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血液型の定義。

根が「いい加減」だということは散々書いてきたので理解してもらえていると思っている。だが最近、この「いい加減」は、無意識のうちに溢れ出ているのではなく、意図を持ってアクションしているのではないか、と感じ始めている節がある。

この行動を取ってしまうのは一体何故だろうか。演じているのでも試しているのでもなく、人との接点に存在する自分自身の立ち位置。潜在的なものだろうか。役のある仕事を始めた頃くらいから意識しているこの「いい加減」というフレーズ。

その前に少しだけ話しておかなければならないのが「B型はいい加減で大雑把なのか?」だ。我が先祖がどうだったかはまったく知らないが、少なくとも両親はともにB型だ。好きなことにはとことんのめり込むが、良い意味で「いい加減」である。

その血を濃く受け継いだのはよく分かる。よく分かるが、それがB型の宿命なのかと言われると、どうも違う気がしている。「いい加減」にもタイプがあるのかもしれない。タイプというか何というか、これが個性と呼べる個々人の特性だろうか。

ただ、親がいい加減だと子もいい加減なのかについては大いに疑問もある。血液型が性格を決めるのであれば、一体何がどう違うのだろうか。別段、何かのトリガーがあったわけでもないのだが、最近は何故かそんなことばかりを考えてしまう。

さて、犬には血液型は無いらしい。人間のABO型に対してDEA式と言い、日本では全部で九種類に分けられているとインターネット上では書かれている。果たしてこのワンコは何型なのだろうか(見てみると血液型性格判定は無いとのことだ)。

熱しやすく冷めやすい。B型に近いのだろうか。環境や育てかたで犬の性格は変わるという話をどこかで聞いたこともある。そうするとやはり、B型に育てられたワンコはB型となっていってしまうのだろうか。それが宿命だとしたら申し訳ない。

だがもしそれが運命だとしたら、本人(本犬?)次第で何にでも変えられるだろう。望んでそうなっているのかもしれないし、望まない状況ならば変えるしかない。ワンコも人も本質は同じ。変えられない未来を変えていく。やはり自分自身。

血液型はその少しのトリガーたり得るかもしれないが、それ以上でもそれ以下でも無いと僕は思っている。そう考えてみれば、B型の「いい加減」は武器になる可能性もある。すべてのB型の方が「いい加減では無い」ことが前提ではあるのだが。

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