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タクミゴールに思う。

やはり高みを目指して頑張るのと、現状維持をベースに考えるのとではモチベーションが変わってくると僕は思っている。常に新しいことにチャレンジしながら前に進む。そんな人生のほうが楽しいと感じるのは、まだまだ若いということか。

スモールワールドではあったが、まず最初にやってみたいと若い頃は思っていた。ヤンマーのプロサッカー推進室に行ったのもそうだったし、それ以外にも「初めてやる」が身体にこびりついていた。今思えば若気の至りだが充実はしていた。

「やっても成功しなかったらやるだけ意味ないじゃないですか」と若者から言われるときもあるにはある。同じような気持ちをモチベーションを伝えるだけでは上手くいかない。ただ言えることは、心と相談して決めたことは必ず意味がある。

意味がないと思うのは、まだそれを「やる覚悟」みたいなものが足らないのかもしれない。また我武者羅に突き進むことで可能性の変化も生まれるかもしれない。そんなことを先日のコミュニティシールドでの南野拓実選手を見ていて感じた。

リヴァプールでの公式戦初ゴール。夢が叶うかどうかよりも、自分の心と相談して、そして我武者羅に突き進む力が何かを変えていくのだと僕は思っている。若者から教わることは非常に多い。その中で何を学んでいくのかが求められている。

残念ながらリヴァプールは敗れた(トフィーズファンとしては?)が、途中出場での堂々たるプレイだった。プレミアリーグでも勇姿を見られることが非常に嬉しい。活躍して、できればマージーサイドダービーで戦う姿を僕は現地で見たい。

またちょっとずつ周りの若者に勇気づけを始める。一歩で駄目なら半歩でも前に進む言葉。それをもっと手に入れられたら良いなと思いながら毎日を過ごす。それにしてもエヴァートンの移籍話がホット過ぎる。ついにプレミア制覇なのかな。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

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もうなんだか時間の流れがよく分からなくなってきている。今日が金曜日であると思い出したかのように”TGIF”を連発する。これはひとえにJリーグサイクルというか、そういうものの中で僕が生きている証拠では無いだろうか。もうかれこれそんな生活も30年近く過ごしているのだから。 その時間の流れというものが感じられない今、何を基軸に生きていけばいいのかと模索してしまう。週末、土日をどのように生きていけばいいのだろうか。やはりサッカーはJリーグは偉大だなと改めて気付かされてしまう。人生ならぬサポーター生の持つ力でもあるなとか感じてしまう。 サポーター生は「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん」という桃園の誓いようなものだ。桃園の誓いとは、三国志における劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳の三人が志をひとつにした有名なシーンだ。横山光輝先生の三国志ファンでもある僕の好きなシーンでもある。 「いつなったのか」など愚問であり、今ここでどう生きているかが大事なのだと思う。とはいえ、すべてのサポーターの「セレッソ大阪との出会い」には非常に興味もある。別にドラマ性を求めたいわけでもないのだが、ひとりひとりに想いが存在しているといっても過言ではないのだ。 選手、監督は変わっていくが、サポーターは死ぬその日までクラブのサポーターだ。なんてことはない土日の試合を見て元気をもらっているという大先輩も、試合の最中、今まさに生まれそうな赤ちゃんも同じ。まさに「我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん」だな。 ※書いていたら三国志を読みたくなってきた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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