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店舗の空気感。

小売業は非常に切迫している。店舗としての感染防止対策を行なってはいるものの、やはりお客様が感染する/感染させてしまうという思いをお持ちなのだろう。日本全体の自粛ムードのなかで、多くのお店さんの苦労が手に取るように分かる。

2年ほどリアル店舗を閉めていたが、僕も15年近く関わらせていただいてその苦労を感じる。ひとつひとつの思考や行動において、お客様やスタッフの健康面への配慮が念頭にあるのは当たり前であるし、そして、どこのお店さんも同じだと思う。

先日、大阪に戻った際、わずかの時間ではあるがF.C.OITOに立ち寄った。この駄ブログでも書いていたように、開業してからは一切訪れていなかった。僕にとっては痛恨の極みではあったが、今回でようやく(ほんのわずかだが)肩何が降りた。

もちろん、店舗の風景や来てくださるお客様については常にレポートされてくるので確認ができるのだが、やはり「店舗の空気感」というものは店舗を直に見なければ分からないことも多々ある。しみじみとF.C.OITOを見ながら、そう感じた。

お客様と笑い合いながらF.C.OITOで逢える日は、一体いつになるのか見当もつかない。時間短縮などの自粛が良いのか。それともリスクを抱えながらも経済活動を行なうのが良いのか。僕には分からないが、大事なのはお客様とスタッフの健康。

新型コロナウイルスどうこうよりも、たぶん本質はそこなんだろうなと思いながら、今日以降も同様に多くの策を講じていくことになる。この先も非常に厳しい状況は変わらない。だったら僕らはどのような思考と行動を取っていくべきだろう。

お盆休みも帰阪する予定は露と消えた。年内はどうなるのかも不透明。それでも、新たな取り組みを様々考えていきたいと思っている。少し厳しい時期ではあるのだが、お客様と一緒に、「店舗の空気感」を温めていけるならば、本当に嬉しい。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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