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2月, 2020の投稿を表示しています

時間は「無くなる」ものではなく「生み出す」もの。

昨今の新型コロナウイルスの関係などで仕事にもかなりの変化が訪れている。少々不謹慎を承知でだ。これを機に、できること、できないこと、やれること、やれないこと、やりたいこと、やりたくないことを整理したいと考えている。外部環境や内部環境といった阻害要因も無くはないのだが。

僕のスタンスはあくまで20-80ルールだ。80%の力で抱えているすべての仕事をやりきったうえで、20%(まあ月金で働くとしたら一日)を「新しいことを生み出す時間」に費やしたいと常々思っている。その20%でどんなことを見つけられるのかを想像するだけでゾクゾクしてきてしまうのだ。

職業柄、多くのアイデアを耳にしたりする。その大半は既に結論が決まっていて(そしてそれは作られた数字でまさに捕らぬ狸の皮算用だ)逆算というシナリオを辿っているケースに明け暮れる。際限なく見てきたせいか、ゼロイチを生み出すお手伝いをしたいという思いが大きくなっている。

ところがいつも聴かされるフレーズに「時間が無い」がある。僕は、時間はアイデア同様に「無くなる」ものではなく「生み出す」ものだと思っている。短期的に時間が少ないのは仕方がないとしても、中長期的に20-80を作り出す努力ができれば、と可能性を見出す行動を取るべきなのだろう。

今この時代。何が成功するのかなど誰にも分からない。例えばアップルがiPhoneを誕生させたとき(このデバイスが生まれてまだ十数年しか経っていないのはまさに奇跡だ)オーディエンスの声に多く存在したのが「タッチパネルなど流行るわけがない」という先入観からくる感情の声だった。

人は誰しも一日24時間というキャパシティを与えられている。しかも死ぬまで。この長い時空を自分のものにするか、自分のものにしたいと思うかによってすべては変わったりするのだと僕は考える。そう考えるだけで、案外、学ばないといけないことは一体何なのかに気づけたりするものだ。

例えば、一日を15分単位に区切ってみるだけで、96ものターンを自分で好きに組めるようになる。もちろん自分の力だけではどうにもならない場合も存在する。悩んでも仕方ない。その時間でさえも15分単位で仮に区切ってみたら、果たしてどんなことが起こるのだろうか。試してみて欲しい。

さて、昨日の話の続きではないが人には特性がある。「現状を維持する」、「今の姿を少し変える」、「現状を全…

ゆで卵(のことじゃなく)。

ゆで卵を剥くのがどうも苦手だ。最近はお昼ご飯に一個食べる習慣にしている。しかしながらこの殻の処理に手こずっている毎日だ。何をどうやってそうなるのかが不明だが、どうしても僕の指が白身ごとえぐってしまう。元来運動神経の良いほうではないが、ここまでくると笑えてしまう。

人には向き不向きがある。仕事においても得意な分野とどうしても駄目な苦手分野が存在する。文系理系、事務職系と技術職系、運動系と文化系(これはちょっと違うか)。生まれ持つ能力や経験によっても変わってくる。自分のなりたい姿とのギャップにも苦しんでしまうことだってある。

ルヴァンカップが延期となった昨日の夜。たまたま流れてきた知人のタイムラインで「エアルヴァン杯」というハッシュタグを見た。なるほどこのような楽しみ方もあるのだなと思った。このような流れを作ることができる方の才能に少々嫉妬しながら、逆に感心の気持ちのが大きくなった。

Jリーグが始まった1990年代に同様の事態がもし起こっていたとしたら、このような状況が果たして予測できただろうか、とか考えたりしている。それ以外にも、「今日からサポーターになる」的なブログのアクセスが凄いことになったり。得意な分野で表現可能な時代になってきたのだろう。

そういや、話を戻す。そのゆで卵。一番剥きにくいと感じたのはあのコンビニエンスストアのものだ。「なら自分で作れよ」と言われている気配を感じるのは気のせいだろうか。できればとことん「食べるの専門」でいたい。その才能は十分持ち合わせている。舌の出来は想像にお任せする。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

天命をまだまだ知らない。

iPhoneを持って十年。何の心境の変化か。多分初めてだと思うがケースを付けることにした。3、3S、4S、5、6S、7、Xs。この間に落として破損したこと二回。それでも頑なに保護せず生きてきた。「歳を取ると守りに入る」なんて言葉とは同居したつもりは無いが、これが意識というやつか。

もはや今となっては誤解を招くことも皆無であろう。”カズ”三浦知良選手は別格としても、横浜FCの中村俊輔選手(そういや昔はよく似ていると言われたものだ)とガンバ大阪の遠藤保仁選手にはとびっきりのリスペクトを持っている。年齢以上の、サッカーにかける思いの質量に対して、だ。

よく「歳の差なんて関係ない」と耳にするが、直接そこに関わる人からすると重要だ。僕も若い方々と一緒に仕事をする機会が多いので感じる。現代における必要な才能の伸びしろが半端ない。ましてやサッカーの世界ではそのスピードが、ビジネスにおいてのそれとはまた違った状況だろう。

令和の時代に僕のようなおっさんが必要なのかどうか考えてしまう。もちろん、やれることだけをやって、それなりのお金を稼いで、過去の栄光を偉そうに語る生き方も決して駄目だとは言わない。でもそれだけで良いのか。もっと自分を高めないといけないのではないか、とも思ってしまう。

さてJリーグ開幕戦。セレッソ以外に実は両クラブそれぞれの試合も見た。中村選手、遠藤選手共に、まるで”不惑”そのものだった。感動してしまった。と同時に、僕自身も、何かまだまだやれることがある気がしてきた。不肖イバ。今年なんと晴れて五十。とは言え天命をまだまだ知らない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ポジティブに考えられる材料があるのは心の支えになる。

昨日も書いていて多少繰り返しにもなる。このような状況になるとどうしても「ツイている」「ツイていない」という気持ちになってしまう。毎日神頼みをして、上手くいかないと責任を押し付けてしまう自分勝手の悪い癖だ。もう少しポジティブに物事を考えてみる必要があると感じる。

身近にもアジアチャンピオンズリーグに出場するクラブのサポーターがいたりしてアウェイの旅費をどうしようかと悩んでいる様子がうかがえる。またSNSのタイムラインを眺めていて、今日が仙台旅行になっている方々もちらほら存在する。同じサッカーファンとしては非常に心が痛い。

先日誘っていただいた「卓球新年会」で感じた卓球の面白さに端を発し、気の合う仲間で卓球を行なう予定があったのだが、泣く泣くキャンセルした。その際の電話口での店員さんの「やっぱりそうですよね・・・」という言葉。同様のケースが多いのだろうと申し訳ない気持ちになった。

幾度の災害の際にも起こっていた「やるべき」「自粛するべき」という狭間で僕らは生きていくことになる。ストレスのなかで戦っていくという言葉がまさしく事実だろう。「常に考え」「遅滞なく」「正確に」「漏れなく」対応していかなくてはならない立場の方々には本当に感謝したい。

いま新しいプロジェクト(と呼んで良いのかな?)を数名の志士で進めている。将来や未来を考えるだけでワクワクしてしまう。まだまだ発表できない内容も多い。この先進まないことも出てくるだろう。だが、こんな状況だからこそポジティブに考えられる材料があるのは心の支えになる。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

Jリーグ開催延期決定。

うん、花粉がひどい。まず目が相当痒い。あとなんと言っても鼻水がエンドレスだ。この調子だとなんだか(もともと無いのだが)集中力も削がれてしまう。毎日薬を飲んだりマスクをしながら暮らしている。まあ僕以上に辛い思いをされている方もいるので、少しの我慢が必要なのだろう。

日本国内における新型コロナウイルスの状況もかなり大変だ。政府の対応が良いか悪いかなど僕には到底分からない。分からないなりに多くのニュースを見たり情報をつぶさにチェックしたり。亡くなられた方や感染された方も多くいらっしゃるので、もちろん、早く終息してほしいと思う。
今日、Jリーグは、3月15日までに予定していた全公式戦の開催を延期すると決定した模様だ。これに対しても僕は正解かそれとも不正解かを問えるような立場では無い。ただ、やはりサッカーを見たいと思う方が不安な状況では試合を楽しめない。決断としては、正しいと言える気もする。
J1リーグが27試合、J2ルーグが33試合、J3リーグが18試合そしてルヴァンカップの16試合。全体で94試合だという。2019年度の一試合平均入場者数がそれぞれ20,751人、7,176人、2,396人なので、単純に考えると、少なく見積もっても延べ100万人の方々の観戦機会が損失したことになる。
前売りチケットを購入しているケースがある。いやチケットだけではない。アウェイへの交通手段の予約、付随して当然ながら宿泊施設などに影響が出る。今時点ではこのような試合に関連している外部要素について発表はされていないようだ。これから先のJリーグの動向に注目していきたい。
こんなことを書いていたらセレッソ大阪からも多くの情報が流れてきた。今、日本全体が我慢のときなのかもしれない。この大変な時期を乗り越えた未来。Jリーグの試合を見れると願って前に進む。そのために少しでも自分自身でできる努力。後ろ向きにならずに明日からも生きていくこと。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「何故その選択をしたのか」。

セレッソ大阪の試合を見てきていると、フォーメーションや選手選びなど監督による「何故その選択をしたのか」というシーンによく出くわす。それは監督によってまったく感覚が違うだろうし日本人と外国人の差もある。香川真司選手のケースなどが、選択という言葉により重みを増す。

人が何かを選択するとき、様々な思いや多くの葛藤が頭の中を駆け巡る。中でも「ヒト」「モノ」「カネ」「ジョウホウ」という資源の選択ならまだしも、一個人を選ぶという行為は、選ぶ側にも選ばれる側にも「感情」というなんだか得体の知れないものがドクッと溢れ出してくるのだ。

水沼宏太選手の横浜F・マリノス移籍で空いた右サイドハーフのポジション。プレシーズンマッチの京都サンガF.C.戦、ルヴァンカップの松本山雅FCそしてリーグ開幕戦の大分トリニータ戦では坂元達裕選手が全試合フル出場した。左足のテクニックと深い切り返しが印象的な三試合だった。

また彼には90分間走り切れる体力もあることを知った(こんなことを書くとモンテディオ山形のファンの方に怒られそうだ)。このポジションには新加入の西川潤選手やアビスパ福岡から復帰した前川大河選手がいる。しかし、確かにどこから見てもファーストチョイスしたくなる選手だ。

何かを選択するとき僕の場合は直感を信じることが多い。それはまるで居酒屋で焼き鳥を注文する際にタレかシオかを決めるのに似ている。これはちょっと馬鹿げているかもしれない。だが、心の声に素直に耳を傾けて出した答えが正解だったことも。考え過ぎないほうが良いときもある。

感覚で物事を決断していくのは決して悪くないと僕は思う。もちろん知識に基づいた根拠も大事である。そんな判断材料が直感を鈍らせることも忘れてはならないと感じている。五感を信じてみるのもときには必要だ。レゴ®シリアスプレイ®で言うと視覚、触覚をフルに活用してみるのだ。

レゴブロックを掴む瞬間。考えるより先に手を指先を信じる。信じて選んだレゴブロックを用いてひたすら作品を創り上げていく。「直感」という「感情」。突き動かされて僕らは何かを選択する。ロティーナ監督の選択の素晴らしさを知る。何故その選択をしたのか。そこに興味がある。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

シンプル。

久しぶりにレゴブロックを洗浄しようとダイソーに行ってきた。当然のことながらマスクは売り切れだ。今日の目的は洗濯ネットとオキシウォッシュ。しっかりと買い込み、何回かに分けて洗濯ネットに詰めてつけ置き洗いする。そして、そのままベランダで干しておくのがシンプルで良い。

他クラブ同士の試合を見ることは結構稀だ。しかしながら今日は少々調子も良くない。なので朝にレゴブロックの洗浄を行ない午後は本を読みながら何試合かテレビ観戦をしている。今はエンペラーズカップチャンピオンの神戸とJ1昇格した横浜FCの試合の合間にブログを書いているところ。

実況を聞いているとこの試合は鳴り物による応援行為が無しになっているらしい。なるほど、このボリューム感は非常に欧州風味だ。僕にとってはシンプルで心地よく感じる雰囲気。そればかりが気になって試合内容が入ってこないのも一理ある。こういうときにサポーターの凄さが分かる。

チャンスには歓声が溢れ、ピンチとなると野太い歌声が選手たちに勇気を与える。まさにシンプル。僕の理想の「試合の流れとシンクロする応援」。時勢の折この決断に踏み切った両クラブが素晴らしいと思う。少し不謹慎だが、そこからこのような雰囲気が生まれ、何か感じるものもあった。

応援が楽器や歌中心になっている昨今のJリーグ。何か事故が起こる以外ではあまりお目にかかれないこんな試合をどう捉えるか。僕は後者が好みだがもちろん価値観の相違はある(これについては改めて書く)。ときには他クラブの試合を見てみるのもあり。やはり何事もシンプルな感が良い。

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第1節 大分トリニータ戦。

タイミングとはこのように訪れるのだろう。昨日、箱根からの帰りに新宿西口にあるブックオフに立ち寄った。ご存知の方は分かるだろうが新宿駅の東西に存在したブックオフが数ヶ月前に統合されてしまった。なので大の本屋好きである僕としては、少々辛い人生を送っているのだった。

話が逸れた。そのブックオフで色々探しながら歩いていると一冊の本を見つけ、その前で立ち止まった。「俺か、俺以外か。」先日初代セレ男に就任されたローランドさんの名言集だ。以前から読みたいと思っていながらサボっていた自分が憎い。僕は躊躇せず手に取ってレジへと進んだ。

そのローランドさん効果もあってか、2020年シーズンも開幕戦を勝利することができた。お客様との会合があり今年もスタートはテレビ観戦。主導権を握られっぱなしの、とても難しい試合だった。内容はともかく失点せずに終えられ(最後の最後は冷や汗が出た)、感謝をしたいと思う。

気になるところもいくつかあって修正してかないと不味い気はした。しかしながら数人の新戦力はフィットしている感もあるし、これは先々が非常に楽しみになってくる。もう少し力が付いたなら「夢に近づくのではなく、夢のほうから俺に寄ってくるはずだ」という言葉も聴けそうだな。

それにしても大分トリニータは素晴らしいサッカーをしている。いや大分だけじゃない。今のJリーグはどのクラブも最後まで走り抜くサッカーだから面白いのだ。今改めて言いたい。Jリーグを見にスタジアムへ行こう。そこには、まさに夢と魔法の国に匹敵するファンタジーが溢れている。

余談だがまたメディアで話す機会をいただけそうだ。やっぱりセレッソ大阪を好きになって良かったなとつくづく思ってしまう。1993年夏。父の言葉。スケールは違えど(もちろん僕が低い)奇しくもローランドさんもお父の言葉に影響を受けたとこの本に書かれていたのが印象的だった。

その「俺か、俺以外か。」昨年10月以降セレッソファン、サポーターも手にしただろう。僕は今さっき読み終わった。なんだか中古本で済ませようとしたのがとても申し訳なく感じる。五十前の男が読んでも素敵だ。のめり込んで一気読みしてしまった。多くの方に見てもらいたいなと思う。

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バックエンドのプロフェッショナル。

録画していたセレッソ大阪寮母である村野明子さん出演の番組を見た。具材選びや目分量で入れる調味料などを見ているだけでプロフェッショナルという言葉を感じさせられる。我がクラブの未来の選手たちを育てる大事な役目だ。メディアへの露出は本当にありがたい。素晴らしいことだ。
これは何もセレッソ大阪のことだけではない。まさにJリーグすべてのクラブにおいてバックエンドの方々のご努力によるところが非常に大きい。そしてその方々のご苦労が見える化されているのが嬉しい。僕らファン、サポーターにはそのバックエンドの状況を知る義務があるのかもしれない。
僕らサッカーショップ蹴球堂も言ってしまえばファンやサポーターのバックエンドのような存在であった(今もその思いだ)。なかなかスタジアムでオフィシャルグッズが買えなかった時代に上手く活用していただいたり。誰かの幸せを後ろから支える。世の中の仕事はほぼその仕組みだろう。
表には見えてこなくても素晴らしいプロフェッショナルがいる。そんな方々が僕は大好きだ。どんな仕事にも楽しさはあり、もし自分がやりたい仕事に就けなかったとしても、その仕事を楽しいものにしていければいい。それがプロフェッショナルへの一歩だということを若い方々に伝えたい。
この週末箱根に行ってきた。そこでも多くを意識する機会があった。たくさんの刺激と決断。たったひとつの問いだったがレゴ®シリアスプレイ®を行ない、見つけることができた。僕はどこまで行ってもバックエンドのプロフェッショナルを目指す僕がそこにいた。間違っていない生き方だ。
話は戻る。村野さんのご飯を食べて育ったアカデミーの選手がこれからトップへとどんどん上がっていくはず。その姿を見るために僕らは待ち続ける。バックエンドのプロフェッショナルが支えてくれていることを決して忘れてはならない。これが選手に限った話でないことは誰にでも分かる。
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地域清掃活動に参加して感じたこと。

先日、とある地域清掃活動に参加した。マスク、手袋姿でビニール袋とトングを持って自分たちの街を歩きながら落ちているゴミを拾うこと30分。歩道や道路脇にある花壇などが中心だ。いやいや、たかが30分と言うなかれ。大きいゴミ袋が半分ほど埋まるくらい拾うことができたのだった。

その拾ったゴミのなかで一番多かったのは、ご想像のとおり「タバコの吸い殻」だ。これはもう圧倒的である。東京都の道路の大半は歩きタバコが駄目になっているようだ。たしかに見る機会が圧倒的に少なくなった気はするが、まだまだこれだけ落ちているのだなと少々戸惑いを隠せない。

次は「缶」や「ペットボトル」だ。飲み終わったあとゴミ箱へと行くこともなく道端へと投げ捨てられているのだろう。思えば東京に来たときからかなり感じていた。この街の道路に設置されているゴミ箱らしきものが実に少ない。そのせいとは決して言わないが少なくはないと感じている。

昨今のコロナウイルスの影響なのだろうか。マスクの投げ捨てが非常に多い。ゴミとしてもどうかと思うが、家に辿り着く前に取り外していることが気になる。できればしっかりと帰宅するまで装着しておくのが良いのではと思う。それだけで市中のゴミにもならずに済むし一挙両得である。

サッカースタジアムでも試合終了後に清掃活動が行われる。ワールドカップ時など海外メディアで絶賛されたりする。ゴミが出たあとに片付けるのももちろん大事だがひとりひとりがゴミを出さない努力をするのも必要なのだと僕は思う。出たゴミは持って帰るか、もしくはゴミ箱に入れる。

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「一所懸命」と「一生懸命」。

三月の予定がバタバタと入ってきた。またあっちこっち(丁稚ではなく)を色々と廻らせていただくことになる。今の状況で海外に行くことは非常に難しい(実は一件あったのだがキャンセルになった)のだが、僕の言葉に反応してくれる依頼を多くいただいていて、本当にありがたい話だ。

言葉と言えば先日野村克也さんが亡くなった。子供の頃は野球少年でもあったので悲しい気持ちが溢れる。講演を聴かせていただいたことがある。原稿も持たずただ座ってひたすらに話し続ける。その言葉は理路整然としており、すっと心に入っていった思いがある。が、中身を思い出せない。

野村克也さんは名言使いでもあった。一番印象に残っているのは「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」。このブログでも何度か利用させていただいた(大体は勝ちに不思議、のほう)この言葉も素敵なのだが、今日書きたいのは「一所懸命」と「一生懸命」のエピソードだ。

この世には平時と有事というふたつの時事が存在する。有事の際には様々な策を持って事にあたることになる。まさにその場所を懸命に守る「一所懸命」だ。しかしながら平時に何もしない、というわけにはいかない。練習然りテスト然り。これは常に繰り返される「一生懸命」なのだろう。

「一所懸命」と「一生懸命」。どちらも無くてはならない存在であり、片方だけがある状態でも駄目なのだ。僕はどちらかと言えば目の前に差し迫る危機に対してのみ意識が行ってしまいがちだったが、これらの言葉の意味を知って、ようやく平時と有事に対処できるようになった気がする。

言葉は本当に素晴らしい。だから僕は誰かの話をよく聴き、書籍をよく読み、そして得た情報を人に話す。このような行動の先には僕が考えなければならない考えるべきものがあるのかもしれない。要するに毎日の「一所」と「一生」を「懸命に生きろ」とノムさんから言われているのである。

そんな深い気持ちでブログを書いていたら、ふと以前に字の練習として毎日書いていた中国故事や名言を思い出した。実に365日ものあいだに綴られた言葉に何故だか勇気が湧いてくる。人に見せられなくはないがそれほど上手くもない文字を見て、これこそ平時だな、とひとりごちるのだ。

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「愛」を見つける。

所詮ファンやサポーターなんて赤の他人。思っていることも考えていることも違う。その中での共通項はただひとつ。同じクラブを愛しているという点だ。最近、年齢や性別も超えて理解し合えるこの「愛」しているのワードについて考えさせられる機会が多くなっているのは何故だろうか。

過去のブログや記事などを読んでいて、サッカーショップ蹴球堂がどれほど愛されていたかを今身に沁みて感じている。もちろん厳しい叱咤激励やときには難しい局面に追い込まれることも無くはなかった。でもそんな場面では「愛」のメッセージに何度も勇気付けられてきた気がしている。

僕らサッカーショップ蹴球堂スタッフ一同は2020年中の店舗再建を目指して様々模索している段階である。当然のことながらなかなか「愛」だけでは成り立たないものも多く存在する。少しずつでも問題を解決して、少しずつでも前に進むことを怠ってはいけないなと改めて感じたのだった。

もしかしたら何かを報告できるかもしれないがまだまだかもなのかもしれない。こんな某刑事一課長みたいな言葉になってしまって申し訳ない。多くのセレッソファン、サポーターのお役に立てる瞬間を夢見て、僕は今日もデータやら何やらにらめっこする日々を送る。「愛」はここにある。

さてセレッソファンの某ブログを読んでいたら少々不気味な写真を見つけてしまい、思いを巡らせている今。なんだか気持ちが落ち着かないので癒やし系画像に触手が伸びる。デザイナーたまやんさんに描いてもらった擬人化したサッカーショップ蹴球堂が僕を見つめてくる。まさに「愛」だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

アップグレード。

松本山雅FC戦のダイジェストを見た。確かに先制されたシーンはいただけないのだろうがそれも改善はできそうだ。それ以上に多くの選手が得点に絡んでいくシーンが多く、まさにグレードアップしている予感がある。まだ直に見ていないという、なんとも言えない気持ちを抑えておきたい。
しかしながら開幕前に良い話ばかりが出たシーズンの成績が良くないことも僕らセレッソ大阪ファンは知っている。予想順位表などは少し遠目に見ておいたほうがいい。一部の方が我がクラブを押してきている。だがあまり鵜呑みにせず、まずは着実に一歩一歩前進することから始めるべき。
そのなかでも今季モンテディオ山形から移籍してきた坂元達裕選手の評判がすこぶる良い。4-4-2の右ハーフにレフティを使うのは僕も賛成。あとは守備面とシーズン通して実力を発揮できるか。西川潤選手との熾烈なポジション争いのようにも見えるが若い選手たちの競争は実に大事である。
当然のことながら新たに加入した選手ばかりではなく、前年から在籍してきた選手たちにも求めていきたい。ひとりひとりのアップグレードがチームを強くする。以前からも書いているがU-23で甘んじず(U-23が駄目だと言うわけではない)高みを目指してくれることを心の底から願うのだ。
特にセレッソ大阪アカデミー出身の選手たちには大いに期待している。先日も期限付き移籍先クラブのサポーターのボスから「彼らをよろしく」と連絡があった。試合にしっかり出て活躍しサポーターの心をも掴んで戻ってきただけでなく更なるアップグレードを望んでいる僕がここにいる。
そう言えば余談だが職場のマグカップをミッキーマウスからチビゴジラにアップグレードした(これをアップグレードと呼ぶかどうかはお任せする)。もちろんミッキーマウスのマグカップは自宅でしっかり利用している。新しいものだけに価値があるわけではない。共に活かすのが必要だ。
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イレギュラーに対処する。

金曜日から滞在していた仙台からようやく戻ってきた。街自体や美味いものやホテル暮らしも素晴らしい仙台だがやはり我が家も同様に素晴らしい。二日間レゴ®シリアスプレイ®のファシリテーターということでほぼ立ちっぱなしだった。これから少し疲れた身体を労ろうかなと考えている。

リーグ戦に先駆けて今日からルヴァンカップが始まっている。タイムラインを追う状況であるが結果はなんとか良さそうだ。スタート、サブを見ていても、離脱者も比較的少ないようで安心している。まだまだここから長いシーズンが続くので、ケアを怠らないよう期待しておきたいと思う。

ケアというとおこがましいのだが、レゴ®シリアスプレイ®のワークショップもかなり流動的に行なうことが多い。今回も当初想定してた設計を触らないといけない状況に陥った。とは言え常に二手三手多めに策を持って臨んでいる関係もあって、悟られず円滑にワークショップを完遂できた。

必要になってくるのは何も咄嗟の判断力だけでない。ワークショップ全体と構成を見渡せる能力、ドキュメントなどを早急に修正できる能力そしてその変更に耐えうるプレゼンテーション能力。その全てがトップレベルで実行できなければ、それはとても厳しい状況に置かれてしまうだろう。

特にイレギュラーが発生したとき非常にパニックになりやすい。経験とはこういうところで活かされるわけで、思い出として持っているだけでは何の役にも立たない。だからこそ常にブラッシュアップする。学びを多く摂る。それらを繰り返し繰り返し実践してみる。それが最も大事だろう。

慎重すぎるのもよくないが、コンティンジェンシープランが無いのは非常に危険だ。問題は未然に防げるに越したことはない。しかし人間の行なうことにはすべて予測不可能なケースが存在するのを忘れてはいけないのだ。僕は多くの事故からそれらを学んだ。ここから先も学び続けていく。

さてセレッソ大阪の話だ。来週からリーグ戦が始まる。開幕戦もなかなか行けそうにないスケジュールが組まれている。まずはこの一週間、怪我や体調不良が増えないことを祈っている。厳しい戦いを強いられると思うが、心配しなくともうちの監督はいくつもの策を持って臨まれるはずだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ユニフォームが届く。

Jリーグキックオフカンファレンスが行なわれた。いよいよ僕らのJリーグが始まるのだなという気持ちが徐々に高まってくる。毎年繰り返されることなのだがこの時期の高揚感にすべてのJリーグファン、サポーターの思いが詰まっている。素晴らしい戦いが当たり前かのようにスタートする。

出張に来る前日。セレッソ大阪のアカデミー育成システム「ハナサカプレーヤー」のオーセンティックユニフォームが届く。これも年の行事ということである。新しい戦闘着に袖を通すだけで心の中に何かが沸々と生まれてくる。これだけで、セレッソ大阪ファンで良かったなと思えてくる。

ここ数年の状況から見ても今年もそれほど多くの試合に参戦できるとは想定できない。しかしながらそんなものは関係ない。共に笑い、共に泣き、共に称え合う日々がここから加速度的に年末まで走っていく。もう第何度目か分からないが僕のセレッソ大阪サポーター生の幕が開かれていく。

なかなか試合を見れていない中Jリーグ各クラブの戦術に関する一冊の書籍を紹介していただいた。この旅にもお供しており少しずつだが合間合間に読んでいる。なるほどと感じるたり、そうかそういう意味かと考えさせられる部分。やはり常に何かを学んで置かなければならないと自省する。

いやはや、この歳になってもJリーグ同様に自分自身をアップデートしていかなければならないとそう感じている毎日。時間的制約は僕にとって言い訳でしか無い。生きることは学ぶこと。たとえ1分でもあれば1分の学びが得られることをコントロールしていきたい。さて次の仕事場に向かう。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

仙台旅情。

セント・ヴァレンタインデーだった昨日から東北・仙台に来ている。こんな夜中になっても、まったく寒さを感じることがない。逆に小汗をかいてしまっているくらいだ。厚過ぎるダウンコートというコーディネートを若干後悔している今。ようやくホテルに入り、このブログを書いている。
さてさて仙台に来るのは果たしていつ以来だろうか。ビジネス、プライベートそしてサッカー。なかなか来る機会が少なくなったなとか考えてしまうがそれほどでもない。東京駅からわずか一時間半の距離であるこの地で、レゴ®シリアスプレイ®を行なえる機会をいただけるという幸運な日。

そんな仙台にはどちらかというと思い立って来ることが多い。特にセレッソ大阪の絡みで思い出すのは2000年。J1に昇格したベガルタ仙台とのナビスコカップで訪れた。そのときにはまだセレッソサポーターが平日のアウェイの地に行くなんてかなり少なく多分一桁の人数だったと記憶する。

次は2011年10月。東日本大震災の爪痕も残る中だった。ふと「行かないと」と思い、遮二無二東北新幹線に乗った。車窓から見える仮設住宅に涙した。募金するための貯金箱を持っていったが何故か気持ちの整理がつかないまま自宅まで持ち帰ることになったあの日。やはり色々と思い出す。

仙台とは縁が深い。その縁を深く感じながらワークショップを行なった。東北の方々らしさが作品に出ていたかどうか僕には判断することができない。しかしながらチームとしては全体的に有意義なアウトプットを得られたはずだ。心地よい疲れとともに今日はよく眠れそうな気がしてきた。
そんなこんなでこのセント・ヴァレンタインデーなわけである。諸々な事情も相まって今年の連続ブログ更新はこの記念すべき日に途絶えた。まあそんな日もある。それ以上に素晴らしい一日だったことには疑う余地もない。ブログはいつでも書ける。でも今日という日は今日しか訪れない。

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健康への努力。

これも一種の衰えなのだろうか。最近、以前にも増して首、肩、腰、足が痛い。運動不足も相まってのことだろう。朝晩のワンコの散歩だけでは当然足りない。常に身体を動かしておける環境、汗をかける環境を作りたいと思っている。なかなか思うだけでは前に進まないのも事実なのである。

前々から始めたいと言いながら二の足を踏んでいた「ファシリテーターの会」というファシリテーター自身やファシリテーターを目指そうとしている方々のコミュニティ(と言ってもちっちゃな)。多くのアミーゴにも相談したりして、ようやく重い腰を上げてスタートすることができたのだ。

どこまで続くかも分からないしこの先どうなるのかも不透明ではある。しかしながら「バットは振らないとボールに当てることすらできない」という格言のとおりまずは振ってみるところから始めてみた。昨日の夜、有志による勉強会に5名も集まってくださって本当に感謝以外の何物でもない。

二時間ちょっとくらいの勉強会ではあったが非常に面白いワークショップを行なうことができた。もちろんプログラム設計やドキュメント作りを限られた時間で実施しなければならないし諸々の準備は実に大変だ。だが、そこも含めての楽しさがこのなかには凝縮されていると僕は思っている。

また身体の各部位に痛みが走る。心地よい痛みだけなら良いがそういうわけにもいかないのだ。やはり健康は資本だな。すべてはここから始まる。この会から「レゴ®シリアスプレイ®の認定ファシリテーター」へと早く巣立っていってもらいたいと切に願う。心身ともに持ち堪えられそうにない。

思い出した。アミーゴからもらった「伊庭さんを健康にせなあかんなと話している」という言葉。だが自分自身の努力が当然必要なのだ。少しずつでも努力していくことなのだ。とは言えこのような金言に身も心も救われているのが幸せだ。会場から見た新宿の空も頷いてくれている気がした。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

つながり。

ときにTwitterというツールは素晴らしいと思う場面が多々ある。昨日Jヴィレッジへの行き方についてツイートを行なったところ、丁寧に教えていただける方々がいて本当に嬉しい。結局のところ実現性は限りなく少ない。しかしこのつながりを深く感じられた出来事に深く感謝している。

先日も書いたのだが、Jリーグサポーター同士の横のつながりって本当に素晴らしい。この国にJリーグが誕生して以来ここまで多くの他クラブサポーターの方ともつながってきた。リーグの先に存在する日本代表という存在が非常に大きい。それはタイムラインなどを見ていても一目瞭然だ。

”ノーサイド”という言葉は何もラグビーだけに限ったわけではない。ベースとなったサッカーでもそれは同様だ。選手もクラブもファンもサポーターもそのような精神で戦っていると思う。これはまさにスポーツの世界すべてにおいて準備されている宝石のようなものだと僕は思っている。

だが時々忘れてしまうことがある。些細な言い争い、不安定なレフェリング、まったくもって無用なファール。ほんの小さな綻びからその信頼関係は崩れていく。絆を作るのは時間がかかるが切れるのは一瞬だ。だからこそひとつひとつの行動を僕らは常に意識していかなければならない。

今日またひとつ”つながり”を僕は手に入れた。なので折れずにこの道を歩いていく必要があると思っている。人間味の薄い僕がこれほど多くの方々とつながっていけるこの世界。やっぱり好きだ。これから先もこのような素敵な生き方が続いていく。この環境をくれたJリーグに改めて感謝。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

アカデミー賞の言葉。「変化は何かを犠牲にすることだから」。

新型コロナウイルスの予防として手洗いうがいが有効らしい。僕は以前から手洗いうがいを励行するタイプではあったが更にも増して実施するようになった。世間ではこの有効手段の効果なのだろうかインフルエンザ感染者が少ないとのこと。常に意識を高く持っておきたいなと思っている。

そんななかではあるが素人映画好きでもある僕としてはアカデミー賞が非常に気になっていた。御存知の通り順当な受賞ありサプライズと感じる受賞ありと非常に興味深い結果でもあった。もちろん僕の予想が当たるわけがない。作品賞は「パラサイト 半地下の家族」だった。なんか分かる。

受賞者のひとり。主演男優賞を獲得したホアキン・フェニックス氏のインタビューが話題になっていたので読んでみた。内容についてとやかく僕が言うことでもないので触れずにおく。ただひとつだけとても共感してしまった言葉があった。それは「変化は何かを犠牲にすることだから」だ。

世の中がどこまで進歩したとしても最後の最後はやはり人なのだと僕は思っている。人類が持っている「おせっかい」と「思いやり」そして「気遣い」が加わって、人の意識が正しい方向へと進むことができるはずだ。ホアキン・フェニックス氏が語ったこの言葉を、改めて噛み締めてみる。

自分の身に降りかかることばかりを考えてはいられない。もっと広い視野を持つ必要がある。変化を怖がってはいけないのだ、そう考えさせられてしまう。今、身近の若者たちにこの変化を促しつつ僕自身も意識を高く持って共に歩んでいる。だからこそこの素敵な言葉が胸に突き刺さった。

今週は講師やファシリテーターの仕事が待っている。流行り病はともかく体調管理には留意していきたい。日曜日はフリーだ。せっかく東北へ伺うのでセレッソ大阪サポーター意識を高く持って林穂之香選手を見るためJヴィレッジにでも行ってみるかとか考えている。さてどうなるだろうか。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

プレシーズンマッチ 京都サンガF.C.戦。

「YouTubeで見れるなんて嬉しい!」とか思っていたのだが、よく考えてみればDAZNでの配信の時点でインターネットの力を既に借りているのだった。良い時代になったと感じる反面、ネット上の言葉という人間が作り出すある意味rightである意味darkな部分も見えるようになってくる。
いやこれは良し悪しの問題だけではない。聖書や日本書紀からも分かる通り、人間というなんとも形容し難い生き物がこの世に誕生して以来起こっている事象でもある。口頭然り、手紙然り、電話然り、Eメール然り、そして。このような善悪が繰り返されてきているのは紛れもない事実。
さて、そのような話はさておきYouTubeライブ配信で観戦したプレシーズンマッチが大事なのである。亀岡駅の目の前にこのような素晴らしいスタジアムができるなんてという感想が一番。大阪、神戸、京都の街にサッカー専用スタジアムが存在している今日。まるで夢を見ているようだ。
肝心の試合はというと、ゴールキーパー以外はほぼこのメンバーで公式戦の緒戦を迎えるのではないかと思わせるかの布陣。モニタ越しの映像なので何とも言えない(いつもこの言い訳だな)のではあるが、昨年一年かけてある程度作り出したロティーナ監督の戦術が功を奏しただろうか。
しかしながらJ1、J2にそれほどの差がある訳でもない。何もそれは選手やクラブだけじゃない。クラブを応援するファン、サポーターも同様。素晴らしいスタジアムに素晴らしい試合。更に試合終了後のサポーターの素晴らしい行動を見れば、ボーダーなんてものは存在しないことに気付く。
ファン、サポーターのright sideとdark side。現代のJリーグ(世界中だろうが)ではほぼお目にかかれない、あるスペインの時代錯誤感がある記事を見ていてもそう思った。僕とて若い頃の自分を省みて偉そうに言えないが、懐かしさの中で今でもそのノスタルジーに浸る方々は、実に多い。
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時間をかけて作る。

今週は建国記念の日という休日もあるのだが、ファシリテーター勉強会のファシリテーター(この言い回し正しいのか?)、週末には東北でレゴ®シリアスプレイ®ファシリテーター二本が待っている。体調のコントロールを意識して最高のパフォーマンスを発揮できればと僕は考えている。

さて、公式戦まで一週間となった今日。京都サンガF.C.とのプレシーズンマッチが行なわれる。僕はYoutubeライブ配信での観戦予定だ。会場は満員予想もありサッカーを楽しむのはもちろんのことだが、防寒や新型コロナウイルスへの対策などを是非忘れずに楽しんでほしいなと思っている。

そんな朝。いつもと変わらず愛犬クロヱ(パグ♀3歳)と散歩に出かける。少し遅めの朝陽が眩しい桃園遊歩道。お気に入りの音楽を聴きながらひたすら歩く・歩く・歩く。美しい一日になりそうな予感がする。寒さは耐え難いが、歩いているだけでほんのり温かくなってくる感覚が好きだ。

それにしてもワンコは本当に賢い。人の感情を上手く読み取る。歩くスピードやトイレのタイミングなどこちらの顔色をうかがってくる。そしてこんな風に写真もタイミングも。阿吽の呼吸というのはおこがましいのだが仕事も家族もやはり時間をかけて関係性を作っていくものなのだろう。

子供の頃から多くのワンコと触れ合ってきた僕から飼う時のアドバイス。その一番はなにより「アイコンタクト」だ。しっかりと目を見て指示を出す。しっかりと目を見てワンコの感情を受け止める。これを時間をしっかりかけて実戦できれば、大半のしつけは可能なのだと僕は思っている。

さてプレシーズンマッチ。チーム構成がどうなるのか、新加入選手や怪我から復帰した選手がフィットするかどうかもまだ分からない。ここから一年という時間をじっくりかけて熟成していく。大事なのはシーズン終了時に結果を手にすること。まずは、じっくりとこの試合を見ておきたい。

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「ラストサムライ」とプロ意識。

信じてもらえないだろうが性格と気性が相まってなかなかの人見知りである。ましてや外国の方ともなれば尚更のことだ。そんな状況ではあるが多くのグローバルなアミーゴともつながってきた。インターネットやソーシャルネットワークのお陰もあって本当に楽しい日々を過ごせている。

録画していた「歴史秘話ヒストリア」を今朝ようやく見ることができた。基本的に僕がチェックするのは幕末や明治初期の話が中心だ。今回のタイトルは「サムライとフランス軍人−幕末ラストミッション」。滅びゆく旧徳川幕府軍と最後まで戦い抜いたフランス軍事顧問団についてだった。

ところで、トム・クルーズ主演の映画「ラストサムライ」を鑑賞したことがある方は多いと思う。そのトム・クルーズが演じたネイサン・オールグレン大尉のモデルとも言われるのがジュール・ブリュネ軍事顧問団副隊長。幕末期の歴史をあまり存じない方は聞いたことのない名前だろう。

徳川幕府に請われ異国での軍事訓練を行なう「幕府陸軍の近代化への支援」というミッションを持って日本を訪れた顧問団。その中でも帰国命令に背き函館五稜郭まで戦い抜いたブリュネ公。母国に戻るまで我ら日本人と行動を共にしたこのフランス人の姿に、正直感動が止まらなかった。

幕末明治好きを公言していた僕はこのブリュネ公を以前からも知っていた。知ってはいたが、何となく日本人を好きになり感情の向くままに行動していたのかと思い込んでいた。軍事顧問というプライドやミッションをクリアするためのまさに「プロ」としての振る舞いに感動してしまう。

日本人はこの時点においても既にグローバルの一員として外国人から多くの学びを得ていた。もちろんこの幕末期以前も行なわれてきた海外交流によって日本が強くなった部分も無くはない。いまの不安定な国際情勢だからこそあの頃の歴史を学んでいきたいと強く感じた番組でもあった。

助っ人としてセレッソ大阪に加入した多くの外国人選手たちも、そんな「プロ」としての強い気持ちで日本に来たのだろう。結果は水物だがまずは自分たちがやれることの全てを出し切ってくれたはずだ。そんな外国人選手を応援してきたことはグローバル人材としての立派な行動でもある。

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「あ、この人、ほんまにセレッソのことを愛してるんやな」。

今年に入ってから起こっている現象がある。「あ、この人、ほんまにセレッソのことを愛してるんやな」という場面に遭遇する瞬間が例年より多い気がする。毎年毎年セレッソファン、サポーターと知り合うのに、これほどに重なっているのは何か要因があるのだろうかとつい考えてしまう。

それほどたいした話ではない。けれど最近はソーシャルメディアや各種グループなどでそのような方を見つけることがかなり上手くなってきた気もする。まあこれだけ長い時間をクラブと過ごしてきたわけでもある。当然と言えば当然か。それとも、偶然の産物と言ってしまえるのだろうか。

そんな中で僕はより多くのおせっかいをしながら色んなことを考えていく。もちろん良い方向に出る場合やその逆もある。だが、セレッソ大阪に関わるセレッソ大阪を愛して止まない方々に向けて、何か少しでも役立ち、そして貢献できることを常に思い描いていたいと僕はそう思っている。

この30年近く共に汗と涙を流し続けたこの大事な仲間(僕の言うところのアミーゴ)と近づき、離れ、また近づく。若い頃はカバーできたとしても、大人になればなるほど様々な障害や柵、この前にも書いた組織の壁、自身の衰えなども影響して、気持ちと身体がシンクロしなくなっていく。

でも僕らはつながっている。その根拠はたったひとつ「あ、この人、ほんまにセレッソのことを愛してるんやな」と感じること。だから少々気持ちと身体がシンクロしなくなったとしても、たかだかその程度なのだ。愛を語れるほど人間ができているわけではないが、これだけは強く言える。

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セレッソ大阪の人事と日本人的行動。

昨日、サポーターズコンベンション2020が行なわれた。今年も当然のことながら欠席となった。一番の関心事はルーカス・ミネイロ選手。あの悲惨な事故の際にも所属していたシャペコエンセからの期限付き移籍でもある。会見ではケンペスさんの話も出てきたいう。なんとも深い縁である。
セレッソ大阪に加入する外国人選手は素晴らしい人格者が本当に多い。僕にはこのようなイベントに参加したり練習場で選手と触れ合ったりする機会がそれほど多く無いが、選手と僕らファン、サポーターが互いへのリスペクトと相互尊重の気持ちで接している証なのだと、僕は感じている。
そしてクラブスタッフにも人事異動があった。本当に若い頃からお世話になっていた(と言ってもそれほど歳も変わらない)方も退任された。これからも様々変革していくのだろうがどこまで行っても組織はヒト。人同士の関係性が大事だ。信頼関係の元にすべては成り立っているのだろう。

先日あるミーティングで日本人の性善説について話題になった。先月参加したグローバル経営者フォーラムでもキーワードになっていた「日本人的」という言葉を思い出した。震災の際、支援物資の列に秩序を持って並ぶ日本人。物資が足らない地域に回してあげてほしいと懇願する日本人。

日本人にはそもそもそのようなマインドがセットされていて、気質というか思いが備わっているという感じている。それでも当然のことながら性悪説に基づく犯罪、横行があとを絶たない事実だ。どっちが日本人の本来の気質なのだろうか、とこのミーティングで改めて感じさせられたのだ。
とは言え先程、セレッソ大阪のサポーターのひとりからある連絡を受けた。この日本人的な行動に感動している。人と人とは時空の壁があってもつながっていけるのだ、とそんな気すらする。今までいただいてきた縁を大事にしながら、この先もサポーター生を歩んでいきたいと思っている。

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組織というものについて。

この2月から始まったドラマ「伝説のお母さん」。リアルタイムで見れず録画していたので見た。リアルな子育て事情と冒険物RPGのコラボレーションがこれほどハマるのかと笑い転げた。少なくともスマホを持ってチャカチャカ歩きながら敵を倒し壺を割るゲームよりは面白いと感じている。

それにしても最近の某国営放送の番組。このようなドラマだけじゃなくとも僕にとって非常に有意義なものが増えたなと感じる。様々なところで旧態依然だなと感じることも少なくはない。しかしながら、家でテレビをつけているとしたらニュース番組かもしくはこの国営放送局な毎日だ。
旧態依然という言葉で思い出した。セレッソ大阪というサッカークラブのことだ。今年からチームの統括部長が替わった。この経緯について知っていることをここで書くつもりはない。前々からも書いている通り「来るものは拒まず、去るものは追わず」が僕の原則的なポリシーでもある。
改めて「組織」とは一体何なのだろうかと考えさせられる。ウィキペディアにはこう書かれている。

社会科学における組織(そしき、(英: organization)は、共通の目標を有し、目標達成のために協働を行う、何らかの手段で統制された複数の人々の行為やコミュニケーションによって構成されるシステムのことである。

共通の目標、協働、システム。しかしながら多くの組織には多くの柵が存在しており利権と権限の行使が横行する。30年前ならまだしも既に平成の時代は終わりを告げ新たな領域に足を踏み入れているにも関わらず、旧態依然のまま進んでしまい底なし沼から抜け出せない組織の多いこと。

そんななかで今、改めて「ティール組織」を読んでいる(というかオーディオブックで聴いている)。一度目で聴いたときにはなかなか理解できなかった事柄が、再読によって活性化されて入ってくることもある。紙の書籍だとなかなかできないことも音声ならでは、も存在しているのだ。
いや、今回はオーディオブックについてではない。ティール組織の、厳密にはその中で出てくるキーワードについて、だ。仕組みを作り直したり、やり方を変えるのはどうしても体力と気力を要する。持続力と批判への抗体が必要になってくる。しかしながら、立ち止まってはいられない。
とは言えティール組織がすべてか、と聞かれればそれはNOだとは思う。どのような組織にも素晴らしい歴史やこれまで培っ…

犬の接点。人の接点。

朝晩、我が愛犬の散歩に行く。必ずと言っていいほど家を出た途端にリードを噛んで振り回す。色々調べてみるとこの行動は①遊んでいる②テンションが上がっている③ストレス④散歩に慣れていない、に該当するようだ。いずれにしても僕とクロヱの重要な接点であることだけは間違いない。
大人になってから友だちを方法という記事を読んだ。なるほどと思う部分と「え?」と感じる部分。僕の場合はもう大人というエリアを通り越しているので何とも言えない。マインドコーチのアミーゴとよく話し合ったりする。複雑性を持つ人間関係の接点という難しさをつい意識してしまう。
その記事中に「人々がどこで友だちを作るのか」という文言があった。そして「ただの知り合いから友だちになるにはどうすればよいか」。このふたつの言葉が僕の前を通り過ぎていく。今のこの時代、学校や社会でどんなことが起こっていてこの先どのように変わっていくのかが気になった。
ボールは友だち、ではないが、やはり何らかの目的がそこに存在しその目的や関係性に共通点が必要となるのだろう。学校なら勉強、クラブ活動や楽しいこと。会社であれば仕事内容や趣味の一致などが挙げられる。そして、歳を取るたびにかなりの割合を占めてくるのが社会とのつながりだ。

僕的にはスポーツ観戦をお薦めしたい。好きなチームができたならば、是非現地で観戦してみてほしい。新しい視点が目の前に広がるだろう。同じ思いの仲間が見つかるかもしれない。そこにある利害は「好きなチームの勝利」。その積み重ねが「好きな」から「愛する」に変わっていくはず。
色んな方々に聞いて廻って、色んな方々の考え方や思いのありかたなどをかなり知ることができた。「人々はどこで友だちを作るのか」も大事なのだが、まずは、何かを犠牲にしてでも「愛する」ことができるものを見つけられればいいのではないか。いくら考えても僕にはそう思えてくる。
その意味では僕自身も思う。たとえお会いしたことがなかったとしてもセレッソ大阪を「愛する」方々と常につながっている感が強い。ようはあまり難しく考えなくともよいのではないか。いつでもセレッソ中心に僕らは存在している、それだけで気持ちが強くなる。接点とはそういうものだ。
さて肝心のクロヱさん。このリードを噛んで振り回す行為も実のところまったく長続きがしない。このあたりは飼い主にも似ているのかもしれない。余…

下町の一軒家フレンチを食す。

それにしても持って生まれた気質は何物にも変えがたい。B型人間の良さというかなんというか適当感が滲み出ている。Tシャツのデザインもだいたいそうなる。脳がいい加減にできている。動画を色々と作る仕事も行なっている。しかし誰がどう見ても手抜きと言わざるを得ないものもある。

見ての通りだが僕にはこだわりというものが大きく欠けている。住むところ然り着るもの然り。食べるものにもそれほど思いや関心が強いわけでもなく、今のところお昼ご飯といえば「からあげクンレッド」と「味付ゆで卵」。それと「菓子パン」と「ヨーグルト」を少々といった具合だ。

それでも節目節目ではちょっと美味しいものをいただきたくなる衝動に駆られる。歳を取ってからというもの量より質に変わってきていることもあり、できれば記念日には食べ放題よりはじっくりと味わっていきたいと思っている。なかなか世間様はそんな暮らしを許してはくれないのだ。

我が家の十ウン年の結婚記念日に少しオシャレなところで食事をしようという話になり近辺で探すことにした。「派手さがなく都会に汚されていない下町の一軒家ビストロが提供してくれる極上のフレンチ」とYahoo!で検索したわけではないが、まさにピッタリなお店を発見したのだった。

少し袋小路に迷い込んでしまったかのような場所にこの店はあった。開店は18時だ。まだ店内にしか灯りがついていない。中に入る。テーブルが3つ。カウンターには座席が4つほどだ。素朴な感じが本当に似合っている。一番乗りだったが、そのあとこの席たちはどんどん埋まっていった。

メニューは二通りのみだ。カスレか鹿肉か。迷わず肉を選ぶ。今年に入ってからグラス一杯だけはいただくようになった僕はコルシカ島の白ワインなどを嗜んでみる。料理がスタートしてから最後のデザートとコーヒーまで、それはまるで極上の時間。あっという間に時間が過ぎ去っていく。

その中でも僕が一番だと感じたのが「ヤリイカの墨煮バスク風」だ。少し濃い目の味とライスが程よく合う。ヤリイカも柔らかく煮込まれていて、それでもってしっかり歯ごたえもある。いや、こんなことを書くような口を持ち合わせてはいないはずだ。多分料理がそうさせているのだろう。

一年に一度はこのような贅沢があってもいいじゃないか。そう考えながら夜道を歩く。以前からちょくちょくログを残していたが、アミーゴに教えてもらった情報…

「企業内のあらゆる予算がIT関連になり全ての企業がテクノロジー企業になる」時代に。

一月が終わり二月に入って考えていかなければならないのが決算処理だ。サッカーショップ蹴球堂の年度の締めは12月。2006年度から数えて実に15回目。頼みの綱は税理士先生。本当にいつも無茶ばっかり言っては助けていただいている。出来ないことは自分でしない信条の僕でもある。

そんな頼りになる税理士先生にたくさんのお手伝いをいただきながら順次進めていくこの決算処理。多くのデータとのにらめっこは既に始まっていて、更にここから精査を含めてしばらく続いていくことになる。出来る限りリアルタイムに処理したいが、元来の「いい加減さ」が邪魔をする。

以前にも書いたとおり売上や経費の関連はGoogleドライブのスプレッドシートで行なっている。もちろん表計算という意味ではMicrosoft Excelとほぼ変わらない。繰り返しになるが「メールにファイルを添付する」という文化は蹴球堂には既に存在していない。Googleの力に頼っているのだ。

いつでもどこでも仕事ができる環境をと口では言うが、実に日本の働き方の大半は昔も今も何ら変わっていない。「無駄な書類、無駄なデータ、無駄な会議、無駄な◯◯◯」。またそこにかける膨大な工数を取らせる時間泥棒。そのような負の文化。IT大好きな僕は変えていきたいとも思う。

サッカーショップ蹴球堂のネットショップをBASEに変えてから非常に楽になった。多少の手数料くらいは気にならないほどのトレードオフ。作業を減らしつつ考えるほうにより力を注いでいく。シェアリングエコノミーな考え方。まさに働き方自体が変わっていくのを目の当たりにしている。

いや、本音の話「誰かの力を借りなければやっていけない」ではなく、「誰かの力を借りれば更にもっとやれる」時代になっている。Airbnbのおかげで空室は生まれ変わり、出前を行なう余裕が無かったレストランはUber Eatsで蘇っている。ITの力は、全ての働く人や組織を活性化させてきた。

2013年にガートナーのシニア・バイスプレジデントが語っていた「企業内のあらゆる予算がIT関連になり全ての企業がテクノロジー企業になる」というキーワードを思い出している。この言葉には枕詞が存在している。それは「2020年」。今年がIT時代の分岐点になることは疑いようがない。

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子供の頃の写真が何故か少ない。

昨日でついに2020年も1/12が終わってしまった。つい先日「明けましておめでとうございます」だったのにね。そんななかでセレッソ大阪の宮崎キャンプもこの週末で終わる。試合結果はともかく怪我人情報も入ってきたりしているので少々気になる。二週間後にはついに公式戦が始まる。

いや、この歳になってくると一日一日が実に速く過ぎていく。その日の終わりもしくは次の朝にブログを書くことで、多少なりとも生きた証を残せている感がある。そうと思うと毎日書くのもまんざら悪くはない気がする。まあ、読まされるほうの想いを、全くもって無視しているのだが。


そう言えば先日、実家に帰省した。良いか悪いか分からないが、東京に来てからというもの正月三が日に帰った試しがない。僕がこんな年齢だということは親はウン歳。色々と考えることも多くなる年頃だ。当然ながら話は身体についてがどうしても多くなる。仕方がないことなのだろう。

実家に帰るたびに行なうルーティーンがひとつある。それは子供の頃の写真を探索すること。今でこそイベントや旅行など訪れた場所で半端ない量を撮ると噂の僕だ(昨日もそんな話題になった)が、正直なことを言うと子供時代の写真が少ない。被写体としての、僕の存在が欠けている。

幼児期の写真は比較的残っている。何故か小学校、中学校、高校時代の写真が極端に少ない。当然のことながら今と同様に人付き合いが非常に苦手な少年だったことも大きく影響していると思う。ただ勘違いしてもらいたくない。それが悲しいなのだとここで書きたいわけでは決して無い。

さて、今回も何枚かの写真をデジタル化してみた(なんてことはない。iPhoneで撮っているだけだ)。それにしてもGoogleフォトは便利。容量も気にせずどんどん写真を保存していける。それこそ昔はフォトアルバムなど場所も取ってしまうし、うちのような小さな部屋は埋まってしまう。

ペラペラめくる度に何かを思い出したりする。人の記憶とは曖昧であてにもならずそれでもって美しさだけが印象として残る。シャッターボタンに親の気持ちがこもっていたのだろう。今あの頃のような気持ちが薄れつつあると感じる。一枚一枚に思いが伝わるよう僕も心がけたいと思う。

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