林穂之香選手がなでしこジャパン初選出され早速デビューをしたようだ。セレッソ大阪のプレイヤーが日の丸を背負って戦う姿を見るのはいつの時代も嬉しいものである。様々なカテゴリーから、毎日のようにニュースで流れてくる個性溢れる選手たちを見ていられる人生は、本当に最高だ。
このような話をJリーグのファン、サポーター以外の方に話すと少し驚かれたりする。なんとなく自分たちの中では”当たり前”のように感じてしまっていることも大いにしてある。なにせ四半世紀以上も同じような生活を繰り返している。まさに人生のDNAに組み込まれていると言っていい。
とは言え、年が経つに連れその体質の構造変化も起こっていく。勿論新陳代謝という良い意味での、だ。何かを失う(と書くと語弊があるが)と同時に何かを手にするというライフサイクルで僕らの身体は形成されていると思うと、なんだかあったかさに包み込まれている気持ちになる。
先日の大分での試合終了後、例の”スカイウォーカー(ブログ参照)”と記念写真を取るためにゴール裏を訪れた。無事に撮影が終わったのだが、実に知っている顔を見る数が減っていることに気づく。それだけゴール裏に新しいファンやサポーターが増えているのだ。これは嬉しいことだ。
いや、待てよ。違う違う、そうじゃ、そうじゃない。知っている顔が減っているんじゃない。「はじめまして」が増えているのだ。そんなことを思いながらゴール裏のサポーター席を歩いてみた。なんだか新しい風を僕は感じた。それで良いなとひとりで納得してひとり頷いたのだった。
ファンなんてサポーターなんて言ってしまえば利害関係もない、知らない人の集まりだ。その中で共に目的意識(当然セレッソの勝利)を合わせて前に進む。だがひとつだけ忘れてはならないと僕が思うのが”個性”なのだ。それは決して和を乱すものなどではなく、自分自身の存在証明。
比べるのは良くないが、サポーター席にいた頃の”個性”とはまた違った形になりつつあるのだろうか。ユニフォーム姿はひときわ多い。日本が裕福になったかどうかはさておき確実にゴール裏がそんなカラーになっている。その上で、ひとりひとりの”個性”が出せるようだと素晴らしい。
その昔。今ほどファンやサポーターもおらず、サポーター席に集まる人間も僅かだったあの頃。少しでも自分たちの仲間を増やそうと躍起になっていた時期でもある。ゴール裏に来た若い子たちに、僕の持っているTシャツなどをプレゼントして言葉を伝える。「またここで会おうな」と。
そんな彼らが、次の試合で着古されたUSEDに書かれた「ULTRAS」の文字を背負っている。僕はその姿を見て感極まってしまう。ふとしたときにこんなことを思い出してしまうのだ。そして彼らは新たな”個性”として芽生えていった。こう書くとなんだか走馬灯のようなのだけれどね。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
このような話をJリーグのファン、サポーター以外の方に話すと少し驚かれたりする。なんとなく自分たちの中では”当たり前”のように感じてしまっていることも大いにしてある。なにせ四半世紀以上も同じような生活を繰り返している。まさに人生のDNAに組み込まれていると言っていい。
とは言え、年が経つに連れその体質の構造変化も起こっていく。勿論新陳代謝という良い意味での、だ。何かを失う(と書くと語弊があるが)と同時に何かを手にするというライフサイクルで僕らの身体は形成されていると思うと、なんだかあったかさに包み込まれている気持ちになる。
先日の大分での試合終了後、例の”スカイウォーカー(ブログ参照)”と記念写真を取るためにゴール裏を訪れた。無事に撮影が終わったのだが、実に知っている顔を見る数が減っていることに気づく。それだけゴール裏に新しいファンやサポーターが増えているのだ。これは嬉しいことだ。
いや、待てよ。違う違う、そうじゃ、そうじゃない。知っている顔が減っているんじゃない。「はじめまして」が増えているのだ。そんなことを思いながらゴール裏のサポーター席を歩いてみた。なんだか新しい風を僕は感じた。それで良いなとひとりで納得してひとり頷いたのだった。
ファンなんてサポーターなんて言ってしまえば利害関係もない、知らない人の集まりだ。その中で共に目的意識(当然セレッソの勝利)を合わせて前に進む。だがひとつだけ忘れてはならないと僕が思うのが”個性”なのだ。それは決して和を乱すものなどではなく、自分自身の存在証明。
比べるのは良くないが、サポーター席にいた頃の”個性”とはまた違った形になりつつあるのだろうか。ユニフォーム姿はひときわ多い。日本が裕福になったかどうかはさておき確実にゴール裏がそんなカラーになっている。その上で、ひとりひとりの”個性”が出せるようだと素晴らしい。
その昔。今ほどファンやサポーターもおらず、サポーター席に集まる人間も僅かだったあの頃。少しでも自分たちの仲間を増やそうと躍起になっていた時期でもある。ゴール裏に来た若い子たちに、僕の持っているTシャツなどをプレゼントして言葉を伝える。「またここで会おうな」と。
そんな彼らが、次の試合で着古されたUSEDに書かれた「ULTRAS」の文字を背負っている。僕はその姿を見て感極まってしまう。ふとしたときにこんなことを思い出してしまうのだ。そして彼らは新たな”個性”として芽生えていった。こう書くとなんだか走馬灯のようなのだけれどね。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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