スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ルヴァンカップ。明と暗。

徳島戦の朝。非常に良い天気の中で朝の公園を歩く。多くのワンコと出会う。犬同士のコミュニケーションは複雑。くっついたり離れたり、におったり、におられたり。人間も同様。いつもの習慣、いつも出会う人。ともに歩く道だからこその。 とてもファイナルという空気感ではなかった。スタジアムに着いた瞬間、というよりも、前日前々日、いや、厳密に言うともっと前からその独特の雰囲気は存在していなかったように感じた。良くも悪くもその空気感が、試合の明と暗を決めた。 先日ツイッターで「ファイナルルーザー」と書いた。要は、ファイナルでシルバーメダルをかけられた経験の無いサポーターがいるのだという現実を改めて知り、その空気感というものは、こういう風に醸し出されていたのだろうかとも思った。 いつも言っているように、歴史の一部分だけを切り取って考えるのは良くない。だからと言ってすべての歴史を自分のものにするかどうかは本人次第だ。ファイナルルーザーの経験が無いからといって、それは決して、負い目でもなんでもない。 そしてそれは、ここから始まる歴史において過去の点を線で結ぶ役目があるのかもしれない。だからこそゴール裏ウルトラの話を聞いていきたいと思っている。ウダウダの延長線など、出来るだけ多くのチャネルを作っていこうと考えている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 追伸 サッカーショップ蹴球堂も併設しているコニュニティスペース「 F.C.OITO 」でのイベントにてファシリテーターを務めます。久々の大阪なので緊張しますが、ぜひお会いできれば、また、イベントにも参加いただけたりすると嬉し泣きします。 お申し込みフォーム
最近の投稿

第30節 鹿島アントラーズ戦。

チームとして非常に厳しい期間を経て強くなるのは常である。これはまさに結束とか気持ちの面が非常に大きい。監督交代下での怒涛の十三連戦というなかで、培ったもの失ったものが生まれること、さもありなん。ここからは本当の再出発だ。 さて当の鹿島アントラーズ戦。2011年のあの試合以来ホームでは勝てないどころか引き分けすらない状況。いちチームとの勝ち負けや結果だけにこだわるわけではないとはいえ、非常に不名誉な結果であることを認識しておかなければならない。 もちろんリーグにおいての結果はある程度見えてきた。その中での次節の戦い方、そして先に控えるルヴァンカップに向けての動向が気になる。負け試合の完敗さ加減が気になるところではある。そこで次のステージに向かうために何をするか。 緊急事態宣言が明け、サッカーとの関わり方にも変化が訪れるだろう。立って応援することができるようになり、先日のウダウダ内でもあったように、声の制限も条件付きで緩和されていくことなるかもしれない。サポーターの力が必要になる。 試合後にセレッソ大阪のことを真剣に考えているサポーターの方々とオンラインでミーティングを行なった。中身については割愛するが、今日明日の話だけでなく、このクラブの将来のことについて様々な意見交換をさせていただいたのだった。 そこでも話したが、いまこそゴール裏(とあえて言いたい)のサポーターが一枚岩となってこの難題に真剣に取り組むべきだと感じている。できることは必ずあるし、その方法は無数に存在する。それらを話し合って、つなげていく必要がある。 その刹那、2008年のときに行なった「ある行動」について思い出していた。多くの関係者にもお手間や迷惑をかけてしまっていたことを再認識した。だが、この先走るかのような行動に後悔はないし、少なくとも礎にはなったと確信している。 あるセレッソの御大に相談をしてみた。やはり最後は自分自身の「感情と行動の一致」にかかってくるのだなと感じる機会となった。感情が先で行動が後(中枢起源説)か、はたまた逆(末端起源説)かは関係なく、まず動きだすことの重要性。 とは言えあれから十三年。「ある行動」への御礼を改めてしたいと考えながら、ダラダラと日々を過ごしてしまっている。歳を取れば取るほど臆病さが増えていくのも人。若気の至りとまでは言えないが、気持ちの昂りは形にしたほうが、いい

第32節 サンフレッチェ広島戦。

サッカーには不思議な力がある。これまでにも数多くの力を見てきた。だが、それ以上に、この数年でさらに強く感じている。Jリーグとの関係が人生の半分を越えたあたりから、この不思議な力への気持ちの持って行きかたを、日々学んでいる。 そういう意味で考えると、サンフレッチェ広島との試合は、クラブとしてはもちろんのことサポーターとしての自分に向けて大量のメッセージを放ってくる。縁は人と人をつなぎ、人とクラブをつなぎ、そして人とサッカーをひとつにしていく。 1995年の開幕戦しかり、1999年9月のあの試合しかり。大勝したり大敗したり、もちろん目の前で見せつけられた屈辱も併せると、このクラブとのつながりを意識しないわけにはいかない。そんなことを考えながら広島との試合を観戦していた。 今週のウダウダでも話をしたが、結果的には素晴らしいゲームで終始安心して見ていられた。アウェイクラブの太鼓が解禁されたスタジアムでも和やかに観戦できていたようだ。この日が、セレッソ大阪にとって、とても重要だったからこそだ。 時も、場所も。過去も現在も未来も。すべてがつながっている。つながっているからこそ、いまこの瞬間に僕たちはここにいて、そして我がクラブを、セレッソ大阪を愛していることを改めて認識する。そんな時間が、増加していく感覚がある。 こう書くと、いつも精神的で神秘的な話ばっかりするよな、と言われそうだ。しかしながら、巡り合わせというものは本当に存在する。試合ではその巡り合わせが、戦略や戦術同様にチームの力となっていくのだと、少なくとも僕は信じている。 そんな気持ちだけで生きているわけではないにせよ、サッカーには人には、不思議な力がある。その力に導かれて僕らはこの世界で生き永らえている。生き永らえ"させてもらっている"。また「変わった人認定」が増幅しそうだとも思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP method and materials

第29節 浦和レッドダイヤモンズ戦。

先日、セレッソサポーターの黎明期を共に走ったアミーゴが出演する 映画 を見てきた。セレッソ大阪というサッカークラブが誕生して四半世紀以上経った今、多くの人と出会い多くの人と離れ、そんな、矢印があっちこっちを向く人生でもある。 その間に人もクラブも選手もみな、生きかたが変わったり、はたまた、あいも変わらず惰性の延長線上にいる場合もある。良くも悪くも決めるのは自分自身であり、他人がとやかく言う問題でもない。時間とはそのような空間を生み出している。 今も昔も、一日が二十四時間では足りないというセリフが多く出てくる。まさに今のセレッソ大阪にもそれが当てはまる。二月から考えて七ヶ月という期間を無駄にしたとは言いたくないが、もう少し前から手が打てていればとは思えてしまう。 今日言って明日できるようなものならば、何も誰も苦労はしないだろう。時間という熟成期間が、食べ物をより美味しくしているのも間違いない。そのなかで僕らが時間の意識をどのように持っていくのか。青臭さを抜くにはどうすればいいか。 日が昇り、日は暮れていく。人間には二十四時間しかなく、たいていの場合、人生は百年にも満たない。大事な時間をいかに生きるか。何に使うのか、どこで使うのか、誰に使うか、なぜ使うか。今の小菊サッカーは、それを考えさせてくれる。 浦和戦は真の力負けだった。いま欲しいのはセレッソ黎明期の「たまたまの勝利」ではなく本当の強さ。そのためには時間は必要であり、挫けない思いが必要だ。いかにして「時間」を有効に使い、次に活かしていけるかが今は大事な気がする。 この浦和戦での完敗が、この先のシーズンで必ずや実を結ぶと信じて支える。それは出来上がったばっかりの頃からちっとも変わらないのだ。だからこそ、三十年経った今、クラブとアミーゴとつながっていられるという「時間」に感謝したい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「継続の重要性」のためにまずやること。

人間、やってみて初めて分かることなどしばしば起こる。しかしながらこの一歩を踏み出すところで皆くじけそうになってしまうのも人の常だ。偉そうなことを言える立場でもないが、長くこの世に生きてきた結果、その先で見えるものもある。 先日、ある行政上の手続きを行なった。その流れを読み取るのにかなりの労力、その作業にかなりの労力、再度の依頼でさらに労力。最初の頃なら心が折れているかもしれないが、意固地にやり続けてしまうのも僕の性根。なんとか乗り切った。 この行為ひとつで、世の中で起きていることの一部が分かってきた。何度も書くが、やってみて初めて分かる。やらなければ、それを知る機会を失ってしまうのかもしれない。そしてそのあとは、弛まぬ努力による、継続の重要性となってくる。 先日、自己満足の極み「 CEREBAKA 」の第四弾を収録した。そこでも感じたのがこの「継続の重要性」だった。たとえ惰性であったとしても(いやこの方がそうだと言っているわけではなく)続けるという行為そのものに、人は尊敬の念を持つ。 「雨垂れ石を穿つ」という言葉がある。ぽたぽたと落ちる雨水であっても、長期間同じところに落ち続けることで、硬い石に穴をあけてしまうほどの力があるということ。やはり僕らにとって必要な要素であると感じるし、そこに活路はある。 僕はまず、小菊さんのサッカーを信じることに決めた。だからこそ信じることを少なくとも継続していくと決めた。もちろんこの環境下で、誰しもが求める理想のサッカーを見せることは困難(交代ブーストはあるものの)だ。悲しいけれど。 やってみて試しながらの采配のなかにも、確固たる信念も随所に見せてくれる小菊サッカー。難しい局面が数試合続いているが、とにかく監督、選手、クラブ、ファン、サポーター一丸となってこの局面の打開と、その先の栄光を掴み取りたい。 さて当の「 CEREBAKA 」だが、ただいま鋭意編集中でもある。どこかの誰かがこのコンテンツを見て喜んでくれているかとかではなく、まず自分が嬉しいのひとことなのだ。どこまで続けられるかだが、継続することこそに、その意味は、ある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP -- IBA MASAHIRO 伊庭@ネットコムズ⌘ Trained facilitator LEGO®SERIOUS PLAY® method and ma

文章と対話の狭間にて思う。

どうも、ウダウダをスタートしてからというものブログを書こうという気持ちがとても薄れていっている。毎週、思いの丈を話しているわけだからそうなるのも当たり前のことで、やはり、文章と対話の関係性というものに、ギャップを感じる。 もちろん、文章には文章の、対話には対話の、それぞれの持つ良さがある。前者には伝えたいという思いが強く乗っており、逆に後者には、より、伝えあう気持ちが多く存在している。これはまさに人生の尺図そのもののようにも思えてしまう。 いまは、ウダウダを聴き、ウダウダと話すほうが人に伝わりやすいし、逆に伝わってもくると感じている。当然のことながらリスタートの難しさはあるにせよ、リアルなコミュニケーションに飢えているこのご時世だからこその思いなのだろう。 節目の第30節(リーグらしくこの表現に変えようと思った)が終わり、試合内容とともにすったもんだしながらここまできた。一体いつ終わりを告げるのかも分からない。また本当の意味でのリアルな場が戻ってきたら、果たしてどうなるのか。 だが、それは、進化と呼んでも良いように、いまのウダウダを続けること。それが少しでも様々な方々とのコミュニケーションの場と感じられること。これが得られているあいだは、当分話し続けることになる。たとえ喉が枯れてしまおうとも。 さて、北海道コンサドーレ札幌との二連戦のホーム。乾貴士選手の活躍も期待したいところだが、先週にも話題になった我らの喜田陽選手を始め、アカデミー育ちの選手たちにも注目したい。30回目の今週に彼が躍動する姿が目に浮かんでくる。 上手くターンオーバーしながら選手のモチベーションを高めていく小菊さんが、どのような選手構成にしてくるのかが非常に楽しみでもある。なんとかACL併せてこの二試合を勝利で終え、来週のウダウダでも大いに盛り上がりたいものである。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第27節 大阪ダービーマッチ。

ダービーとはなにか。というテーマは、サポーターにとっての永遠の問いだ。ただ単に3ポイントを奪い合う(ときには一点ずつ分けあうのだが)だけの、そこらへんの試合とは違う。これはクラブが生まれた28年前からまったく変わっていない。 また逆の意味でダービーとは、その街のバロメータにもなり得る。サポーターのモチベーションやテンションによって、試合の質はかなり変わってくる。そんな生活を、人生の半分以上の期間で意識しながら生きていると思うだけで身震いする。 ましてやとんでもないかたちでの監督人事が行なわれた直後でもあり、サポーターの葛藤が手にとるように分かる展開が繰り広げられ、その渦のなかで、いくつかの番組で話をさせてもらった。そこでも明確なことはただひとつだけなのである。 さて、その本題のダービーは、小菊さんによってどういった色にチームが染まっているのか(たった二日で染めきれたのかは想像に任せる)を確認する試合でもあった。ダービーをそんな品定めのような言いかたになってしまい申し訳なかった。 そんななかで、戦う姿勢を存分に見せてくれたチームに心が躍った。話の中でも、どこまで原点回帰するのか、という部分に興味があったが、この四年間という濃密な時間がグッと凝縮されているのではないかと思い、それでいいや、と感じた。 ダービーの重みと、重苦しい空気を払拭する気持ちとのギャップはそれほどなかった。もちろん相手があってのことなので、一概に比較することをしてはいけないのだろうけれど、監督を変えるとは多分こういうことなのだなと改めて思った。 勘違いをされたくはないが、チームの空気を変えるのと、クラブのコンセプトを変えるのは、似て非なる。いや、まったくもって意味が違う。だから僕らは、覚えておかなければならない。クラブのコンセプトは何も変わっていないと推測する。 だが、まずは小菊さんの元で輝きを取り戻した選手たちが多かったことを喜ぼう。大阪ダービーという勝ち点3以上のありがたみを感じよう。その歓喜も今日を過ぎれば、明日からまた過酷なダービーマッチの旅路が続くのだ。まずは熟睡からだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP