激動の一年が明け、また来たるべき一年が訪れるという、あいも変わらない人生を送っている。少なくともこの2022年という空間を、また、多くの方とともに歩めればそれでいいと感じる自分が大きくなってきた。年齢を重ねている証拠だろう。 セレッソ大阪というクラブを愛し始めてかれこれ三十年弱となるわけだが、この思いだけは決して色褪せないのがありがたい。ひとえにこれは仲間の存在が大きい。時間というファクターは人を不幸にすることもあれば、人を幸せにもしていく。 ようやくヨドコウ桜スタジアムに足を踏み入れることができ、F.C.OITOでイベントも開催できた。Twitter Spaceだって四十四回も続けることができたのだ。2022年はいったいどんな一年になるのだろうか。そう思っていた矢先に、あれが来た。 今年も多くのアミーゴに巻き込まれながら過ごしていくことになるだろう。 サッカーショップ蹴球堂は、まあぼちぼちやっていく。健康に気をつけながらゆっくりと前に向かって、着実に歩く。そうして辿り着ける先の、その向こうへと・・・。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP
久しぶりにミッドウィークのゲームが無い。試合を見たい気持ちと、選手たちを休ませてあげたい気持ちが揺れ動く。一週間でどうにかなるものでも無いだろうが疲れを癒しながら週末に向けて臨んでいるものと思う。頑張りに脱帽してしまう。
週末も週末でレディース、ネクスト、トップと三試合の梯子状態になっている。だが、何故か心地よい。身も心もセレッソ大阪と共にあるからだろうか。海外の試合の楽しみ方含めて、ニューノーマルなサッカーとの生活をエンジョイしている。
やはり歳を取ったせいなのだろうか。最近「サポーターとは?」と考えてしまうときが多々ある。どうしてもゴール裏にいる人=サポーターと思われがちだが、「クラブを中心に生活が回っている人」のことをサポーターと呼びたいと僕は思う。
僕の周りには、本当にそのような熱い方々で溢れている。だからこそ四半世紀以上ものあいだ、幸せで充実した日々を過ごせてきたのだろう。もちろん「衣食住」は大事な要素。なので、そのなかにセレッソ大阪が割って入ってくるのかどうか。
いや、違う。「衣食住」そのものがセレッソ大阪なのだ。身に付けるものはピンクとネイビー。セレッソ大阪が大好きなサポーターのお店で美味い飯を食い、場合によってはスタジアムの近辺に住んだり店舗を構えたりと、それがすべてなのだ。
これは、資格とか官位などが与えられるような代物では無い。自然と生活がそうなっていくのだ。そんな生き物がサポーターなのだと僕は思っている。CEREBAKAを始めてからは特に、そんなサポーターの生きかたというものに強く惹かれる。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
コメント
コメントを投稿