セレッソ大阪に関わる人とは、どんな形であってもアミーゴになれる。なぜなのか。それは利害関係がただセレッソ大阪だけだからかもしれない。余計なことに囚われず、ただひたすら「セレッソ愛」を持って接していくのが、アミーゴなのだ。
そんなアミーゴからの依頼で、昨日あるインタビューを受けた。いつもブログなどでも話しているような内容だったが、改めて自分のなかでも整理できることがあった。やはり言葉にするのは学びにもなる。とても素晴らしい時間だったと思う。
長居スタジアムで観戦する意義。長居スタジアムで観戦する価値。なかなか素敵な質問だ。素敵な言葉は見つからなかったので自分自身が思っていることをそのまま伝えた。僕の、この頼りないお粗末な回答が、役に立ってくれれば幸いである。
「もしセレッソ大阪が無くなってしまったらどんな気持ちになるのか」を深く考えさせられた。未来永劫に続くものなど何も無いだろうが、いつも想定しておかなければならない。ただ、サードプレイスがなくなる気持ちは何物にも変えがたい。
何だか、アミーゴと過ごす日々を大事にしなければという気持ちがさらに大きくなった。これは大袈裟でも何でもなく「人生にセレッソ大阪が含まれている」のか、それとも「セレッソ大阪が人生そのもの」なのかの違いだ。後者だからこその。
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