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レゴ®シリアスプレイ®と付き合って再認識したこと。

昨日、壮絶だった本年の最後(だと思う)を締め括るであろう、レゴ®︎シリアスプレイ®︎の認定ファシリテーターによる勉強会に参加した。この方々は本当にアクティブでありポジティブであり、まさに僕の真逆を歩まれている素晴らしき仲間だ。

そのなかで、いつもお世話になっている御方からの気になっていたプレゼンテーション内容に、とてつもなく感動してしまった自分がいる。レゴ®︎シリアスプレイ®︎という生き物との関わりというか付き合い方というか、そんなものを再認識した。

見誤らないで欲しい。レゴ®︎シリアスプレイ®︎ワークショップは決して勉強会や研修ではない。組織のリアルそのものなのだ。ひとりひとりの「気付き」や、そこから生まれてくる「言葉」は、学びのなかから生まれてくる真実を炙り出していく。

だから、レゴ®︎シリアスプレイ®︎においては、経営者やリーダー、上司も、そのワークの輪に自ら率先して入り、そして、メンバーやスタッフとともに「気付き」と「言葉」を見つける必要がある。そうでなければ、絶対に本質には辿り着けない。

何度でも言う。言葉は作られるのではなく生まれてくるのだ。作品と作品によるふれあいのなかから誕生する瞬間を、外野から眺めているのなんて実に勿体ない。同じ目線で語り合う。そう。100−100という環境こそが大事であり、重要なのだ。

今年はワークショップの開催もままならず、同時に、レゴ®︎シリアスプレイ®︎による、日本を世界を巡る旅にも出られなかった。だが、改めて自分のなかでの、このメソッドの方向性なんてものを見つめ直す時間も取れたのは、間違いのない事実。

ポストコロナに対応するべく、様々な設計も整いつつある。これからも、さらに学びの機会を経て、クライアントに真実と本質への道筋を届けたいと思っている。その先には、生きる支えになっていたサッカー界にも「恩返し」したいところだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

タイトル「僕の動機」

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祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

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今も昔も。

 今日は誕生日である。もうこの歳になると嬉しいとか悲しいとかは感じなくなるものの、やはりお祝いのメッセージを頂いたりすると心が踊る。そして、そのカンバセーションの大半はセレッソ大阪。やはり切っても切れない縁が、サッカーによって大きく広がっていく。 身体はそれほど言うことを聞かなくなってはいるものの、それでも多くのところも顔を出したいと思うし、多くの方とお会いしたいという思いが歳を重ねるごとに強くなっているのは事実だ。それだけ「死」というものと向き合っている証拠とも言えるし、そうでもない。 小樽へ行ってきた。札幌に行く用があり少し足を伸ばしたわけだ。グラウンドに着いた瞬間に我が目を疑った。ものすごい数のセレッソ大阪サポーターがいたのだから当たり前と言えば当たり前だ。勿論ご家族の方が多いとは思うが、こんなにいるとは想像していなかった。 身内以外のサポーターが単独で行けるかというと厳しい面もあるだろうが、その中でもサポートに向かう方々はいる。セレッソ大阪のサポーターの歴史はこのようにして続いていっていることに、誕生日以上に感激してしまう。アカデミーの監督に言われた一言を思い出す。 それだけがすべてじゃないのも真実。だが、綺麗なコレオを作るとか、迫力ある応援ができるとかだけではない、「サポーターとは一体何なのか」を考える機会としてアカデミーと触れ合ってほしいと切に願う。5年後10年後のクラブはきっと彼らが支える。そのサポートを。 今日は誕生日である。プレゼントを求めるよりも、セレッソ大阪に関わる方々のKindleの片隅に「 朝、目覚めたら、そこにセレッソライフが。 」を置いてくださることのほうが本当に嬉しく思える。今も昔も次世代のために手を打っていくのが役目だと、自負だけは心にある。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP