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7月, 2019の投稿を表示しています

車音痴の僕が鈴鹿8耐予選に行ってみた(後編)。

【前編】 【中編】 子供の頃に撮った写真。そこに写っているセピア色の風景や屈託のない笑顔とはまったく違う姿を見せている鈴鹿サーキットと僕。40年の歳月がいろいろなものを変えていく。時間という生き物はそんな僕らの人生をも変化させていくのだ。そんなファーストインパクトだった。 実に30年ぶりくらいに会う幼馴染はすぐに分かった。大人の世界に染まってはいるが僕らの風貌は何ひとつ変わっていなかった。ここから午後の予選が始まるのと併せて午前中の結果によって多少ピリピリとした空気感ではあったが、その状況すら楽しんでいるかのようだ。 15時。もうすぐ予選走行となるため僕らはスタンドへと向かった。ピットで観戦してもという幼馴染のアドヴァイスだったが、部外者ましてや車音痴の僕がそこにいる資格はない。地下道を通り向こう正面(というのか)のスタンド上部まで登り、そこで観戦することにした。 予選走行が始まった。 ・・・誰が誰だか分からない。速すぎてついていけない。57番とだけは聞いているので探・・・せるわけない。そうか、色だ。色を探せば良いのだ。僕は黄色のバイクを必死で見つけようと努力する。見つけた。あのバイクだ。と、眼の前にきて1秒も滞在しないまま過ぎ去る。 夕刻に近づくに連れてそんな時間が次々と訪れては消えていく。あの歌のあの歌詞では無いのだが僕は徐々に途方に暮れていく。スピード感は確かに受け止めた。しかしながら僕の類まれなる動体視力の低さのため、楽しむどころか何とも言えない空気を味わっていたのだった。 その空気は決して悪い意味では無い。車音痴の僕が吸うべきもののような気がしたのだ。そんな機会をアミーゴからもらえたことに感謝しているのだ。幼馴染に再会できたことに感謝しているのだ。僕は実に恵まれている。それが分かっただけでもこの旅には意味が存在するのだ。 新たなアミーゴも増え、決して美味いものばかり食えたわけではないが夜の楽しい時間も過ごせた。そんな幸せなときは台風の到来とともに形が変わっていった。すべてがハッピーエンドでは無かったがバッドエンドというには惜しすぎる。そんな中途半端が僕にはお似合いだな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

車音痴の僕が鈴鹿8耐予選に行ってみた(中編)。

【前編はこちら】 仕方なく近鉄特急窓口の列に並んだ。動かない途切れないこの行列にこれからの旅が険しいものになると僕らは感じていた。そのとき直前に並んでいた女性から声をかけられた。ちょっと確認してくるので荷物を見ておいてほしいとのこと。素直な僕はその言葉に従うことにした。 何やら女性は駅員と話し込み、その間僕らは荷物を見張るという妙な連携が生まれた。女性が戻ってきた。「あなた達どこまで行くの?」「白子駅です」「じゃあ26分の急行のほうが良いわね」という言葉を信じて、僕らはこの行列を捨て、改札を通り、駅中に入ったのだった。 ?二度見?26分の電車など、存在しない。その決断を促した女性もとうにいない。動かない電車。途方に暮れる僕ら。そんな刹那アナウンスが入る。電車が動き始めたとのこと。急いで特急券券売機に並び、そしてなんとか10分遅れの上本町行きに乗車することができたのだった。 白子駅に着いた。ここからはタクシーで行くことになる。勿論のことながら周りには明らかにレースチームなのだろうなとおぼしきスタイルの軍団が増えてきている。タクシー待ちもそこそこに僕らは鈴鹿サーキットの9番ゲート(それがそうなのかも分からないが)に到着する。 連絡はしていたが、案内してくれる方が・・・いない?とにかく暑くてどうしようもない僕らは炎天下のもと通常入り口に向かって歩き始める。100mごとに汗が1リットルは出ているなと感じるくらい、辛い。挫けそうになった瞬間アミーゴの電話が鳴り響き、僕らは息を吹き返した。 こうして紆余曲折しながらもようやく鈴鹿サーキットに来ることができたのだった。幼馴染がいるピットへと足を進める。歩きながら、この地を夢見て努力してきた多くのライダーやメカニックの方々の想いを肌で感じる。夢の舞台、鈴鹿。僕自身も興奮が増し気持ちが踊り始める。 後編へ続く。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

車音痴の僕が鈴鹿8耐予選に行ってみた(前編)。

以前、実家に戻った際に子供の頃の写真を見ながら思い出に浸っていた。その中の一枚に4つ下の弟とふたりでランボルギーニなんとかとおぼしきスポーツカーと映っているフォトがあった。「あぁ小さいときは車に興味があったのだな」となにか不思議な気持ちになったのだ。 車競技に対して抵抗感があるわけではないのだが、なぜだか自分に入ってこない。何が理由かも分からないのだがとにかく入ってこない。一番の原因は極度の「車音痴」だということでもあるのだろう。自動車はともかくバイクという存在との接点が皆無な人生を歩んでいた。 そんなさなか鈴鹿サーキットに行かないかとのお誘いを受ける。小中と同級で更に言うと同じマンション住人だった幼馴染が鈴鹿8耐に出場するという。三年前(だったと思うが)にも同じようなシチュエーションがあったが当時は拠ん所ない理由でどうしても行けなかった。 そのときにはドリンクの差し入れを送っていたのではあるが、今回念願叶って鈴鹿へと赴くことになった。当然ながらバイクレースを見るのは初めてになるわけである。僕はどんなふうに思いを抱くのだろうかとワクワクの数週間。準備もそこそこに台風近づく西へと向かう。 この旅はアクシデントの連続だった。新幹線で品川駅を出発し名古屋駅に到着した僕らは、一番美味いと評判(都市伝説?)のJR在来線3-4番線にある住よしで「かき揚げきしめん」なるものを食そうということになった。ところが券売機にはこんな言葉が寂しくが踊っていた。 【油の調整中です】 豚しゃぶきしめん(これはこれで美味い)を腹に放り込む。その後僕らは近鉄電車に乗り換えようと階段を降りたところ眼の前に人だかりが見えてきた。確認すると人身事故のため運転見合わせだと言う。特急券販売も止まっており窓口に人が殺到している状況だったのだ。 次に続く。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「若い力」を「支える力」。

久保建英選手がレアル・マドリーのユニフォームを着て試合に出ている姿をテレビで見た。バルセロナへ移籍した安部裕葵選手含め、本当に凄い時代が来たのだなとしみじみ感じてしまう自分がここにいる。うちの選手たちもこれからそうなっていく可能性は充分にある。 自分自身、今、若者を支える仕事もしているのでよく分かるが、才能を伸ばすのはポジティブでもありネガティブなところでもある。そもそも人がどう育つかなど誰も予測できないものなのだ。本人以外は。そうなると本人をどのように意識づけしていくのかが大事になる。 自分の若い頃はどうだっただろうかと考えてしまいがちだ。もっとこう頑張ればよいのにとか僕だったらこうするとか、比較して相対的に見比べるのは良くないと思うのだが僕も人間(だもの)だ。感情のコントロールがとても重要だと思っているがまだまだなのだろう。 先日もとある勉強会を実施した。ファシリテーターとしての諸々を2時間ほど説明させてもらったのだが、伝え方含め非常に難しかった感もある。勿論コミュニケーションは様々な道があると思うのだが、自分自身の「支える力」が必要であると改めて考えさせられたのだった。 まさにレゴ®シリアスプレイ®で行なう「コネクション」というアプリケーションが実に当てはまる気がする。関わり方はどうなのか、どう支えていくのか。つながれた線にはどんな情報がどのように流れたりするのか。多くの複雑な想いを整理するのにもこのワークは利用可能だ。 これからも若い方々の育て方や伸ばし方を意識して支えていく。残された時間はそれほど多くはないのだが少しでも前に進んでいきたいと思う。インターハイが沖縄で始まる。多くのセレッソファンも訪れることだろう。うちのNJが進む道と支える力。さてどうなるだろうか。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

お笑いのDNA。

僕ら大阪人は生まれたときからお笑いのDNAが組み込まれている。好きか嫌いかは別として身体の一部と化しているのは間違いない。子供の頃から新喜劇や漫才、コントを見て育ってきたわけでもあるので、知らず知らずの間にそのDNAが更に進化をしているのだと思う。 東京に来てからも番組欄にお笑いがあるとなぜかチャンネル(ガチャガチャからリモコンに変わってからもリモコンのことをチャンネルと呼んでいた)を回しているし、生活の一部として、いや、二部三部くらいは占めているであろうお笑いへのこだわりがプライドでもある。 芸人さんは勿論のこと所属企業やマネジメント会社を含め多くの課題を抱えている昨今。少なからず、素直に笑えていたあの時代から移り変わっている。規制や時代背景からくる笑いの地殻変動も激しくなっていった。そんなお笑いそのものに違和感を感じることも多くなった。 今回の件。善悪だけで判断すると当然のことながら初めにかけ違えたボタン(嘘)がトリガーであることは間違いはないと思う。ただ、対象の芸人さんを好きか嫌いかは横に置いたとしてもモニタ越しで見たくない姿であったのは紛れもない事実。正直、悲しみ以外が出てこない。 いちお笑いファンとしてこれだけは言いたい。お笑い芸人さんの持つDNAにどれだけ救われたか、どれだけの人を勇気づけてきたのか。少なくとも僕は救われた。これからも僕はお笑いを見続けるだろう。そして笑い続けるだろう。お笑いのDNAが組み変わったとしても。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ファシリテーターの内省。

一日経って今日。良いこと悪いこと普通のこと。欽ちゃん的なノリにもなれないような何とも言えない気持ちでお腹がいっぱいになっている。梅雨も相まってか参議院議員選挙開票、J3リーグでの大阪ダービーで湿っぽい空気が漂う。払拭する起爆剤を見つけなければと感じる。 それにしても投票率が50%に満たないのはどう考えればよいだろうか。政治に興味がないのは仕方ないとしても世の中に興味がなくならないようにと思う。お金の勉強会を通じて対話の場を作り始めているがまだまだ道半ば。ファシリテート能力向上に努めなければと思う。 そんななか昨日は半日かけてレゴ®シリアスプレイ®練成会(いわゆる勉強会)に参加してきた。認定ファシリテーターとして常にアップデートしておかないと遅れてしまうのを防ぐ意味もあるが、新たな気づきの場としても最適だと感じる。仲間意識も実に深いものがある。 そもそもファシリテーターとはどうありたいかどうあるべきかが時々ブレることがあるのを是正しながら生きているのも事実。そんな弱さを補ってくれるのがファシリテーター仲間でありこのような場であると思うと、本当にありがたい気持ちが胸いっぱいに広がっていく。 自分自身がファシリテートばかりでシリアスプレイする機会が実に少ない。皆で真剣に遊ぶという場所としても、このような勉強会に参加する意義があるのだと感じる。とにかく手を動かす。考えを形にする。形から考える。自分自身で内省していくことで見えるものもある。 勉強会ではファシリテーターである意義や意味、使命を作品にしてみた。詳細はここでは割愛するが、対話と自走を生み出すファシリテーターを意識して作成したのだった。作るときには手と直感に任せて、作り終えたあとで内省する。実に最高の"シリアスプレイ"だった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第20節 ベガルタ仙台戦。

参議院議員選挙の投票日である。引っ越しで選挙権が無かった統一地方選ではヤキモキしたのだが今回ようやく権利をいただくことができ先程投票してきた。今回の焦点となっている年金の問題や消費税の問題。勉強会を実施した身内への効果は果たしてあっただろうか。  そんな前日。ベガルタ仙台との一戦はスコアレスドローとなった。モニタ越しに見ても大阪特有の蒸し暑さが伝わってくるようななかで、いつものようなセカンドボール奪取が中々はまらず厳しい時間も多かった。チャンスもあったのでひとつ決めていればという展開だった。 最近少し気になるのが、ゴールキックからのビルドアップで引っ掛けられるケースが多くなったことだ。誰が悪いという話ではなく、どう回したいのかの意思疎通に欠ける瞬間が本当に怖い。特にテレビだとリプレイしているあいだだと、なにか起こったのかが全く見えない。   ボール回しが悪いわけではないのだろうが少し心臓に悪い。ただ、結果だけを見るとホームでの6試合無失点は素晴らしいと思うし、最近のようにチーム戦術が浸透してきたら当然相手も手を打ってくるわけである。その上でのこの貴重な勝ち点1は及第点と呼べるだろうか。 参議院議員選挙に話を戻す。自宅に戻ってきて速報を見る。どんな日本になっていくのか、まだまだ未知数である。国民の意思疎通は正直難しいのだろうが国のことを少しでも考えられる世の中になるきっかけになってくれたらと思う。僕も継続して勉強会を行なっていく。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

時間泥棒になりたくない。

アフリカネーションズカップのファイナル、セネガル対アルジェリアの試合を見ながらこのブログを書いている。歳を取ると目覚めるのが早く、クロヱ(パグ♀)の散歩に行ったあと、映画を二本見てこの時間。生き急いではいないので、実に優雅な土曜の朝を迎えている。 とは言えMacBookを開くとどうしても仕事をしてしまうのはどうしようもない。特に、普段なかなかできていない雑用(と呼ぶと大変失礼なのだが)を細々とこなすのが、週末の恒例になっている。7つの習慣で言うところの「重要だが緊急ではない」第Ⅱ領域というやつだ。 以前より申し上げている通り、僕はスティーブン・R・コヴィー先生の7つの習慣が大好きだ。もう何度も繰り返し読んでいるが目を通すたびに新たな発見がある。その中でも緊急度よりも重要度の高い仕事をするという第3の習慣「再優先事項を優先する」のコーナーが好きだ。 この緊急度の重要性に対して僕の中にはかなり明確なローカルルールがある。 【郵便】  →期限までに対応してほしい 【チャット】→気付いたら対応してほしい 【メール】 →今すぐではないが早めに対応してほしい 【電話】  →今すぐ対応してほしい 【対面】  →下記では伝えづらいものがある まずは時間を思い描く。2〜5分でできることはすぐに実施する可能性は高いが、そうでなければこれらのアクションに対してタスク化/リマインダー化させる。これにより一旦頭の中から取り除いてしまう。大抵の場合は当日の夜か翌日の朝まですべてスヌーズしてしまう。 今来た仕事よりも僕にはその前から残としてある重要度の高いタスクが山盛りだ。それをクリアするために周りを相当な時間シャットアウトする。しかしながら対面や電話はその行為に容赦なくやってくるのだ。この無比な攻撃からどのような回避するかかがより重要になる。 誰もが生きている時間の流れが違うのだ。僕らはそんな時代に生きているのだ。メールやチャット、SNSは、時間の流れを上手くコントロールしてくれる便利な道具だ。僕はそんな便利な道具がとても好きだ。これからも僕は他人の時間を奪うような時間泥棒にはなりたくない。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※完訳7つの習慣は是非読んでもらいたい一冊。

絵を書くことが好きだから。

昨日、京都で痛ましい事件が起こった。小学校の頃は漫画家志望だったこともあり、また、アニメが大好きなだけに本当に心が痛い。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。重ねて負傷された方々へのお見舞いとともに一日も早い回復をお祈りいたします。 先日もこのブログでデザインの話を書いたので恐縮ではあるが、僕にとって絵を書くという行動は非常に心が安らぐ瞬間でもある。何も考えずにただペンを動かし続け、書いては消してまた書く、手直ししたり太くしたり細くしたりする。色を付けてみる。ぼうっと眺めてみる。 勿論アイデアが出ないときもあるにはあるが、それでも熱心に手を動かしてみると意外と書けたりすることもある。子供時代から本当にいろんなものに絵を書いてきた気がする。がそんな絵を誰かに見せることも最近は少なくなってきたのと、そもそも手書きすることが減った。 ロビ太を書いたのはもう何年(何十年?は行っていないと思うが)前だっただろうかと思い返す。当時は無性にキャラクターを描きたくなりイメージしたりしていたのだがどうしても纏まらず、結局はキャラクターの特徴だけをササッと書いてプロフェッショナルに相談した。 コナミの元ゲームデザイナーだったプロフェッショナルと書き直しやデザインを直すこと九度。ようやく今のロビ太を完成させることができた。REAL OSAKA ULTRASのマフラー、サポーターシャツ、そして悪ガキのイメージであるアッカンベー。すべてが思い通りだったのだ。 ロビ太以外にも多くのキャラクターやデザインを多く書いて形にしてきたことがとても懐かしく思える。実は今週から紙の手帳を改めて持ち歩いている。また細々と続けていこうと思うのはやっぱり絵を書くことが好きだから。だからこそ今回のような悲惨な事件がとてもつらい。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

ああ、Tシャツある人生かな。

黒、ピンク、白と多くの方に着てもらっていると思うと非常に嬉しい気持ちで胸いっぱいになる。NEVER STOP,NEVER GIVE UP Tシャツ。セレッソファンとして、20年近くをこのシンプルなフレーズと共に生きてきた。やはり改めて考えてみても素敵な言葉だと感じている。 最近ではデザインすることも減ってきたのだが、昔はよく作ったよなと自分自身にほくそ笑んでしまう。「フランスで君と会いたい」Tシャツなんてものが世の中に存在していたことを覚えているセレッソサポーターも少なくなったのだろう(ちなみにこれは西澤明訓さん)。 そもそもデザインの心得などまったく皆無だったのだが、子供の頃から漫画を書いてきたおかげもあってか素人ながらに何となく纏まっていた気がする。そしてそうやって作って着ていたTシャツを若い子たちにあげたりしていたが、最近ではそんな行為も憚られるのだろう。 事あるごとに作るのが日課になっていた(これは言い過ぎか)あの頃が懐かしい。セレッソ大阪の選手が各カテゴリーの代表に入ったりしたときも勇んで製作していたが、今やうちのプレイヤーが溢れすぎて作っている間がないのだ。嬉しいと感じるべきなのかそれとも否か。 今後もTシャツを作り続けたいと考えてはいるが、年齢のせいか段々挫ける率が高くなっているのも事実。頑張れるときに頑張っておきたいと思っているのでもうしばらくお付き合いをいただければ幸いである。是非サッカーショップ蹴球堂のTシャツをよろしくお願いします。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※大阪生まれの方へ。是非大阪生まれをアピールしてほしい!

始まり、終わり、また再生する。

先週セレッソ大阪から福満隆貴選手と秋山大地選手が期限付き移籍した。我がチームにとって共に重要なプレイヤーでもありかけがえのない選手でもあるが、これは終わりを意味するのではなく再生への序曲でもある。次に戻ってくるときは何回りも大きくなっていてほしい。 全ては始まりそして終わる。ひとつの例外を有することもなく。僕の人生もこの世界もどこかの誰かも、始まり、終わり、また再生する。そんなことの繰り返しでこの世の中は循環している。だからこそ楽しい。だからこそ悲しい。だからこそ「生きている」と実感できる。 そんなふうに生きているある日。(某映画監督の勧誘による)ひょんないきさつにより「ロリさつ」という映画に出させていただいたことで「秋葉原女優アイドル・プロジェクト『ピカ☆マイ』(ピカマイ)」と「ロリさつ」の主演女優であるリーダー菅原彩香さんと出会った。 そのピカマイが7年間の活動に終止符を打ち遂に解散(全員が卒業)することとなり、その最終公演を見るために秋葉原へ向かった。ピカマイの舞台は5月に新宿村LIVEで行なわれた「えんとつ街のプペル」以来(このエンディングでリアルに解散発表を聞くことになったわけだが)。 会場には実に入りきれないほどのファンが最後の姿を見るために集まっていた。盛り上がりすぎてイベント自体は2時間押しとなり、14時に始まってから実に6時間が過ぎた頃に監督と僕は秋葉原をあとにした。最後に菅原さんとも話すことができて本当にありがたいと思っている。 僕は深く応援するわけでもなく菅原さんがいたからこそピカマイの最後を見届けようと思った。そんなにわかファンであっても、この7年間、菅原さんが多くの出来事と共に走ってきたのは想像に難くない。最後の最後に吐き出す言葉にはその心境がすべて含まれていると感じた。 そんな重荷が、見るからに細い双肩にのしかかっていたのだなと思うとリーダーという役割がとても辛く厳しいものだと気づく。彼女を通じて僕はそれを学んでいたのだった。この先も芸能活動を続けるのだと話していた姿は少々疲れ気味だった。まずはしっかり休養が肝要だ。 多くのアミーゴがアイドルを応援する気持ち。それがこの数年で少しだけ分かってきたような気がしている。星の数ほどアイドルや女優さんがいるなかで彼女たちを応援する理由がそこに確かにあった。たまたま僕

若者は学びそして成長する。

この三連休は大半が雨模様だが土日の二試合でかなりスカッとして気持ちが良い海の日を迎えている。とは言え東京も寒すぎて、未だエアコンのスイッチを入れることなく過ごせている。嬉しいのか悲しいのか分からないのではあるが、そんな毎日を謳歌していると思う。 それにしても昨日のセレッソ大阪U-23は勝負強かった。J3の上位クラブはひとクラス上とさほど遜色ないチーム力を擁していると感じる。そのギラヴァンツ北九州に逆転勝利できたのはひとえに若い選手たちの成長の一言に尽きる。最後まで走り切るスタイルが確立してきた。 若いサッカー選手たちは敗北から何かを学び勝利することで更に成長する。これは何もサッカー選手に限った話ではない。30年近い僕のサポーター人生の中でもそんな多くの若者たちが大きく羽ばたいていく瞬間をいくつも見てきた。本当に素晴らしいことだと感じている。 以前から色々と相談をもらいアドバイスしていたアミーゴが一念発起し独立したことを風の噂で聴いた。このご時世不安ばかりが先立つが、そんなときだからこその思い切りの大切さを知る瞬間でもあった。「あんとき何言ったっけ?」とひとりで思いにふけながら、だ。 人生は負けたり勝ったりの連続だ刹那だ。だからこそ敗北から何かを学び勝利が成長を促すことを忘れてはいけない。もちろん負け方にも色々あるし、何故か勝ってしまうときもくるだろう。しかし彼らにはSAKURA NEXT同様に最後まで走り切る勇気が備わっているはずだ。 子供の頃から見てきた子たち(今は良き大人たち)が大きく羽ばたいていく姿を見るたびに自分自身のサポーター人生というユニフォームにひとつ星を付けてもいいのかなと思うのだがどうだろう。少しでも良い大人になれただろうか。なーんてことを思う僕はまだまだだな。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP Mad Cat Hostel Osaka(Instagram) ※オープンは2019年8月1日だそう。

第19節 名古屋グランパス戦。

「劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」という映画を見た。結論から言うと本当に面白かった。ファイナルファンタジー自体はそれほどプレイしたことが無かったのだが、遊んでみたいと素直に感じた。やはりコミュニケーションはどんな場面でも必要である。 ここ最近のセレッソ大阪の試合を見ていて非常に感じるのがこのコミュニケーション。選手同士よく聴きよく話をしているのを目にする。少し課題が見えたら聴く話す。問題が大きくなる前に聴く話すができていることが、今のチームの好調さを物語っているように思える。 三点を取ったことよりも失点ゼロのほうが非常に嬉しいのは僕だけでは無いと思うが、何もこれはディフェンダー陣の力だけではなく、ブルーノ・メンデス選手、奥野博亮選手の二人を含む前線から始まる守備。最後の最後まで走り続ける姿は見ていて本当に気持ちが良い。 それもすべてコミュニケーションの賜物であると感じる。当然ここから上手くいかないことも増えていくとは思うし疲労が蓄積し怪我人が出るのだろうが、チーム全体のコミュニケーションで乗り切れるものと信じる。順位はともかくこのサッカーをひたすら見続けていたい。 最近はソーシャルネットワークやチャットというツールのおかげで人とつながるのが簡単になった分だけ、聴く話すという、よりリアルなコミュニケーションがより重要な感もある。この映画とセレッソ大阪からそんな警鐘を鳴らされている気がした。僕自身への戒めとして。 ※ところで。 ※8月3日はセレッソハシゴします。 ※皆様お会いできれば幸いです。 ※写真撮影可能です(笑)。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※引き続きNEVER STOP,NEVER GIVE UP Tシャツもよろしくお願いします。

25年後のワールド。

ミッドウィークに行なわれたアルテリーヴォ和歌山との天皇杯二回戦の模様をYoutubeで見た。試合内容はともかくピッチレベルの悪さに幻滅した。先週末に長居スタジアムにてライブがあったと聞く。しかたのないことなのかもしれないが怪我が無さそうで何よりでもある。 さてそんななか昨晩、サッカーショップ蹴球堂でも大変お世話になっているセレッソアミーゴが上京してきたので、新宿の思い出横丁で遅くまで飲んで語りあった。他愛もない話題でもあるし、そもそもとある事情で自分たちの話などほぼ無かったに近いが実に深みがあった。 東京在住のセレッソアミーゴを加えた僕ら三人はセレッソ大阪が誕生してからの付き合いなのでもうかれこれ25年になる。歳は取ったが相も変わらず多くの夢を追い求めて挫折を繰り返しながら生きている。まさにクラブ同様のジェットコースター状態なのかもしれない。 たまたま眼の前に座っていた大分出身の普通っぽい女性とサッカーの話題になり、彼女が大分トリニータのことを語ってくれた(大半はウッチーだがまさかサッカーの話題がでるとは)。地元愛とはそういうものなのだなとどことなく納得感が得られた新宿の夜でもあった。 最近はスタジアム観戦する機会もめっきり減った3人ではあるが、長居スタジアムへの気持ちは25年前(当時は改修工事だった。こけら落としは1996年だった気が)も今も変わらないと思っている。いつかはあのスタンドであの日あの時のリベンジを・・・という想いでもある。 25年前に描いた未来と今という現実のギャップには悩まされるだろうが、皆健気に生きていることを実感できる歳になったのだとも思うと、まんざら悪くない人生でもあるな。セレッソ大阪も変わる、変わった。僕らも変わる、変わった。それはそれでひとつのワールドだ。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

結局僕らは「無駄」を「無駄」にしているのかもしれない。

リヴァプールのモハメド・サラー選手着用Tシャツから影響を受けた新デザインのNEVER STOP,NEVER GIVE UP。アミーゴの皆様から購入いただいていて感謝してもしきれないくらいの気持ち。前回同様に今回も言うほど数が無いので、是非ともお早めにと思っている。 多くの方のお話を聞かせていただくため昨日まで広島と香川を訪問していた。広島ではレゴ®シリアスプレイ®を通じて人同士の考え方の違いをどのように合意するか。また、問題解決メソッドとして「お客様の満足感を超える満足度とは何か」を作っていくワークを行なった。 レゴはおもちゃ。ファーストインプレッションはこうだった気がする。僕はレゴという玩具とレゴ®シリアスプレイ®と名付けられたメソッドの存在について諸々説明しながら、その間に細かくワークを入れて身体を温め、最後にはとても素晴らしいシステムが完成したのだった。 僕がレゴ®シリアスプレイ®を行なう上で大事にするのが以前にも書いたミハイ・チクセントミハイ先生の「フロー理論」。いくつかの特徴があるのだが、その中でも僕がワークで用いるのが「難しいが作れてしまう問いとは何か」「時間を忘れて没入することは何か」という言葉。 進める上で僕は抽象的な問いを出す。ビジネスにおいて抽象的は「無駄」だと感じる受講者は「?」となる。僕は少しヒントを出す。受講者は何かに気づき、いきなり手がせっせと動き出す。「問いは難しいが作れてしまう」と脳が受け付けた瞬間に手が独りでに語り始める。 作り出すと時間を忘れて没頭する。多くの蛇足が生まれ始める。僕はこの蛇足を肯定する。プラスαに多くの意味がある。昨今「無駄」というキーワードに溢れているが、僕はこの「無駄」に素晴らしき才能が隠されている気がする。そこから新たな何かが誕生するのだろう。 結局僕らは「無駄」を「無駄」にしているのかもしれない。先日受講した東京大学の西成先生の話でもあったが無駄だと分かってから、無駄だと分かっているからこそ走った先に、何かが見えてくる可能性もある。子供のときに持っていた感覚や才能を是非取り戻したいものだ。 ※Tシャツも無駄にはさせないから!(笑) NEVER STOP,NEVER GIVE UP

決して止まらない。決して諦めない。

この二日間ブログ更新できていなかったが、多くの方との懇親でバタンキューだったわけである。コミュニケーションがとても苦手な僕としては本当に素晴らしい2Days。付き合ってくれる方々に感謝しても足りない。思い出をバッグに詰め込んでこれから東京へと戻る。 そんな旅のつかの間に新しい商品をBASE店に掲載させていただいた。僕らセレッソ大阪サポーターが20年以上胸に抱いてきた「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」。なかなか新デザインを出してこなかったが、今回とあるシーンにインスパイアされて制作することになったのだ。 このあとに続く「This is OSAKA spirit」と併せても、考えてみればこの言葉に何度も勇気づけられてきた気がする。それくらい僕らにとっては非常に大事なワードであり語り継ぐワードなのだ。時間的猶予があるなら、もう何時間でも語ってしまうようなエピソードでもある。 商品説明の文章を書いていて正直泣きそうになった。 =※==※==※==※==※==※==※==※==※==※==※=  欧州チャンピオンズリーグ セミファイナルセカンドレグ。  チームが絶体絶命のなか、  怪我のためベンチ外となったサラー選手。  そのとき胸に抱いていたTシャツから インスピレーションを得ました。 サラー選手同様に、 諦めずに最後まで共に戦いたい! 決して止まらない!決して諦めない! 勝利を信じて走る選手たちへのメッセージ。 =※==※==※==※==※==※==※==※==※==※==※= 思い出に浸るのが全て良いことだとは思わないが、ここまで長年行なってきた歴史をこれからも形にして世に出していきたい。サッカーだけでなく人生にとってこの「NEVER STOP,NEVER GIVE UP」は人々の胸に燦然と輝く。決して止まらない。決して諦めない。そう僕らは。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第18節 サンフレッチェ広島戦。

甚大な被害を受けたのは昨年のこと。地域や場所に関係なく災害というものは街の風景だけでなく人の心も変えてしまう。全国どこにいても危険の無い地域など決して存在しない。そんな国、日本に住んでいる僕らはそれを理解して生きていかねばならない運命なのだ。 広島戦の試合直前、黙祷が行なわれるまでそのことに気づかなかった僕は大馬鹿者だ。人はすぐに出来事を忘れてしまう生き物。自分自身に事が起こらないとどうしても身に沁みない。冒頭の言葉は改めて自分自身への戒めであると、まずはどうにか心を落ち着かせている朝。 その広島戦の感想だが久々に見ながら声の出てしまう展開の多い試合となった。前半と後半が全く違うチームになってしまう、というよりも相手の出方が変わると対処できず無駄に体力を消耗していく。そうしてできた穴を突かれて失点してしまう。最後は本当に助かった。 こんなゲームも時には存在する。現実問題我々はまだそこまでのクラブではないのだ。どのように改善していくかが鍵ではあるが、勝負強いチームとそうじゃないチームとの差を知る絶好の機会であった(鹿島戦もそう)としたら、あながち残念な試合では無かった気はする。 さて今週は水曜日のエンペラーズカップから週末のリーグ戦と連戦になる。監督も話したとおり怪我人も帰ってくるし、体力の回復とターンオーバーを上手く使ってなんとか乗り切りたい。僕はその間に少し遅れて広島訪問の予定だ。是非多くの方と話をしたいと思っている。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

「世界のいまを伝えたい」を読んで。

昨日クロアチア料理の「Dobro」に行った話を書いたが、その際、僕らがクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナに対して支援をしていたことなどについてスタッフさんと少し話をした。写真で見るクロアチアの風景を見て、様々起こった出来事などを思い出したりした。 それにしても僕は幸せ者である。前述のボランティアを通じて多くの素晴らしい方と巡り合うことができた。それなのに中々恩返しができていないのも事実であり、自分自身を恥ずかしく思うときもある。そんな毎日ではあるが少しでもお役に立っていきたいと考えている。 そんななか、ようやくと言っていいくらいではある(本当にごめんなさい)のだがこの本を読んだ。フォトジャーナリストでアミーゴの久保田弘信さんと出会ったのはちょうど10年前(虎舞竜ではなく)のコソボ共和国大使館によるパーティの二次会が行なわれた居酒屋だった。 今でも覚えている。翌日健康診断を控えていた僕はご飯も酒も取れないなかこの二次会に参加し、そこで久保田さんと初めてお会いした。この本にも書かれている通り、戦場で生きる方々の生活を映し出している様を目の当たりにし、感動以上の感情が見つからなかったのだ。 その後も講演会や上映会、自宅などにも招待いただいたりして親交を深めていくたびに、「いやあ本当に凄い人なんだな」という気持ちばかりが大きくなっていった。また、海外で撮られた写真をいただいたりと感謝しても足りないくらいのものをいつも貰ってきた気がする。 「世界のいまを伝えたい」を読了した今、改めて久保田弘信さんという人物の素晴らしさに魅了されると共に、いつも仲良くしてくださっていることに嬉しい気持ちでいっぱいになってくる。最近はなかなか都合がつかず会えていないが、とても近くにいる、そんな気持ちだ。 書籍の中身については他に譲るのだが、”フォトジャーナリスト久保田弘信”という人物像がこの本の中で余すところなく描かれていて、実に人間味が溢れるものであることだけはどうしても言っておきたい。なぜそこへ行くのか、なぜそれを伝えるのか。まさに心を震えさせる。 アフガニスタン、イラク、シリア、そして。その中で生きていくことの困難さと儚さ。苦労されている難民の方々。愛くるしい笑顔を見せる子どもたち。サラエボで見たあの戦争の爪痕を思い出してしまった。多くの方にこの本を手にとって

チャントなんてそんなもん。

今日、東京駅の付近で仕事をしていた関係で、久々に数少ないクロアチア料理のレストラン「Dobro」に行ってきた。ゲミシュト(ワインとスパークリングウォーターを混ぜたもの)を頂きながらサラダやラザニアやロールキャベツを食らう。塩辛いのも実に美味い。 食事をしながら勿論サッカーの話になる。ワールドカップ出場は僕らと同じ1998年フランス大会。二十年経った昨年にはファイナルまで進出するレベルにまでなったクロアチアと日本を比べてしまう。彼らの”戦うフットボール”を見ていると本当に胸が熱くなるのだ。 戦う、つながりではあるが、セレッソ大阪25周年記念プロモーション動画の第4話のテーマが”戦え”。サポーターのあのチャントが使われているということで早速視聴してみた。何とも言えず色々と思うところはあるにはあるが、このシリーズのチャレンジは実に素晴らしい。 この”戦え”。いつだったか忘れたが確かリーグのホーム開幕戦の試合前、思いついて歌い始めたのが最初だったよなと思い出す。”戦え”というキーワードを常に意識したチャントを当時はよく考えていた気がするが、今回の動画でも更に印象づけてくれて非常に感動する。 だいたいチャントなんてもんは気持ちがハイになっているときにできたものが結構長続きする。今も語られ、歌い続けられ、そしてこのように動画でも利用してもらえるようなチャントで存在できること。なんだかんだで独りごちながらチリ対ペルーでも見ることにする。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

Googleカレンダーで習慣化の第一歩。

4月末から身内に向けて毎日のようにChatマガジン「イバのひとこと」を書いている。このブログもそうだが習慣化は一週間続くとあとは楽になる。三日坊主と呼ばれるくらい飽きっぽい子供だったが、大人になって様々なツールを利用してこの”続ける”を実現できている。 利用する習慣化ツールがGoogleカレンダーにようやく集約されつつある。通常のカレンダー、ToDoリストそしてリマインダーを駆使して、予定と作業と忘れないことをまんべんなく管理していく。情報が一元化されるだけで本当に楽でもあり、それだけ効率が良いということ。 更に言うとメールはリマインダーとToDoリストで管理する。同僚のメール、作業の依頼、読まないといけない記事なども同様。記事はブラウザからPocket、IFTTTを利用してメール化する。これによりGoogleカレンダーに全ての作業を処理するための予定が入ることになる。 言葉で書くと非常に難しそうではあるが意外と簡単に設定はできる。が確かに少し難点もある。例えばモバイルGoogleカレンダーではToDoリストが同時に表示できない。またデスクトップブラウザでのカレンダーでリマインダーのすべての項目を表示できなくなっているのだ。 とは言えとても重宝してしているのは事実。結構日本人は形にこだわって、ITの機能で少しでもできないことがあると諦めてしまう方もあながち多い。眼の前に広がる効果を求めるのであれば多少の課題は越えていけば良いのかなと思う。その先に習慣化が広がるのだと僕は思う。 冒頭のChatマガジン。日中がバタバタして書けなかったので先程急いで作って投稿した。こんな一日も存在するがGoogleカレンダーは本当に助かる。僕を忘れさせずに多くの作業をこの時間からもどんどんサジェストする(笑)さて販売するTシャツについて仕事でもするか。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP ※セレッソ大阪各カテゴリーの試合予定もGoogleカレンダーで。それ以外のは適当だから突っ込まないで(笑)

久々のフットサルで昔を思い出す。

先日、久々にフットサル部活動に参加した。東京の方ならご存知、新宿にあるビックロ(ビックカメラとユニクロの複合施設)の屋上にあるフットサルコート。ボールを蹴ること自体3ヶ月ぶりくらいだと思うのだが、年齢のせいかそれとも実力なのか足が全然ついてこない。 わずか一時間半ではあったのだがやはりサッカーは楽しい。アミーゴとボールを蹴り合う時間は楽しすぎてあっという間にタイムアップ。何本もゲームを行なってちょっとずつ勘が戻ってきて、足にまともに当たるようになるころに終了するのは如何にも僕らしいと感じる。 プライベートで大阪に帰ることがほぼ無いため、中々セレッソ大阪ファン、サポーターの方ともボールを蹴るという機会が少なくなっている。最近は蹴球堂サッカー大会なども企画できず残念な状況ではあるのだが、意識だけは持っていたい(それが駄目だとよく言われる)。 そういや最近よく、その昔に試合終了後の長居スタジアム(当時)の外で飽きもせずジュゼッペ・シニョーリ(古!)の左足とか真似しながらひたすらボールを蹴っていたことを思い出してしまう。あの頃はいろんな大会にも出ていたなとか、なにより身体がよく動いていた(笑) 引っ越してから近所に広場も無くなった(公園が犬禁止)ので、愛犬ともボールで遊べていない。散歩に行く回数が増えたのでストレスは増えてはいないだろうが、サッカーボールが大好きなワンコとたまには一対一をしてみたい、そんな気持ちが高まってきているのだった。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP

第17節 湘南ベルマーレ戦。

15歳(厳密に言うと今月16歳になる)の湯田海選手が二種登録された。いきなりは難しいかもしれないがJ3での出番が待っているかもしれない。毎年のようにアカデミーからの登録が進んでいると思うが、ゴールキーパーの重要性を強く考えるクラブになっている気がする。 この週末もゴールキーパーの活躍によって1勝1分という良い成績を残せてご満悦(自分で言う)ではあるのだが、キム・ジンヒョン選手、茂木秀選手ともに素晴らしいパフォーマンスを発揮したことに非常に意味があると思う。特にJ3における茂木選手の数字は突出している。 さて湘南戦である。相手のパフォーマンスはさておき、自分たちのサッカー(あまりこの言葉は使いたくないが)が明確に体現できるようになってきているといっても良いのではないか。特に右サイドの三人の運動量と走りの質の高さに感動で身体が震えるくらいだった。 その中でもやはりキム・ジンヒョン選手。スロー、キック共に素晴らしいと感じたし、茂木選手と比べて慌てさせられる場面が少なかったとはいえ、圧巻のプレーだったように思える。ここ数試合の高パフォーマンスがチームを支えているといっても過言では無いと思う。 武田亘弘コーチから始まるセレッソ大阪のゴールキーパーの歴史はこれからも続く。毎試合枠はひとつしか席が無いのだが、ベテランと若手の融合によって限りなく最高を保っていってくれるだろう。気がつけば失点11、無失点試合は実に17試合中 11 9。気持ちが良い数字。 ※無失点試合は17試合中9だったので修正。 NEVER STOP,NEVER GIVE UP