スキップしてメイン コンテンツに移動

選択する。選択される。

クリスマスにはプレゼントが付きものだ。そんな他愛もないことを考えながら頂き物のガトーショコラを食すイブの夜。イルミネーションもイベントも忘年会も、まったく無い師走だなと思いながら、口の中いっぱいに広がる甘い感触を味わう。

そんななか、我がクラブの選手たちが次々に入れ替わっていくのを、どこか他人事のように眺めている自分がいる。いつもこのような状況になると思い出してしまうシーンがある。何故だか、その場面が何度も何度もリフレインしてしまうのだ。

僕は常々、選手にクラブ愛を求めるのは酷だと思ったりもしている。サポーターは、自分自身の愛情によって、愛するクラブに居続けられる権利を持つ。だが選手は違う。いくら人よりも愛を持っていたところで、相思相愛が原則の世界だから。

ひとつのクラブで一生を終えるなんていう淡い幻想は、はなから存在するはずもなく、実現できる選手はほんのひと握りだ。そんな儚いプレイヤー人生だからこそ、僕らサポーターは彼らに夢を預ける。限られた、共に過ごす時間を大事にする。

柿谷曜一朗選手や木本恭生選手の移籍は、僕なりにも思うところが多々ある。セレッソ大阪の8番問題についてはまたの機会に書こうと考えてはいる。彼らも熟考したうえでの決断であるのはいくつかの記事を見ていても手に取るように分かる。

2008年1月12日。今でも忘れやしない。吉田宗弘選手がセレッソ大阪を去ることになった日。サポーター有志が、吉田選手の「声」を聴くことなくサヨナラするのは嫌だと、当時の練習場でもあった津守に集まっての送別会が催されたのだった。

最後の試合をこの目に焼き付けようと遠征するのは何度もあったが、東京に住みだして以来、ことセレッソ大阪を去る選手の話を聞くためだけに帰阪したのは後にも先にもこの一回だけだ。サポーターにもサポーターなりの選択がそこにはある。

選手は選択するだけではない。ファンやサポーターから選択されていることも自覚する必要があるのだと僕は感じてしまう。何度も書くが、サッカー選手である以上避けては通れない道がある。そして、選択には責任が伴い、それはとても重い。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

祝・200試合出場。思い。

 コロナ禍に、コールリーダーの言葉が伝わる環境を作った。それが「#コールリーダーウダウダ」。ひたすら毎週話し続け、今週、その#コールリーダーウダウダの200試合出場を達成した。 年間52週。そう考えれば、4年は続けているということ。今週のコールリーダーウダウダでも話したが、コロナ禍を忘れつつある。いや、忘れてはいけない。決して忘れてはいけないのだ。 だから話し続ける。継続は力。継続は愛。そんなことを思い浮かべてしまう。時代は変わる。でも変わらないのは、人の心、サッカー。そして、なによりも大きいセレッソ大阪への思い。 「#コールリーダーウダウダ」をやっているとよくわかる。セレッソ大阪のコールリーダーは、多くのものが継承されている。実に30年以上に渡って、様々な思いがつながっているのだ。 200という数字は、その思いの積み上げの上に成り立っている。そんな思いを、これからも紡いでいかねばならない。そう強く感じた200回目のハーフタイム。仲間はありがたいと感じた。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

『継続は力なり』とか言うが。

 #コールリーダーウダウダ 200試合出場記念ステッカーが多くの方の手に届いていることを願う日々。大した話でもないけれど、ごくごく小さいことを積み重ねてきた結果なのだとも思う。 セレッソ大阪のコールリーダーは、1993〜1994年から30年以上連綿と続く旅路なわけで、この絆はちょっとやそっとじゃ崩れない。セレッソ大阪は、Jリーグはそうやって成長してきた。 その、言葉では表現しにくい、人間的なつながりを、スペースでは出しているつもりなのだが伝わっていれば嬉しいところ。だからこそ、今、ここにいる意味なども意義もあるのだろう。 ステッカーの画像をSNSでアップしてくれているのを見る。ふと胸が熱くなる。やってきたことや、やり続けてきたことの全てが、正しいものではないことも重々理解をしているつもりだ。 だけどそれらは、決して間違ってもいなかったのだなとも思えて、人間的なつながりに感謝してしまう日々。その輪がここまで大きくなり、そしてここからも更に大きくなっていくはずだ。 だから、続けられるだけ続けよう。昔ある人に言われた言葉。「『継続は力なり』とか言うがあれは嘘や。ほんまは『共に継続する仲間がいることは力なり』なんや」。これ、まさに本質。 ※ステッカーはイバのところにも若干あるので、もし手に入らなかった方は、スタジアムやお店などで見かけたときに声をかけてください。人と人のつながりから何かが始まりますよね。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP