激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
「コブラ会」にハマっている。インドアサイクルをしながらいつも見ている。1984年の映画「ベスト・キッド」その34年後の話であるこのドラマ。当時の俳優がそのままの役で出演していたり、ところどころで回想シーンが出てきたりしている。
なぜこのドラマに夢中になってしまうのか。それは自分自身の姿とダブらせてしまっているからかもしれない。1984年というと僕は13歳〜14歳くらい。日本で上映されたのは少し後だったように記憶している(TV初放送が1988年だったそうだ)。
まあ、よくはないのだろうけれど、子供の頃は世の中全体がコブラ会のような状況だった(気がする)。良く言えばスパルタ教育。今風だと「パワーハラスメント」と呼ばれるのだろうか。主人公のジョニーが頭を抱える場面がとても理解できる。
当然ではあるが、時代がまったく違うわけで、今と昔では指導のしかたも変わっている。これは何もスポーツに限った話でもなく、仕事においても同様で、今日の若者の考え方や論理が僕のような人間と根本的に違っていると感じるときがある。
そのような葛藤の連続がこの「コブラ会」には散りばめられている。そしてその葛藤に抗うかのような空気感を醸し出していく「コブラ会」。そんな同年代の"あがき"のようなものに、僕はどんどんと惹かれていっているような思いがあるのだ。
もちろん暴力は何の効果も意味も持たないし、暴力で得た信頼関係など肝心なところで木っ端微塵に砕け散る。そんな新時代だからこそ、僕は「コブラ会」に何かを重ね合わせてしまう。やはりどうしようもなく「バッド・アス」に憧れてしまう。
ようやくシーズン2の中盤に差し掛かってきた。ジョニーに共感しっぱなしの状況でもある。ここから先に進むにつれ、更に問題が増えていくものと推測される。それすらも共に楽しんでいくのが僕らの世代。まだまだやれることは、しこたまある。
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