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「IDOL IS NOT DEAD」と声を大にして言う。

 若い頃から「アイドル」に惹かれやすいタイプであったのは否めない。聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョンから始まり、おニャン子などなど。そして最近では多くのグループが入り乱れている昨今まさに群雄割拠という言葉が適切だと思う。

近年ではその「アイドル」との関わりもかなり変わってきた。少し映画などに絡む機会があったりして主演の方のグループを見に行ったりしていたが、このコロナ禍によって、イベントそのものに訪れる機会もまったくもって無いような状況だ。

もちろんのこと、芸能関係者の皆さんのご苦労が身に沁みて分かる。安全対策をしっかりしているのだろうがお客様も"人の子"。立場を慮ったりして、なかなか大勢の人で溢れかえるような場所には行けない(そういう僕も同様であるのだが)。

八年前、友が友を呼ぶかのように、わらしべ長者さながらの状況で多くの方と知り合っていった。この方々からは八年経った今でもいろいろなことを学ばせていただいている気がする。ご縁というものは実に素晴らしく大事な宝物でもあるのだ。

そうそう、話を戻さねば。そのお一人である御方のフェス。僕も何度か訪れたことがある。このフェス、実にアイドルとオーディエンスとの距離が非常に近い。近いがゆえになかなか開催されてこなかったが、先日8月10日に行なわれたらしい。

感覚がよっぽど自分に合わないと他のブランドは買うことはない。しかし、元来のアイドル好きTシャツ好きの心を揺さぶるようなこのデザインに何故か惹かれた。早速僕はこの御方に連絡し、たった一枚ではあるがこのTシャツの黒を購入した。

何日か経ったある日。ポストにレターパックが届いていた。小さな箱に無理やり詰め込まれていて取り出すのに四苦八苦してしまった(入れ方を考えたほうがいい)。僕は曲がった部分を戻し、封を開けて、恐る恐るTシャツを取り出してみる。

黄色い紙がひらひらと落ちた。Tシャツはレターパック同様にひん曲がった状態だったが、メッセージが記されたこの小さい紙は、書きシワだけを残してピンと綺麗な姿を残し続けていた。そこに書いてある言葉を読んだ。僕は涙が出そうになった。

IDOL IS NOT DEAD。そう。アイドルは死んでいない。アイドルはいつの時代も光り輝く存在。アイドルはこれからも未来永劫続いていく。そんな強い気持ちをメッセージから貰った。なんだか僕は無性に、このアイドルフェスに行きたくなった。

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