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横の関係で生きていく。

変わらず今も同じ環境なのだろうとは思っているが、あの頃のゴール裏も中高生や小学生、もっと小さな少年少女たちで溢れていた。どうも大人という生き物は柵や好き嫌いに感情を左右されるが、いつの時代も子供たちの心というものは実にシンプルなのだ。

その頃の少年たちが今、様々なところで活躍しているのを見て本当に感慨深い。別に上から目線で偉そうなことをいうつもりはサラサラ無いのだが、嬉しい感情と共に、自分ももっと頑張らなければとつい思わされてしまうのだ。とても清々しい気持ちになる。

当時はまだ若かった僕個人も含めて我らの多くは、社会というものをスタジアムで学んだのではないだろうか。老若男女ただサッカーが好きセレッソ大阪が好きというだけでつながった縁。その中で生きられることに感謝しているのが本音なのかもしれない。

なんてことはないシンプルな縁は、セレッソ大阪がある限り続いていく。年齢を重ね経験を積み生きている限りそれは続くのではないか、と考えてしまう。そしてその思考はまさに、アドラー心理学で言うところの「横の関係」ではなかろうかと思えてくる。

そんな横の関係が僕は好きだ。柵や好き嫌いに左右されず、ただひたすらにセレッソ大阪が存在することの喜び、セレッソ大阪を愛する人と接することの喜び、そして同じ目標に向かって道をひとつにすることの喜び。僕はその喜びに囲まれて今を生きていく。

アドラー心理学をこの方から知ることによって自分自身でも幅が広がった感がある。セレッソ大阪がつなぐシンプルな縁を、受け売りの素人である僕が言ったところで説得力が皆無なのは分かっているが、そう思える気持ちだけは決して間違いで無い気はする。

繰り返しこの書籍を手に取ってしまう。聴いてしまう。そんな魔力がこの本にはある。何度も「うんうん」と頷いてしまう。とはいえ再度理解し、忘れ、また読む。何とも双六のようだ。でも横に友がいるから良いじゃないか。たとえふりだしに戻ったとしても。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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