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それがとても愛おしい

 サポーターって何もできない でもサポーターって何かができる とはいえ 選手と一緒に走れないし ゴールを決めることすらできない そんなのわかっているのに ただただサッカーを愛し ただただクラブを愛し ただただ選手を愛し ただただ隣りにいる仲間を愛する こんな愛おしい生き物 こんな真っ直ぐな生き物 世の中にどれだけ存在するのか それだけを伝えたい そういう馬鹿げた思いだけで Xスペースを続けてこれたと思う 集まってくれる皆さん 本当にありがとうございます やっぱり何度生まれ変わっても サポーターなのだろうな そんな 馬鹿げているけど一途な生き方 それがとても愛おしい

サンフレッチェ広島戦。

蹴球堂20周年という節目でもあるので なんだか思い出したかのように 真面目に書いていければと思っている 引き続きどうぞよろしくお願いします テレビでの観戦となった広島戦 ゼロトップに近いあの戦い方の、 相手を無効化する最高のパフォーマンス それが前半だったように思う 逆に、あの展開に持ち込めないと、 後半のようにパワーで押し込まれて 難しくなるのは致し方ないな 現状の戦力の最良の戦い方なのかな それにしても思う 蹴球堂が20周年だからなのだろうか 30年前、20年前、10年前と比べて ゴール裏の「ピンク率」の高さに感動 ユニフォームだろうと Tシャツだろうと これは本当に素晴らしいことだと思う 性別にこだわるわけじゃないけど これだけピンクを着こなせるセレ男 僕はかなり尊敬するけどね ゴール裏すべてがピンク色に染まる そんな日を夢見て #セレッソゴール裏をピンクに なんてキャンペーンやってみようかな NEVER STOP,NEVER GIVE UP

今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

待てば海路の日和あり。

 人生では何が起こるか本当に分からない。ある日突然大金持ちになったり、逆もまた然り。それ以外でも、意中の人と接する機会があったり、思いがけない出会いがあったり。そうやって人生を歩んできたわりには、人脈というキーワードと全くの無縁で過ごしている気がする。 なんでこんな書き出しかというと先日セレッソ大阪ヤンマーレディースサポーターの東京決起集会にお呼ばれして行ってきたわけで、そこで「ホームレスワールドカップ」の関係者と偶然であったのだ。セレッソ大阪とは関係ないことでも結構受け入れていける体質だとつくづく思う。 個人的に、ネットフリックスで「ビューティフル・ゲーム」を見たあとでもあった(実を言うとドネーションしようかと思ったが面倒になって止めていた)から、余計に親近感が湧いてしまって、あれよあれよという間にいろんなことを進めたくなってしまった自分がそこにいた。 もちろんのことながらホームレス・ワールドカップも資金に苦しんでいる(のだと思う。ブラインドサッカーの際にも同じようなことがあった)。何人かの仲間を紹介しようと画策しているがどうなるだろうか。あら、意外と人脈あるじゃないか。そう思った人はたぶん間違っている。 ともかく、人生で、答えがないものにぶち当たったときは、一歩前進したほうがいい。そのほうが何かに出会える機会が多くなる。日常でも、酒場でも、そしてスタジアムでも。まあ、人見知りが過ぎるので、誘われなければそんな場も無いのだけれど。待てば海路の日和あり。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

サーバントリーダーシップと立ち位置。

 コールリーダーは孤独だ。こういう書き方をすると語弊を産むのかもしれないがこれは間違いのない事実だ。選択の連続。決断の連続。どこのクラブもどのサポーターチームも同様だ。 ただし、コールリーダーには多くの仲間がいるのも、紛れもない事実だ。相談できる相手、相談される相手、様々。そして、真っ先にアンチの対象になるのも、コールリーダーな訳だ。 会社組織には「管理職」という、日本語で書くと途轍もなく固い肩書を持つ人がいる。コールリーダーは果たして「管理職」なのか?いや、そうではない。少なくとも日本の管理職では。 サーバントリーダーシップという言葉がある。リーダーはフォロワーに支えられ、フォロワーはリーダーに支えられ成長する。お互いの良いところを保管しあってチームは強くなる。 実はコールリーダーなんて、サーバントリーダーシップの典型なのではないか、と常々考えている。フォロワーあってこそ成り立つ立ち位置であり、影響力を与えることのできる人物。 そのことを考えないコールリーダーはただの場の支配者であり、何の影響力も与えてはくれない。セレッソ大阪のコールリーダーとしての立ち位置を、正しく伝えてこれた気がしている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP