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コールリーダーは究極の・・・。

プロボノという生き方がある。プロボノとはラテン語で「pro bono publico(公共善のために)」という言葉だ。元々は弁護士さんなどの無報酬社会活動から始まったらしく、今ではこの士業の方々の他にもIT含めたくさんの活動がある。
そのような方々が大勢いる一方、僕などは社会にとってほとんど役にも立っていないと言ってもいいだろう。子供の頃から感覚で行動することが多い(いつも違ったことをしているタイプだ)ので、人にその感性を伝えるのがとても苦手だ。
それでもなんとか、持っている知識や能力を、世の中のために使っていく気持ちは十二分に持っているつもりだ。そう言えば先日、ファシリテーターを目指す方に向けて3分程度✕19本の学習用動画を作成して身近の方々にシェアをしてみた。
ITを駆使して特定の誰かに何かを伝えていくこと。まずはできそうだ。偉そうに語ることではないが少しずつでも誰かの役に立つ。そういう気持ちも自分に対する自己回復の力があるのかもしれない。それだけでもプライスレスな価値はある。
そういや、コールリーダーという立ち位置もそれに近い。スペックが高くなければ人様をコールリードするなどままならない。しかもそれほど良いことが待っているわけでもない(!)。まあ、あるとすれば勝利の優越感くらいなのだろうか。
勝っても負けても応援の質を問われ、問題が起こると矢面に立たされる。強さと繊細さを併せ持っていなければコールリーダーというポジションは成り立たない気もする。人生における経験や能力を活かしているからこそ務められるのだろう。
コールリーダーを見て「究極のプロボノ」と呼んで良いのではなかろうか、そう思い始めている。「どこが本業の延長線上なのか」は各自の想像にお任せするとして、僕は各クラブのコールリーダーへリスペクトしながら何とか今日を終える。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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第8節 湘南ベルマーレ戦。

どういう理由かは定かではないが、若い頃の同窓会というものに参加したという記憶があまりない。当時はそれほど何かの感情がそれほどなかったが、この歳になって同級生に会うことが多くなって、その大事さに気づき始めたと感じている。
昨日の湘南ベルマーレ戦。チームとしてよりもどうしても瀬古歩夢選手と鈴木冬一選手の対決に目が行ってしまう。セレッソ大阪アカデミーで育ち、それから先の道程は違えど、このようにJリーグで対戦しているのを見るのは非常に感慨深い。
2016年9月。インドのリゾート地ゴアに僕はいた。U-16アジア選手権兼U-17ワールドカップ予選。その、たった一試合を見るために。セレッソ大阪から6名が選出されたこの大会にも瀬古選手と鈴木選手も参加しており、結果はご存知の通りだ。

一進一退のゲーム同様に、後半鈴木選手が右サイドに回ってから直接対決が少し増えてより楽しみが増した。試合終了後のモニタ越しに見えた二人の会話シーンに、何だかほっこりした気になった。アカデミーを応援する意味を改めて感じた。
そう言えば話は変わるが、セレッソサポーターの中にも多くの同級生がいて、今年五十を迎える話に花が咲いている。同い年。こんな年齢になったらどうでもいいかと思ってしまうようなことにも思えるが、やっぱり必要な要素かもしれない。
それは置いといて。瀬古選手、鈴木選手とも、ここから日本代表を目指せるだけのポテンシャルは持っていると僕は思っている。これからもこの二人を引き続き応援していきたいし、彼らのプレーを見るために是非世界を旅させてほしいのだ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

嬉しい「声」。

何を以て幸せかの価値観は人それぞれ。先日もオンラインミーティングの際に僕の背景にあるピンクのモノたちを見て「セレッソですか!すごいですね」と言われて少し嬉しく思ったり。サッカーに興味のない方に「目が痛い」と言れたり。
フェイスブックの宗教・信仰に「CEREZO OSAKA」と書いている。もう離れられない存在でもある。それよりも、僕にとってもっと大事だと思っているのがセレッソファンだ。四半世紀近くを一緒に過ごさせていただいて本当にありがたい。
なんだか駄目になりそうなとき、本当に多くの「声」に励まされる。その励ましの「声」の中でもセレッソ大阪のアミーゴたちの声は、なにか心へとつながる血管を綺麗にしていくかのように僕の響いてくる。どうしてだろうといつも思う。
サッカーショップを経営して実に14年になった。紆余曲折はあったが今がある意味「いるべき場所」に近いかもしれない。そのF.C.OITOでジョイントしながら様々な活動を行なっている小林さんがブログでこのような記事を書いてくださった。
これ以上に嬉しい「声」はない。改めて僕らが14年前に掲げた想いを思い出した。セレッソファンやサポーターのためにできることを少しずつでも。その延長線上にセレッソ大阪の100年構想がある。そんなことを考えながら目頭が熱くなった。
この14年の時間でどれくらいのことができたのかは知る由もない。しかしながらこのような言葉をいただける方々とともに過ごさせてもらった時間は、「声」は、間違いなく宝なのだ。今日もこれからも、僕らは続いていくのだ。未来永劫に。
何だかこの歌を思い出してしまった。
今は遠くに離れてる それでも生きていれば いつかは逢える でも傷つかぬように 嘘は繰り返される ここにあなたがいないのが せつないのじゃなくて ここにあなたが いないと思う事がせつない(でも) 負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事 駄目になりそうな時 それが一番大事 負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事 涙見せてもいいよ それを忘れなければ
それが大事/大事MANブラザースバンド
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コロナウイルスは夏休みを取らない。

いきなりの緊急地震速報(速報とはいきなり来るものだ)にびっくりした朝だった。家族共々SNSで情報を検索しつつ、身構えながらそのときを待つ。だが、我が家に揺れが来ることは無かった。しばらくは不安ではあったが、安堵が訪れた。
誤報では?と訝しむ声もあった。狼少年と言われるかもしれないが、このように正しい情報をもとに早め早めに情報を投げてくれるのは本当にありがたい。自分自身、常に意識は持っているつもりだが、まさに「備えあれば憂いなし」だろう。
さてコロナである。東京都の一日の感染者が367名となり、全国で1,200名なのだそうだ。僕はほぼ外出をすることは無いし、外食もまったくしていないのだが、そのような状況であってもなお怖いと感じている。これは、過剰反応なのだろうか。
第二波対策として、東京都では「感染拡大特別警報」営業時間短縮の要請を出されたようだ。医療と経済というふたつの課題を抱えたジレンマ。世界中がそんな究極の選択の場に置かれて既に4、5ヶ月になる。この先の行動をどう考えていくか。
たしかに、早く多くのアミーゴに会いたい、あのお店に食べに行きたいと思う気持ちと、感染させる/してしまうのではないかという恐怖もある。誰かが話していた「コロナウイルスは夏休みを取らない」。この言葉が今リフレインしている。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

見方や見る角度が違えば。

サッカーを楽しむこと。そんな日々が戻ってきて嬉しいがそれは感染の拡大に結びつく可能性もあることを理解しておかなければならない。以前からも書いているがどちらが正しいかを決められない場合、人それぞれの物事の見方は違うのが当たり前だ。
最近「勝手にセレッソdeレゴ®︎シリアスプレイ®︎」という作品をInstagramに投稿している。セレッソ大阪の試合のハイライトシーンをレゴブロックで再現することを目的としている。これだけだと、ただの「作るの下手っぴ」を晒しているようなものだ。
そこはレゴ®シリアスプレイ®らしくいかなければならない。実のところこの作品は5分という製作時間を設定してワークしている。当然のことながらほとんど感覚で作っているので、シーンとして若干リアルとはかけ離れたものになってしまう場合もある。

だがそれがいい。その直感から作られた作品を見ても何かが生まれる気がする。例えば今回の作品。第7節サガン鳥栖戦のアディショナルタイム。元々は松田陸選手の身体を張ったディフェンスを作ったが、よくよく見ると身体を投げ出す二人に目が行く。
印象的なプレーひとつとっても、見方や見る角度が違えば捉え方も変わってくる。インパクトのあるシーンの取捨ひとつ取ってもそれは言える。なぜ坂元達裕選手のゴールではないのか、とか。その違いを見つけていく道筋を作るのも僕の役目だと思う。
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「君子は豹変す」。

元来、チームが変わる要素はいくつかあって、そのうちのひとつに「トップの交代」がある。特に精神的な面というかメンタルに変化が生まれやすいと感じる。思い切ったこのアクションによって、その効果がすぐに表れてくる選手たちもいる。
思い出すのは今から23年前の1997年。中央アジア二連戦。その真っ只中で日本代表監督が代わるという危機的状況。監督が代われば戦い方も当然変わる。ウズベキスタン戦でトップ下のスタートに立ったのは中田英寿さんではなく森島寛晃さん。
そんな過去の思い出に浸りたかったのではなく、今日のカマタマーレ讃岐戦の戦いについて書きたかった。途中から試合を見たが最後の最後まで走り抜いた姿は、前節までに見られなかった姿でもあったなとモニタ越しには感じることができた。
やはり、仕事でも流れを変えるのは、どんなときでも人によってもたらされるといっても過言では無い。今回に留まらず、監督交代で何度も何度も苦い経験をしてきた。J3とはいえ育成チームだとはいえ、戦う姿勢が重要だなと見ていて感じた。
企業や組織でのカンフル剤という言葉が浮かび上がってきた。どっちが良くてどっちが悪いなど言いたいわけでは無いが、勝負の世界の厳しさはビジネスもサッカーも本質は同じ。最後の最後まで走り抜くこと。諦めたらそこで「試合終了」だ。
「君子は豹変す」なんか良い言葉だ。徳の高い人は過ちに気づいたときにそれを改めて、正しい道に戻っていく。そして状況によって考えを急に変えていくものだ。駄目なときには思い切って何かを変える。人にとって大事なのは変化のようだ。
決定機を外したものの、ウズベキスタン戦でトップ下のポジションを奪ったかに見えた森島さんだったが、交代で出場した中田英寿さんの鬼気迫るプレーぶり。タシケントのスタジアムでその姿を見て正直震えた。監督が代われば選手も変わる。
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時代劇だと思えばいい。

ご存知の方も多いが、大阪市大正区には「昭和山」という標高33メートルの小高い山がある。我が実家からわずか徒歩1分という近い場所に、自然たっぷりの環境が存在していることに併せて、その名の通り昭和な少年時代をこの場所で過ごした。
コロナ禍でテレビと読書の時間が圧倒的に増えている。100冊読破することを目的としている後者はともかく、映画、ドラマの量が半端ないって、という感がある。時間が余りあるわけでもないのだが、この時期に見れるだけ見ておきたいと思う。
そのなかでも非常に興味があるのが、7年ぶりとなるあのドラマの賛否だ。銀行マンの下克上を見るために前回は40%越えという驚異の視聴率を叩き出したこのドラマ。今回は証券マン。巷では様々な議論も巻き起こしている。それが「古さ」。
僕はこの「古さ」を見るためだけにこの番組を録画していると言っていい。ただ、古いといっても昭和まで遡ることはなさそうだ(だいたい昭和はまだ働いていない)。ハラスメントに近い数々の言動と疑問符がいくつも付きそうな内部統制。
居酒屋では大声でペラペラ内部事情を話したり、お客様の前で子会社を恫喝。こんなことが本当に起こっていたらこの会社はどうなってしまうのだろうかと、いうギャップをこのドラマでは楽しんでいるのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
事実は小説より奇なり。いや、事実はドラマより奇なり。そう自分自身に置き換えて考えていこうと思わされるドラマでもある。そんな方が多いからこそ、このドラマの視聴率が良い理由だろうか。決め台詞が見たいだけではどうも無さそうだ。
そう。時代劇だと思えばいいのだ。今の時代に合う合わないなどという言葉を、流石に「暴れん坊な将軍」や「幕末の風雲児」に向かっては言わないだろう。僕はそう思いながらこのドラマを見ている。または昭和や平成初期のあの熱さでもいい。
僕はこの昭和、バブルそして平成元年からの5年間に非常にノスタルジーを感じてしまう。Jリーグもその間に生まれたが、時間が流れるのが実にゆったりだった。先日もそんな話をしたのを思い出す。お相手は二十代女子。実に退屈だったろう。
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