スキップしてメイン コンテンツに移動

下町の一軒家フレンチを食す。

それにしても持って生まれた気質は何物にも変えがたい。B型人間の良さというかなんというか適当感が滲み出ている。Tシャツのデザインもだいたいそうなる。脳がいい加減にできている。動画を色々と作る仕事も行なっている。しかし誰がどう見ても手抜きと言わざるを得ないものもある。

見ての通りだが僕にはこだわりというものが大きく欠けている。住むところ然り着るもの然り。食べるものにもそれほど思いや関心が強いわけでもなく、今のところお昼ご飯といえば「からあげクンレッド」と「味付ゆで卵」。それと「菓子パン」と「ヨーグルト」を少々といった具合だ。

それでも節目節目ではちょっと美味しいものをいただきたくなる衝動に駆られる。歳を取ってからというもの量より質に変わってきていることもあり、できれば記念日には食べ放題よりはじっくりと味わっていきたいと思っている。なかなか世間様はそんな暮らしを許してはくれないのだ。

我が家の十ウン年の結婚記念日に少しオシャレなところで食事をしようという話になり近辺で探すことにした。「派手さがなく都会に汚されていない下町の一軒家ビストロが提供してくれる極上のフレンチ」とYahoo!で検索したわけではないが、まさにピッタリなお店を発見したのだった。

少し袋小路に迷い込んでしまったかのような場所にこの店はあった。開店は18時だ。まだ店内にしか灯りがついていない。中に入る。テーブルが3つ。カウンターには座席が4つほどだ。素朴な感じが本当に似合っている。一番乗りだったが、そのあとこの席たちはどんどん埋まっていった。

メニューは二通りのみだ。カスレか鹿肉か。迷わず肉を選ぶ。今年に入ってからグラス一杯だけはいただくようになった僕はコルシカ島の白ワインなどを嗜んでみる。料理がスタートしてから最後のデザートとコーヒーまで、それはまるで極上の時間。あっという間に時間が過ぎ去っていく。

その中でも僕が一番だと感じたのが「ヤリイカの墨煮バスク風」だ。少し濃い目の味とライスが程よく合う。ヤリイカも柔らかく煮込まれていて、それでもってしっかり歯ごたえもある。いや、こんなことを書くような口を持ち合わせてはいないはずだ。多分料理がそうさせているのだろう。

一年に一度はこのような贅沢があってもいいじゃないか。そう考えながら夜道を歩く。以前からちょくちょくログを残していたが、アミーゴに教えてもらった情報のこともありレビューなどを書いてみる。まあ参考にはなるまい。僕に味など分かるはずもない。美味いものは美味い、で良い。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP