる」ケースと、「そのもの自体取って代わられる」ケースの両方が存在している。国家の事例と比べる気などさらさら無いのだが、世界の中で日本という国の歴史がここまで続いてきたという話と、どこか似ている気がする。 セレッソ大阪のサポーターの歴史をまとめるのはそれほど難しく感じない。たとえゴール裏にいるメンバーが代替わりしていこうと「脈々と受け継がれ」ているのだろう。それは未だI4にいる古参のサポーターの方のおかげでもあるし、受け止める若い方々のおかげでもある。それこそが凄い。 そして、若い方々にはもっとセレッソ大阪サポーターの歴史を知ってもらいたいし、逆に僕らは意識を高く持ち、それらを伝えていかなければならない。そんなことを毎日のように考えている。落ち着いた頃に話をする機会を設けたい。その頃にはきっと格好の場所ができあがっているはずだ。 僕らのJリーグの火を灯し続けたいと思う。明日からは枠が許す限り(というか自分の裁量やろうが)歴史の話を多く取り入れていきたいなとも思う。ちょっと老害に近い状況を生み出すかも知れないが、それも歴史の一部だと思って受け止めてくれれば幸いである。さていつまで続くのやら。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

直感と感性の「何となく」。

いろいろなことが起き過ぎていてなかなか気付かずにいた。先日打った花粉症の注射が何となく効いている気がする。My妻からの「そう思った。なんでかと言うとゴミ箱のティッシュのボリュームで分かる」と言われ、おおなるほど。何となく、ではなく定量的に判断しているところが凄い。 定量的判断や論理的思考は若い頃からかなり勉強してきた。数字の計算能力や問題解決能力といった手法によってその恩恵をいただいてきたのも事実だ。こんな不確実性の高い時代へと変貌し、答えを見つけにくい世の中になった今だからこそ「何となく」のパワーを利用していきたいのだ。 僕らはかなりこの「何となく」で生きているにも関わらず、ビジネスになった途端に定量的判断をしがちである。直感や感性という言葉が横に置かれてしまう。すべての物事が論理的思考だけで解決するのであれば、なぜ、こんなに辛い思いがいっぱい振りかかってくるのかと思いたくなる。 そうなると、どうしても「今この瞬間」のことだけを考えてしまいがちだ。目の前で起こるできごとに左右されて、誰かに定められた回答にだけ、ただ黙々と向かうだけの道筋を考えるだけになってしまう。考えているのに思っているのに。それらを言語化しようとすると重圧がのしかかる。 ときには「何となく素敵だなと思いました」「なんか格好良いかなと感じました」「とにかくぱっと見で凄いと思った」という時間があっても良いと僕は思う。直感と感性を全面に出しての対話が今の時代に不要ではないと感じるのは僕だけでは無いはず。「今思った」ことで話し合うのだ。 レゴブロックはそのためのツールであり、レゴ®シリアスプレイ®はそのためのメソッドである。そしてファシリテーターは文字通りその場を「活かす」のだ。この「何となく」を引き出して、言語化するお手伝いができるのは、今、世界に数多く存在する認定ファシリテーターなのだと言える。 このカオスの世で、スタッフの直感や感性を引き出せないうちから新たな取り組みを期待しても難しいと言えるだろう。そんな定量的で論理的になりがちな企業や組織にとって、レゴブロックは最高のツールでレゴ®シリアスプレイ®は最高のメソッドだと確信している。いち早く気付くべきだ。 それにしても家族というものは「定性的と定量的」「論理的と直感的」を双方併せ持って生きていく必要があるのだと改

2020年3月11日に想う。

まずは東日本大震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈りすると同時に、被災されました方々に心よりお見舞いを申し上げます。 ー 毎年この日に思い出してしまうことがある。あの3月11日に家まで三時間かけて歩いて帰った道。震災後に訪れた街が、街として呼吸していなかったように感じた光景。神戸やボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボなども見てきたが、どれとも違う姿。それがはっきりと脳裏に焼き付いている。 「鎮魂」と言葉で表すのはとても簡単である。こんな、行事的にしか書くことができない(いや気持ちは常にあるのだが)ようではいけないと自分自身も罪の意識に苛まれる。9年が経過した今でも苦労されている方々が未だ多く、継続して支援されてる方々もいるなかで自分はどうなのかと。 良い行ないとか悪い行ないとかってなんだろう。悪の反対側が必ずしも正だけということはない。災害が起こるたびに僕は毎回そんな思いを抱いてしまう。そして、いつまでも覚えていることと記憶から消したいと願うことは、その人その人の気持ちによって、捉え方もまったく違ってくる。 何が良くて何が悪いかなんて、こんなちっぽけな僕に判断できるわけがない。それでも日々は続き、毎日何かが起こる可能性を考えて生きることはできる。人はみんな誰かに支えられ、誰かを支えて生きていくもの。今改めて、あのときの助け合いの気持ちを日本全体で持たないといけない。 翌朝。3月12日の東京スカイツリーはまだ建設中だったのだ。そんな他愛もないことにも気付かされた(Googleフォトというツールは実に素晴らしい)。9年という月日は僕の魂にさらなる変化をもたらすのだ。もしかすると足りないのは、マスクよりも電気よりも「強い心」なのかもしれない。 そういや、2011年シーズンも確か開幕戦のあとは延期や日程の調整などかなり大変だった。記録を見てみたら第2節は7月2日に行なわれていたのだな。国ができること、地域ができること、サッカーがスポーツができること。そして何より、自分自身が何をできるのか。今一度考えていきたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

セレッソの枯渇が身体に一番悪い。

こんな状況だから人に会うのもかなりお預けになっている。「飯食いながら話ししましょう」と約束していた20年以上の付き合いがあるセレッソ関連の某御方とも、結局先延ばしにしてしまった。じゃあ何時まで?と考えても今は仕方ない。まずはこの三月いっぱいを乗り越えていきたい。 先日注射を打ってもらったものの、未だ花粉症を持っている僕としてはこの時期マスク必須状態である。そんな理由もあってか、医療用マスクが枯渇している話を聞くと非常に辛い。インターネットでの転売禁止策もそうだができる限り医療関係者にマスクが回ってほしいなと思っている。 話は変わる。いやいや最近になって流行っているのだろうか。Youtubeチャンネルを立ち上げるアミーゴが実に多くなった。素敵だなと思うと同時に、毎日ブログネタですら枯渇してしまうの僕としては「とてもできないなあ」という、尊敬の念のフィットアンドギャップしか浮かばない。 クリエイティブな感性をお持ちの方にはやはり憧れてしまう。かなりな映画好きの僕としては、動くものを作れる技術というか才能というか。そういう、僕が到底辿り着けないものがとかく格好良く見える。インターネットやSNSで拝見するたびにある凡人はそんなことを考えているのだ。 だが凡人には凡人なりのプライドもある。長く続けることもそのひとつ。サッカーとの関係もその延長線上だろう。某御方と飯を食っても、多分そんな話になるんやろうなーと妄想が膨らんでいく。それほど悪くもない。今はすべてにおいて我慢の時だ。セレッソの枯渇が身体に一番悪い。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

時には「歩く速さ」で。

日々のニュースを見ているのが辛くなるくらいの内容だ。日本がどのようになっていくのか先行きも不安になりながら毎日を過ごす。そんななかでも少しでも勇気付けて、笑いを生んでいくのが大阪人のスピリット。僕らの代名詞でもある「This is OSAKA spirit」なのだろうな、まさに。 そんな日曜日にイラストを描いてみた。時間があるとすぐに落書きしてしまう性格を、今は大事にしている。そんな僕が好きなもの。ワンコと本。そして少しのフットボール。適当にササッと短時間で完成したこの「よみぱぐ」。なんだかちょっとずつだが愛着が湧いてきてしまうのだ。 適度に緊張感は持ったほうが良いが元来いい加減なのでこの「どうでもいい感」に癒やされてしまう。新たな取り組みを進めるにはそんな場当たり的な発想も時には必要なのだろう。早速ではあるが一個描いたものを使いまわしていく。僕は何処まで行ってもクリエイターにはなれない。 さあのんびり行こう。ゆったりと時を巡る時間旅行。走るばっかりじゃなく、時には「歩く速さ」で前に進んでみる。焦ることはない。それもいいだろう。そんなことを考えながらイラストを書くのにも飽きた。日の目を見ること、商品化などもっての外。ただここにあればそれで良い。 色んな方々から連絡をいただいている。また逆に色んな方に連絡もしている。送る。受ける。返事が無くても気にしない気にしない。時計の針もゆっくりと、だが一秒ずつ着実に前へと向かっている。最近はダッシュしたり歩いたり立ち止まったりの連続なのだ。それが実に人間らしい。 いや、人間らしいだけでなく「大阪人」らしいと言ってもいいのかもしれない。大阪人はセカセカしているだけでなく、じっくり待つこともできる国民性なのだ。そんなDNAを13年間忘れたこともない。いつの日か本拠地が大阪になったときは身も心も「歩く速さ」で生きているはずだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

脳味噌は考えることに使う。

私ごとではあるのだが自分のスマートフォン(Android)が危険な状態になった。最近、トリニティのNUANS NEO[Reloaded]のバッテリが膨張し始めて、モニタパネルが外れかかっている。おサイフケータイヘビーユーザーの僕としては壊れてしまう前に買い換える必要があると感じたのだった。 早速新宿まで出かけてビックロを訪れ衝動買いする。今回は「SHARP AQUOS sense3 SH-M12」にしてみようと思う。WAONやEdy、Suicaなどを機種変更していく。ほぼ苦労も必要とせず、サクサクと作業が進んでいく。iPhoneもそうだがスマートフォンの移行がどんどんと簡単になっていく。 言葉は悪いが、言ってしまえばこんなところで大事な時間を使っている場合ではない。それはビジネスの世界でも一緒だ。やらないといけないこととやらなくてよいこと。この整理が一番大切だ。特に、コンピュータに置き換え可能なルーティーンをどのように減らしていくのかが大事なのだ。 どうしても人は難しい業務から手を付けようとしてしまう。考えて、設計が難しいものは多分置き換えも困難になる。今すぐできて作業回数が多いものから進めるべきだが、そこは何故か見過ごされてしまうケースも多々ある。そんな場面も数多く見てきただけになんとかてあげたいと感じる。 そんなこんなでスマートフォンのリプレースが完了する。必要とした時間は電源を入れてからわずか一時間程度。そのうち何もしなくて機種変更が完了してしまうような時代がやってくるだろう。僕が生きているうちにそんな世界になったりしたらもっと自分の時間を作ることができるはずだ。 おサイフケータイに代表されるキャッシュレス決済について、様々打ち合わせをしていたのを思い出す。ショップで現金を出している時間が僕にはとても勿体なく感じる。脳味噌をフル回転しなければ生きていくのが難しくなっていくこの先、できるかぎり考えることに使えればと思っている。 雨だからか。くしゃみ、咳、鼻をかむ回数が極端に少なくなっていると感じている。もしかして注射の効果が出てきたのだろうか(いや、疑っているわけではないのだが)。これで少しでも頭の回転が早くなればありがたい。そう言えば今日、空いた時間でイラストを書いた。脳味噌が動いた。 NEVER STOP,NEVER GIVE U

セレッソ関連。ミーティング三昧。

名古屋、大阪と旅をしているあいだにJリーグが新たな方針を発表した。3月15日までとしていた延期のプランを、4月再開催まで延ばす可能性があるとのことだ。「僕らからJリーグを取ったら一体何が残るのか」と思ってしまう方々同士で、お互い肩を抱き合って慰め合う日々が続いている。 そんななか、来年から我がクラブが利用する予定の「桜スタジアム」建設状況を見に来てみた。メインスタンドが結構な出来っぷりだ。どのような完成図なのかあまり知らないくせに、偉そうにスタジアムについて語ってよいのかと自分自身も思ってしまうのは”らしさ”と受け取って欲しい。 さて、二日目の大阪も当然ながらミーティング三昧。気の合ったアミーゴたちと対話する日々は充実していて本当に楽しい。昔からそうだがセレッソ大阪に関する案件。次から次へと新しいアイデアが生まれていくのでいつまで経っても話が尽きない。今日はそんなことを改めて実感している。 なんでこんなに楽しいのだろうか。やっぱり何かを創り上げていく過程が僕は好きだ。既存の仕組みを取っ払った、まさに、今までにないもの、今までになかったもの、僕らじゃないとできないもの、僕らだからこそ面白いもの。そんなものが近々に生まれる予感がしているのは伊達ではない。 新たな取り組みなので内容はまだまだ明かせないのが非常に辛い。これからは少しずつでもオープンにしていけるだろうか。考えているだけじゃなく動いてみるのが一番。「案ずるより産むが易し」。しっかりと準備をして、皆さんにお伝えできるよう、今後も努力していきたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

何処にでも学ぶ機会はある。

名古屋から大阪に移動。一月以来。やはり大阪弁を聴くと心が休まる。あの粘っこい感じが僕の身体には合っているようだ。東京に出て13年という月日がそんな懐かしさを助長している気もする。どこまで行っても大阪の人間であると自覚すると共に、改めて東京での生活を意識させられる。 ここ数日で、実に色んな方と話してたくさんの刺激をもらっている。なんだか、ワークもライフもごっちゃにしている感もあるにはあるが、それでもそんな他愛もない話を肴に飲むのが楽しい(とは言いながら今日二本くらい注射を打ったのでアルコールを摂取できない身体だったのだが)。 そのなかで僕は突拍子も無いようなことや理想を語る。技術論やマインド、未来の話諸々含めて、肯定的に見てくれている方とそうでない方がいるのも事実だ。現実との狭間に生きていると、どうしても未来をイメージするというフェーズに入ることができなくなってしまう方々も存在する。 新しく何かを行なおうとするとどうしてもバイアスがかかってしまうのは仕方ない。大事なのはやり続ける決意だと僕は思っている。自分の信念を貫くという実にシンプルなものなのだろう。どなたかも「失敗とは成功する前に止めてしまうこと」たと語っている。まさに継続は力なり、だ。 今日注射を打ってもらったクリニックの先生と雑談している際、「これが良いと思って長年やってきた」という言葉を聴いた。多分、成功したと考えているとは到底思えないような笑顔でもあった。いや、いつも書いているが、何処にでも学ぶ機会はあるものだ。明日もそんな日になるはず。 これからも僕は言葉を創り続けていく。更に多くの方々と語り合い、対話しながら新たなものを生み出していく。そしてそれが必ずや成功に向かっていると信じて前に進む。良いこともそうでないことも起こり得るこの世界で、伝え続ける意味や意義を感じていきたいと切に願ってやまない。 注射を打ったところが実は今もヒリヒリと痛いのだ。しかし、この痛みが、次の成功を連れてくるのかと考えるとあながち不必要でも無いようだ。物事にはすべて理由がある。この数日で僕は生まれ変われるはず。眠れないほど痛いわけではないので、そう信じながら眠りにつきたいと思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

久し振りの名古屋。

福岡から戻って一日明けて、今、名古屋にいる。僕の場合、新型コロナウイルス騒ぎの前から、オフィスは日本全国になっている。モバイルPCとスマートフォンさえあればなんとかなる。今は全然行けないのだがそれは海外でも一緒だ。かなり便利な世の中になったなととても感じている。 早速矢場とんで鉄板ヒレカツを食べる。超久々過ぎて味すら覚えちゃいないのだがやはり美味い。名古屋に来るとどうしても食べ過ぎてしまう。その昔、世界の山ちゃんで手羽先50人前を頼んで、店員さんにビックリされたのを思い出す。若かりし頃の思い出としては少々生々しい内容だ。 名古屋と言うとやはり名古屋グランパス。僕のイメージだが、スタジアムで見た試合で勝ったためしが殆どない。実のところ豊田スタジアムに訪れたことが無いのも残念でならない。東京からも大阪からも行きやすい位置である名古屋なのになかなか来る機会が少ないのも考えものだろう。 Googleフォトのアルバムを探してみても、2001年の名古屋市瑞穂公園陸上競技場(今はパロマ瑞穂スタジアムと呼ぶのか)の写真が最後だ。セレッソ大阪サポーターを名乗ってよいのかと文句を言われるレベル。しかもこの年はJ2へと降格した。もう何とも言い難い疫病神の本領発揮なのか。 よし、今年こそは名古屋での試合を見るぞ!と思い立って日程を見てみたらなんと最終節なのか。流石にその頃には延期も無いだろう。今から完璧に予約入れておくしかないかもしれない。と、そんな口約束に乗る人もいないだろうが、もしその場にいたら世界の山ちゃんに誘って欲しい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

サブスクリプションは天使か悪魔か。

このような事態になって興行やイベントが中止に追い込まれている。そのなかでも、もしかして一番割を食っているのは芸能関連だろうか。コンサートや舞台が延期や自粛ムードに満ちあふれている上に、ライブハウスで感染者が出るなどのニュースが拍車をかけてしまっている感がある。 流石に無観客で行なうわけにもいかないのではないかと僕なんかは思ってしまう。しかしながら路上ライブはいつもそんな状態なのかな、とか考えたり。僕にはこの方向の才能がまったく無いので分からないけれど、自分自身を安売りしないよう常に意識しているところにプロ魂を感じる。 最近、アマゾンプライムミュージックに大物アーティストが曲を提供していたりしているようだ。先日も見ていたらなんとaikoさんの楽曲が含まれていることに気付いた。音楽配信には消極的なイメージもあった。時代の波もそうだろうが、やはりサブスクリプションへの流れになるのか。 利用期間や利用時間、その利用量に応じて料金を支払うというビジネスモデルであるサブスクリプション。いまどんな業界でもこのキーワードで埋め尽くされようとしているのだろうか。Jリーグを見るためのDAZNなどは良い例だ(さて、Jリーグが見れない今、課金はどうなるのかな?)。 飲食店などでは試行錯誤を繰り返しているし、売る側買う側双方でも様々課題があることも分かってきている。金銭的価値だけで考えると意外と損している感もあるこのサブスクリプション。しかしながら諸々のトータルコストでものごとを考えてみると、また違った見え方がするものだ。 DAZNサッカーではハイライト映像も準備されている。例えばまとまった時間を取れない方などには、フルタイムは必要ないのでハイライトだけ見放題、になった場合の料金体系の変動など。そんなビジネスモデルも視野には入っているだろう(当然視聴ログがあるのですぐに判別される)。 加入しやすく離れやすいのも特徴だ。なので、サービス提供元はお客様の動向やフィードバックに多くの工数を割くことにもなるだろう。ここにはAIなどの技術も用いられるだろうが、人の感情を微妙に読み取る「ヒトならでは」の部分もあるだろうし、働ける場所にもなるかもしれない。 はたしてサブスクリプションはこの世の中にとって天使なのかそれとも悪魔なのか。いずれにせよ早かれ遅かれほとんどのサービスが「

インターネットは大事。通信はもっと大事。

三月三日。桃の節句である。巷では休日に、という話題もあるようだ。よくよくインターネットなどで調べてみると桃の節句とは和名で、漢名でいうと「上巳(じょうし)」だとのこと。やっぱり色々と調べてみることでより知識を得られる。どこで役に立つのかは正直分からないが。 それにしてもインターネットは便利だ。知らない内容はインターネットで調べてみると大半が出てくる(とは言え昨日のような相当過去で誰得情報は別)。当然専門家の方ばかりではなく一般の冷やかし程度も存在するため、情報の取捨には苦労する。今、その整理に追われる毎日だ。 これから「5G」という高速通信も視野に入れさらにインターネットが活発になる。大容量データ通信が可能となることで様々なジャンルで可能性が広がる。今、プロ野球や東京ガールズコレクションなどでは無観客でのイベントを開催しているようだが、概念が変わってしまうだろう。 前述のビデオ会議などとは比べ物のならないくらいのパラダイムシフトが間違いなく起こる。自宅にいながらにして「まるでスタジアムの観客席にいるような」といった感覚ではなく「スタジアムで前後左右にファンがおり、四方八方からの声援」という臨場感を味わう日も相当近い。 そんな未来のためにも今のこのウイルス騒ぎが早く沈静化するよう祈っている。今週はまだ出張が続く。僕はよく身近の若者に問いを出す。「固定観念を除外したうえで、東京から大阪に最短で行く方法は何かを考えてみて欲しい」と。今一番欲しているもの。それはどこでもドアだ。 戻る。Wikipediaを見ると節句とは5つも存在する(人日(じんじつ)1月7日、上巳(じょうし)3月3日、端午(たんご)5月5日、七夕(しちせき)7月7日、重陽(ちょうよう)9月9日)ことを今知った。インターネットは大事。そして、それらを支える通信はもっと大事だなと感じる。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

1994年、福岡の記憶。

九州の福岡県に来ている。2020年に入ってまだ二ヶ月経ったところだが既に三度目だ。飯が美味いので良いのだが前の二回とはまったく違う空気感である。飛行機に乗るために訪れた羽田空港も人があまりいない。これは新型コロナウイルスの関係で外国人が少ないのはほぼ間違いないだろう。 福岡空港が綺麗になっているのはもう見飽きた。僕自身、なかなかプライベート旅行することが少なくなったなあとか思いながら、それでも来たからにはちょっとでもその街を味わって帰るのが僕の流儀・・・だが、それもやり切った感もある。今日も遅くまで仕事してやはり旅感覚ではない。 福岡と言えば博多の森だ。様々思い出があるこの地だが、最近、よく頭の中に浮かんでは消えるのが1994年の天皇杯。浦和レッズとの準々決勝。博多の森陸上競技場のほうだった記憶がある。しかしそれ以外の内容はほとんど僕には残っていないのだ。それが何故なのかはまったく分からない。 結局、ファイナルまで勝ち上がったあの天皇杯でこの試合だけ覚えていない理由を必死に探してみても、どうも情報に辿り着けない。脳裏に焼き付いているのは浦和レッズサポーターの姿。23,000人くらい入っていた(らしい)この試合。いつの日かどこかから、何かが降りてくるのだろうか。 当時にスマートフォンなどがあったならば、この記憶を留めておくことができただろう。そんな経緯もあり、今の僕は、どんなときでもパシャパシャ写真を撮ったりしている。いつか何も思い出せなくなったときに、ふとしたきっかけになるよう、これからもひたすら被写体を収め続けるのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

良質なソース。

Jリーグの無い週末。自宅から一歩も出ない(いやパグのクロヱさんの散歩には行くか)週末。サッカーファン誰しもが何度かの週末を同じ気持ちで迎えることになる。良い意味でリフレッシュしているサポーター。悶々と過ごしているサポーター。SNSを見ているとそれぞれ存在している。 その間にはオイルショックやら米騒動やらが起こっているようだ。たしかに昨日、近所のマーケットに行ったらすっからかんだった。なんでこんなことになっているのか、そのときまで気づいていない僕もどうかと思うが、それ以上に冷静に対応や対処していきたいと強く感じてしまった。 そうは言いながらTwitterなどをほとんど読んでいない僕のソース(情報源)はFeedlyに流れるブログやニュースだ。FeedlyとはRSSリーダーで、登録しているソースを自動巡回で収集してくれるアプリケーション。GoogleリーダーやLivedoorリーダーが無くなった今もう手放せないツールだ。 そのソースで こんな記事 を見つけた。塚本泰史さんと早川史哉選手の対談。特に塚本さんは、2010年3月のNACK5に僕もいたこともあって、とても気になっていた(実はあの試合かなり遅くなって大宮駅からタクシーに乗ったのだが、運転手さんがFC東京の森重真人選手のおじさんだった)。 まあ自分のことはさておいて。この対談記事のなかで非常に意識してしまったところがあったのだ。それが「「頑張れ」は正しい?間違い?」というフレーズだった。詳細はサイトの関係で割愛するがこの「頑張れ」という言葉には二種類の意味があるのだな、と今更ながら考えさせられた。 ファンやサポーターも試合中に何気なく使ってしまうこの「頑張れ」という言葉。そんなことを書いている僕も、仕事柄いろいろな場面で利用している。しかも反射的なのが大半だ。良い悪いだけを問わず、口にする瞬間瞬間でしっかり整理し、様々なことを考えていかなければならないな。 その2010年3月7日の大宮アルディージャ戦は0-3とまさに完敗だった。試合内容はともかくだ。クラブ、選手だけに留まらず、ファンやサポーターを含む大宮アルディージャの方々の物凄い気迫。それらを実に鮮明に覚えている。そう言えば友さんが亡くなったときのうちの試合もそうだった。 休みにはこういう記事を読むに限る。塚本さんはこの対談のなかでセレ