セント・ヴァレンタインデーだった昨日から東北・仙台に来ている。こんな夜中になっても、まったく寒さを感じることがない。逆に小汗をかいてしまっているくらいだ。厚過ぎるダウンコートというコーディネートを若干後悔している今。ようやくホテルに入り、このブログを書いている。
さてさて仙台に来るのは果たしていつ以来だろうか。ビジネス、プライベートそしてサッカー。なかなか来る機会が少なくなったなとか考えてしまうがそれほどでもない。東京駅からわずか一時間半の距離であるこの地で、レゴ®シリアスプレイ®を行なえる機会をいただけるという幸運な日。
そんな仙台にはどちらかというと思い立って来ることが多い。特にセレッソ大阪の絡みで思い出すのは2000年。J1に昇格したベガルタ仙台とのナビスコカップで訪れた。そのときにはまだセレッソサポーターが平日のアウェイの地に行くなんてかなり少なく多分一桁の人数だったと記憶する。
次は2011年10月。東日本大震災の爪痕も残る中だった。ふと「行かないと」と思い、遮二無二東北新幹線に乗った。車窓から見える仮設住宅に涙した。募金するための貯金箱を持っていったが何故か気持ちの整理がつかないまま自宅まで持ち帰ることになったあの日。やはり色々と思い出す。
仙台とは縁が深い。その縁を深く感じながらワークショップを行なった。東北の方々らしさが作品に出ていたかどうか僕には判断することができない。しかしながらチームとしては全体的に有意義なアウトプットを得られたはずだ。心地よい疲れとともに今日はよく眠れそうな気がしてきた。
そんな仙台にはどちらかというと思い立って来ることが多い。特にセレッソ大阪の絡みで思い出すのは2000年。J1に昇格したベガルタ仙台とのナビスコカップで訪れた。そのときにはまだセレッソサポーターが平日のアウェイの地に行くなんてかなり少なく多分一桁の人数だったと記憶する。
次は2011年10月。東日本大震災の爪痕も残る中だった。ふと「行かないと」と思い、遮二無二東北新幹線に乗った。車窓から見える仮設住宅に涙した。募金するための貯金箱を持っていったが何故か気持ちの整理がつかないまま自宅まで持ち帰ることになったあの日。やはり色々と思い出す。
仙台とは縁が深い。その縁を深く感じながらワークショップを行なった。東北の方々らしさが作品に出ていたかどうか僕には判断することができない。しかしながらチームとしては全体的に有意義なアウトプットを得られたはずだ。心地よい疲れとともに今日はよく眠れそうな気がしてきた。
そんなこんなでこのセント・ヴァレンタインデーなわけである。諸々な事情も相まって今年の連続ブログ更新はこの記念すべき日に途絶えた。まあそんな日もある。それ以上に素晴らしい一日だったことには疑う余地もない。ブログはいつでも書ける。でも今日という日は今日しか訪れない。
コメント
コメントを投稿