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8月, 2020の投稿を表示しています

第13節 横浜FC戦。

八月のサッカーショップ蹴球堂も締め処理が終わりつつある。取引先様にはいつも助けられてばかりだ。この関係性がどこまでも永遠に続くことを祈っているのと同時に、もちろんのことではあるが、ビジネスとしても成長を目指していきたい。
夏休みの最後として横浜FCとのアウェイ戦を今回もDAZNでのリモートリアルタイム観戦した。一週間は空いたものの、ここからまた九連戦が始まる。企業戦士には休息が無いと浜田省吾氏は歌っていたが、「特別な夏」のサッカー選手も同様だ。
ある程度同じメンバーで戦ってきた今シーズン。ようやくと言っていいほど数名を完全に空けることができた。それはそれでありがたいのだが、急務なのはセンターバックのような気が個人的にはしている。特にマテイ・ヨニッチ選手が心配だ。
今日はかなり体力を温存しようとした省エネサッカーに感じだったが、それでも疲労は溜まっていると思われる。数日で回復するとは見込めない。怪我から復帰した選手たちの目処も立ったような感があるし、ミッドウィークは総力戦だろう。
ところで今日一番気になったのが相手ゴール直後と試合終了後のキム・ジンヒョン選手。すぐにボールを離さなかったことが原因だと思う。僕が相手サポーターだったらかなり声を上げていたように思う。「特別な夏」だからこそ、より冷静に。
さて自分自身のことで恐縮ではあるのだが、九月からは少し表に出ていってみようと思っている。まだ海外や日本全国を廻るのは難しいが、東京都内からスタートする。僕にとっての「特別な夏」をここからRESTARTしていく。遅めだけどね。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ちょっとだけ宣伝を・・・ マテイ・ヨニッチ選手を応援しよう! SUPER DOBRO #22 Tシャツ(白×ピンク) サッカーショップ蹴球堂BASE店

バイエルン・ミュンヘン全勝優勝。

今朝、南野拓実選手のリヴァプールでの公式戦初ゴールを見た。この件はまた別の機会に書こうかと思うが、束の間の休息から始動二週間でのコミュニティシールド。怪我人が出ないようにと願うばかりだった。ふたつのキックに心震えている。
さてこの試合。つい先日「ああ、ようやくヨーロッパの19-20シーズンが終わったな」と感じてすぐの公式戦だった。だから、かなりピンと来ていなかったが、チャンピオンズリーグファイナルはわずか一週間前だったのだ。結果はご存知の通り。
バイエルン・ミュンヘンが全勝優勝という史上初の偉業を達成した。ベテランと若手が融合し本当に素晴らしいチームだなと思いながら僕は、18年前にミュンヘンのトレーニングセンターを訪れたことをふと思い出した。あのとき僕は若かった。
セレッソ大阪とバイエルン・ミュンヘンはマーケティングなどについて業務提携していた。当時はそのバイエルン関係者の方から「サポーターと話がしたい」と食事に誘われることもあった。そんな中で知り合った方に会いに行ったのだった。
いろんな話を聴かせてもらったりして、クラブだけじゃなく、ビッグクラブになっていく(まだまだだけど)過程でのサポーターのあり方やクラブへの貢献とはどのようなものか、といったことをなんだか学ばせていただいたような気がする。
一期一会と言うと僕の言葉はとてつもなく軽すぎるのかもしれない。だが、やはり、セレッソ大阪を通じて出会った方々との思い出が、その後の人生に大きく影響しているのは間違いない。バイエルン・ミュンヘンの栄冠を見て、僕は感じた。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

SAKURA NEXTを見ながら。

今日とある事故が発生した。何が起こったのかまったく分からず、ただその様を見ているしかできなかった。一瞬にしてデータが無くなり僕は途方に暮れた。自分のなら良いのだが、他の方が作ったものだったので、ショックが非常に大きい。
いまDAZNでセレッソ大阪U-23の福島戦を見ている。高校生を含め十代の選手が7名もいるという本当に若いチームで戦っている。なかなかトップでという感じにはならないかもしれないが、今シーズンを大事に戦い続けて欲しいなと切に願う。
それでも、どこかのタイミングで、上で使ってみてもいいんじゃないかと思わされるプレイの選手も何名かいる。先を見据えてしっかりと育てていくのも大事。しかし思い切って勝負させるのも大事だ。試合を見ながら、そんなことを感じた。
今年はなかなか勝てていない上に、ゴール数も最下位だと聞いた。もちろん定量的な評価が、サッカー選手として重要なのは当たり前。だが、ゴールだけでは判断できないプレイもある。やはりリアルでフルタイムで見ていこうと思っている。

さて、肝心のデータだ。謝罪をして、そして自分自身で作っている。リカバーできるレベルだから良かった。原因を調べてみたが参考になる記事も見つけた。運が尽きているかもしれないこの日に、SAKURA NEXTが勝利してくれるのを祈る。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

フレンチトーストへのこだわり。

最近フレンチトーストにハマっている。食べるのもそうだが特に作るほう。毎週末になると朝の日課になりつつある。とは言え熱しやすく冷めやすいB型の本性がいつか出てくるのではないかとビクビクしているが、その日までは楽しもうと思う。
前々からも書いている通り僕には「食」というものにこだわりがまったくと言っていいほど無い。さらに言うと食べかたがめちゃくちゃだと叱られることもたびたびだ。そんな状態なのになぜかフレンチトーストの作りかたを意識し始めている。
具材には興味は無い。六枚切り100円の食パンを二枚、普通の卵を一個、普通の牛乳を100ml、そして普通の砂糖を大さじ八分目。バターを熱した弱火のフライパンに、耳をカットして半分に切ったうえでしっかりつけ込んだ食パンをセットする。
蓋をして片面を5分ずつ。じっくりと焼いていく。少しずつ膨らみながら焦げ目を作っていく食パン。ひっくり返すのはたった一回。あとは勝手に焼けていく。では、僕は何をしているのか。それは祈りだ。美味く焼けるように祈ることなのだ。
やはり祈りは大事だ。祈りはこのフレンチトーストへ届く。届いた結果、最高の出来栄えとなって返ってくる。ちょっとくらいの焦げっぷりは祈りの力でなんとかなるものだ。僕は少しも手を下さず、ただひたすら待って待って待ち続けていく。
見事に出来上がったフレンチトーストを食す。いや、その前にマヌカハニーをふりかけていく。なんでここだけ?とお思いかもしれないが、実際ここにも特にこだわりは無いのだ。甘さたっぷりのフレンチトーストにさらにこだわっていきたい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

エクササイズバイクがやって来たヤァ!ヤァ!ヤァ! 。

ほぼ、年がら年中仕事をしているんじゃないかと疑われている僕(そんなでもない)だが、このコロナ禍において働きかたが変わっていっている。特にあっちこっちに行っていない分、良いのか悪いのかだが家でのワークが圧倒的に増えている。
時間は有り余っているので全然捗るのだが、どうしても問題になるのは運動不足だ。「体系、変わらないよねー」とよく言われるのだけれど、ところがどっこい、二十代の頃からしたら10kg以上増えているかられっきとした生活習慣病患者だ。
そんな我が家にエクササイズバイクがやってきたのだ。置くところに苦慮はしたが何とか定期的に運動することができそうだ。ワンコの散歩と併せて、せめて週に三回くらいは頑張って走ろうかと思ってはいるが、果たしてどうなるだろうか。
以前にも書いたが僕はどうも目的無しに運動するのが苦手だ(ただ走るという子供の頃のトラウマだらうか)。だがこのバイクの際には、映画を見ながらサイクルすることにしている。これにより、映画を見る目的の元に運動することができる。

見たかったけど今まで見れてなかったとか今度でいいかと思っていた作品(失礼だが)と触れ合う機会をもらえた。そんなエクササイズバイクが五十路を過ぎた身体にどんな化学反応を起こすのか。しばらくガムシャラに走ろうかと思っている。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

衣食住とサポーター。

久しぶりにミッドウィークのゲームが無い。試合を見たい気持ちと、選手たちを休ませてあげたい気持ちが揺れ動く。一週間でどうにかなるものでも無いだろうが疲れを癒しながら週末に向けて臨んでいるものと思う。頑張りに脱帽してしまう。
週末も週末でレディース、ネクスト、トップと三試合の梯子状態になっている。だが、何故か心地よい。身も心もセレッソ大阪と共にあるからだろうか。海外の試合の楽しみ方含めて、ニューノーマルなサッカーとの生活をエンジョイしている。
やはり歳を取ったせいなのだろうか。最近「サポーターとは?」と考えてしまうときが多々ある。どうしてもゴール裏にいる人=サポーターと思われがちだが、「クラブを中心に生活が回っている人」のことをサポーターと呼びたいと僕は思う。
僕の周りには、本当にそのような熱い方々で溢れている。だからこそ四半世紀以上ものあいだ、幸せで充実した日々を過ごせてきたのだろう。もちろん「衣食住」は大事な要素。なので、そのなかにセレッソ大阪が割って入ってくるのかどうか。
いや、違う。「衣食住」そのものがセレッソ大阪なのだ。身に付けるものはピンクとネイビー。セレッソ大阪が大好きなサポーターのお店で美味い飯を食い、場合によってはスタジアムの近辺に住んだり店舗を構えたりと、それがすべてなのだ。
これは、資格とか官位などが与えられるような代物では無い。自然と生活がそうなっていくのだ。そんな生き物がサポーターなのだと僕は思っている。CEREBAKAを始めてからは特に、そんなサポーターの生きかたというものに強く惹かれる。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

1984年のバランス。

もう何年ぶりかだが映画「ベストキッド」を見た。やはり僕的にはジャッキー・チェンではなくノリユキ・パット・モリタだ。1984年公開なので初めて見たのは中学二年か三年。洋楽にハマり洋画にハマりサントラをよく聴いていた時代だった。
この映画。子供の頃にはそれほど意識していなかった(レフトハンドとライトハンドしか耳に残っていなかった)が、かなり素敵な言葉のオンパレードだった。その中のひとつである「バランス」というフレーズに、なぜだか惹かれてしまった。
「心と身体は常にバランスを保っている」というような言葉だったかと思うが、実にシンプルだ。確かに自分自身に置き換えてみても、心が乱れるときには身体に不調をきたし、その逆もある。僕という存在はそのバランスで保たれているのだ。
バランスは本当に大事だ。映画も書籍も。そして会話などもそうだが、どうしても見せようとか聴かせようとかしてしまうあまりにバランスを失う。それにより、言いたいことの本質や実態が非常に見えづらくなってしまう(僕の行動も然り)。
この世はシンプルで、その世界を構成する物事もシンプルである。それらがバランスよく配置されることで美しさが生まれるのだと、僕はこの「ベストキッド」から学んだ気がした。やっぱり若い頃の映画を見直したほうがいいのかもしれない。
続きを見るかどうか悩んではいるが、それとは別にNetflixで「コブラ会」が今週末から始まるようだ。あの戦いから数十年。配役もあのとき同様でもあるし、次はどんなことになるのか今から楽しみだ。OB戦などという甘い戦いではないだろう。
そう言えば1984年というキーワード。ジョージ・オーウェルの「1984」が改めて読みたくなって買ってはみたもののまだページを開けていない。この小説も「シンプルな言葉」がバランスよく散りばめられている。まあ受け取り方は様々だけど。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

夜に夢を見ることが多くなった。

「夢は何ですか?」とよく聞かれるが、セレッソ大阪のリーグ制覇と答えるのが大半だ。三年前にカップ戦ふたつを手にしたが未だ手が届いていないリーグ戦での優勝。死ぬまでにこの眼で見たいという願望は、あとどれくらいで成就するのか。
最近、夜に夢を見ることが何故だか多くなった。僕は学者では無いのでこの夢を見るメカニズムが何なのかはよく知らない。だが実にリアルなものが大半で、朝目覚めるまで本当のことのように錯覚してしまう場合が多数。どうしたものだろう。
特に多いのが「時間」。例えば夢の中では9時になっているにも関わらず目が覚めると全く違う。夢なのだからそれは当然なのだが、そのほとんどが二時間のズレ。これは何かの暗示かと錯覚してしまうくらいの状況なのだ。とても不思議である。
そしてもっと考えてしまうのが、登場人物の多くが身近な方々なところだ。自分自身でも理解に苦しんでしまうこの夢。一体何が原因で起こっているのかなど考えないといけないのだが、天性のいい加減さが相まってか、「まあいいか」状態だ。
まあ楽しいものが非常多いのでありがたい話ではあるが、こうも頻繁に夢を見てしまうのは睡眠にも影響ある気がしてしまう。目覚めはそれほど悪くない。悪くはないが、この先も夢を見続けるのが良いのか悪いのかを考える時期かもしれない。
そう言えばこのワンコも寝ているときにかなりの音を立てている。やはり夢を見ているのだろうかと思ってしまう。ご飯を山盛り食べているのか。それとも野原を走り回っているのか。朝も寝ぼけていることが多い。良い夢なら良いのだけれど。
あと一個、夢を思い出した。やっぱり世界中を廻ってみたい。何も考えずただひたすら風の向くまま気の向くまま。現実はなかなか難しいことも多いだろうが、いつまでも夢を追いかけていたい。ちなみにこのふたつの夢は、夜には出てこない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第12節 ベガルタ仙台戦。

世の中には本音と建前が存在する。直球勝負ばかりだと、やはりにっちもさっちもどうにもブルドックだ。特にビジネスの世界では腹の探り合いが非常に多く、そんな世界に風穴を開けようと160km/hの豪速球を選択し、見事に打ち返される。
だが、ときには意地を貫き通すことの大事さも、人は皆分かっている。これは他でもない自分自身の本音やプライドの問題だ。自分の信じる道を否定されたと感じるとき、人は打ち勝とうとするか、それとも捨てるかの二択を手にするだろう。
良い悪いは別だが、戦うべきときに戦わないのはどうなのかと思う気持ちもあったりする。あるシンガーが出演を辞退したり、あるサポーターがラジオ番組を降りたりしている姿を見ていると、意地を貫き通すことの大事さを感じさせられる。
あの前節のあとの試合だけにもう少しピリピリ感があるかなと思ったが、選手たちが意外と割り切っている部分もあってホッとした。それだけあの敗戦は強烈なインパクトがあった。七連戦の最後の試合。勝利すること。これが大命題だった。
勝った。ただ、僕はこの勝利よりも、清武弘嗣選手、柿谷曜一朗選手が貰ったイエローカードに何故か惹かれた。ふたりとも良くないプレイの典型ではあった。あったのだけれど、そこには彼らなりの、彼ら自身のプライドとの勝負があった。
僕は若い頃からチームリーダーなどに就くことも多かった。特に、監督と選手たちとのあいだに立つ場面が何度もあった。仕事でもそうだ。常に本音と建前という世界だった。ほぼ人生のすべてを、そう過ごしてきたと言っても過言では無い。
だから彼らの気持ちが痛いほど分かる。スポーツの世界でも何でも、それらを実力で見せていかなければならない。本音と建前の世界に存在するアスリートの気持ち。決して彼らは口には出さないだろう。でも僕にも充分すぎるほど、分かる。
イエローカードにはそんな思いが詰まっていた。勝つためにどうするか。そして迫りくる若者たちの闘志に対して、戦うべきときに戦う姿。理由などない。意地を貫き通すとはそういうことだ。間違っているかも知れないが、僕はそう感じた。
二人のキャプテンそしてすべての選手の頑張りに感謝したい。かなり体力的にも厳しかったとは思うし、現にラストまでは難しいだろうなと感じてしまう選手がいたのも事実だ。だが勝った。素晴らしいチームのサポーターで本当に誇らしい。
NEVER STOP,NEVE…

サッカー小説を書き始める。

少し前の話で恐縮だが珍しくお盆の季節なんてものに休暇を頂いた。まあすることもあまり無いので、某中古本販売の店舗へ行きダラダラと書籍を探しながら歩く。それほどではないけれどストレスが薄くなる感がある。買って満足してしまう。
これが小市民の幸せである。本はやっぱり面白い。前にも書いたことがあるが、映画化されたときのイメージよりも自分自身の想像だけをひたすら膨らませていくことができる。主人公の格好やヒロインの姿。そんな純な妄想を引き立てていく。
それが本の物語の醍醐味だ。最近は書くほうも始めているので(ちゃちゃっと某SNSに投稿中だけど)ちょっとだけ分かってきたが、読ませる文章にはそれなりの理由がある。僕のなど誰も読まないだろうが、そういう気持ちは常に持っている。
その書いている内容というのがサッカーとファンタジーの融合。やはり僕にはこのふたつの要素が必要だ。内容はとても書けない。そして、読んでみると、面白いのと面白くないの二面性を持っている。世の中の目に晒される日が、とても怖い。
この某中古本販売会社からそれほど多くはないものの毎年金券を頂いている。購入の際はありがたく使わせてもらう。ただ、株主優待はあくまでおまけであって、僕は本が好きで、しかも中古本が好きなので、だから長い付き合いなのだと思う。

本好きに悪い人はいない。僕はそんなおとぎ話を信じている。おとぎ話はネバーエンディング・ストーリーだ。死ぬまで読み続けることになるだろうが、隣に積み重なっている本が倒れてきていつか死ぬのではないか?そう思い始めたのだった。
そういやその際にこの本を購入した。何度も読んではいつも誰かにあげたりして家から無くなり、そしてまた買う。で、いつから読もうかと思案中。僕が書いている小説にもやはりサポーターは必須だな。どんな現れ方をするか今から楽しみだ。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

クライシス、インシデントにどう立ち向かうか。

もし鉄道が故障で止まったならばどうするだろうか。もし災害などで水道や電気が来なくなったら僕らはどのような行動を取るだろうか。ライフラインの停止は直接的に国家レベルで影響が現れる。このコロナ禍もなんだか同じ気がしている。
昨日、お昼過ぎくらいから某サービスで大規模な障害が発生した。利用率から見てもかなりのユーザーが悲鳴をあげているのが分かる。もちろんのこと僕自身も利用できないものがいくつかあったが、個人的にはそれほどの影響は出なかった。
やはり器が大きくなればなるほど復旧も難しくなってくるのだろう。そんなことを思いながらソーシャルデザインの勉強に勤しんでいた。その中ではそれほど話題にもなっていなかったのでそんなもんかと感じたが、確認したら結構な状況だ。
ほぼエネルギーや交通機関同様に社会インフラとしての役割になってきており、そういう意味では導入している企業や組織にとっては文字通り生命線になっている。そんなライフラインが動かなくなって、人はパニックになってしまうだろう。
頼りすぎている感もある。クラウドサービスは止まらないという神話じみたキーワードに惑わされることも多い。やはり世の中には絶対などなく、事が起こるのは必定だ。そんな世界でどのように生きていけばいいのかと頭を抱えたくもなる。
しかしながら、サービスの置き換えだけでは何も変わらない。結局はこのような事態を自分ごとと捉えて、いつでも起こる可能性があると考えることが大事だ。その上で代替案と事象発生を想定しての訓練を行なう。危機管理を意識していく。
クライシス。インシデント。未来を想定するのは非常に難しいこと。だからこそ、そんな不確実な世の中だからこそ、僕のようなファシリテーターが存在する。学んで頭で思い描いて紙に書いていくのも良いが、僕らにはレゴブロックもあるのだ。
チームのひとりひとりが作品を作りテーブル上に配置し接続する。そして、机上の空論ではなく、実際に事象を起こしてみて自分たちの方向性を決めていく。まさにレゴ®シリアスプレイ®の醍醐味。その状況から、自分自身の言葉が導かれる。
クライシス、インシデントにどう立ち向かうのか。カオスのようなこの時代にメソッドだけでなんとかなるものでもないと僕も思っている。だがもし道に迷いそうなときに、レゴ®シリアスプレイ®の存在を思い出してくれたなら、非常に嬉しい。
NEVER STOP,NE…

第11節 川崎フロンターレ戦。

勝敗は兵家の常である。特に、我が国のトップリーグは少なくともほぼ同等の実力を持っており、勝つときもあれば負けるときもある。そんな中で一喜一憂するのが僕らサポーターだが、それこそ、毎回毎回上手くまとまるなどあり得ないのだ。そのような幻想とはおさらばすべきなのだ。前節も今節もどうもメディアが「盾と矛」になぞらえたがるので話がおかしくはなる。最小失点、前半に失うことは少なく、流れの中からは取られないという、まさに幻の国の「おとぎ話」のごとく。いかなロティーナ監督でも抗えないものがこの世には存在する。機械ではなく人がプレイするのだ。多くが隠れてしまっているので気づきにくいが、ありえないようなミスも毎試合発生しているのだ。だからこそ、サッカーは面白いスポーツだ。確かに相手は強かった。だからと言ってそれは「うちが弱い」という理論が成り立つわけでは決してない。少なくとも、相手のスキを突くシーンは多数あった。サッカーはミスのスポーツだ。どちらがそのミスに乗じて得点するかにかかっている。そういう点では、問題は点差ではなく、もっと根本的なところだと僕は思っている。以前からも書いているが、今のスタートメンバーを脅かすほどの選手が出てこなければこの先もかなり苦労するだろう。改めてネクストプレイヤーに期待する。さてこの「勝敗は兵家の常」。三国志、魏の曹操孟徳の言葉だと伝えられている。この曹操も多くの敗戦のなかから何かを学んで、そして強くなっていったと言われている。今年が曹操没後ちょうど1800年だそうだ。何かと歴史を感じてしまう。三国志も(三国志演義というほうが良いか)次々と新たな英雄が生まれる時代もあった(とは言え終盤は人材不足で諸葛孔明が嘆くわけだが)。まずは連戦に備えた体調管理と、期待を膨らませてくれる選手の台頭を僕は待ってみることにする。NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」。

ついに、ではないが、生まれてこのかた半世紀が過ぎてしまった。この歳になると何かが大きく変わることもそれほどないだろうが(と書くと多くの先輩方にいつも叱られる)、それでもまだまだちょっとずつでも積み上げていきたいと思っている。今年も多くの方にメッセージを頂いて、ちょうど返信をしているところでもある。毎年思うことだがソーシャルネットワークの威力を肌身に感じる。コロナも相まってなかなか会うことができない日々が続いているが明けない夜はないと信じている。中心にセレッソ大阪がある人生もようやく半分を過ぎてさらなる高みへ向かう時期だ。アミーゴの一言に気持ちを高ぶらせながら、これから試合を見ることにする。勝ち点差はあるにせよ、こんな日に首位と二位で試合ができるなんて嬉しい限りだ。「人生五十年」というキーワードが子供の頃から刷り込まれていたが、この高齢化社会では華々しく生きて絶頂期にいなくなる、よりも、泥臭くても生きて生きて楽しみをまっとうするという人生も悪くない。そんなことを諸先輩から僕は学んだ。とにかく、一日一日を素直な気持ちで前に進みたいと思う。このさきのことは誰にも分からない。自分自身もそう。だから、仲間を大事に、今を大事にしていきたい。人の支えになれるよう、もっと大人にならないといけないなと感じる今日この頃。レゴ®シリアスプレイ®的に言うとしたら「大きなものと戦おうとしている若者を後ろから支えていく、いくつもの目を持った僕。身体よりは頭(思考)に重点をおいてサポートするつもりだが、一緒になって倒れることも重要かもしれない」のかも。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

虚構。

まず、最初に言っておきたい。これは何も「 最近の若いもんは」と言いたいわけではなく、ただ単に僕自身が感じた様々な事柄から推測して書いていく文章である。もちろん賛否両論あるだろうが、オジサンの戯言だと思っていただけたなら幸いだ。僕は自分の周りにいる二十代、三十代前半の若者をリスペクトしている。どういうところかというととにかく実に素直だ。質問すれば返ってくる(こんなの当たり前だけど)。頭の中で言葉を作るのが非常に長けている。そして何より、話が上手い。彼らは「自分」というアイデンティティを常に持っている。良いか悪いかは置いといても、ここから生きていく上で大事な部分だと僕は思っている。時間的な制約さえ無ければ、どんなことでもやってのけるのでは無いか、と感じてしまうくらいだ。当てはめて考えるのに妥当性があるのかどうかだが、今「大躍進」についての書籍(小説)を読んでいて、その過程になぞらえて考えてみている。7〜5万年前に起こった人類の進化。そこで次々と変革していき、現代の僕らの生活が成り立っている。その進化の過程のひとつに「抽象化」という能力が備わったとされている。「サピエンス全史」でも書かれていたのだが人は「虚構」を創り出す。社会を創り会社を創り人間関係を創り出していく。もしかすると友達も家族も「虚構」かもしれない。そんな虚構に埋もれた世界に僕らは生きている。にも関わらず若者は生真面目すぎるのではないか、と僕はそう思っていたりする。当然ながら人間悩みもある。「若きウェルテルの悩み」のように。その悩みをひとりで抱えてそうな気がしたりする。最近、今年卒業して就職したばかりの若者五名と、グループチャットする機会を持っている。何気ないお題に対して色々と意見というか対話を行なっているのだが、実に素晴らしい言葉を僕にくださることも多く、その言葉いつも楽しみにしている。「最近の若いもん」は逞しく、強い。だからちょっとやそっとの悩みでどうか挫けないでほしい。正悪あるが、僕は少なくとも多くの「虚構」を生み出して難局を乗り越えてきた。そんなどうでもいいこともも上手く伝わればと思う四十代最後の日。NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「IDOL IS NOT DEAD」と声を大にして言う。

若い頃から「アイドル」に惹かれやすいタイプであったのは否めない。聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョンから始まり、おニャン子などなど。そして最近では多くのグループが入り乱れている昨今まさに群雄割拠という言葉が適切だと思う。近年ではその「アイドル」との関わりもかなり変わってきた。少し映画などに絡む機会があったりして主演の方のグループを見に行ったりしていたが、このコロナ禍によって、イベントそのものに訪れる機会もまったくもって無いような状況だ。もちろんのこと、芸能関係者の皆さんのご苦労が身に沁みて分かる。安全対策をしっかりしているのだろうがお客様も"人の子"。立場を慮ったりして、なかなか大勢の人で溢れかえるような場所には行けない(そういう僕も同様であるのだが)。八年前、友が友を呼ぶかのように、わらしべ長者さながらの状況で多くの方と知り合っていった。この方々からは八年経った今でもいろいろなことを学ばせていただいている気がする。ご縁というものは実に素晴らしく大事な宝物でもあるのだ。そうそう、話を戻さねば。そのお一人である御方のフェス。僕も何度か訪れたことがある。このフェス、実にアイドルとオーディエンスとの距離が非常に近い。近いがゆえになかなか開催されてこなかったが、先日8月10日に行なわれたらしい。感覚がよっぽど自分に合わないと他のブランドは買うことはない。しかし、元来のアイドル好きTシャツ好きの心を揺さぶるようなこのデザインに何故か惹かれた。早速僕はこの御方に連絡し、たった一枚ではあるがこのTシャツの黒を購入した。何日か経ったある日。ポストにレターパックが届いていた。小さな箱に無理やり詰め込まれていて取り出すのに四苦八苦してしまった(入れ方を考えたほうがいい)。僕は曲がった部分を戻し、封を開けて、恐る恐るTシャツを取り出してみる。黄色い紙がひらひらと落ちた。Tシャツはレターパック同様にひん曲がった状態だったが、メッセージが記されたこの小さい紙は、書きシワだけを残してピンと綺麗な姿を残し続けていた。そこに書いてある言葉を読んだ。僕は涙が出そうになった。IDOL IS NOT DEAD。そう。アイドルは死んでいない。アイドルはいつの時代も光り輝く存在。アイドルはこれからも未来永劫続いていく。そんな強い気持ちをメッセージから貰った。なんだか僕は無性に、このア…

第10節 柏レイソル戦。

夏の風物詩の高校野球が中止となり、その代替試合が現在行なわれている。その高校のひとつである磐城高校と大会運営の粋な計らいに感動する。ほっこりしたいわけでも無いのだが、僕のグッとくるポイントは、このようなエピソードなのだ。
新型コロナウイルスは悪いことばかりでもなく、人と人とのつながりや優しさも生まれているような気持ちになる。戦争など逆のケースも少なくはないが、やはり僕らは共同体であり、すべては人に向いてくる。そんな世の中は悪くないと思う。
終戦の日に開催された柏レイソルとの一戦は、戦前に予想された通り非常に厳しい戦いとなった。最後の最後のギリギリのところでキム・ジンヒョン選手とセンターバック、ボランチの計五名で中をしっかりと締めて守り切ったという感がある。
このディフェンス陣のテクニックにグッときている。ブロックやストップも称賛に値するが何より予測や、どちらかのコースを切る守り方に感動を禁じ得ない。20本近くの被シュートがあるにも関わらず、怖さを感じなかったのはそのおかげだ。
もちろん三点とも効果的に取れたのもあって、戦術を明確にしやすかった。特に先制できたことで勝利への道筋が立てられていた。このサッカーが面白いかどうかは別にしても、大事な試合が続く中でのこの勝ち点3はチームにとって格別だろう。
さて西川潤選手のお洒落なゴラッソ。左足のループの前の身体を使ったフェイント(ただの歩数合わせとも言う)。そして柿谷曜一朗選手の穴を見つけるかのようなドリブルもそう。決してゴールだけでないところに僕はグッときてしまうのだ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「特別な夏」の八月一五日。

今年の夏は「特別な夏」。日本人にとって忘れてはならない今日という日も同じく忘れられない「特別な夏」になるのだろうか。いつもだったら都営新宿線九段下駅に向かい、そこから歩いて数分の場所を訪れているはずだろう。だが今年は叶わない。この時期になると、あの戦争にまつわる映画を見たくなる。今回選んだ映画は「ローレライ」だった。公開は終戦から60年後の2005年。お恥ずかしい話だが今回初めて見た。内容についてはともかく、戦争というものの儚さを改めて知ることとなった。広島、長崎に原子爆弾が投下され、そこからの一週間。日本全国が次の候補地となる可能性もあったのだろう。このふたつの都市には何度も訪れている。当時の悲惨な状況を考えただけでも胸が痛くなる思い。この思いは多分、一生消えないのだろう。毎年正月は初詣にて靖國神社を必ず参拝するが、よく考えればこの終戦の日は、昨年も仕事で行けていなかったのだ。来年こそはこの時期この場所へ訪れることができるような世の中でありたいと思う。そんなことを考えながらこの文章を書いている。もう何度も見たかもしれない遊就館にも訪れたい。良いか悪いかは当然あるだろうが、日本という国の歴史がここには詰まっている気が僕にはする。戦後75年の節目。あと25年経った世界はあまり想像できないが、時間による風化は決して無いだろう。さて「ローレライ」という映画。監督は「日本沈没」の樋口真嗣氏。名だたる俳優陣もさておき、カメオで「機動戦士ガンダム」の富野由悠季氏と「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明氏も出演されている。内容はともかく、是非見てほしい映画だ。NEVER STOP,NEVER GIVE UP

痒いのは人犬同じ。理由は違えど。

痒いものは痒い。最近どうも虫刺されっぽい感じだったので、この商品を買って使ってみた。その名の通りかなり強力で一気に痒みがなくなった。当然ながら犬の散歩コースは木々が多いので、藪蚊などの襲撃を浴びる。この時期はやはり辛い。
我が家の黒いワンコも同様だ。ちょっと前からものすごく痒がっている。人間と一緒で虫刺されかなとも思いながら、部屋のクリーニングもしてみて様子を観察していたが治らず、いつもお世話になっている動物病院へ連れていくことになった。
このお盆時期にも関わらず開いている。本当にありがたい話だ。僕は先生に色々と説明した。六月くらいにも痒がっていたのでその際は薬をもらうだけだったのだが、今回は「預かります」ということで、注射と薬浴を実施するとのことだった。
そして呼び出しがあり、夕刻に迎えに行った。治療費を支払い、薬をもらってさあ帰ろうとしたら引っ張っても何をしてもそこから動かない。どれだけ良い思いをさせてもらっていたのか。仕方なく力づくで病院から退出し、階段を登っていく。
とにかく痒さは収まったのか今はぐっすりと寝ている。やはりお医者さんは身体のプロだなと思い知らされる。昨今のコロナ禍。医療機関の方々に改めて敬意を表したいと帰り道の坂で思った。施されたから施し返したいが何ができるだろうか。
追伸だが、このワンコは「虫刺されではない」とはっきり言われた。では何が原因なのか。まずは勧められたことをしっかり行なって、一週間後どうなるかだ。それにしてもこれは薬浴の効果なのだろうか。毛艶がとても良くなって帰ってきた。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

個性が混じり合う。

昨日のルヴァンカップ。ベガルタ仙台戦のダイジェストを見た。柿谷曜一朗選手のゴールにかなり痺れた。やはり彼のプレイは華がある。どちらかと言うと、人を使うよりも人に使われるほうがより価値が表れるのではないかと僕は感じている。
まだ八月の半ばではあるが先月今月でレゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークショップを計四回。リアル一回とあとはリモート。今週分も20ページ以上に渡るレポートを書き上げた。作品にどのような意味を与えたのか、事細かく写真などに記載していく。
サッカー選手と同様に、ビジネスパーソンにもそれぞれの個性がある。リーダー的存在や使われてこそその能力を発揮する人など実に多種多様だ。レゴ®︎シリアスプレイ®︎のワークショップではそんな個性が、ブロックの隙間から滲み出してくる。
しかしながら滲み出してくるその個性を欲しがらないチームもあったりする。特定の誰かの意見だけで方向性を決め、それを同意させることばかりになぜか躍起になってしまう。このような不確実性の高い時代になってさえも変わる気配がない。
それよりも、ブロックを通してメンバーから滲み出した個性をブレンドしていくほうが、素晴らしい道筋を描ける。心理的安全性の中で、ただレゴ作品とだけ向き合って生まれる珠玉の言葉を、僕は、作品のひとつひとつに吹き込んでいくのだ。
レゴ®︎シリアスプレイ®︎はリフレッシュの道具だけでなく、大人のための問題解決メソッドとして充分な機能を持ち得ていることを先日のワークショップで改めて知った。それはアウトプットしていくことでさらに光り輝いていく。僕はそう思う。
リーダーが欲しいのは、口先だけで作り出した目先の事柄なんかよりも、滲み出る個性と個性が混じり合って融合していく様だ。今からでも遅くない。メンバーが、新たなアイデアを探したいのにモヤモヤしているときに思い出してくれたらと。
そうそう。サッカー選手のようなアスリートにもレゴ®︎シリアスプレイ®︎は有効だと考えている。ボヤッとした未来をイメージして作った作品のブロックから、また違った個性が滲み出ていくだろう。そんな個性が混じり合った姿を見たいものだ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「退化」しないように。

昨今の地球温暖化に対する捉え方は人それぞれなのかもしれないが、僕は毎年暑くなっている気がする。それは本当に気温が暑くなっているのか、それとも僕自身の老化のせいだろうか。どちらも合ってそうで何とも言えない日を過ごしている。
以前に比べて汗をかき方が変わったような感がある。身体のメカニズムなど理科の時間以来覚えてもいないが、身体的影響は否めない。いま人間の進化についての書籍を読んでいたりする。実のところ「退化」しているのでは?と思ってしまう。
まあ「退化」などまったく無さげな姿を見せる、ラジオ体操の御年配の皆様を見ていると、暑いだの夏バテだの言ってられないなと感じる。朝はまだマシとは言え、毎朝六時半の公園を横切るだけでも、元気をもらっているような気分になる。
いやいや、僕もそれほど変わらない年代に近づいている。あと一週間もすればいよいよ大台だ。若い頃のようにモリモリというわけにはいかないものの、しっかりと食べてしっかりと寝て、歳を取っても「退化」しないように気をつけていく。
さて、ルヴァンカップは無事プライムステージに勝ち上がったようだ。怪我人もいるので何とかローテーションでやり繰りしていただろう。かなり暑いし選手の体調も心配にはなってくる。同じ人間であるし、必ず一年に一度は歳を取るのだ。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

新宿でも「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」。

本当に久々ではあるが拠ん所無い事情にて新宿の街に行った。人が多いのかどうか。普段を見ていないのでなんとも言えない。だがビフォアコロナと比べたら圧倒的に違うのは僕でも分かる。エリア的にやはり影響をもろに受けているのだろう。
もちろん夜までいるはずもなく17時には自宅に戻るという安全対策を施しながらの新宿。いつも外国人の観光客に見てもらえていた「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」Tシャツだったが、やはりこの時勢もあり、皆さんの目線が僕の胸に向いている。
立ち止まらない決して諦めない。言葉が書かれたシャツだけで一体何ができるというのかと言われるかもしれない。たしかに言葉だけでは難しいときもある。とは言え僕らのこの言葉は、日本のみならず世界においてもインパクトを見せたらしい。
新宿の街でも、やはりこの状況でもあるので特に「NEVER GIVE UP」に目が行くのだろう。じっと見てくる方、サラッと読んですれ違う方などもことのほか多い。特に「夜の街関連」という嬉しくない代名詞をもらった場所だからかもしれない。
新宿の目的。ビックロで生活家電を見る。LEGOの作品に「アナと雪の女王」がラインナップされていた。作品のクオリティはともかく店舗として多くの方を勇気付けようとしているのが本当に分かる。僕はそんなことを思ってしまったのだった。
人に勇気付けをするにはまずは自分自身に勇気がなければならない。そのために「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」Tシャツを着ると言っても過言ではない。世界中の多くの勇気をもらいながら、立ち止まらず決して諦めない気持ちを伝えていく。
余談ではあるが、いま家に「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」が10枚くらいあり、ほぼ毎日一緒でも可能だ。まさに、某猫型ロボットが助けている小学生ばりのワンパターンの服装でもある。気をつけないと無頓着が過ぎるとここまで貫けてしまう。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

あるべき姿を描く。

最近、第二次世界大戦中に関する内容が含まれる書籍を読む機会が多くなった。これは専門書だけでなく小説然り。日本もそうだが世界を見ると、今まで知らなかった事柄が多く発見されていることに気づく。技術の進歩によるものなのだろう。特にあのシリーズ物の小説を読み始めてから、この時代の謎というものに取り憑かれるかのようにむさぼり読んでしまう。特に事実かフィクションか判別できない、微妙なニュアンスの内容に惹かれるのもある。時代の変化を目の当たりにする。その流れかどうかは別として、先日受けた講義の中で僕自身にとって非常に腑に落ちる言葉があった。権利などの問題でこちらに書くことが叶わないが、端的に言うと「なにかの要因によって未来などすぐに変わってしまう」ということなのだ。今回の新型コロナウイルスが良い例だ。企業、学校においてあれほどオンライン学習や在宅ワークを訴えてきたのだが、振り向いてくれる方は少なく進捗も芳しくなかった。だが、たったひとつのウイルスによって一気に行動変容してしまった。企業や店舗の廃業/倒産も相次いでいる。それほど大したことがないのではと思っていた、ほんの半年前。今ではコロナファーストではないが、このウイルスを中心に医療も経済も回っているように見える。辛うじてF.C.OITOと蹴球堂は存命だ。このように、未来など何が起こるか誰にも分からない。最近ではその流れを汲んで、中長期で計画を立てることをしないという組織も出てきている(もちろんビジョンはその都度変わっていくのだろうが)。これは非常に理に適っていると思う。この時代の真のリスクとは「変わらないと信じてしまう」ことだ。ある日突然に世の中が一変してしまうのだということを受容する必要が、僕らにはある。だからこそ「 未来を描く」のではなく「あるべき姿を描く」。そこから始めていきたい。明日のワークショップの話題はまさしくここだ。まったく新しい視点から物事を見ることができるレゴ®シリアスプレイ®も世間ではまだまだ認知度が低い。だがなにかの要因でその認知度も一変する可能性だってある。だから僕は変わり続ける。NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第9節 FC東京戦。

どうしても「手段」と「目的」を間違えてしまうケースが世の中には多々ある。CEREBAKAでも話題になったが例えばサポーター。選手の一足に影響を及ぼさないサポーターの応援は「応援のための応援」でしかない。僕は常々そう思っている。
今日のFC東京戦は現地チケットが完売したと聞いていた。たしかに、多くのファンとサポーターがいらっしゃったように思えた。ホームチームがなかなか勝てない、などという報道もあり、どのクラプのサポーターも本当に悔しい気持ちだろう。
そんな中で、すべてモニタ越しとは言え、土日でセレッソ大阪を梯子できる幸せなどを噛み締めている。昨日今日で三試合リモート観戦してJ3がスコアレス、レディースがワンゼロ。そして、トップもスコアレスで一勝二分という結果であった。
三試合で得点1で失点0。良いと見るのかそれとも物足りない感じなのか。頭の中で色々と考えてみるのだが何も浮かばない。理想と現実のギャップというものが行ったり来たりするような、そんな90分、というものを三つも見たような気がする。
選手も相当な疲労感があったはずだが本当に戦っている。だがここからはもちろん怪我との戦いでもある。今日も無理に行ってしまうシーンもあったりして、ちょっとひやっとした(だけど汗はひかない)。サポーターの力はやはり必要なのだ。
その象徴がロングスローの際の手拍子だ。この手拍子が藤田直之選手、片山選手の一足ならぬ両の手からのボールの一押しをしていたように僕には見えた。選手の能力でしょ、と言われるかもしれないが、僕はこのサポーターの力を信じている。
試合終了後にある横断幕が映った。ある講演で僕が言ったフレーズがそこには書かれていた。この言葉をまぶたに焼き付けようとした。選手がどう思うかよりも、どんなときでもクラブと選手のためにサポーターは存在するのだと改めて感じた。
そのシーンはあっさりと別の映像に切り替わった。しばらくぼーっとモニタを見つめ続けていたら、いつの間にかDAZNのロゴになっていることに僕は気付いた。もう一度と思い時を戻してみたのだがまったく見つからなかった。僕は暗闇を見た。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

海老ドリアとおむすび。

世間でいう三連休の初日。いま、仕事をしながらセレッソ大阪U-23の試合を見る。いや、サッカーを見ながら仕事をする、といったほうがいいのだろうか。ワークライフバランスが取れていないと思われがちだが、僕には結構合っていたりする。
先日、お昼ご飯に海老ドリアとおむすびを食べた。これはまさに「米on米」。お米のおかずにお米を食べる。なんとも奇妙な巡り合わせではあったのだが、食してみると意外や意外でなんだかいける。これが流行るとは到底思えないが僕らしい。
それくらい僕は衣食住というものに頓着がない。ジャージonジャージは僕の代名詞でもあるし「渋谷本町Tシャツ」は散歩のお供だ(なにもこのTシャツが悪いと言いたいわけではない)食については前述の通りだ。こんな生活を送っているのだ。
住居にもそれは言える。もちろん家族のために安心で安全を担保するのはあるかもしれないが、ここもそれ以外はそれほどこだわりがない。じゃあ一体、何が楽しくて生きているのかとなりそうだが、こだわるポイントが決してないわけではない。
そんなひとつが「仕事を楽しく」だ。嫌な仕事でもやりかた次第で楽しい仕事になると常々思っている。サッカーを見ながら仕事をして本当に効率が良いのかと言われそうだが、僕にとっては海老ドリアとおむすびの関係だと思っていたりする。
今シーズンのセレッソ大阪U-23は、J3で非常に苦労している。コロナ禍なので大変さは分かるが非常に険しい表情が多いと感じる。結果も重要なのだが、まずは、海老ドリアとおむすびのように、こだわりをなくしてみてもいいのかもしれない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

人の寿命は短く、民は忘れやすい。

日本人にとって八月六日は特別だ。二日後の八月九日そして八月十五日も。有史以来、この国の転換点は数多くあったが、この三日も同様だと僕は思う。その後に続く高経済成長もバブルも、失われた二十年も、もちろん今を生きるこの時代も。
だが僕らはとても忘れやすい。いや人間という生き物自体が、忘却と向き合って生きている。先日、再放送ではあったが「アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理吉田茂~」というテレビドラマを見ていて、改めてそのことを感じた次第だ。
「人の寿命は短く、民は忘れやすい」。この言葉に共感を覚えた。誰もが前述の三日、いやこの日以外にも多くの忘れられない日があるのだが、時とともに風化していってしまうのが世の常だとしたら、僕たちは一体、何をどうすればいいのか。
皇居外苑北の丸公園の少し分かりづらい場所に、吉田茂像がある。このドラマではかなり脚色もあるだろうが、やはり昭和を代表する総理大臣でもあった。僕は政治に無頓着なので言葉にしづらいが、今、このドラマが放送された意義を感じた。
日は違えど毎年のように訪れていた広島の原爆ドーム。今年はこのような状況でもあるので非常に残念でもある。終戦の日も靖國神社へ行くのは難しいと感じている。それでも、誰に教わったでもないが常に記憶の中に留めおくことにしている。
すべてかどうかはさておき、この時代の方々のおかげで僕はいま仕事にサッカーにと楽しめているような気すらする。前にも書いたが、幕末史、明治史と同様に、もうちょっとこの戦後史というものにも興味を持っていかねばならないと感じた。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

店舗の空気感。

小売業は非常に切迫している。店舗としての感染防止対策を行なってはいるものの、やはりお客様が感染する/感染させてしまうという思いをお持ちなのだろう。日本全体の自粛ムードのなかで、多くのお店さんの苦労が手に取るように分かる。
2年ほどリアル店舗を閉めていたが、僕も15年近く関わらせていただいてその苦労を感じる。ひとつひとつの思考や行動において、お客様やスタッフの健康面への配慮が念頭にあるのは当たり前であるし、そして、どこのお店さんも同じだと思う。
先日、大阪に戻った際、わずかの時間ではあるがF.C.OITOに立ち寄った。この駄ブログでも書いていたように、開業してからは一切訪れていなかった。僕にとっては痛恨の極みではあったが、今回でようやく(ほんのわずかだが)肩何が降りた。
もちろん、店舗の風景や来てくださるお客様については常にレポートされてくるので確認ができるのだが、やはり「店舗の空気感」というものは店舗を直に見なければ分からないことも多々ある。しみじみとF.C.OITOを見ながら、そう感じた。
お客様と笑い合いながらF.C.OITOで逢える日は、一体いつになるのか見当もつかない。時間短縮などの自粛が良いのか。それともリスクを抱えながらも経済活動を行なうのが良いのか。僕には分からないが、大事なのはお客様とスタッフの健康。
新型コロナウイルスどうこうよりも、たぶん本質はそこなんだろうなと思いながら、今日以降も同様に多くの策を講じていくことになる。この先も非常に厳しい状況は変わらない。だったら僕らはどのような思考と行動を取っていくべきだろう。
お盆休みも帰阪する予定は露と消えた。年内はどうなるのかも不透明。それでも、新たな取り組みを様々考えていきたいと思っている。少し厳しい時期ではあるのだが、お客様と一緒に、「店舗の空気感」を温めていけるならば、本当に嬉しい。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

綺麗な言葉。

朝晩のワンコの散歩も常にマスクを装着している。しかしながら梅雨明けと同時に蒸せるような暑さがやってきており、このマスクをつける行為が非常に厳しい。とは言えマナーは出来る限り守りたい人間でもある。熱中症に気をつけながらの時間だ。
このコロナ禍。どうしても人の心も荒んでいく。SNSなどを見ていても言葉尻に違和感のある文章が目についてしまう。反面教師として自分は綺麗な言葉にこだわるべきだと、改めて心に誓いを立てる。言葉には正悪どちらに対しても力を秘めている。
昨晩のこと。先月に引い続いてリモートでのレゴ®シリアスプレイ®ワークショップの依頼を、別のプロジェクトから受けた。7月の際にも感想を頂いたのだが、レゴ®シリアスプレイ®はその綺麗な言葉を生み出すことのできるメソッドだと改めて知った。
特に、自分の中でに存在している、言葉になるかならないかのような気持ちだったり思いだったりとか、なかなか思っていることを他の人に伝えることがとても難しいと感じるなど、人は何かを考えるとき、そのようなジレンマと戦っている方々も多い。
僕ら認定ファシリテーターはよく「ロンリー・ガイを作らない」というフレーズで表現する。先日も書いたのだが、そんなロンリー・ガイに綺麗で有益な言葉が埋もれているケースははっきり言って少なくない。組織はそれを見過ごしがちでもあるのだ。
その中にある何かを導き出す役目がある。あるときは聞き役に、あるときは体全身を使って促していく。こうして組織にある隠れた綺麗な言葉がこの世界に生まれてくるのだ。トークが熱くなるとマスクが辛くなる。だからリモートは最高かもしれない。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP

大阪にて。

最近はほとんど出歩いていないのでサッカーと読書と映画と、そしてレゴ®︎シリアスプレイ®︎の話に終始している。個人的にはもっと多くを書いていきたいと思ってはいるものの、なかなかネタが尽きてしまっているのが非常に口惜しいと感じる。
そんななかで、ここに記すのが良いかどうか迷ったが、少々旅の話をするのをお許し頂きたい。火急の用にて二日間という短い時間ではあるが故郷大阪に戻っていた。そんな少し肌寒さも残っていた七月中頃の話を書いていきたいと思っている。
東京駅の夜は非常に寒く感じた。だがこれは何も天気のことばかりではなく、午後九時過ぎとは言え見たことのないくらいの閑散ぶりだった。いくら平日とは言ってもこの人の少なさは異常だと感じざるを得ない。僕はそんなことを思っていた。
乗り込んだ東海道新幹線のぞみでも同様だ。当然のことながら始発である東京駅なので、ある程度の状況は理解できるが、まず、自分の周りに人の気配がしない。グリーン車ではたまにあるこの感触を指定席で味わえるとは思ってもみなかった。
終点姫路駅行きののぞみ。降車予定の新大阪駅までほぼこの状態が続いた。何だか座り心地が良くないというか、それは違和感以外の何物でもない。既に午後十一時をまわっていたとしても、何度も通ったが初めて見る光景に正直戸惑ってしまう。
ニュースでは見聞きしているものの、実際に体感してみて初めて分かる。これは旅行業、とりわけ交通業界は本当に大打撃だ。僕の応援する日本の翼も、実に大変だと聴いている。だが問題はこれを「どうしようもない」で片付けてよいか、だ。
そんなことを考えながら僕はホテルにチェックインしようと窓口へ行った。当然のことながらフロントには体温計が置かれており、37.5度以下をパスしなければ宿泊することができないらしい。僕は、心を落ち着かせながら、呼吸を整えていく。
もし体温が既定値超えだったらこの時間に一体どうすればいいのか。という疑問をフロントの方に問うたところでどうしようもない。「測りますね」。そんな思いに気付かず、無慈悲なくらいピストルに似た体温計を僕のおでこに近づけてくる。
「問題ありません」もし問題があったなら僕に対してどんな言葉を投げかけたのだろうか、と深読みまでしてしまう始末。布団に潜り込みながら「こういう事態が向こう何年も続いたらどうなってしまうのか」と考える間もなく、意識を失った。
NEV…

コールリーダーは究極の・・・。

プロボノという生き方がある。プロボノとはラテン語で「pro bono publico(公共善のために)」という言葉だ。元々は弁護士さんなどの無報酬社会活動から始まったらしく、今ではこの士業の方々の他にもIT含めたくさんの活動がある。
そのような方々が大勢いる一方、僕などは社会にとってほとんど役にも立っていないと言ってもいいだろう。子供の頃から感覚で行動することが多い(いつも違ったことをしているタイプだ)ので、人にその感性を伝えるのがとても苦手だ。
それでもなんとか、持っている知識や能力を、世の中のために使っていく気持ちは十二分に持っているつもりだ。そう言えば先日、ファシリテーターを目指す方に向けて3分程度✕19本の学習用動画を作成して身近の方々にシェアをしてみた。
ITを駆使して特定の誰かに何かを伝えていくこと。まずはできそうだ。偉そうに語ることではないが少しずつでも誰かの役に立つ。そういう気持ちも自分に対する自己回復の力があるのかもしれない。それだけでもプライスレスな価値はある。
そういや、コールリーダーという立ち位置もそれに近い。スペックが高くなければ人様をコールリードするなどままならない。しかもそれほど良いことが待っているわけでもない(!)。まあ、あるとすれば勝利の優越感くらいなのだろうか。
勝っても負けても応援の質を問われ、問題が起こると矢面に立たされる。強さと繊細さを併せ持っていなければコールリーダーというポジションは成り立たない気もする。人生における経験や能力を活かしているからこそ務められるのだろう。
コールリーダーを見て「究極のプロボノ」と呼んで良いのではなかろうか、そう思い始めている。「どこが本業の延長線上なのか」は各自の想像にお任せするとして、僕は各クラブのコールリーダーへリスペクトしながら何とか今日を終える。
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第8節 湘南ベルマーレ戦。

どういう理由かは定かではないが、若い頃の同窓会というものに参加したという記憶があまりない。当時はそれほど何かの感情がそれほどなかったが、この歳になって同級生に会うことが多くなって、その大事さに気づき始めたと感じている。
昨日の湘南ベルマーレ戦。チームとしてよりもどうしても瀬古歩夢選手と鈴木冬一選手の対決に目が行ってしまう。セレッソ大阪アカデミーで育ち、それから先の道程は違えど、このようにJリーグで対戦しているのを見るのは非常に感慨深い。
2016年9月。インドのリゾート地ゴアに僕はいた。U-16アジア選手権兼U-17ワールドカップ予選。その、たった一試合を見るために。セレッソ大阪から6名が選出されたこの大会にも瀬古選手と鈴木選手も参加しており、結果はご存知の通りだ。

一進一退のゲーム同様に、後半鈴木選手が右サイドに回ってから直接対決が少し増えてより楽しみが増した。試合終了後のモニタ越しに見えた二人の会話シーンに、何だかほっこりした気になった。アカデミーを応援する意味を改めて感じた。
そう言えば話は変わるが、セレッソサポーターの中にも多くの同級生がいて、今年五十を迎える話に花が咲いている。同い年。こんな年齢になったらどうでもいいかと思ってしまうようなことにも思えるが、やっぱり必要な要素かもしれない。
それは置いといて。瀬古選手、鈴木選手とも、ここから日本代表を目指せるだけのポテンシャルは持っていると僕は思っている。これからもこの二人を引き続き応援していきたいし、彼らのプレーを見るために是非世界を旅させてほしいのだ。
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嬉しい「声」。

何を以て幸せかの価値観は人それぞれ。先日もオンラインミーティングの際に僕の背景にあるピンクのモノたちを見て「セレッソですか!すごいですね」と言われて少し嬉しく思ったり。サッカーに興味のない方に「目が痛い」と言れたり。
フェイスブックの宗教・信仰に「CEREZO OSAKA」と書いている。もう離れられない存在でもある。それよりも、僕にとってもっと大事だと思っているのがセレッソファンだ。四半世紀近くを一緒に過ごさせていただいて本当にありがたい。
なんだか駄目になりそうなとき、本当に多くの「声」に励まされる。その励ましの「声」の中でもセレッソ大阪のアミーゴたちの声は、なにか心へとつながる血管を綺麗にしていくかのように僕の響いてくる。どうしてだろうといつも思う。
サッカーショップを経営して実に14年になった。紆余曲折はあったが今がある意味「いるべき場所」に近いかもしれない。そのF.C.OITOでジョイントしながら様々な活動を行なっている小林さんがブログでこのような記事を書いてくださった。
これ以上に嬉しい「声」はない。改めて僕らが14年前に掲げた想いを思い出した。セレッソファンやサポーターのためにできることを少しずつでも。その延長線上にセレッソ大阪の100年構想がある。そんなことを考えながら目頭が熱くなった。
この14年の時間でどれくらいのことができたのかは知る由もない。しかしながらこのような言葉をいただける方々とともに過ごさせてもらった時間は、「声」は、間違いなく宝なのだ。今日もこれからも、僕らは続いていくのだ。未来永劫に。
何だかこの歌を思い出してしまった。
今は遠くに離れてる それでも生きていれば いつかは逢える でも傷つかぬように 嘘は繰り返される ここにあなたがいないのが せつないのじゃなくて ここにあなたが いないと思う事がせつない(でも) 負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事 駄目になりそうな時 それが一番大事 負けない事 投げ出さない事 逃げ出さない事 信じ抜く事 涙見せてもいいよ それを忘れなければ
それが大事/大事MANブラザースバンド
NEVER STOP,NEVER GIVE UP