スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

第13節 名古屋グランパス戦。

最近、左足の膝に違和感を感じたりすることがある。毎日夜間に黒いワンコと緑道を走っていたのだが、最近では歩くだけになってしまっている。怪我は、最初のうちは違和感のレベルで始まり、気づいたときには大ごとになることもしばしば。 サッカー選手ともなれば、日常的に怪我と付き合っていくことになる。「人間万事塞翁が馬」という言葉もある。いつそれが訪れるのか誰にも分からない。分かっているのは唯一、自分の行ないなのかもしれない。今ではそう思ったりしている。 名古屋戦は、ある意味、想定した通りの試合展開で、想定した通りの得点差で、想定した通りの結果に終わった。お互いそれほどの差は無いと思うが、前二戦の辛い敗戦から抜け出そうとする相手チームの気持ちの面のほうが上回った感がある。 それは決してガッツポーズとかだけではなく、クラブ、選手そしてサポーターの内面の強さに見えた。我らが駄目なのではなく、彼らが気持ちを見せたと、個人的には思っている。もう一度、彼らを上回る内面の強さを作っていかねばならない。 久々にTシャツのデザインなどしてみた。ふと降りてきたアイデアを形にしていくと、今までの自分に無いようなものが出来上がった。変わらないものと、変わってはいけないものと、変わっていく必要のあるもの。大ごとになる前に気づくべき。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
最近の投稿

第12節 大阪ダービーマッチ。

いまだにスコアレスドローで終えたことがないらしい。戦績では水を開けれられてはいるものの、100年構想で考えればまだ1/4程度でもある。世界に数多く存在しているが、大阪の2クラブによる戦いは既に文化となっているのではないだろうか。 その大阪ダービーマッチはドローで終わった。いや、終わってしまったというべきか。もちろんハンドの判定などについて語る気もないし、個々の選手のプレーも同様。それらを超越して勝ち点3を手に入れるのが、ダービーマッチというものだ。 昨年の第二節での吹田アウェイゲームでも感じたが、ファンやサポーターのいないダービーマッチほど寂しいものはない。やはり両ゴール裏の、お互いの気持ちと気持ちがぶつかるあの瞬間こそが生き甲斐だ。今ここに生きている、と言えるのだ。 日本各地にはダービーマッチがたくさんあるけれど、どこの誰が見ても最高のダービーマッチであると自負する。これからの大阪には多分いくつものJリーグクラブが誕生するのだろうが、大阪ダービーマッチと言えば未来永劫このカードなのだ。 そんな環境に存在できるのがありがたいと思うと同時に、重責に押しつぶされそうになるのはどちらのクラブも同じだろう。特にホームゲームともなると、積まれるものは倍々と膨れ上がっていくのだ。楽しみでもあり、プレッシャーでもある。 無観客試合の影響はホームゲームに出やすいという噂も耳にした。払拭する意味でも、バックスタンドに広がる桜色がモニタ越しにも圧巻だった。長居や鶴ヶ丘周辺のお店の方々も、最大限の力でこのダービーマッチを戦い続けたと聞いている。 時間が経てば記憶も薄れていく。しかしながらこのような一試合一試合が我らの血や肉となるはずだ。Clubhouseでも話したダービーマッチの重みを改めて考えるゲーム。怪我の選手は心配だが、反攻に出る体制は整いつつある。前進あるのみ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

大阪ダービーマッチとはなにか。

誕生してから初めて無観客でのダービーマッチを戦ったのがちょうど一年前。改めてこの試合の重みを感じる瞬間を迎えようとしている。その結果、神聖なる思し召しを得るのか、血に塗れた屍となり地に這いつくばるのか。誰も分からない。 ダービーマッチとはなにか。それは、その街の覇権を争うだけのものにあらず。我らが持つべきものは、大量のプライドとわずかばかりの運。ダービーマッチとはなにか。それは、我らに与えられた、至極のコロッセウムにおける魂のやり取り。 少しだけ時間旅行をする。それまでの成績などにかかわらず織り交ぜられ、そのダービーマッチの結果は次の作用を生み出す。二十六年前のあの日からなにひとつ変わらない化学反応が今もこのつながりの中に潜んでおり、そしてもがき続ける。 ダービーマッチは心の起伏。大阪というこの例えようのない劇場で選手たちは戦い、観客という観客が与えられた時間の分だけ狂喜乱舞する。時代は変わろうとも、世代が変わろうとも変わらないものは唯一無二。それが大阪ダービーマッチ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

なぜ懲りもせずにTシャツを作り続けるのか。

ビジネスとプライベートを同じプラットフォームで管理することに抵抗のある方が多いと聞く。僕の場合、別個に存在していることのほうが逆に気の持ちようが悪い。人生には一本道しか無いと思っているし、これからもそうだとも感じている。 だが、趣味は趣味、仕事は仕事であって、好きなことを生業にするのは正しいか否かを考える時間もことのほか多い。まあ大半の生きかたには、そんなことを意識して行なえるはずも無く、淡々とした毎日を送り続けるのがせいぜいなのだろう。 楽しみとしての領域では、まず自分が思った通りを実践してみて、周りの方々が同意してくれるのか理解してくれるのか、で判断する。しかしながら、昨今のビジネスにおいては当然のことだが、お客様そして利用者の目線が一番になってくる。 Tシャツ、Tシャツのデザインなんてものもその典型かもしれない。まずは自分自身が「着たい」と思わない限り、作る価値が無い。売れるか売れないかは二の次でやはり己の欲望が先に立ってしまうのが一番。そういった観点を意識している。 ここ数年というか、どのクラブでも2010年くらいからのスタジアムを見ていても、ユニフォーム姿のサポーターが圧倒的に増えた。素晴らしいなと純粋に思うし、逆の意味で捉えると、それだけ豊かになっているという証でもあるように思える。 サポーターになる時点でなんでも揃えられるものは揃えてしまえるほどの生活水準になっている。その昔はサポーターなりたての子たちに、持っているTシャツをプレゼントしたりしていた。着古したものにも、それ相応のステータスがあった。 時代も変わり、人の生活も変わり、そしてサッカーとの関わりかたも変わっていっている。改めてこのステータスというキーワードを考える時が来ている気がする。すべてが空中戦で事足りる昨今に、勝負の縦パスみたく打ち込む楔のように。 あの頃が良かったとか今に苦言を呈するとかではなく「この時代だからこそ」のTシャツを作り続けたいとも思う。昔のキャッチフレーズを思い出してしまった。「いつも心にREALを」。間違いなくこれからもTシャツを作り続けるのだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第10節 浦和レッズ戦。

駄ブログを毎日書かなくなったからといって時間が作れたか、というとそうでもない。人間は「24時間」をなんとなく過ごしている生き物なのだと改めて気付かされた。とは言え、こんな体たらくは僕だけだろうとも思える。恥ずかしいほどに。 そんななかで何度目だろうかの緊急事態宣言が発出されそうだ。去年の夏に冠婚葬祭で帰阪した以外はまったく帰っていないのだが、人は馴れてしまう生き物でもあるのだ。元来のインドア派の本領が発揮されていると言っても、過言では無い。 さて、浦和レッズ戦である。ここ数試合、勝てていないことに加えて相手は連勝中。スタジアムの入場もかなりの人数制限が行なわれている状況下での厳しいゲームは、なんとか最小得点差で勝つことができた。実に、勝ちに不思議の勝ちあり。 一番気にして見ていたのが西尾選手だった。前の試合(これだけ"節"がぐちゃぐちゃになっていたら、"前節"て呼べないな)のプレイもあったし。まだまだ若いから、という言葉を含め、サポーターの声が選手を勇気付けているのは間違いない。 セレッソ大阪のサポーターだけでなく、各クラブのサポーターの方々は、自分たちの選手を勇気付けることにすべてを賭けている。伝わるか伝わらないかではなく、自分自身がサポーターとして選手にどうしたいのかを本当に考えて動いている。 過去には、選手との関係にギクシャクすることもあるにはあった。今のこの多様性の時代においては、選手たちへのリスペクト、クラブに対してのリスペクト、相手チームへのリスペクト、そして共に戦うサポーターにリスペクト。それが重要。 リスペクトしているサポーターの方々のニュースを見るたびに 選手とサポーター、クラブとサポーターの関係を、今一度見つめ直す時期なのかもしれないな、と思ったりする。人と会えない分、人のことを考える時間が増えた。不思議なほどに。 勝ちには不思議はあるが、負けには理由が存在する。要はその瞬間に気付けるか否か。その点で言えば西尾選手は気付きそしてこの勝利に結びつけた。多くの大人が彼から学んだことだ。関係性には、上下なんてものはそれほど意味を持たない。 リスペクトとはre(再び)とspect(見る)からなる言葉だそうだ。そういう意味だと「尊敬」よりもどちらかと言えば「尊重」に近いらしい。クラブとも選手ともそしてサポーターとも、

第18節 徳島ヴォルティス戦。

個人ひとりひとりの小さなミスによって起こるケースと組織全体の問題によって招き入れるケースの二通りが存在する。明らかな過失はともかくとして、大半は「しくみ」が成り立っていないときにこそ、ヒヤリハットはインシデントに変わる。 ビジネスだろうがサッカーだろうが、どのような組織であっても同様。そういう意味において徳島ヴォルティス戦は、1-2という点差以上にチームとしての「差」がついていたことを実感できる。最後のシーンなどはその「おまけ」かもしれない。 それよりも非常に気になったのは(Clubhouseでも話したのだけれど)オウンゴール後そして試合終了後の静けさだった。もちろんコロナ禍で応援スタイルが限定されているのは致し方ないのだが、「クラップ」オンリーだけでは表現は難しい。 ここ数試合、サポーターの存在が重要であると感じてしまう場面が少なくない。「サポーターの声」そのものが選手のためになっているのか否かの議論はこの先もずっと続くのだろう。だが良くも悪くも「無くてはならない」存在であるはずだ。 そんなことを今、この瞬間に考えている自分がいる。スタジアムに行くのもままならない状況で、現状を早く脱することができれば良いのだが、なかなか。しばらくはクラブの力に頼るしかないのが実情でもある。新たな策を期待して待っている。 そういやヒヤリハットとインシデントの話に戻る。「ハインリッヒの法則」は、ひとつの重大な事故の元には29の軽微な事故があり、その前に300ものヒヤリハットが存在すると言われている。クラブが兆候を見逃さないことを心から祈っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第9節 アビスパ福岡戦。

ついに東京も「新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置」の適用が決まったようだ。大阪を含めすでに始まっている地域もあり、この先どのように変わっていくのか。飲食店を中心に、まだまだ余談を許さない状況は続いていくだろう。 そんなさなか、アジアチャンピオンズリーグの関係もあり試合日程がかなり動いた。セレッソ大阪としてはここからホーム四連戦となる。そのスタートがアビスパ福岡戦。なんとか勝ち点を稼ぎたいと思っていたものの、そうは問屋が卸さない。 率直に「あの頃のセレッソ大阪が戻ってきた」という感覚だけでは収まりきらない。試合の締めかたにサポーターが関与できていたら、もうちょっと違った結末にはなったのだろう。サポーターの声の力はそういう場面で発揮されるものなのだ。 終了間際の失点が多くなっているのも、監督や選手だけの問題ではない。サポーター含めたチームが一体になった試合になっていたなら防げる可能性もある。型にはまったものだけでは片付けられないサポーターの声の力。なにより重要だろう。 勝ち点2を失ったのは間違いない。とは言え二つのゴールは、未来を見せてくれるものとしては上物であったことも間違いない。一人多いからと言って、すべての試合が自分たちに都合良く思い通りに行くわけが無い。あと三試合が見ものである。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP