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第34節 鹿島アントラーズ戦。

今朝、病院に行ってきた。医療機関はどうも苦手だが、先日の健康診断の結果を踏まえて検査を行なってきたのだった。これからは少し定期的に通院しなければならないわけだが、まずは問題を把握することができて良かったなとも思っている。

鹿島アントラーズとの最終試験の前日。アミーゴから連絡があった。ご飯でも、と思っていたが、このような時勢でもありなかなかそういうことも憚られる状況。残念ではあるが今は耐えるとき。そんな日々を過ごしていると、正直参ってきた。

さて話は戻る。その肝心の試験は引き分けに終わり、七月からの半年間で一気に駆け抜けたこの忘れられない戦いであった2021年シーズンは、最終的に四位という結果でフィニッシュした。来年のACLへの道程が元旦まで延ばされたことになる。

最後の最後までロティーナサッカーを貫く素晴らしい試合で締めくくったと言っていい。世界が縦に速いサッカーになりつつあるこの時代に、少ないリソースでどう立ち向かうか。僕らはこの二年間で多くのものを学んだ、そんな気がしている。

思いのほか多くのセレッソ大阪のファン、サポーターが観戦されていた。いつも驚かれてしまうのだが、Jリーグが発足して以来一度も訪れたことがないのがこのカシマスタジアムなのだ。何故か毎回日程が合わず、今年は病魔に邪魔をされた。

そして新型コロナの影響で結局のところ今シーズンのスタジアム観戦はたったの一回に終わった。聖地には行けずじまい(実のところOITOにも顔を出せていない)で終わるシーズンなど初めてだ。そんな、特別な一年。無事に終われて良かった。

次のサッカーがどのようなものになるのか。固定観念は良くないのだろうが「時代への逆行」では無いことだけを今は切実に祈りたい。ロティーナ、イバンの功績をクラブが残さなくとも、僕らファン、サポーターには生き続けるのだと思う。

最終試験を半分だけパスした我がクラブ。来年のことを考えると鬼が笑うが、少なくとも僕らは笑ってはいられない。試合を終わってからプレビューショーという体たらく。この映像を見ての未来予想図。まあ、とにかく明日の「お言葉」やな。

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