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5月, 2021の投稿を表示しています

第13節 名古屋グランパス戦。

最近、左足の膝に違和感を感じたりすることがある。毎日夜間に黒いワンコと緑道を走っていたのだが、最近では歩くだけになってしまっている。怪我は、最初のうちは違和感のレベルで始まり、気づいたときには大ごとになることもしばしば。 サッカー選手ともなれば、日常的に怪我と付き合っていくことになる。「人間万事塞翁が馬」という言葉もある。いつそれが訪れるのか誰にも分からない。分かっているのは唯一、自分の行ないなのかもしれない。今ではそう思ったりしている。 名古屋戦は、ある意味、想定した通りの試合展開で、想定した通りの得点差で、想定した通りの結果に終わった。お互いそれほどの差は無いと思うが、前二戦の辛い敗戦から抜け出そうとする相手チームの気持ちの面のほうが上回った感がある。 それは決してガッツポーズとかだけではなく、クラブ、選手そしてサポーターの内面の強さに見えた。我らが駄目なのではなく、彼らが気持ちを見せたと、個人的には思っている。もう一度、彼らを上回る内面の強さを作っていかねばならない。 久々にTシャツのデザインなどしてみた。ふと降りてきたアイデアを形にしていくと、今までの自分に無いようなものが出来上がった。変わらないものと、変わってはいけないものと、変わっていく必要のあるもの。大ごとになる前に気づくべき。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第12節 大阪ダービーマッチ。

いまだにスコアレスドローで終えたことがないらしい。戦績では水を開けれられてはいるものの、100年構想で考えればまだ1/4程度でもある。世界に数多く存在しているが、大阪の2クラブによる戦いは既に文化となっているのではないだろうか。 その大阪ダービーマッチはドローで終わった。いや、終わってしまったというべきか。もちろんハンドの判定などについて語る気もないし、個々の選手のプレーも同様。それらを超越して勝ち点3を手に入れるのが、ダービーマッチというものだ。 昨年の第二節での吹田アウェイゲームでも感じたが、ファンやサポーターのいないダービーマッチほど寂しいものはない。やはり両ゴール裏の、お互いの気持ちと気持ちがぶつかるあの瞬間こそが生き甲斐だ。今ここに生きている、と言えるのだ。 日本各地にはダービーマッチがたくさんあるけれど、どこの誰が見ても最高のダービーマッチであると自負する。これからの大阪には多分いくつものJリーグクラブが誕生するのだろうが、大阪ダービーマッチと言えば未来永劫このカードなのだ。 そんな環境に存在できるのがありがたいと思うと同時に、重責に押しつぶされそうになるのはどちらのクラブも同じだろう。特にホームゲームともなると、積まれるものは倍々と膨れ上がっていくのだ。楽しみでもあり、プレッシャーでもある。 無観客試合の影響はホームゲームに出やすいという噂も耳にした。払拭する意味でも、バックスタンドに広がる桜色がモニタ越しにも圧巻だった。長居や鶴ヶ丘周辺のお店の方々も、最大限の力でこのダービーマッチを戦い続けたと聞いている。 時間が経てば記憶も薄れていく。しかしながらこのような一試合一試合が我らの血や肉となるはずだ。Clubhouseでも話したダービーマッチの重みを改めて考えるゲーム。怪我の選手は心配だが、反攻に出る体制は整いつつある。前進あるのみ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

大阪ダービーマッチとはなにか。

誕生してから初めて無観客でのダービーマッチを戦ったのがちょうど一年前。改めてこの試合の重みを感じる瞬間を迎えようとしている。その結果、神聖なる思し召しを得るのか、血に塗れた屍となり地に這いつくばるのか。誰も分からない。 ダービーマッチとはなにか。それは、その街の覇権を争うだけのものにあらず。我らが持つべきものは、大量のプライドとわずかばかりの運。ダービーマッチとはなにか。それは、我らに与えられた、至極のコロッセウムにおける魂のやり取り。 少しだけ時間旅行をする。それまでの成績などにかかわらず織り交ぜられ、そのダービーマッチの結果は次の作用を生み出す。二十六年前のあの日からなにひとつ変わらない化学反応が今もこのつながりの中に潜んでおり、そしてもがき続ける。 ダービーマッチは心の起伏。大阪というこの例えようのない劇場で選手たちは戦い、観客という観客が与えられた時間の分だけ狂喜乱舞する。時代は変わろうとも、世代が変わろうとも変わらないものは唯一無二。それが大阪ダービーマッチ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP