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7月, 2018の投稿を表示しています

第18節 ベガルタ仙台戦。

ストーリーを創るというのは実に難しい。先週末、今日行なう予定のレゴシリアスプレイ、そのドキュメントづくりに奔走していた。どうやってみても流れとかストーリーに脈絡が感じられない。自分でそうなのだから実際受講者はもっと思ってしまうだろう。

このストーリーという言葉から物語っぽい試合をイメージする。よく耳にする”勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなし”。江戸中後期の肥前平戸藩主、松浦静山(まつらせいざん)の発言で野村克也氏も語るこの名言。ピタッときてしまう仙台戦であった。

引き分けだったからどうなんだよとクレームが来そうだが、昨日の展開だけを見ていると勝てる要素はほぼほぼ無かった。そんな状況下で引き分けることができた。この勝ち点1は勝利に等しいと言っても過言では無いと感じている。絶対にあとで効いてくるはず。

フォーメーションのミスマッチとか言われてもピンとくることがないが、見ている限りでは活動量(運動量ではなくあくまでも)の乏しさがここ数試合続いているし集中力も無い。普通に考えて最後の笛を聴く瞬間は負けを想像したが、結果そうならなかった。

スポーツというものは筋書きのないドラマだと言ってしまえばそれまでだが、ストーリー的には結末が最後まで分からない推理小説みたいなものにどこか似ている。ラストシーンで解決に導くヒーロー。今回は丸橋祐介選手だったがこういうのは正直心臓に悪い。

Jリーグはそんなに甘くはない。甘くはないのだが、できればセレッソ大阪のサッカーだけは安定した試合を期待したいのだ。どっちに転んだとしても最後のどんでん返しはもう勘弁願いたい。しかしながら、ストーリーは突然に。ラブがあろうとなかろうと、だ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「口に入りゃ何でもええ」からの脱却。

食にこだわりの無い僕が言うのもなんだが食べ物には気を使ったほうがいい。若い頃は「口に入りゃ何でもええ」という感じで生きていたが、歳を取るにつれて量より質に変わってきてもいる。それでもまだまだ雑食で、なんか出てきたら食べるといった具合だ。

昨年11月に開催されてから8ヶ月。ALL ATHLETE DINNERに参加するため八芳園へと足を運んだ。スポーツと自然食がメインであるこのディナーイベントは、今回より「SDG's」というキーワードが追加され、より現代社会の課題に目を向けたものになっていた。

SDG'sについては最近特に学ぶことが多い。今やIT界隈のコミュニティやイベントでもこのキーワードが溢れており注目はしてきた。17のテーマをもとに継続可能な開発目標を考える。どこをとっても「口に入りゃ何でもええ」では駄目なことに気付かされる毎日。

幸か不幸か人見知りの性格により人と交わることが苦手なのである。特にこんな大きな会場に多くの方が集まると、気後れしてしまうというか心が折れる。と思っていたら、隣の席の女性は本当にひとりで来ていた様子。色々と話して、改めて一期一会を感じる。

セレッソ大阪とも関わりのあるアスリートの方々をアミーゴに紹介いただいた。以前からお会いしたかった方々と挨拶することができた。様々な考えやこれからのこと、何か一緒に出来ないかと大いに盛り上がった。緊張度は変わらないがなんとなく心が落ち着く。

社会の一員として何ができるか何をやらないといけないか、なんて大きなことをほざいているだけでは駄目だなとこのような場所に来るといつも考えてさせられる。愛すべき仲間とともに前に進み、自分のできることをコツコツと前向きに取り組みたいと感じた。

そして、今日登壇されていた方々、料理を作ってくれたシェフの方々、周りにいた多くの方々を見て学ぶ。僕の仕事も「口に入りゃ何でもええ」だけでなく、社会と向き合い真剣にここを生きなきゃという思いが沸々と湧いてくる。色々と考えていきたいと思う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

小旅行。今日という日をさりげなく祝う。

昨日。とある仕事の関係で虎ノ門ヒルズまで行くことになった。都営地下鉄大江戸線青山一丁目駅で東京メトロ銀座線に乗り換えようと半蔵門線ホームまで上がったところで、ウロウロキョロキョロした外国人(アジアの方とお見受けする)の姿が遠くに見えた。

距離もあったので誰かが対応するかなと思いそのまま素通りしたが、気になって後ろを振り返ってみるとまだウロウロキョロキョロ。目が合った。彼が僕のところに近づいてくる。虎ノ門駅に行きたいのだが今がどこに居るのかがよく分からないとのことだった。

ところで僕は英語が喋れない。大抵「◯◯◯って英語ではなんだったっけ」と考えてしまい時間もかかってしまう。でも良いじゃないか。旅の恥は掻き捨て。日本語だってまともに話せてないんだから。英語だけ出来ないなんて考えるほうがおこがましい限りだ。

ちょうど同じ駅まで行くので「一緒に行こう」ということになり、ミニトリップが始まった。話を聞いてみるとマレーシア人らしい。奇遇にも虎ノ門ヒルズに向かうらしい。そこで友達と待ち合わせらしい。何回か日本に来たが東京の鉄道は難しい、などなど。

「君はマレーシアには来たことがあるのか?」と聞かれ「行ったことある、1997年のジョホールバルに行った」と返す。「今年の日本は特に暑いよ」と言うと「マレーシアも暑いんだよ」と返ってくる。そんな話をしていたらあっという間に虎ノ門ヒルズに到着。

「僕の名前はジェイだ、本当に助かったよ、ありがとう」「僕はマサヒロ、いやこちらこそ楽しかったよ」とシェイクハンドして別れる。なんてことはないこのミニトリップ。2020年に向けて多くのこんな小旅行が多くなると感じる。楽し過ぎて仕方がないのだ。

「一期一会」。何気ない日常に出会いがあるだけで一日を清々しい気持ちで過ごすことができる。帰りに近くの愛宕神社に寄る。出世の階段を久々に昇る。桜田烈士の碑を見る。二度と来ない今日という日をさりげなく祝う。生きるとはなんて楽しいのだろう。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第14節 鹿島アントラーズ戦。

手術以降、裂けたらどうしようかと思い悩み控えていた夜の腹筋活動を、二ヶ月ぶりに昨日ようやく再開した。どのような環境、生活スタイルだろうが怪我明けの運動はやはり怖さが残る。サッカー選手を代表するスポーツアスリートの勇気に脱帽する毎日。

夏場になると暑さもあってかところどころで怪我をする可能性が非常に高くなると感じるし、昨晩もそのようなシーンを数度見ることになった。相手チームながら大事に至らなければよいなと思うと同時に、どんなプレイにも常に危険が存在することを知る。

とはいえどんな世界でも、怪我を恐れて最後の最後まで足を出せない、走り切れない、飛び出せないだと多分一流(いや超一流か)にはなれない。これは自分への戒めでもあるだろう。昨日の試合を見ていて両クラブ選手のその強さの違いに気づいたのだった。

強さとは、高さとか上手さとか速さとかだけでなく、相手の急所を突くことや時にはリスクを侵すというギリギリのところの踏ん張りなのだろうなとこの試合を見て大いに感じた。その差を埋めない限りはたまに勝つことは出来ても常勝できるはずはないな。

さて腹筋。まだまだやれそうな気はするが自分で限界を決めてバイアスかけている感があるか。規定回数超えると傷口がヤバイとかそう思っている限りは僕も弱き子羊。たかが腹筋されど腹筋。徐々には増やそうと思う、リスクを(だから腹筋のじゃなくて!)。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

横の関係で生きていく。

変わらず今も同じ環境なのだろうとは思っているが、あの頃のゴール裏も中高生や小学生、もっと小さな少年少女たちで溢れていた。どうも大人という生き物は柵や好き嫌いに感情を左右されるが、いつの時代も子供たちの心というものは実にシンプルなのだ。

その頃の少年たちが今、様々なところで活躍しているのを見て本当に感慨深い。別に上から目線で偉そうなことをいうつもりはサラサラ無いのだが、嬉しい感情と共に、自分ももっと頑張らなければとつい思わされてしまうのだ。とても清々しい気持ちになる。

当時はまだ若かった僕個人も含めて我らの多くは、社会というものをスタジアムで学んだのではないだろうか。老若男女ただサッカーが好きセレッソ大阪が好きというだけでつながった縁。その中で生きられることに感謝しているのが本音なのかもしれない。

なんてことはないシンプルな縁は、セレッソ大阪がある限り続いていく。年齢を重ね経験を積み生きている限りそれは続くのではないか、と考えてしまう。そしてその思考はまさに、アドラー心理学で言うところの「横の関係」ではなかろうかと思えてくる。

そんな横の関係が僕は好きだ。柵や好き嫌いに左右されず、ただひたすらにセレッソ大阪が存在することの喜び、セレッソ大阪を愛する人と接することの喜び、そして同じ目標に向かって道をひとつにすることの喜び。僕はその喜びに囲まれて今を生きていく。

アドラー心理学をこの方から知ることによって自分自身でも幅が広がった感がある。セレッソ大阪がつなぐシンプルな縁を、受け売りの素人である僕が言ったところで説得力が皆無なのは分かっているが、そう思える気持ちだけは決して間違いで無い気はする。

繰り返しこの書籍を手に取ってしまう。聴いてしまう。そんな魔力がこの本にはある。何度も「うんうん」と頷いてしまう。とはいえ再度理解し、忘れ、また読む。何とも双六のようだ。でも横に友がいるから良いじゃないか。たとえふりだしに戻ったとしても。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第17節 浦和レッズ戦。

J1も折り返しまであと一試合となった第17節。スタジアムで観戦しない記録がここまで伸びるとは正直思ってもみなかったわけだが、いっそのこと今シーズン未観戦達成などという不名誉を味わってみるのも悪くないのでは、と思い始めている自分がいる。

とは言うものの後半戦で既に観戦を予定している試合がいくつかあり、恥ずかしい記録だけはなんとか免れそうだ。直近で決まっていそうなのは8月末。スタジアムでお会いすることがあればと思うが、あまりの暑さに不機嫌な姿をお見せしたら申し訳ない。
そんな暑い夏のJリーグ。試合への負担もかなり多そうだ。それは試合終了後の両クラブ選手のヘタリ具合から見てもよく分かった。日本各地で夏祭りまでもが中止になったりするなか、大阪特有の夏の蒸し暑さのなか、本当に最後まで走り切ったなと思う。

試合を通じて、両クラブのサポーターとももの凄いチャントが聞こえた。本当に選手とともに戦っている感が出て良い試合だった。前半はセレッソ大阪、後半は浦和レッズという構図は見ての通りだが、最後の最後まで攻め続けたのは次に繋がる気がする。
ひとつ。福満隆貴選手の動きが悪くなった瞬間、彼の足を今一度出させられるチャントをがあればどういった展開にだったろうかと考えてみた。サポーターもいっぱいいっぱいだったのだろうなと推測しながらも、もう一声を求めたい。彼なら行けたはず。

選手たちは限界まで走ってもなお、サポーターの声に勇気づけられている。音量、音質、よりもタイミングだと僕は思う。心に届くチャントは、心から脳へ、心から目へ、心から足へと伝わっていく。チャントはそんなふうに試合を作っていくのだと思う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

映画「カメラを止めるな!」。あ、映画って良いな。

映画が好きで月に何本も観る。原則としてインドア派(これを家から出ないという)なのでBDやDVD、オンデマンド配信が多い。現状はアマゾンプライムビデオやNetflix。だんだん目も見えなくなってきたので、字幕は減らしてもっぱら国内映画多めでもある。

ときたま映画館にも行く。今も昔も映画館という場所に心地よさを感じる。多くの方と心ひとつ眼の前の何かを見つめる。これはサッカースタジアムに代表されるスポーツ観戦とどこか似ている。だからこそ共に愛してやまない存在であるのだなと感じている。

さてある日。相方から一本の映画を勧められる。その話を聴くと噂ではちょっとした伝説になっているらしい(ほぼ満席が続いているそうだ)。インディーズ映画としては異色の作品である。かなり面白い。「見なきゃ損だ」とまあ相当なべた褒め状況である。

ということもあり先日夜に渋谷ユーロスペースにて鑑賞してきた。予備知識全くなし状態だったのだが、これが面白い。前々から聞いていた映画史上に残る”37分ワンカット”を見て、「ほーなるほど」とか思う間もなく物語が進んでいく。うん確かに面白い。

個人的感想だけを述べるとするとインディーズだからこそできる出せる面白さなのだろうなとも感じる。リピートをあまりしない(僕がバック・トゥ・ザ・フューチャーやマトリックスを繰り返し見ていると怒る)相方が何度も何度も生き返る理由が分かる。

このような作品を見ていると「あ、映画って良いな」と素直に思える自分が出てちょっと恥ずくてちょっと嬉しい気がする。バンバン撃って思いっきり泣いて胃が痺れゾクッと興奮するだけではなく、素直に大声で笑える映画もまあ時には良いものだな、と。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第16節 清水エスパルス戦。

ワールドカップロスから立ち直る、とかいう感覚も無くすぐさまJ1リーグ(この呼び名には多少の抵抗感があるが)が再開した。40度を超えるような地域もあった日本列島で、しかもミッドウィークナイト。走り切ることが信条のセレッソ大阪は如何に。

と思って清水エスパルス戦を後半から見る。明らかに運動量で相手に劣り、決定機をなかなか作れず、時に来るチャンスをものにすることができない。これでは0-3は妥当としか言いようがない。交代含めて全体的に上手くいかなかったという感想でもある。

前々から思っている通りJ1リーグの実力に歴然とした差があるわけでもなく、たまたま勝っていて、たまたま4位にいて、たまたまたまたまがたまたま続いているだけであって(口を噛まないように)、違いを見せつけた試合なんてほんの僅かでしか無い。

そんな、たまたまの中で特別な能力を見せられるかどうかが、ネクスト日本代表への道だと思う。決定的な何か、を見せられる外国人が他のクラブには出てきたりするし、若い選手たちもかなり燃えているに違いない。さて一体セレッソ大阪はどうなのか。

個人的には十代から二十代前半の若者たちがもっとトップを脅かすようになってほしいと願っている。先のJ3東京戦のように暑さのなかで見せた走り切る力を発揮することができれば、何かのきっかけになるのではないかと考える。最近の若者は凄いから。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ワールドカップファイナルの日。

サッカーはリアルタイム観戦が良い。FC東京U-23との試合を見るために味の素フィールド西が丘に行ってきたが本当にそう感じた。あのうだるような暑さのなかで運動量を保つことが難しかったが、よく戦ったと思うしそれ以上に結果が出たのが嬉しい。

深夜に行なわれたワールドカップファイナルを見る。世間的に3試合連続の延長戦で勝ち上がったクロアチアへの肩入れが半端ない。タイムラインを見ていてもクロアチア勝利を願う投稿が軒並み。初優勝というムードが漂い始めていたここ数日だった。

個人的にもクロアチアという国に対する思い入れや感情がある。街が美しい。食事が美味い。サッカーを愛する方々が多い。大きな大会になると沢山の方がスタジアムへと足を運ぶ。そして何よりクロアチアにはアミーゴがいる。本当に愛すべき国だ。

結果的にはまだ早いと言われているのか、もう世界の強豪国に追いついているのかは正直なところ分からない。しかしながら、近い将来にジュール・リメ・トロフィーを掲げる姿を見ることになるやもしれないという、そんな可能性を感じた試合だった。

1998年に初出場してからの20年。クロアチアと日本は共にこのワールドカップという舞台で成長してきた。この両国が歩みを止めることは決してないだろう。どちらが先に世界一の称号を手に入れられるか。その瞬間まで生きていることが出来るだろうか。

勝っても負けてもリアルタイムでアミーゴにメッセージを送りたいと思ってはいたものの優男の粋な台詞が見つからない。そのまま眠りに落ちることとなった昨晩。今更ながらもう一度脳内で言葉を駆け巡らせるが、全く出てこない。まあそんな日もある。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

SUPER DOBRO!と今ここに叫ぶ。

最近、ほぼ毎日同じ格好で仕事をしている。周りの人から「イバさん、またおんなじ服やでえ」と思われても言われても一向に気にしない。それくらいその日の服装を決めるのが面倒なB型人間。それが愛すべき自分自身だということに気づき始めている。

昨晩の疲れもそこそこに3時前に目を覚ました。前日のセミファイナルはリアルタイムで見ることが出来なかったが、この戦いだけは見逃してはいけないなと身体が感じたのだろうか。クロアチア代表がワールドカップ決勝に進めるかどうかの大事な試合を。

それにしても本当にすごい試合だった。両チームの気迫が凄まじく、まさに魂の戦いだった。改めてこれがワールドカップなんだなと感じると同時に、16年間ものあいだ大きく関わってきたクロアチアがファイナルに進出したことを本当に嬉しく思っている。

決勝トーナメントに入ってから三試合連続の延長戦。フランス戦は一体どうなるのだろうか、と疲労困憊の選手の姿を見ながら少し不安に感じた。しかしこれ以上考えても仕方がない。初優勝に向けて応援するのみ。今僕らがやれることはそれだけだろう。

タイムラインがクロアチアへの祝福で埋まっている。決勝戦までの時間を楽しみながら、そして1998年のあの試合を懐かしみながら、2002年からのCBJAPANの活動を思い出しながら、この余韻を僕は味わうのだ。そしてSUPER DOBRO!と今ここに叫ぶのだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


心の支え、その一助に。

西日本を中心にかなりの被害が出ている。アミーゴの無事を知り安堵しているが亡くなった方も多数。とても心が痛む。この先も大変な状況であることは変わらないが、これ以上の犠牲が無いようにと、少しでも早く日常が戻ってくるようにと祈りたい。

サッカーが、被害を受けた方々の心の支えの一助になるかどうかは分からないが、本当に熱い試合を繰り広げているワールドカップ。中でも僕の人生に大きく関わっているクロアチアが勝ち上がっていることを何と表現すれば良いのか分からない僕の思考。

1998年。日本とクロアチアはフランスで対戦した。2002年日韓ワールドカップ。クロアチアはメキシコ、イタリア、エクアドルと日本で戦った。アミーゴが取ってくれたチケットを片手に新潟まで見に行った。イタリア戦の勝利も鮮明に頭の中で憶えている。

そして、開催が無かったにも関わらず、大阪にも多くのサポーターが来訪してくれたのだ。彼らとフットサルで楽しみパーティ語らい歌い楽しい夜を過ごした。本当に良き思い出として今も心に存在する。言葉は通じなかったが心が通うとはこういうことか。

そんな折、フェイスブックのタイムラインで一枚のフォトが目に入ってきた。あの新潟。皆で撮ったあの写真。何故か目頭が熱くなった。16年前のあの日、あの気持ちが蘇る。スポーツってワールドカップって心の支えの一助になり得るのだという感情。

改めてではあるが今起こっている被害に向けてサッカーが意味を持つものか正直言って僕には分からない。だけど寄り添うための肩や腕や手の、ほんの少しの代わりになり得るかもしれないとも感じる。多くの方の心の支え、その一助になっていると嬉しい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「そんなんできひんやん普通」。いや、できます。

まだまだ日本代表のワールドカップは続いている。賞賛、批判、悲喜交交である。素人の身で普通に気になってしまうもの。最後の失点シーン、山口蛍選手のポジショニングについての是非。プロの方々でも意見が分かれるこのプレーの結論は、如何に。

同時に話題になったベルギー戦後のロッカールーム。個人的には「いつもこんな感じやろー普通」と思ったが、世界から見たら「日本半端ないって、あいつ半端ないって、試合後のロッカールームめっちゃ綺麗もん、そんなんできひんやん普通」なのか。

「そんなんできひんやん普通」。いや、できます。使ったら片す。常に誰かから教えてもらってきたこと。普通で考えれば常識だが美化される。スタジアムのゴミ拾いも同様かと感じる。このようなことを普通にサラッと出来てしまうのも日本の良さだ。

ときにはそうじゃない人がいることも否定はできないが、日本の大半の方はそんなのは普通だと思っている。僕はそんな日本の文化が大好きだ。それが日本の持つ誇るべき力なのかなと考えてしまうのは、果たして、正しいだろうか正しくないだろうか。

普通のことを普通に行なえてしまう日本。だから、世界の普通も取り込んじゃえ。ワールドカップが終わったら、普通に次は自国のリーグにのめり込んでいく。これがグローバルスタンダード。25年間僕らが学び続けたフットボールのありかたなのだろう。

僕らには世界に誇れるリーグがある。我らのリーグから選ばれロシアで戦った選手たちが、4試合で得た経験を必ずこの先の普通に変えていける選手たちが帰ってくる。気持ちが高ぶらないはずがない。さあ世界の次は普通の日常へ。さあ準備始めよう。

Jリーグ

(とはいえファイナルまではワールドカップも楽しみましょう!)

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ベルギー代表戦。認めようじゃないか。

悔しさを認めようじゃないか。虚しさを認めようじゃないか。世界との差を認めようじゃないか。上手さと強さの違いを認めようじゃないか。決めきることの大事さを認めようじゃないか。勝負の世界には勝者と敗者がいることを認めようじゃないか。

そして僕らの力不足を認めようじゃないか。何かが足りていないってことを認めようじゃないか。まだまだ伸びると認めようじゃないか。その素直さが僕ら日本の良さなのだと認めようじゃないか。それこそが日本の心意気なのだと認めようじゃないか。

いつでも、僕らは乗り越えてきたじゃないか。フランスでも自国開催でもドイツでも南アフリカでもブラジルでも、そしてもちろんこのロシアも。認めようじゃないか、僕らは決して諦めないことを。認めようじゃないか、今日が新たな始まりなのだと。

サッカーの神様は実に残酷だ。そしてサッカーの神様は実にしたたかだ。どこまでも僕らに試練を与え続けるのだ。その試練という名の道のりを僕らは一歩一歩踏みしめるしかないのだ。認めようじゃないか、僕らは今日、階段をひとつ昇ったのだと。

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映画「わがチーム、墜落事故からの復活」。そして、色。

ベルギー戦が待ち遠しい。怪我人や体調の良し悪しもあると思うが、どのような選手構成であったとしても、必ずや自分の色を出してくれると信じている。早めに仕事を切り上げ軽く睡眠をして試合に臨みたいと思っているが、さてどうなるだろうか。

そしてこの週末。日本代表の結果如何に関わらず行きたい場所がある。それが映画館。7月6日から始まる映画「わがチーム、墜落事故からの復活」を鑑賞するため。応援割引もあるみたいなので是非愛する我らの桜色のユニフォーム姿で行きたいと思う。

このシャペコエンセというクラブには日本とゆかりのある選手スタッフが在籍していた。セレッソ大阪には多くの外国人選手がいたのだが、ケンペス選手ともこんな悲劇的な別れになってしまった。あの日の献花台を思い出し、そして悲しみが溢れ出す。

夜から朝方にかけて、ブラジルの試合、続けて日本の試合が行なわれる。映画が日本で公開されるタイミングのこの二試合は何かの縁かもしれない。カナリア色と青、勝色と白。これらの色が混ざり合うとあの鮮やかな緑になる(気がする)のだから。

流石に23時の試合を見ていると起きられない恐れがある。連チャン観戦は難しいが、あの御方も期待しているダブルを自分も喜んでいる姿が想像できる。お互いが勝ち上がると対戦することになるのだが、まずは次を考えず目の前の試合に集中したい。

2016年11月28日。あの事故で亡くなった多くの方々もこの二試合を見てくれているだろうか。共に良いゲームをもたらしてくれるだろうか。東京の空の青さを見上げながらそんなことを僕は思う。緑が広がるピッチの空も勝色に染まっていくだろうか。

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声の力が歴史を創る(かもしれない)。

ベルギーとの戦いに向けての高いモチベーションのなか、昨晩から一発勝負の決勝トーナメントが始まった。フランス-アルゼンチンを見ながら寝落ちしていたようで次に4時に起きたらウルグアイ-ポルトガルのハーフタイムだった。3日未明が心配である。

今朝テレビニュースで結果を見る。アルゼンチンサポーターの声援が凄い。どの国のサポーターも素晴らしい声量だ。その声は選手の疲れた足を前に進ませるだろうしそして試合を良くも悪くもできる。声の力が存在することをサポーターは皆知っている。

テレビをオンにする動作。そこにも声が存在する。アマゾンエコーに向かって「アレクサ、テレビつけて」「アレクサ、XXXかけて」と僕は話しかける。エアコンも今や音声でオンオフを切り替えている。声が作る生活、そんな毎日に日々なりつつある。

「そんなのリモコンでやればいいじゃないか」というご指摘を結構いただく。確かに今はそれで良い。しかしながら数年後、十年後、数十年後、まさに映画やドラマで見た光景がこれから広がっていくだろうし、その時のために準備をしておくことも重要。

一方、ITのほうも今はまだ求めるところまで追いついていないのも事実。面倒なワンオペも増えている。だからといって変わらないままだと食わず嫌いが身を滅ぼしかねない。多くのチャレンジを行なうことで、僕らは前に向かっていくのではなかろうか。

そして繰り返すがサッカーには声の力が必要だ。次のベルギー戦。ただ戦うだけでは厳しい状況になることは間違いない。だからこそ僕らは想いを声に乗せて届けなければならないだろう。歴史を創るには歴史を創るだけの声の力が必要だと僕は思うのだ。

そんなこんなで家を出る。鞄を持って鍵を持つ。なんならゴミ袋も。手は空いていない。が、そこにリモコンは無い。僕はひとことリビングのアマゾンエコーに声をかける。「アレクサ、テレビ消して」。ニーズと未来は意外と身近にあるかもしれない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP