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犬の接点。人の接点。

朝晩、我が愛犬の散歩に行く。必ずと言っていいほど家を出た途端にリードを噛んで振り回す。色々調べてみるとこの行動は①遊んでいる②テンションが上がっている③ストレス④散歩に慣れていない、に該当するようだ。いずれにしても僕とクロヱの重要な接点であることだけは間違いない。

大人になってから友だちを方法という記事を読んだ。なるほどと思う部分と「え?」と感じる部分。僕の場合はもう大人というエリアを通り越しているので何とも言えない。マインドコーチのアミーゴとよく話し合ったりする。複雑性を持つ人間関係の接点という難しさをつい意識してしまう。

その記事中に「人々がどこで友だちを作るのか」という文言があった。そして「ただの知り合いから友だちになるにはどうすればよいか」。このふたつの言葉が僕の前を通り過ぎていく。今のこの時代、学校や社会でどんなことが起こっていてこの先どのように変わっていくのかが気になった。

ボールは友だち、ではないが、やはり何らかの目的がそこに存在しその目的や関係性に共通点が必要となるのだろう。学校なら勉強、クラブ活動や楽しいこと。会社であれば仕事内容や趣味の一致などが挙げられる。そして、歳を取るたびにかなりの割合を占めてくるのが社会とのつながりだ。

僕的にはスポーツ観戦をお薦めしたい。好きなチームができたならば、是非現地で観戦してみてほしい。新しい視点が目の前に広がるだろう。同じ思いの仲間が見つかるかもしれない。そこにある利害は「好きなチームの勝利」。その積み重ねが「好きな」から「愛する」に変わっていくはず。

色んな方々に聞いて廻って、色んな方々の考え方や思いのありかたなどをかなり知ることができた。「人々はどこで友だちを作るのか」も大事なのだが、まずは、何かを犠牲にしてでも「愛する」ことができるものを見つけられればいいのではないか。いくら考えても僕にはそう思えてくる。

その意味では僕自身も思う。たとえお会いしたことがなかったとしてもセレッソ大阪を「愛する」方々と常につながっている感が強い。ようはあまり難しく考えなくともよいのではないか。いつでもセレッソ中心に僕らは存在している、それだけで気持ちが強くなる。接点とはそういうものだ。

さて肝心のクロヱさん。このリードを噛んで振り回す行為も実のところまったく長続きがしない。このあたりは飼い主にも似ているのかもしれない。余談にはなる。僕のことはご主人様だと考えているようだが、My妻のことを友◯◯だと思う接点が多く見受けられる。まあそれはそれであり?

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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