スキップしてメイン コンテンツに移動

大阪にて。

最近はほとんど出歩いていないのでサッカーと読書と映画と、そしてレゴ®︎シリアスプレイ®︎の話に終始している。個人的にはもっと多くを書いていきたいと思ってはいるものの、なかなかネタが尽きてしまっているのが非常に口惜しいと感じる。

そんななかで、ここに記すのが良いかどうか迷ったが、少々旅の話をするのをお許し頂きたい。火急の用にて二日間という短い時間ではあるが故郷大阪に戻っていた。そんな少し肌寒さも残っていた七月中頃の話を書いていきたいと思っている。

東京駅の夜は非常に寒く感じた。だがこれは何も天気のことばかりではなく、午後九時過ぎとは言え見たことのないくらいの閑散ぶりだった。いくら平日とは言ってもこの人の少なさは異常だと感じざるを得ない。僕はそんなことを思っていた。

乗り込んだ東海道新幹線のぞみでも同様だ。当然のことながら始発である東京駅なので、ある程度の状況は理解できるが、まず、自分の周りに人の気配がしない。グリーン車ではたまにあるこの感触を指定席で味わえるとは思ってもみなかった。

終点姫路駅行きののぞみ。降車予定の新大阪駅までほぼこの状態が続いた。何だか座り心地が良くないというか、それは違和感以外の何物でもない。既に午後十一時をまわっていたとしても、何度も通ったが初めて見る光景に正直戸惑ってしまう。

ニュースでは見聞きしているものの、実際に体感してみて初めて分かる。これは旅行業、とりわけ交通業界は本当に大打撃だ。僕の応援する日本の翼も、実に大変だと聴いている。だが問題はこれを「どうしようもない」で片付けてよいか、だ。

そんなことを考えながら僕はホテルにチェックインしようと窓口へ行った。当然のことながらフロントには体温計が置かれており、37.5度以下をパスしなければ宿泊することができないらしい。僕は、心を落ち着かせながら、呼吸を整えていく。

もし体温が既定値超えだったらこの時間に一体どうすればいいのか。という疑問をフロントの方に問うたところでどうしようもない。「測りますね」。そんな思いに気付かず、無慈悲なくらいピストルに似た体温計を僕のおでこに近づけてくる。

「問題ありません」もし問題があったなら僕に対してどんな言葉を投げかけたのだろうか、と深読みまでしてしまう始末。布団に潜り込みながら「こういう事態が向こう何年も続いたらどうなってしまうのか」と考える間もなく、意識を失った。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP


コメント

このブログの人気の投稿

記録というものは無いよりはあったほうが良い。

別に今までと時間の流れが変わったわけでもないのだが、なぜだか本の進みが良い。ウダウダせずに手に取っている。やはり環境によって生活や趣味は影響されやすいことを如実に表している。この間(まあ早く終わってほしい)にどれだけ読破できるだろうか。ちょっとした楽しみだ。 この本。どうしても単行本サイズが僕は苦手だ。それほど手が小さくはないのだが居心地が良くないのだろうか手元から落ちそうになる。そういう理由もあり大半が新書か文庫本という流れになるので、小説などはしばらく待たないといけなくなる(どうしても読みたいものは、買う)。 この文庫本サイズは実に僕の手のひらににフィットする。手帳もそうだ。どうしても無印良品の文庫本ノートを買ってしまう。ご存知の通りひたすら書いたり(最近はiPadに下書き落書きしたうえで文庫本ノートに転記する)貼ったりする僕なので、段々と手帳が溜まっていってしまう。 時間があったので久しぶりに手帳を見直してみた。文庫本サイズの手帳で書き始めたのが2008年。東京に来て2年目だった。中身を見てみるとあるわあるわ。馬鹿げたことを書いていたり、どうでもいい新聞の切り抜きを貼っていたり。思い出に浸るつもりは毛頭ないが、とても懐かしい。 そこから現在まで辿っていくと、「ああこんなこと考えていたのか」とか「これは今でも面白いな」というアイデアもあった。記録というものは無いよりはあったほうが良いなととても感じると共に、そんな記録から役立つものが現れたりするのが非常に心地よい。大事なことだと思う。 以前とある書類の保持期限が過ぎたので処分しても良いかと訪ねたところ「記念に持っておいても良いと思う」と諭されたのを思い出した。もちろん場所や必要性とのトレードオフは重要だが、新たな発見につながる可能性も持っている。なので僕の部屋が片付くことは当分ないだろう。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

未来のウルトラ。

久々のブログである。なかなかどうして、何を書こうかと悩んでいる自分がいた。もうひとつは #コールリーダーウダウダ の存在が大きい。ここで毎週セレッソ大阪のことを話しているからかもしれない。なんだかんだでかれこれ八十回を超えてきた。 実に多くの方にも聴いてもらえていることに満足してしまっている自分もいたりして、少し戸惑いがあるのも事実だ。これを皮切りに、他のサポーターが続々とTwitter Spaceを始めてくれていることこそが、嬉しい気持ちに更に拍車をかけていく。 逆に、このような年齢になってなお、このような表舞台に立ってよいのかとも思ってしまう。若いサポーターの方々がもっと前面に出てくる世界を期待しているのだが、話を聞くたびにまだまだ古参サポーターがいて成り立つ世界だなとも感じる。 最近のスタジアムを見ていても、応援、チャント、という観点ではチームはまとまっていると見えるものの、チームのサポートはそれだけでは無い。そこにはフラッグもあり、チームや選手に対する、ゲーフラや大小様々な横断幕も存在するのだ。 例えばゴール裏の横断幕ひとつにしても、個々人がただ貼るだけではなく、全体のコーディネートも考慮して配置を考えるなどを行ってきたが、今はどのように貼っているのだろうか。場所の取り合いや奪い合いは起こっていないだろうか、など。 そんな話し合いにも、積極的に若い方々が参画できているのだろうか、とかが頭の中を駆け巡っている。先日もTwitterに書いたが、小学生たちが、ウルトラを目指したいと思う世界に、ゴール裏がなっているのか、なんてことをつい思ってしまう。 来週の今頃には、歓喜のなかに僕はいるのだと思う。その輪には未来のウルトラたちはいるだろうか。あの頃のように次の世代へとつなげられているか。柏レイソル戦の試合後、当時の小学生たちに会った。とても立派なウルトラになっている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

新年。

激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP