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12月, 2020の投稿を表示しています

新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「セレッソイズマイライフ」。

激動の一年が終わろうとしている。そんな朝に素敵な月を見上げながらワンコと一緒にテクテクと遊歩道を散歩する。大晦日だけあってとても静かな風景。それもそのはず。六時だ。僕は歩きながらこの2020年という壮絶なストーリーを思う。 この一年、毎日この駄ブログを書き続けることを目標としてスタートした。何度も挫けそうになったり、どうしても筆が進まず日を越えてしまったときもあるにはあったが、この投稿でようやく肩の荷が降りる。まずは自分自身に感謝したい。 今年は、桜スタジアム建設に併せて鶴ヶ丘周辺を盛り上げるべく「F.C.OITOプロジェクト」をスタートさせた。大人になるたびに思い返す、フットボールの文化、書籍や映画や美術、そして、大阪の文化を改めて考えていくためのスペース創り。 時間はたっぷりあった。というか、時間の作り方を僕らはこのコロナ禍で学んだ。サッカーなら流れを変えたり、パスコースをたくさん作ったりできたのだが、僕らは、その時間をどこで使えばいいのか、そんな悩みも抱えながらの一年だった。 その分、セレッソ大阪への愛が深まったような気がする。タイムラインを見ていてもそれらが如実に表れていた。若いサポーターの方々が思い思いに新しいことへのチャレンジを行なっているのを見ていて、歳のせいか涙脆くなってしまった。 何度でも言おう。たかがサッカー、たかがセレッソ、ではない。そして、それらはもう人生の一部なのではなく、人生そのものなのだ。そう言えばその昔「フットボールイズライフ」という名のブログを書いていた方のことを、ふと思い出した。 なかなか人と会うことができず、特に若いサポーターの方々と話がしたい想いが高まっている。時の進みはことのほか速く、残された時間はまだまだ未知数だ。だからこそ今「フットボールイズマイライフ」「セレッソイズマイライフ」なのだ。 そう思いながら公園に辿り着くと、いつものように大先輩方々が朝のラジオ体操に励んでいる。そして無事終わると仲間と二言三言話しをして家路に着く。人生はひとりでは成立しないのだ。そこには必ず仲間が存在する。やはり常に学びの場。 今年一年本当にありがとうございました。2021年のブログはゆるゆると思い立ったときに書いていきたいと思います。どうしようもない駄文ではありますが、引き続き御教授、御鞭撻、そしてご愛顧賜れば幸いです。どうぞ宜しくお願いし

レゴ®シリアスプレイ®と付き合って再認識したこと。

昨日、壮絶だった本年の最後(だと思う)を締め括るであろう、レゴ®︎シリアスプレイ®︎の認定ファシリテーターによる勉強会に参加した。この方々は本当にアクティブでありポジティブであり、まさに僕の真逆を歩まれている素晴らしき仲間だ。 そのなかで、いつもお世話になっている御方からの気になっていたプレゼンテーション内容に、とてつもなく感動してしまった自分がいる。レゴ®︎シリアスプレイ®︎という生き物との関わりというか付き合い方というか、そんなものを再認識した。 見誤らないで欲しい。レゴ®︎シリアスプレイ®︎ワークショップは決して勉強会や研修ではない。組織のリアルそのものなのだ。ひとりひとりの「気付き」や、そこから生まれてくる「言葉」は、学びのなかから生まれてくる真実を炙り出していく。 だから、レゴ®︎シリアスプレイ®︎においては、経営者やリーダー、上司も、そのワークの輪に自ら率先して入り、そして、メンバーやスタッフとともに「気付き」と「言葉」を見つける必要がある。そうでなければ、絶対に本質には辿り着けない。 何度でも言う。言葉は作られるのではなく生まれてくるのだ。作品と作品によるふれあいのなかから誕生する瞬間を、外野から眺めているのなんて実に勿体ない。同じ目線で語り合う。そう。100−100という環境こそが大事であり、重要なのだ。 今年はワークショップの開催もままならず、同時に、レゴ®︎シリアスプレイ®︎による、日本を世界を巡る旅にも出られなかった。だが、改めて自分のなかでの、このメソッドの方向性なんてものを見つめ直す時間も取れたのは、間違いのない事実。 ポストコロナに対応するべく、様々な設計も整いつつある。これからも、さらに学びの機会を経て、クライアントに真実と本質への道筋を届けたいと思っている。その先には、生きる支えになっていたサッカー界にも「恩返し」したいところだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP タイトル「僕の動機」

本との付き合い方。

調子が良くないので、ひたすら読書三昧。面白い本に出会うと心が躍る。逆に、読み始めたことを後悔する本もあるにはある。読み続ければ楽しくなってくるのか、それとも、ここで一旦区切りを付けるのか。本との付き合い方は人それぞれだ。 思い出したかのように応募していた星新一賞。三次合格者のなかに僕の作品名は存在しなかった。当たり前と言えば当たり前である。しかしながら僕の星新一賞との付き合い方は「書きたいものを書く」でもある。ぜひ楽しんで書いていきたい。 いい加減だけどいい加減じゃない。五十年生きてきて辿り着いた思考と行動。分かってもらおうとも思わないが、見る人から見たら自由すぎて嫉妬されたり、ふざけていると受け取られたりする。だが、至って真剣にいい加減を生きているのだ。 セレッソ大阪サポーターのなかにも強烈な個性が多く存在する。群れることを嫌う人もいれば、グループだからこそ輝く人もいる。同じじゃなくて良いじゃないか。ひとりひとりのパーソナリティが活かされる、そんな組織であっていいと思う。 世界にひとつだけのフラワー的なオンリーワン戦略はそれほど好みじゃないが、人の個性というものはそれはそれで良いのかな、と僕は思う。そして、その個性を認め合うことができれば、これ以上の素晴らしき出来事は世の中には存在しない。 最近はそのような尊敬する方々のノンフィクションと付き合う毎日でもある。空想の世界やワクワク溢れる小説も良いが、人間模様がはっきりと表れる本を読み続けて(聴き続けて)いる。その時間、日常に嫌気が差すなどという感情は論の外。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 改めて読み直そうと思っている。

ITと上手く付き合う。

ときどき、このまま行くとどうなるのか、この世の中を歩いていくのがとても不安になることがある。コロナ禍において人と人のつながりの重要度が増したように思うが、個人的にはひとり時間が多くなり、より自分らしさが出たように感じる。 この不安のなかには、GAFAを中心としたITによって多くの変化が存在している。過度なソーシャルネットワーク、怪しげなレビューなどに惑わされないように生きているつもりでも、ふとした瞬間には、その内側にどっぷり使ってしまっている。 去る12月14日に発生したGoogleの障害。日本は夜という時間帯でもあり、想定とはまた違った混乱が大きかったように思えたが、自分自身としては相当ゾッとする場面が多かった。Googleへの依存度が高く、このレベルの障害でも致命的だ。 まさにこの依存が厄介だ。代替の手段を持っていないとなるとさらに問題だ。しかもその障害は突然やってくるとなると、対処のしようがなくなってくる。僕らはどのようにして未然に防いだり、万が一、起こっても対応していけるのだろうか。 とは言え、ITとともに生きていかなければならない身体(GAFAだけにとどまらず)になってしまっているのも紛れもない事実だ。だから何とか食らいつく必要があり、僕も類に漏れずに様々調理し、そして召し上がっていくことになるはずだ。 そんななかでGoogleとマンチェスター・シティ主催のサッカーAIコンペで日本人チームが五位に入賞したというニュースを見た。VARもそうだが、人とITの融合が加速する時代にサッカー界もどっぷり浸かっている。万が一、への対応も必要だ。 人間同様に病気もする。ミスも犯す。人間にできることしかできないし、逆に人間を凌駕する領域も年々増えている。だが、ひと度ITが病気になったりミスを犯したりすると、途端に狂気を見せてしまう人間という生き物は、一体何なのだろうか。 ITの世界を30年以上見続けてきて思うのは「上手く付き合う」こと。過度に依存することなく、だからといってふれあいを忘れず。大事なのは、ITも人も「今ここに生きている」のと、「信用はするな信頼しろ」と考えていくことだと僕は思う。 まさにITと人の「相互尊重」だ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

穏やかな元旦を過ごせます。

コロナ禍で読書が増えるかと思っていたのだが、どうも昨年よりも減っている気がする。理由は知る由もないが、やはり他の勉強をすることが多かったからかもしれない。ステイホームだからこそ勉強できたのだから、これはこれでよしとする。 子供の頃から漫画が好きでひたすら読んでいたのだが、大人になるにつれなかなか手を出さなくなっていった。特に週刊誌はまったくと言っていいほど読まなくなった。なので、最近流行りの「漫画→映画」の流れについていけず仕舞いだった。 それと同様に、ステイホームだからこそ、サッカーの試合を多く見ることができた。普段ならスルーしてしまうような他クラブ同士の試合なども、セレッソに在籍していた選手を中心にテレビ観戦するようになった。忙しさにかまけていたのだ。 今日の天皇杯セミファイナルもじっくりと見てしまった。だがこの二試合はまた別の目的も持ちながらでもある。結果としては、欲しいものを手に入れられた。名古屋グランパス、セレッソ大阪両クラブにとっては非常にありがたい試合だった。 資金繰り、チームの総合力含め、アジアで戦うだけの体力は無いという声もあちらこちらから聞こえてくる。僕個人としても不安が無いわけではないのだが、このチャレンジは非常に意義のあることだとも思ったりする。これはもう「魔力」だ。 とは言え、変種等の関係で海外からの入国の問題もあるにはある。どのように動いていくのか流れを見ておきたい。プレーオフが二月になるのか四月になるのかという噂を横目にしつつ、来年のスケジュールを想定し始めた今日という日だった。 2020年シーズンのご褒美的意味合いでもあるお年玉のようなアジアチャンピオンズリーグ。 さすがにアウェイ(セントラルだという話もあるが)に行く夢は果たせないだろうが、 結果としてこうなった以上は真剣に戦い抜く必要があると感じる。 そんな二試合を見ている最中に去る選手、加入する選手のニュースを見る。毎年まるで漫画の世界のような移籍の話が彩ってくれる年末年始。少しでも穏やかに過ごしたいと思うので、元旦決勝を感情を持って見ることも無く、実にありがたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

助走を取ったほうがより遠くへ飛べる。

この年末年始の高校サッカー選手権を見にいくことができなくなってしまった。毎年のようにスタジアムで観戦してきたのだが、2020年、第99回目を迎えたなかでこのような状況は本当に悲しい。テレビでの放送を増やしてくれると嬉しい。 大半はセレッソ大阪に内定している選手を見るための儀式。そして、大半は僕の目の前で敗戦を迎えるという疫病神ぶり(それは予選でも見せつけていく)。今年に限ってはその影響下にはない。選手権は本当に素晴らしい試合の連続なのだ。 そんななか来年行なわれる予定だったU-17、U-20の両ワールドカップが中止となった。これらにはセレッソ大阪所属の選手たちも選ばれる可能性もあったので悲しみが込み上げてくる。若者にとっては本当に非情な結論。何とも言えない気分。 今年一年のスポーツ界は新型コロナウイルスに振り回された。そのなかでも、高校スポーツは特に大変だっただろうなと可哀想だと思ってしまう。しかし、この苦労が報われる日が必ずや来るはずだ。僕はそう祈りながら数々の試合を見ていた。 若者の未来は明るい。だからこそ、今、厳しい局面ではあるが、耐えて、次のステージへと向かう足掛かりにしてほしい。誰かの歌にもあったが、長く助走を取ったほうがより遠くへ飛べるはず。そっと背中を押したい。できればタイミング良く。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP この試合から運が離れていった なんて言わないでね・・・

8番考。

温くなったかと思ったら思いっきり寒くなってきて身体がついていかない。この数週間は、夜の散歩の際にワンコと一緒にジョギングするようになった。このおかげかどうか、体調はそれほど良くも悪くもない。やはり「普通」が似合っている。 「普通」とは一体何なのだろうか。子供の頃から「普通ではない」とよく言われたものだ(今でもだろうが、とは言わないで)。正直なところ、その違いに気付くまで、相当な時間を消費したなと思ってしまう。そんな子供時代を過ごしていた。 スポーツ界では時として「神童」と呼ばれる選手が生まれる。僕らはその逸材に心を奪われる。三十年に近づくセレッソ大阪サポーター人生でも何人かの「神童」を見てきた。その度にこの先の我がクラブに光り輝く未来が待っていると思えた。 クラブが育てる。サポーターの支えが育てる。もちろん、自分自身の努力と向上心が一番で、これら三つの要素により選手たちを次のステージへと押し上げていく。そんな毎日から辿り着く先には、8番という番号が待つのだと思い続けている。 だから8番の選手、イコール、セレッソ大阪のすべてを背負う選手という観点ではなく、どちらかというと憧れに近い存在なのかもしれない。レジェンドはあくまでレジェンドであり、その重荷まで受け継ぐ必要などは無いのだろう、と感じる。 いつの間にか8番という背番号が違う意味に変わっていく様を見てきた。この、8番を神格化することには賛否両論だと思うし、それ自体には罪は無いはずだ。この着地点がどのようになるのかは分からないが、憧れとしての8番は存在していい。 この先、このクラブで8番を付ける選手は何人も出てくるだろう。「普通」に付けるのもよし、憧れのなかで付けるのもよし。そんな8番に憧れる選手たちを育てていくことも育成クラブとしての役目なのだろうか。そう思いながら今日を駆ける。 「神童」と呼ばれた選手が、8番を脱ぎ次のステージへと向かう。これも我がクラブにとっての1ページ。韓国で傷ついた彼の肩はとても華奢だったが、今では逞しいプレーを魅せてくれる選手になった。気づいた。僕はいつまでも彼のファンだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

選択する。選択される。

クリスマスにはプレゼントが付きものだ。そんな他愛もないことを考えながら頂き物のガトーショコラを食すイブの夜。イルミネーションもイベントも忘年会も、まったく無い師走だなと思いながら、口の中いっぱいに広がる甘い感触を味わう。 そんななか、我がクラブの選手たちが次々に入れ替わっていくのを、どこか他人事のように眺めている自分がいる。いつもこのような状況になると思い出してしまうシーンがある。何故だか、その場面が何度も何度もリフレインしてしまうのだ。 僕は常々、選手にクラブ愛を求めるのは酷だと思ったりもしている。サポーターは、自分自身の愛情によって、愛するクラブに居続けられる権利を持つ。だが選手は違う。いくら人よりも愛を持っていたところで、相思相愛が原則の世界だから。 ひとつのクラブで一生を終えるなんていう淡い幻想は、はなから存在するはずもなく、実現できる選手はほんのひと握りだ。そんな儚いプレイヤー人生だからこそ、僕らサポーターは彼らに夢を預ける。限られた、共に過ごす時間を大事にする。 柿谷曜一朗選手や木本恭生選手の移籍は、僕なりにも思うところが多々ある。 セレッソ大阪の8番問題についてはまたの機会に書こうと考えてはいる。彼らも熟考したうえでの決断であるのはいくつかの記事を見ていても手に取るように分かる。 2008年1月12日。今でも忘れやしない。吉田宗弘選手がセレッソ大阪を去ることになった日。サポーター有志が、吉田選手の「声」を聴くことなくサヨナラするのは嫌だと、当時の練習場でもあった津守に集まっての送別会が催されたのだった。 最後の試合をこの目に焼き付けようと遠征するのは何度もあったが、東京に住みだして以来、ことセレッソ大阪を去る選手の話を聞くためだけに帰阪したのは後にも先にもこの一回だけだ。サポーターにもサポーターなりの選択がそこにはある。 選手は選択するだけではない。ファンやサポーターから選択されていることも自覚する必要があるのだと僕は感じてしまう。何度も書くが、サッカー選手である以上避けては通れない道がある。そして、選択には責任が伴い、それはとても重い。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コロナ禍の正月の予定。

天皇杯のセミファイナル、ファイナルを考えてしまう日々。とにかく準決勝から出場するJ1の2チームが勝利した瞬間に我がクラブの始動が早まる。選手たちにとって正月三ヶ日がまさに一年の始まりとしてトレーニングがスタートするのだろう。 こんな状況でアジアを意識すべきかどうか、という声もあるにはある。しかしながらACLを戦いながらJ1の優勝を目指すことに意義は必ず存在すると思う。できれば今年のロティーナのサッカーで戦いたかったという心残りが、胸を締め付ける。 そんな、正月の過ごし方をいろいろと検討している。毎年のルーティーンのようなイベント。これらはまず行なうことができなさそうでもある。巷では、空いた時間を使ってやれること、ビデオテープのDVDへの変換などがトレンドのようだ。 毎年のように靖国神社を訪れていた初詣だが、果たして2021年は行くことができるのだろうか。まあ、少なくとも御守りと破魔矢をお返ししなければならないのだ。だから三ヶ日から日をずらしてでも、どこかで九段下に降り立つ予定でもある。 そして年末年始は蹴球堂の年度代わりでもある。さまざまな処理が待っている。幸いにも今年は時間がたっぷりある。いつもはギリギリになってしまう決算も、できる限り早めにと考えているが、さてどうだろうか。そこだけはマイペースだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 来年の靖国神社は露店も無いようで少々寂しい。

大正区の★。

大阪府大阪市大正区。市の西地域に位置しており大阪湾に面する縦長の区。電車の駅は北の隅を走っており、大半の交通手段がバスと自転車という区。海があり川があり、そして山があるという自然豊かな区。かなりの沖縄の方が居住する区。 そんな夢のような街の大正区出身のJリーガー、瀬古歩夢選手が、2020年のベストヤングプレーヤー賞を受賞した。ルヴァンカップのヤングヒーロー賞とのダブルは史上四人目とのこと。気持ちの整理中だが、本当に自分事かのような喜びがある。 U-12の頃やインドでのU-16の頃と比べても、本当に強さを増したなと感じる。まさかあんな髪色になるとは思わなかったし(!)たしかにまだ若さを露呈する場面も多々あった。だが、強気に勝負する姿勢を見ているだけでワクワクしてしまう。 アカデミー、若手育成に関してのモヤモヤする発言が目立つ会見。それに反目するかのように、 ヨーロッパでも通用する繋ぎの部分もフィードにおいても、 間違いなくロティーナ監督だったからこその成長だと、どこの誰が見てもそう思うだろう。 セレッソ大阪とともに生きる、セレッソ大阪のことを真剣に愛している皆で築きあげたDNAやスピリットを持っている彼のことだ。これから先はどんな監督であっても成長を続けることだろう。まずは来シーズンに向けて、英気を養ってほしい。 結局のところ三月以降、地元大正区そして長居へ戻る機会がこの年内に巡ってこなかった。2021年は何とか我が故郷に戻ってゆったりと過ごしたいものだ。そのためにも何度目か分からない「勝負の何週間」を穏やかに生きることを誓うのだった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「物を言う」べきだ。

聞くほうも聞くほうで答えるほうも答えるほう。先日、著名人の方々の会食の話題がニュースになっていて、「マスク会食ですか?」「マスク外さないと食事できないでしょ?」に、 結構な屁理屈言いでもある僕なのだが、 笑い転げてしまった。 そもそも論点が違っているのか、ツッコミどころが満載すぎてこんなことになってしまったのか。「そうですね、食べるときにはずらして、話をするときにはしっかりとつけてましたよ」と正しく説明すればいいものの、何故こうなるのだろう。 昨日の社長の話。僕はそんなことを思い出してしまったのだった。個人的には、育成型クラブだろうが、三位を目指すかどうかとか、レヴィーが来るとか香川真司選手が帰ってくるなんてものはどっちでもよく、聴きたかったのはたったひとつ。 だが、その言葉を聞くこともなく、ただただ文章を読み上げていく、そんな説明が淡々と続く。何なのだろうか。どうも、「憤り」というよりも、何だか「虚しさ」のほうが何倍も何十倍も僕のなかでは強い。タイムラインを見なくても分かる。 サラリーマン社長としての辛いところは本当によく分かるし、微妙な立ち位置であることも理解している。だが今その彼がファンやサポーターを脇に置いての説明は一体どうなのだろうか。僕はこの放送を見て、そんなことばかりを考えていた。 論点のすり替えなどできるはずもない。それを知っているのは、僕らも彼と三十年近くを共に生きてきたからだ。だからこそファン、サポーターは「物言わぬ」ではなく、セレッソ大阪という社会で一緒に育ってきたからこそ「物を言う」べきだ。 タイムラインがファン、サポーターの多くの言葉で埋まってきている。もちろん対話も議論も180度違った意見が出たりするのは当たり前。それはまさに、僕らがセレッソ大阪のことを真剣に考えている証明なのだとも思う。その、熱さが、いい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

良くも悪くもラストゲーム。

年の瀬になると多くの出会いと別れがある。実際に今回も既に監督スタッフが我がクラブを去り、数名の選手の契約満了も発表された。この先もさらに選手の去就が注目しなければならないなかでの監督人事。良い悪いではなく、意識の問題だ。 セレッソ大阪U-23ラストゲームは何とも言えない結果となった。それでもこの若者たちは最後の最後まで戦っていたと言っていいだろう。喜田陽選手の「昇格も降格も無い僕たちと戦ってくれたクラブの方々に感謝したい」という言葉が沁みた。 これは良い意味だけでない。今シーズン、僕も書き続けてきたが、「ここ(J3)で良いか」と思ってしまっているかのようなシーンがしこたまあった。戦っていないとは言わないが、次のステージを目指すには心許ないところもあるにはあった。 若い選手たちはここからどう飛躍していくかという彼ら自身の向上心が試されていく。みんなサッカーが好きなのは言うまでもなく、その先へと向かうためのもう一歩あと半歩をどのように踏み込んでいくか、ものすごく大事なシーズンだった。 選手たちは愛されている。愛はときに変貌する。今日の夕方の「お言葉(と言うよりはお気持ち、と言ったほうがいいのか)」を聴いていて、若い力を使い育てるということだけは方向性として分かった。だがそれだけだ。続きは明日、書こう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第34節 鹿島アントラーズ戦。

今朝、病院に行ってきた。 医療機関はどうも苦手だが、 先日の健康診断の結果を踏まえて検査を行なってきたのだった。これからは少し定期的に通院しなければならないわけだが、まずは問題を把握することができて良かったなとも思っている。 鹿島アントラーズとの最終試験の前日。アミーゴから連絡があった。ご飯でも、と思っていたが、このような時勢でもありなかなかそういうことも憚られる状況。残念ではあるが今は耐えるとき。そんな日々を過ごしていると、正直参ってきた。 さて話は戻る。その肝心の試験は引き分けに終わり、 七月からの半年間で一気に駆け抜けたこの忘れられない戦いであった 2021年シーズンは、最終的に四位という結果でフィニッシュした。来年のACLへの道程が元旦まで延ばされたことになる。 最後の最後までロティーナサッカーを貫く素晴らしい試合で締めくくったと言っていい。世界が縦に速いサッカーになりつつあるこの時代に、少ないリソースでどう立ち向かうか。僕らはこの二年間で多くのものを学んだ、そんな気がしている。 思いのほか多くのセレッソ大阪のファン、サポーターが観戦されていた。いつも驚かれてしまうのだが、Jリーグが発足して以来一度も訪れたことがないのがこのカシマスタジアムなのだ。何故か毎回日程が合わず、今年は病魔に邪魔をされた。 そして新型コロナの影響で結局のところ今シーズンのスタジアム観戦はたったの一回に終わった。聖地には行けずじまい(実のところOITOにも顔を出せていない)で終わるシーズンなど初めてだ。そんな、特別な一年。無事に終われて良かった。 次のサッカーがどのようなものになるのか。固定観念は良くないのだろうが「時代への逆行」では無いことだけを今は切実に祈りたい。ロティーナ、イバンの功績をクラブが残さなくとも、僕らファン、サポーターには生き続けるのだと思う。 最終試験を半分だけパスした我がクラブ。来年のことを考えると鬼が笑うが、少なくとも僕らは笑ってはいられない。試合を終わってからプレビューショーという体たらく。この映像を見ての未来予想図。まあ、とにかく明日の「お言葉」やな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

アンダーカテゴリーの素晴らしさ。

寒いのは何とか着れば耐えられるのだが、何故か今日、右手親指の爪の境い目のところがひび割れした。マウスを持つ手、石鹸やアルコールで洗う手がとてつもなく痛い。ハンドクリームあたりで気を紛らわせるのだが、カバーできる由もない。 やはり、アルコール消毒や過度な手洗いが皮膚を弱くしているのだろうか。そんなことを思いながらこの文章を書くその親指がジンジンする。人間なかなか我慢できないもののひとつに切り傷がある(まあ今回のは切り傷というかどうかだが)。 そんな、年の瀬に向かうなか。各カテゴリーにおいて何名かの日本代表候補選出の発表があった。アンダーカテゴリーのワールドカップ、そして来年行われる予定の東京オリンピックに向けて、我がクラブの選手たちが厳しい戦いに臨んでいる。 「育成のセレッソ」と周りからよく言われる。実感はあるものの、Jリーグの各クラブも同様に育成には力が入っていると思われるし、切磋琢磨している状況なのだと感じる。先日の話ばかりで恐縮なのだが、強化すべく動いているクラブもある。 さらには、そんなアンダーカテゴリーの選手たちを応援するファン、サポーターの力も素晴らしいものがある。ホーム、アウェイ問わず彼らを応援するために旅に出る方々も本当に多い。Jリーグから世界へ飛び出していく選手たちを支援したい。 まったく関係のない話だが先日あるインドの方と知り合い、仕事の話をしていた。その際にU-16アジア選手権をゴアまで見に行った話をしたところ、「サッカーのためだけにインドに来た人を初めて見ました」。最高の褒め言葉だと受け止めた。 それにしても親指が痺れる。加齢という辛い現実を見ながら僕は、若手選手の活躍を祈念する。トップの選手層を厚くするためには彼らの頑張りがとても重要だ。そうだ。CEREBAKAの第3節はアカデミー関係のあの方に。思いが膨らんでくる。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP この頃は 瀬古歩夢選手と ディエゴやったなー

初期化。

機械ものは、やはり難しい。ブルーレイレコーダーに外付けハードディスクを取り付けていたのだが、見事にクラッシュした。すべての録画とお別れするときが来た。関係を作るのには時間がかかるのだが、壊れるときはまさに一瞬なのだろう。 果たして、クラブと監督の関係も同様と言えるのか。試験勉強も終わり、いっぱい本を読める、と以前書いていたのだが、もちろんそれはオーディオブックも同様なのだ。そのオーディオブックで今、「全裸監督」を読んでいる(聴いている)。 村西とおるさんは特別なのかもしれないが、監督とは個性の塊なのだろうなと感じてしまう。その個性に対しての周りの反応は、当然ながらポジティブなものとネガティブなものが同居している。逆に言うと、ついてこれるかこれないか、だ。 それは多分クラブだけではなく、一部の選手もだろう。そう言えば三部練が無理、という、どこかで聞いたような話を先日お会いした方から伺ったのを思い出す。クラブとしては監督の個性を取るのか、それとも選手の立場か。いやはや別の? たとえ外側だけ取り繕っても、いつか必ずほころびは生まれる。今が良くてもこの先はどうなっていくかなど誰にも分からない。次の監督を決めるというのも基本的な原則は変わらないのだと僕は思う。そこだけは普遍的であり不変的なのである。 泣く泣くハードディスクを初期化した。どうもハード面は大丈夫で、要はデータだけがダメだったようだ。空のフォルダと燦然と輝くとてつもない空き容量。機械もののようにサッカーの世界では「はい初期化しますよ」はまったく通用しない。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第33節 サガン鳥栖戦。

人生、上手くいくことといかないことの両面が存在する。どうしても駄目なときが、長いこと生きていれば必ずある。逆に、何も考えずにいったら上手くいったりするケースもあるのだ。だからこそこの世は複雑で面白い。弄ばれているようだ。 ワークショップのファシリテーションがあったため、後半の途中から見たこの試合。偶然ではなく必然だと感じるような内容だった。ロティーナ監督のホーム最終戦が、こんな結果で終わったことに両面の感情が溢れ出してくるのは、果たして。 試合終了後の言葉にも残念さが溢れていた。DAZNの実況の方も話していた。そうだ。たった二年しかいなかったのだ。そのなかでフィロソフィーというか、これまでのセレッソ大阪のサッカーには無かった感情が僕自身に生まれたのも事実だ。 言葉には魂が宿る。ロティーナ監督は間違いなくこの先も日本で指揮されるのではないかと、言霊から感じ取れた気がした。ロティーナ監督がいたからこそ光り輝いた選手とそうでない選手。監督も人、選手も人、そして僕らサポーターも、人。 三位のポジションを争う戦いは三日後。今一度ロティーナ監督がセレッソ大阪に来た意味を問う大事な一戦となるだろう。中二日でのアウェイは選手にとって何も良いことは無いだろうが、このサッカーの集大成をしっかり見届けたいと思った。 今日のワークショップも上手くいけたところといけなかったところがあった。僕にとっての試練でもある。セレッソ大阪同様、しっかりといただいた意見や指摘を意識していきたい。複雑ななかでも哲学だけは忘れない。それが重要だと学んだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

本当の"声"を。

寒い。何だか一気に冷えてきた感が否めない。明日の試合。今季のホーム最終戦は、ぜひあったかい格好で見に行ってほしいなとも思っている。そして、試合前後はF.C.OITOへお越しくだされば幸いである。ミッドウィークの最終戦も趣がある。 明日の夜は、自分自身のワークショップもあり、ゲーム途中からしか見ることができない。しかしながら我がクラブの選手たちは何とか成し遂げてくれるだろう。そんな思いを右手に持ちながら、ファシリテーションを行なうことになるだろう。 サポーターから求められていた12月12日という期限。やむなく期限を越えたのか、それとも意図的なのか、いやはやそんなものは見ていないのか。いずれにせよ20日に社長がYouTubeチャンネルにて声明を出すようだ。さて、どうなることやら。 サポーターが期待する真の内容が「来シーズンに関するご説明」に含まれているとは思えてこないのが、自分自身にとってもどかしい。しっかりと社長の"声"で聴きたいが、そうならないと考えてしまうこと、それ自体が問題の根っこだと思う。 社長は会社の長。社長という仕事はサポーター対応以上の重みがある。だから社長の本当の"声"かどうか、僕らがそれに気づくことできるかが、この日曜日の唯一の目的。どうか僕らが求めている真の答え。それが聴けることを切に願っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ポジティブを学ぶ。

試験勉強ばかりしていた二ヶ月が終わって、ようやく本がたくさん読めるようになった。昨日もブックオフで二冊の積読本を購入して我が家の本棚を汚す。この本たちは、いつの日か僕の脳みそに刻まれていくのだろうか。時間はそれほど無い。 しかしながら最近は視力も落ちてきたりしているので、細かな文字の本を読んでいると結構な割合で疲れてきたりもする。もちろん老眼ということもあるだろうし、この先を考えるとどうしても少しだけ不安になってくるのは仕方のないことだ。 この視力というキーワードで言うならば、音だけでボールを扱い、ゴールを目指すブラインドサッカーということになってくるだろう。そして、僕がもっとも尊敬するブラインドサッカープレイヤーが、もう15年近く交流のある落合啓士さんだ。 その落合さんが松本山雅B.F.Cの監督になられたのが今年の夏。本当にすごいことだと感じると同時に、このポジティブさがどこから来るのかといつも感じさせられている。その落合さんが今月から「 オンラインサロン 」を始められたとのことだ。 なかなか始められない僕とは対照的に、どんどんと前に向かって走り続けているおっちーさんを見ているだけで、非常に勇気づけられる気がするし、それだけでなく本当に「何かしなきゃ」と思わされてしまう。またお会いして話を聴きたい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP この食事会もご一緒したが このとき昭恵夫人を紹介したな 僕も初対面だったが(笑)

脳。

脳の機能が衰退していっているのではないかと最近はよく思う。この駄ブログでも再三書いてきているのでよくお分かりのことと察するが、物忘れ、特に人の名前が出てこないときがここ最近は多くなってきている。この先どうなるのだろうか。 今日とある資格試験を受検してきた。何はともあれ何とか合格ラインを超えることができてホッとしている。受検自体はCBTと言われるパソコンを利用するのだが、僕自身この方式が初めてのことだったので、思いがけず軽く動揺してしまった。 そしてその動揺は試験問題にも。第一問目から考え込んでしまい、これからどうなっていくのか先行きがまったく読めない展開になる。心を落ち着かせて、記憶を辿る旅に出る。少しずつ頭の中にかすかに残るヒントをもとに、導き出していく。 最後の「終了」ボタンを押す瞬間はまるでアディショナルタイムのペナルティキックのようだ。ボタンをクリックしたと同時に結果が表示されるという非常に残酷なルール。学んできた集大成が吉と出るか凶と出るかの、まさに「今際の際」だ。 しかもこのCBT試験。いくつもの試験が同一部屋内で複数行なわれるという、何とも言えないシチュエーション。近くでは漢字検定なのだろうか、カチャカチャと何かを書いている音にどうしても耳や目が行ってしまう。実に集中力が試される。 約二ヶ月間、結構なくらい真面目に勉強したおかげでもあり非常に満足している。頻繁に訪れたら気が持たないだろうが、たまにはこういう「全集中」を必要とする場面があったりすると、衰えつつある脳への刺激になって良いのかもしれない。 セレッソ大阪の監督が誰になるのか。あの御方の再登場なんていう少々付いていけないような内容がニュースで流れてきている。選手やスタッフ、ファン、サポーターのことを理解できない、理解しようとしない状況が、僕の脳を疲れさせている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 写真はまったく関係ありません

第32節 柏レイソル戦。

戦いにはそれなりの理由が存在する。戦わないといけない状況においては、その「戦う理由」が明確だったりするのだと僕は思っている。それは、生きるため、守るため、自分のため。様々な「戦う理由」のなかで、人は葛藤しながら生きていく。 例えば今日の柏レイソル戦。ラスト10分という時間はまさに「戦う理由」が明確だった。勝ち点1より勝ち点3。必ずや3ポイントを取るために、あえて0になることを恐れずに戦えていたかどうか。戦い方はそうなっていたかどうか。そこに尽きる。 だからこそ、サポーターがそこにいるはず。何が大事で、何を残して何を捨てさせるのか。試合の中でメッセージを出すことができるのが、サポーターの力なのだと僕は感じている。そういう意味では声の出せないこの状況がとてももどかしい。 最後のシーンも、サポーターの声援があれば、清武弘嗣選手の判断にも変化があったのではないかとも思える。2ポイントを落としてしまった感が無くはないが、僕らの理由探しの旅は続く。残り二試合で確実に6ポイントを取ること。それだけ。 そう言えば先週からか、イングランドプレミアリーグでもファン、サポーターが入場できるようになっていた。久々にリヴァプールの試合を見て、スタンドから響く「You'll never walk alone」を聴いた。ライバルながら聞き惚れてしまった。 セレッソ大阪も「POWER AND THE GLORY」をサポーターが歌えるようになったとき、本当の意味での一体感が戻ってくるのだろう。この歌を歌う理由。そんな当たり前の質問をする必要はまったく無い。そう考えさせられた粋な試合だった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

旅するCroatia。

クロアチアとは縁がある。日本サッカー的に言えばフランスワールドカップとドイツワールドカップでの対戦。セレッソ大阪では言わずと知れた我らの SUPER DOBRO マテイ・ヨニッチ選手。彼以外にも多くのクロアチア人選手が在籍していた。 僕個人としても2002年日韓ワールドカップイヤー以降、クロアチアとは切っても切れない関係となっていった。アミーゴとのつながり、それ以外でもクロアチアという国に対しての思いなどを含めて、この18年という年月をしみじみ感じている。 このようなコロナ禍で「オンラインツアー」なるものがトレンドになっている。そんな折に、あるクロアチアのオンラインツアー「 クロアチア・ハートフルライブ 」を紹介していただき、第二回目(第一回目はドブロブニク)の会に参加した。 zoomによるヴァーチャルツアーの先は「クヴァルネル」。ザグレブとドブロブニク専門の僕は、残念ながらリアルにはこの地に行ったことが無かった。どうしても中心に考えがちだが、サッカー的にいくと、リエカということになるのだろうか。 何キロにも渡る海岸の遊歩道を歩いてみたいと素直に思ったし、東西南北に広がる「これぞクロアチアだ」とも言える風景に吸い込まれそうになる。クヴァルネル観光局長の説明を聴きながら、まるでそこにいるかのような没入感もあったりした。 サプライズかどうかは知らないが、駐日クロアチア共和国大史も参加された。学ぶことも多く、また、美しい風景を見ることができて、本当に楽しいヴァーチャルツアーとなった。オンラインで見て、ますますクロアチアに行きたくなってきた。 わずか一時間の旅だったものの、またひとつクロアチアを好きになった。残された人生のなかであとどれだけクロアチアに行くことができるだろうか。話を聴いていたら、日本からザグレブは、トランジットだとPCR検査無しで入国可能らしい。 また機会があればこのヴァーチャルツアーに参加してみたい。そして、より多くの日本人にクロアチアという国を知ってもらえたら幸いだ。そうそう、市場で売っていた蜂蜜がどうしても気になっている。買うためだけに渡航するのも、ありだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ぜひ蹴球堂でCroatiaを体感してください! SUPER DOBRO(めっちゃええ)

共通点。

柏レイソル戦も国営放送されるらしい。いま一番の目玉になっていることに気づいてくださる方が多くなっていて本当に嬉しい。監督が退任する、外国人選手の去就がニュースになってから、素晴らしいサッカーを展開している。皮肉なことに。 何だか2001年のラスト三試合を思い出した。あのときはたしか、降格が確定した直後の三試合を西村さんが指揮した。お世辞にも素晴らしいサッカーとは言いがたいが、非常に気持ちのこもった戦いで最終的には天皇杯ファイナリストとなった。 まったくもって展開は違うにもかかわらず、何故このシーズンを思い出してしまったのだろうか。共通点がわずかにあるとすれば、それは翌年に大きなイベントが日本で控えていること。そしてもうひとつ挙げるとすれば、僕自身かもしれない。 まあ、そんなどうでもいい個人的な共通点はともかく、この残りの試合に対しての気持ちの高ぶりを感じてしまう。それは当然ながら監督、選手、さらにはファンやサポーターもだ。さて、クラブの御方々は、この状況をどう見ているだろうか。 いや、本当にどうでもいいことだ。いま必要なのは、ここからの五連勝で、八連勝だ。まずは国営放送での勝利と、今週(日曜だから来週か)もやべっちスタジアムでストップ解説が見たいと思う。毎週ごとの共通点にしていきたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 2001年最終の札幌ドーム

「テクニック」と「スキル」。

先日から、エディ・ジョーンズさんの言葉である「テクニックとスキルは違う」が頭の中を駆け回っている。どのような場面においてもこの言葉は充分に当てはまり、心奮い立つか、もしくは情けなさが前に出る。人間の持つ両面かもしれない。 何事も同様だが武器は持つだけでは駄目だ。装備して常に実践で使う。仕事で言えば技能や資格が「テクニック」であり、それらをどこで使えばよいかを見極める能力が「スキル」なのだろう。これだけで働くことの意義などが分かる気がする。 とは言え、何となく、この「テクニック」の習得だけで終わってしまう方も少なくない。そして、もっと良くないのは、その「テクニック」を付けさせることが目的になってしまっている、ボタンを掛け違えてしまった上司や上長なのだろうか。 やっぱり道具は「使ってナンボ」なわけだ。だからそう考えると「テクニック」はあくまでも手段と言える。そういう意味では「テクニック」を手に入れるチャンス同様に、使う場面を作ってあげられることも上司の役目だと、僕は思ってもいる。 今日、色々な寂しい話を聞いていて、少し思うところがある。「テクニック」はあるはずなのに、それらを使わないのは、もはや罪とも言えるのかもしれない。その「テクニック」は何のために存在しているのか。そんなモヤモヤ感が残っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ハナサカクラブと私。

結局のところ今シーズンはホームスタジアムでの観戦が叶わなかった。それが何だとは思ってはいるが、2020年という特別な一年が終盤を迎えかけた今、多くの出来事を思い出したりしている。結局のところ「愛している」しか浮かんでこない。 とは言え、進めたい事柄はなかなか芳しくなく、言い訳ばかりをしている気もする。唯一、今のところは元気に笑って過ごせているのが救いだ。ワクチンの話はメディアで伝わってはくるものの、来シーズン、少なくとも序盤は同様なのだろう。 そんな中で大事なお仕事が待っている。それは「SAKURA SOCIO」の更新と「ハナサカプレーヤー」の契約更新。特にハナサカクラブには、2006年の”あの”こともあり(もっと以前からの話でもあるのだが)自分自身、非常に思い入れがある。 セレッソファンだけでは無くどのJリーグクラブにおいてもアカデミーに対する惜しみない愛がものすごいと感じる。育成が、クラブを、そして日本を強くすることをみんなが知っている。だからこそアカデミーとの関係性が重要なのではないか。 先日某御方と話す機会があり、セレッソ大阪アカデミーの功績について再認識した。14年前、このハナサカクラブ構想を初めて聞いたときと同じような眼の輝きが今もあった。多くの思い出を語り合っていて、それが本当に嬉しかったのだった。 たとえ離れ離れになってもつながっている。そんな気持ちになれたこと。これからも多分かなりお世話になるだろうこと。こういう御方と巡り合わせてくれる場所。やっぱりセレッソ大阪というクラブは素晴らしく、そして愛すべき存在なのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

耄碌。

比較的暖かい日だとありがたいと感じる。そのせいか風邪のほうも少しだけ良くなってきた。DAZNで復活した某番組のストップ解説を見てひとりニヤニヤしながらカレーを食べていると、何だか耄碌してきた感もある。しその実醤油漬けが合う。 その清武弘嗣選手のゴラッソ。選択された言葉と映像がシンクロしていて、すべてが美しい。かなりのマンマークをくらっているなかで微かに開いた穴を狙う清武選手も素晴らしいが、ピンポイントとスルーパスを出せる藤田直之選手も凄い。 藤田選手も務める、ボランチというか守備的ミッドフィルダーというか、このポジションがうちのサッカーの鍵でもあると思っている。このうちのサッカーが来シーズン、変わっていくことを予感させるかのように、契約満了の話が沸いてくる。 僕自身、中身をまったく知らない(何か聞いてるんじゃないの?とか何でも知っていると思わないでほしいのだが)ので何かを言える立場ではない。選手の気持ちはその個人の感情が動かしているのだろうし、僕らは見守るしかないのだろう。 もちろん2021年シーズンのことは動いていかなければならないのも理解できるが、僕らにはまだ五試合も残っている。連鎖反応のような状況を垣間見るとやるせなくなってくるはずだが、耄碌してしまったのか、鈍感になってきている気もする。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 気分転換に散歩していたら こんな花(?)を初めて見た。

「チームはファミリー」という言葉が最近よく浮かんでくる。

昨日ダブルダブルと喜んでいたが、セレッソファンのフェイスブックグループを見ていると、レディース、そしてU-18も勝利したということを知って赤面している。やはり良い情報はみんなでシェアして、みんなで幸せを実感できるのが素敵だ。 もちろんそこでは良い話だけではなく、しっかりとした議論も大事である。過去から連綿と続いているのだろうが、シーズンが始まる直前や節目節目ではリアルなミーティングを開催して、多くのサポーターで意見を戦わせることも大事である。 同じセレッソ大阪のファン、サポーターといえどと、信念や考えていること、ポリシーなどもまちまちであると思うし、それが当たり前だとも思っている。今回の某案件も、それをよしとする方もいれば到底受け入れられないと考える方もいる。 例えば、サポーターがスタジアムで奏でる応援も同様だ。いま歌うべきいま勇気づけるべき瞬間ななんてものもほとんど感覚に近いだろう。その感覚という曖昧なものをどう共有していくかで、スタジアムの雰囲気が変わっていったりしていく。 応援にせよ何にせよ、最初に声をあげるというのは本当に勇気がいることだ。何事も、前例のない行動には否定的な意見や批判じみた内容も集まってきたりする。だから、いい。その声に向けられた言葉は、いつの日か集合知になりえるからだ。 僕らセレッソファン、サポーターは、初代監督であるパウロ・エミリオさんが言った「チームはファミリー」という言葉を大事にしている。これは何も、友達感覚ということではなく、何かを成し遂げるための仲間なのだと改めて感じてしまう。 クラブとの距離が遠くなったと感じる今だからこそ、これからも多くの真剣な言葉を交わしたいと思うし、もっともっと議論できる対話できる場を増やしたいなとも思う。「あの頃は良かった」ではなく「あの頃”も”良かった」に早く変えたいね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第31節 北海道コンサドーレ札幌戦。

どうも風邪っぽい。最近の気温差に負けてしまったのだろうか。熱はなさそうではあるが鼻が非常にむず痒いという状況。ティッシュペーパーの使用量が結構なものになってきた。ひとまずはゆっくり寝ることで体力を回復したいと思っている。 そんな寒い日のJリーグ。何の因果かトップとネクストが同時刻キックオフとかどういうロジックになっているのかと思ってしまう。また今節は国営放送もされているということだったので、あえてそちらで見る。あの方の声を久々に聞いていた。 結果としてこの試合のスコアは非常満足できる。僕らはもう勝ち続けるしかないが、自分たちが勝ち点3を手に入れるのと同時に、他のクラブには勝ち点を落としてもらう必要がある。相手を変えることはできないが影響を与えることはできる。 新型コロナウイルスで北海道も大阪も、もちろん僕がいる東京も、今、非常に厳しい状況である。両クラブのホームタウンの実情を鑑み、遠征は悩んだ末のことではあるだろうけれど、現地にサポーターがいてくれるのはとても心強く感じる。 試合開始前にはディエゴ・アルマンド・マラドーナさんへの黙祷が行なわれた。 サッカー界への多大なる貢献に感謝して すべてのスタジアムで実施されていると聞いた。ニュースを見ていると、裏ではまた何かきな臭さが出てきて、少々辛い。 一試合一試合が本当に重要な毎日。選手もサポーターも体調管理は大事だと改めて感じる。「風吹けば桶屋が儲かる」というだけでは駄目なんだろうが、その風がうちを後押ししているような気はしている。そんなに甘くは無いのだろうけれど。 少なくとも僕自身の風邪を早く治す必要はある。というのも来週には大一番が待っているからだ。何とか体調を合わせていきたいと思う。だがどうしてもU-23の試合も気になって、こんな時間に見逃し配信。だから治らないのだと自分を責める。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

これから写真をどうするか。

フェイスブックの「過去のこの日」を見ていて四年前の今日がちょうど、あのファジアーノ岡山戦だったことに気付く。本当にありがたい機能だなと思いつつも、すべてが良い思い出ばかりでもないので、この振り返りなども良し悪しではある。 この四年前の試合。前日まで香港にいた。夜中の便で羽田まで帰ってきて、国内便に乗り換えて大阪へ向かうという今の僕にはもう無理っぽい旅路でもあった。しかも香港での宿泊(Airbnb)で若干のトラブルもあったので、どっと疲れていた。 それでもこの岡山戦を見ることができたのと、ケンペスさんとのお別れができたこと。そして勝利を手に入れられたことが重なって、充実した数日を過ごしたと今でも瞼に焼き付いている。トラブルも何もが、思い出としてそこに描かれている。 そんな場面を僕はよく写真に収める。撮った写真はすべてGoogleフォトに保存してきたが、今後は少し方法も変わってきそうだ。というのも先日Googleが発表した「ストレージ保存容量の考え方」の変更。それがこの発端となっているわけだ。 Googleフォトは保存の方法によってストレージ使用容量を使わず、言わば無制限にフォトを保存できる便利な環境だった。だからほぼほぼフルに使いこなしていたし、なによりGoogle特有のタグ付けによって、検索も容易なデータベースだった。 半年後からはGoogleフォトの容量も加算されていくことになる。今の僕の撮り方からいくと、どの程度の課金を考えるべきなのか検討がつかない。現在は他のサービスも含めて考えをまとめていこうとしているところで、その最有力がアマゾン。 プライム会員ならフォトはすべて無制限だ。もちろんクラウドサービスなのでサービス仕様を変更してくるなどお茶の子さいさいだから、いたちごっこになる可能性もある。そんな、比較的緩いことなどを考えてみた、そんな金曜日の夜だった。 明日は札幌と大阪という、非常に厳しい環境に置かれている地域同士の試合だ。当然のことながら不要不急の外出を控えた中でのゲームにはなるのだが、必ずやあのときのような熱い試合になると信じている。そして勝ち点3を持って帰阪する。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「言葉の定義」と納得感。

今日聴いていたセミナーで「デジタルトランスフォーメーション」についての話題があった。不束ながら業界に参画している身でもあるので非常に興味深い内容が、自分なりにものすごく腑に落ちた。「言葉の定義」はやはり大事だとも感じた。 この「言葉の定義」がシンクロできていないと、ボタンを掛け違えた状態でキックオフしてしまうことになる。その状態がひたすら続くと、全体に及ぼす影響力となり、問題が発生する可能性もある。そうならないための「言葉の定義」なのだ。 ゴール裏のサポーターは今、12月12日までに納得のいく説明を求めている。しかし、クラブ側が応じるのかどうかは今のところ分からない。「サポーターの気持ちは伝わっている」と語られてはいるものの、その「言葉の定義」は不明確である。 ここで冒頭に戻る。「デジタルトランスフォーメーション」だ。DXと表されることもあるのだが、この「X」。英語圏における「trans-」でもあり、それらは様々な意味に結びつけられるケースも多々ある。まさに「言葉の定義」はそれぞれだ。 だが本質はひとつだ。ましてやそれはアナログのデジタル化ではない。変わればいいというものでは無いのだ。だから僕はこの状況をとても心配している。何度も同じ過ちを繰り返してはならないと。変化は大事だが変化だけがすべてではない。 フランスの地下鉄のデジタルトランスフォーメーションの話を聴いて、さらに納得感が得られた。正統な方向性があれば、少なくとも人は受け止めることができることも知った。だからこそ早く、その言葉を聞きたいのだ。今すぐにでもなのだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 日本の地下鉄はどうなるだろう。

アカデミーと桜なでしこ。

変わり始めた。風間八宏さんがセレッソ大阪スポーツクラブ技術委員長に就任されたことと同じくらい、宝田沙織選手のワシントン・スピリッツへの完全移籍に驚いている。桜なでしこがWEリーグに参入しなかったことも影響しているのだろう。 この駄ブログでも再三書いてきたわけだが、セレッソ大阪堺レディースが果たしてどのように変わっていくのか非常に興味がある。わずかばかりではあるが話を聞いたりしていて、この先のことをどう捉えればいいのか、とても考えさせられる。 そして重要なアカデミー。最初の最初から見てきていてここ数年(というか10〜15年くらい)で多くの選手が輩出されたが、どこかの記事が書いていたように、南野拓実選手以降の育成については考える余地があるのだろうなと僕も感じていた。 U-23が今年度で一旦終了することが、吉と出るか凶と出るか。J3でいい、と思っていた選手がいたとは思わないが、小さくまとまってしまう原因のひとつだったとも考えてしまうのだ。やはり常に厳しい競争のなかでこそ、人は変わっていける。 選手同様に組織も変わっていかねばならない。変わっていかなければならない。特に今のようなVUCA(Volatility(変動性)Uncertainty(不確実性)Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性))の時代だからこそ、余計に変化が必要となる。 だから、変わることへの抵抗感は毛頭ない。どんどん変えて、そして駄目だったらやめればいい。それが大事だ。しかしながら「本質」を見誤ってはいけない。そっちのほうが数倍いや数十倍、数百倍大事だ。トップは多分その目が必要だろう。 本当にセレッソ大阪が大事だと思っている人は、どんなカテゴリーやジェンダーを問わず、セレッソ大阪という冠を持つチームに対しては、何があろうとも限りない愛情を注いでいくはずだ。僕のサポーター生では、これだけは間違ってはいない。 アカデミーも桜なでしこも大事なファミリーだ。もちろん、何処ぞの意向や考え方の相違も無くはないし、思いや夢や理想と現実が相反するケースはいくらでもある。その結果がこの現状だとするならば、やはり、変えなければ、ということだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP 僕のところにも到着しました。

「何もしないより何かした方がいい」。

「裏の裏は表」という言葉があるが、人間はコインとは違う。裏は、どこまでいっても裏のまま、ということも中にはある。最近はそんな気持ちばかりに目が行って、自分が恨めしい。たとえ裏切られようとも信じる力が必要だと感じてしまう。 裏からそんな話を聞いたりするとさらにげんなりしてしまうが、そんなことはめげずに、懸命に生きるように心がけている。そのひとつが若者に対しての勇気づけや動機づけ。裏表なく対話することによって、さまざまなものが生まれてくる。 先日あるアミーゴと話をした。何かやりたいね、やれることがあって、やる必要があって、今やれるなら動くべきではないか、という内容だった。今こういう時代だからこその話題だったのだが、そこに考えないといけないものがひとつ増えた。 現在ゴール裏などにいる一部の若者たちの成長を遠くから見てきた。セレッソ大阪が好きで好きでたまらない彼らが、どんどんと行動を起こしていくことに嬉しさを感じる。脳も見た目もずいぶん歳を取ってしまったことさえも誇りに思える。 そんななか、このような アンケート が展開されている。若者にはひとりひとり持ち合わせた能力が存在する。その能力を活かし、動く。そのような姿を拝見して感動しつつアンケートに答えたりしている。内容が非常に的を得ていて、流石だ。 幕の話もだが、サポーターの行動とは本当に偉大だ。引くとか押すとかだけでなく、知性と論理性を持っての行動には裏も表もない。まだまだ僕らにはやれることがあると感じる瞬間だった。居ても立っても居られず、僕も少しだけ動き始めた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP