僕ら大阪人は生まれたときからお笑いのDNAが組み込まれている。好きか嫌いかは別として身体の一部と化しているのは間違いない。子供の頃から新喜劇や漫才、コントを見て育ってきたわけでもあるので、知らず知らずの間にそのDNAが更に進化をしているのだと思う。
東京に来てからも番組欄にお笑いがあるとなぜかチャンネル(ガチャガチャからリモコンに変わってからもリモコンのことをチャンネルと呼んでいた)を回しているし、生活の一部として、いや、二部三部くらいは占めているであろうお笑いへのこだわりがプライドでもある。
芸人さんは勿論のこと所属企業やマネジメント会社を含め多くの課題を抱えている昨今。少なからず、素直に笑えていたあの時代から移り変わっている。規制や時代背景からくる笑いの地殻変動も激しくなっていった。そんなお笑いそのものに違和感を感じることも多くなった。
今回の件。善悪だけで判断すると当然のことながら初めにかけ違えたボタン(嘘)がトリガーであることは間違いはないと思う。ただ、対象の芸人さんを好きか嫌いかは横に置いたとしてもモニタ越しで見たくない姿であったのは紛れもない事実。正直、悲しみ以外が出てこない。
いちお笑いファンとしてこれだけは言いたい。お笑い芸人さんの持つDNAにどれだけ救われたか、どれだけの人を勇気づけてきたのか。少なくとも僕は救われた。これからも僕はお笑いを見続けるだろう。そして笑い続けるだろう。お笑いのDNAが組み変わったとしても。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
東京に来てからも番組欄にお笑いがあるとなぜかチャンネル(ガチャガチャからリモコンに変わってからもリモコンのことをチャンネルと呼んでいた)を回しているし、生活の一部として、いや、二部三部くらいは占めているであろうお笑いへのこだわりがプライドでもある。
芸人さんは勿論のこと所属企業やマネジメント会社を含め多くの課題を抱えている昨今。少なからず、素直に笑えていたあの時代から移り変わっている。規制や時代背景からくる笑いの地殻変動も激しくなっていった。そんなお笑いそのものに違和感を感じることも多くなった。
今回の件。善悪だけで判断すると当然のことながら初めにかけ違えたボタン(嘘)がトリガーであることは間違いはないと思う。ただ、対象の芸人さんを好きか嫌いかは横に置いたとしてもモニタ越しで見たくない姿であったのは紛れもない事実。正直、悲しみ以外が出てこない。
いちお笑いファンとしてこれだけは言いたい。お笑い芸人さんの持つDNAにどれだけ救われたか、どれだけの人を勇気づけてきたのか。少なくとも僕は救われた。これからも僕はお笑いを見続けるだろう。そして笑い続けるだろう。お笑いのDNAが組み変わったとしても。
NEVER STOP,NEVER GIVE UP
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