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5月, 2018の投稿を表示しています

5月27日に思う。

サッカーショップ蹴球堂の誕生日をサッカーショップ蹴球堂で味わえない、何とも言えない5月27日となった。復活の日までは相当先が長そうではある。「確かあんなお店が長居にあったよね」といつまでも憶えていてもらえるとは到底思えない。 しかしながら今年もこの記憶を共有できるということだけで本当に感謝している。なかなか前に進めないのが僕の不徳の致すところ。皆様の頭の片隅にこれからも残り続けてくれるとしたら、それこそが常に求めてきたことなのだろうと感じる。 18年という歳月は様々な環境の変化をもたらし、多くの「アミーゴ」は生き方すら激動の中で変わっていってしまった。悲劇なのか何なのかも全く分からないまま柵の上で立ち尽くしたあの時間が、記憶の隙間を縫って脳を出入りしてくる。 そしてあの戦いや、あの戦いに至るまでの歴史で届けられた「アミーゴ」との関係は永久にいつまでも色あせない。あの日確かに僕らは長居にいた。浮ついた気持ちで長居にいた。全てを出し切ることが出来なかった者が長居にいたのだ。 大人になりきれない自分を天国のあの方々はこれからも叱ってくれたりするだろうか。この先もそんな記憶を数多く思い出しながら、僕は生き続けそして野垂れ死んでいくのだろうか。人生なんて喜劇みたいなもんだ。今日もまた幕が上がる。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 2000年5月27日の思い出をまとめています。 http://remember527.com/

失敗の本質から学ぶ。読書で学ぶ。

痛みもかなり和らいできたので今週から本格的に仕事をしている。特に偉いとは思っていないが人を導く立場にいることもあってか、復帰すればそれなりの選択がついて回る。それが与えられたミッションでもありそして当然のことだと思う。 発言ひとつ取ってみても選択には責任というものがあり、その責任は選択した本人にあると言える。そのためにリーダーシップやマネジメントを学ぶことを自ら課し、更に多くの選択を迎えることとなる。そこから逃げることは決して許されない。 最近ようやく「 失敗の本質―日本軍の組織論的研究 」を読み終え「 失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇 」を読み始めている。そしてこれが実に面白い。どうして今までこの本を手に取らなかったのだろうかと少々自責の念に駆られている次第。 内容としては第二次大戦時の日本陸軍、日本海軍の失敗の本質が詳細に書かれており、リーダーとして学ぶべきものは非常に多い。特に日本とアメリカのリーダーシップのありかたについては、身につまされる思い以外の感情が出てこない。 数々の戦いの中で、準備不足があったりリーダーが選択を誤ったりと、まさに今の時代でも起こっている出来事とほとんど変わらない。人間はやはり過去からの学習が苦手で同じ轍を踏む。だからこそ書籍にはその価値があるのではと思う。 読書は良い。読む力書く力伝える力。どんな書籍であれ何かを学べる。読み方もいろいろ。紙の本でもいいし電子書籍でもオーディオブックでも勿論いい。昨今の駄目な大人にならないよう、若者には是非本を手に取ってほしいと切に願う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第15節 サンフレッチェ広島戦。

早く外出とかしたいが、信じられないくらい痛みが続いているのでいつになることやら。切ったところは勿論のことその周りも結構腫れていて、そのうえ身体が重い。時間の問題とは思ってはいるのだが今週の抜糸次第でどう変わっていくか。 なんとかリハビリ兼ねてクロヱの散歩には出掛けているが、引っ張られるたびにズキンと腹部に響く。友達のワンコがいる場合はまさに地獄絵図。別に痛さを悟られたくないわけではないが、必死の形相は飼い主さんに不審がられているはず。 そんなこんなで5月は大きく動けそうにない。本格的な活動再開は来月からになりそうだ。前にも書いた通りここまでのセレッソ大阪の試合はゼロックス・スーパーカップ以降見れていないので、まずは6月のU-23に行こうと検討している次第。 しかしながら、セレッソがあれば生きていける。見える景色がたとえテレビの向こう側でも。試合を見れる喜びを噛みしめる。やっぱりセレッソが好きなんだなと再確認するし、セレッソの試合を見ている時だけ素の自分になれるのだろう。 歳を取るごとにその気持ちが増えていく感がある。若い頃に持っていた想いと今の想い。決して違いを考えたいわけでは無いのだが、ちょっとずつ変わってきている気もする。それはそれで有りなのだろうなと考えると少し恥ずかしくなる。 そう言えば、セレッソ大阪が昇格した年の開幕戦の場所だった広島ビッグアーチにも、かなり長いあいだ行ってない気がする。モニタ越しにも当時とあまり変わっていない風景に思える。ノスタルジーばかりに耽っていてはいけないのだが。 そんな中で行なわれたサンフレッチェ広島戦。監督も言っていたように似たようなチームの似たような試合。首位の力というか広島のサッカーは本当に凄い。前半あれだけセカンド獲られて失点しなかったのが奇跡のようであるがこれも実力。 そして高木俊幸選手の試合後のインタビューのひと言が強烈だった。これが一流選手の”逆襲する力”なのだと感じた。悔しい気持ちを腐ることではなくプレーで見せるのがプロフェッショナル。また好きな選手がひとり誕生した瞬間でもあった。 この試合を境にリーグ戦は約二ヶ月のインターバル期間となる。山口蛍選手、キム・ジンヒョン選手は代表へ、残ったチームは前述のU-23そして天皇杯を戦う。そしてレディース、アカデミーと楽しみは沢山ある。やはり

支えてくれている。だから支えていく。

5月17日。テリ子の命日である。11歳2ヶ月という若さで亡くなったボストンテリアのテリ子。今はテレビ台の上にいて妻が毎日水を入れてあげて供養している。安らかに眠っていると思うし、後輩クロヱを陰ながら支えてくれているだろう。 入院からちょうど一週間経った。腹部の痛みは徐々に小さくなってきてはいるが、動作するたびに痛みが走る。今一番楽なのは寝転がっているか椅子に座っているか。どちらにしても外出も難しく、仕事はしているのだが非常に厳しい状況。 そんな調子の中で妻にはとても感謝している。あまり病気などをしないタイプなので看病という行為を受けること自体が少ないが、4年前の時もそして今回も、身の回りのことなどで本当に助けてもらっている。もちろんクロヱの散歩も然り。 ”虫の知らせ”だろうか。何かが飛んだのかもしれないが、退院して全国タクシー使って帰ってきたその日に母親から電話があった。自分の身体も結構良くないのに我が子のことを気遣ってくれる。昔からそんな感じだがありがたみを感じる。 それ以外にも多くの方がメッセージくれたりブログにコメントくれたりと、こんな大したことないこの僕を気にかけてくれている。そんなファミリーという存在が支えてくれていると思うだけで、何だか痛さを忘れさせてくれる気がするのだ。 人は支え支えられて生きていくもの。だからこそ感謝の心を忘れずに前に進んでいかねばならないと改めて身が引き締まる思いである。そう言えば今日こんな名言が廻ってきた。神様も実に心憎いことをするものだ。よく分かってるってば。 「これからは良い事をされたら100倍にして返せ!その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ」 チェ・ゲバラ NEVER STOP,NEVER GIVE UP

四半世紀の変わり続けない光景。

腹部が痛すぎる。立っていても痛いし座っていても痛いし寝ていても痛いし。おまけに生理現象の全てが腹筋で成り立っていることを改めて知る。果たして社会復帰は可能かと疑いたくなるが「その程度で言っててどうする」と叱られそうだ。 科学の力だけで解決できるものもあればできないものもある。例のドラマでも言っていたが、身体にメスを入れた際のあとから来る痛みだけは生き物である以上仕方のないことなのだろう。あまり効かない痛み止めも飲まないよりはマシか。 そう言えば今日は5月15日である。我らは25周年という節目のシーズンを戦っているが、まさに25年前の今日、1993年5月15日にJリーグは開幕したのだ。それから、多くの方の多くの努力と思い出によってJリーグは成り立っているのだなと感じる。 四半世紀と言えば何を想像するか。0歳だった子が既に25歳。25歳だった若者が50歳。50歳だった初老の紳士が75歳。75歳でも現役だったご老人が三桁を迎える。歴史の尺度を25年周期で見る風習もあるくらいだ。実に長く、短く、実に奥深い。 1993年の初夏、22歳のただの若造は、国立競技場で行なわれたヴェルディ川崎対横浜マリノスを家のテレビで見ていた。綺羅びやかで超満員の雰囲気を感じ、何かが変わるのではないか、というそんな気持ちになったことを鮮明に覚えている。 それから四半世紀が経ち、Jリーグは様々な要素で変わり続けている。日本人は変化を好まないと言われたりもするが決してそんなことはないと個人的には思う。選手も監督もクラブもファンもサポーターも、変わり続けてきたから今がある。 そんな風に腹部の痛みも時とともに和らいでいくのだろう。いつの日か痛みがあったことすら忘れていくのも人の常であり、また痛みが発生し、泣くのも人の常。人間という生き物が持って生まれた変わり続ける力であると信じて止まない。 当然、変わり続けないものも存在する。綺羅びやかな部分はモニタ越しの映像と比べた減ったのかもしれない。が、スタンドに座りそして眺める先は、25年前に見たあの光景とちっとも変わらない。多分この先も変わっていかないのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

入退院あれこれ。

話題になっていたあのアメリカンフットボールの試合。テレビで問題のラフプレーシーンを見た。悪質極まるプレー自体に憤りを感じるとともに、被害を受けた選手の怪我が早く治ってほしい、そして、選手生命が続くよう祈るほかはない。 このニュースを知らなかった理由。それは先週から入院していたからであるのだが、以前からここでも書いていた通り鼠径ヘルニア手術のために木曜日から入院。そして今日、晴れて退院した。自分自身もとにかく、ホッとひと安心している。 今回はその間のことを書き綴っていきたいと思う。と言っても麻酔がじっくり効いていた時間もあるのでその部分は仮説ではあるが、今後入院する方にも分かりやすく備忘録的に残しておきたい。当然ながら必要ない方は無視で結構である。 5月10日木曜日 午前中仕事をしてから午後に入院。病院までは歩いて15分程度。手続きの際、保険組合名を見て事務員さんから頂いた言葉「御社の電子カルテシステム、前の病院で本当にお世話になりました」。どんな場所でも人は繋がっていると強く感じた。 5月11日金曜日 手術当日。今回は再発のため調査含めて時間がかかるので全身麻酔。「すぐ眠気が来ますよー」と注射された瞬間から意識を失う。その後はなすがままの状況(だったと思う)。気がついた時には腫れた腹部。ここから痛みと戦う日々が始まる。 5月12日土曜日 前夜から痛みで寝られないのは前回の時と同じ。腹部だけでなく背面まで痛くなってきている気がする。仕方なく本を読んだりウイニングイレブンで気を紛らわす。しかしながらそれで局部が和らげられるはずもなく、当然ながら熱も出る始末。 5月13日日曜日 痛みは一向におさまらず、且つ熱は測るたびに上がり続けている。風邪かなと思い看護師さんに相談するとあっさり「氷枕で大丈夫」。ひたすら氷と向き合うことを選択。映画一本と本二冊を読み切る。こういう時の非常に軽い小説はありがたい。 5月14日月曜日 熱が下がる。アドバイス通りすっきり1.5度以上。看護師さん神。主治医さんが傷口を見てくれる。そしてひとこと軽く「退院出来るけどどうする?」。もちろん選択肢はひとつ。痛みは残るものの早く帰宅したいという気持ちに勝てなかった。 怪我がないに越したことはないが、手術入院となった時の参考になれば幸いである。そして多くの方から励

名もなきシンガーは唄い続ける。

人付き合いというジャンルがとことん悪い割には、大事にしないとバチが当たるくらいの良い人が仲間でいてくれたりして本当にありがたいと思っている。47年の人生はまんざら間違いでも無かったのかなと独りごちてみたりしている。 そうは言いながらもやはり人と話す時には緊張が隠せないし、汗も相当かいてしまう恥ずかしがり屋さんでもあるので、生きていくには少々荷が重い。この歳になってもまだ生き方の勉強をしているのだがそれもまた人生なのだろう。 手術入院直前でもある中、いや手術を控えているからこそ、中学生の頃からのアミーゴである”臥龍”ことシンガーソングライター多田覚のライブを楽しみに、原宿と渋谷のちょうど中間地点くらいにある原宿クロコダイルへ行ってきた。 いつもながら彼のライブから貰うもののひとつである”続けることの大事さ”を噛みしめる。子供の頃からずっとギターを弾いていたイメージそのままの姿に、大人になった今でも、そのスタイルがひとつも変わっていない感が素晴らしい。 たとえ歌う場所が仕事になったとしても、常に”好き”の延長線上にいるように思える、と、そんなことを思いながらライブを見ている。そして相変わらずのパワフルさを見せてもらい、身体のことなど何処かへ行ってしまった気がした。 個人に置き換えてみたら、正直どうなのだろうか。子供の頃から好きだったもの、続けてきたもの、大事にしてきたものは一体何だったんだろうかと、大人になった今でも悩み続けている自分がそこにいる。そんな事を思い出させてくれる。 夢や理想、期待と現実といった様々な葛藤の中で人は生きている。先日も数人の若い方々とそんな話をしていて中々ご本人たちの思うようにいかないことが多いと聞いた。そして、そこでこの世界で生きていくことの難しさを改めて感じる。 しかしながら心配は要らない。支えてくれる方々はどこにでもいるものだ。学校だけでなく世の中には”人生”の先生が溢れている。例えば、何も言わないがそっと隣で寄り添ってくれる先生や、その思いを歌声で代弁し勇気をくれる先生。 臥龍はまさに先生なのではないか、そう思えてくる。彼の歌から愛をもらい、寂しさを知り、生き方を学び、何処かへ行き着く術を得る。これからも名もなきシンガーは唄い続けるだろう。そして僕らはそこから何かを学び取れるはずだ。 NEV

第13節 V・ファーレン長崎戦。

世界卓球を見ている。これから女子の決勝が始まる。単純なシングルスではなく団体戦ということもあり特に面白い。中々スピードについていけないのではあるのだが、選手の表情から伝わってくるものも多く、感動の毎日でもある。 同じような形式は他にもあるのだが、この卓球の団体戦という競技は実に面白く興味がある。形こそ団体戦ではあるのだが、試合自体は個人対個人の戦い、正に「組織」の中においての「個の力」が重要な試合方式ではないだろうか。 卓球に限らず、どんなスポーツにおいてもそうなのだろうが、個人戦であろうと団体戦であろうと、そしてチーム戦であったとしても、最後の最後で勝負を決めるのはやはり「個の力」なのだろうと僕は思っている。サッカー然り。 2018年5月5日こどもの日のJリーグ、V・ファーレン長崎戦。常に子供の心を持ち続けるオッサンは相も変わらずのDAZN観戦と相成った。試合の結果も伴ったセレッソ大阪選手の「個の力」を感じることが出来て非常に満足している。 その中でも特に一点目の柿谷曜一朗選手のドリブルにゾクゾクした。身体の動きだけで相手ディフェンダーに尻もちをつかせるあのフェイント。柿谷選手の「個の力」を存分に発揮したあのプレーが今日の勝利を手繰り寄せたのだと思う。 そして、次の試合まで二週間インターバルがある。出続けている選手は休養でき怪我からの復帰も期待できるだろう。その間に手術もある(それはチームには関係ない)。次節広島戦は行けそうにないが、6月のU-23には間に合わせたい。 それにしても「個の力」の無さからなのか、これで開幕してから13試合テレビ観戦継続中でもある。こんな年はいまだかつて無いのだが、まあそれはそれで良しとしたいところ。そしてサッカー現地観戦に飢えている自分がここにいる。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第12節 名古屋グランパス戦。

役割が増えれば増えるほど、更に重い役割を上増しされていく。それはやはり信頼されている証拠か、それとも何か他の要因があるからか。仕事でもサッカーでも同じような場面に度々出くわすが、出来が良すぎるというのも少々勝手が悪い。 ゴールデンウィークの真っ只中の平日の夜、連戦でしかも大雨の中での名古屋グランパス戦は、当然のことながらDAZNで見逃し配信での観戦となった。これで一体何試合連続でスタジアム観戦できていないのかと自分自身少々案じている。 試合内容はと言うと御存知の通りスコアレスドローとなった。ワールドカップ出場へと相当な期待をされていた清武弘嗣選手が足の怪我で離脱したため、開始20分程度で山村和也選手がスクランブル出場となったが卒なくこなしていた。 それにしても彼は本当に色々な役割を淡々とプレーしているように見える。この試合では途中出場で2トップの一角にも入ったが、ボランチ、センターバック、昨年のトップ下含めて、もうセレッソ大阪になくてはならない存在となっている。 話はちょっと変わる。最近ちょうど「キャプテン翼ROAD TO 2002」を読み終わったところなのだが、大空翼が”バルサの鷹”リバウールのポジションでもあるFCバルセロナのトップ下にこだわり、Bチーム降格という挫折するシーンがある。 プロとは、やはりこのこだわりが必要なんじゃないか、自分自身も以前はそう考えていた。「やりたいこと」「やれること」と「期待されていること」。当の本人とその上役との間には少なからずギャップというものが存在している。 しかしながら山村選手を見ていると、そんなことを考えている自分の考えも否定してしまいたくなる。様々なポジションを任されるのは正に頼られている証拠。こだわり同様これはプロであるが故の立ち振舞いなのではないかと感じた。 勿論、山村選手も言いたいことは山ほどあるのだろうが、それ以上にプロとして信頼されるプレーに集中している気がする。尊敬に値すると同時に、彼のような選手が今の日本代表に必要なのではないか、と真剣に思うところでもある。 トップ下へのこだわりを持ち続けた大空翼について。リバウールからの「まだトップ下にこだわっているか」との問いに対しポジションはどこでも良いと答えたシーン。読んでいて山村選手とシンクロしたような気がして泣きそうになった。

クロヱの夏の始まりと終わり。

世の中はゴールデンウィーク。だが外に出歩くことがあまり得意ではない。これを言うと多くの方から「はあ?」と言われるのではあるが、サッカースタジアムのように目的があれば別なのだが、人が沢山いる場所がどうも苦手なのだ。 とは言いながら家でゴロゴロ、映画三昧、漫画三昧、ゲーム三昧になるのもあれなので、愛犬クロヱ(黒パグ、♀、1歳8ヶ月)を連れて、テリ子がいた時に一度だけ行ったことのあるららぽーと豊洲内のドッグラン「 ILIO 」に来てみた。 豊洲までは都営バス一本で行けるので便利ではあるが、なにせクロヱは暴れる。バスの中でどんなことになるかとヤキモキしながら到着を待つ。意外なまでにおとなしくしているのだが、パグ特有というか呼吸音がバス全体に響き渡る。 豊洲到着後、バッグから出してドッグランまで歩かせる。想像してほしい。この犬の体力を消耗させていく28度を超す勢いの気温。歩くスピードのこの上ない遅さ。とてつもないほどの舌の出方。そして日陰を探して彷徨っている黒パグ。 ドッグランに着く頃にはもうヘロヘロになっていた。中には友だちワンコが数匹いたが、遊ぶこともままならない。最後には土の地面にベターと転がって動かなくなった。せっかくフリーダムになれるチャンスだと言うのに残念である。 時間が経つに連れ体力も回復し、新たに増えた友だちともクンクンするようになってきた。そのタイミングでちょっと走ってみた・・・が本当にちょっとだった。また同様に地面にベター。走ったのを見たので30分延長してきたのだが。 ということで、初めてのドッグラン体験(ドッグはランしていないが一応)から無事帰着。確かに昨年も夏場の散歩は動かなくなったし、やはり暑さには勝てないということだけ分かってよかった。クロヱの2018夏は終わった(嘘)。 (ブログに数枚写真あり) NEVER STOP,NEVER GIVE UP

試される信頼関係。

人が人を見放す時にはいくつかのターニングポイントがあると思う。怒りや憤りというバロメータはどちらかというと正の力であって、人心離れていくのはやはり諦めや侘しさのような感情からくるものなのか。そんな気はしている。 好きの反対は嫌いではなく”無関心”であると誰かが言っていたが、その感情が生まれた瞬間、信頼関係なんてものは脆くそしていとも簡単に崩れるのだろう、そんなことを思ってしまう。そしてその感情は双方にしか分からないものだ。 先日ヴァヒド・ハリルホジッチが日本代表監督を解任された。内情は分からないし興味も無いのでどっちでもいいのだが、残り60数日となったタイミングでの監督交代が、今、どのような効果を産み出しているかがとても気になる。 今回、後任には技術委員長の西野朗氏となった。アトランタ五輪代表監督でありJリーグ最多勝利数を持っているこの監督には期待するしかないのだが、それはそれで、やはりここで頑張らなければならないのは選手だと正直思う。 現在、ワールドカップメンバーの当落線上にいると目されている我がセレッソ大阪の選手たち。山口蛍選手、杉本健勇選手、そして怪我からの復帰した清武弘嗣選手。それ以外の選手も信頼を勝ち取るチャンスがあるのかもしれない。 僕個人もピンチをチャンスに代えていく所存である。先日発生した怪我の関係もあり彼の地ロシアに行けるかどうか本当に微妙ではある。しかし、何とか最後まで調整し、一試合でいいので参戦したいと思うが果たしてどうなるだろうか。 来週末、選手同様ロシアへの切符をかけた戦いに臨むわけではあるが、僕と医者先生との信頼関係が試される時なのだろうか。絶対に負けられない戦いがそこにあるかどうか分からないのだが、決戦に挑む気持ちに変わりはなさそうだ。 ・・・スケールは小さすぎるほど小さいのではあるが。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP