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困難に立ち向かえ。

サッカーファンやセレッソファンになると、実に記念日が多くなる。ほぼ毎日がアニバーサリーのような状況だ。もちろん、良いことばかりではなく、辛い思い出も蘇るのだが、それも記憶の1ページだと思えば懐かしさと戯れることができる。

23年前の今日。日本代表が悲願のワールドカップの切符を初めて手にした。日本サッカーの歴史に大きく関わっているとは言えないが、このジョホールバルにいたことは、その後の自分に大きく影響した。僕はこのとき27歳。まだ若造だった。

二年前にラルキン・スタジアムを訪れた際にも感じたが、やはり日本代表の大事さが身にしみて分かる。すべては日本のサッカーを強くすることだけを考えて走り続けていたように思える。そういう意味では日本代表は強くなり過ぎたようだ。

まあ日本代表はともかく、僕らは常に強くなっていくための努力をしなければならない。どうしても現状を維持することに終始してしまう若者もいたりするが、そんな彼らにはいつも、向上心を高めてもらうための言葉をかけるようにしている。

努力も結果も常にインフレでなければならない。同じことをしたとして、昨年と同じ結果が生まれたところで、それは成長でもなんでもない。目の前に強敵(困難)が現れて、それを超えていくからこそ自分自身が成長するものだ、と僕は思う。

この若者なら強敵を必ず倒してくれると信じているからこそ、その彼や彼女に託していく。これを「無茶振り」と取るか「成長の場」と取るかはすべて本人次第だ。自分に降りかかった火の粉は自分で払い除ける。当たり前と言えば当たり前だ。

それが責任の分界点だ。とは言えその分離がなかなかできないリーダーもいるので、受け取る側の気持ちも分からなくはない。だが、だからこそ、自分自身を成長させるチャンスでもある。日本代表のテストマッチ同様、相手は強いほうがいい。

また、どうせやるなら、その闘い(仕事)はわくわく(柿谷)を持って楽しむべきだ。楽しめない仕事は無いと思うし、もしそうで無かったとしてもどの道「逃げる」という選択肢は無いのだ。心の底から楽しんで立ち向かうほうが気が楽だ。

そしてその場では「持っている技が少ないから」とか、「このタイプとは戦ったことない」という言葉は必要ない。孫悟空だったらそんなセリフは絶対に言わないだろう。常に強敵に立ち向かい、何度傷つけられたとしても必ずこう言うだろう。

「オラより強い奴っていっぱいいるんだな・・・もっともっと修行しなきゃな」

そうそう。ジョホールバルの話だった。あのときのイラン代表はとてつもなく強かった。そんなチームを超えていけたことで、僕らは次のステージに立てたのだと今でも思う。この先も、さらなる強いチームとの真剣勝負を期待していきたい。

そんななか桜なでしこがINACに勝ったというニュースを、アミーゴのタイムラインで知る。2010年に設立して丸10年。強敵相手に素晴らしい勝ち方ができるところまで来た。これも、何度も困難に立ち向かった賜物だ。彼女たちから教わった。

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