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車音痴の僕が鈴鹿8耐予選に行ってみた(中編)。

【前編はこちら】

仕方なく近鉄特急窓口の列に並んだ。動かない途切れないこの行列にこれからの旅が険しいものになると僕らは感じていた。そのとき直前に並んでいた女性から声をかけられた。ちょっと確認してくるので荷物を見ておいてほしいとのこと。素直な僕はその言葉に従うことにした。

何やら女性は駅員と話し込み、その間僕らは荷物を見張るという妙な連携が生まれた。女性が戻ってきた。「あなた達どこまで行くの?」「白子駅です」「じゃあ26分の急行のほうが良いわね」という言葉を信じて、僕らはこの行列を捨て、改札を通り、駅中に入ったのだった。

?二度見?26分の電車など、存在しない。その決断を促した女性もとうにいない。動かない電車。途方に暮れる僕ら。そんな刹那アナウンスが入る。電車が動き始めたとのこと。急いで特急券券売機に並び、そしてなんとか10分遅れの上本町行きに乗車することができたのだった。

白子駅に着いた。ここからはタクシーで行くことになる。勿論のことながら周りには明らかにレースチームなのだろうなとおぼしきスタイルの軍団が増えてきている。タクシー待ちもそこそこに僕らは鈴鹿サーキットの9番ゲート(それがそうなのかも分からないが)に到着する。

連絡はしていたが、案内してくれる方が・・・いない?とにかく暑くてどうしようもない僕らは炎天下のもと通常入り口に向かって歩き始める。100mごとに汗が1リットルは出ているなと感じるくらい、辛い。挫けそうになった瞬間アミーゴの電話が鳴り響き、僕らは息を吹き返した。

こうして紆余曲折しながらもようやく鈴鹿サーキットに来ることができたのだった。幼馴染がいるピットへと足を進める。歩きながら、この地を夢見て努力してきた多くのライダーやメカニックの方々の想いを肌で感じる。夢の舞台、鈴鹿。僕自身も興奮が増し気持ちが踊り始める。

後編へ続く。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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黒パグ、「一粒万倍日と天赦日が重なる日」に、病院へ行く。

一ヶ月前に狂犬病注射とフィラリアの薬をもらいに通院した際、その帰りしなに先生から「来月、混合ワクチンを打ちに来て」と言われた。なので、この土曜日に黒パグを連れて病院に行ってきたのだが、そこで起こったことを書いてみる。 雨が振りそうな天気でもあり、どのワンコも早めに連れて行こうかなとなったのか、病院は思いのほか混んでいて密だった(とは言え3人しか入れない)。しばらくして僕らの番が回ってきたので、黒パグと僕はドアを開けて診察室に入った。 「変わりはない?」「あー、ちょっと時々お腹周りを布団でスリスリすることがあります」「じゃあ診察してみよう」ということで色々と診てもらった。黒パグの全体を見てもらったのちに先生が「うん、これは外耳炎」。え?耳ですか? 思いも寄らない回答だったので一瞬面食らった。先生は薬と綿棒(みたいなやつ)で耳の治療を始めた。黒パグと目が合ったので軽く覗き込んでみたら、「顔を見ない!」と先生から一喝された。治療中にワンコが集中できないからだそうだ。 良かれと思ったら叱られた。気を取り直して見ないようにしていたら、今度は黒パグに猿ぐつわが装着されていく。目と口をカバーするようにセットされたこのワンコはついに暴れることを諦めてしまった。大人しく治療を受け入れ始めた。 そしてようやく耳の治療が終わり、混合ワクチンの注射が終了して帰ろうかと思った瞬間、思いがけない一言を先生から聞かされた。「カビですね」。どういうこと・・・。要はこの時期、お風呂に入ったあとのケアが必要だということだ。 ツイてない日だったのかもしれないと心が叫びたがっていたが、未だ病院は密でもあったので止めておいた。少々想定外の出来事ばかりが起こったので、今日は厄日かよ、と思ってしまう。僕らはかゆみ止めなどの薬をもらって家路に着いた。 いやいや、待てよ。まったくもって厄日なんかじゃない。そうだ。今日は「一粒万倍日と天赦日が重なる日」だった、と宝くじ売り場を見て思い出した。まじまじと宝くじ売り場を見てみる。TOTOやBIGを見て、改めてサッカーの再開を喜んだ。 宝くじでも買ってみるか。「ドリームジャンボ20枚お願いします!」。店員さんが首をかしげている。「ドリームジャンボは終わったよ」。暑さで舌を大きく出しっぱなしの黒パグがこちらを見ていた。まるでニヤニヤ笑っているようだった。 NEVER STOP

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