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日本人ならおにぎりやろ。

今朝、あまりご飯でおにぎりを作って食べた。日本人ならお茶漬けやろ、と叫んでいた方もいらしたがやはり白米は美味い。しかしながら糖質を気にするお年頃であるのも事実で、食事に気を遣う年齢になってしまったなとつくづく感じてしまう。

日本人と言えば、日本代表とパナマ代表の親善試合を録画していたのでようやく見た(しかも後半からしか撮っていないという何たる不手際)。前半がどうだったかは置いといて、後半の選手の一人一人の動き、連動性が非常に素晴らしかった。

ベテランと呼ばれる30代、働きざかりの20代、そして可能性を秘めた10代が入り混じったハイブリッドな選手構成が、ある意味、今の日本の縮図と重なる。どのように融合していくのか、それとも違った側面を見せるのか。組織とは実に面白い。

オール海外組というフレーズも既に当たり前のことのように思えてくるから不思議だ。日本人という特性を活かして世界で活躍する選手たち。海外に出ていくことなく、国内で結果を出し続ける選手たち。それも日本人として素晴らしいことだ。

最近は、日本人としての誇りを問われる場面がことさら多い気がする。物静かで勤勉で清貧。集団での仕事が得意で、多くを欲しがらないという時代は既に過去のものかもしれないが、持っているDNAによって、あるべき未来へ突き動かされる。

次の試合は18日。世界トップクラスのメキシコ代表との対戦が待っている。メキシコ戦と言えば我らの社長、森島さんが日本代表初ゴールを決めた1996年5月29日の博多の森を思い出さざるを得ない。日本人の日本人たるプレイを見せてくれた。

日本は素晴らしい。日本人のポテンシャルは素晴らしい。おにぎりを食べながら僕は、そういや先週も美味しいおにぎりをいただいたことを思い出す。お茶漬けもいいが、たまには自分で握って自分で食べるおにぎりも、実に日本人らしくていい。

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