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若者たち。

この二日間は歓送迎会だった。20代前半の方々が自分のやりたいことに邁進する姿に感動すら覚える。「最近の若者」は本当によく考えていると思うし、実行が伴っているケースも多々ある。逆におじさんたちのほうが理想と現実と狭間にいる気がしている。しばし反省。

昨日のルヴァンカップ。見れてはいないのだが、いつも応援している瀬古歩夢選手もスタートから出場したということで本当に嬉しい限り。彼の、12歳の頃のインタビューを聴いてからというものすっかりファンになってしまって、今に至る。もうそろそろトップで見たい。

そんな12歳と言えば飛び込みの玉井陸斗選手。水泳のことは全く分かっていない僕ではあるのだが、プレーはともかくインタビューの際の受け答えなどとても今年中学生になったとは思えない立ち振舞いだった。関西出身なのも好感が持てる。本当に素晴らしいと感じた。

若いスタッフ若い選手には夢がある希望がある。そしてまだまだ時間がある。当然挫折も味わうだろうし心折れる瞬間が来ない保証は全く無い。そんなときに支えになれるよう、おじさんは少しでも努力したい。今日からまたひとつ始めようと思うことがある。継続だな。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

※このワンコは2歳半。人間年齢でいうと25歳くらい?
※いまだトイレが上手くできません・・・。

最近の投稿

書くことを「やってみなはれ」。

先日ここでも言ったとおり、小説を書き始めた。誰が読むのか分からないがとにかく始めることにした。以前からショートは公開していたのだが、本格的なレベルを頑張ってみようと思っている。まずはやってみる。素人で何も学んではいないが、気持ちは入っている。

「やってみなはれ」という言葉が好きだ。まずはやってみる始めてみる。失敗や問題に直面する。更に考える。答えが簡単に導き出せるような世の中ではないが、そのプロセスを大事にする。何だかいつの時代も人のマインドというものは何一つ変わっていない気がする。

昨日、とある方にレゴ®シリアスプレイ®について説明をさせていただいた。なぜこんなものが生まれたのか、そしてこれはどこへ向かっていくのか、など様々ディスカッションをして更に理解を深められた。「思ったら行動する」ことを意識すると目の前の何かが変わる。

まだまだ努力が足らず、半径10mの世界ですら理解してもらうのに苦労しているのも事実だが、心の中のリトルがペプシ・・・ではなく「やってみなはれ」と話しかけてくる。今、多くの方にリーチしながら自分自身も成長しようと努力している段階。「やってみる」。

3月末にご卒業されたスタッフから頂いたプレゼントを、今日開けた(スミマセン)。中身はレLEGOムービーのキャラクター。僕は袋をハサミで切って中身を出す。クレヨンガール・・・お、おぅ。「書く」ことを始めた僕に対しての勇気づけかそれとも警告なのか・・・。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


渡し船。

先日、何気なくテレビを見ていたらとある渡し船が目に入ってきた。「ドキュメント72時間「大阪・渡し船 片道1分の人生航路」というNHKの番組内での大正区と港区を繋ぐ甚兵衛渡(だろうか)。子供の頃を思い出して、食い入るようにブラウン管に釘付けになった。

この渡し船。大阪市が運営しわずか1分のクルーズとは言いながらもなんと無料。木津川と尻無川に囲まれ更に大阪湾に面しており、橋しか本州とのルートを持たない大正区民にとってはまさしく「足」とも呼べる。僕の実家の裏からも西成区へ渡る船が出航している。

少なすぎると叱られはするのだが、年に一度は大正区へ帰り、変わっていく街の風景を見ながら懐かしさとのギャップやコントラストを味わう。東京には無いコテコテのテースト。間もなく来る令和の時代などそっちのけ。実に昭和を感じさせる空気感が大好きなのだ。

番組では渡し船に乗る人々のドラマが数多く描かれていてどうしても目頭が熱くなる。時代は前に進むが、留まってほしい留まり続けて欲しい風景は数多く存在する。大阪市が区民の足であるこの渡し船を運営し続けてくれていることに感謝の念しか見つからない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第8節 清水エスパルス戦。

先日、何年ぶりか分からないくらい久々にカラオケボックスへ行った。若い頃は本当によく歌っていた記憶があるが、最近では大きな声を出す機会も少なくなってきたなと感じる。ストレスを発散できたかどうかは不明だが「声を出す」のは気持ちの良い行動でもある。

今期のセレッソ大阪の試合。大きな声を出す機会は多いのか少ないのか会場にいない人間は分かるよしもないが、少なくともゴールの少なさとデュエルの勝負弱さに対するため息のほうが多い気もする。まだまだなのは理解できるが、リーグ戦は既に8戦を終えている。

それにしても日本平では本当に勝てない。しかも実に辛い負け方が多いという感がある。何度も足を運んだ会場ではあるが、日本平で勝利したシーンを見た記憶がないのだ。頭がかなりボケてきてきていて忘れているだけかもしれないが、それくらい印象に残っている。

焦りはない、が楽観視も禁物・・・というかこんなこと毎年書いているなと自笑しながら書いている。なんだかチャント同様に自分自身の考えも、ひとつ覚えのマンネリ化をしてしまっているのかもしれない。何をどう変えるか、変えられるか、いや変えなきゃいけない。

気持ちの持って行きようが難しいが、地球滅亡までのしばらくのあいだは太陽は毎日西の空に消えていきそして必ず昇り続ける。信じて戦い続けるしかないのだろう。取り急ぎ気持ちを切り替えるため、ストレス発散ではなく心落ち着かせる意味で小説でも書いてみる。

まったくもって意味はない。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ノートルダム大聖堂火災に思う。

ミスかどうかはともかくあの失点よりも、ゴールが生まれないことのほうがよっぽど心配になる気持ち。昨日の試合は改めて書こうとは思うが、造るのは難しく壊れるのは簡単なのはなにもチームだけではない。あの建物の尖塔ですらあっけなく崩れ落ちるのだから。

フランス、ノートルダム大聖堂が火に包まれる姿を見て心を痛めている。中世西洋史や十字軍、テンプル騎士団などについて興味があって調べたりしているが実のところ肉眼で見たことがない僕としては、シテ島自体を「イバがいつか行きたいリスト」に登録していた。
シテ島といえば前述したノートルダム大聖堂に加えてポン・ヌフ、そしてヴェールギャラン公園から見えるルーヴル美術館。その中でも島の西端にあるこの三角公園にはどうしても行ってみたい理由があるのだが、ここでは個人的事情も含めて割愛しておきたいと思う。
原因追求や復旧の時期などがまだまだ不透明ななかではあるが、フランスはもちもんのこと世界中から哀悼の意と多額の寄付が集まっているという。今までと全く同じ状態状況に戻ることはもうないのだろうが、歴史をこれから先の未来に繋ぐのは人類の責務なのだろう。

かくいうセレッソ大阪の歴史は一体なんだったのだろう?「打ち勝つサッカー」?。「4点取られても5点取って勝つサッカー」・・・だったか?本当に?もう一度セレッソ大阪の歴史を伝えていくことが責務なのかも知れないと改めて思ってしまった。自戒の念として。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

Yahoo!ニュースに気づかされる「同期」という言葉。

なにげにYahoo!ニュースを見ていた。「セレッソ大阪」と「小松菜奈」を登録しているテーマタブに忽然と現れた「山口蛍、丸橋祐介選手ブラジル留学のお知らせ」。一体何なんだと恐る恐る見てみると2009年5月12日の記事。なんでこんなものが出たりするのだろうか。

こういうご縁もご縁なので今日は「同期」というテーマで書いてみたい。この二人もセレッソ大阪2009年加入の同期である。プロとしてもう10年もサッカーをしているのだなと思うと、時の流れというものは非常に速く、限りがある。そりゃ歳も取るということだろう。

僕自身も少年時代や働き始めてからも多くの「同期」と共に生きている。「同期」の存在に勇気づけられ励まされ、ときには嫉妬などの複雑な感情も抱いたりしたこともあった。入り口は同じだが環境が変わり、生き方が変わったりしながら「同期」はつながっている。

今年も多くの加入選手や新入社員がいる。「同期」の輪ではないが共生の意識が高いように見えた。むろん同期は大事にしたほうが良いと思うし、その中で切磋琢磨し高めあい、1×1、N×Nが大きな数字に変わることを期待したい。その関係性を持ち続けてくれることを願う。

そして、始まりと終わりは違っていい。咲くときも散るときも心の中で一緒。まさに「同期」の絆というものは生涯何も変わらないのだ。春だからこそ起こる奇跡を信じて同期会などを行なってみようかと思ってはみたが、内気な僕には出来るよしもないことに気づいた。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

簡単なお仕事の最高の締めくくり方。

ここ数日で「最近東京スカイツリーの写真がアップされないじゃないですか」というご指摘を頂戴することが多い。もちろん引っ越しをしたからなのだが、僕に「ツリーの人」というイメージが付いて回っている。嬉しいことなのか寂しいことなのかは分からないが。
近所に建ったのをきっかけに撮り続けた東京スカイツリーの写真は5,000枚程度。プロの方とは比べ物にならない些末なものでもある(iPhoneでの撮影でしかないし)。こんなことを書いている時点でおこがましいが2008年くらいからの約10年、年500枚は多いか少ないか。
毎日見続けてきて分かったこともある。東京スカイツリーには顔がある。見る角度によって様々な表情を垣間見ることができる。晴れの日、雨の日、風の日。イベントや朗報、ときには悲劇もその姿を配色を駆使して表現する。それらを記録に留めるという簡単なお仕事。
ここ数年ではSkytreefanというサイトも立ち上げた。特に外国人向けに東京スカイツリーの日常や表情を見てもらう機会、関心を持ってもらい、2020年の東京オリンピックの際には是非近所に立ち寄ってもらって交流を深めたいとも思っていたりしたのだが、遂に潰えた。
先日、墨田区役所を訪れるとき、最後の一枚に良い写真を撮りたいと思い、僕はiPhoneを構えた。その刹那、カップルの外国人が話しかけてきた。いつもなら微調整しながらなのだが僕は慌ててボタンを押し、彼らの話し相手になった。「浅草寺に行きたい」のだと言う。
僕は、目と鼻の先に存在する浅草寺の場所を「Over there」のひとことで終わらせた。我儘だが、最後の東京スカイツリーの出来栄え、というより撮り直しを考えていた。iPhoneの写真アプリを開いて確認する。・・・なんだか良い。この写真を使うことに決めたのだった。
少し罪の意識に苛まれた僕は雷門に向かうこのカップルの後ろ姿を目で追った。何かを察知したのか彼らは振り返り、そして目が合う。お互い親指で合図を送り合ってその場を離れていく。簡単なお仕事の最高の締めくくり方だ。僕は誰にも気づかれることなく小さく笑った。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP