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12月, 2019の投稿を表示しています

評価の基準とは。

前回の続きで恐縮なのだが、大分に存在する坂本龍馬ゆかりの地を巡ってきた。内容については改めてと思っているが、この坂本龍馬という人物の評価が近年様々な検証によって明らかにされている。評価する際の基準となる”データ”が多くなってきているのも影響のひとつなのだろう。

人の評価とは水物でもある。見た目、感じ方は人それぞれなので何とも言えないが、そういった場合、大体のケースは定性評価がかなり影響する。採点競技のように確かに評価基準がはっきりしているなら話は分かるが、投票などの仕組みを用いた場合は思ったようにはならないものだ。

自分自身も人を評価する立場でもあるので分かるのだが、最後の最後に湧き出てくる感情という形がありそうで無いものに左右されることが、ままあり得る。それはポジティブばかりではなくそれこそネガティブに振れたら最後、行き着くところまで行く可能性を否定はできないだろう。

そんな感情の起伏が激しくコントロールが難しいとされるB型(の皆様申し訳ありません)の僕なのだが、一時の想いに流されてしまうのが嫌で定量評価(データ)に頼るところが非常に大きい。何故ならば、データは限りなく嘘はつかないし、焦っても感情に左右されることはほぼない。

何も、”データ至上主義”を追求したいということでは決して無く、データを元にした評価は、人の見た目、感じ方による評価と根本は変わらないのだ。開催前日に発表されたoptaが選出したベストイレブンとJリーグアウォーズのベストイレブン。どう評価されたのか共に知りたいものだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

歴史を学び歴史を知り歴史を使う。

未だ大分にいる。その間にU-23は有終の美を飾り、U-18はプレミア残留を決め、そして林穂之香選手がなでしこジャパンに選出されるという実に素晴らしい週末を送れたのは本当に嬉しい。Jリーグベストイレブンは残念だったが、来年への目標がまたひとつ増えたと思えばいいだろう。

二日目となった昨日、大分在住の小中の幼馴染と、大分の歴史を探るドライブとやらに出かけた。日本全国どこを廻っても僕の好物があちらこちらに存在している。今回も幕末明治や坂本龍馬ゆかりの地を堪能し、セレッソ大阪関連に引き続き、最高な気分の上増しができたものと思う。

特に竹田市にある広瀬神社に行ってみたいと前々から思っていたのだが、今回ようやくその願いが叶った。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んで以来、非常に気になっていた広瀬武夫中佐。”軍神”と崇め奉られる基準は他に任せるとして、やはり旅順港閉塞作戦のインパクトだろう。

日露戦争というと二百三高地、日本海海戦に目が行きがちだ。だが、この旅順港閉塞作戦やそれ以外にも外交交渉などという日本が持つすべての力を結集してことに臨んでいたと思うと、この戦さを肯定も否定もするつもりはないがそれ以上に日本という国の底力を垣間見た気がする。

確かに縦割りの組織構造や確執がなかったわけではないのだろうが、有事の際の日本人がどれほど強かったのかを改めて感じる良い機会となった。閉塞作戦で使用された石(船を沈めるための重し)が置かれていてなぜだか目頭が熱くなった。急な階段を登って行くだけの価値はあった。

改めて「坂の上の雲」を読みたくなった。近代日本はこの日露戦争から再び厳しい時代へと向かうことになる。戦争が良いか悪いかと言われるとしたくない方向なのは当たり前だ。だからこそ歴史を学び歴史を知り歴史を使うことで、今の日本を更に良くしていきたいと僕は思ったりする。

「本とか書いたら?」とアミーゴに言われた。僕自身まだまだその領域まで達していないし、諸先輩方から学んでいる状況だ。それでもこれまで多くの史跡を巡り、感じてきたこの情報や熱を伝えていくことを、どこかで誰かに行なっていきたい。まさに生きていく糧になりそうな案だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第34節 大分トリニータ戦。願うだけでは。

実に1997年以来22年ぶりの大分である。前回の来大(で良いのか?)は大分でサンフレッチェ広島戦を行なった(何故そうなったのかはまったく知らない)あと、翌日、フランスワールドカップアジア最終予選の日韓戦を戦うために国立競技場に向かったという記憶が脳裏に残っている。

当時はまだホバークラフトが海上を走っておりかなり交通の便の良さ(と言っていいかどうかだが)を感じていたが、大分空港からスタジアムまでの道のりは結構なものだった。レンタカーでもそうなのだからバスだと試合そのものよりもかなり疲労しそうだな、とか思ったりしていた。

とにかくこの試合の論点は「①セレッソ大阪が勝利すること②北海道コンサドーレ札幌が川崎フロンターレに勝利するまたは引き分けること」。だった。ACLへのチャレンジの気持ちも無くはない(これは更に他力本願)が、それ以上に4位というポジションに着くことを熱望していたのだ。

そんな思いもあり、セレッソ大阪の試合も大事だったが時間の大半Jリーグアプリを見ながら過ごしていた。この時期でなければ、得点だけでなく選手交代の情報までも他の試合結果を意識することはまず無い。4位5位との間には決定的な差が存在していることを分かってもらえるだろう。

結果的には神に「自分でなんとかせーよ」と言われているような展開であった。やはり願うだけでは駄目なのだ。それを改めて感じる機会となってしまった。とは言え、今シーズンの観戦成績は三戦三勝となり、疫病神の役目をようやく終えようとしている(他に移転しただけとも言う)。

そんなことを書いていたら思い出した。前述の最終予選はこの日韓戦を境に厳しい戦いへと落ち込んでいくわけだが、まさに神のご加護のような他力本願がありプレーオフまで進出し、そして日本初のワールドカップ出場となったわけだ。こじつけもここまで来ると自分でも呆れてしまう。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

変化への期待と不安。

年に一度の恒例行事である健康診断に行ってきた。勿論年齢を重ねるにつれ悪い箇所のオンパレードとなるが、昨年は特にひどい状況に陥りなんとか今体質改善できたところでもある。継続して体調管理に努めたいと思っているが、持ち前の決断力の無さによりどうなることやら、な状況。

それにしても変化が凄いのか、僕が気づいていなかっただけか分からないが、施設を代えたところ今まで結構時間かかっていた健康診断がわずか30分ほどで完了した。ITの力を利用したデジタルトランスフォーメーションなのだろうが、経営者の方の決断力によるものが大きいのであろう。

人には改善できることろとどうしても改善できないところの二面性が存在する。特に、バイアスという病気を患ってしまうとにっちもさっちもいかなくなるケースが多い。当然自分で解決できる問題とできない問題多々あると思うが、大半が思い込みか知識の不足によるものであると思う。

昨日、経済産業省の偉い方のお話を聞く機会があった。日本企業には「決められない」「進まない」「失敗を振り返らない」という”三無い運動”がついて回る。その中でデフレ感覚、コストを重視するあまりデジタルトランスフォーメーションがなかなか浸透していかないというジレンマ。

僕も、変わっていくために様々な取り組みを行なっており、ようやく少しずつ理解してもらえるようになってきている。特に若い方々との会話を中心にしっかりと決めて、すぐにでも始めて、早く失敗して、そして振り返る。このサイクルを何回も何回も繰り返していく必要が僕らにはある。

変わっていかなければ生き残れない。だからチャレンジが必要な時代。当然それはセレッソ大阪も同様。そんな今日、大熊さんが統括部長を契約満了で退任した。クラブが変わっていくという点では理解できなくもないのだが、後任人事については果たしてどうなるのだろうか。不安なのだ。

さて肝心の健康診断結果。それは三週間後のお楽しみではあるが、速報ベースの数値だけ見ているとかなり健康体に向かっているのではないかとも思っている。不安の箇所があるのは仕方ないにしても、まずは希望を持って待ちたいと思う。報告は・・・ここでするつもりはないのだが(笑)。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※伊庭レゴ画伯作「空気椅子をする鳥人間」

スカイウォーカーがまたひとり。

毎年のことだがどれだけ忘れれば良いのかと思うくらい忘年会の予定が入っている。多くの方々と2019年について語り合うのは本当に楽しいし学びの場でもある。今年の年末はセレッソ大阪関連の試合もほぼ無いに等しいので、できうる限り参加したいと考えているがどうなるだろうか。

年の瀬は良い映画が目白押しとなる。素人映画好きを自称する身としては楽しみが止まらないわけだが、シリーズが完結する作品もあったりと悲喜交交な毎日を過ごすことになりそうな予感の今年の師走。そこに、別れという言葉は不釣り合いなのかもしれないがひとつの決断があった。

先日にも書いたのだが、この時期の選手の去就についてはサポーターとして一喜一憂の毎日でもある。我らのクラブも同じで、加入する選手がいれば去っていく選手も当然存在する。プロなので当たり前といえば当たり前なのだが、それでも、同じチームの仲間と離れるのは本当に辛い。
誰もが一年に一度歳を取る。僕は選手じゃ無いのでなんとも言えないのだが、戦術に合う合わない、若手の台頭などもあるにはある。しかし、自分自身のプレーが満足にできなくなっていくことも大きな要因であるのではと感じる。これは決して選手の立場だけでは無いのかもしれない。

サポーターも勿論同様だ。セレッソサポーター第一世代と言われる年齢は相当に高い。スタジアムに来れなくなる人、セレッソ大阪から距離を取る人、若い頃から変わらずに続けている人、それぞれだ。そしてそれはまさに四半世紀を超える歴史を持つクラブだからこその勲章と言える。
そのような方々も選手と並ぶ”レジェンド”であると僕は声を大にして言いたいのだ。ご本人からしたらそんなことなど微塵とも思っていないだろうが、あの大きな旗に勇気づけられたのは、選手だけでなく声を作り出していた役目の僕にとっても心からのリスペクトしかないのが本音だ。

そんなレジェンドがまたひとり。だがこの御方もセレッソ大阪との絆が途絶えることは死ぬまで無いのだろう。そんな、僕にとってのスカイウォーカーのようなアミーゴに囲まれている人生が途轍もなく素晴らしい。歴史に一筋の皺を刻んだ方々への、感謝の思いをこの師走に乗せたい。

彼の”ラストマッチ”を大分で見れるのはこの上なく幸せだ。しかもゴール裏で。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

戴き物。

年間250試合は見ていたサッカー中継(録画)も最近は「ハイライト」という便利な機能のお陰で、フルタイムで見るのはセレッソ大阪の全試合とビッグマッチのみになってしまっている現状。歳を取れば取るほど時間的制約の中で生きることになる(もう少し取れば楽になるのかな?)。

とりわけ強烈な記憶力を持ち合わせているわけでもないのだが、よく言われる言葉「よく憶えているなあ」。仕事のことは全然蓄積されていないのにことサッカーについては引き出しがなぜか異常に多いなと自分でも感じるし、没頭できるからこそつながりが広がっていくのかもしれない。

考えれば、前後半90分のゲームを250試合見ると単純計算で年間22,500分、375時間。日数で見れば16/365で年間4%をテレビでのサッカー観戦に充てていたことになる。これにJリーグを合わせて(現地で見た試合もあとで映像も見る)も、かなりの時間がそこにつぎ込まれている。

そんな生活が、毎日の自分を支えていたあの頃。良いことも悪いこともいっぱいあったあの頃。懐かしいとは思うが戻りたいとは思わない。今が一番良い。今ここにいることが大事だ。今ここにいる自分はあの頃の自分がいたからこそ存在する。だから、充分に、誇って良いのだと思う。

熱すぎず冷めすぎず、ぬるま湯のような人生でもいい。良いことは必ずある。自分が信じた進むべき道をがむしゃらに歩く。今は無駄だと思っていることも、ある日ある時、突然に素敵な戴き物が手に入るかもしれない。そう考えて生きていたら、少しは気持ちも楽になるのではないか。

僕にとってのサッカーはそんな幸運をくれた戴き物だ。だからこそ、これからもたくさんの試合を見て多くの方々と出会って大いに語り合って、そして静かに死んでいく。だから、死ぬまでは死ななくていい。昨日も僕は人生の何%かの素晴らしき戴き物を手にした。本当にありがたい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第33節 清水エスパルス戦。語り続ける。

サッカーを語り合いながらのランチ会に行ってきた。70年代の話から今の状況まで、ビデオなどを見ながら時が進むのも忘れて話し尽くすというこの時間が実に楽しい。時代の流れで選手は変わり続けるのかもしれないが、今まで見たもの感じたものを僕は死ぬまで語り続けるのだろう。
Jリーグクラブについてのブログを20年以上も書いていると、この時期の寂しさや侘しさを表現したくないなと思ってしまう年も少なくない。特に、セレッソ大阪でキャリアを終えようとしている選手が存在するケースではそれが顕著に表れる。愛が溢れていればいるほど本当に辛くなる。
2019年シーズンのホーム最終戦。水沼宏太選手、柿谷曜一朗選手のゴールによる逆転勝利を手に入れた。それ以上に、選手交代がどのように行なわれるのかに注目が集まるメンバー構成でもあった。状況が状況だっただけに出場は難しかったが、サブに入っているだけで目頭が熱くなった。
物事にはすべて始まりがあり終わりがある。故にサッカー選手には、デビューしてからプレーができる期間が限られている。それは分かってはいる。しかしながら長年に渡って同じクラブで生きてきた愛すべき選手だ。頭では分かってはいるもののこの終わりを認めたくないのも事実だ。
昔からそうだが、このセレッソ大阪というクラブを愛してくれる選手には最大限の愛で返してきたファン、サポーター。昨日のスタジアムもまさにその様相だった。縁もゆかりもない選手とファンをつなぐクラブという存在。僕らがJリーグに熱狂する理由は、正しくそこにあるのだと思う。
終わりはやってくる。それは常。認めざるを得ない。だがクラブは未来永劫に存在し続ける。僕らは死ぬまでここに存在しているのだ。だからこそこれから訪れるであろう多くの出会いと別れを伝える必要があるのだ。 確かに藤本康太は、今ここにいた。僕らはそう語り続けていくのだ。
I'll always be here,ever. NEVER STOP,NEVER GIVE UP