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IFTTTについて考える。

昔から、「タダより高いものは無い」と叩き込まれてきた。この感覚がデフレを生んでいるのかそれとも否かは僕がときに分からないが、少なくとも無料で永遠に使えるなんて思ってはいない。だがその日が来ると人はパニックになってしまう。

無料でアプリケーション間を連携してくれるサービスの「IFTTT」が、いよいよ無料と有料の棲み分けを発表した。具体的に「無料はアプレット3個まで」「今存在しているアプレットは段階的に減らされる」ということが既にリリースされていた。

IFTTT(IF This Then That)とはその名の通り「もしこれを◎◎したら■■する」。このThisおよびThatにWebアプリケーションを割り当てることで、その連携を行なうことができるという非常に便利なサービス。僕もかなりのヘビーユーザーだ。

もちろん有料のメリットは大きく、今までだとひとつのアプリケーションにひとつのアカウントしか紐付けられなかったがそれはOKになりそうだ(とは言え複数のアカウントを駆使するのもアリだった)。ヘビーユーザーにとっては今後の課題だ。

そういう僕もかなり利用している。なのでこれからアプレットの整理が始まる予定だ。じっくり見てみると「無用の長物」もかなりあって、やはり日々チェックが必要だなとつくづく思う。無料だからと甘えているところが多いのが駄目なのだ。

Gmailを含めて無料アプリケーションには無料なりの理由がある。そして、有料には有料の道義もあるのだ。情報過多となったこの世の中。これからさらに、このようなIFTTTだけじゃなく同じような出来事がいくつも起こり得る。そんな気がする。

何に支払う価値があるのか、無いのか。人は見極めが重要視されてくる。それは効率化という綺麗事だけでなく、人の尊厳も含まれた大事な部分でもある。決済サービスの件もあったが、ここから先の数年で、ITの世界もガラッと変わるのだろう。

「タダより高いものはない」。改めて肝に銘じていきたい。アカウントの整理も実施していかなくてはならないと強く感じる。近々でG Suiteのアカウントもアップグレードしようと思っている。便利な時代だからこそ、正しい価値に対価を支払う。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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