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マフラーはいくらあってもいい。

寒い。寒すぎてついに電気ストーブを引っ張り出してしまった。この前、とある女性に「寒いのと暑いのではどっちのほうが好き?」と聞かれた。「どっちも受け付けない」と返答したところ「わがままな身体ですねー」と一笑されてしまった。

身体も性格もわがままな僕としては、なにより冬が辛いと感じる。そして、そんな冬のサッカー観戦は心が折れそうなくらいに冷える。いくら重装備でも、いくらカイロを持っていたとしてもだ。しかしながらスタジアムに行かない選択はない。

寒さ対策にはいくつかある。そのなかにマフラーが存在している。首に巻き付けると、少なくとも上からの冷えに対してこうかをしめす。サッカーとマフラーは切っても切れないものでもあり、また、重要なファクターともなり得るものなのだ。

今となっては一体何枚あるのかというくらい部屋には無造作に置かれているマフラー。試合のときにも「今日はどれを付けていこうか。やはりネバーストップか、それともボーダーか」なんていう激しいひとりごとを繰り返しながら決めていく。

マフラーはいくらあってもいい。なんだかM-1王者のような口ぶりだが、オフィシャルやサポーターオリジナルなど見ているだけで本当にそう思える。自分なりのマフラーとの付き合い方を見つめ直す季節の到来。マフラーだけに”首ったけ”だ。

そうこう書いていたら、メガストアがあんなことになるというニュースが飛び込んできた。またマフラーを買える場所がひとつ無くなる。だが安心して欲しい。鶴ヶ丘ワンダーランドでは、冬のお供が来店を待っている。あら、このネーミング。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


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