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2月, 2018の投稿を表示しています

第1節 横浜F・マリノス戦。

1年に一度あるかないかのくらいな風邪である(インフルエンザでは決して無い)。そんな中でLEGO勉強会のファシリテーターなんかをやってしまったせいで声が本当に出ない。そして当然のことながら、先週末は悲しみの三連休となってしまったのである。 多分3日間で40時間程度の睡眠を取ることができた。やはり人間にとって睡眠は大事な行動のひとつであると実感した。そして、僕の身体はまさに「寝ること」を欲していたのだと思うと、この休暇は天からの贈り物なのかもしれないと素直に受け取った。 そういう意味でも、休息の多かった横浜F・マリノスと短かったセレッソ大阪との差が開幕戦に出たとは思わないが、3試合こなして息が一旦上がった状況であることは間違いないと思うし、チームとしてもここからが重要になってくるのだと感じる。 選手は機械ではない。病気もすれば怪我もする。特に今年のような試合数の場合は尚更である。そのためにも休みの時はしっかりと休み、そして来るべき時に備えて準備を万全に整えて戦ってくれるだろう。暇を大切にする。僕が言うのだから間違いない。 なんだかんだ言っても2018年のJリーグがスタートしたのだ。あれこれ言っても始まらない。平昌オリンピックで心に響いたフレーズ「STAY POSITIVE」を胸に刻んで、長い長いこの1年を多くの方と一緒に楽しみたい。いや、楽しめるはずだ。 余談だが前述のLEGO勉強会。今までのファシリテーションの中でもかなり上手くやれた部類に入るくらいの出来栄えだったと自画自賛している。やはり調子が悪い時こそ、その一瞬一瞬を大事にしようと殊更神経が研ぎ澄まされるのかもしれない。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

心を届ける。気持ちを届ける。

冬のスポーツはからっきし駄目なタイプなのだが、見るのは楽しめるタイプである。ジャンプのダイナミックさ、スピードスケートの速さなどに感動したり、またカーリングのような緻密さ、フィギュアスケートの美しさに驚嘆してしまう毎日だ。 例えは古いかもしれないが”ウインタースポーツ音痴”の僕のような人間にとって、冬季オリンピック出場選手は「代弁者」なのだ、時々そう感じてしまう。自分に出来ないことを代わりに体感し、そして見る者に感動を与えてくれる存在であると。 メダルの有無に関わらず全ての競技選手の中にあるドラマをひとつひとつ知るたびに、冬だろうが夏だろうが、スポーツというものの素晴らしさに感動以外の言葉が見つからなくなる。それはひとつとして例外はないと思う。 そしてその選手たちの後ろには彼らを支える多くの方々もいる。家族、技術指導をしてくれるコーチや体調管理を促すトレーナー、食事に気をつかってくれる調理師さんや身の回りのお世話をしてくれるマネージャー。勿論応援する観客も然り。 人間は、たったひとりでは何も出来ない生き物だ。支えあって励ましあって時には叱咤激励も含めて人と人との”気持ち”で成り立っているといっても過言ではない。だからこそここ一番で実力を発揮できたり、苦しい時に最後の力を振り絞れる。 我々サポーターも同様だと思う。選手は我々に代わりフィールドで戦ってくれている。だからこそ我々は心の底から彼らに”気持ち”を届ける。その思いは必ずや選手に伝わっていく、気づいてくれる。そしてそれが最後のひと足を出す力に変えていく。 「心の代弁者」というとなんだか重くなってしまうが、個人的にはその思いがかなり大きい。選手がそのような多くの”気持ち”を背負って戦っていることを知る。たとえ声にならなくても、その”心”がスポーツを見る側には一番大切なのだと思う。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

最高のスタートとありがたい話。

ゼロックススーパーカップを見るために埼玉スタジアムに行ってきた。昨年の日産スタジアムはセレッソ大阪アカデミーの選手が出場していたためNEXT GENERATIONS MATCHからだったが、今年は諸々の都合で13時35分からのこの試合だけにした。 2018年のセレッソ大阪はアジア・チャンピオンズリーグ、Jリーグ、ルヴァンカップ、天皇杯の四冠とこの試合を併せた5つのタイトルを狙えるチャンスが訪れている。まずはこのゼロックススーパーカップでどれだけ魅せられるかが焦点になっていたと思う。 最近では「賞金のあるプレシーズンマッチ」と揶揄されることも多いゼロックススーパーカップだが、やはりどんな試合でも勝つというのは嬉しいものである。しっかり賞金も稼いで、今シーズンの始まりとしては最高のスタートを切ったと感じる。 当の試合は殆どセレッソ大阪のものだったし、2つの凡ミスを除けばほぼ完璧な試合だった。昨年とさして変わらない構成の上、新加入選手も実にスムーズに試合に入っていた。彼らを見ることが出来たのも大きな収穫であるし、本当にありがたい話である。 しかしながらこの時期の試合は調整不足などもあり、見る側も”怪我をしないように”と考えてしまう。続々と行なわれる選手交代(試合の途中でレギュレーションを知った)もそういったコンディションへの配慮だと思うと、少しありがたい気持ちになった。 ありがたい話というともうひとつあって、試合前に様々な方から連絡をいただいた。「埼玉来てるの?」とか「何処で見てるの?」といった連絡をもらい本当に嬉しかった。存在を忘れないでいてくれるだけで幸せな気持ちになれるのは誠にありがたい。 サッカー観戦だけでも充分楽しいのだが、好きなことで仲間と触れ合えるという、また違った独特の人間関係を本当にありがたく感じる。これがJリーグの歴史というものだろうか。サッカーには人生を捧げる何かがあるのだ、と改めて心に記した。 Jリーグは今年25周年を迎える。この歴史の積み重ねが自身の人生における幾重の層となって形成づけられている。このような機会を頂けるJリーグに感謝しつつ、今後も、信頼する多くの仲間への「ありがとう」と共に更に前に進みたいと感じている。 とはいえ、人見知りの冒険はもうしばらく続きそうだ。 NEVER STOP,NEVER GIV

生涯続く「悩み」。

寒い日が続いているせいかそれとも老化現象なのか、身体のあっちこっちに異変をきたしている。最近では背面、特に腰痛には非常に悩まされている。立っている時や歩いている時はそれほどでも無いのだが、長時間椅子などに座っているのが辛い。 人間のほぼ全ての行動に関与してくる腰。元々持病みたいなものを親から受け継いでいたこともあり、故に誰にも文句を言うわけにもいかず、かと言って病院に行くほどでも無いと勝手に決めこんで、いわば”生涯付き合っていく”悩みなのだと理解している。 三十代の頃には健康なんて言葉など考えもせず暴飲暴食だった日々を思い出し、やはりそういった積み重ね(いや負の蓄積と言ったほうが正しい)の影響で今の身体があるとするならば、タイムマシンであの頃に戻って「アホ」とアドバイスしたいくらいだ。 セレッソ大阪のキャンプも終わり、やはり怪我人も出てきている。仕方のないところも多いとは思うが逆の見方も出来る。シーズンはここからロングラン。最後の最後で力を必要とされるシーンが必ず出てくるので、じっくりと腰を据えて治してほしい。 今週末には2018年のシーズンを占う一戦が待っている。練習試合では結果が出たとしても本番は違う。ましてや相手はJリーグチャンピオンである。2018年の元旦まで戦い時間的制約というものに一番左右された我らセレッソ大阪は、確かに分が悪いかもしれない。 とは言うもののこのような悩みはこれから「生涯続く」のである。これは常勝軍団を目指す身としては当然受け入れなければならない事実でもある。そのためのアカデミーそのためのU-23なのだと思えば案外悲観的になる必要もない。つまり嬉しい悩みでもある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

”水の街”のサッカーショップ。

「片付けをしていると次から次へと『やってますか?』ってお客様が来られるんですよ。申し訳なく思いました。」とメンバーから聞かされ、改めて、本当に多くの方々からご支援やご愛顧を賜りながら生きてきたのだなと心にしみる。 この1月末をもって足掛け11年8ヶ月の蹴球堂長居店を閉店することにした。理由は蹴球堂長居店ブログにて記載しているので割愛するのだが、長きに渡りまさに”悲喜こもごも”という言葉がピッタリであったように思える。それくらい濃密だった。 ”水の街”、”水都”と言われる我らの大阪で11年で4回も水漏れ事故が発生する店は本当に珍しいというかあり得ないことであるとは思うが、今思い出してみるともっと多くの諸問題も発生しており、店舗運営で起こる殆どの障害と向き合った気がする。 とは言え、多くのお客様、取引先様、そしてセレッソ大阪様には大変お世話になり、ここまであの場所で続けてこれたのではないだろうか。本当に感謝している。しばらくはインターネットとイベント運営をしながら新しいことを模索する日々が続く。 肝心の新店舗については様々検討をしているのだが、前回同様多くの方が楽しんで頂けるようなスペース、環境を提供していければと考えている。しかしながら課題も多いので色々と悩んでいるのも事実。少々先の話しになりそうだ。 これからも”セレッソファンのセレッソファンによるセレッソファンのため”のサッカーショップ蹴球堂を運営すべく「水もしたたる良い◯◯◯」揃いのスタッフ一同で努力していきたい。この先の蹴球堂の活動にも感心を持ってもらえると幸いである。 昨晩、スーパーブルーブラッドムーンを見た。空に輝き、満ち欠けしていく姿に自分を重ね合わせた。まだまだ捨てたものじゃないなと感じつつ、更にその先を追い求めて走り続けることが必要だ。心の水がとめどなく溢れ出すのを必死でおさえた。 最後の最後まで”水”である。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP