スキップしてメイン コンテンツに移動

黒パグ行方不明事件(令和元年12月26日(パ)第9696号)。

今回は内容が少しショッキングであることをご容赦いただきたい。今朝発生した我が愛犬クロヱ(黒パグ♀3歳と3ヶ月)による大胆な犯罪行為。これに関わる家族を巻き込んだ騒動について書き記したい。恐れながらこの詳細はノンフィクションであり、登場人(犬)物は全て実在する。

今朝のことだ。6時。いつもより少し遅く起きた僕は用を足すためにトイレへと向かった。足がおぼつかない。何とか玄関横の個室まで辿り着き目的を果たしたのち、僕は水を流し手を洗い、扉を開けて出る。なんてことはない毎朝ルーティーンのごとく行なわれていくだけの簡単な行為。

リビングに戻る。何か物静かだ。カサカサと動き回る音もしないのでこれは布団で寝ているのだろうなと高をくくる。大概の場合は僕の起床に併せて一緒に目覚めるはずなのにおかしいなと思いつつも、まあ良いかと思いながら、これも毎朝の恒例行事でもある散歩の準備を行なっていた。

カサカサという音すらも発生しない。一体何をしているのだろうか。いや、これは違う。あれ一体全体何がどうなったのか、クロヱさんが忽然と姿を消してしまった。寝ている間に神隠しにでも遭ったのだろうか。妻と僕は捜索活動を開始した。必死に「クロヱさん」の名前を連呼してみる。

しかし全く痕跡もなく、いつもならば散歩に行きたくてウズウズしながら飛びかかってくるはずなのに一向に姿を見せないのだ。やはり警察に相談すべきかと正直迷ったが、そんなとき僕は、ある物音を敏感に察知した。再度声をかけてみたところ思わぬところから鼻息が聴こえてきた。

その鼻息はかすかに玄関のほうから聴こえる。付近でもう一度「クロヱさん」と呼ぶ。大音量の鼻息が密閉された空間でくぐもっている。僕はこの異音が流れてくるドアのノブを回し手前に引いてみる。中からブーブー言いながら黒い物体が飛び出してきて、僕は腰を抜かしそうになった。

盲点を突く。「金田一少年の事件簿」で例えるならば、およそ実現不可能なレベルでのドアすり抜けトリック(たしかからくり屋敷かなんかのやつだったと思うがほぼ憶えていないのが実状)。ワンコでありながら、それをリアルに実行したこの黒パグにはお見事としか言いようが無い。

しかしながら、最後の最後で”自力脱出”できないという、オートロックで鍵が掛かってしまい逃げるに逃げられなくなった鈍臭い泥棒のような汚点と呼ぶに相応しい結果を残した。実に「まさに自業自得」という言葉通り。墓穴を掘るとはこのことなのだろうと、僕は心の口角を上げた。

無事発見された後、ようやくオレンジ色のリードを接続し、玄関のドアを開け、いつもの緑道へ向かって僕らは飛び出していく。何となくどんよりとした空模様のなかでの散歩の途中、「あら黒パグちゃん、やけに荒くれているわねェ」マダムにそう声をかけられた。僕は理由を知っている。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。

「世界のいまを伝えたい」を読んで。

昨日クロアチア料理の「Dobro」に行った話を書いたが、その際、僕らがクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに対して支援をしていたことなどについてスタッフさんと少し話をした。写真で見るクロアチアの風景を見て、様々起こった出来事などを思い出したりした。 それにしても僕は幸せ者である。前述のボランティアを通じて多くの素晴らしい方と巡り合うことができた。それなのに中々恩返しができていないのも事実であり、自分自身を恥ずかしく思うときもある。そんな毎日ではあるが少しでもお役に立っていきたいと考えている。 そんななか、ようやくと言っていいくらいではある(本当にごめんなさい)のだがこの本を読んだ。フォトジャーナリストでアミーゴの久保田弘信さんと出会ったのはちょうど10年前(虎舞竜ではなく)のコソボ共和国大使館によるパーティの二次会が行なわれた居酒屋だった。 今でも覚えている。翌日健康診断を控えていた僕はご飯も酒も取れないなかこの二次会に参加し、そこで久保田さんと初めてお会いした。この本にも書かれている通り、戦場で生きる方々の生活を映し出している様を目の当たりにし、感動以上の感情が見つからなかったのだ。 その後も講演会や上映会、自宅などにも招待いただいたりして親交を深めていくたびに、「いやあ本当に凄い人なんだな」という気持ちばかりが大きくなっていった。また、海外で撮られた写真をいただいたりと感謝しても足りないくらいのものをいつも貰ってきた気がする。 「世界のいまを伝えたい」を読了した今、改めて久保田弘信さんという人物の素晴らしさに魅了されると共に、いつも仲良くしてくださっていることに嬉しい気持ちでいっぱいになってくる。最近はなかなか都合がつかず会えていないが、とても近くにいる、そんな気持ちだ。 書籍の中身については他に譲るのだが、”フォトジャーナリスト久保田弘信”という人物像がこの本の中で余すところなく描かれていて、実に人間味が溢れるものであることだけはどうしても言っておきたい。なぜそこへ行くのか、なぜそれを伝えるのか。まさに心を震えさせる。 アフガニスタン、イラク、シリア、そして。その中で生きていくことの困難さと儚さ。苦労されている難民の方々。愛くるしい笑顔を見せる子どもたち。サラエボで見たあの戦争の爪痕を思い出してしまった。多くの方にこの本を手にとって...