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第18節 FC東京戦。

東京はかなりの大雨だ。日々、傘はバッグに忍ばせているのでまずは無事だった。昔々に誰かの書籍を読んだ際、「傘を持ち歩いているような男はダサい」的な意味合いの文章を読んだ記憶があるのだが、傘は無いよりあったほうがやはり良い。

ミッドウィークのFC東京戦。このカードは毎回毎回我慢のゲームになる。しかも雨の中という消耗戦でもある。首都で行なわれる試合にスタジアムに行けないもどかしさを、リモートチェックインで気持ちを落ち着かせながらの観戦となった。

走ってないわけでも無いし戦えるところは戦っている。では何故このような試合になってしまうか。上位クラブとは根本的な実力差があるとは思えない。何がこの差を生んでいるのだろうか。鹿島戦同様にインテンシティの違いなのだろうか。

この試合の場合もいくつかの微妙な判定はあったのは事実だ。だが以前から気になっているのは選手たちが「アピール」し過ぎてしまうところ。そして勝手に判断してしまうところ。それが全体的なテンションに変化を起こしている気もする。

持っていないのか。それとも与えられるにはまだ早いというのか。VARだけがすべてを解決するファクターなら、どんなに楽だろうか。もしこの原因が積み重なった疲労の蓄積によるものだとしたら、雨がいろいろ洗い流してくれたらいいのに。

今日ようやく戸田和幸さんの例の動画を見た。僕らはまだまだやれるということを戸田さんの口調から改めて感じた。選手層の問題も無くはないが、厳しい戦いが続くのはうちだけではないし、ここから横並びでヨーイドンになる可能性もある。

僕らは常に困難と向き合ってきた。だから、一試合一試合を大事にしていく。まずは自分たちのサッカーが間違っていないことを信じる。仲間を信じて、自分を信じる。そして、雨が降ってきたなら持っている傘でカバーする。それだけのこと。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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