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コールリーダーは究極の・・・。

プロボノという生き方がある。プロボノとはラテン語で「pro bono publico(公共善のために)」という言葉だ。元々は弁護士さんなどの無報酬社会活動から始まったらしく、今ではこの士業の方々の他にもIT含めたくさんの活動がある。

そのような方々が大勢いる一方、僕などは社会にとってほとんど役にも立っていないと言ってもいいだろう。子供の頃から感覚で行動することが多い(いつも違ったことをしているタイプだ)ので、人にその感性を伝えるのがとても苦手だ。

それでもなんとか、持っている知識や能力を、世の中のために使っていく気持ちは十二分に持っているつもりだ。そう言えば先日、ファシリテーターを目指す方に向けて3分程度✕19本の学習用動画を作成して身近の方々にシェアをしてみた。

ITを駆使して特定の誰かに何かを伝えていくこと。まずはできそうだ。偉そうに語ることではないが少しずつでも誰かの役に立つ。そういう気持ちも自分に対する自己回復の力があるのかもしれない。それだけでもプライスレスな価値はある。

そういや、コールリーダーという立ち位置もそれに近い。スペックが高くなければ人様をコールリードするなどままならない。しかもそれほど良いことが待っているわけでもない(!)。まあ、あるとすれば勝利の優越感くらいなのだろうか。

勝っても負けても応援の質を問われ、問題が起こると矢面に立たされる。強さと繊細さを併せ持っていなければコールリーダーというポジションは成り立たない気もする。人生における経験や能力を活かしているからこそ務められるのだろう。

コールリーダーを見て「究極のプロボノ」と呼んで良いのではなかろうか、そう思い始めている。「どこが本業の延長線上なのか」は各自の想像にお任せするとして、僕は各クラブのコールリーダーへリスペクトしながら何とか今日を終える。

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