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9月, 2020の投稿を表示しています

血液型の定義。

根が「いい加減」だということは散々書いてきたので理解してもらえていると思っている。だが最近、この「いい加減」は、無意識のうちに溢れ出ているのではなく、意図を持ってアクションしているのではないか、と感じ始めている節がある。
この行動を取ってしまうのは一体何故だろうか。演じているのでも試しているのでもなく、人との接点に存在する自分自身の立ち位置。潜在的なものだろうか。役のある仕事を始めた頃くらいから意識しているこの「いい加減」というフレーズ。
その前に少しだけ話しておかなければならないのが「B型はいい加減で大雑把なのか?」だ。我が先祖がどうだったかはまったく知らないが、少なくとも両親はともにB型だ。好きなことにはとことんのめり込むが、良い意味で「いい加減」である。
その血を濃く受け継いだのはよく分かる。よく分かるが、それがB型の宿命なのかと言われると、どうも違う気がしている。「いい加減」にもタイプがあるのかもしれない。タイプというか何というか、これが個性と呼べる個々人の特性だろうか。
ただ、親がいい加減だと子もいい加減なのかについては大いに疑問もある。血液型が性格を決めるのであれば、一体何がどう違うのだろうか。別段、何かのトリガーがあったわけでもないのだが、最近は何故かそんなことばかりを考えてしまう。
さて、犬には血液型は無いらしい。人間のABO型に対してDEA式と言い、日本では全部で九種類に分けられているとインターネット上では書かれている。果たしてこのワンコは何型なのだろうか(見てみると血液型性格判定は無いとのことだ)。
熱しやすく冷めやすい。B型に近いのだろうか。環境や育てかたで犬の性格は変わるという話をどこかで聞いたこともある。そうするとやはり、B型に育てられたワンコはB型となっていってしまうのだろうか。それが宿命だとしたら申し訳ない。
だがもしそれが運命だとしたら、本人(本犬?)次第で何にでも変えられるだろう。望んでそうなっているのかもしれないし、望まない状況ならば変えるしかない。ワンコも人も本質は同じ。変えられない未来を変えていく。やはり自分自身。
血液型はその少しのトリガーたり得るかもしれないが、それ以上でもそれ以下でも無いと僕は思っている。そう考えてみれば、B型の「いい加減」は武器になる可能性もある。すべてのB型の方が「いい加減では無い」ことが前提ではあるのだが。
NEV…

第18節 FC東京戦。

東京はかなりの大雨だ。日々、傘はバッグに忍ばせているのでまずは無事だった。昔々に誰かの書籍を読んだ際、「傘を持ち歩いているような男はダサい」的な意味合いの文章を読んだ記憶があるのだが、傘は無いよりあったほうがやはり良い。
ミッドウィークのFC東京戦。このカードは毎回毎回我慢のゲームになる。しかも雨の中という消耗戦でもある。首都で行なわれる試合にスタジアムに行けないもどかしさを、リモートチェックインで気持ちを落ち着かせながらの観戦となった。

走ってないわけでも無いし戦えるところは戦っている。では何故このような試合になってしまうか。上位クラブとは根本的な実力差があるとは思えない。何がこの差を生んでいるのだろうか。鹿島戦同様にインテンシティの違いなのだろうか。
この試合の場合もいくつかの微妙な判定はあったのは事実だ。だが以前から気になっているのは選手たちが「アピール」し過ぎてしまうところ。そして勝手に判断してしまうところ。それが全体的なテンションに変化を起こしている気もする。
持っていないのか。それとも与えられるにはまだ早いというのか。VARだけがすべてを解決するファクターなら、どんなに楽だろうか。もしこの原因が積み重なった疲労の蓄積によるものだとしたら、雨がいろいろ洗い流してくれたらいいのに。
今日ようやく戸田和幸さんの例の動画を見た。僕らはまだまだやれるということを戸田さんの口調から改めて感じた。選手層の問題も無くはないが、厳しい戦いが続くのはうちだけではないし、ここから横並びでヨーイドンになる可能性もある。
僕らは常に困難と向き合ってきた。だから、一試合一試合を大事にしていく。まずは自分たちのサッカーが間違っていないことを信じる。仲間を信じて、自分を信じる。そして、雨が降ってきたなら持っている傘でカバーする。それだけのこと。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

宇宙兄弟とFFS理論。

休みという休みではない(毎回そんな気がする)のだが、連休となると、空いた時間で読書量が増える。本を読んでいると何だか心が落ち着く。僕が生きている日数は10,000日も無さそうなので、一週間に一冊を読んだとしても1,400冊程度だ。
そう思うと、読む本も選別していかなくてはならない。しかしながらどうしても実益よりも趣向を意識して読んでしまう。僕の良いところなのかそれとも悪癖なのかは分かりづらいが、人間の感情など常にうつろいやすく常にふわふわしている。
そんな折この本を読んだ。初めて耳にする「FFS理論」とマンガも映画も見たことがない「宇宙兄弟」のコラボレーション。あるきっかけでインプットの無さすぎるこの書籍を手に取った。少しだけかじっていたが何とか一日ですべて読み切った。
本の詳細は他に譲るが、自分自身がどういうタイプや型なのかを調べてみたところ、特性をかなり正確に捉えられた結果が現れた。「宇宙兄弟」の登場人物など誰も分からないのにサブキャラを充てられても、とは感じたが、詳細は比較的正しい。
もちろん若い頃は「持っている自分」と「見せている自分」とのギャップに悩んだりした。これは今も昔も同じだ。通り一辺倒の教育手法。学歴重視の中間層。そして何より「個性」という名の呪縛に囚われている子供が実に多いと感じるのだ。
大人になればなるほど守るべきものが増えてしまい、なかなか思い切ることもできなくなる。だが逆に歳を取れば取るほどに、どういうわけか素直になれていくような、そんな感覚もあるような気がしている。人間とは、実に不思議な生き物だ。

子供のときに戻って「性格当てゲーム」に戯れたいとは思わない。しかしながら大人としての自分自身の置き位置なども一度診断してみてもいいのかもしれない。どんな方向性を示しても素直に受け止められるだろう。もしも自分を信じるなら。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

なるようにしかならない。

長年検討してきてその度に挫けていたが、ついに今年、「星新一賞」にエントリーした。内容はともかく、スタートラインに立てたことが素直に嬉しい。今年は第八回ということもあるが、僕にとってはこの大事な数字に、なんだか縁を感じる。
作品については何も言うまい。プロフェッショナルの中に素人が混じってどうなるかなど、考えたところで滑稽であり無意味だ。趣味の域を超えないレベル。評価にも値しないだろう。だが、振らないバットには絶対にボールは当たらないのだ。
「ポジティブに考えすぎだ」と人によく言われたりする。いやいや、そんなことは無い。結構なくらいの終末的思想であるし、自分が駄目っぽいなと感じることはしばしばだ。ただ、ひとつ言えるとしたら「あまり意識をしない」ということだ。
別の言いかただと「なるようにしかならない」。考えて考えて考え抜いたところで、いろんなことは決まっており、だったら、素直で意識せずそのままの状態で生きていくのが一番だと僕は思っている。少なくともそうやって僕は生きてきた。
だから結構冷めてるとか関心なさそうとか、そんな見方をされるときも多かった。ただの素人の戯言なので影響があるとは思えない。だが最近の考えすぎてしまう方々に向けてのヒントになったりしたら良いかなとも感じる。まあならないか。
もう一度言う。この世は「なるようにしかならない」のだ。だから今を受け入れて生きる。良くするとか何とかなどはあとの問題。まずは今を大事に生きる。その積み重ねが何かを生み出す。適当感丸出しだがこれで生きてこられた人もいる。
好きなことをすれば良い。好きなことをするためには嫌なこととも向き合わなければならない。それを「嫌なこと」と捉えるか「なるようにしかならないもの」として捉えるかで、気持ちに対する重圧は変わってくると声を大にして言いたい。
さて「星新一賞」。年内に中間選考、三月くらいに結果が出るようだ。結果がどうなるかなど今の僕には関係ない。好きな文章を書いて、いつかどこかで誰かが読んでくれれば良いのかなと。書いていたらなんか次のアイデアも浮かんできた。
いや、その前にと思い、今回の作品についてレゴブロックでシリアスプレイしてみた。結構グロテスクなものが生まれた。やはり終末的思想が程よく(色濃く)出てしまっている。私のことは嫌いでも作品のことは嫌いにならないでください。
NEVER STOP,NEVE…

「コブラ会」にハマる。

「コブラ会」にハマっている。インドアサイクルをしながらいつも見ている。1984年の映画「ベスト・キッド」その34年後の話であるこのドラマ。当時の俳優がそのままの役で出演していたり、ところどころで回想シーンが出てきたりしている。
なぜこのドラマに夢中になってしまうのか。それは自分自身の姿とダブらせてしまっているからかもしれない。1984年というと僕は13歳〜14歳くらい。日本で上映されたのは少し後だったように記憶している(TV初放送が1988年だったそうだ)。
まあ、よくはないのだろうけれど、子供の頃は世の中全体がコブラ会のような状況だった(気がする)。良く言えばスパルタ教育。今風だと「パワーハラスメント」と呼ばれるのだろうか。主人公のジョニーが頭を抱える場面がとても理解できる。
当然ではあるが、時代がまったく違うわけで、今と昔では指導のしかたも変わっている。これは何もスポーツに限った話でもなく、仕事においても同様で、今日の若者の考え方や論理が僕のような人間と根本的に違っていると感じるときがある。
そのような葛藤の連続がこの「コブラ会」には散りばめられている。そしてその葛藤に抗うかのような空気感を醸し出していく「コブラ会」。そんな同年代の"あがき"のようなものに、僕はどんどんと惹かれていっているような思いがあるのだ。
もちろん暴力は何の効果も意味も持たないし、暴力で得た信頼関係など肝心なところで木っ端微塵に砕け散る。そんな新時代だからこそ、僕は「コブラ会」に何かを重ね合わせてしまう。やはりどうしようもなく「バッド・アス」に憧れてしまう。
ようやくシーズン2の中盤に差し掛かってきた。ジョニーに共感しっぱなしの状況でもある。ここから先に進むにつれ、更に問題が増えていくものと推測される。それすらも共に楽しんでいくのが僕らの世代。まだまだやれることは、しこたまある。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP


第17節 鹿島アントラーズ戦。

先日ソーシャルデザインの勉強会で「Jリーグスタジアムは究極のサードプレイス。家庭、職場や学校、そして三番目の場所としてしっかり地域に根付いて役目を果たしている」と話をした。まさに老若男女がひとつの目的のもとに集まっている。そんなスタジアムからファン、サポーターがいなくなった。次に、5,000人上限という状況となった。もちろん応援などは行なえないものの拍手は解禁されたりして、少しずつ空気感や雰囲気が高まってきた。サードプレイスが少しずつ戻ってきた。
今日。スタジアムにこだまする声と拍手の量が増えた。モニタ越しに味わえるこの感覚。日常に僕らのJリーグが帰ってくる日はかなり近いと感じる場面もある。だがまだまだ気を抜けない状況は変わらない。やはり、ひとりひとりの意識が大事だ。
そんななかでの鹿島戦はインテンシティという言葉を思い知らされた。なんだろう。心に突き刺さるようなワード。局面局面での強さと90分続けることの難しさ。ロティーナ監督のインタビューにもあったが、後半開始直後の二失点目が痛かった。
問題のシーンは完全なバンドだったとは思うが、それ以上に鹿島の強さを感じた試合だった。もちろん連戦の差は大きかった。大きかったが、こういう試合をどのように終わらせるかも、強いチームとそうじゃないチームに表れてくる「違い」だ。
あと、毎回思うが、いまのセレッソ大阪にはパワープレイは向いていないかも。しっかりとボールをつないで、剥がして、サイドをうまく活用して、真ん中で仕留める、同点ゴールのような。パワープレイに行かなくていい展開に持ち込まないと。

勝つときもあれば負けるときもある。そして、負けには「負け方」というものもある。そう悲観するような試合でもないなと僕は思う。ただ、体力的に厳しい状態の選手も存在する。どのようにローテーションするのだろうか。非常に注目なのだ。
重ね重ねではあるが、多くのファン、サポーターがスタジアムでサッカーを楽しめる日々が戻りつつある。僕はいつ、どこで観戦することができるのだろうか。ここからまたひとつひとつの試合を大事にして、共に勝ち切りたい。今はそう感じる。
サードプレイスの話ついででもうひとつ書いておきたい。F.C.OITOもまさにその「第三の喋り場」である。引き続き多くの方にお越しいただけるよう様々考えていきたいと思うし、ファン、サポーターの方々とお会いできる日を…

セレッソマスクと僕。

七月に注文していた待望の「セレッソマスク」がようやく到着したので、嬉しがりの僕は早速装着している。着け心地うんぬんはともかくとして、いつもセレッソ大阪と一緒にいられることに幸せを感じる気持ちが上乗せされたような気分だ。
僕らサポーターは、スタジアムにいるとき以外でも常にセレッソ大阪と共にある。昔はなかなかオフィシャルに良い商品がなく自分たちで作るケースが多かった(今でもそんな場面はあるが)。歴史を積み重ねることで変わっていくものもある。
Tシャツなどは典型だ。生活の一部としてセレッソ大阪を常に身に付ける。どんなときでもセレッソ大阪を感じる、サポーターであることを誇りに思うという気持ちによって、僕らの心身は構成されているのだ。マスクをしながらそう考えている。
背番号に迷ったので12にした。付けていたら「ロビ太で作ろうかな」とか「12番目の狼で作ろうかな」とか妄想が湧いてくる。当分はマスクを手放せない時代でもあるだろうから色々と考えてみたい。紺のマスクが似合わない僕は、そう思った。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第25節 ヴィッセル神戸戦。

いま、若者向けの「お金の勉強会」と、その後の「ソーシャルデザイン仲間の集い」が終了した。心地よい疲労感と極度の緊張感を味わう。そんな、ふわっとした中で帰宅の途に着く。足取りは何ともだが、上手く着地できたような達成感もある。
お金の勉強会については来週、再来週も開催(三部作)するので次回以降に。集いでは何故だかレゴ®シリアスプレイ®の話題で盛り上がった。着地点の難しさはとても多かったが、社会デザイン的観点で見れば繋がる部分も多く、実りもあった。
神戸戦は、33分から始まった長い長い滑走路だった。まさに「ソフトランディング」したような感のある試合だった。どちらかと言えば都倉賢選手の退場までの時間のほうがより危険度は高かったので、戦術を明確にできたことが功を奏した。
前半途中で交代となった西川潤選手には非常に同情してしまうが、これも人生だと思えば、次につながる。若者には酷な仕打ち。葛藤はあっただろうが、敢行してしまえるロティーナ監督には尊敬の念しかない。真剣勝負とはかくあるべきか。
それにしても多くのポジションをそつなくこなせる選手は監督にとって本当にありがたいだろう。スペシャリストも大事だが、多様な専門性を持つジェネラリスト(ポリパレントでもユーティリティでもなく敢えて)の重要性を改めて感じた。
うちにはそんな選手が多くて本当に助かる。企業においても大事な人材。形は違えど学ぶところがとにかく多い。達成するという強い意志と着地点を見つける戦術眼。僕自身もしっかりと意識していきたい。ああ、レゴが二試合分残っている。
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IFTTTについて考える。

昔から、「タダより高いものは無い」と叩き込まれてきた。この感覚がデフレを生んでいるのかそれとも否かは僕がときに分からないが、少なくとも無料で永遠に使えるなんて思ってはいない。だがその日が来ると人はパニックになってしまう。
無料でアプリケーション間を連携してくれるサービスの「IFTTT」が、いよいよ無料と有料の棲み分けを発表した。具体的に「無料はアプレット3個まで」「今存在しているアプレットは段階的に減らされる」ということが既にリリースされていた。

IFTTT(IF This Then That)とはその名の通り「もしこれを◎◎したら■■する」。このThisおよびThatにWebアプリケーションを割り当てることで、その連携を行なうことができるという非常に便利なサービス。僕もかなりのヘビーユーザーだ。
もちろん有料のメリットは大きく、今までだとひとつのアプリケーションにひとつのアカウントしか紐付けられなかったがそれはOKになりそうだ(とは言え複数のアカウントを駆使するのもアリだった)。ヘビーユーザーにとっては今後の課題だ。
そういう僕もかなり利用している。なのでこれからアプレットの整理が始まる予定だ。じっくり見てみると「無用の長物」もかなりあって、やはり日々チェックが必要だなとつくづく思う。無料だからと甘えているところが多いのが駄目なのだ。
Gmailを含めて無料アプリケーションには無料なりの理由がある。そして、有料には有料の道義もあるのだ。情報過多となったこの世の中。これからさらに、このようなIFTTTだけじゃなく同じような出来事がいくつも起こり得る。そんな気がする。
何に支払う価値があるのか、無いのか。人は見極めが重要視されてくる。それは効率化という綺麗事だけでなく、人の尊厳も含まれた大事な部分でもある。決済サービスの件もあったが、ここから先の数年で、ITの世界もガラッと変わるのだろう。

「タダより高いものはない」。改めて肝に銘じていきたい。アカウントの整理も実施していかなくてはならないと強く感じる。近々でG Suiteのアカウントもアップグレードしようと思っている。便利な時代だからこそ、正しい価値に対価を支払う。
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自信はどこから、いつから。

最近よく「自信とはどこの時点からつくものなのだろう」と考える瞬間がある。特に、仕事を始めたばかりの若者が、如何にして手にするのかというところに興味が尽きない。それはまさに、身の回りでリアルに起こっているからなのだろうか。
それにしても、瀬古歩夢選手の評価がうなぎ上りだ。もちろん小学校の頃から見続けてきたのでポテンシャルについては驚きもしない。それでもロティーナ監督のサッカーでここまでの素晴らしいプレイを若干、予想していなかったのも事実だ。
前にも書いたが、同郷ということよりも先に、彼の12歳のときの言葉。「僕たちの目指すところはここじゃない。プロになるために戦っている。次に切り替えて行こう。 僕たちのサッカーはここで終わらない」がいつも頭に浮かんできてしまう。
なんて大人びた言葉なんだと当時は思っていた。そしてそれが実現していくかのように、歳を重ねるにつれ磨きがかかっていった。今、弱冠二十歳(これも重言なのだろうか)というなかで、本当に余裕たっぷりのプレイに酔いしれているのだ。
現在のセレッソ大阪の好調を支えるセンターバックのひとり、瀬古歩夢選手。どこから、いや、いつからその自信が存在してきたのか。2016年インドで話して以来でもあるのだが、いつかどこかで聞いてみたいものである。実現するのだろうか。
今一度「自信とはどこの時点からつくものなのだろう」かと。僕は今、自分の半径10mにいる若者に勇気と自信に気づくお手伝いをしている。「インドに行け」とは決して言わない。その代わりに、自分が発する言葉の持つ力を信じるのもひとつ。
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※ゴアは最高だった。

僕が叫びたがってるんだ。

東京の夜は結構涼しくなり過ごしやすくなった。日中はともかく、ワンコの散歩なども随分と快適だ。暑いのと寒いのが苦手な僕としては、この季節感が限りなく好きでもある。あとは雨が降らないという条件下だと、より一層幸せなのだが。
10月になるといろいろと動きがあるのかな?とこの前書いたのだが、やはりというか連絡を多くいただけるようになってきた。ビフォアコロナと同様のスタイルは難しいだろうけれど、またたくさんの方々と会えるのは、本当に嬉しいことだ。
そんな最中でGo Toトラベル。東京都がようやく10月1日から対象になりそうな予感。先日歌舞伎町まで足を運ぶ機会があったのだが、あまりの人の少なさに愕然としてしまった。これを機に東京の主要の観光地へと、人が戻ってくるのだろうか。
もちろん、これまでもあったものの、これからはさらにリスクと正面に向き合う必要がある。命と天秤にかけるつもりはないけれど、昨今の企業ニュースを見ていても、より一層、経済活動を進めていく必要性があるのは間違いないところだ。
そして、スタジアムの観客数制限も緩和される予定だ。今日メッセンジャーを利用して、F.C. OITO、蹴球堂についてスタッフ間で話をしていた。まさしく旅行同様にリアル店舗もギアをひとつ上げていくことを求められているのかもしれない。
それだけじゃない。まったくもって個人的な欲望もあるのだ。7月にチラッと目に入ったのではあるが、やはり僕は長居スタジアムで試合を観戦したいのだ。「長居なう」を心の底から叫ぶことができたのなら、それ以上の幸せは見つからない。
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ちなみにこの画像は某スタンプで却下された代物(笑)

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第16節 横浜F・マリノス戦。

やっぱりサッカーは難しい。何が起こるか本当に分からないスポーツなのだと、いろんな試合を見るたびに思わされてしまう。今シーズンは特に五人の交代選手の関係で、より複雑さが増しているような気すらする。だからこそ面白いのだろう。

Football LABのKAGI、AGIを見ている。今年のセレッソ大阪は共に17番目。昨年度はというとAGIは13番目KAGIに至っては18番目という数字だ。このデータから見て取れるのはなんだろうか。そんなことを推し量りながら頭の中で計算している。
果たして2020年のセレッソ大阪のサッカーは面白いのだろうか。いやもっと言うと昨年から続くロティーナ監督のサッカーは、僕らセレッソファンの心を掴んでいるのだろうか。データという生き物はなんだかいろんなことを考えさせる道具だ。
横浜F・マリノス戦は幸運も味方して逆転で勝利することができた。途中くらいからモニタに向かって吠えっぱなしだった(実のところ前節の札幌戦も喉が枯れた)。五連勝はしているものの結果と過程のギャップについては思うところもある。
とは言え清武弘嗣選手のゴールはスーペルだったし、坂元達裕選手のアシストは鳥肌もんだったわけで大いに満足している。サッカーの世界では適さないのかもしれないが「勝てば官軍」という言葉もある通り、今は勝利と勝ち点が、欲しい。
ここからの数試合も、ポゼッションでは少し(いやかなり?)劣るかもしれない。また見ている限りだと、次節は厳しいと感じる選手もいる。良い意味で期待を裏切ってくれることを願いながら、雨が降ったり止んだりのなか散歩へと向かう。
あ、僕は勘違いしている。難しいのはサッカーだけじゃない。生きている限り、多くの物事には困難はつきものだ。諸説あるが「勝てば官軍」では錦の御旗が自陣に立った。さてセレッソ大阪にはどんな旗が立つだろう。楽しみに待っている。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

天に祈る。

雨振りはどうも性に合わない。子供の頃はそれほどでもなかったのだが大人になってからはなかなかやる気が出なくなっている。そうは思いながらやるべきことはたくさんあるのだった。そんな土曜日。ほぼ仕事オンリーで今日が終わっていく。
そう言えば昔はてるてる坊主とかもぶら下げていたような気がする。白いものが我が家にはそれほど無かったので、なんだか毎回、ティッシュペーパーとかトイレットペーパーで作っていた記憶がある。今も昔も、天に祈りを捧げていたのだな。
再来週に行なう勉強会のドキュメントをひたすら作っていた。ようやく予定の半分近くが過ぎたが、今の時点で既に90ページを超える大作(!)になってしまっている。まあこんな調子なので、このまま行くと一体何ページになるのだろうか。
やはり、学んだことはまとめていくことが大事だと僕は思っている。以前に書いたが、歳を取るたびに記憶力も相当弱っていくので、まずはiPadで手書きして、その内容を手帳に転記する。今回のドキュメントは、その転記内容も活用している。
さて肝心の雨だ。散歩に行けなくてうちのワンコが荒くれている。家の中でのトイレが苦手なのでかなりタンクもパンパンになっているのではと思ってしまう。今はそんな中でふて寝している。雨が止んだら連れて行ってあげたいのではあるが。
ワンコにとっても僕にとっても雨は充分な試練を与えてくれる。とにかく散歩に行けるようにこれから一緒に祈りを捧げる・・・と思ったらこんな状況になっている。今日は仕方ないか。なんとかマットの上でトイレしてくれるように心から祈る。
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仕事は「楽しい」に置き換えるべきだ。

どれだけ大変であったとしても、仕事は「楽しむ」べきだと僕は常々思っている。もちろん辛い出来事や厳しい状況に直面することは仕事だから仕方ない。避けられないのだ。だからこそ、常に「楽しむ」を一番最初に考えるべきだと思っている。
自分がやりたくない仕事=嫌な仕事だと思わなくてもいいのではないか。やりたくない仕事でも楽しめばいいんじゃないか。楽しいことは一瞬で終わる。でも嫌なことはずっと続く。だったら、「楽しむ」ほうがスムーズに仕事が捗るじゃないか。
九月に入ってバタバタとワークショップや勉強会が入ってきている。今のところレゴ®︎シリアスプレイ®︎が三件とソーシャルデザインの勉強会が二件。そして三週連続の若者向け勉強会。果たして体力が持つのかだが、まずは仕事を楽しんでいきたい。
特にレゴ®︎シリアスプレイ®︎のファシリテーターは肉体的にも精神的にもかなりのものだ。とは言え色々とお仕事をいただけたり口コミしてくださる方もいたりと、本当にありがたい話。そんな充実した毎日を過ごさせてもらっていて感謝しかない。
そんな中で今日、とあるアグリカルチャー向けのサービスについて色々とレクチャーを受けた。ゼロからイチを産む大変さを改めて知った。どんなサービスも、人知れぬ努力や苦労があるもの。当たり前だけど、一筋縄でいけるわけはないのだ。
それにしても、だ。聴けば聴くほど農業の分野って面白い。ヒト、カネ、ジカン、モノ(最近ではこのモノの価値が変わってきている)という経営軸で考えてみても、僕が経験してきたものとはまた違った世界(良い意味で)だと感じてしまった。
さて、ようやく来週に認定ファシリテーターとしての満二歳を迎える。もうそろそろ色んな意味で何かを成し遂げなければならない。そう思いながら毎日を生きている。まだまだ成長するのだろうな、という何とも言えない思いが込み上げてくる。
やはり仕事は、楽しまなくてはならない。嫌々やるなんて、何だかバカらしいと思ってしまう。もしそんな仕事にあたったとしても、自分の中では是非「楽しい」に置き換えるべきだ。僕らはその能力に長けている。さあ仕事を楽しんでいこう。
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ファーストゴールも1,001ゴール目も同じ1得点。

動画を作っている。まあとにかくセンスが無いのでなかなか上手く仕上がらない。とは言え、何となく整ってしまうのが僕の性分でもある。いつもそうだ。とっかかりはいいのだけれど、あとあとになって全然乗り気で無くなる。性格の捻れだ。
セレッソ大阪がJ1通算1,000ゴールを達成した。誰がその瞬間を決めるか、と考えていたがこんなものが当たるわけもなく、奥埜博亮選手によってこの栄誉はもたらされた。節目節目のゴールを見てみると、なんだかとても懐かしく感じてしまう。

その中でもやはり1ゴール目の山橋貴史さんだろう。Jリーグ昇格いきなりのサンフレッチェ広島戦。広島ビッグアーチ。まさかと言うと失礼なのだが、当時は森島さんやマルキーニョスといった、違う選手の誰かが決めると正直思っていた。
思い出した。2001年の最終戦。コンサドーレ札幌との試合後にジンギスカンを食べに行ったら、偶然鉢合わせになった。その頃は既にJリーグには籍を置いていなかった記憶があるが、セレッソ大阪を離れてからでも4、5年は経っていたように思う。
僕はあまり選手と絡むほうではなかったのと、元来の人見知りもあるので、そんなところでばったり会ったりすると何だかドギマギしてしまうのだ。だからあまり選手には近づかないようにしている。遠くから見守っているのが性に合っている。
さて、話は1,000ゴールに戻る。
直後のゴールパフォーマンスで「1000」を表現したかったようだがメインスタンドからは「0001」になってしまっていたようだ。しかし大丈夫。後ろから撮影した写真にはしっかりと「1000」が写っていた。世の中何とかなるようにできている。
ファーストゴールも1,001ゴール目も、同じセレッソ大阪のための1得点。すべてのゴールにドラマがある。僕はこの先、いくつの活劇を見れるのだろうか。2,000ゴールのときに生きているかは分からないけれど、今はとにかく、ひとつひとつ、だ。
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第15節 北海道コンサドーレ札幌戦。

私ごとで申し訳ないのだが、今年のトフィーズは凄いことになりそうだ。ドゥクレ、アラン、そしてハメス。かなりの布陣でプレミアリーグを迎えられる。開幕戦がスパーズ。緒戦でシーズンの行方が分かるような気もする。またどこかで書く。
それよりも我がセレッソ大阪だ。ミッドウィークの札幌戦。体力の問題だけでなく、札幌の圧力にかなり苦しんだが、選手たちの頑張りによって勝利することができた。このようなゲームになったときにどれだけ勝ち負けに持ち込めるかだろう。
今日から拍手がオッケーになったと実況の方が話す。たしかにいつもより大きいクラップ。これは選手を勇気付けるひとつのファクターとなる。ギリギリのところのプレイにかなりの影響を与えていくこの拍手が聴こえて、本当に、心から嬉しい。
改めて言うが、このような試合で勝ち点3を取り切れることが素晴らしい。何度も大きな声が出る。そんな日常というのも嬉しいが、現地でより大きな声を届けたい。今後は多くのファン、サポーターがスタジアムに戻ってくるという。楽しみだ。
Jリーグと過ごす日々。それが僕らファン、サポーターの生きがいなのだ。首位との差など今はどうでもいい。まずは勝ち続けていくこと。より多くの得点と少ない失点に努めること。そしてなにより、選手が怪我をしないこと。それが一番大事。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

バースデーケーキ。

先日、愛犬のクロヱさんが誕生日を迎えた。満四歳。ちっちゃい頃から子熊みたいな状況は変わってはいないが、やはりそれでも大人にはなってきた感がある。パグの四歳というと人間年齢で32歳だそうだ。年相応かどうかの判断は任せる(笑)。
僕には子供の頃からワンコとの生活が身近にあったので、まさに生と死の境もこの目で見てきた。もちろん、良いことばかりでないのはご承知の通りだが、ごくごく当たり前に死生観というものを意識して生きていたなと、両親に感謝している。
当然ながらワンコたちには「話す」という能力が備わっていない(いや、もしかしたら「カモメに飛ぶことを教えた猫」のように、実は話せるのかもしれないが)。そんな彼らは素敵なことに、表情と声だけで、喜怒哀楽を伝えてきているのだ。
そのような彼らと、言葉によるコミュニケーションに凝り固まっていた僕による共同生活はかけがえのないときだった。今でもGoogleフォトを彩る写真たちを見るたびに懐かしさと、もっといろいろできたんじゃないかという思いとが交錯する。
そう。僕らは言葉に執着する。綺麗な言葉を作ろうとする。言葉は勇気を与える場合もあれば、逆に気持ちを削ぐケースもある。人は何故、ワンコたちには備わっていない言葉というツールがあるにも関わらず、上手く使いこなせないのだろう。
そんなことを考えながらクロヱさんの誕生日を祝った。コロナ禍の今年はケーキを買ってあげたのだった。しかしながら、名前がちょっとだけ残念だった。このようなワンコとの生活ができているのが、ささやかながら幸せだと僕は感じている。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

モヤッとしてボヤッとした記憶。

今日たまたまインターネットでニュースを見ていたら、アキこと西澤明訓さんが2000年に行なわれたフランス代表戦で決めた超絶スーパーボレーに辿り着いた。「懐かしいな」と思うと同時に「もう20年も経つのか」としみじみとしてしまった。
ちょうど20年前。この2000年という年は僕らセレッソ大阪ファン、サポーターにとっても重要な期間だったように思う。だがそれと同時に、多くの大事なものを失ったという思い出もある。心の中に留めておきたい一年。そんな気持ちが大きい。
それにしてもこのアキゴール。本当にスーパーであったし、セレッソファンとしても誇らしいシーンだった。凸凹コンビというネーミングはともかく、森島寛晃社長とのセットは史上最高とも言える。その森島社長のゴールも同様に最高だった。
そうだ。思い出した。この試合での森島社長とフランス代表ディフェンダーのマルセル・デサイー選手のバトルが見ものだった。どういう経緯だったかは忘れてしまったが、身長差約20cmの戦いは、ゴール同様に当時の僕らの魂を揺さぶった。
いてもたってもいられずにこのシーンのTシャツを作った。データが残っていないかな?とDropboxを探してみる。あった。そうか。20年前のことだ。デザインも、まったくもってダサい(笑)。しかし青春の思い出としては上出来だと僕は思う。
辛く悲しい思い出もあった2000年。だからこそ青春の1ページとなっていつまでも記憶の中で生き続けていく。今後も多くの思い出と青春の1ページを刻んでいきたいと思う。記録も大事だが、モヤッとしてボヤッとした記憶も、ときにはいい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第14節 浦和レッズ戦。

新型コロナウイルスの状況もまだまだ厳しい中でサッカーを見れる喜びを噛み締める。とは言いながら西日本を中心の台風被害。この先もまだまだ油断できない状況が続いている。自然現象なのだが心が痛む。まずは皆様の無事をお祈りしたい。
ルヴァンカップがあのような試合になった直後。与えられたのはたった二日であった。だが選手たちは90分間を戦い続けてくれた。本当に感謝しかない。大雨のスタジアムそしてF.C.OITOにも来てくださったファン、サポーターの皆さんにも。
試合内容を今更ここで書かなくてもいいだろう。ただひとつだけ言えるのは、競争が生まれているなと感じることだ。もちろん藤尾翔太選手のようなヤングスターが出てきたのもあるが、各ポジションで良い刺激になっているのが見て取れる。
NEXTの存在を疑問視したこともあるが、やはり経験というものは重要なファクターだと改めて気付いた。藤尾選手に加えてベンチ入りした喜田陽選手、そしてU-23で王様になりつつある松本凪生選手。彼らもその名の通りのSAKURA NEXTだろう。
ただ、スタッツを見ていても想定したゲームとは言い難い。二位とは言えまだ予断を許さないし、当然ながら首位との勝ち点差もある。だが、シーズンが終わったときにすべてが分かる。チーム力が上がってきた今、目標に向けたチャレンジだ。
早くセレッソ大阪をスタジアムで見たい気持ちが高まった。そんなウズウズした思いを僕は抑えられていない。毎日NEVER GIVE UPで過ごしているだけでは飽き足らない。一日一日セレッソ大阪と共に進んでいく日々が、生きる糧になっている。
練習も見に行きたいし、多くの仲間にも会いたい。果たしてアウェイにも行けるだろうか。やりたいことは掴みきれないくらい山ほどある。現状を打破できるほどの状況には戻っていないが、来たるべき日に向けて、僕は準備を始めたいと思う。
あ、そうだ。ようやく小説(ショートストーリー)が書き上がった。これから最終のチェックを行ない、そしてこの賞に提出をする予定だ。ちょっと毛色の違うサッカー小説。締切は九月末日。趣味の延長線の書物。さて、どうなるのだろうか。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

リスペクト。

ごくごく小さいものではあるのだが、今週、メディアポータルを立ち上げた。まだ登録者はそれほど多くはないのだが、これから盛り上げていきたいと思っている。昨日もまたひとりライターが増えたが、書き手の方々には本当にリスペクトだ。
毎日何かが生まれる。同様に失敗も生まれる。いや失敗の連続と言っていい。人生なんてそんなものだ。だから成長する。朝から何度も小説を書いては消し、書いては消し。締め切りが今月末なのにどうしてもオチが書けない。今年も駄目かな。
しかしながら諦めたくはない。諦めたらそこで試合終了。何とか明日中には書き上げて提出をしたいと思っている。そのためには今日、セレッソ大阪の素晴らしい試合が必要なのだ。さらっとメンバーを見たが、思い切ってきているのが分かる。
幸か不幸かはあなた次第だが30分の試合開始延期によって、先日修了したソーシャルデザイン集中講座のアフターパーティにもフルタイム出場ができた。何と途中にJリーグの話題もあって非常に気分転換となったので気持ちよく試合に臨めた。
当の浦和レッズ戦については改めて書こうかと思っている。ようやくと言っていいほどの嬉しい出来事もあったりと運は向いてきている。何より頑張る選手には本当にリスペクトだ。素敵な時間が続いてはいるが、そうもいかないのも世の常だ。
さて、その試合開始前に両キャプテンによるリスペクト宣言が行なわれた。すべての出来事にリスペクトを。関わる方々にリスペクトを。そして失敗続きの毎日にリスペクトを。今の僕にぴったり過ぎて本当に怖くなる。味わいのあるこの言葉。
ちなみにこのリスペクトの語源。英語respectは「re(再度)」「spect(見る)」なのだそうだ。何度も何度も見ていき、その方や、その物に敬意を表すという意味があるらしい。この行動の意義を感じながら、しっかりとリスペクトしていく。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「ソーシャルデザイン集中講座」受講完了。

若い頃は本当に「駄目人間」だったなとつくづく思う。自己中心的で気に入らないことは排除し、その場から逃げ出す。今も変わらないって?すみません。それでも少しだけは成長したと思う。何がきっかけだったかは分からないが少しだけだ。
やっぱりいい大人になって学ぶ時間が増えた。これまではひとつの目的があり(例えばお金儲け)その目的に沿わなければ「何の意味があるのか」と言ってしまったりしていた。しかし不確実性の高い世の中になって、考え方も変わっていった。
「感じる、やってみる」をまず考えることにした。意味があろうがなかろうが少しでも気になったら調べることにした。場合によっては人に聞く、書籍を読む、更には勉強会などに参加するようにした。それで初めて判断が出来るのだと分かった。
もちろんたくさんの失敗もする。だが失敗は成功に向けてのフェーズのひとつだ。多くの偉人が語っているように。当然ながら反省して次につなげるが、失敗しない人はチャレンジしていないと同じ、という部分に、まったくもって同意するのだ。
さて、昨日だが「ソーシャルデザイン集中講座」の受講を完了した。三ヶ月計六回。本当に中身の濃い授業を受けたなと感じる。さらには学ぶたびに新たなアミーゴともつながっていく。非常に有意義な時間だった。やはり直感は正しかったのだ。
とは言え学習が最終目的ではない。やはり大事なのはここからなのだ。如何にして活用していくのか。その策を沸沸と考えている。いつも言っている通り、道具というものは使ってなんぼ。ロトの剣だって装備しなければただの金属の棒なのだ。
内容についてはなかなかここで記すわけにはいかないが、この最終の講義が僕の中では一番入りやすかった。まさに「社会デザインとレゴ®︎シリアスプレイ®︎の融合」。そしてこれも前々から書いている「対話」の大事さを改めて知る機会となった。
御伽噺のような物語も人が人とつながり対話していくことで非日常から日常へ。あたかも生き物のように動いていく。そのシステムが今後の自分自身にどれだけ影響していくのか、今から楽しみでならない。いつまでも、学ぶことは生きることだ。
手始めに見聞きしたことをドキュメントに落としていこうと進み始めている。授業中もiPadにひたすら書きそれを無印手帳に転記していた。それをどう料理していくか。ここからが次のフェーズなのだ。まずはモチベーションを高くしていくの…

5Gを試す。

昨日の試合。ダイジェストを見ている。朝の清々しい時間に見てはいけない。点差もさることながら少し思うところがあるのが、23というファールの数。90分通して見ていないので何とも言えないのはさておき、どうなのだろうかという気持ち。
同じくどうなのだろうかというところが、「最近はITのこと全然書けへんやん」。ということで今日は気分も変えてインターネットについて書いていこうかと思っている。興味ない人もいるかとは思うが、できるだけ分かりやすく書いてみる。
最近巷ではファイブジーファイブジーと話題になっている。決して五人の爺さんではない(ベタやな)。新たな時代に向けた次世代ネットワークの5Gのことだ。その名の通り第五世代の通信規格であるこの5G。僕も今トライアル中なのである。
簡単に言うと「高速」「大容量」「低遅延」「多接続化」。特に短時間で多くのデータ転送などが可能となる。これにより、様々な場面で活用が見込まれているなかで、どのような新しい取り組みが可能かを検証するフェーズなのかもしれない。
僕らサッカーファンとしては、ただ単に試合を見るだけではない楽しみ方が増えるだろう。大量のデータで構成されるようなバーチャルリアリティの世界で、あたかも、スタジアムにいるかのような感覚を得られる日はそう遠くないと感じる。
先日、Jリーグの公式サイトのクラウド戦略についての動画を見た。また、こんなアプリも開発されており(サポーター同士、は以前考えたけど)、既にいくつかのJクラブもパートナーになっていると聞くと、更に加速していくこと間違いない。
サッカー、Jリーグのことを書いてはいるが、もちろん5Gは自分自身の仕事が主だ。テキストだけでなくプレゼンテーション資料、画像や動画作成、そして肝心のコミュニケーション&コラボレーション。僕が利用する分には申し分の無い速度だ。
ただこれも既存の延長線でしかない。求められているのは、活用方法同様、いやそれ以上に「なぜ5Gでなければならないか」のところ。前述のサッカー関連然り、これからビジネスにおいてもイノベーティブな発想を更に持たなくてはならない。
とは言え、まだまだエリアの問題もあるし、キャリアによって考え方もまちまちだ。僕は今、auの5Gルータを使っているのだが、速度においても賛否は分かれるとは思う。これからどんな未来が待っているのか。アップアップしながらつい…

逆転、逆襲のときを。

今日のルヴァンカップ。試合内容は見ていないので何とも言えないが点差が如実に語っている。今は週末に向けて疲れを癒しすしかない、そう思っている。なかなか厳しい「特別な夏」。一丸となって前に進むしか無い。逆転を生み出していく。
逆転つながりではあるが、"研修業界の松岡修造"こと北宏志さんの書籍を読み終わった。タイトルの通りかもしれないがまさに逆転の仕事術だ。臆病で心配性で打たれ弱くて繊細で断れない。そんなビビリでも、それらがすべて武器になっていく。
僕自身も同様だ。周りからはストレスやプレッシャーなど無いんじゃないかと思われがちだが、相当なあがり症であるし、何かを行なう前日は非常にお腹が痛くなる。ただひとつ言えるのは「どうあがいても明日は来てしまう」ということだ。
だから、僕の場合はあまり考えないようにしている。元来のいい加減さを上手く利用して、ある意味逆転の発想でやり過ごすことにしている。なのでもしかすると書籍とは真逆に位置してそうな気もするが、共感するポイントもたくさんあった。
だから僕と同じ、臆病で心配性で打たれ弱くて繊細で断れない。そんなビビリの方に是非読んでもらいたいなと思っている。読んですべてが変わるわけじゃないが、一歩でも前に進んだほうが少なくとも人生にとってはこの上なく素晴らしいのだ。
そんな学びのための1,430円だと思ってしまえば、まったくもって安い買い物だ。なぜなら、逆転の仕事術を活かすシーンは、これから何度でも訪れるだろうから。それはあなたにとっても同様のことだ。時間は多くありそうで、実は意外と少ない。
選手もクラブもかなり落ち込んでいるだろうか。こんなときスタジアムで練習場で励ますことができないのが口惜しいのだがもうすぐそこにリーグは待っている。逆転、逆襲のときを虎視眈々と狙っている、そんな選手たちの眼差しを見てみたい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

タクミゴールに思う。

やはり高みを目指して頑張るのと、現状維持をベースに考えるのとではモチベーションが変わってくると僕は思っている。常に新しいことにチャレンジしながら前に進む。そんな人生のほうが楽しいと感じるのは、まだまだ若いということか。
スモールワールドではあったが、まず最初にやってみたいと若い頃は思っていた。ヤンマーのプロサッカー推進室に行ったのもそうだったし、それ以外にも「初めてやる」が身体にこびりついていた。今思えば若気の至りだが充実はしていた。
「やっても成功しなかったらやるだけ意味ないじゃないですか」と若者から言われるときもあるにはある。同じような気持ちをモチベーションを伝えるだけでは上手くいかない。ただ言えることは、心と相談して決めたことは必ず意味がある。
意味がないと思うのは、まだそれを「やる覚悟」みたいなものが足らないのかもしれない。また我武者羅に突き進むことで可能性の変化も生まれるかもしれない。そんなことを先日のコミュニティシールドでの南野拓実選手を見ていて感じた。
リヴァプールでの公式戦初ゴール。夢が叶うかどうかよりも、自分の心と相談して、そして我武者羅に突き進む力が何かを変えていくのだと僕は思っている。若者から教わることは非常に多い。その中で何を学んでいくのかが求められている。
残念ながらリヴァプールは敗れた(トフィーズファンとしては?)が、途中出場での堂々たるプレイだった。プレミアリーグでも勇姿を見られることが非常に嬉しい。活躍して、できればマージーサイドダービーで戦う姿を僕は現地で見たい。
またちょっとずつ周りの若者に勇気づけを始める。一歩で駄目なら半歩でも前に進む言葉。それをもっと手に入れられたら良いなと思いながら毎日を過ごす。それにしてもエヴァートンの移籍話がホット過ぎる。ついにプレミア制覇なのかな。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP