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楔。

地球が誕生して46億年。生物が誕生して38億年だという。そこから更に時代は進み、700万年前〜600万年前に人類が生まれたとされている。こう考えると僕の歴史などたかが知れている。それはまさに点と呼ぶのもおこがましいくらいだろう。
人として人生を全うすることの尊さを、今、噛み締めている。こんな点にも満たないのような人生の中で何かをやり遂げたとしても、地球にとって何の意味も持たないのか。いやそうではないと言いたい。何かしらの楔を打ち込んでいるはずだ。
以前にも書いたが、真の偉人は街のあちらこちらにいる。もちろん教科書には載らないし、ましてや知っている人も多くはない。それでも偉人に違いない。誰かの心に楔を打ち込んだのならば、少なくともその誰かにとっての偉人にはなり得る。
僕も歳を取り、そんな偉人たちが、ひとりふたりとこの世を去っていく。人間はせいぜい120年しか生きられないそうだ。いつか死ぬのだ。死ぬために生きていると言ってもいいくらいだ。だからその時間を精一杯生きるのだ。死ぬその日までは。
もう一度言う。僕は楔を打ち込むために生きているのではなく、死ぬために生きている。楔は打たれた側が感じることであって、少なくとも打った僕がそれを考える必要はない。楔のボールはすなわち勝負の縦パス。だから死ぬまで打ち続ける。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

気持ちは常に鶴ヶ丘。

わずかではあるものの観客が入っての公式戦の当日。あいにくの天気でもあったのだが、F.C.OITOおよびサッカーショップ蹴球堂にも多くのファン、サポーターの方々にお越しいただいたとのことで本当にありがたいと感謝の気持ちでいっぱいだ。
アミーゴからも「行ってきたよ」というメッセージをもらったりして、素敵な言葉だけでなく、勇気や元気も一緒に送られてきたような気がする。もちろん試合は残念ではあったが、そんな沈みがちな気分も吹っ飛ぶくらい、とても心が軽くなる。
前回大阪に戻ってからはや四か月が経つ。試合を現地で見れない以上に、アミーゴに会えないことの方が落胆は大きい。やはり僕らは多くの方々に支えられていたと改めて感じるとともに、早く帰阪して仲間と一緒の時間を過ごしたいと思ってしまう。
ここでも何度も書いているが4月30日オープン後のF.C.OITOにも5月27日リスタート後の蹴球堂にも僕は足を踏み入れていない。言ってしまえば純真無垢な状態だ(決して僕以外がそうではない、という意味ではなく)。なのでとても待ち遠しいのだ。
そんなこんなで「とても素敵なお店です」とか「お洒落な環境ですね」と言われても、お恥ずかしい話だが正直ピンときていないのが実情だ。僕の中では何もないただの木の部屋だったわけだ。そのような場所が多くの方々のおかげで命を宿している。
ここには、僕個人としての魂が存在していると声を大にして言いたい。物理的な身体は遠く東の京にあったとしても、気持ちは常にJR鶴ヶ丘駅前から少し歩いて、角を曲がったあの場所にあるのだ。だからこそこのような状況でも強くいられるのだ。
うーん。しかしながら、長居球技場にある会社にも行かなくてはならないのにこの状況が非常に悔しい。御存知の通り、東の京の人間が大阪に入ることはまだまだ遠慮しなければならない時期でもある。気持ちをひとつにじっと耐えるときでもある。
いま、今週行なう予定のレゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークショップ設計とドキュメントを仕上げているところ。コロナが明けたあかつきには必ず、F.C.OITO内においてアミーゴに集まってもらってワークショップを開催する。これだけは約束しておく。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第4節 名古屋グランパス戦。

世の中は本当に分からないものだ。何がきっかけで物事が起こるのかなんてまったく読むことができない。初めてその話を聞いたときは一体何のことだか理解するのは難しかったが、昨晩ようやく事の真相がつかめてきた。凡人には捉えきれない。
とは言えそんな状況になっているとは露知らずだった。叔父からの電話で「高一ミスコン」のことを知り、その総合一位に遠縁が立っているというではないか。買い物から帰ってきて、しかも荷物を受け取る瞬間の出来事で少々混乱したのだった。
今日の名古屋グランパス戦はこの「混乱」という言葉がピッタリの試合だったと感じる。選手個人のミスは一試合の中では当然出るものでもある。ただそのミスが続けて起こるとこのような試合になるのだろうな。そう思いながら試合を見ていた。
選手を5人まで交代することができるのは過密日程には非常にありがたいが、監督としては悩んだりするのだろうか。今年は特に試合プランとのトレードオフが難しそうな気がする。一週間ほどのインターバルでまずはコンディションの調整だろう。
そんなダブルの混乱のなかでこのブログを書いている。負けはしたが、観客の皆さんがスタンドに座っている姿を見ているだけで涙が流れそうになる。目頭を必死に抑えながらの90数分。これでようやく、僕らのJリーグが戻ってきたような思いだ。
東京からはまだまだ他県に出ることがはばかられる状況なのでDAZNでの観戦が続くのだろう。スタジアムはこの先も混乱が続くと予想されるが、できるだけ早く、録音のチャントが生の声に代わる日を待ち望んでいる。スタジアム観戦を願いつつ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

変わるべきときに変わること。

創業初年度だろうが100年続いているだろうが、変わるべきときに変わらなければまったく意味がない、と僕は思っている。F.C.OITOもサッカーショップ蹴球堂も様々な改革を次々に進めていっている。組織とはそういうもので、それは普遍であり不変だ。
とある記事を見た。変わるときに変わらないといけない展開。バズワードに囚われるのではなく、トラディッショナルで誇り高く改革に取り組む様に感動すら覚える。当然時間もかかるし、それは上手くいかずに終わってしまうことだって充分にある。
しかしながら、一歩前に出なければいつまで経っても何も変わらない。だからこそ優しさと気遣いと、おせっかいが必要になってくる。だが、必要も無いのに理解を求めるための無駄な時間を使ったりしなければならないのは、企業独特の文化なのか。
変わろうとしているときに一歩先んじると出る杭を打たれる。容赦なく身内に背中から斬られる。伝統だのしきたりだのとこれまでもおよそ守ったことも無いのに簡単に振りかざしてくる。日本の組織はこういった類のものが日常茶飯事になっている。
そこに悩みがある。特に大きいのは人間関係でもあると僕は断じて言いたい。昨日も少し書いたのもあるが、アドラー心理学のアルフレッド・アドラー先生が言う「人間が抱える問題はすべて人間関係の問題」は、まさにその通りなのだと思ってしまう。
今日熊本戦でセレッソ大阪U-23のなかでもちょっと感じてしまった。ペナルティーキックの際に少し意見が合わないシーンがあったように僕には見えたが果たしてどうだったのだろうか。確かにプロなので良いとは思うが時と場所を考える必要もある。
書いてはいるが若い頃は僕もそれが当然だと思っていた節もある。丸くなったとよく言われる。変わるべきときに変われたのかなと自分自身は思っているが、周りの目からどう見えているのか。今の若者たちはタイミングを逃さないようにしてほしい。
かく言うF.C.OITOも蹴球堂も、越えないといけない、越えていくと信じて走っている状況のなかで様々な課題にぶつかることもある。考え方は人それぞれ。だが僕らは獣では無い。お互いをリスペクトして合意点を見出す。人間の、当然の行動なのだ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

慣れないWindowsを触る。

人間、慣れとは恐ろしいものだ。毎日実施しているとどんどんと手慣れていくのにちょっと使わなくなると途端にまったく動かせなくなってしまう。スポーツ選手が1日休むと取り返すのに数日いや数週間かかるとか言う方もいるのはその典型だ。
使い慣れないWindowsなどというオペレーティングシステムを使ったせいか、肩が非常に凝っている。もうかれこれ窓を利用しなくなってから10年近く経つ。大半がMacだが、やはりスマートフォンのほうがすぐ使えて非常に便利になっている。
だからといってWindowsが駄目だと言いたいわけではなく要は多様性だということ。それは別の意味で言うと、少々乱暴になるのだが「何でも知ってると思うなよ」となる。IT屋のエリア(幅)が相当広くなっていてかなり厳しい状況でもある。
サッカーにおいてもこの「何でもできる」の範疇が存在しており、現代ではその境目が難しくなっているのも分かる気がする。多様性を持って戦える人間ばかりだったらそんなに苦労もしないが、全員が全員、そういうわけにもいかないだろう。
僕自身も若い頃と比べて守備範囲がまったく変わってきている。歳を重ねることで変わることもあれば、環境によってもそれは起こる。成長しているのかはたまた劣化しているのかが分からなくなってくることもよくある。それも、人間なのだ。
今日、アドラー心理学のセミナーを受講した。再三再四言われている「勇気づけ」という言葉を噛みしめるたびに、今僕がやらなければならないことが頭をよぎる。こういう状況だ。自分のやれる範疇を精一杯行なっていくのが重要なのだろう。
そういやあのコーチの勉強会を企画して実施のところまで行っていたのにリスケになったままになっている。東京は今日も凄まじい数の感染者が出たのでまだまだ先になりそうだが、必ずや実現させる。そのためにまずは今を大事に生きること。
そんなことを書いていたら当のWindowsが謎のCドライブ容量不足に陥っている。だから窓は嫌なんだ・・・と泣きながらメンテナンスを実施する。あれ?なんとなく身体が覚えている。やはり経験は知識となって染み付いたのか?それも謎だ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
※直接触るのは嫌なんで基本はChromeリモートデスクトップ。

風。

雨が続いている。しかも中野坂上近辺ではかなりの風速がセットで提供されている。ビニール傘がもう何本やられたことか。最近は少し強い傘(この傘、あるトラブルで貰った)に替えたのでそれほどでもないが、大雨で傘の故障は正直辛い。
重ね重ね言わせてもらうが、中野坂上駅の周りは本当に風が強い。その名の通り坂上でもあるし、複雑に入り組んだ地形が原因のひとつだと思うが、ここまで凄いと正直どうしようもない。自然の力をまざまざと見せつけられている感がある。
風は時に甚大な被害を僕らのところに連れてきてしまう。被害発生の状況をニュースで見ているだけで本当に悲しくなる。そんな中で九州に住む幼馴染に連絡して、比較的被害は少ないとの返事をもらって胸をなでおろしている僕がここにいる。
大阪と比べても東京は風がある。この時期は風が吹くと涼しい日があるので助かるのだが、上下前後左右と所構わず吹き荒れるのはちょっと対応に苦労する。これはまるでセレッソ大阪の多彩な攻撃のようだと言うのは、表現としては厳しいか。
再開後の好調を支えている選手が多すぎて選びようがないが、強いて言うなら、個人的に中盤の底の二人と両サイドバックということになる。特に藤田直之選手とレアンドロ・デサバト選手の充実ぶりが本当に頼もしい。何物にも替えられない。
この2ボランチの安定感からの貢献度が攻守の軸であると言っても過言では無い。至るところに顔を出し、守備の場面はもちろん、時にはペナルティエリア内でも仕事をする。この充実ぶりが逆に「怪我しないか」と風向きを心配してしまうのだ。
とても気になったので「なぜ中野坂上駅付近は風が強いのか」を色々と調べてみた。インターネットなどで見ていると10年ほど前からポツポツつぶやかれ始めていた。「剥離流」「吹き降ろし」「谷間風」。メカニズムは、なんだか分からない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第3節 清水エスパルス戦。

時間が経つにつれ塗り替えられたり消えたりするのが「記録」。言いたくはないのだが日々薄れていくのを肌で感じる。それでも多くのログを残しながら俗世を生きる。テキスト、フォトなど含めて、僕のエリアの様々な急所に散らばっている。
それにしてもDAZNのおかげで、幸か不幸か試合を録画するという機会がまず無くなった。DVDならいいがビデオはかさばるうえに劣化も激しい。インターネットが世の中を変えていることを再認識しながら今日も配信される試合を見ることにする。
平日の18時キックオフはやはり僕にとっては厳しい時間割だ。それでも、追っかけ再生(と呼んでいいのだろうか)ができるので18時50分くらいから見始めた。スターティングメンバーを二枚替えた。水曜と週末の連戦はターンオーバーは必要。
そんな意味も含めて、強くなったと感じる試合内容。こういう言いかたをすると本当に申し訳ないが、強さと脆さを併せ持つセレッソ大阪が懐かしいと思えてしまうくらい、僕らはあの頃を忘れたのだろうか。いや、忘れさせられたのだろうか。
J1のゲームは実に紙一重だ。この時期に首位だからといって浮かれることはまず無いだろう。とは言えアミーゴからメッセージが来たりすると、なんだか嬉しい。この土曜日からは少ないながらにファン、サポーターも入場ができるようになる。
今日みたく応援がなくても選手は戦うし最高のサッカーを見せてくれる。でも「それがどうした」だ。僕らがいる意味。選手と一緒の時間を過ごすこと。彼らの疲れた足を少しでも前に出す手伝いをすること。そのためにスタジアムに行くのだ。
だからといって応援のすべてが可能ではない。そしてスタジアムの何もかもがビフォアコロナに戻るわけではない。そんな状況下でこの一年を過ごしていかなくてはならないだろう。東京都民はしばらく大阪には行けない。さて、どう生きるか。
少し話が戻るが、我が家にはVHSだろうがBetaだろうがビデオは既に存在しない。すべて処分してしまった。覆水盆に返らず。見たいと思ったときにはもう遅い。記録とはそういうものだ。だから僕らは記憶に焼き付ける。忘れないためにも。
今日の清水エスパルス戦も僕の記憶のチップに登録されたのだろうか。それが自分自身でもよく分からないのだ。しかしながらまだまだ記憶力はわずかに残っているということ、先日のワークショップの報告書を書いている際に感じたのだった…

手札の「ブレない」個性を。

アドラー心理学の書籍である「嫌われる勇気」を貸してあげていた御方と、本を返してもらうタイミングで立ち話する機会があった。途中まで読んで面白さを感じたと同時に、借り続けるのも申し訳ないという気持ちになり、自分で購入したらしい。
先日は他の書籍を貸した若者からもメッセージが届いていた。最近、このようにお薦めの本を紹介して回っているが、このような形で「読みたい」を増やせているのは非常に嬉しい。世間話のような状況。この本の話で大いに盛り上がってしまった。
人と接点を持つのが苦手な僕だが、「目的論」で行動するとその苦手が克服できることを自分自身でもよく知っている。だからこそ、敢えてそこに飛び込むし、そのせいで火傷することもあるにはある。しかしながら、そうやって僕は成長してきた。
とは言え、それを誰かに強要しても仕方がない。一人一人には個性が存在する。その個性を活かせる場面に導いていくのが僕の役目でもあるのではないかと感じている。もちろん時間がかかったりするのは定めとして受け入れながら行くしかないが。
先日のダービーで、我らがセレッソ大阪の選手たちに「日本代表」待望論が出てきている。ファンと非常に嬉しい話で、すぐにでもと思う。しかしながらその反面、僕はそれ自体も個性の延長線に存在するものだと感じてしまう天邪鬼でもあるのだ。
そんな僕自身、手札の少ない個性を存分に活かしながら前に進みたいと思っている。ようやくだがレゴ®︎シリアスプレイ®︎のリモートマッチを開催することにした。ちょっとでも自分らしさを出すためにこんなものも用意している。何もかもが目の前。
そうだ。今日ある御方から僕の活動について非常にありがたい言葉をもらった。人生も長い間浸ってきたら、少しくらいは良いことがあるかもしれない。とにかくブレずに持っている個性を存分に活かしながら、これからも努力することを忘れない。
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急がば回れ、僕。

若い頃はよく金融商品の短期売買を行なっていたが、最近はもう満腹感もあり情報に流されないようになった。自分にとって有益か否かを見極められるようになったわけでは決して無いが逆に言うと「信頼できる情報」を手に入れたからだ。
そういう理由(というわけでもないが)で日本経済新聞はだいたい三日遅れで読むようにしている。何故こんなことをしているのかと聞かれるが説明は必要無いだろう。この行動、時間を置いて考えることで見えてくるものがあると知った。
焦るのは良くない。人様はどうであれ「急がば回れ」が自分には合っていると感じる。このコロナ禍然り。以前にも書いたのだが、多くの書籍を読む時間が増えたと考えてみる。ゆったりと過ごしているわけではないけれど余裕は若干ある。
そう言えば最近Googleフォトのアプリがアップデートされ、どの地域で撮影された写真かがマップ上で見れるようになった。中々海外には行けないものの、冒険小説同様に訪れた気持ちにさせてくれる。ちょうど今、香港の写真が出てきた。
わずかばかりだが香港とも接点がある身としては非常に関心を持ちながら情勢を見ている。僕はあまり情報音痴でもあるのでいい加減なことは言えない。年に一回程度は訪れていた街でもあるので、何とかまた行けるようになれれば嬉しい。
今後も情報をキャッチしながら次のステージへと向かう。「信頼できる情報」が今日も飛んできた。さっと目を通し、また僕は「急がば回れ」という言葉を思い出す。あとでゆったりとした気持ちでもう一度読めばいいかとメールを閉じた。
とは言え初めて訪れた7年前は仕事終わり(しかも飲み会後)の金曜日の深夜便で香港へと向かい、日曜日の深夜便で東京羽田に帰ってきてそのまま仕事に向かった記憶がある。十分「急いで」「回っていない」状況だったなとつくづく思う。

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東京都知事選に思う。

熊本県南部の大変な状況。ニュースを見てとても心が痛い。ちょうど映画「日本沈没」を見たこともあり、災害がいつ来てもおかしくないことを改めて感じる。関東近辺も最近では地震や余震が多く発生している。不安がかなり大きくなってきている。
今日は東京都知事選投票日である。地元の投票所へと向かう。22名もの候補者。掲示場にそのポスターが揃う日を待ちわびていたのだが最後の最後まで貼られていない枠が多かった。天下の回りものだとよく言うがやはり選挙にはそれ相応の金がいる。
それにしても、だ。街頭演説もほとんど無い(僕は街頭にも行っていないので知らないが)し、選挙カーも走っているのもチラホラなレベルだった。完全にインターネットの世界を中心に回している。これがニューノーマルになっていくのだろうか。
そういえば4年前の都知事選の際は、新宿駅西口であの御方と握手したなあ、とか、そういえばあの御方とはその昔に一緒にラジオ番組の1コーナーをやってたな(アニモセレッソは彼の中ではNGなのだろうか)とか。人も時代も、常に回っているのだ。
このコロナ禍での選挙でもあるので投票率はそれほど上がらないのだろうなと思っていたが予想通りだ。夕刻の投票だったがほとんど人もいないという寂しさも漂っていた。変わらないというよりも変えないでいいという理由だったら、それも寂しい。
戻るが「日本沈没」。東京都民が1200万人と言っていた気がする。1973年の映画なのだが今日では都民も1400万人と増えている。ましてや、都民の民意の選挙だが影響範囲は周りの県にも及ぶ。東京で働くすべての人に都の選挙権があるわけでもない。
言うは易く行うは難し。日本の首都はこれからどうなるのか。誰かが言っていたが問題は山積みだ。コロナ対策やオリンピックはもちろんのこと、多くの課題と向き合っていくことになる。都民の端くれとしてとても考えさせられる都知事選となった。
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第2節 大阪ダービーマッチ。

何度も何度も「2003年ぶりのダービーアウェイ勝利」という言葉がタイムラインを賑わしている。そんなに勝ってなかったかと思ってしまうほどだが、ダービー自体をそれほどものにしていない口が語るフレーズではまったくもって、無い。
1990年代の万博記念競技場では結構勝っていたイメージがある。しかしながら上記の話からいくと、リーグ戦での吹田スタジアムは未勝利ということになる。サポーターの力は味方にも相手にも影響力があるのだと改めて知る試合になった。
もちろん勝利を目指して闘うのがダービーではある。ところが何故か試合が進むにつれて心境の変化が訪れた。勝つことだけじゃない。そう、そこには、勝敗を度外視した何かが、僕らの中に芽生えようとしているのが手に取るように分かる。
「WE ARE WITH YOU」の言葉になんだか泣きそうになる。大阪弁を駆使した様々なバナーにも少しばかり共感した。やはりこの大阪ダービーマッチは特別なんだ。今までのダービーとは違うんだ。そう思いながら感慨深くモニタを見ていた。
結果もそうだが、このように試合ができる喜びというか。サッカーを見ることができる喜びというか。こんなにラグジュアリーな気持ちで大阪ダービーマッチを観戦するのも初めてであったけど、やっぱり心の底から好きなんだなJリーグが。
試合終了後、セレッソのトレーニングウェアを着て相手クラブ選手と肘タッチしている方がいて、誰なんだろうとか思っていた。トニ・ヒル・プエルトフィジカルコーチなのだそうだ。終了直後のあのプレーでのイライラが一気に吹っ飛んだ。
予定だと次の大阪ダービーマッチは文化の日。ヤンマースタジアム長居(のはずだ)。この試合は間違いなく熱い闘いになるはずだ。だから、そのために早く新型コロナウイルスが終息してほしいがちょっと先が見えない。けど、諦めない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

譲れないポイント。

昨日の大阪ダービーについての投稿は少しおとなしいモードで書いてしまった。スポーツだからサッカーだから思う部分と、闘いとしての一面とを併せ持つのがこのダービーマッチでもある。だからこそ、譲れないポイントがいくつもあるのだ。
しかもついさっき知ったのだが、土日でダブルヘッダーだったのか。この二試合を連勝したとしたら、なんて素敵な週末になるのだろうか。そんなことを妄想しながら過ごすだけで実に幸せな気持ちになってくる。まずは明日のJ1が重要である。
そんな折、うちの栄光の背番号8な方々のインタビューをいくつか見た。もちろんそれぞれに個性があり譲れないポイントというかアイデンティティがある。森島寛晃社長、清武弘嗣選手そして柿谷曜一朗選手ひとりひとりのセレッソ愛を感じた。
タレント性の強いチームをまとめるキャプテンでもあり辿ってきたストーリーもまったく異なる三名。だが、ダービーの勝利だけを求めて戦うはず。去年のヤンマースタジアムでの快勝は出来すぎた。そんなことは忘れてしまってもよいだろう。
どんな形であっても、たとえワンゼロでも良いから、結果だけは決して譲れないという気持ちを全面に出してくれると、そう信じている。そのトップの気持ちが見えたのならば、翌日のU-23にもその思いが必ずや伝わっていくのだと思っている。
「譲れない」と言えばこんな僕にもいくつかある。プライドなんていうとおこがましいのかもしれないが、やはりその「譲れない」が大事なときもある。さて僕の一番「譲れない」は何なのだろう。どうもくだらないものばかりが浮かんでくる。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ダービーマッチがある街の特権。

昨日とある若者に、以前書いた隆慶一郎先生の前田慶次郎利益を描いた小説「一夢庵風流記」を紹介した。もう思い出せないが、僕がこの若者と同じくらいの二十代前半に初めて読んで衝撃を受けたこと、今でも蘇る。歴史とはそういうものだ。
初めての大阪ダービーはちょうどその頃くらいだ。そこから一喜一憂(まあ喜ぶことは非常に少ないのではあるが)しながら25年。1995年といえば神戸の地震だったが、まさかこの時代において、このような状況になるとは思いもよらなかった。
Jリーグ再開初戦の大阪ダービー。そのリモートマッチでの開催は一体どうなるのか。もちろんアウェイでもあるので自分たちでそのアウェイ感をどう表現するかなのだろう。ダービーでの観客無しの試合は、必ずや歴史に1ページに刻み込まれる。
プレミアリーグも同様で、再開後のエヴァートンとリヴァプールもリモートでのマージーサイドダービーだった。モニタ越しでしかなかったが、グディソンパークがなんだか厳かで神聖な感があったと思ったのは、果たして僕だけなのだろうか。
まだまだ両クラブに成績の面でも差があるし(マージーサイドでも言える?)おこがましい話なのかもしれない。しかしながら、観客がいようがいまいが、最高の舞台であることは疑いようのない事実だ。これが連綿と受け継がれている歴史だ。
「ダービーは負けてはならない」これは、ダービーマッチのある街をホームとするクラブの特権でもある。この気持ちがあり続ける限りは僕らは何処へでも行ける。何処までも行こう、道は険しくとも、希望、夢、そして勝利へ、セレッソ大阪。
来年は万博に行けるだろうか。太陽の塔をGoogleフォトから見つける。確か2017年のルヴァンカップセミファイナル。そう言えばBloggerに移って最初に書いたのもこの試合。歴史とはそういうもん。大阪万博同級生が言うのだから、間違いない。
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ワークショップ事始。

新型コロナの影響でなかなか進んでいなかったレゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークショップ。七月に入った今日から始めていくことにした。もちろん対策をしながらなので、プレイヤーもファシリテーターも気を遣いながら手を使っていく。
チームビルディングに重点を置いた今回。世界中のほぼすべての組織が思い悩む課題に取り組んでもらった。非常に多くの成果が見えた気がした。やはりチーム内のメンバーがモヤモヤを感じたのならば、レゴ®︎シリアスプレイ®︎に限る。
リモートも何度か試してみたわけだが、やはりリアルな環境が合っているかものしれない(これはあくまでもレゴ®シリアスプレイ®がということ。決して僕では無い)。そんなことを感じながらのワークショップは非常に学びがあった。
手の動きはもちろんのこと顔、口(これはマスク)、仕草。レゴブロックを選ぶ瞬間の表情などを見ていて、集合でワークショップを行なうことの大事さを痛感する。とは言いながらリモートというニューノーマルも視野に入れていく。
今日はまさに、作りながら学んでいく「コンストラクショニズム(構築主義)」を目の当たりにしたのだった。こんなに深く感じる機会が少なかったこのシーモア・パパート先生の理論。やはり「百聞は一見に如かず」。実行は大事だ。
それだけでもこのワークショップを行なう意義があった。この先の予定は非常に厳しいものもあるのだがまずは自分自身の研鑽含めて意識を高めていきたい。手が導き出すこの構築主義の醍醐味をより多くの方に味わってほしいと願う。
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適当だけど「上を向いて歩こう」。

今日。6月30日。ちょうど2020年の折り返し地点に僕らはいる。この駄ブログで再三再四書いてきたが、元旦から(厳密には昨年末の12月28日から)毎日投稿し続けてきたわけで、今日がその半年の節目ということになる。感無量も何もない。
ちょっとだけ読み返してみる。考えてみたら実にくだらない言葉のオンパレードだ。読む人の感情などまるで無視したかのような。そんな状況のなかでも「ブログ見たよ」と言ってくださったりコメントをいただけたりと本当に幸せを感じる。
タイトルにある「dobroサッカーショップ蹴球堂オーナーの憂鬱。この狭い世の中を適当に歩いています。」。・・・後ろしか合ってないやん、と遠くから怒りの声が聞こえる。適当過ぎる内容と格好だけフレーズ。まさに「適当」が似合う。
しかしながら、文章を書くにもかなりのパワーを振り絞っている(のが見えなくていい)。中々進んでいないのはたぶん気力が衰えているからだろうか。そういった状況の中で、自分自身の気持ちをぶつけていく先がこの駄ブログでもある。
先程、久々に筆を進めた。いまサッカー関連の小説っぽいものを書いている。とてつもなく偏屈な内容はまだまだ明かさないほうが身のためだ。文章を書くことで平静を保っている僕としては、これからも何かを記していくしか、道がない。
そんな駄ブログ半年投稿記念というわけではないのだが、すき焼きを作ることにした。当たり前だが割り下なんてものは使わない。醤油と砂糖と日本酒でしっかり作る。適当っぷりを全面に出し、これらをササっと入れる。良い味になった。
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歴史の掟。

週明けの月曜日。土日を含めて、とにかく今週も色々と周りに何かがやってきて、なにかと僕を楽しませてくれる。そこにはもちろん、良いことだけでなく悪いことも一緒にやってくるわけだから、人生とは、仕事とは、実に面白い物語だ。
今読んでいる書籍にもそんな歴史の中での浮き沈みが書かれており、共感を持って読書に勤しんでいる。やはり歴史というものは儚いから尊い。歴史は必ず勝者が書き換えるものであるわけで、後々の世に伝えられるときには、既に虚構だ。
ある意味、真実というものはぼやけてしまい、正否などはどこか彼方へ飛んで行ってしまう。歴史を愛する者からすれば、まあそれはそれで良いと思ってしまうし、それが歴史の掟だとするのならば、そのような真実も受け入れるほかない。
セレッソ大阪の歴史もすべてが美しいものばかりでもない。前述のように「書き換えられた」事柄も少なくないようにも思える。クラブがあり利害関係者がいて物事は成り立っていると言っても過言では無い。バルカン路線などいい例だ。
そんなことを思ってしまった今日。ようやくサッカーショップ蹴球堂BASE店に商品を掲載させていただいた。「SUPER DOBRO #22」Tシャツ。この言葉をクロアチア人アミーゴに教えてもらってからはや18年。月日が経つのは本当に早い。
歴史は歴史のまま描くほうが僕は良い気がする。とにかく今はこの”J最強ディフェンダー”とともに前に向かって歩き続ける日々が嬉しい。そういやメッセージ付き画像を送り忘れていて、先程コールリーダーに送信。これも歴史の掟である。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

物理的な「人と人の距離」をどう考えていくか。

J3の開幕戦であるセレッソ大阪U-23と鳥取の試合を見ながら、数字やデザインなど黙々と仕事をしている。もともとからデスクなどを含めて自宅で仕事できる環境があるおかげで、非常にワークライフバランスも充実している気もする。
ニュースなどを見ていると「ストレスが溜まっているので飲みに行く」なんていうワードが飛び交っているが、元来が出不精なのでそれほど感じることはないのが救いだ。そんなストレスも「つながっている」気持ちでクリアしている。
それでも、オフィスでの仕事となると非常にデリケートになってくる。「職場で働く」っていうシステムは本当に難しいなと思う。ひとりひとりに思惑もあり考えるべき事柄が非常にたくさんある。このようなコラムが掲載されている。 
今DAZN観戦しているリモートマッチのキックオフ直前もそうだが、入場も整列もソーシャルディスタンスを保っての状態。もちろんオフィスもそうだ。どうしても人と人の距離は今までのようにはいかない。では日常ではどうなのだろう。
距離を多く持つとそれだけ感情が伝わりにくい、保つ距離の量によって上からの評価が変わってしまうのも問題(それ以上かも)だ。人と人の距離が物理的なものに影響され、制限されてしまう時代は、ここでもう終わるのかもしれない。
サッカーの世界もそうか。縦105m横68mのピッチ内における人と人の距離。既に横幅を目一杯使ったサッカーが当たり前ではある。流石にコンタクトの接近戦は仕方ないしゴール後はどうしても接触してしまうのも、人の常と言えてしまう。
精神的な距離の壁と同様に物理的な「人と人の距離」をどう考えていくか。社会の一員として改めて前向きに捉えるとともに新たなマインドそして行動を意識していきたい。まずはこのカエルとワンコとの距離を・・・あ、人では無かった。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

再開に思う。

僕らのJリーグが始まった。こんなに待ち遠しい気持ちで迎えたのはいつ以来なのだろうか。開幕戦もたしかに高揚感があるが今回はまた違った思いでもある。仕事の関係でU-23の試合自体はまだ見てはいないが、開催されるだけで十分嬉しい。
ここから水曜日と土曜日には試合が行なわれるという過密日程。そのほとんどがリアルタイムで見れないんじゃないか。多分想定通りになるだろうが、それだけ楽しみが多いと思えばいいか。出来る限りポジティブにいければそれだけでいい。
もともと「リモーター」だったのだから観戦自体はそれほど苦ではない。しかしながらヨーロッパの試合を見ていて感じる「音」。やはり、歓声というものがサッカーにおいて非常に大事なことを改めて理解する機会を貰えているのでもある。
まずは今日の試合を見たいのだがもうこんな時間か。明日にでもDAZNの見逃し配信を見よう。そういえばサポーター全員がリモーターになった瞬間のアクセス状況はどうだったのだろう。IT屋としてはとても気になる項目なのでもあるのだ。
この再開の日にF.C.OITO、サッカーショップ蹴球堂にお越しいただいたようで本当にありがたい話だ。まだまだアイテムも少なく選ぶ楽しみが足りないのは重々承知のうえ。今日も「あれ作って」とオファーが来た。開幕とは、そういうこと。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「三日坊主」からの脱却。

この駄ブログもあと数日で半年間毎日書いてきたことになる。「内容が無いよう」「時間の浪費でしょ」という厳しいご批判を背中に受けながら今日もひたすら書き続けている。それでもここまで継続して書くことができるのはありがたい。
子供の頃は本当に「三日坊主」だった。いや、厳密に言えば、やりたいことは続くが、やりたくないことや辛いと感じることはだいたい続かなかった。一体いつ頃からこんなに我慢できるようになったのかと思えるくらいの変容ぶりなのだ。
そういう背景を持ちながら、毎日続けられているものは思いのほか多い(人はそれを惰性と呼ぶのかもしれないが)。この駄ブログに健康に関するもの(体温、血圧、体重、食べ物、飲み物など)のログ。読書はもちろんのこと、英語然り。
いつも書いているが、多分若い頃と比べて時間の使い方が上手くなったのではないか、そう感じている。そのなかでもある言葉に影響されたような気がする。「諦めたときが失敗であって、チャレンジしている限りはそれは失敗ではない」。
そうか、やり続ければいいんだ。僕はそう心のなかで思った(のだと思うがそれがいつだったのかも分からない)。だが、そのマインドが活かせるような良い時代と、どうしようもなく悪い時代も代わる代わるやってきてしまうのは仕方ない。
良い時代と悪い時代の概念は何なのか。改めて考えてみる時間がこのコロナ禍では多かった。ビジネスのこと、サッカーのこと、そして趣味のこと(サッカーが含まれていないことに意味がある)。時間の考え方ひとつで色々変わってきた。
時間が作れたおかげで本だけじゃなくて好きな映画もたくさん見ることができた。なんとなく生きるのではなくて、人生という時間のなかで生きているのだと実感するのが大事だ。それを気づいた頃から、僕は変わっていったのだと感じる。
しかし、まだ「三日坊主」からの脱却ができたわけではない。相変わらず嫌なものは続かないし、我慢できないことも多い。だから僕は「なんとなく」をできる限り排除して生きていく。なんとなく、はこの駄ブログだけにしておこうと思う。

来週は二十代の若者と一緒に緊急事態宣言後初のレゴ®シリアスプレイ®による対話を行なう。そんななかで今の自分の心持ちについて作品にしてみたのだ。やはりレゴブロックで組み上げているだけで落ち着く。これだけは一生続くのだろう。
NEVER STOP,NEVER GIVE U…

前に進むために。手始めに。

梅雨の空が言うほど嫌いじゃない。とは言えやはり雨が降ると行動が制限されてしまうので気持ちがその分落ちる。能天気なほどポジティブだと思われがちだが、それほど強いわけじゃない。その分、気を張って生きているような気がする。
新しいことを始めれば始めるほど様々なところからの圧力も多い。でも新しいことを始めなければ前に進めすらしない。そう思いながらみんな毎日を生きているのだと思うと、僕もなんとか前に進まないと、と奮い立たされる毎日でもある。
あと二週間もすればJ1が開幕する。更にその前にはJ2/J3が待っている。まだ今まで通りとはいかない(ニューノーマルになってしまうかもしれない)が、ようやく僕らのJリーグが帰ってくる。僕らのセレッソ大阪が長居に帰ってくるのだ。
考えるだけでソワソワしてしまう。ゴール裏サポーターもリモートマッチに向け動き出しているようだ。僕はまだノルマ(CEREBAKA EPISODE2の書き起こし)が終わっておらずどうしようかと思案しているが、そんなのは悩みに入らない。
今週で既に2020年が半年過ぎるのを今知った。セレッソ大阪同様、OITOも蹴球堂もここから突っ走らないといけない。前に進むためにまた多くのアイテムを世に出していきたいと思っている。まずは手始めにうちのJ1最強DFをリスペクトだ。
SUPER DOBRO
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「1兆ドルコーチ」を読む。

新型コロナウイルスの影響はまだまだ続いている。そんななかで、僕とはまったくの無縁である「人の影響力」なんていうものに触れる機会が増えてきている。そのような方々から学ぶことも多く、非常に有益な時間に包まれているような気がする。
昨日、「1兆ドルコーチ」を読了した(というか聴き終わった)。本当にお恥ずかしい話ではあるのだが、この書籍を手に取る(いやオーディオブックで購入する)まで、ビル・キャンベルという人物のことを存じあげなかった。これは実に不覚だ。
ビル・キャンベル。Google創業者やエリック・シュミット、そしてあのスティーブ・ジョブズやジェフ・ベソスにも影響力あるコーチだということだ。ITの世界に身を置いている人間であるにも関わらず、とてつもなく残念な人間だと証明された。
本の中身については実際に読んでもらうことにして、ここでは「コーチ」という存在にフィーチャーしていきたいと思う。僕のような人間にはまったくもって向いていないのであろう「コーチ」という職業。少しだけ、いや、かなり憧れてしまう。
決断のサポートや勇気づけというキーワードだけでは語り尽くせない「コーチ」の役割をこの書籍からも滲み出てくる。同じような行動が取れるとは思えないが、少しでも周りの方への影響力を手に入れられるよう更に努力が必要なのは分かった。
この「1兆ドルコーチ」は、コーチでなくても、本当に多くの方に読んでもらいたいなと思うと同時に、この世の中にはまだまだ知らないことや、未だ出会っていない書籍が多いと感じさせられる。読了した今、気持ちが高ぶったのは言うまでもない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

セレンディピティ。

スーパーコンピュータ「富岳」が性能ランキングで世界一を獲得したとのニュースを見て、一番最初に思い出したのは「二位じゃだめなんですか?」だったのではないだろうか。その二位問題を記事にあげているもののなかにポジティブな意見があった。
少し解釈が違っていたら申し訳ない。あの「駄目出し」のおかげで、計算処理能力だけを目指していた開発から、より「人の役に立つ」開発へとシフトしたのだと言う。本当かどうかだが、それはいわゆる「セレンディピティ」と呼べるものだろうか。
もしそうだとしたら「人の役に立つ」思いで作っていたらいつの間にか世界一になっていた、ということになる。何かを探している途中で探しているものとは別の価値を見出すという「セレンディピティ」と聞いて僕が真っ先に思い浮かぶのがTwitterだ。
自分や仲間同士での楽しみの中から何かの気づきを得て、大きなビジネスへと変わっていくと言えば、このコロナ禍で多くのユーザーを獲得したZoomもそのひとつだ。聞くところによると元々の発想の出発点は「遠距離恋愛の溝を埋める」だったらしい。
諸事情でオフィスが狭くなってしまい、そのためにすべての従業員が自身のデスクを持つことができなくなったことで開発される運びとなったフリーアドレス用アプリケーション然り。それらを見ていると「セレンディピティ」は至るところに存在する。
見方や捉え方を変えてみれば、スケールが大きくなくても、自身の身近にあるものでもまだまだ光り輝く瞬間が存在するのだなと、スーパーコンピュータ「富岳」のニュースを見ていて感じた。先日の嬉しい上場話ともども、素敵なニュースに心が躍った。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。
雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。
「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか?
思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。
良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。
そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。
ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。
いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。
宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。
NEVER STOP,NEVER G…

踊らされないためにはどうするか。

都民として今回で一体何回目なのかの東京都知事選。物凄い数の候補者の皆さんは総勢22名だという。選挙ポスターを横目に散歩するが、インターネット全盛のなかであっても、あのポスターには目が行ってしまう。視覚効果とは恐ろしい。
セレッソ大阪のニュースやツイッターが多く流れてくる。特にツイッターは自分自身のLINEへと転送していることもありやはり目に付く。ローランド様の男らしさに感動しながらの毎日なのだ。時間の許す限り読んではいるが追いつかない。
ただ、見たものだけで物事を判断する恐ろしさも僕ら人間の感情には含まれている。ラトビア(ITの世界ではZabbixで有名、美人が多いことでも知られる)でのフレンドリーマッチに関するこの記事を読んだが、まさにそれを物語っている。
どちらが加害者/被害者かを明確にするだけが目的かどうか分からない。しかし、連続する時間としての概念をメディアはどうしても瞬間瞬間で捉えやすい。見る側がどう判断するかにもよるが、僕らがすべてを知る時間はあまりに足りない。
話は変わるが、昨日書いた「接触確認アプリ」のオープンソース開発について様々な言葉が飛び交っている。ここでも多くの憶測の中で物事の判断が行なわれて、解釈の違いというよりはメディア自体の方向性で正否を分けている気がする。
逆にITの世界では、真逆にいる方々よりも、身内から背中を切られることも時折ある。「え、なんで?」と思ったりする瞬間がままあるのが実情だ。リテラシーだけでは済まされない、人の本質としての部分がとてつもなく大きいのだろう。
見たものに踊らされないためにはどうすれば良いのだろうか。その世界から抜け出すのもひとつだ。物事を正しく理解することにより集中するのもありだ。すべては考えをどのように構築していくか。一番は”流されない”ことかもしれない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
※この議論に近いのかな

大阪への計画。

今日は数少ない「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった。当然のことながら良いことと悪いことは次々にやってくるだろうが、常に前向きに生きることで運がこちらへと来てくれる可能性がある。そんなことを考えさせられた週末でもあった。
そんな中、厚生労働省の「接触確認アプリ」なるものをiPhoneに登録してみた。比較的簡単に濃厚接触の状態が分かる、ということらしい。今週、県外移動が解除されたことで出張含めて検討しているが、どうしても二の足を踏んでいる今日この頃。
仕事ならまだしもプライベートとなると話はもっとややこしくなる。リモートマッチはともかく、入場が解禁になっても他県へ行くとなると少々考えてしまうだろう。関東圏、特に東京都の人間の受け入れについては慎重になっているものと思う。
今のフェーズは「うつらない」ではなく「うつさない」だ。相手に対し最大限の「うつさない」を考慮することが必要だ。だがまだソーシャルディスタンスを保たないNOマスク状態の方もいるにはいる。自分はうつらないという自信の表れだろうか。
早ければ来週末にも大阪へ行きたいと考えている(もちろん”仕事”だ)。その仕事の中身にはいくつか存在するのだが、その際も「うつさない」にとても気を遣ってしまうのだろうなと思う。もし行くとなればしっかりと対策を検討していきたい。
そして時間の許す限り多くの方とお会いしたい。なかなかリアルに飲むなんて行為は僕には勧めることができない(というか飲まない)が、とにかく大阪の人に会いたい、その思いが非常に大きくなってきている。まずは、僕の予約はお早めに(笑)。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

勧めて勧められて。

梅雨時はどうしても体調がよろしくない。そんななかで今朝は大雨だったので、ひさびさに公共バスに乗った。こんな天気だと窓も開けられないのでちょっと空気が篭ってしまう感があった。少々神経質になっているのだろうか。
そんな状態の時は本を読むに限るが、集中力すらも低下気味でどうしたものかと悩んでいる。とは言えここ数日で何冊かを読み終えただけでも収穫ではあると思うが、自分が読む以上に、紹介する件数がここのところ多くなっている。
本から学べることは非常に多い。だがその反面、内容によっては重く感じる場合もあるだろう。目的なく本を目の前にしてしまうと、とかくこのような状況に陥りやすい。だからどんなときでも本を読むときは理由を決めたほうがいい。
学びとは連続する刹那であり、連続する不連続さからさらに学び、よりその先の学びを得ることができる。「マインドストーム」を読み直してみて、改めてそんなことを感じた。レゴ®︎シリアスプレイ®︎との関連性がよく分かってきた。
雨の日の過ごし方とコロナ禍の過ごし方が同じではないのだが、そんなときでも本が生活を素晴らしいものにしてくれる。そして次から次に本を勧めてもらってありがたい話だ。僕も僕で勧めていく日々。まさに連続する刹那である。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

あるポータルメディアに向けて。

僕は毎日朝晩に黒パグの散歩に出かける。この時期でもちょっと歩くと暑さで苦しくなってくる。黒パグのほうがもっとひどい。ずっとハアハア言いながら歩いている。疲れているわけではなく、ただ単に暑くて口が閉まらない(確かに締まらない顔)ものと推測される。
先日のそんな散歩の真っ最中、ある一通のEメールを受け取る。今年に入って、何回かメールのやり取りをしながら、新たな取り組みの話などを聞いていた。特に何かの手助けができるわけでもない。励まして勇気づけすることくらいしか、僕にはできることがなかった。
フラフラとあっちこっちに行ってしまう黒パグのオレンジ色のリードを引き締めながら、僕はそのメールの本文を読む。数行の実に短い言葉で綴られてはいるが、そこには非常に気持ちがこもっているのをヒシヒシと感じた。僕はなんだか自分ごとのように嬉しくなった。
人が新たな一歩を踏み出すためにできることを少しでもやろうと常々思っているが、だらしのなさから中々ままならない日々を過ごしている。しかしながら、僕のどうでもいいパワーなど意識せずとも、若者たちは常に前へと進んでいる。それを改めて感じる機会だった。
僕らは何処まで行ってもセレッソ大阪のサポーターなのだ。それは「セレッソ大阪を支える」という意味でのサポーターでもあるし、さらには「セレッソ大阪を支える人」を支えるために存在することでもあるのだ。そしてその方々はかけがえのない「アミーゴ」なのだ。
書いていたら少々泣きそうになってきた。最近は少々涙もろくなってきて(父親の葬式で泣かなかったことを今でもよく言われるが「泣かなかった」のではなく「泣いていたが涙が出なかった」のだ)いるのがよく分かる。やはり歳を取ると感情の起伏は変わっていく。
話を戻す。
メールにあるアドレスを僕は踏む。セレサポ.netというWebサイトが開く。セレッソ大阪を心底好きな人たちが集まって作るポータルメディアのようだ。いくつかの記事を散策していくなかで、多くの楽しみの種がこれから生まれてくるのだろうと僕は確信したのだった。
いつしか散歩から帰ってきた黒パグと僕は、少し落ち着いて椅子に座る。黒パグも呼吸を整え終わったのか、僕のところに寄ってきてリラックスポーズになる。朝晩の散歩による信頼関係なのだろうか。信頼関係とは本当に素敵な言葉であり、身の回りにはたくさんある。
NEVER STOP,NEVER…

このような時間のために仕事をしているのだな。

最近、歳のせいか著しく書物の文字が見づらくなってきた気がする。細かい文字は特に厳しい。無理に読もうとすると頭や首が痛くなってくる。身体の部位はあっちこっちでつながっているのだなということを感じさせられる。
肩や首のこりが激しい僕は定期的にお店でほぐしてもらっていたが、今のコロナ禍でもちろんのことながら行けていない。自分でなんとか考えて実施してはいるものの、やはりプロの技には遠く及ばない。まあ当たり前なのだが。
プロとしてのプライド。そこにすべてが詰まっている。どんな仕事でもプロという存在によって成り立っているのだと思っている。そんな僕もプロとして様々なビジネスを行なっているわけでもあり、そこにプライドが存在する。
レゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークショップのお仕事をまたひとついただいた。このような状況下でレゴブロックを触ることにも躊躇うようななかでも仕事をくださるのがありがたい。プロとして最高のシリアスプレイを展開していく。
それ以外にファシリテーターとしてのお仕事もいくつか進めている。更には、県外移動解除に併せて出張の準備に余念がない。まだ不確定要素の多いなかではあるけれど、前に進むことだけは止まらない諦めない精神でありたい。
身体が動けるときにしっかりと伝えていく仕事も進めていく。そういえば先日、ファシリテーション勉強会を受講してくださった若者から、感謝の言葉をいただいた。このような時間のために仕事をしているのだなと再認識した。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

かもしれない。

無観客試合の聞こえがよろしくないということで「リモートマッチ」なる名称が付けられる運びとなった。僕たちは「リモーター」なのだそうだ。当の僕などは既に「リモーター」に相応しい活動しかしていないのかもしれない。
昨日のブログを見ていたら、書いていた内容がどうも欠落している。眠いのもあったりしたが、大きな要因のひとつは、スマートフォンとノートPCでの両方で編集作業していたこと。少しでも楽をしようとした罰なのかもしれない。
ようは、サポーターという育ちも暮らしもまったく違う人たちが、ただクラブを愛する心ひとつに集まり、肩を組み、声をあげ、泣き、笑いしているだけのはずなのに、何故ここまで魂を込められるのか、ということかもしれない。
もう友情とかを超越ているのかもしれない。僕はそんなアミーゴが好きなのかもしれない。ともにずっと歩いていくのかもしれない。だが、これらだけは「かもしれない」ではなく「そうなのだ」で終わらせたい、のかもしれない。
関係ないが改めてこの絵本を読んでみた。とてつもなく面白い。ヨシタケシンスケ氏の絵本の中でも最高傑作だと思っている。少なくとも新たなことを考えている方の参考になる。ただ、すべての人に最適ではないのかもしれない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

サポーターとして社会の一員でいること。

暑い。急に暑さがきて着用しているマスクがとても息苦しくなった。年々温暖化が進んでいるのかそれともあの方が仰るとおりそれは思い過ごしなのかは分からないが、この気温だけは耐えきれない八月生まれの人間である。
そんな、この二日間は、僕らにとって非常に歴史のある日でもあった。その内容をFacebookが教えてくれるのは本当にありがたい。サポーターとして長い期間生きてきたのだなと思わされてしまうことばかりが流れている。
昨日のCEREBAKAでもゲストが語っていたように、死ぬまでこんなこと(という言いかたとどうかと思うが)をやり続けているのだろう。「こんな辛い思いまでしてやることかと思ったりする」というあの御方の言葉が響く。
そもそもCEREBAKAなんていう企画自体もそう。自分たちに得られるものなど多少の自己満足でしかない。僕のような人間にとっては、そういった行動のひとつひとつがなにか社会の一員でいることができているように思える。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

真っすぐで正直なコミュニケーション。

最近、週末になるとなぜだか睡眠時間が増える傾向になってきた。悪いことでもないけれど8時くらいまで寝てしまう。もちろん年齢のせいもあるとは思っているが、やはり身体は真っすぐで正直なのだ。とは言え偏食でもあるし、甘いものは相変わらず好きだし、何とも言えないわがままボディでもある。
昨日収録したCEREBAKA。今日のお昼にダイジェスト動画だけ公開することができた。コツコツ動画を編集しているといつも、プロフェッショナルの仕事は本当に凄いのだなとつくづく感じてしまう。細かい作業が本当に向いていないのだなと思うと同時に、ある一面では好きな領域でもあるのが救いだ。
今回の収録では、この6月14日に「モリシの日」のイベントを開催しているであろうF.C.OITOをお借りした。OITOは書店でもあるが、様々イベントも行なわれるし、コミュニティスペースとしてもこのように活用されていく。どこまで真っすぐな道を歩いても、行き着く先は人と人のコミュニケーションだ。
その肝心のCEREBAKA EPISODE2では、1990年代から今日までゴール裏サポーターとして活躍している同学年(なんで大人になっても同学年とか言ってしまうのだろう)のアミーゴだった。普段は馬鹿話ばかりしてしまうのだが、今回、正式にアーカイブしていくこともあって、非常に真面目な会話だった。
やはり四半世紀以上をセレッソ大阪ゴール裏で過ごしてきただけあってか、言葉のひとつひとつに重みというか苦労がところどころに垣間見えた。サポーターとは一体何なのか。これから先のゴール裏はどうなっていくのか。彼ならではの思いというものを聞くことができて本当によかったと思っている。
僕はこの対談を「モリシの日」の前に行ないたかった。その望みが叶って、今は本当に嬉しい気持ちでいっぱいだ。ひとつ言えること。ゴール裏にいるサポーターは、彼に声をかけ、多くの話を聞くべきだ。声を大にして言いたい。もしあなたの気持ちを真っすぐなら、多分真っすぐに返ってくるだろう。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※歌だけはいただけなかったな(笑)

記念日の前日。

何を隠そう明日の日曜日は「モリシの日」である。2002年6月14日。あれはたしか金曜日だった。長居スタジアムで行なわれた日韓ワールドカップ、チュニジア戦で決めた伝説のゴールからはや18年。毎年のように開催されているイベントは、明日は雨模様ということで、屋内での開催となりそうだ。
そんな前日の今晩、CEREBAKAのEPISODE2の収録を行なっていた。この「モリシの日」の発案者との対談は、非常に濃い内容で面白かった。何とか明日の当日までに、少なくともダイジェスト動画だけはまとめていきたいと考えているが、果たしてどうなるだろう。神のみぞ知る、なのかもしれない。
あの当時はふたりとも三十代であったし、やりたいことをすぐにでも実行していたなと思い出しながらの1時間半。この18年という長い年月が、僕らの生活環境を大きく変えてきた。しかしながらこの「モリシの日」を始め、多くの記念日だけは、まったくと言っていいほど、色褪せることはないのだ。
久しぶりにサッカーマガジンを出してきた。読んでいたらこの試合がまるで昨日のことのように思えてくる。そして当日のことを色々と思い出してくる。昔は良かったと言い出すと歳を取ったことがあらわになってしまうが、こんな記念の日(前日だが)くらいは、大目に見てもらえたら幸いである。
雨ではあるが長居公園には多くのモリシファン、セレッソ大阪ファンが集まることだろう。是非F.C.OITOに足を運んでほしいと思っている。「モリシの日」を更に盛り上げるべく、催しが行なわるような気がする。なんとサッカーマガジンの間に新聞も挟まっていた。僕らはこんな生き方しかできない。
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映画「グリーンブック」で「知る」。

昨日も書いたが6月19日の全面解除が現実味を帯びてはいるものの、それでもまだまだ表に出ていくことが難しいのかもしれない。それはもちろん自分自身の社会的立場の影響力というものがあるのと、それ以上に他の方へ向けた配慮のところが大きい。まだまだ自宅での日々が続いていきそうな予感だ。
お知り合いの方々の映画も公開されたりしているが、このような状況下なのでなかなか映画館へも行けない。そんなこともあり、過去の映画をDVDや配信サービスで見る機会が圧倒的に増えた。その中でアカデミー賞を受賞したのにまだ見ていなかった「グリーンブック」をようやく見ることができた。
賛否両論があるのは重々分かってはいるが、僕個人としては非常に意味のある映画だったと思っている。最近は特に、実話に基づいた映画(賛否両論はまさにここ)を中心に見ていたので、実際に起っていた事実を知る機会にもなっている。特にアメリカでの出来事もあり、僕のなかの何かに触れた。
この、差別の問題について多くの出来事があったりして、何とも言えない寂しい気持ちになっている。ニュースを見たとき、以前とある知り合いの方から言われた「理解してほしいんじゃなくて、まずは知ってほしいんです」という言葉を何故か思い出した。何よりも「知る」ことが大事だと僕は思う。
僕自身、多分、何処まで行ったとしても、すべてを理解することはできないような気がしている。決して変な意味ではなく、「知る」ことはできたとしても僕には本質を理解できるだけのバックボーンが無いのも本音のところだ。だからまずは「知る」ことを始めるのが大事なのだと気づいたのだった。
映画とは「知る」本当に素晴らしい媒体である。確かにどちらかに偏ってしまうこともときにはあるのだが、それでも、その内面を知ったうえで自らを選択をしていく、という生き方もできるのだと僕は感じている。これからも、そんな多くの映画と出会って、その映画の内面を知っていくのだろうな。
グリーンブックと言えば最近このような本を読んでいる。アマゾンで発注したのだが物が無いとキャンセルをくらい、それならばとヨドバシカメラにお願いしたら「6月の中旬以降です」とつれない返事があったものの無事届いた。かなり重たいのだがメタファーを「知る」良い機会だとも思って、学ぶ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

重い荷物を置ける場所。

先日、携帯電話のMNP(モバイルナンバーポータビリティ)を行なったと書いたのだが、既に今週頭にSIMが届いて、無事スマートフォンへの切り替えが完了している。申し訳ないのだがauから楽天モバイルへと移動したことを黙っていた。しかしながらようやくこれで肩の荷が少し降りた気がした。
まあガラケー程度でどの程度の荷物なんだよとツッコミが入るかもしれない。いやそのとおりでもある。どうしても僕のような人間は少し大げさに話してしまうことが多い。無いことをあるかのようには言わないものの、デフォルメが過ぎるとよく叱られる。そういう性格でもあるので多少仕方ない。
大阪人の性分かもしれない。駄菓子屋のおばちゃんが10円のことを「10万円」と言うのとよく似ている。そんな洒落の効いた(効いてるか?)会話を楽しむ機会がやはり飲み会というか懇親会というかそういうものだった。オンラインだと対面で無い分、ウケを狙ったあとの侘しさみたいなのがある。
何処かの漫才師の方が言っていた。「今のオンライン状況だと仕事場直、家。ギャグを言って受けなかったりしたとき、そのまま家族と会うことになるのが辛い」的な話を番組でしていたのを思い出す。確かに分かる気がする。やはりクッションというか緩衝材というか、そういうものが人には必要だ。

僕自身は昨年末くらいからほとんどアルコールを摂取していないのだが、アルコール抜きであったとしても飲み会や懇親会が必要になってくることがときにはあるのだと改めて感じた。自宅は本当に素晴らしい場所だ。だがまた違った、重い荷物を置ける場所の存在する幸せが戻ってくると信じている。
そんなことを書いていると、東京アラートが6月12日午前0時に解除されるようだ。その後はステップ3へと移行、そして県外移動が解除と進んでいくだろう。大阪のワイガヤスペースから「絶対来てくださいよ」とオファーも受けているので、今からしっかりと大げさな話を、たっぷりと妄想しておく。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
Mad Cat Hostel Osaka & BarからTシャツが届いた。 ※早速トルソーにかけてみることにした。 ※これを着て、大阪に行くことになるのだろう。 ※是非Mad Cat Hostel Osaka & Barに行ってみて。

育てる仕事。

まだまだ僕自身は自宅待機が継続されてはいるが、着々とアフターコロナの準備が始まっている。明日か明後日には東京アラートも解除される予定だとのことで、どのように前に進んでいくのかに僕としては非常に関心が高い。やはり時間は有限で、常に進んでおり、立ち止まってはいられないのだ。
人生は短く、あと何年仕事ができるのだろうかなど考える年頃になってきた。時間との勝負になってきている気がしている。だからこそ、自分の持っているものをしっかりと継承していかなければならないのだが、時間の調整がなかなかできておらず、中途半端になっているのも否めないのが事実だ。 
この前「基本的な肩書きは一体なんなんですか?」という質問をいただいて、解答に非常に苦慮した。なんだか色んなことを行ないすぎて自分でも分からなくなってきている。少なくともサッカーとITとLEGOの人だということだけは理解してもらえる。それで良いのだろうかとは思ってしまうのだが。
今日、ファシリテーションについてのプライベート勉強会を開催した。オンラインとリモートのハイブリッドでの実施となった。話が盛り上がり時間が足りない状況を打破することができずじまいだった。反省しきりである。想定時間を超過するのは時間泥棒であると昔教わったのに何たる体たらく。
もう一度、時間の概念を見直さなくてはならないのだろう。自分自身の時間ならまだしも誰かの時間を奪っていいはずがない。ひとりひとりに大事な時間という概念があり、その概念のもとで生活をしている。相手の立場を慮って、その方の時間を「いただく」のだと感謝しながら時間をもらうのだ。
「忙しすぎてどうにもならない」と軽々しく口にするのは、プロとして恥ずかしいことだと感じている。以前からも書いているとおり、時間はなくなるものではなく作り出すものだと確信してしまう。時間を作り出すのは自分の時間だけでなく相手の時間も同じ。だからこそ常に意識する必要がある。
まあそんなことをつらつら書いてきたが、要は次の世代のファシリテーターを育てていきたいということなのだ。今日は”すれていない”二十代の若者ばかりだったので、これはもしや本当に実現できるのかも、と本気で思ってしまった。少しでもレゴ®シリアスプレイ®に興味を持ってもらえたか、だ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

無観客ダービーが、決まる。

「もし無人島に行くとしたら何を欲しいか」という質問を子供の頃に受けたことがある。ひとり遊びが得意だったので多分「本」とか言ったんじゃないかと思う。最近の若者だったら「スマートフォン」となるのかと頭の中で妄想したが、よく考えればスマホを無人島で使うことができるのか甚だ疑問だ。
ようやくと言っていいくらいだがJリーグ、J1再開のカードが決定した。我がセレッソ大阪はアウェイでの大阪ダービーマッチのようだ。ダービーマッチでの無観客試合なんて、世界でそれほど巡り会えるとも思えないが、こうして決まってしまった以上、選手たちには何とか良い試合を期待したいと思う。
ヨーロッパなどでも、無観客試合でサポーターがスタジアムの外で応援している姿を見たりする。2006年ワールドカップアジア地区最終予選でのタイ・バンコクで行なわれた北朝鮮戦の試合も思い出したりする。あの試合も多くのサポーターがスタジアムの外で応援していたなとか思い出したりしている。
この7月4日そして5日も、日本サッカーの歴史の1ページに刻み込まれるのだろう。6月19日の県外移動の緩和後も、しばらくは遠出をすることは立場的にまだまだ難しいと感じている。吹田スタジアムの周りには行けないかもしれないが、ホームの大阪ダービーマッチは、昨年同様訪れると心に決めておく。
その日は大阪ダービーマッチに飢えた両クラブのサポーターでヤンマースタジアム長居が埋め尽くされることだろう。その全員がF.C.OITOに来たら底が抜けてしまうなあ、と変な妄想をしながら書いている。やはり妄想はひとりでもいいのだが、より多くの人と一緒というのも案外良いのかもしれないな。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

真っピンクで登場。

Jリーグ各クラブのファンはライバルではあるが仲間でもある。もちろん日本代表の応援という枠組みで育まれるものもあれば、ホームとアウェイで試合を重ねることによって生まれてくる友情もある。ガツガツした物々しい雰囲気も嫌いではないが、この”日本らしさ”が好きなのは僕だけでは無いはず。
先日とあるご縁から「FUG Football Undergroundうるとらすさいたま」というYoutubeチャンネルのSaturday Afternoon Live(土曜の午後の出席確認という名の生中継)に出演をさせていただいた。以前からオファーを受けていたのだが、なかなかスケジュールが合わず、今回、急遽の出演となった。
正直、出演は迷っていた。いくら仲間だと言っても、他所様のクラブの、ましてやレジェンドの方々の番組に出るなんてと少々遠慮をすると同時に、セレッソファン以外で僕の話を聴きたいわけがない(いやこれには語弊があり、セレッソファンですら聴きたくないかもしれない)という思いだった。
それでも、Jリーグサポーターの第一世代と言われる方々の思いに共感するところは非常に多く、もちろん僕自身も様々な形でアーカイブしていく必要があると常々思っていたことが合致したので、出演をさせていただくことにした。僕の言葉が面白いかそうでないかは、是非一度見てほしいなと思う。
実のところ「15分程度」というお話をもらっていた(それでも15分も持つのだろうかと内心ヒヤヒヤしていた)のだが、なんだかんだで話が尽きなくなって、トータル一時間くらい話していた。セレッソ界隈でもなかなか表に出てこない(出られない)僕なのに、ついつい止まらなくなってしまった。
懐かしい話をしながら、蹴球堂やF.C.OITOの宣伝も少々させていただいたりして、本当に感謝の気持ち以外の言葉が見つからない。未来に向けて少しでも何かを残していこうとするお二人を見習って頑張ろうと思うが、僕にはなかなかその力量が追いついていない。まずは着実に一歩ずつ進もうかな。
それにしても、だ。このライブにこんな真っピンクで登場するのってどうよ、というくらいな状況でもあった。「某大学の関係者ですか?」と言われる始末(笑)。やはり僕はこのピンク色にプライドを持っていることを再認識する。歴史を伝えていくことの重要さを、改めて感じる良い機会だった。
NEVER STOP,NEVER …

長く続くことの素晴らしさ。

ようやくというか何というか。個人のケータイ(まさに折りたたみ式携帯電話)をスマートフォンへ移行するため、MNP(モバイルナンバーポータビリティ)の手続きを行なった。移行元の契約状況を確認したら実に23年強もの長きに渡って利用してきていたようだ。もうこれは惰性としか言いようがない。
しかしながら、そんな日々とも今日おさらばしたのだった(正確には手続きをした)。ついにこの二つ折りの携帯電話を手放すときがきてしまった。なんだか寂しい気もするがそれ以上に人生の半分を過ごしたこのガラケーたちと関係。腐れ縁ではないが本当に長く続いた大恋愛の末路のように思えてくる。
長く続けるということはあまり良くないと思う反面、大半は素敵なことであると僕は常々思っている。継続は力なりという言葉もあるとおり、毎日毎週毎月毎年、一緒にいるのは、人であれ物であれ、はたまた組織やしくみなども含めて、やっぱり素晴らしいものなのだ。少し感傷に浸っている自分がいた。
長く続くといえば、来週の日曜日、6月14日だ。0527や1203同様に僕らの特別な日(ルヴァンカップで初タイトルを獲った日がどうしても憶えられない、とぼやいている方もいたな)が、かれこれ17年続いていることになる。日曜日に当たるなんて初めてのことなんじゃないかと、アミーゴが話していた。
当日は長居公園やF.C.OITOでもイベントが開催される。オールドファンもそして新しいファンも是非足を運んでほしいと思う。17年も経てば知っている人も知らない人もいて当然。だからこそエバンジェリストが必要なのだ。僕は行けないが、長く続けることの代名詞でもあるこの日が今から待ち遠しい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

サッカーは映像に限る。

二月に開幕して既に四ヶ月もの間Jリーグが行なわれていない現実を知る。DAZNの過去映像をなどを眺めながら過ごす土曜日。UEFAチャンピオンズリーグダイジェストを見ながら書いている。1992-1993から辿っていく旅はしばらく楽しめそう。心に残る試合、胸が痛くなる試合のそれぞれを味わっている。
DAZNにはもちろんJリーグのアーカイブもある。セレッソ大阪の試合も同様に喜怒哀楽を提供してくれている。2006年のあの川崎フロンターレ戦もあった(この試合はここでも書いた)がちょっと見ることができないまま、いつのまにかなくなっていた。DAZNのせめてもの心遣いかと思って受け止めた。
映像と文章のどちらが好きかと言われると当然後者を選択する。僕は想像したい。頭の中で風景を、登場人物の容姿を想像したいのだ。自分が思い描いた想像の姿がディフォルトでもある。映像になった途端に想像と映像という現実のギャップに悩んでしまうと気のある。そういう意味でも断然文章だ。
そんな、書物大好きの僕ではあるが、このコロナ禍でCEREBAKAのようなメディアで動画を作ってみたり、インタビュー動画やライブに出演させていただくことが多くなった。先日も「このZoomに入って」とメッセージが来たので入室したら、なんとそこはライブ中継の真っ只中。ちょっと尋常じゃない。
ましてや他クラブファンに向けてのライブだ。下手なことは喋れないし、言葉選びは非常に慎重になっていた。とは言え、とても貴重な体験をさせていただいたし、多くの方にお礼をもらったりして、本当に楽しく参加できた気がする。このような経験も、Jリーグという土壌があるからだと思っている。
それにしてもYoutuberは凄いなとつくづく思う。動画を作り続ける情熱を見習わないといけないなと夜の帳が下りてなおさら感じる。いや彼らだけじゃない。多くの方々が動画を使って世の中にメッセージを発しているのを見て僕自身もしっかりと何かを残していかなければという想いが頭を過ぎった。
やはりサッカーは映像に限る。今月は前述のCEREBAKAのEPISODE2を収録しようかと思っている。既にゲストは決めており承諾ももらっている。ちょっとの動画と文章の書き起こしというどうしようもないメディアサイト。書くことだけに拘っていてはいけないなと肝に銘じる。映像もちょっと頑張る。
そんな屈折した文章を書きな…

自分の内面と向き合う。

ほんのちょっとの変化で物事が進み始めたりすることがある。例えば、どうしても同じところでミスをしてしまうような場面でちょっとだけアクセントをつけてみたら、全体的に調和が取れるようになった、という話もよく聞く事例だ。アイデアひとつで見える世界がまるで違って見えたりするもの。
人間とは(いや人間だけでは無いかもしれないが)昨日より今日、今日より明日、少しだけでもいいから成長を続けたいと願う生き物なのだなということを、僕の周りの方々を見ていてそれが手に取るようによく分かる。本当に素晴らしい方がたくさんいて、いつも学ばせてもらっている状況でもある。
それにしても、働くとはいったい何なのだろうか。人は何のために働くのだろうか。そんな哲学的なことを考えさせられるシーンが、今週は多く発生したのだった。そしてそのひとつに「何処を向いて仕事をしているのか」というキーワードがある。もう少し言い換えれば「誰のために働くか」なのだ。
綺麗事のように聞こえるだろうが僕が仕事をする理由は、自分の持っている技能や商品によってお客様が喜ぶ姿を見たいからに他ならない。たしかにその結果得られる対価も重要だが、それはあくまでもお客様が満足してくださったからこそでありどこまで行ったとしてもそれ以上でもそれ以下でも無い。
もちろん先立つものは必要で、生きるための最低限の金銭とのトレードオフが発生するのは否めない事実だ。とは言えその部分を除いたとしてもやはり「サービスが先、お金はあと」というコンセプトは決して変わらない。それを改めて知る機会となったのが自分自身が参加したレゴ®シリアスプレイ®だった。
自分の内面の気づき、内面と向き合うことの重要さや大事さ。ここを疎かにする方が実に多いと感じる。自分を包む表面だけで仕事と向き合っていないだろうか。自分にとって「働く」は何処を向いているのかを再確認してみてはどうだろうか。それはレゴ®シリアスプレイ®を使わなくてもすぐにできる。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「怒り」のコントロールのレッスン。

コロナ禍であるが、香港やアメリカでは多くの方によるデモが行われている。Jリーグでも、バスを囲んだり(先日少し話題に出たので)クラブに対しての申し入れなどが行なわれたりする。同じレベルで語っていいか分からないが、祖国と愛するクラブを思う気持ちが同じに感じるのは正しいだろうか。
一ヶ月ほどかかったが、ようやくユヴァル・ノア・ハラリ氏の「21Lessons」を読了(聴了)することができた。非常に興味深い内容の数々と、世界の宗教についての話、そして僕の大好きな”あの”映画が題材にされていた(あの例のやつね)。そんな関係で個人的にはとても楽しめたように思える。
既読の「サピエンス全史」や「ホモデウス」以上に、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の主張について深く理解できるようになった。いつも書いているとおりだが、やはり、「文章にすることの大事さ」が身に染みてくる。少なくとも死ぬまでにあと三回は聴くことになるであろう、秀逸の書籍だと感じた。
この「21Lessons」で数多く「怒り」という感情について触れていた。新型コロナウイルスがもたらしたといっても過言ではないが、人の心や言動がやや攻撃的になっているのは否めない。太古の昔から聖書でも古事記や日本書紀でも、人の「怒り」の感情が他人を傷つけるシーンが描かれている。
たしかに「怒り」というステータスは大きなエネルギーを持っている。かくいう僕もそう思っていた時期があった。「怒り」は力であり、結束することで何かを成し遂げられるのではと感じていた頃もあるにはあった。ただ、その「怒り」と、今問題になっている「怒り」とでは質からして違っている。
「怒り」の正しい使い方など僕のようなものが知っているわけもなく誰かに伝えるなどおこがましいと思う。ましてや「良い怒り」と「悪い怒り」など誰が決められるものか。最後の決断は間違いなく「自分自身」なのだと思う。しっかり自己と向き合い、「怒り」をコントロールできる人でいたい。
話はズレてしまった(そうでもないか)が、ぜひこの「21Lessons」を読んでみてもらいたい。僕は断然Audiobookをお薦めする。現代人は時間が足りない(これは改めて書く)。だから両手を紙で塞がれてしまうよりも耳に助けを求めるのもひとつ。頭に入るまでに何回も聴くことにはなるのだが。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

自分自身に「いい夢見ろよ」と言ってみる。

あまり夢を見ることがなくなった。それこそ昔はいろんな夢を見ていたのだけれど、歳を重ねるにつれて段々となくなっていった感覚だ。「いい夢見ろよ」と子供の頃にタレントからよく言われていたような気がしていたが、今Wikipediaを見ると8つくらいしか変わらないという驚愕の事実に出くわした。
話は180度変わる。今週、アミーゴが東京に来る予定だったので軽く飯でも、と思っていたら、例の東京アラートによってご破産となった。今月末にお呼ばれしている飲み会も結局参加は厳しい。なかなか人生は上手くいかないものだなと嘆いているが、空けない夜は無いと信じて生きていくしかないのだ。
空けない夜で思い出した。最近は睡眠時間を多く摂るようにしている。完全な健康志向に目覚めたわけでは決してないのだが、少しでも新型コロナウイルスに耐性を持ているよう基礎体力を保ちたいと思っているのが理由だ。これが役に立つかどうかではある。しかしながら少しでも何かをしておきたい。
1はいきなり100にはならないのだ。少しずつでも努力を続けることが必要だ。その積み重ねが何かを生み出すと僕は常に考えている。その歩みが亀のように時間がかかっても良い場合もある。時間がかかることを嫌う方も当然いるだろう。それでも少し足を止めてゆったりとしてみるのもいいかもしれない。
最近、歩くスピードが少し落ちたと感じている。もちろん到着が少し遅くなってしまうわけだが、そのなかで、街の風景をよく観察するようになった。速いには速いなりの、遅いには遅いなりの作用がある。歩く速さひとつで景色が変わる。毎日でもいいので努力を続けることをしていこうと思っている。
さきほど世界中のレゴ®シリアスプレイ®認定ファシリテーターが集まるオンラインイベントに日本時間の22時から参加していた。眠たい目をこすりながら、また、Englishに苦戦しながらの一時間半。少しずつの努力が実を結ぶのはもしかしたら相当先かもしれないが、この一歩一歩の努力を続けていく。
かなり眠たくなってきた。いい夢を見ながら寝たいとは思うが、よくよく考えたらまだまだやることがあったことに気づく。これから、そんな毎日の積み重ねを忘れずに行なう。今日はサッカーの夢でも見たいよな、と自分自身に「いい夢見ろよ」と言ってみる。多分何も無い朝を迎えるのだろうけど。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

もう一度クロアチアへ行ってみたいのでWebサイトを作ってみた。

かなりの陽性反応が出ており、再び予断を許さない状況になるのかと少々不安な夜を迎えている。第二波、第三波が来るのは避けられないが、感染経路を辿れるようにしておくことでクラスターを防げたりするわけだが、プライバシーの壁などもあって難しい問題も多々ある。悩ましい課題だと思う。
改めてこの新型コロナウイルスの脅威を目の当たりにしている。このままの流れでいくと帰阪はさらに遅れるのかなとか真剣に考えてしまったりする。どうにかして早いうちにOITOを訪問したいのだが果たしてどうなるのだろうか。時間だけが刻々と過ぎていくもどかしさ。そんな日々を過ごしている。
そんなさなかで時間の調整がしやすくなったこともあり、スキマ時間でクロアチアっぽい(というか100%クロアチア)のWebサイト「SUPER DOBRO」をGoogleサイトで作成した。前にも書いたが、やはりGoogleサイトは便利で使いやすい。メンテナンスも物凄く楽だ。使わない手はないなと思う。
とまあ、Googleサイトを褒めるのはここらへんにしておいておく。このWebサイトを作ろうと思ったきっかけとしては、もう一度クロアチアへ行ってみたい、という思いがある。だが、もうひとつの動機としては、我がセレッソ大阪に在籍しているマテイ・ヨニッチ選手へのリスペクトでもあるのだ。
昨年のリーグ最少失点はチームとしての成果でもあるのだが、そのなかでも最大限の称賛に値する活躍を見せたのがマテイ・ヨニッチ選手だと僕は思う。間違いなく今シーズンも活躍するはずの、すべてにおいてハイスペックなディフェンダーに向けた言葉のひとつが、この「SUPER DOBRO」なのである。
あとは、クロアチアにいるアミーゴだ。先日も「ウイルスのほうは大丈夫か?家族は?」とメッセージしたら「みんな大丈夫だ。日本の仲間にも気をつけてと伝えてくれ」と返ってきた。新型コロナウイルスが収束を迎え、ヨニッチ選手やクロアチアのアミーゴたちと一緒に「SUPER DOBRO」と笑いあいたい。
Webサイトは、いつもの通り、ここから発展するかどうかは僕の気分次第(おい)ではあるのだが、もうひとつの目玉として「SUPER DOBRO Tシャツ」を復刻させようかなとも思っている。前回は自分のためのアイテムだったが、今回は蹴球堂でも販売できるかな?どうなるかは気分次第である(おい)。
NEVER STOP…

これからの人生であと何冊の本を読むのだろう。

紹介していただいたので「ことばの認知プロセス」という本を読んでいる。タイトルの通り、認知言語学について書かれている。入門書とは銘打たれているものの、かなり理解に苦しむ箇所がある。真面目に勉強してこなかったツケが今頃回ってきている気がする。それでも読み続けようと思っている。
ジャンルは様々だが年間に100冊は読む目標を立てているのは、この駄ブログではおなじみのフレーズ。今年は少々前に進んでおらずやきもきした毎日を過ごしている。なぜならかなり難しめの本ばかりを読んでいるからに他ならない。文字数もさることながら内容がとてもじゃないがついていけていない。

これからの人生であと何冊の本を読むのだろうか、と、ふと思うときがある。いくら長くてもあとちょっとしか生きられないと思うと、できるだけ「良質な本」か「好きな本」を読みたくなってくる。レビューなどにはあまり流されないタイプではあるが、最近は人の意見を聞くようになったなと感じる。
正直僕の周りでは、本をよく読む方と、ほとんど手にも取らない方の二分化されているような感がある。やはり、本以外にも多くの娯楽が存在し(その筆頭がスマートフォンだが)、人間と本との付き合い方も相当変わってきている。そんな世の中でも常に本は出版され、待ち焦がれた僕らの手元に届く。
専門書で知識を、漫画では心の葛藤を。そして小説によって、頭の中に風景を思い描き、世界中を旅して、ハッピーエンドでもバッドエンドでも自分ごとのように受け入れていく。辛くなったら閉じればいい。嬉しければもっとページを開けばいい。このように多くの本たちと僕は生きていっているのだ。
「FOOTBALL」の「B」。Bookは人生のトモダチだ。これからの短い人生で僕はどれくらいの本たちに出会えるだろう。もしかしたらそれらはF.C.OITOに行けば見つかるかもしれない。本屋という存在はやはり僕をワクワクさせてくれる。行きたいが、その前に読まねばならぬ本が山程積み置かれている。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

持ち味。

二ヶ月ぶりくらいに髪の毛を切りにいった。緊急事態宣言中は、前髪程度は自分でなんとかカットしていたが、全体に鋤くとなるととたんに難しくなる。自分でできることとできないことの分別。このような事態になると如実に表れてくる。人間とはやはり共生しなければ生きていけない生き物である。
向き不向きも存在する。例えば事業で言えば、ゼロをイチに変えるのが得意なタイプと、イチを更に上向きにさせるのが得意なタイプ。また、スタートダッシュが得意なタイプとじっくり正確にコツコツとこなすのが得意なタイプなど、それぞれの持ち味というものがあり、組織はその集合体とも言える。
4月30日にF.C.OITOのキックオフ、5月27日には蹴球堂のリスタートと慌ただしい中での一ヶ月が今日終了した。たくさんのお客様にお越しをいただいたことへの感謝と同様に、この数ヶ月で様々なお手伝いをいただいた方々へのお礼を、早く大阪でしたいと思っているのだが、帰阪はまだまだ先の様子だ。
準備期間の動きは、まさにひとりひとりの持ち味というものが存分に出ていたと感じる。その道のプロフェッショナルが集まるだけではいい仕事ができるとは限らない、はサッカーを通じて僕らは存分に学んできた。今回のOITOプロジェクトはそのことからも充分に学んだ成果を上げたような気がする。
まだ一ヶ月(蹴球堂に至ってはまだ五日だ)されど一ヶ月。大事な時期にあまり持ち味を発揮できずに終わった僕は、これからどのように何を見せていこうかと模索中である。ところで僕の持ち味って・・・一体何なのだろうか。「打てない守れない走れない」。まあアーカイブを残すことだけだろう。
そして、F.C.OITOのコンセプトでもある「FOOTBALL」のひとつひとつの文字たちにも、それぞれの持ち味がある。これらの中には、僕が得意とする(と勝手に思っている)カルチャーものもいくつか存在している(と信じたい)。帰阪に併せて、イベントでも考えてみようかと思っている今日この頃。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「今あるもの」も大事に。

ようやくJリーグが僕らのもとに「今」が戻ってくる。徐々に準備が整いつつある。6月27日にJ2とJ3、J1は7月4日。あくまでも再開なのだが、まるで開幕戦を迎えるかのような気持ちになっているなと感じるほうが正しいのかもしれない。二度漬けは禁止だが、このダブルな感覚は良いのではないだろうか。
この2ヶ月ほどのITの凄まじさにはIT屋でもある僕も正直驚いている。以前も書いたがこれが「当たり前の世界」になっていく。当たり前になればどこかにしわ寄せが行く。そのしわ寄せのおかげでビジネスが成り立つ会社もある。「風吹けば桶屋が儲かる」よろしく、良き連鎖反応が生まれていくはずだ。
その反面、ITにおける問題点が無いわけでもない。日本全国で緊急事態宣言が解除された今、中と外の通信量が莫大に増えているわけで、企業のオフィスや店舗などのネットワークには負担がかかるようになっていくだろう。売上減のなかであってもさらなるIT設備投資が必要となってくる組織も少なくない。
発想を変えないといけない。増え続けるオンラインミーティングに今まで通りの固定回線を設置するだけで良いのだろうか。すべてをクラウドに移行するだけで物事が上手く進むのだろうか。「ノーマル」な自分たちが「ニューノーマル」の荒波に飲み込まれないようにするにはどうすればいいのだろうか。
ITは既に「環境」や「設備」という言葉だけで片付けられるようなものではなくなった。スタジアムなどでも多くを目にする機会が増えるのだと思う。例えば自宅にいながらゴール裏で応援しているのと変わらない状況になっていくのだろう。是非そんな時代に対応できる体質を作っていきたいものである。
だからと言って、変えていくものばかりではないのも僕は思っている。無観客試合がデフォルトになるような時代などまっぴらだ。ITはあくまでも人がいて成り立つものだと僕は思っている。そして、「今あるもの」も大事にしなければ、先の未来など一体何のために存在するのだろうかと思ってしまう。
蹴球堂の「今ある」ITと言えばLINEスタンプだ。ローンチ以来、これまで多くの方に使っていただけていることに感謝したい。今日、あるトークライブにゲストで呼んでいただいたが、そこでも「セレ女」というキーワードも出た(メインじゃないけど)。スタンプ同様に「今あるもの」も大事にしたい。
NEVER STOP,NEVER GI…

物忘れは罪深い。

昨日お願いした写真はまだ反応は無い。ゆっくりと待ち続けていようかと思っている。やはり、そのときそのときの風景をしっかりと収めておくことをしないといけない。最近はもうそれこそ、何でもかんでもiPhoneで撮影してGoogleフォトに上げてしまう。画質などそれほど拘らない適当感が良い。
僕にはまさにこの適当感という言葉がよく似合う。写真もそう。撮らないといけない場面ですっかり忘れていたり、あとになって気づいたりの連続だ。これは別名「物忘れが酷い」とも言う。ついさっきあったことをすぐに忘れてしまうのだ。どこかの誰かがいつもフォローをしてくれているのだろう。
そう。人がびっくりするくらい、僕は本当に物忘れが酷い。買い物に行けば何かを忘れる。冷蔵庫から出したものも直すのを忘れる。持っていた本のことを忘れて同じ本を買ってしまう。ただ、そんな僕でも、大事なことは忘れることはないだろうと根拠の欠片もない自信だけはあった。その日までは。
ある日、2000年5月27日の写真を探しているとき、あるフォトグラファーに相談することにした。「あのときの写真をブログで使いたいんやけどー」。返ってきた言葉は「その頃はまだ旗振ってたわ」だった。そうだった。すっかり忘れていた。この物忘れは本当に罪深いと改めて自分を恥じたのだった。
物忘れだけではなく人は自分の都合のいいように物事を解釈してしまうもの。時が流れるとともに変わっていくものばかりなのだ。現状がそうだからといって、必ずしも昔からずっとそうだったわけではないと、もうそろそろ僕は理解すべきだった。そんなことを考えながら当時を思い出して独りごちた。
今、F.C.OITOでは、FOOTBALL「A」であるArtの一環として写真展を催している。至極の作品たちが店舗を彩っている(はずだ。というのもその場を僕は見ていないから上手く説明できない)。セレッソファンの皆さんには開催期間中に是非お越しいただきたい。忘れてしまわないうちに告知しておく。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「Remember527」に提供を求む。

昨日の「サッカーショップ蹴球堂リスタート」には、多くの方が店舗のほうへお越しいただけたようだ。とにかく非常に嬉しい。早く皆さんの喜ぶ顔に会いたいという気持ちが益々高ぶってきている。正直それだけで、何杯もご飯が食べられるような気がする(実際は少食になったのでご飯一杯も限界)。
話は変わるが、僕には2000年5月27日の写真という記録が皆無に等しい。結構パシパシ撮ってきたのだが、なぜかこの試合のときの写真が僕のGoogleフォトの中にはほとんど、いや、まったくと言っていいほど存在しない。昨日も、この駄ブログを書くときに、どんな写真を使うとか相当悩んでしまった。
実は、Remember527というなんとも表現しがたいWebサイトを運営している。この運命の日に、セレッソ大阪サポーターは一体何を考え、どうしていたのかが気になったので、いっそのことまとめたらどうだろうかと思い、勢いで立ち上げた。多くの方が情報をくださり、掲載をさせていただいている。
「蹴球堂はセレッソ大阪の歴史を見れる場所でもある」とアミーゴのひとりがSNSで書いてくださっていたのと同様に、このRemember527も2000年5月27日の思い出で埋め尽くしていきたいと思っている。当時の写真をお持ちの方で「提供しても良いよ」とおっしゃってくださる方がいれば非常に嬉しい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

20年前のスタートライン。14年目のリスタート。

僕の好きな映画の中のセリフのひとつに「すれ違ってなんかない。僕たちはすれ違ってない。端と端を結んだ輪になってひとつにつながっているんだ。」がある。無論これは恋愛映画での言葉ではあるのだが、人と人とのつながりに対しても充分意味を与えることができるくらい深遠だとも感じている。
先日とあるインタビューでも話したとおり、僕らという点と点が線となってつながっていくという言葉と近しい。どんな時代になっても一番大事な部分であるなと考えるとともに、これまでセレッソ大阪を通じてつながってきた方々との歴史を振り返ること。今日はそのような一日でもあるのだろう。

「2000年5月27日」に強く拘る理由をいまさら聞くまでもないだろうが、僕は死ぬまでこの日を糧に生きていくのだろうと思っている。もちろん今も気持ちは変わってはいない。2006年にサッカーショップ蹴球堂を誕生させ、毎年のように5月27日に催しを行ない、閉店も乗り越えて今日を迎えている。
糧、とは書いたものの、正直なところ僕にとってはトラウマのような存在でもあった。この日が近づくにつれ、あの試合が、あの試合の前後のできごとが、頭の中を駆け回っていた。記録もさながら、記憶というものの恐ろしさというか、本当にそんなものを感じながら生きているように思えていた。
逆もある。あの試合のおかげで深まった絆は今でも宝物であるし、自分だけで悩まなくても良いんだと思わせてくれるアミーゴもいた。なによりこの2000年5月27日を境に「サポーターとは一体何なのだろう」と考える機会をもらえたことに非常に感謝している。それだけでも気持ちが楽になってくる。
そして、2017年のダブルによって、僕の(たいしたことのない)重荷みたいなものが少しばかりどこかへと去ってしまった。インタビューでも話した「セレッソ大阪の歴史=自分のセレッソ歴」というなかで起こる様々な場面と、そこに一緒にいてくれる多くのアミーゴとのつながりが僕のすべてだ。
久々に本棚から出してきて「週間サッカーマガジン2000年6月14日号No.766」をおもむろに開いていく。18ページと19ページ。ちょうどそこに僕らのスタートラインがある。20年。僕らは走ったり、歩いたり、立ち止まってみたり。叫んだり、笑ったり、泣いたり。ときにはじっと座り込んでみたり。
この中には濃密な20年の物語の始まりが確かに存在した。今の応援…