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この時代に必要な存在について。

セレッソ大阪にゆかりのある選手たちが国家代表としてプレイする姿を見ると、感極まってしまうのは今に始まったことではない。綺麗すぎる言葉かもしれないが「共に戦ってきた」からこその感情であり、これはファンに与えられたご褒美だ。 先週から今週にかけての各カテゴリーの代表戦を見た。坂元選手と瀬古選手は言うまでもないが、桜なでしこから巣立っていった林選手、宝田選手そして北村選手の遜色の無い戦いに、これまでの育成は決して間違ってなかったのだなと感じる。 もちろん、組織である以上、諸々の事情はつきものである。避けて通れない「しがらみ」なんてものもまとわりついてくる。ファンの言葉の責任の有無を求めるのはナンセンスであると同時に、言葉と行動が責任を作っていくことも多々、ある。 木曜日にも話したが、クラブが誕生して27年以上経って、まだこんな形で分かり合えない部分が多いことに考えさせられる。たしかに二十年前くらいにはお互いがまだまだ未熟で、感情のぶつかり合いが、クラブだけでなく選手にも及んでいた。 このコロナ禍だから、というわけでは無いだろうが、いま言葉と感情のやりとりをできないもどかしさに苛まれる。これまでに何人も、クラブと僕らのあいだを取り持ってくれる方がいた。この時代に必要な存在として、重要ではないだろうか。 まあ、そういう方は、いつの時代も、何かの力が働いて、我が家からいなくなってしまうのだが。コロナが落ち着いたなら、そんな方々に会うための旅に出たい気持ちになってきた。過去を振り返るばかりでは駄目だろうが、温故知新でもある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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継続は力なり。

トーマス・エジソンの言葉だったか「人間の一番の弱点は諦めてしまうところだ」に近いものがあったと記憶している。個人的にも飽きっぽさが身体の中を充満しているB型人間としては心と耳が痛い。「諦めたらそこで試合終了」でもあるのだ。 ラストチャンスをもらった形のジャマイカ戦は相応の姿を見せてくれた。結果は結果。どうなるかだけが人生でも無い。諦めずに戦い続けるだけの場面で、最後の最後まで堂々としたプレイ。「人事を尽くして天命を待つ」とはまさにこのこと。 そして、たとえ選ばれなかったとしても我らの誇りであることには変わりは無いし、選ばれたならば思う存分楽しんでもらいたいと思っている。それと同時に、ここが終わりなどではなく、継続していくこと。それこそが一番大事な部分だ。 話は変わるが、天皇杯では久々の複数得点での勝利となった。たしかにカテゴリが違うので一概に喜べないのだが、これから迎えるアジアの戦いに向けての重要だと位置付けていたので素直に嬉しい。桜スタジアムの景観にも少々感動している。 無観客試合だったからこそスタジアム近辺の風景が映える。先週木曜日のウダウダでもサクラホリックやオイト(なんで両方ともカタカナ)の話題になったが、あの場所にあることの意味や意義や重要性が、なんとなくではあるが分かってきた。 フル代表、U-24、なでしこ、そしてセレッソ大阪。毎週の話題に事欠かない状況が、ウダウダの継続を産んでくれる。継続は力なり。諦めずに続けていくことこそすべて。さて、いつまで回を重ねていくのか。それは誰にも分からないことだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

感情。

天皇杯やアジアでの戦いがあるにしても、セレッソ大阪にとってのJリーグの試合が無いと、かなりの割合で退屈になってしまう。スポーツ選手同様にサポーターは感情の生き物。気持ちの整理をしながらクラブの行く末などを考えたりしている。 このようなコロナ禍ではなかなか思い通りに時間が作れないのが本当に辛い(色々とお断りしてしまったので申し訳なく思っています)。気持ちの整理という、とてもあいまいでデリケートな思いも持ちつつ、いくつかのワークをこなしている。 そのひとつがTシャツのプロトタイピングでもある。あまりに何も考えずに感覚的に作るので、 すべての方に満足していただくことはまず叶わないだろう。 いつもいつのときもそうだが「自分が着たい」という感情に従って、作ってしまうのだ。 ただの人間なので、その結果、失敗作が出来上がったりもする。しかしながら、失敗があるからこそ次につながるのだとも思う。感情のコントロールは、人間として生きていくうえで避けては通れない道。だから様々な感情を受け入れていく。 そんななか チャリティーマッチとはいえ 坂元達裕選手が日本代表デビューした。結果はともかく17番を背負った彼がこの場にいたこと、それこそが本当に嬉しい。願わくば前回共に辞退することになった原川力選手もいれば二重の満足だったが。 U-24含めて(もっと下のカテゴリーもだろうけれど)彼のポジションは激戦区でもある。日本代表に定着するには更なる成長が必要となってくる。そして逆に、日本代表で多くを吸収して、セレッソ大阪に還元してくれることを切に願っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第17節 ベガルタ仙台戦。

僕はカップラーメンが好きだ。年齢のせいか最近では量は減ってきたものの、コロナ禍で家にこもることが多くなった今、お昼ご飯としては最適でもある。身体に悪いとの話もあるだろうが、この好き感は、それらを超越しているかもしれない。 さて、仙台戦である。チアゴ選手、ダンクレー選手、瀬古選手による3バックと、原川選手の1アンカーのスタートメンバーを見て少々驚いた。監督としてもいよいよと言った感があるが、交替メンバー含めて見ても、即席感が否めないのも事実。 それでも、改めてひとりひとりの能力は高いなと感じると同時に、個々の選手は勢いを取り戻しつつ(と言ってもわずかばかりの)ある。だからこそここでいくつかのインターバルが取れるのは、チームにとってとてもありがたいことだと思う。 先日のSpaceでも話したが、今、監督が替わるのは好ましくないと僕は感じる。サポーターにも個性があり、考え方がそれぞれ違うのも当たり前なのだ。スタジアムで対話することがなかなか難しい時代だからこそ、多くの考えが出てきていい。 しかしながらその部分だけは即席では上手くいかないだろう。考え方や思想の違いをもっともっと共有して、対話を繰り返すことの重要性。サポーター同士はもちろん、監督と選手、選手と選手そしてサポーター。お湯を入れて3分ではできない。 話は戻るが、どんなカップラーメンが好きかというと、わかめラーメン、チキンラーメン、サッポロ一番塩ラーメン。やはり、カップラーメンもサッカーも、よりシンプルで分かりやすいなもののほうが好みなのである。後入れはとても難しい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第16節 鹿島アントラーズ戦。

今年もこの日がやってきた。毎年のことではあるのだが、思い出す内容が少しずつ少しずつ減ってきている感もある。だからと言って綺麗さっぱり捨て去っていいものでもない。セレッソ大阪に関わる方々にとって非常に価値のある一日なのだ。 2000年5月27日から21年経つ、その前日に、鹿島アントラーズとのアウェイゲームが行なわれた。結果はもちろんご存知の通り。もうしばらくのあいだサポーターにとっては、なかなか(相当?)上手くいかないなと感じる試合が続いている。 選手もかなりフラストレーションが溜まっているのが見て取れる。また周辺でも、クラブや選手のSNSなどを拝見するだけで、なんとも言えない気持ちの葛藤が大きくなってくる。こればかりは時間が解決してくれるとはとても思えない状況だ。 勝てなくなると湧き上がる感情とは少しニュアンスが違っている。「怒り」などというよりはどちらかと言うと「寂しさ」とか「哀しさ」に限りなく近い。選手にもファンにもそしてサポーターに対しても「寂しさ」「哀しさ」を感じてしまう。 もちろんこの四年間で高く積み上げたレゴブロックが音を立てて崩れるのにどことなく似ている。だが、それ以上に寂しいのは、クラブの感情がまったく見えてこないこと。そこに本当の「寂しさ」が見え隠れしているような気がしてならない。 今日のspaceは果たしてどんな感情に包まれるのだろう。時間はあるようでそれほど残されていないような思いのほうが大きい。今やれること。根本的なことや将来のこと。ひとりひとり感じ方も違うだろうから。悲観的にはなりたくはないけど。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第15節 サンフレッチェ広島戦。

今日で長居スタジアムとしばしのお別れとなる。どの試合が思い出に残っているかと問われたところですべてが過去であり、常に未来を見据えていたいと言ったら、綺麗事だと言われるだろうか。共に過ごした日々はまさに「悲喜交交」だった。 クラブにおけるサポーターの存在は、偉大だ。どんなことがあろうとも惜しみなくクラブを愛し続け、ときには叱咤激励し、ともに笑い、ともに泣く。クラブが過ちを犯したとしても、繰り返し繰り返し裏切られたとしても、愛は、止めどない。 だから、長居スタジアムで起こった数々の出来事は、質量ともに自分自身への影響がとてつもなく大きい。そしてそれは、サポーターだからこそであり、人生の生活の大半を捧げているからこそ、そのような、多くの感情で溢れ返っているのだ。 その記念の試合でもある広島戦。ほぼほぼ見せ場などなく逆転負けという結果だけが目の前に残った。基本的にこのような記念マッチ的な試合で勝った場面を思い出すことができない。大概見てきてそうなのだから、多分、勝ってはいないはず。 まあそんなメモリアルはともかく、ここ数試合を見ているだけで、二十数年蓄積されてきたストレスと同様の何かを身体の中に溜めつつある。そのストレスがじわじわと全体に染み渡り、最後にはどうしようもない状況に陥りそうな、あれだ。 正直なところ、ここ数年ではあまり感じなかったし、開幕当時もそれこそ若いセンターバックを盛り立てる気持ちのほうが大きかったのでなんとかクリアできていた。しかしながら今は、勝てない勝ちきれない以上のもどかしさを抱えてしまう。 いつも書くことだが、サポーターがスタジアムにいたなら、少なくとも意味不明な失点をいくつかは防ぐ手伝いはできただろうし、90分間戦い続ける闘志を送ることは可能だっただろう。ジャッジよりもリモートマッチに不公平感を強く感じる。 とは言え、勝利から遠ざかっていることに変わりはない。1990年代、2000年代は「三歩進んで二歩下がる(いや四歩も五歩も、のときもあったかな)」の人生だったのを決して忘れてはいない。現代の、幸せな時代だからこその悩みでもある。 何度も書くが、長居スタジアムにおけるサポーターの力は偉大だった。たとえクラップだけだったとしても、選手に伝えられない辛さを、今サポーターは経験し、クラブはその力を評価できなかったのだろう。それほど、僕らは、強くないのだ

第14節 ヴィッセル神戸戦。

いつも思うのだが、時間の使い方ひとつで人生が良くも悪くも変わる。いつも思わされる。上手く使うことばかり考えるのではなく、大事に時間を活用するのが実に肝要だ。一分一秒を大事にしなければならないが、人は忘れる生き物でもある。 先日、ある新入社員の方に向けてプレゼンを行なうため、ドキュメントを作成していた。その際にたまたま1993年のこと(ちょうど彼らと同じくらいのときでもある)を振り返って懐かしんでいたのだった。そこで、あの5月15日と出くわした。 あの日あの時の思い出が蘇ってくる。そこにはもちろんセレッソ大阪はいない(実際にセレッソ大阪と出会うのは、その二ヶ月くらい先になる)。そんなJリーグ誕生から28年経った今日に試合が行なわれる意味や意義。噛み締めて生きている。 Jリーグの誕生日に、というか、何かの記念日には必ずと言っていいほど、なんとも言えない試合をしてしまうのがセレッソ大阪だ。それがデフォルトだと思えば良いのだろうが、結局、歴史の中からは何も学んでいないのだろうと感じてしまう。 いくつもの「タラレバ」もあった。毎回書くし、毎回どこかで話しているが、こういうときにサポーターとしてスタジアムに居られないのが、本当にもどかしい、と思うシーズンが続いている。歴史をつなげる一分一秒が、やっぱり大事なのだな。 あと何度同じような場面に遭遇したら耐えうる力が我々に宿るのだろう。それともいつまでも同様の葛藤に悩まされるのだろうか。まだ28年されど28年。時間の問題だけではなく、Jリーグとは死ぬまで付き合うつもりなのだろう。頭も身体も。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP