スキップしてメイン コンテンツに移動

第30節 鹿島アントラーズ戦。

チームとして非常に厳しい期間を経て強くなるのは常である。これはまさに結束とか気持ちの面が非常に大きい。監督交代下での怒涛の十三連戦というなかで、培ったもの失ったものが生まれること、さもありなん。ここからは本当の再出発だ。

さて当の鹿島アントラーズ戦。2011年のあの試合以来ホームでは勝てないどころか引き分けすらない状況。いちチームとの勝ち負けや結果だけにこだわるわけではないとはいえ、非常に不名誉な結果であることを認識しておかなければならない。

もちろんリーグにおいての結果はある程度見えてきた。その中での次節の戦い方、そして先に控えるルヴァンカップに向けての動向が気になる。負け試合の完敗さ加減が気になるところではある。そこで次のステージに向かうために何をするか。

緊急事態宣言が明け、サッカーとの関わり方にも変化が訪れるだろう。立って応援することができるようになり、先日のウダウダ内でもあったように、声の制限も条件付きで緩和されていくことなるかもしれない。サポーターの力が必要になる。

試合後にセレッソ大阪のことを真剣に考えているサポーターの方々とオンラインでミーティングを行なった。中身については割愛するが、今日明日の話だけでなく、このクラブの将来のことについて様々な意見交換をさせていただいたのだった。

そこでも話したが、いまこそゴール裏(とあえて言いたい)のサポーターが一枚岩となってこの難題に真剣に取り組むべきだと感じている。できることは必ずあるし、その方法は無数に存在する。それらを話し合って、つなげていく必要がある。

その刹那、2008年のときに行なった「ある行動」について思い出していた。多くの関係者にもお手間や迷惑をかけてしまっていたことを再認識した。だが、この先走るかのような行動に後悔はないし、少なくとも礎にはなったと確信している。

あるセレッソの御大に相談をしてみた。やはり最後は自分自身の「感情と行動の一致」にかかってくるのだなと感じる機会となった。感情が先で行動が後(中枢起源説)か、はたまた逆(末端起源説)かは関係なく、まず動きだすことの重要性。

とは言えあれから十三年。「ある行動」への御礼を改めてしたいと考えながら、ダラダラと日々を過ごしてしまっている。歳を取れば取るほど臆病さが増えていくのも人。若気の至りとまでは言えないが、気持ちの昂りは形にしたほうが、いい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「世界のいまを伝えたい」を読んで。

昨日クロアチア料理の「Dobro」に行った話を書いたが、その際、僕らがクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに対して支援をしていたことなどについてスタッフさんと少し話をした。写真で見るクロアチアの風景を見て、様々起こった出来事などを思い出したりした。 それにしても僕は幸せ者である。前述のボランティアを通じて多くの素晴らしい方と巡り合うことができた。それなのに中々恩返しができていないのも事実であり、自分自身を恥ずかしく思うときもある。そんな毎日ではあるが少しでもお役に立っていきたいと考えている。 そんななか、ようやくと言っていいくらいではある(本当にごめんなさい)のだがこの本を読んだ。フォトジャーナリストでアミーゴの久保田弘信さんと出会ったのはちょうど10年前(虎舞竜ではなく)のコソボ共和国大使館によるパーティの二次会が行なわれた居酒屋だった。 今でも覚えている。翌日健康診断を控えていた僕はご飯も酒も取れないなかこの二次会に参加し、そこで久保田さんと初めてお会いした。この本にも書かれている通り、戦場で生きる方々の生活を映し出している様を目の当たりにし、感動以上の感情が見つからなかったのだ。 その後も講演会や上映会、自宅などにも招待いただいたりして親交を深めていくたびに、「いやあ本当に凄い人なんだな」という気持ちばかりが大きくなっていった。また、海外で撮られた写真をいただいたりと感謝しても足りないくらいのものをいつも貰ってきた気がする。 「世界のいまを伝えたい」を読了した今、改めて久保田弘信さんという人物の素晴らしさに魅了されると共に、いつも仲良くしてくださっていることに嬉しい気持ちでいっぱいになってくる。最近はなかなか都合がつかず会えていないが、とても近くにいる、そんな気持ちだ。 書籍の中身については他に譲るのだが、”フォトジャーナリスト久保田弘信”という人物像がこの本の中で余すところなく描かれていて、実に人間味が溢れるものであることだけはどうしても言っておきたい。なぜそこへ行くのか、なぜそれを伝えるのか。まさに心を震えさせる。 アフガニスタン、イラク、シリア、そして。その中で生きていくことの困難さと儚さ。苦労されている難民の方々。愛くるしい笑顔を見せる子どもたち。サラエボで見たあの戦争の爪痕を思い出してしまった。多くの方にこの本を手にとって...