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12月, 2019の投稿を表示しています

「台風15号チャリティー」について。

今日大晦日。高校サッカー選手権を見るため横浜のニッパツ三ツ沢球技場へと行ってきた。勿論、来シーズンからセレッソ大阪に加入することとなった神戸弘陵学園の田平起也選手を見るためだ。非常に風が強く吹きボールが伸びる押し戻される試合だった。”風”は様々な場面に現れてくる。 ”風”というと、サッカーショップ蹴球堂でのチャリティーについて記しておきたい。9月よりBASE店にて実施をさせていただいた「台風15号により被害を受けた方々へのチャリティー」。本日現在までにお預かりしている支援金が、商品購入と手渡しにて頂戴した合計で31,500円となった。 支援金の一部は以前 書かせていただいた とおり、ブルーシート等の備品を「ジェフサポーター有志の会」を経由し千葉県山武市に向けて支援させていただいた。第二回も千葉県にと検討していたが、現在、セレッソ大阪OBとのチャリティーイベントにて利用させていただこうと考えている。 このチャリティーイベントについては調整中でもあり何とか実現させたいと考えている。しかし万が一開催が難しい場合には公的な支援団体へ全残額の寄付を予定している。本件については今後も継続して調整を進めていき、改めてこの駄ブログやWebサイトにて随時報告していくつもりだ。 また、蹴球堂BASE店に設置しているチャリティー商品については今をもって終了とさせていただきたいと思う。こんな表現方法に協力いただいた皆様には本当に感謝という言葉しか無い。僕らはほんの小さな”風”しか起こせなかったが、少しでも復興のお役に立てたのであれば幸いである。 何はともあれ、2019年中はサッカーショップ蹴球堂をご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。新商品の開発もままならず未だ実店舗すらも実現できておりませんが、スタッフ共々この先も努力し邁進してまいります。引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

2019年の大晦日に思う。

大晦日である。2019年は本当に激動の一年であった。今振り返ればよく年末を迎えられたものだと思えるほどの状況だったが、多くの方に支えられて無事にこの場所にいる。一言で表すならば「物事には全て理由がある」。僕の座右の銘でもあるこの言葉がしっくりくると感じている。 またこの一年間、サッカーショップ蹴球堂の新たな店舗場所について様々調査をしてきたが、遂に実現することもなく終わってしまった。”セレッソサポーターのセレッソサポーターによるセレッソサポーターのための”リアル店舗。僕らは未だ苦悩と葛藤の中で生きている気がしている。 そんな中、今年は例年以上に数多くの素晴らしい方々と出会いそしてたくさんの刺激も頂戴した。超絶鈍感なこの僕がその刺激の「真の意味」をしっかりと受け止められているかは不明だが、それでも、少しでも前に進む力として全身を駆け巡っているのではないかと思っているのだ。 早いものでもう五十路となる2020年。明日から始まる来年に向けてどのように目標を立てていくのか。元来いい加減な人間としては、それほど明確に何かを考えているわけでもない。家族が幸せで、セレッソ大阪が良い成績で、アミーゴに幸福が訪れてくれればそれで良いかとも思う。 ふたつほど訂正がある。僕のタスクアプリには「死ぬまでに必ず行きたいところ」というリストが存在する。詳細は割愛するが、2020年はここに現存する二十箇所のいくつかへ訪れることができればそれで良い。あと、できれば、生活できるだけのほんの僅かの買い物券と金属のコイン。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP We will always be here,ever. Remember, the Force will be with you, always.

「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その3>。

今回は講演会「サポーター・アイデンティティ~We will always be here,ever~」の講演終了後の質疑応答である。よくもまあこんな企画を考えたものだと、関係者の皆さんにはぜひ敬意を表したいと思う。ここもかなり高田純次氏並みの適当さが滲み出ているのを感じていただければ。 この年は何を隠そう2014年。スーパースターの獲得とアジアチャンピオンズリーグ。そしてご存知の通りシーズン終了後に三度目の降格を迎えるという一年。そのスタートがこんな講演で始まったことを心に留めておいてほしい。僕は無神論者だが、世の中を動かす何かは絶対に存在する。 (全て当時書き起こしていただいたママ) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ レポート【質疑応答】 Q.フォルラン獲得についてどう思いますか? →最初はどうせ嘘だと思いました。 1990年代にもバティストゥータやロマーリオが来るという噂がありました。 レネ監督の時代にシーフォがくるかもしれないとなったときに、来なかったので今回もそれだと思ったら本当でした。 ワールドカップ得点王でヨーロッパでも実績を出している。しかもかっこいいですね。 みなさんサインもらってください。 それぐらいです。 (司会) フォルランさんも喜ぶと思います。 (会場爆笑) Q.セレッソサポーターで一番嬉しかったこと、辛かったことは? →こういう場をセッティングしてもらったことが嬉しいです。 自分は寡黙な方だが、本(セレッソ・アイデンティティ)を読んで、歴史はちゃんと伝えていかないとと思いました。 辛いことはあまりないです。周りの人が助けてくれますから。 Q.セレッソ立ち上げから今にあたるまでのサポーターの変化、 地域密着における姿勢の変化で感じることは ? →Jリーグができてサポーターの文化が出来ました。 昔はまだまだ応援する=サポーターでした。 東北の震災など、今のサポーターの行動力は感銘を受けます。 当時もやっていたが、今はうまくいくように計画してすぐに動けます。 長居という街がサッカータウンとなることを考えていたが、なかなかうまくいってないですね。 確かに商店街などは盛り上がっていますが、文化はまだ根付いていません。 サポーターが中心とな

「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その2>。

前回に引き続いて、講演会「サポーター・アイデンティティ~We will always be here,ever~」の書き起こしをここに記していく。全てのJリーグのファン、サポーターがこんなことを考えているわけではないだろうが、大半が生活の一部(全部の方もいるかも)として深く根付いている。 さて後半は、セレッソ大阪との関係や、今の自分を形成する上で非常に重要な出来事が多く存在した時期の話でもある。ドキュメントは一応作成はしたのだが、ほぼ原稿なしに話していたのでかなり適当感が溢れているのはご容赦いただきたい。気持ちが伝わってくれたらと切に願う。 (全て当時書き起こしていただいたママ) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ●(合間に) だいぶ端折ってしまっているので、 あとで聞いてくれても、 メッセージを送ってくれても大丈夫です。 ―サポーター人生を考えよう ~応援を通じて、サッカーを通じて、つながりの社会、この社会を広げていきたい~ Jリーグができて22年目、 たかだか20年ぐらいで人生を語るのは難しいが、 みなさんの参考になればと思います。 サポーター人生とはなにか? 今年で44歳になります。 サポーター、ファンとのつながりが、 自分の人生の中での影響力が大きいです。 ここにいるメンバーでも10代~高齢まで幅広くて、老若男女様々ですね。 お年を召した方に怒られることもあります。 会社では立場があるので中々怒られませんが、 スタジアムではよく怒られます。 この会を企画してくれた人も含め、 若い子たちが成長していく様子に、 純粋なサッカーの見方を学ぶこともあります。 C6(※サポーターユニット)もずっと応援してくれています。 セレッソサポーターだけではなく、人生についても階段を登ってきました。 今でも子供扱いされることが多いです。 鬼武さんの奥さんに40歳超えた今でも「お菓子食べ」と言われます。 20歳ごろのイメージのままで、子供のように見られています。 小学校低学年のころにこういう社会経験をできるのは影響が大きいと思います。 サッカー以外の因果関係のない大人と、 応援を通じてつながって、そこで怒られたり褒められたりします。 それによって社会の仕組みを学ぶ。 村や町が衰退する中

「サポーター・アイデンティティ ~We will always be here,ever~」<その1>。

2019年の年末に向けて、5年前の2014年に講演させていただいた「サポーター・アイデンティティ  ~We will always be here,ever~」の内容を、備忘録として何回かに分けて記していきたいと思う。少し古い話だが、少しでも新しいファンやサポーターの方に届けば良いなと感じている。 また、サポーターという生き物とは縁遠い方にとって、一体何を考えてどう行動しているのかという「生息体系」なんてものも、この機会に少しでも知っていただければなと思っている。少々面倒くさい内容になっているのも否定できないが、大きな心でお読みいただければ幸いである。 (全て当時書き起こしていただいたママ) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ●はじめに ―講演に入る前に、伊庭雅浩氏とは?ー ~「サポーターとは何かをみんなで考えていきたいです」~ (司会より) 今日の講師の紹介です。 東京からお越しの伊庭雅浩さんです。 東京のスカイツリーの近くに住んでいます。 43歳、エースという方、赤松さんと同い年です。 ・サポーター第一世代 ・セレッソ大阪最初のサポーター ・蹴球堂のオーナー ・テリ子という愛犬がいる。 それではよろしくお願いします。 (伊庭氏、以下略) こんにちは。 伊庭です。 知ってる顔も初めての方もいますね。 初めての方は? ・・・・・2人ぐらいですかね。 セレッソのサポーターのトップだとは全然思ってないです。 はじめに作ったとも思ってないです。 今日はサポーターとは何かをみんなで考えていきたいです。 タイトルは「サポーター・アイデンティティ」 僕がつけた訳ではありません。 特に歴史の話をします。 ほとんど原稿も資料もないのでアドリブでいきます。 ヤジをいれてください。 ITが好きなのでMacとiPhone使います。 ―自己紹介 ~「サポーター生を設計しよう」 「職業サポーターにならない」 「あまり背負わず楽しもう」~ 伊庭雅浩です。 珍しい名前ですが出は愛媛です。 子供の頃は画数が多すぎて書けなかったです。 dobro代表と蹴球堂のオーナーをやっています。 SNSもぜひフォローお願いします。 大阪生まれ、大阪育ちです。 6年前から東京のスカイツリーのあたり

黒パグ行方不明事件(令和元年12月26日(パ)第9696号)。

今回は内容が少しショッキングであることをご容赦いただきたい。今朝発生した我が愛犬クロヱ(黒パグ♀3歳と3ヶ月)による大胆な犯罪行為。これに関わる家族を巻き込んだ騒動について書き記したい。恐れながらこの詳細はノンフィクションであり、登場人(犬)物は全て実在する。 今朝のことだ。6時。いつもより少し遅く起きた僕は用を足すためにトイレへと向かった。足がおぼつかない。何とか玄関横の個室まで辿り着き目的を果たしたのち、僕は水を流し手を洗い、扉を開けて出る。なんてことはない毎朝ルーティーンのごとく行なわれていくだけの簡単な行為。 リビングに戻る。何か物静かだ。カサカサと動き回る音もしないのでこれは布団で寝ているのだろうなと高をくくる。大概の場合は僕の起床に併せて一緒に目覚めるはずなのにおかしいなと思いつつも、まあ良いかと思いながら、これも毎朝の恒例行事でもある散歩の準備を行なっていた。 カサカサという音すらも発生しない。一体何をしているのだろうか。いや、これは違う。あれ一体全体何がどうなったのか、クロヱさんが忽然と姿を消してしまった。寝ている間に神隠しにでも遭ったのだろうか。妻と僕は捜索活動を開始した。必死に「クロヱさん」の名前を連呼してみる。 しかし全く痕跡もなく、いつもならば散歩に行きたくてウズウズしながら飛びかかってくるはずなのに一向に姿を見せないのだ。やはり警察に相談すべきかと正直迷ったが、そんなとき僕は、ある物音を敏感に察知した。再度声をかけてみたところ思わぬところから鼻息が聴こえてきた。 その鼻息はかすかに玄関のほうから聴こえる。付近でもう一度「クロヱさん」と呼ぶ。大音量の鼻息が密閉された空間でくぐもっている。僕はこの異音が流れてくるドアのノブを回し手前に引いてみる。中からブーブー言いながら黒い物体が飛び出してきて、僕は腰を抜かしそうになった。 盲点を突く。「金田一少年の事件簿」で例えるならば、およそ実現不可能なレベルでのドアすり抜けトリック(たしかからくり屋敷かなんかのやつだったと思うがほぼ憶えていないのが実状)。ワンコでありながら、それをリアルに実行したこの黒パグにはお見事としか言いようが無い。 しかしながら、最後の最後で”自力脱出”できないという、オートロックで鍵が掛かってしまい逃げるに逃げられなくなった鈍臭い泥棒のような汚点と呼ぶ

資本主義と労働を改めて学ぶ。

佐藤優氏の「資本主義の極意 明治維新から世界恐慌へ〜」を読んでいる(というか聴いている)。幕末の金銀通貨問題(この件は本当に面白い)から明治初期の財政。戦争とその後に来る世界恐慌。そして終戦から今日に至る日本の資本主義について書かれている(というか話している)。 この書籍は、どこまで行っても資本主義からは逃れられずどのように付き合っていくかという終わり方をする。労働者に支払われる賃金、賃金から賄われている生活水準と労働再生というサイクル。さらなる労働力の投入が資本家(企業など)にとっての一番の考えるべき課題だと言う。 僕は政治家でもなく経済評論家でもないのでよく理解できていないところも多い。正直なところトマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」も読んだことが無いし、自ら進んで手に取るなんてことも無さそうだ。この本を読もうかと思った最大のポイントはやはり「明治維新」という言葉だった。 明治維新とは一体何だったんだろう。近頃は仕事そっちのけで考えに耽ってしまうことがことさら多い(これは拙い)。議論は「政権交代」かはたまた「軍事革命」だったのかで揺れたりしているところもある。必要論もあり不要論もありと、たくさんの論争が繰り広げられているのだ。 少なくとも明治以降の日本は世界の中で大きく発展を遂げた。ただその全てが明治維新後に”出来事”として起こっただけで、幕藩体制(とある書籍では江戸時代に幕藩体制などというものは存在せず明治の世になってから付けられたとも言う)下においても、重要な決定は成されている。 どうしても若者だけが頑張ったかのように見えてしまう感が明治維新にはあるが、中年の方々(これは失礼つかまつる)の活躍も相当目立っている。なんとなく僕らの目が戊辰戦争などの攻撃的な面に注がれてしまうのは致し方ないとしても、官僚や財界にも多くの人財が存在していた。 その中には残念ながら時代に身を共にし尊い命を散らした方々もいるが、そんなひたむきな労働によって今日の日本は支えられているのかも知れない。僕は新政府にも旧幕府にも双方肩入れするつもりはないのだが、本当に優秀な労働者の方々がこの日本という国にいらっしゃったのだ。 前述の書籍中に「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉があった。フーテンの寅さんの名言だ(いや諺だ)。趣味や遊びやたまの贅沢がたとえ労働力再生の道

「いつ終わるか」ではなく「どう終わるか」。

いや、クリスマスイブである。この前12月に入ったなとか思ったりしていたがいやはや時間が経つのは人が考えるよりも進みが速い。40代最後の年もあと一週間しかないのが正直信じられない気持ちで一杯ではある。が、これも人生の一幕だと思えば少しは華やかに見えるのかも知れない。 それにしてもこの一年は公私共に激動であった。始まりあるものは必ず終わりを迎えるのが常である。少なくともこの2019年も毎年に漏れず、多くの出会いと別れが存在した。「さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束」。誰かの歌がこの薄っぺらな胸に突き刺さりそうだ。 誰もが時間的制約の中で生きている。死を恐れて生きるほど愚かなものはない、とは口が裂けても吐ける言葉では無いが、人間いつかは命尽きるときがやってくる。だからこそ問題点は「いつ死ぬか」ではなく「どう死ぬか」もっと言うと「死ぬまでどう生きるか」に事の本質があるのだろう。 子供の頃に一度だけ死にかけたことがある。詳細は別の場に譲ろうとは思うが、もしそこが最期だったとしたら、その人生を僕は満足に生きていたのだろうかと大人になった今でも時々思い出してしまうのだ。勿論そのときには意識が無いので周りに迷惑ばかりをかけたのだろうけれど。 「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が公開されて5日。小学生低学年だった1977年、両親に連れられて映画館に行った第一作目(今ではエピソード4新たなる希望、なんていう大層なサブタイトルが付いているが)の記憶は、今や僕の頭の中の消しゴムが全てイレースしている。 しかしながら映画の素晴らしさやSFの醍醐味という僕の人格の一部を受け持っているこれらの要素は、いつまでも脳みその中でグルグルとうごめき続けている。続編が出るたびにその要素が多く貯まっていき、ときには外に吐き出しながらこの40余年を生きながらえて来たような気もする。 そんな、僕らの時代を席巻してきた”スペースオペラ”が遂に完結する。人生と同様紆余曲折しながらここまで歩んできたスター・ウォーズシリーズの集大成となる本作。僕はさもルーティーンのごとく、いつもと変わらぬ映画館左寄りの通路側を選んで、この三時間に迫る大作を鑑賞した。 始まりあるものは必ず終わりを迎える。そして次の世代を切り開いていく。評価などどうでもいい。この終焉を迎えるときを

#リヴァプール 優勝における「パンとお茶漬け海苔」の化学反応。

トフィーズファンとして南野拓実ファンとして、どう受け止めればよいか分からなくなる瞬間が、ここ最近ある。敢えて例えるならば、パンをお茶漬け海苔で食べる感覚とでも言うのだろうか。パンが無ければケーキを食べれば良いじゃない?うん。これだと食欲が湧くとは到底思えない。 そのマージーサイドの対面にいるレッズが、FIFAクラブワールドカップチャンピオンとなった。モハメド・サラー、サディオ・マネそしてロベルト・フィルミーノという強力スリートップを見て、「勝てるのか?」「出れるのか?」という両の疑問符が頭の中を駆け巡った試合でもあった。 何よりユルゲン・クロップ監督でもあるのだ。稀代のモチベーターでもある。選手の気持ちを高め鼓舞するあの熱いベンチワークもさることながら、細部に及ぶ配慮が実に素晴らしいのだと、何処かの誰かの解説か文章を読んだ記憶(もうそれは記憶と呼べないくらい曖昧な表現)がある。 サッカーにおいてモチベーションとは本当に大事な栄養素だ。「パン(またはケーキ)にお茶漬け海苔」にどの程度のエネルギーが含まれているのかは検討もつかないが、とは言え化学反応(消化不良も一種の化学反応と言えば化学反応だ)という新たな側面を出す可能性も無くはない。 我らがトフィーズは、イタリア人監督カルロ・アンチェロッティと5年という契約を結んだ。ヨーロッパ各国のビッグクラブを率いた経験、数々のタイトル、そしてイングランド・プレミアリーグにおける成績(えっと)。このマスターの元で、エヴァートンはここから復活の狼煙を上げる。 リヴァプール勝ち点49の首位。エヴァートン勝ち点19の15位。ボトムハーフというよりまさに降格圏内にどっぷり足を突っ込んでいる状況でこんなことを言うのも何だが、必ずや巻き返しをお約束する。ここ数試合は良い試合が出来ている。まずは監督を信じて上位を目指し戦うべし、だ。 蛇足にはなるが、子供の頃には「パンにお茶漬け海苔」ならぬ「食パンに味付け海苔」を実践し、よく食べていたという記憶がある。トースターで焼いた熱々の食パンにマーガリンを塗り、その上に味付け海苔を数枚乗せて食べる。刻みにしてまぶしてもよし。これが意外と悪くないのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

カオスか、カオス以外か。

最後まで読み切るには稚拙で不要なるこの駄ブログ読者の方や、我が身の性格をご存知の皆様は既にご理解済みではあるだろうが、僕は”混沌”という状況を極端に望んだりするときがある。三国志、曹操孟徳という人物の「治世の能臣、乱世の奸雄」にも近いが、スケールが違い過ぎる。 今日が乱世かどうかはさておき、そんな”混沌”という言葉がぴったりな場面が他にもある。それが「大量の子供が集まる場所」だ。たったひとりでも持て余すのに束になって来られた日にゃどうなるのだろうかと戦々恐々ではあったが、心を決めてとあるイベントに両の足を踏み入れた。 FIRST LEGO League Jr.東日本大会。42組の少年少女がLEGO®を使って作品を作り、動かしそしてプレゼンテーションを行なうという過酷な戦いに、我らのパダワン4名が参戦した。単純計算として42組×4名=168名もの子供たちがその場に存在したことになり、天文学的数字に気が遠くなる。 ”未来の街を作る”というテーマのもと、チームのテーブルが思い思いの作品で彩られる。僕は各テーブルを廻ってその作品を見て感じて話を聴く。やはりLEGOを駆使する子供たちの能力は素晴らしいものがある。言動もそうだが作品の出来栄えは更に拍車をかける。素晴らしいイベントだ。 「廻ってみてどうでした?」アミーゴに問われた。僕は素直に「どのテーブルも同じような作品に見えるし同じようなテーマが多かったように思える」と答える。我がチーム「Max Rebo Band Tokyo」と比べて動きもあり、現代社会を意識して作られた作品だが、正直言って面白くない。 そう。面白くないのだ。それはまるで、勝つためのサッカーに徹するどこかのクラブのようでもあるのだ。勝てば良いのか、勝ち上がることが全てなのか。テクニックだけが正義なのか。そんなもの面白いはずがないと僕は感じたのだった。それらに比べて我がチームの作品は実に素敵だ。 何と言っても我がチームには「レゴ®シリアスプレイ®認定ファシリテーター」が四名もいるのだ。発想力と想像力、そして何よりメタファーを意識する。自分の内なる声に素直に耳を傾け、ひたすら手を動かし作品を作るというマインドが既にこのパダワンたちには備わっているのだろう。 表彰式を見るまでもなく東京工業大学大岡山キャンパスをあとにした。インタビュ

#大観覧車。映画を大正区で。

こんなことを書くと多少変に受け止められてしまうのかもしれないが、大阪市24区のひとつ「大正区」という場所はどこかミステリアスである。沖縄県人が多く、本州とは陸続きになっておらず、渡し船とたくさんの橋だけが生命線のこの瓢箪のような形の大正区を愛して止まないのだ。 今では面影すら無いのだが、僕が子供だった頃にはこの大正区にも映画館が存在していたのだ。当時はどんな作品が上映されていたかも全く記憶に残ってはいない(戦隊ものとかなのだろうか)。しかしながら弟と二人、何度か両親に連れて行ってもらったのだけは何とか憶えている。 大正区で映画というとマイケル・ダグラスさん、高倉健さん、松田優作さん出演の「ブラック・レイン」をどうしても思い出してしまう。(バスでしか移動が難しい)とても縦に長いこの”島”の奥の奥にあった中山製鋼所で撮影された。この映画の公開が1989年。時が経つのは本当に早い。 先日、その大正区が舞台のひとつでもある日韓合作映画「大観覧車」(「あなたの宇宙は大丈夫ですか」というタイトルもあるらしい)を一週間限定で公開されていたケイズシネマで見た。いくつもの大阪中の街の風景が目に入ってきて、懐かしさと新鮮さが入り混じった鑑賞だった。 実は上映前にケイズに着いたときベク・ジェホ監督がいらっしゃったのだが、まあ今じゃなくても良いかと思って声をかけずにいた。アミーゴからも映画の感想を監督に伝えてほしいと言われていたので見たあとに・・・と考えていたら、取材があるとのことで帰ってしまったのだった。 まあ、いいか。111分という結構長い映画を見終わったあと僕は、ひとつの想いに至った。「大正区に映画館があるのだろうか」そう思ってしまったのだった。子供の頃のように大正区で映画を見たい。今度大正区に戻る機会があるのだが、それまでに少し調べてみようかと考えている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

TAKUMI MINAMINOが南野拓実だったころ。

とある筋から軽い噂を聴いたときにはたいして本気にしていなかったが、メディアや周辺がざわめき始めた頃くらいから、これは現実になるのかもしれないと思い始めた。南野拓実選手のイングランドプレミアリーグ名門、リヴァプールへの移籍に関する僕のファーストコンタクトだった。 初めて南野拓実選手のプレーを目の前で見たのは2010年。西が丘サッカー場(今は味の素フィールド西が丘と呼ぶの)での全日本ユース選手権の決勝トーナメント一回戦。関西王者として参戦だったがサンフレッチェ広島ユースに7−1と完膚無きまでに叩き潰されてしまった試合でもあった。 「無茶苦茶面白い選手がいるからちゃんと見とけ」隣に座ってきたあの御方から言われた僕は、まだ老眼にはなっていなかった目をかっ開いて試合に集中する。背番号は12。トップでは選手が付けることはないサポーターナンバーでもある。今思えばトップ昇格した選手のオンパレードだ。 関西プリンスリーグではゴールを量産しており確かにアグレッシブさやガツガツした荒々しさは、この試合でも感じた。だがこのときは高校一年生の15歳で、勿論身体も発展途上であり、まだまだ未熟な印象も垣間見えた。結局この試合でゴールを決めることもなく大会をあとにしている。 その中でも、今日では代名詞となっているターンなど素晴らしいプレーを披露している姿を見て、必ずセレッソ大阪の未来を背負う選手になるだろうという少々淡すぎる期待を持ったことを今でも憶えている。そんな彼は2015年にヨーロッパへ渡り、南野拓実からTAKUMI MINAMINOとなった。 そして今やレッズの一員なのだ。嬉しい気持ちの反面、ちょっとだけ、いや更に遠い存在になってしまった気持ちのほうが大きいのかも知れない。早ければデビュー戦は年明けのFAカップ3回戦、我らがトフィーズとの「マージーサイド・ダービー」になる可能性があるそうだ。心が揺れる。 とは言え、僕らはいつでも南野拓実のファンだ。世界のTAKUMI MINAMINOも日本代表のエースもすべて引っくるめて、僕らは”あのころ”から彼の熱烈なサポーターなのだ。アカデミーは本当に原石の集まりだ。「無茶苦茶面白い選手がいるからちゃんと見とけ」。今度は僕が言う番だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

東京オリンピックへの試金石、日韓戦。そして。

ようやく東アジアE-1選手権をライブで見ることができた。初選出の若い選手たちにとってはアンダーカテゴリーを超えた日韓戦という独特の雰囲気を肌で感じ取ったものと思う。いつの時代も越えないといけない壁が存在するが、残念だが今回もなかなか頂上に足をかけられなかった。 思い出すと、2013年に蚕室での優勝を思い出す。ブラジルワールドカップへの足がかりとなったこの大会最後の試合、日韓戦。1997年最終予選の国立競技場には及ばないものの、あの戦う気迫というか何とも言えないピリピリとした空気感。結果はともかく気持ちの面での勝利だった。 シーズン終了後の難航したであろう選手選考やこの時期の日韓戦の重みなど、推し量ると大変さが見えてくる気もする。U-22や初選出も多くフレッシュな反面、ここから育っていく育てていく必要があることも分かった日韓戦だったようにも思える。どこまで行ってもその部分が重要。 12月28日にはU-22日本代表の試合が長崎で行なわれる。既にチケットは完売しているとのことで年の瀬に改めて盛り上がれるのは嬉しい。E-1選手権は2013年のときのようにはいかなかったが、東京オリンピックへの試金石となってほしいものだ。勿論、瀬古歩夢選手の活躍に期待する。 来年行なわれる、当の東京2020オリンピック。東京都民なのに東京在住特権が利用できないシステムには大いに不満ではある。そんな入手困難レアモノ扱いになっている、観戦チケットの抽選結果発表が昨日行なわれた。結果は・・・また次の機会にでも書いていきたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※2013年の蚕室の写真が出てきた。懐かし写真展やな(笑)

1990年代のテーゼ、(あるいはアンチテーゼ)。

セレッソ大阪というクラブは実にシンプルで、ときに複雑にものを考えるきらいがあると感じている。会社がどうこう言おうが僕らはすでに四半世紀をこのクラブとともに過ごしており、当然知っていること知らないことが未だ存在はするものの、腐れ縁のような関係でここまで来た。 会社と揉めたりもしたし、愛するがゆえ選手とムキになってやり合ったりしたこともあるが、すべてクラブを支えていこうとする気持ちの表れだったような感もある。そんな歴史を通じて、勝ったり負けたり、共に喜んだり、涙にくれたことも多々あった日々。皆が真剣だったと感じる。 この インタビュー記事 を読んだ。勿論、自分ごとと捉えるのはおこがましいし、クラブ同士のパワーバランスを考えても何とも言えないのではあるが、共感できる部分がとても多い。今の時代ではもしかすると古臭い考え方と揶揄されるかもしれないが、僕はとてもそこが好きだった。 時間は流れ、変遷し、脱皮して、生まれ変わっていく。何事も。人もクラブも同様。だからこそその場その場の選択を誤ってはいけない。誤ったなら素直に非を認める。同じ過ちを繰り返そうとしているならば、それらを正す必要が僕らサポーターにはある。それは至極当たり前なのだ。 常々、サポーターは応援することだけを求められているわけでは無いと伝えてきている。ときには真正面から真剣に向き合う必要がある。全体像をどのように自分ごととして受け止めるかがとても重要だ。とは言え人それぞれ考え方も思いも重要度も違う。多様性とは実に難しい言葉だ。 1990年代のJリーグ映像を見ることがある。クラブもスタジアムも選手もサポーターもどこか残念なところもあり、どこか無性に格好良い。そんな遠い昔話を語っている時点で僕はもうこの時代に生きる資格が無いのかも知れない。けど、だからこそ今ここに立っている必要があるとも思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※探していたら、とてつもなくシュールな写真が出てきた(笑)

ちょっとだけ苦手を克服する。

セレッソ大阪の選手がいないので億劫になっていた(我儘)が、ようやくE-1サッカー選手権2019の緒戦である中国との試合を見た。初招集も多い中で挑んでいるこの大会。フル代表とU-22の惨敗を払拭する必要があるという気持ちと同時に、長所と短所が入り混じっていたように感じる。 当然のことながら人には得意不得意が存在する。苦手を克服するためとはいえ、いくら努力を重ねても厳しいものは厳しいと言わざるを得ない状況もときにはあるのだ。特に国家代表ともなると、わずか数日での合宿でクリアできるような甘いものではないことも充分に理解できるだろう。 さて昨日。”レゴ先生”として、これから大会に臨む子供たちのレゴ工作のお手伝い(とは言っても外れないパーツを外したりしていただけ)をしてきた。いつも書いているとおりだが、この俊敏な動きを繰り返すチルドレンを見て極端に脇に汗をかいたりする。要するに子供が苦手なのだ。 親御さんを見る。この状況をひとつも苦にしていない様子(これは勝手な解釈かもしれないが)である。流石だ。そして、そこでひとつ分かったことがある。もっとも大事なのはコミュニケーションだということだ。奥手の僕に足りないのはそこだ。常にリアクションでしか反応できない。 悟った。僕は子供が苦手なんじゃない。コミュニケーションが苦手なんだ。ひとりの子供に聞かれた。「好きな食べ物は何?」「ハンバーグ」「サッカーはする?」「する」。案外コミュニケーションとはシンプルな質問から始まる。それを改めて分かっただけでも良しとしていいと思う。 そして僕はちょっとだけ苦手を克服した。 そしてロンドンレゴ®を手に入れた。 話は戻る。香港戦をまだ見ていないものの、今週日韓戦が行なわれる。もともとこの試合に行くのを断念はしたが、我らの日本代表は久々の栄冠を手にしてくれるものと信じている。苦手を克服するトレーニングとコミュニケーション。水曜日はなんとかライブでテレビ観戦したいものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

師走に迷う。

セレッソ大阪ファン、サポーターの誰もが驚いた”帝王”南野拓実選手のリヴァプール移籍に関する報道。トフィーズファンとしては嬉しい反面ちょっとだけ寂しい師走を歩いている。そんな12月も残り半分となる。このニュースが成就するように願いを込めた年末年始となることを祈る。 このような激しい流れで、嬉しいことと残念なことが順番にやってきた2019年も、そろそろ終焉へと向かっている今日。またひとつ悲しい話を聞かされることとなる。”負のサイクル”なんていう言葉を簡単に使いたくはないのだが、どうも理不尽で納得がいかないものごとが多すぎるのだ。 何が一番悔しいのかと言うと何の手も差し伸べられなかったこと。まるで手入れをしないまま枯れていく花のように。この状況に何もできなかった自分自身を悔やんでしまう毎日でもある。どのようにこの気持ちを整理していくのかを、この週末にもう一度考えていきたいと思っている。 こんなときは犬と散歩に行く。犬に行き先を任せて、緑道や公園を歩き、気持ちを落ち着かせていく。深呼吸する。朝の新たな空気をリロードする。僕の身体中に沁み渡り汚れきった思考を綺麗さっぱり(とは言えないものの)と洗い流す。そんな毎日を繰り返してきたこの一年だった。 若者には希望がある。しかしその希望を亡きものにしようとする者も存在する。そんなドロドロした世の中で僕は一体何ができるのかを考えてみる。小さな小さなことなのかも知れないが、少しずつでも前に向かってみるという気持ちが溢れてくる。ひたすら考え抜いていくことが大事。 僕は迷っている。この先どうすればよいか迷っている。時間軸で考えれば大した問題ではないのか、それとも。ゲームオーバーの前に気づける仕組み。ゲームオーバーにさせない勇気とおせっかい。勝海舟先生と坂本龍馬先生のような関係。もう一度、自分自身を奮い立たせていきたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

個性はあったほうがいい。

林穂之香選手がなでしこジャパン初選出され早速デビューをしたようだ。セレッソ大阪のプレイヤーが日の丸を背負って戦う姿を見るのはいつの時代も嬉しいものである。様々なカテゴリーから、毎日のようにニュースで流れてくる個性溢れる選手たちを見ていられる人生は、本当に最高だ。 このような話をJリーグのファン、サポーター以外の方に話すと少し驚かれたりする。なんとなく自分たちの中では”当たり前”のように感じてしまっていることも大いにしてある。なにせ四半世紀以上も同じような生活を繰り返している。まさに人生のDNAに組み込まれていると言っていい。 とは言え、年が経つに連れその体質の構造変化も起こっていく。勿論新陳代謝という良い意味での、だ。何かを失う(と書くと語弊があるが)と同時に何かを手にするというライフサイクルで僕らの身体は形成されていると思うと、なんだかあったかさに包み込まれている気持ちになる。 先日の大分での試合終了後、例の”スカイウォーカー( ブログ参照 )”と記念写真を取るためにゴール裏を訪れた。無事に撮影が終わったのだが、実に知っている顔を見る数が減っていることに気づく。それだけゴール裏に新しいファンやサポーターが増えているのだ。これは嬉しいことだ。 いや、待てよ。違う違う、そうじゃ、そうじゃない。知っている顔が減っているんじゃない。「はじめまして」が増えているのだ。そんなことを思いながらゴール裏のサポーター席を歩いてみた。なんだか新しい風を僕は感じた。それで良いなとひとりで納得してひとり頷いたのだった。 ファンなんてサポーターなんて言ってしまえば利害関係もない、知らない人の集まりだ。その中で共に目的意識(当然セレッソの勝利)を合わせて前に進む。だがひとつだけ忘れてはならないと僕が思うのが”個性”なのだ。それは決して和を乱すものなどではなく、自分自身の存在証明。 比べるのは良くないが、サポーター席にいた頃の”個性”とはまた違った形になりつつあるのだろうか。ユニフォーム姿はひときわ多い。日本が裕福になったかどうかはさておき確実にゴール裏がそんなカラーになっている。その上で、ひとりひとりの”個性”が出せるようだと素晴らしい。 その昔。今ほどファンやサポーターもおらず、サポーター席に集まる人間も僅かだったあの頃。少しでも自分たちの仲間を増やそうと躍起に

評価の基準とは。

前回の続きで恐縮なのだが、大分に存在する坂本龍馬ゆかりの地を巡ってきた。内容については改めてと思っているが、この坂本龍馬という人物の評価が近年様々な検証によって明らかにされている。評価する際の基準となる”データ”が多くなってきているのも影響のひとつなのだろう。 人の評価とは水物でもある。見た目、感じ方は人それぞれなので何とも言えないが、そういった場合、大体のケースは定性評価がかなり影響する。採点競技のように確かに評価基準がはっきりしているなら話は分かるが、投票などの仕組みを用いた場合は思ったようにはならないものだ。 自分自身も人を評価する立場でもあるので分かるのだが、最後の最後に湧き出てくる感情という形がありそうで無いものに左右されることが、ままあり得る。それはポジティブばかりではなくそれこそネガティブに振れたら最後、行き着くところまで行く可能性を否定はできないだろう。 そんな感情の起伏が激しくコントロールが難しいとされるB型(の皆様申し訳ありません)の僕なのだが、一時の想いに流されてしまうのが嫌で定量評価(データ)に頼るところが非常に大きい。何故ならば、データは限りなく嘘はつかないし、焦っても感情に左右されることはほぼない。 何も、”データ至上主義”を追求したいということでは決して無く、データを元にした評価は、人の見た目、感じ方による評価と根本は変わらないのだ。開催前日に発表されたoptaが選出したベストイレブンとJリーグアウォーズのベストイレブン。どう評価されたのか共に知りたいものだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

歴史を学び歴史を知り歴史を使う。

未だ大分にいる。その間にU-23は有終の美を飾り、U-18はプレミア残留を決め、そして林穂之香選手がなでしこジャパンに選出されるという実に素晴らしい週末を送れたのは本当に嬉しい。Jリーグベストイレブンは残念だったが、来年への目標がまたひとつ増えたと思えばいいだろう。 二日目となった昨日、大分在住の小中の幼馴染と、大分の歴史を探るドライブとやらに出かけた。日本全国どこを廻っても僕の好物があちらこちらに存在している。今回も幕末明治や坂本龍馬ゆかりの地を堪能し、セレッソ大阪関連に引き続き、最高な気分の上増しができたものと思う。 特に竹田市にある広瀬神社に行ってみたいと前々から思っていたのだが、今回ようやくその願いが叶った。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んで以来、非常に気になっていた広瀬武夫中佐。”軍神”と崇め奉られる基準は他に任せるとして、やはり旅順港閉塞作戦のインパクトだろう。 日露戦争というと二百三高地、日本海海戦に目が行きがちだ。だが、この旅順港閉塞作戦やそれ以外にも外交交渉などという日本が持つすべての力を結集してことに臨んでいたと思うと、この戦さを肯定も否定もするつもりはないがそれ以上に日本という国の底力を垣間見た気がする。 確かに縦割りの組織構造や確執がなかったわけではないのだろうが、有事の際の日本人がどれほど強かったのかを改めて感じる良い機会となった。閉塞作戦で使用された石(船を沈めるための重し)が置かれていてなぜだか目頭が熱くなった。急な階段を登って行くだけの価値はあった。 改めて「坂の上の雲」を読みたくなった。近代日本はこの日露戦争から再び厳しい時代へと向かうことになる。戦争が良いか悪いかと言われるとしたくない方向なのは当たり前だ。だからこそ歴史を学び歴史を知り歴史を使うことで、今の日本を更に良くしていきたいと僕は思ったりする。 「本とか書いたら?」とアミーゴに言われた。僕自身まだまだその領域まで達していないし、諸先輩方から学んでいる状況だ。それでもこれまで多くの史跡を巡り、感じてきたこの情報や熱を伝えていくことを、どこかで誰かに行なっていきたい。まさに生きていく糧になりそうな案だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第34節 大分トリニータ戦。願うだけでは。

実に1997年以来22年ぶりの大分である。前回の来大(で良いのか?)は大分でサンフレッチェ広島戦を行なった(何故そうなったのかはまったく知らない)あと、翌日、フランスワールドカップアジア最終予選の日韓戦を戦うために国立競技場に向かったという記憶が脳裏に残っている。 当時はまだホバークラフトが海上を走っておりかなり交通の便の良さ(と言っていいかどうかだが)を感じていたが、大分空港からスタジアムまでの道のりは結構なものだった。レンタカーでもそうなのだからバスだと試合そのものよりもかなり疲労しそうだな、とか思ったりしていた。 とにかくこの試合の論点は「①セレッソ大阪が勝利すること②北海道コンサドーレ札幌が川崎フロンターレに勝利するまたは引き分けること」。だった。ACLへのチャレンジの気持ちも無くはない(これは更に他力本願)が、それ以上に4位というポジションに着くことを熱望していたのだ。 そんな思いもあり、セレッソ大阪の試合も大事だったが時間の大半Jリーグアプリを見ながら過ごしていた。この時期でなければ、得点だけでなく選手交代の情報までも他の試合結果を意識することはまず無い。4位5位との間には決定的な差が存在していることを分かってもらえるだろう。 結果的には神に「自分でなんとかせーよ」と言われているような展開であった。やはり願うだけでは駄目なのだ。それを改めて感じる機会となってしまった。とは言え、今シーズンの観戦成績は三戦三勝となり、疫病神の役目をようやく終えようとしている(他に移転しただけとも言う)。 そんなことを書いていたら思い出した。前述の最終予選はこの日韓戦を境に厳しい戦いへと落ち込んでいくわけだが、まさに神のご加護のような他力本願がありプレーオフまで進出し、そして日本初のワールドカップ出場となったわけだ。こじつけもここまで来ると自分でも呆れてしまう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

変化への期待と不安。

年に一度の恒例行事である健康診断に行ってきた。勿論年齢を重ねるにつれ悪い箇所のオンパレードとなるが、昨年は特にひどい状況に陥りなんとか今体質改善できたところでもある。継続して体調管理に努めたいと思っているが、持ち前の決断力の無さによりどうなることやら、な状況。 それにしても変化が凄いのか、僕が気づいていなかっただけか分からないが、施設を代えたところ今まで結構時間かかっていた健康診断がわずか30分ほどで完了した。ITの力を利用したデジタルトランスフォーメーションなのだろうが、経営者の方の決断力によるものが大きいのであろう。 人には改善できることろとどうしても改善できないところの二面性が存在する。特に、バイアスという病気を患ってしまうとにっちもさっちもいかなくなるケースが多い。当然自分で解決できる問題とできない問題多々あると思うが、大半が思い込みか知識の不足によるものであると思う。 昨日、経済産業省の偉い方のお話を聞く機会があった。日本企業には「決められない」「進まない」「失敗を振り返らない」という”三無い運動”がついて回る。その中でデフレ感覚、コストを重視するあまりデジタルトランスフォーメーションがなかなか浸透していかないというジレンマ。 僕も、変わっていくために様々な取り組みを行なっており、ようやく少しずつ理解してもらえるようになってきている。特に若い方々との会話を中心にしっかりと決めて、すぐにでも始めて、早く失敗して、そして振り返る。このサイクルを何回も何回も繰り返していく必要が僕らにはある。 変わっていかなければ生き残れない。だからチャレンジが必要な時代。当然それはセレッソ大阪も同様。そんな今日、大熊さんが統括部長を契約満了で退任した。クラブが変わっていくという点では理解できなくもないのだが、後任人事については果たしてどうなるのだろうか。不安なのだ。 さて肝心の健康診断結果。それは三週間後のお楽しみではあるが、速報ベースの数値だけ見ているとかなり健康体に向かっているのではないかとも思っている。不安の箇所があるのは仕方ないにしても、まずは希望を持って待ちたいと思う。報告は・・・ここでするつもりはないのだが(笑)。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※伊庭レゴ画伯作「空気椅子をする鳥人間」

スカイウォーカーがまたひとり。

毎年のことだがどれだけ忘れれば良いのかと思うくらい忘年会の予定が入っている。多くの方々と2019年について語り合うのは本当に楽しいし学びの場でもある。今年の年末はセレッソ大阪関連の試合もほぼ無いに等しいので、できうる限り参加したいと考えているがどうなるだろうか。 年の瀬は良い映画が目白押しとなる。素人映画好きを自称する身としては楽しみが止まらないわけだが、シリーズが完結する作品もあったりと悲喜交交な毎日を過ごすことになりそうな予感の今年の師走。そこに、別れという言葉は不釣り合いなのかもしれないがひとつの決断があった。 先日にも書いたのだが、この時期の選手の去就についてはサポーターとして一喜一憂の毎日でもある。我らのクラブも同じで、加入する選手がいれば去っていく選手も当然存在する。プロなので当たり前といえば当たり前なのだが、それでも、同じチームの仲間と離れるのは本当に辛い。 誰もが一年に一度歳を取る。僕は選手じゃ無いのでなんとも言えないのだが、戦術に合う合わない、若手の台頭などもあるにはある。しかし、自分自身のプレーが満足にできなくなっていくことも大きな要因であるのではと感じる。これは決して選手の立場だけでは無いのかもしれない。 サポーターも勿論同様だ。セレッソサポーター第一世代と言われる年齢は相当に高い。スタジアムに来れなくなる人、セレッソ大阪から距離を取る人、若い頃から変わらずに続けている人、それぞれだ。そしてそれはまさに四半世紀を超える歴史を持つクラブだからこその勲章と言える。 そのような方々も選手と並ぶ”レジェンド”であると僕は声を大にして言いたいのだ。ご本人からしたらそんなことなど微塵とも思っていないだろうが、あの大きな旗に勇気づけられたのは、選手だけでなく声を作り出していた役目の僕にとっても心からのリスペクトしかないのが本音だ。 そんなレジェンドがまたひとり。だがこの御方もセレッソ大阪との絆が途絶えることは死ぬまで無いのだろう。そんな、僕にとってのスカイウォーカーのようなアミーゴに囲まれている人生が途轍もなく素晴らしい。歴史に一筋の皺を刻んだ方々への、感謝の思いをこの師走に乗せたい。 彼の”ラストマッチ”を大分で見れるのはこの上なく幸せだ。しかもゴール裏で。 NEVER STOP,NEVER GIVE U

戴き物。

年間250試合は見ていたサッカー中継(録画)も最近は「ハイライト」という便利な機能のお陰で、フルタイムで見るのはセレッソ大阪の全試合とビッグマッチのみになってしまっている現状。歳を取れば取るほど時間的制約の中で生きることになる(もう少し取れば楽になるのかな?)。 とりわけ強烈な記憶力を持ち合わせているわけでもないのだが、よく言われる言葉「よく憶えているなあ」。仕事のことは全然蓄積されていないのにことサッカーについては引き出しがなぜか異常に多いなと自分でも感じるし、没頭できるからこそつながりが広がっていくのかもしれない。 考えれば、前後半90分のゲームを250試合見ると単純計算で年間22,500分、375時間。日数で見れば16/365で年間4%をテレビでのサッカー観戦に充てていたことになる。これにJリーグを合わせて(現地で見た試合もあとで映像も見る)も、かなりの時間がそこにつぎ込まれている。 そんな生活が、毎日の自分を支えていたあの頃。良いことも悪いこともいっぱいあったあの頃。懐かしいとは思うが戻りたいとは思わない。今が一番良い。今ここにいることが大事だ。今ここにいる自分はあの頃の自分がいたからこそ存在する。だから、充分に、誇って良いのだと思う。 熱すぎず冷めすぎず、ぬるま湯のような人生でもいい。良いことは必ずある。自分が信じた進むべき道をがむしゃらに歩く。今は無駄だと思っていることも、ある日ある時、突然に素敵な戴き物が手に入るかもしれない。そう考えて生きていたら、少しは気持ちも楽になるのではないか。 僕にとってのサッカーはそんな幸運をくれた戴き物だ。だからこそ、これからもたくさんの試合を見て多くの方々と出会って大いに語り合って、そして静かに死んでいく。だから、死ぬまでは死ななくていい。昨日も僕は人生の何%かの素晴らしき戴き物を手にした。本当にありがたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第33節 清水エスパルス戦。語り続ける。

サッカーを語り合いながらのランチ会に行ってきた。70年代の話から今の状況まで、ビデオなどを見ながら時が進むのも忘れて話し尽くすというこの時間が実に楽しい。時代の流れで選手は変わり続けるのかもしれないが、今まで見たもの感じたものを僕は死ぬまで語り続けるのだろう。 Jリーグクラブについてのブログを20年以上も書いていると、この時期の寂しさや侘しさを表現したくないなと思ってしまう年も少なくない。特に、セレッソ大阪でキャリアを終えようとしている選手が存在するケースではそれが顕著に表れる。愛が溢れていればいるほど本当に辛くなる。 2019年シーズンのホーム最終戦。水沼宏太選手、柿谷曜一朗選手のゴールによる逆転勝利を手に入れた。それ以上に、選手交代がどのように行なわれるのかに注目が集まるメンバー構成でもあった。状況が状況だっただけに出場は難しかったが、サブに入っているだけで目頭が熱くなった。 物事にはすべて始まりがあり終わりがある。故にサッカー選手には、デビューしてからプレーができる期間が限られている。それは分かってはいる。しかしながら長年に渡って同じクラブで生きてきた愛すべき選手だ。頭では分かってはいるもののこの終わりを認めたくないのも事実だ。 昔からそうだが、このセレッソ大阪というクラブを愛してくれる選手には最大限の愛で返してきたファン、サポーター。昨日のスタジアムもまさにその様相だった。縁もゆかりもない選手とファンをつなぐクラブという存在。僕らがJリーグに熱狂する理由は、正しくそこにあるのだと思う。 終わりはやってくる。それは常。認めざるを得ない。だがクラブは未来永劫に存在し続ける。僕らは死ぬまでここに存在しているのだ。だからこそこれから訪れるであろう多くの出会いと別れを伝える必要があるのだ。 確かに藤本康太は、今ここにいた。僕らはそう語り続けていくのだ。 I'll always be here,ever. NEVER STOP,NEVER GIVE UP