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4月, 2021の投稿を表示しています

新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

なぜ懲りもせずにTシャツを作り続けるのか。

ビジネスとプライベートを同じプラットフォームで管理することに抵抗のある方が多いと聞く。僕の場合、別個に存在していることのほうが逆に気の持ちようが悪い。人生には一本道しか無いと思っているし、これからもそうだとも感じている。 だが、趣味は趣味、仕事は仕事であって、好きなことを生業にするのは正しいか否かを考える時間もことのほか多い。まあ大半の生きかたには、そんなことを意識して行なえるはずも無く、淡々とした毎日を送り続けるのがせいぜいなのだろう。 楽しみとしての領域では、まず自分が思った通りを実践してみて、周りの方々が同意してくれるのか理解してくれるのか、で判断する。しかしながら、昨今のビジネスにおいては当然のことだが、お客様そして利用者の目線が一番になってくる。 Tシャツ、Tシャツのデザインなんてものもその典型かもしれない。まずは自分自身が「着たい」と思わない限り、作る価値が無い。売れるか売れないかは二の次でやはり己の欲望が先に立ってしまうのが一番。そういった観点を意識している。 ここ数年というか、どのクラブでも2010年くらいからのスタジアムを見ていても、ユニフォーム姿のサポーターが圧倒的に増えた。素晴らしいなと純粋に思うし、逆の意味で捉えると、それだけ豊かになっているという証でもあるように思える。 サポーターになる時点でなんでも揃えられるものは揃えてしまえるほどの生活水準になっている。その昔はサポーターなりたての子たちに、持っているTシャツをプレゼントしたりしていた。着古したものにも、それ相応のステータスがあった。 時代も変わり、人の生活も変わり、そしてサッカーとの関わりかたも変わっていっている。改めてこのステータスというキーワードを考える時が来ている気がする。すべてが空中戦で事足りる昨今に、勝負の縦パスみたく打ち込む楔のように。 あの頃が良かったとか今に苦言を呈するとかではなく「この時代だからこそ」のTシャツを作り続けたいとも思う。昔のキャッチフレーズを思い出してしまった。「いつも心にREALを」。間違いなくこれからもTシャツを作り続けるのだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第10節 浦和レッズ戦。

駄ブログを毎日書かなくなったからといって時間が作れたか、というとそうでもない。人間は「24時間」をなんとなく過ごしている生き物なのだと改めて気付かされた。とは言え、こんな体たらくは僕だけだろうとも思える。恥ずかしいほどに。 そんななかで何度目だろうかの緊急事態宣言が発出されそうだ。去年の夏に冠婚葬祭で帰阪した以外はまったく帰っていないのだが、人は馴れてしまう生き物でもあるのだ。元来のインドア派の本領が発揮されていると言っても、過言では無い。 さて、浦和レッズ戦である。ここ数試合、勝てていないことに加えて相手は連勝中。スタジアムの入場もかなりの人数制限が行なわれている状況下での厳しいゲームは、なんとか最小得点差で勝つことができた。実に、勝ちに不思議の勝ちあり。 一番気にして見ていたのが西尾選手だった。前の試合(これだけ"節"がぐちゃぐちゃになっていたら、"前節"て呼べないな)のプレイもあったし。まだまだ若いから、という言葉を含め、サポーターの声が選手を勇気付けているのは間違いない。 セレッソ大阪のサポーターだけでなく、各クラブのサポーターの方々は、自分たちの選手を勇気付けることにすべてを賭けている。伝わるか伝わらないかではなく、自分自身がサポーターとして選手にどうしたいのかを本当に考えて動いている。 過去には、選手との関係にギクシャクすることもあるにはあった。今のこの多様性の時代においては、選手たちへのリスペクト、クラブに対してのリスペクト、相手チームへのリスペクト、そして共に戦うサポーターにリスペクト。それが重要。 リスペクトしているサポーターの方々のニュースを見るたびに 選手とサポーター、クラブとサポーターの関係を、今一度見つめ直す時期なのかもしれないな、と思ったりする。人と会えない分、人のことを考える時間が増えた。不思議なほどに。 勝ちには不思議はあるが、負けには理由が存在する。要はその瞬間に気付けるか否か。その点で言えば西尾選手は気付きそしてこの勝利に結びつけた。多くの大人が彼から学んだことだ。関係性には、上下なんてものはそれほど意味を持たない。 リスペクトとはre(再び)とspect(見る)からなる言葉だそうだ。そういう意味だと「尊敬」よりもどちらかと言えば「尊重」に近いらしい。クラブとも選手ともそしてサポーターとも、

第18節 徳島ヴォルティス戦。

個人ひとりひとりの小さなミスによって起こるケースと組織全体の問題によって招き入れるケースの二通りが存在する。明らかな過失はともかくとして、大半は「しくみ」が成り立っていないときにこそ、ヒヤリハットはインシデントに変わる。 ビジネスだろうがサッカーだろうが、どのような組織であっても同様。そういう意味において徳島ヴォルティス戦は、1-2という点差以上にチームとしての「差」がついていたことを実感できる。最後のシーンなどはその「おまけ」かもしれない。 それよりも非常に気になったのは(Clubhouseでも話したのだけれど)オウンゴール後そして試合終了後の静けさだった。もちろんコロナ禍で応援スタイルが限定されているのは致し方ないのだが、「クラップ」オンリーだけでは表現は難しい。 ここ数試合、サポーターの存在が重要であると感じてしまう場面が少なくない。「サポーターの声」そのものが選手のためになっているのか否かの議論はこの先もずっと続くのだろう。だが良くも悪くも「無くてはならない」存在であるはずだ。 そんなことを今、この瞬間に考えている自分がいる。スタジアムに行くのもままならない状況で、現状を早く脱することができれば良いのだが、なかなか。しばらくはクラブの力に頼るしかないのが実情でもある。新たな策を期待して待っている。 そういやヒヤリハットとインシデントの話に戻る。「ハインリッヒの法則」は、ひとつの重大な事故の元には29の軽微な事故があり、その前に300ものヒヤリハットが存在すると言われている。クラブが兆候を見逃さないことを心から祈っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第9節 アビスパ福岡戦。

ついに東京も「新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置」の適用が決まったようだ。大阪を含めすでに始まっている地域もあり、この先どのように変わっていくのか。飲食店を中心に、まだまだ余談を許さない状況は続いていくだろう。 そんなさなか、アジアチャンピオンズリーグの関係もあり試合日程がかなり動いた。セレッソ大阪としてはここからホーム四連戦となる。そのスタートがアビスパ福岡戦。なんとか勝ち点を稼ぎたいと思っていたものの、そうは問屋が卸さない。 率直に「あの頃のセレッソ大阪が戻ってきた」という感覚だけでは収まりきらない。試合の締めかたにサポーターが関与できていたら、もうちょっと違った結末にはなったのだろう。サポーターの声の力はそういう場面で発揮されるものなのだ。 終了間際の失点が多くなっているのも、監督や選手だけの問題ではない。サポーター含めたチームが一体になった試合になっていたなら防げる可能性もある。型にはまったものだけでは片付けられないサポーターの声の力。なにより重要だろう。 勝ち点2を失ったのは間違いない。とは言え二つのゴールは、未来を見せてくれるものとしては上物であったことも間違いない。一人多いからと言って、すべての試合が自分たちに都合良く思い通りに行くわけが無い。あと三試合が見ものである。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第8節 横浜F・マリノス戦。

「昔を思い出すのは歳を取ったせい」だとかよく言われる。色んな出来事を忘却していくのが人間の性ではあるが、なぜだかセレッソ大阪の歴史だけ常に覚えているというのがセレッソファンだ。これは一体どういうことかと時々思ってしまう。 記憶には短期記憶と長期記憶がある。長期記憶は回想記憶、展望記憶という時系列や、宣言、非宣言記憶という分類がされる。特に回想記憶のエピソード記憶、自伝的記憶に、セレッソ大阪があるのだ。まさに「自分ごと」としての記憶なのだ。 スタートメンバーを入れ替えて臨んだ横浜F・マリノス戦は久々の敗戦となった。直接の対戦でも10年ぶりということだったらしい。自分の記憶を辿ってもそんなに長かったのかとも思ってしまう。1990、2000年代を知る身としては少し歯痒い。 どうも、最近の若いサポーターと話しても勝利の記憶しか無いようだ。良き思い出は生活にも良い影響をもたらすとも言うので、それはそれでありなのだが、惨めな敗戦や、やるせない試合なども、時間が経ってみれば素敵な記憶でもあるのだ。 クラハでも話していたのだが、代わって出場した選手たちは充分に戦えていた。そう考えれば今後のことを考えても層が厚くなったと思いたい。それだけでもこの試合の価値がある。実際にそうなるかどうかは、次の試合の結果が決めるだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第7節 サガン鳥栖戦。

このような状況下での金曜日開催が良いか悪いかは僕には分からない。だが土日に差し掛かる前に行なわれるゲームには何かワクワク感というのだろうか、ヨーロッパのリーグのような、多少の気持ちの高ぶりなどかあったりするので不思議だ。 木曜日のClubhouseでも同じような話になり、とは言え観客の入りなどには影響するよね、との結論に落ち着いた。二年前には4万人を集めたこの「金J」。いつまで続くのかという思いもあるのも事実。何事もチャレンジから始まるということ。 そんなフライデーのナイトマッチ。今シーズン無失点を継続していた鳥栖との試合は、なんとか勝利で終えることができた。こういうケースでは大概、相手の記録を更新させてしまう我がクラブだったが、今回ついにこの呪縛から逃れたようだ。 少々ミスもあって難しい展開が多かったものの、勝ち点3を手に入れられたのは嬉しい限りである。しかしながら、ボールを持たれる厳しい試合であったのは事実。選手的には持たせている感があったとも話しているが、それだけでも無さそう。 そういう、少し試合に入り込めない選手をサポートできるのが「サポーター」であり、僕がリードしていたときなどはそこを重視していた。個別のチャントが無かったとしても、声を送り、手拍子で鼓舞する。とても重要なミッションだった。 いま、コロナ禍において、このようなサポートができないなかで、どうアイデンティティを表現するか。この一年はそんな見方を常にしていくのだろうなと考えながらテレビ観戦している。来週のClubhouseで聴いてみようかなとも思っている。 それにしても「金J」だと、週末の使い方が不安になってしまうのは職業病か。三ヶ月ぶりに近くの眼科に行ってきた。検査の結果は良くもなっておらず悪くもなっておらず。まあとにかく、何事も様子を見ていくことが今の僕にできることだな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP